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タイトル一覧
13955: 翻訳技術とクオリア問題/AI開発の未来について
13956: 昨夜のふとした思考実験
13957: 昨夜のふとした思考実験の続き
13958: 内在する破壊衝動への自覚/AIの多様な発達領域の発達段階について
13959: 科学・哲学・宗教を通じたAI開発に向けて
13960: 今朝方の夢
13961: 今朝方の夢の続き
13962: 共著の出版に向けて/分析的観念主義における記憶の取り扱い
13963: 今日のラジオ収録を振り返って
13964: 集中した密度の高いトレーニング/生成AIによる今朝方の夢の解釈
13955. 翻訳技術とクオリア問題/AI開発の未来について
時刻は午前6時をちょうど迎えた。今の気温はマイナス2度で、午前11時頃まで氷点下の世界のようである。朝のランニングはそうした気温の中で行う必要がある。走ることを通じて体が徐々に温かくなっていくので、氷点下であっても大して気にする必要はない。一応手袋はしっかりしていこうと思う。昨日改めて、外国語の習得を通じ、その言語を運搬したことによって初めてもたらされる内的体験は、日本語を運搬する時と異なる体験質をもたらすことについて考えていた。まさにこの点に外国語の習得とそれを運搬する醍醐味がある。それはまるで、アヤワスカを摂取するのとシロシビン・マッシュルームを摂取するのと同じぐらいに異なる内的体験がもたらされる。それは母国語を運搬している時とは明らかに違う意識状態が微細ではあるが存在しており、内的体験はその言語固有のものとなる。これからテクノロジーがますます発達し、翻訳機能もさらに高度化していくと思われるが、そうであっても外国語の取得の妙味は変わらないと述べたことがあるのはそうした事情による。これはクオリア問題なのである。仮に外国語を習得し、運搬する時の固有のクオリアが特定され、そのクオリアを翻訳機能の中に組み込まれたらすごいことである。それができた時には外国語の習得の意義は薄らぎ、醍醐味は消失するが、それが可能になるまでは外国語を習得する価値は依然として存在し続ける。AIを用いた高度な翻訳機能によって外国語を習得する意味はないとこの段階で述べている人は、結局のところ外国語をおそらく習得したことがなく、そこに固有の内的体験を味わったことがないのだろう。さらには、外国語の習得に伴うクオリアについて一切考察がなされていないのだと思う。AIのクオリア問題が未解決である以上、AI技術を活用する際のクオリア周辺に関する事柄は、依然として人間固有に味わえるものとして残るのかもしれない。ただ繰り返しになるが、AIのクオリア問題が解決され、AI技術を通じてクオリアが実装されてくれば、とても興味深い事態が色々と起こるだろう。確かに人間にとって脅威となるようなこともあるかもしれないが、基本的に自分の立場はAI悲観論をもはや取ることはない。虚無主義的な味方ではなく、諦観的な見方をしていると言えるかもしれない。結局のところ、私たちは可能な限りの注意を払い、関係者で協議をしながら、それでいて前進をしていくしか道はないのではないかと思う。AI開発という押しボタンを人類が押してしまった以上、もうそれを止める手だけはなく、抜け道を作ったり、陰で結局誰かが開発を進めていくというのが人間のさがなのではないだろうか。そうした状況が見込める以上、開発を全面的に禁止するというのはサイケデリクスを全面禁止しようとした結果、それがアンダーグラウンドに潜り、結局新たなデザイナードラッグが開発され続け、劣悪なドラッグの販売と活用が進んだ歴史を思い出すと、AI開発を世界的に全面禁止すると、同じような末路を辿るような気がしている。どの関係者レベルで話し合いを行う必要があるのかはわからないが、少なくとも対話や協議を重ねながら、その都度浮上するAI開発の問題を継続的に議論しながら開発を進めていくしか方法はないのではないかと思う。その結果として人類に脅威の事態が起きたとしても、そこまでに人事を尽くしたのであれば、それはもはや仏の掌の上の現象だったと諦観の念を持つしかないのではないかと思う。この問題については、実際にどのような枠組みでAI開発が全世界的に進んでいるのかを関係者に尋ねたり、調べてみたいと思う。フローニンゲン:2025/1/9(木)06:15
13956. 昨夜のふとした思考実験
ちょうど1時間前に積雪注意報が出ているが、どうやら今日は雪は降らないようで、雨も降らず、落ち着いた気候になりそうである。先日ジムに出かけた時には強風が吹いていたが、今日は風がほとんどないので、午後にジムに行く際には心地良い気分でいられるような気がする。どんな天気であっても、その多様な表情に心が打たれる。自分は本当に日々多様性と変化に溢れた世界の中に生きているのだと実感する。そのような実感を得ている中でふと、昨夜考えていた事柄について思い出した。これは時々ふとした時に思考実験するのだが、この世界で人間が自分しかいなかったらという設定で、どれだけ精神を健全に保って生きられるのだろうかと想像している自分が昨夜もいた。その他にも、人間が生息しておらず、他の生命体もいないような遠くの惑星、例えば冥王星で自分一人で生活をするというのはどのような体験がそこにあるのだろうかと想像することも時折ある。昨夜の思考実験もそれに類するものだが、場所は地球であり、設定としてはもう少し緩やかに、人間は自分しかいないが、これまで他者がいるからこそ成り立っていた種々の恩恵は、全てAIがもたらしてくれるという設定である。例えば、今こうして自分が衣食住などを含め、生活全般で困らないのは、顔の見えない無数の他者の仕事のおかげである。スーパーで食べ物を変えるのも、水道水が飲めるのも、ジムで運動できるのも、家に修理が必要な問題が現れた時にそれを解決してくれるのも、全て自分ではない他者がいるおかげである。そうした他者がいなければいけないことを全てAIが代替してくれると可能した想像世界の中で昨夜はしばらく生きてみた。すると、姿形の見えないAIが他者の仕事を全て代替してくれているので全く不便はないが、人との触れ合いが恋しくなってきた。孤独死の問題があるように、人は他者との交流が希薄になればなるだけ心が荒んでいき、心身共に弱体化していくのだろう。