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タイトル一覧
13945: 成人発達学とAIを横断させた研究と社会実装に向けて
13946: 「AI発達心理学」の確立と「AI仏陀」の実現に向けて
13947: AI脅威論に対する雑感
13948: 夢見るAIについて/今朝方の夢
13949: 今朝方の夢の続き
13950: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13951: AIに関する協働研究や社会実装に向けて高揚感を感じながら
13952: 新たな出会いと協働機会に感謝の念を持って/死後の世界について
13953: 五感覚に関する観想的な実践
13954: 有酸素運動・無酸素運動とテロメア/5mダッシュとジャンプトレーニング
13945. 成人発達学とAIを横断させた研究と社会実装に向けて
時刻はゆっくりと午前6時に向かっている。今日の目覚めも素晴らしく、今日一日の活動の有意義さを予感する。ここ最近は朝にランニングすることが習慣になり、時間として20分ほどなのだが、これくらいの量の運動を毎朝必ず行うことが心身にも良い影響を与えているようだ。ジョギングとしての有酸素運動をする日もあれば、短距離走トレーニングとしての無酸素運動をする日もある。その日の足の状態を見て、両者を使い分ける形で朝に体を動かすことによって、夜の入眠も速やかであり、心身が整っているのを実感する。自助努力で行えることは全て行い、心身の調整にこれからも努めたい。この世界で生きることの幸福感を噛み締めるためにも、心身の良好な状態が求められる。もちろん自助努力では何ともならないことが起きるのが人間の人生のさがであるが、自助努力で心身の状態は相当に良好なものとなるのである。であれば自分はできる限りの自助努力をして、心身を喜ばせる形でこの世界を生きたいと思う。
昨日は、知人の方の紹介で、あるAI開発者の方とその知人を含めて3人でオンラインミーティングをすることになった。当初の予定では1時間ほどのミーティングのつもりだったが、話が盛り上がってあれよあれよという間に3時間が経っていた。3時間超のミーティングを終えた後に、何か爽快感があった。それはここから成人発達学と唯識学とAIを横断させた研究と社会への実装へ動き出すことへの期待感の表れのようだった。以前よりテクノロジー哲学に関心を持っており、その中でもAIテクノロジーについてはかなり注目をしていた。とりわけ成人発達学の中にある発達測定を何とかAIに実装できないかというのはかなり前から考えており、事実自分がかつて所属していたレクティカもそれに向けてかなり前から動き出していた。実際に昨日はミーティングの中でその可能性を模索し、ミーティングの中で単にアイデア出