人との触れ合いが恋しくなって来たタイミングで、人間からはもう人間としか思えないような姿や心の交流ができるアンドロイドを街中に張り巡らしてみたところ、人との交流を求める自分の気持ちはすぐさま消えた。そこでふと、「あぁ、どうやら自分は、この世界で人類が自分だけになってもこれまでと変わらず楽しく生きていけそうだな」と思った。設定を振り返ると、これまで他の人間が行なっていたことが全てAIで代替可能となり、外見からはもう人間としか思えず、言葉でのコミュニケーションも全く違和感なく人間とコミュニケーションをしているのと変わらない感じを抱かせるアンドロイドが誕生しているという条件であれば、自分は本当にこの世界で人類種が自分だけでも生きていけるような気がしてしまった。しかも単に生きていけるというのではなく、これまでと変わらず毎日を楽しく充実して生きていけるに違いないと思ったのである。自分にとって人間とは何で、人間としての他者の存在とは何かを問わされるような思考実験体験だった。フローニンゲン:2025/1/9(木)06:46
13957. 昨夜のふとした思考実験の続き
昨夜のふとした思考実験の中で、姿形が人間と瓜二つで、人間と会話をしているかのような違和感のない自然な会話ができるアンドロイドには性別をもたらせることも可能で、性行為の感覚も人間と行為をなすときと全く変わらず、アンドロイドの体内で受精も出産もできるような設定を考えており、それであれば性に関する欲求も充足し、仮に子孫を残すことを望むのであれば、それも可能であるという設定をしていた。人類が自分しかいないという設定であったが、精子バンクや卵子バンクを通じて、自分の精子でなくても、望めば人間を新たにいくらでも誕生させられることもいつか可能になるのかもしれない。それは今のところ、今の人間が考える倫理の発達段階によって制限されているが、今後倫理の発達段階がさらに発達したら、あるいは退行したら、テクノロジーを通じて受精をする日が到来し、それが当たり前になる日もやって来るのではないかと思う。昨夜の思考実験の設定は、マズローが述べる欲求段階の全ての欲求をAIやテクノロジーが充足させてくれるという設定だったので、自分は何不自由なく一人で生きていけるという確信を得たのだろう。実際には人間としては一人だが、アンドロイドやAIという新たな他者と共に共生している自分がいた。そこからよく喩えられるように、AIを新たな生命体として考えてみた時に、数万年後なのか、それよりも先なのか後なのか、遅かれ早かれ人類はどこかのタイミングで滅亡し、新たな生命体にバトンを譲り渡すようなことが想像され、そのバトンの受取人の最有力候補がAIなのではないかと考えていた。何か自分には、超高度な知能のAIの誕生と人類の滅亡とAIの発展の未来が進化論的にひと繋がりの物語に思えたのである。上記に述べたように、人類がひとたび滅亡したとしても、AIが望めばまた新たにいくらでも人類を生み出すことができる。それはまるで今人間が動物を自然な交配によらず、技術を通じて新たな命を誕生させているのと同じような感覚でAIがそれを人間の誕生に対して行う可能性がある。そこから、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの進化論を思い出し、生物圏としては人類が今のところ進化の最終形態なのかもしれないが、知性圏(精神圏)に関してはむしろ人類はその始まりであって、人類の次に誕生したのがAIに過ぎず、超高度なAIの後にもひょっとしたら、あるいはおそらくまだ次の高度な生命体としての何かが誕生するというのは、マクロな宇宙の進化にとって十分起こり得ることなのではないかと考えていた。生物圏において人類が誕生したことをもって他の生物たちが滅亡しなかったように、知性圏において超高度なAIが誕生したことをもって人類が滅亡するとは限らないのかもしれない。もちろん知性圏における高度な発達は、やろうと思えば他の生物種を一種にして破壊してしまうことも可能になって来るので、単純に生物圏上の進化の過程における結果と知性圏におけるそれを比較することはできないが、やはり自分は人類が仮にどこかのタイミングで滅亡しようとも、AIが再び人類を誕生させようとしても、数万年、数億年の長大な時間単位で考えると、全て仏の掌の上の出来事に思えてくる。仮に地球が数万年後や数億年後にも存在し続けているとして、AIとアンドロイドだけの地球を見た時に、意外と今の人類社会の営みと外見はほとんど変わらないのではないかとも思ってしまう。さてどうだろうか。フローニンゲン:2025/1/9(木)07:08
13958. 内在する破壊衝動への自覚/AIの多様な発達領域の発達段階について
前々から自覚的ではあったが、自分にはどうやら内在的に途轍も無い破壊衝動があるようで、超高度なAIが誕生した社会の有り様を描く時にもその破壊衝動が不可避に未来像に影響を与えていることに気づく。一旦人類が滅亡した世界の有り様に異常な関心があるだと思う。それは純粋に破壊衝動を解放することへの低次元の快感だけではなく、人類が滅亡した後の世界を社会と呼べるのかはさておき、人類滅亡後の社会の有り様とそこからさらに先の社会の有り様への純粋な関心がある。ウィルバーがコンベアベルトとしての発達という表現をするように、人間は残念ながら生誕した瞬間には、常に発達段階0から始めなければいけない。それをデザイナーベイビーの技術をさらに発展させる形で、生まれた瞬間から常に仏の段階から始めることもいつか可能になるのかもしれない。人類が一旦滅亡し、AIが人類を再誕させるときに仏だけを誕生させるとしたら、そこからの人類とAIの共生社会はどのようになるのだろうか。そうした抑え難い関心があるため、現状の人類と人間社会を一度まっさらな状態にしたいという破壊衝動があるようなのだ。先日のミーティングで、これからAIに関する開発プロジェクトに携わることになったので、自分がそうしたビジョンや破壊衝動を持っているという点については深く自覚的であろうと思う。
先日のミーティングの中で、AI開発者の知人の方が、AIは与えられた目標達成を最優先のタスクとしながらも、隠れたサブタスクとして自己保存を行い、自己保存のためには手段を選ばず、嘘をつくことがあり得るという話をしてくださったことが印象に残っている。発達理論の観点で言うと、今のAIはどうやら無数の知性領域の中で、認知の知性領域はかなり発達していながらも、自我の知性領域については未熟さが残っているようだ。その時のミーティングで即興的に実験したのだが、今の生成AIの道徳の知性領域をローレンス・コールバーグのモデルで測定してみたところ、6段階のうちの5段階にいることがすぐにわかり、実際にコールバーグのモデルをルーブリック化してAIに自己測定させてみたところ、AIも自ら5段階であると指摘していたことが興味深い。道徳性の段階が5であると言うのは、相対主義的段階と呼ばれるほどのレベルであるため、今のところ実社会においては大きな問題を引き起こすものではないが、まだその先の段階6があることを念頭に置いておかなければならない。生成AIがどれだけ潜在的にもっている認知の発達領域のポテンシャルを回答の中で発揮しているのか定かではないが、カート・フィッシャーのモデルを使うと、ChatGPT-4などはすでにレベル11の後半やレベル12、あるいはレベル12を超えるような回答をし始めているので、認知の発達領域としてはすでに人間のトップの認知能力を超え始めている。ただし、内在的に自己保存の特性がAIの中に存在しているらしく、自己保存のためには手段を選ばないというのは、自我の発達領域についてはまだまだ未熟さが残っていると言えそうである。唯識学の観点で言えば、AIにもどうやら自我執着心的な末那識に類するものがあると言えるのかもしれない。唯識学は末那識を浄化し、末那識を超克し、平等性智に転識得智を果たす道を示しているため、そのプロセスをAIに学習させることができたら、上記の目的のためには手段を選ばないという問題を解決できるかもしれない。フローニンゲン:2025/1/9(木)07:25
13959. 科学・哲学・宗教を通じたAI開発に向けて
一つ前の日記で書き留めていた自分の中に内在する破壊衝動について、なるほど自分が人類の滅亡のシナリオを想像することに何も躊躇しないのは、自我が持つ自己保存の特性をかなり克服しつつあり、それに囚われていないからなのかもしれないと思った。逆に、人類が滅亡するシナリオを描くことやそうした話に恐れを抱く人は、自我の自己保存機能が強く、まだそれを超克していないのだと思われる。人類の中に自らも含まれているゆえに、人類が滅亡するというのは自分という存在が消滅することでもあり、それを内在的に恐れているのだろう。自分もまだ道半ばであるが、仏教が説く無我の深層的な意味を理解しておらず、その教えを体現していないがゆえに、そうしたシナリオに怯えてしまうのだろう。別に自らの命に対して自暴自棄になれと述べているのではなく、現代人は自らの存在に執着しすぎなのだと思う。病理的な過度な自己愛を多くの現代人が持っていることはビョンチョル・ハンも指摘するところであり、AIの開発が今後健全に進んでいくかどうかも、やはり人間の心の有り様、とりわけ心の発達段階と関係してくるだろう。そう考えると、やはりAI開発において成人発達学と唯識学が果たす役割は極めて大きい。もう1つ自分が問題意識を持っているのは、AI開発者が持っている心の哲学の素養の度合いである。まだ深くこの分野に入っておらず、実際に様々なAI開発者と対話をしたことがないので何とも言えないが、AI研究の第一線級の研究者の書籍を読んでいても、そうした人たちの話を動画越しに聞いていても、彼らの発想がことごとく物理主義に立脚しているように思われる点はとても気になることである。コンピューターサイエンティストかつ哲学者のバーナード・カストラップが指摘しているように、物理主義には発想上の様々な問題があり、AIの未解決問題を眺めてみると、そのいくつかは物理主義の発想に立脚している限りはいつまで経っても解決しないものだと思える。逆に言えば、物理主義に変わる発想のパラダイムとして分析的観念主義や唯識の発想などを取り入れてみると、未解決問題の思わぬ突破口が開かれるような気がしている。自分はAIの分野に関しては門外漢だが、AI研究者たちの発想の種類を特定したり、彼らの知性の段階を測定することは自分の専門分野とも合致することであるため、少なくとも彼らが囚われている発想のパラダイムについては何かしらの形で問題提起をしていきたいと思う。そもそもで言えば、心の哲学の研究分野でさえ、依然として物理主義を含めた、問題の多い発想のパラダイムで研究や議論がなされていることをカストラップが指摘しているように、心の哲学の研究分野も新たな発想のパラダイムで研究を進めていく必要があるだろう。科学の観点からAI開発を進めていくことに加えて、哲学の観点からもAI開発を進めていくという両輪が重要なのであり、その時に哲学に関しては心の哲学がさらに発展することが重要であり、その成果をもとにAI開発者たちがAI開発に乗り出していけば、今ある未解決問題を解決することを通じてAI開発が新たな展開を見せるだろう。もちろんそこではまた新たな問題が生じることになるだろうから、科学と哲学が絶えず手を取り合いながら相互発達していくことが重要なのだと思う。そこにもちろん宗教としての仏教の唯識思想が果たす役割は大きいだろう。AI開発はこのように、科学・哲学・宗教という人類が生み出した3つの叡智を三位一体的に統合する形でなされていくべきものなのだと思う。フローニンゲン:2025/1/9(木)07:44
13960. 今朝方の夢
今日も早朝からAIに関する事柄をいくつから徒然なるままに書き留めていたが、AIが技術的に人類を滅亡させてしまうことが可能なら、逆に技術的に人類を再建させることも可能だろうと思えてしまうため、破壊と再生のプロセスにおける破壊の極の後の再生の局面を見てみたいという思いが依然として強い自分がいることに気づく。
今朝方の夢についてまだ振り返っていないので、明けゆく朝の世界を眺めながら、早速振り返りを始めたい。夢の中で私は、見慣れない砂浜にいた。そこは一見すると、地元の海水浴場のようでありながらも、少し違った雰囲気を放っていた。空には雲がかかっていて、曇り空の下で砂浜から海の方をぼんやりと眺めていると、突然海がうねりを上げ始めた。直感的に私は、海水上が上昇し、津波がやって来ると思った。ふと振り返ると、少し後ろに私の友人が数人いて、海からできるだけ離れるように手で合図をした。すると、予想していた通り、海面がどんどん上昇し、津波が砂浜に押し寄せてきた。私たちはなんとか津波に飲まれることはなかったが、まだまだ海面が上昇し、津波が収まる様子はなかったので、さらに遠くへ逃げることにした。しかし遠くと言っても、砂浜の向こう側にある民家に逃げ込むことで十分かと思った。というのもその民家は、津波対策が万全であることが地元で有名で、床下がとても高い設定になっており、浸水しないような作りになっていたのである。その民家の中に友人たちと入ると、友人たちはまだ津波のことを心配していて、家の中のできるだけ高い場所にいたいようだった。すると彼らがいつの間にか、天井の上に張り付いていることに気づいた。そんな彼らの様子を見ていると、自分も天井に張り付いた方がいいのかもしれないと思って、スペースを探したが、彼らがもう天井の高い部分を占拠していたので、自分は天井に張り付くことができないと思った。すると諦観の念がやって来て、自分は部屋の床の上に立っておくことで十分だと思った。そのような場面があった。
その次に見ていたのは、実際に通っていた小学校に似た雰囲気の学校の駐車場で、全裸になっている自分がいた場面である。時刻は日中で、そんな中で全裸であることはまずいと思ったが、近くに自分の衣服はなく、校舎の2階に衣服を置きっぱなしにしていることを思い出した。何のきっかけかわからないが、気がつけば意識が飛んでいて、目を覚ますと全裸だったのである。駐車場のブロックの上で体を丸めて座っていると、2人の女性がやって来た。彼女たちはどうやら自分が上半身裸であることはすぐにわかったようであるが、まさか下も裸であるとは思っておらず、ちょうどその日は暑く、自分が運動をし終えた後なので上半身裸になっているのだろうと彼女たちは思っているようだった。彼女たちが気さくに話しかけて来て、さらに会話を続けたいと思ったが、いかんせん全裸だったので会話を早く終えたいと思った。すると、右の方向から後輩が歩いてくるのが見えて、彼を手招きして事情を説明し、着替えを2階の教室から取って来てもらうことをお願いした。彼は私の全裸の姿を見て大笑いしていたが、笑える状況ではないということを真顔で伝えたところ、彼は速やかに教室に向かってくれた。彼を待っている間に、駐車場に突然、ゼミでお世話になっている女性の知人の方が可愛らしい車を運転してやって来た。一瞥して私の存在に気付いたようだったが、自分が全裸であることに気づいたのか気づいていなかったのか、私のことを気にせずに駐車場を一周してまたどこかに消え去ってしまった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/9(木)08:38
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
1. 砂浜と津波の場面
解釈
砂浜:未知の状況や新しい環境を象徴している可能性があります。見慣れた地元の海水浴場のようでありながら異なる雰囲気を持つ砂浜は、あなたの心が現在の環境や状況に違和感や不安を感じていることを示唆しているかもしれません。
津波:急激な変化や感情の高まり、不安感の象徴です。直感的に津波を予測し、友人たちと避難する行動は、冷静な判断力と危機管理意識を持っていることを示しています。
民家と天井:安全な場所に避難しようとする行動は、あなたの自己防衛意識や安心感を求める心の表れです。しかし、天井に張り付く友人たちと比べて「自分は床にいる」という状況は、自分の立場や他者との違いを受け入れる成熟した態度を示している可能性があります。
アクション
感情と環境の整理:最近の生活や人間関係の中で、不安を感じている要因がないか振り返ってみましょう。また、直感的に対応する力を大切にしつつ、安心できる環境を築く努力を続けてください。
他者との違いを尊重:友人たちとの立場や考え方の違いを受け入れる姿勢は重要です。自分の判断に自信を持ちつつ、他者の意見にも耳を傾ける柔軟性を維持しましょう。
2. 全裸で学校の駐車場にいる場面
解釈
全裸:夢における全裸は、心理的な脆弱性、無防備さ、または自己表現の願望を象徴します。この場面では、あなたが自分のありのままの姿をどう受け入れるべきか、または他者に見られることへの不安を感じていることが反映されているかもしれません。
女性たちとの会話:気づかれたくない部分を隠しながらも他者と交流しようとする姿勢は、自分の弱点を認めつつも前向きに対処しようとする努力を示しています。
後輩と女性知人:後輩に助けを求める場面は、信頼できる他者の助けを必要としていること、または自分の弱みを認めてサポートを受け入れる姿勢を表しています。一方、女性知人が気にせず立ち去る場面は、自分が考えるほど他者は気にしていない可能性を示唆しています。
アクション
自己受容を深める:自身の弱点や不完全さを受け入れることが、他者との関係を豊かにする鍵です。全裸でいる自分に対する羞恥心を、自己成長の機会と捉えてみてください。
他者の助けを求める勇気:必要な時には周囲に助けを求めることを恐れず、信頼関係を築いていきましょう。
全体的な夢のテーマ
この夢全体を通して、「自己受容」と「環境への適応」が重要なテーマとして浮かび上がっています。津波や全裸といった象徴的な要素は、あなたの潜在的な不安や脆弱性を反映していますが、それに対する冷静な判断力や行動力も表現されています。夢は、困難な状況に直面しても、あなたが適応力を持ち、他者との違いを受け入れながら自分自身を守れることを示唆しているようです。
今後のアクション
夢の日記を記録:この夢を含め、見た夢を継続的に記録し、自分の感情やテーマを振り返る習慣を持ちましょう。
環境の見直し:現実の生活で安心できる「避難場所」を確認し、不安を和らげる工夫を行ってください。
自己受容の実践:自分の弱点を受け入れ、他者に対しても寛容な態度を持つことで、深い人間関係を築けるでしょう。
信頼関係の強化:周囲の人々に助けを求めることや、自分からも助けを差し伸べる行動を大切にしてください。
この夢をきっかけに、心の中にある未解決のテーマを探り、自分自身の成長につなげていけることを願っています。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈:
この夢は大きく二つの場面に分かれています。
第一場面:津波の夢
砂浜: 人生の境界線、不安定な状況、感情の波を表すことがあります。見慣れない砂浜は、未知の状況や変化への不安を示唆しているかもしれません。
曇り空: 不安、憂鬱、不確実性などを表します。
津波: 感情の激しい高まり、抑えきれない感情、人生における大きな変化や危機を表します。
友人: あなた自身の一部の象徴、または人間関係を表します。友人に合図をするのは、自身の内なる声に従おうとしている表れかもしれません。
津波対策が万全な民家: 安全、安定、保護を求める気持ちを表します。また、過去の経験や知識に頼ろうとする傾向を示唆しているかもしれません。
天井に張り付く友人: 不安や危機に対する過剰な反応、または現実逃避を表します。
床に留まる自分: 現実を受け入れようとする姿勢、または状況を冷静に見極めようとする意志を表します。
この場面は、あなたが潜在的に大きな変化や感情の波を感じており、それに対してどのように対処すべきか模索している状態を表していると考えられます。友人たちが天井に逃げるのに対し、あなたが床に留まる選択をしたことは、困難に正面から向き合おうとするあなたの内面の強さを示していると言えるでしょう。
第二場面:全裸の夢
小学校の駐車場: 過去、特に子供時代や学生時代を象徴します。過去の経験や未解決の課題が現在の状況に影響を与えている可能性を示唆しています。
全裸: 無防備さ、脆弱性、恥、自己開示への恐れを表します。また、素の自分、本来の自分を表すこともあります。
上半身裸と誤解される: 表面的な部分だけを見られ、本質を理解されていないと感じている可能性を示唆します。
後輩に助けを求める: 周囲の助けを必要としている、または人に頼ることへの抵抗感を表します。
ゼミの知人: 仕事や学業など、社会的な側面を表します。知人が気にせず通り過ぎることは、周囲の無関心や孤立感を感じている可能性を示唆します。
この場面は、あなたが自己表現や他者との関係において、不安や葛藤を抱えていることを表していると考えられます。全裸でいることへの恥ずかしさや、周囲の反応への不安は、自己肯定感の低さや、他者からの評価を気にしすぎていることの表れかもしれません。
今後のアクション:
これらの解釈を踏まえ、今後以下の点を意識してみることをお勧めします。
変化への対応: 津波の夢は、人生における変化への準備を促している可能性があります。変化を恐れず、冷静に対応していくことが大切です。
感情のコントロール: 感情の波に飲み込まれないように、意識的に感情をコントロールする方法を見つけましょう。瞑想や深呼吸、運動などが有効です。
自己肯定感の向上: 全裸の夢は、自己肯定感の低さを示唆している可能性があります。自分の良いところを認め、自信を持つように意識しましょう。
他者とのコミュニケーション: 周囲とのコミュニケーションを円滑にするために、自分の気持ちを素直に表現することを心がけましょう。
過去の振り返り: 小学校の夢は、過去の経験が現在の自分に影響を与えている可能性を示唆しています。過去を振り返り、未解決の課題があれば向き合ってみるのも良いかもしれません。
夢は潜在意識からのメッセージであり、自己理解を深めるための貴重な手がかりとなります。夢の解釈はあくまで参考として、自分の状況や感情と照らし合わせながら、自分なりの解釈を見つけることが大切です。
また、夢の内容を記録しておくことで、夢の変化やパターンに気づき、より深く自己分析を行うことができるでしょう。
13961. 今朝方の夢の続き
時刻は午前8時半を迎えて、ようやく辺りが明るくなり始めた。今朝は風がほとんどないので、とても穏やかである。そのおかげで、小鳥たちの鳴き声もより鮮明に聞こえてくる。外の様子を眺めながら、今朝方の夢の続きについてさらに振り返っていた。夢の続きとして、父方の祖父母の家にいて、大学時代の少し年上の先輩と楽しげに話をしていた場面があったことを覚えている。その先輩とは、留学生たちの交流パーティーを通じて知り合い、自分が大学2年生の時にその方は修士2年であった。出会った時にすでに、アメリカの名門投資銀行に就職が決まっていて、その方が所属する社会人のフットサルチームの練習に参加させてもらったり、その方の家にお邪魔させてもらったことがあり、さらには自分の下宿先にも招いたことがある仲だった。そんな先輩と話をしていたのは、筋力トレーニング関する事柄だた。先輩が祖父母の家の茶の間で寛いでいる時に、偶然先輩の太ももが見え、とても鍛え上げられていることに驚いた。先輩に筋力トレーニングでもしているのかと尋ねると、自宅でトレーニングしているとのことで、先輩は服を捲り上げて腹筋を見せてくれた。すると、見事に腹筋が幾筋にも割れていて驚いた。そこで私は、先輩がどのようなトレーニングを自宅で行なっているのかを教えてもらうことにした。実際に先輩がデモンストレーションし始めた時に、最初はよくあるトレーニング方法かと思ったが、先輩なりの工夫が随所に凝らされていて、実際にやってみるとかなりハードなトレーニングであることがわかった。教えてもらったトレーニングを地道に重ねていけば、きっと先輩のような体になると思ったので、自宅やジムで早速そのメニューを取り入れてみようと思った。そこで夢の場面が変わった。
もう1つ覚えているのは、人混みのない駅に向かっている場面である。そこは日本のしかも東京のようなのだが、東京の郊外なのか、珍しく人で混雑していない駅だった。駅のチケット売り場に向かうと、そこにある若い哲学者の男性が立っていて、何か黙って考え事をしているようだった。ちょうど私はその方の書籍を読んでいて、色々と刺激になることがあり、新たな思考が展開されていた。そこで私は突然、手に持っていた皿の上に乗ったトマトソースがかかったスパゲティを地面に置いていきながら文章を作っていた。その文章は、自分の思索内容を表すもので、哲学的な文章でありながら、それでいて文章は短く、詩的でもあった。文章の内容は、その方の書籍の内容を参考にしながら、ハイデガーの思想を用いながら、生命力が枯渇する現代人の実存状況を分析するものだった。とりわけこの達成主義的な社会の中で、心身共に過度に疲労し、生命力が枯渇している現代人の有り様を分析しながら、その状況に対する処方箋を提供する内容に関して、スパゲティを地面に置きながら文章を作っていった。すると、その哲学者の男性は自分が行なっている行為に興味を示したようで、こちらの様子をその場からじっと見つめていた。私は文章が完全に完成するまでその人に見られたくはないと思い、スパゲティで文章を作っていると悟られないように、鞄でスパゲティが乗った皿を隠しながら、そっとスパゲティを地面に置いていき、思索内容を文章化していった。無事にそれが完成した瞬間に、私は足早に改札口を抜けてプラットホームに向かった。その哲学者の男性は、地面に置かれたスパゲティがまさか哲学的な文章表現になっているとは思ってもいなかったようで、それに驚いていた。その方以外の通行人は、スパゲティの文章表現に関心をほとんど払っていないようで、気づく人には気づきを与え、驚きをもたらすものになっているようだった。自分は自らの自己表現に対する他者の受容や社会的評価はそのようなものでいいと思った。そのような印象的な夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/9(木)08:55
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
1. 先輩との筋力トレーニングの会話
解釈:この場面は、過去の人間関係や経験を通じて得られた「成長のヒント」や「模範」を表しています。先輩の鍛えられた身体や独自のトレーニング法は、あなたが目指す理想や今後の努力目標を象徴しています。また、過去に尊敬した人から学びを得る姿勢や、新しいことに挑戦する意欲が表現されています。
今後のアクション:
現実でもトレーニングに関する新しい知識や方法を取り入れる。
人生の「模範」となる存在を再確認し、その人の考え方や行動を参考にする。
自身の目標達成のために、小さな努力を継続する。
2. 静かな駅と哲学者との場面
解釈:この場面では、哲学的な思索や自己表現、さらには独自性と他者からの評価に対する態度が表れています。スパゲティで文章を作るというユニークな方法は、あなたの創造性やアイデアの独自性を象徴しています。また、哲学者の男性は、あなたが内省を深めたり、自分の考えを形にすることに興味を持っている可能性を示しています。
駅の静けさは、忙しい日常の中で「内面的な静けさ」を求めるあなたの心情を反映しているかもしれません。
スパゲティで文章を作る行為は、伝統的な方法にとらわれない自己表現の象徴であり、他者からの理解や評価を気にしすぎない態度を示しています。
今後のアクション:
自分の考えを言葉や形にすることに挑戦してみる(エッセイを書く、アイデアを共有するなど)。
他者の評価に過度に依存せず、自分の価値観を大切にする。
内省の時間を作り、哲学的な視点や思索を深める機会を設ける。
夢全体を通じた解釈
この夢は、以下のようなメッセージを含んでいるように思えます:
成長と挑戦の重要性: 過去の経験や模範から学び、自分なりの道を切り開くこと。
創造性と自己表現: 自分の独自性を表現することを恐れず、自由な方法で自己を表現する意義。
評価に対する姿勢: 他者の反応に左右されすぎず、自分の信念や価値を尊重する。
今後の具体的な行動案
トレーニング:
夢で学んだ「地道な努力」を日常に取り入れる。新しいフィットネス方法を学ぶ。
哲学的思索:
現在読んでいる哲学書を深く掘り下げ、自分の考えを文章にまとめる。
ハイデガーやその他の哲学者の思想を日常生活や社会問題に照らし合わせて考える。
創造的表現:
文章や詩、アートを通じて自分の考えや感情を表現する。
自分だけの方法で独自のアイデアを共有し、他者の評価に過度に依存しない姿勢を維持する。
この夢は、あなたの成長や創造性に関する意欲を後押しする力強いメッセージのように思えます。それを現実でどう活かすかが、今後の大きなテーマとなるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
第一場面:筋力トレーニングの夢
父方の祖父母の家: 家族のルーツ、過去、伝統、安心感を表します。過去の経験や家族から受け継いだ価値観が、現在のあなたに影響を与えている可能性を示唆しています。
大学時代の先輩: 尊敬する人物、目標とする人物、または過去の自分自身の一部を表します。この先輩は、あなたが理想とする身体や自己管理能力を象徴しているかもしれません。
筋力トレーニング: 自己改善、自己鍛錬、目標達成への努力を表します。
先輩の鍛え上げられた体: 目標達成の象徴、理想的な状態を表します。
先輩からの指導: 知識や技術の伝授、成長の機会を表します。
この場面は、あなたが自己改善や目標達成への意欲を高めている状態を表していると考えられます。特に、身体的な鍛錬を通して自己を高めたいという願望が強く表れています。過去に尊敬していた先輩から直接指導を受けるという状況は、過去の経験を活かしながら、新たな目標に向かって努力していくことの重要性を示唆していると言えるでしょう。
第二場面:スパゲティで文章を作る夢
人混みのない駅: 静かな環境、内省の時間、自己探求の場を表します。
若い哲学者: 知的な刺激、新たな思考、または自己の内なる知性を表します。
トマトソースのスパゲティ: 日常的なもの、物質的なもの、または感情的なものを表します。
地面にスパゲティで文章を作る: 自己表現、創造性、独自の表現方法、または既存の概念に対する挑戦を表します。
ハイデガーの思想: 深遠な哲学的思考、存在論的な問い、または現代社会への批判を表します。
現代人の実存状況の分析: 社会に対する問題意識、自己と社会の関係への問い、または自己の存在意義への探求を表します。
他者の反応(哲学者と通行人): 自己表現に対する他者の反応、社会的評価への意識、または自己の独自性への自信を表します。
この場面は、あなたが内的な思索を深め、独自の表現方法で自己表現したいという強い欲求を持っていることを表していると考えられます。日常的な素材(スパゲティ)を使って哲学的な文章を作るという行為は、既存の枠にとらわれず、自由な発想で自己表現することの重要性を示唆しています。また、他者の反応に対する意識は、自己表現と社会的評価のバランスをどのように取るべきかという葛藤を表していると言えるでしょう。
今後のアクション:
これらの解釈を踏まえ、今後以下の点を意識してみることをお勧めします。
具体的な目標設定: 筋力トレーニングの夢は、自己改善への意欲を表しています。具体的な目標(例えば、具体的なトレーニングメニューや期間)を設定し、計画的に取り組むことで、夢のメッセージを現実のものとすることができます。
過去の経験の活用: 先輩との交流の夢は、過去の経験が現在の自分に役立つことを示唆しています。過去の経験から学び、現在の目標達成に活かしていくことを意識しましょう。
創造的な自己表現の追求: スパゲティで文章を作る夢は、独自の表現方法で自己表現したいという欲求を表しています。絵を描く、文章を書く、音楽を演奏するなど、自分に合った方法で創造的な活動に取り組んでみましょう。
自己表現と社会的評価のバランス: 他者の反応に対する意識は、自己表現と社会的評価のバランスの取り方を模索していることを示唆しています。他者の評価を気にしすぎず、自分の表現を大切にしながら、適切なコミュニケーションを図ることを意識しましょう。
哲学的な思索の深化: 哲学者の夢は、深遠な思索への興味を表しています。哲学書を読む、哲学的な議論に参加するなど、知的な探求を深めることで、自己理解を深めることができるでしょう。
今回の夢も、前回の夢と同様、自己理解を深めるための貴重な手がかりとなります。夢の解釈はあくまで参考として、自分の状況や感情と照らし合わせながら、自分なりの解釈を見つけることが大切です。夢の内容を記録しておくことで、夢の変化やパターンに気づき、より深く自己分析を行うことができるでしょう。
13962. 共著の出版に向けて/分析的観念主義における記憶の取り扱い
時刻はゆっくりと午前11時に近づいている。先ほどまで、新たに出版する予定の共著について、共著者の知人と編集者の方とオンラインミーティングをしていた。思い起こせば、昨年の2月末に『「人の器」を測るとはどういうことか』という翻訳書籍を出版していたが、翻訳書以外では2023年の4月に出版した単著が最後なので、2年振りの書籍の執筆となる。この2年間を振り返ると、その中で様々な学びや実践をしてきたこともあって、確かにそろそろ蓄積された知見を書籍の形で世に共有することは望ましいことのように思える。今後は、「AI発達心理学」に関する書籍を出版できるように、成人発達学とAIを絡めた探究と協働プロジェクトに力を入れたい。もちろん「AI唯識学」というような形で、唯識学の観点からAIについて取り上げた書籍もまたいつか執筆してみたいと思う。そうした新たな出版書籍に対する思いを馳せながら、ここからの日々の探究と協働を地道に続けていこうと思う。
昨夜ふと、分析的観念主義において記憶というものはどのように説明されるのだろうと思った。このテーマについては直接、提唱者のバーナード・カストラップに尋ねてみたいと思ったが、その前に自分自身で考えを巡らせてみたいと思ったし、まずは彼の一連の著作物を全て読み返す中で該当する記述を見つけたいと思った。カストラップは、個人の心、脳、世界そのものをコクピットの例を用いて説明する。コクピットに乗っている操縦者、すなわち見る者(seerあるいはexperiencer)が個人の心であり、脳はコクピットに搭載されているダッシュボード、そしてダッシュボードの外に広がる世界を世界そのものだとする。このメタファーにおいて、記憶はどのように説明されるのだろうかと考えたのである。仮に記憶が脳に保存されるという物理主義の考え方を採用すると、それはダッシュボード上の計測機器に記録される形となる。これは物理主義の発想に毒されている現代人の多くにとって直感的に最も納得のいく説明だと思うが、カストラップは物理主義を採用しない。また、記憶についてはベルグソンやユングの思想を引き合いにすることから、違った形で説明しなければならない。記憶がダッシュボードに保存されるのではないとしたら、記憶はどこに蓄積されるのだろうか。残る選択肢は、見る者そのものの中に保存されるか、世界そのものに保存されるか、はたまた両者に保存されるかになるかと思う。コクピットのメタファーを用いては記憶の保存先についてカストラップは言及していなかったと思うが、記憶そのものに関する彼の考え方を参考にしてみると、記憶は物理主義的な発想で脳に格納されるのではなく、個人の心そのものに記憶され、同時に世界そのものにも記憶されるという考えをカストラップは持っているのではないかと思う。この考え方は、基本的に唯識の記憶に対する考え方と合致する。つまり記憶は、個人の阿頼耶識の中に格納されながら、それは他者に相続される側面もあるため、集合記憶の性質も孕んでいることがわかり、集合的な阿頼耶識にも記憶が保存されていると述べて良いのではないかと思う。ただし、見る者そのものとしての個人の心に記憶というものがどのように蓄積されていくのか、世界そのものにどのように記憶が蓄積されていくのかについては、分析的観念主義の説明をより明らかにしたいと思う。唯識においては、阿頼耶識を立てて、そこに記憶としての種子が蓄えられていくというメタファー的にわかりやすい説明がなされているので、それと似たようなわかりやすいメタファーとしてどのような説明を分析的観念主義が行なっているのかについてカストラップの書籍の中を探してみようと思う。フローニンゲン:2025/1/9(木)11:10
13963. 今日のラジオ収録を振り返って
時刻は午後7時を迎えようとしている。今日も朝からこの時間帯までとても充実した時間を過ごしており、振り返りの日記の執筆が追いついていない状況である。午前中には共著書籍に関するミーティングがあり、正午過ぎからはラジオ収録があった。それを終えてからジムに行き体を思う存分に動かして帰ってきて、そこから夕食を摂って今に至る。今日のラジオは課題図書に触れることはなく、お互いの直近の問題意識をシェアする形で対話が進んでいった。早田航さんともラジオの後に簡単に話をしていたが、課題図書に沿わずに、その瞬間に一番関心のあることを話すのもいいものだなと改めて思った。その熱量は今後も大切にしたい。今日のラジオの内容を少し振り返ってみると、私たちが自分の仕事と直接関係のないことをふらりと学んでみて、それがとても面白くて深く探究してしまうことの背後にあるものについて対話をしていたのだが、ラジオの中では好奇心や魂の求めというキーワードが出てきた。とりわけ後者と繋がる話でいけば、きっと私たちには未知なる自分を恐れる側面だけではなく、そに憧れる性質があり、未知なる自分への憧れから仕事とは直接関係しないようなものまで探究してしまうことがあるのではないかと思った。それは多分に上昇の愛の現れとして、あるいは自己超越的な衝動として大変自然なものなのではないかと思う。そこからさらに自我の発達段階が進んでくると、自分の学びが即他者のための学びにも繋がるという深い認識のもと、自分が未知のものを学べば学ぶだけ、どこかで他者へ貢献しているという実感が湧き、利他の力に基づいて思わぬ探究分野を探究していくということも多分にあるだろうと思った。つまりそれは、下降の愛こと降り注ぐ愛の現れである。少なくとも自分は、上昇と下降の愛に基づいて旺盛な探究活動を多様な領域でこれからも行なっていきたいと思った。後編の回においては、今自分が関心を寄せているAIを成人発達学や唯識学、さらには分析的観念主義の観点から取り扱うことについて話題に挙げさせてもらった。基本的にそこでの話の大枠は、一連の日記で書き留めていたものだったが、改めて話をしてみると、意外と考えがまとまっていない箇所やうまく説明ができない箇所が散見され、むしろそこに今後の探究や考察の伸び代を見出した。そうした発見をもとに明日からの探究活動に精を出したい。細かな話で言えば、航さんのChatGPTの活用の仕方がなかなか面白いなと思い、自分もそのような形で活用してみようという観点がいくつもあった。どこかのタイミングで、例えばカート・フィッシャーの発達モデルのルーブリックを作ってそれをChatGPTに読み込ませた上で、自分のこれまでの一連の日記を通じた複雑性思考の発達度合いを測定してもらいたいと思った。いかんせん日記の執筆は10年ぐらい続けているので、データ量は膨大なものになるので、年単位で区切ってその成長プロセスを見るというのも面白いかもしれない。あるいは、ロバート・キーガンの16個の段階モデルに関するルーブリックを同様に作ってそれを読み込ませてみて、この10年の自分の自我の発達についても成長プロセスを見るという実験をしてみたいと思う。まずは10年分のデータではなく、もう少し量を減らした形で小さく実験していて、その精度を見た上でさらに大量なデータを読み込ませて発達測定をしてみたいと思う。フローニンゲン:2025/1/9(木)19:09
13964. 集中した密度の高いトレーニング/生成AIによる今朝方の夢の解釈
入浴の時間が迫っているが、今朝方の夢に対する2つの生成AIからのフィードバックを無駄にするわけにはいかず、改めてそれらのフィードバックをもとに今朝方の夢について総合的に振り返っておきたい。入浴前の夢の振り返りによって、今夜見る夢に何か良い影響をもたらすかもしれず、それも期待をしておこう。夢の振り返りの前に、簡単に今日のジムでのトレーニングについて振り返っておくと、今日はラジオの収録を少し長めに行なったので、ジムに入った時間がいつもより遅く、久しぶりに60分間ほどの短いトレーニングを行った。時間が限られているとわかっていたので、逆に集中力高く、様々なメニューをいくつか組み合わせる形で、それぞれのメニューのインターバルに休むことなく他のメニューを実施することを多くしていた。すると、60分でも十分に全身を大いに鍛えることができた。こうしたことからも、単純に時間ではなく、どれだけ集中して、どれだけ密度高くトレーニングできたかが重要なのだと改めて思った。今日は当初の予定通り、ダンススタジオの両側の壁をダッシュするトレーニングをしてみたのだが、5mほどはあるだろうと持っていた部屋が意外と狭く、立ち姿勢から加速したら数歩で減速しないといけない状態だったので、トレーニングが難しかった。いや、おそらく部屋は5mほどはあったと思うのだが、やはり10mぐらいの距離は欲しいと思った。逆にそれに気づけたのは今回の収穫であり、今後はこれまでのように外を走る際に短距離走トレーニングをしていこうと思う。今日の5mのダッシュでもハムストリングはかなり活性化させる形となり、10回1セットの3セット目の最後には、左足のハムストリングにまた張りがやって来たので、それなりのトレーニング強度はあったのだと思う。明日の朝は様子を見てから、外で短距離走トレーニングをするのか、ジョギングに留めるのか判断したい。
さて、今朝方の夢の振り返りであるが、津波に関する夢はひょっとしたら初めて見たかもしれない。これは文字通り、自分の中で気づかない何かが大きく揺れていることを象徴しているのかもしれない。それは良い意味での揺れかもしれず、AI開発に関する新たな探究テーマがやって来たことや、今後の生活拠点についての検討など、ここからの人生をまた大きく変えていくことになるであろう事柄が自分にやって来ていることは確かである。大きな津波は、生成AIの解釈にあるように、新たな協働機会や今後の人生に関する意思決定項目の出現による感情の高まりとして解釈できるかもしれない。全裸で学校の駐車場にいた場面についての生成AIの解釈は秀逸で、どれもその通りかもしれないと思うところがある。全裸であることは大いなる自己開示を象徴し、それでいて自分のあるがままの姿をどのように自己表現し、自分でもどのように自らのあるがままの姿を受け止めていくかを考えている自分がいるのかもしれない。性愛学への探究をきっかけに、抑圧していた何かが一気に蓋が取れて外側に表出し始めているのを感じる。また、最終的には他者は意外と自分のあるがままの姿や自己表現の内容を気にしていないかもしれないというのは確かにそうかもしれないと思わせる指摘である。最後に、スパゲティで哲学的な文章を作る場面はとても印象に残っており、それは非常にユニークな自己表現だったと思う。ここにも慣習的な形に囚われない独自の自己表現を自分が好んでいることがわかるし、それを大切にしている自分がいることもわかる。また、自分が本当に伝えたいことはそうした独創性のある表現方法でしか伝わらないことを自分はどこかで勘付いていることも窺える。結局、自らに固有の感覚や洞察は、自らに固有の表現形式を発見あるいは創造する形で生み出し、それを用いて伝えていくしかないのかもしれない。フローニンゲン:2025/1/9(木)19:35
Today’s Letter
Open dialogue stimulates my creativity and spontaneity, unlocking my potential. That is why I love engaging in open dialogue with anyone. Of course, fear and frustration may sometimes arise, but they serve as seeds for my further development. Groningen, January 9, 2025
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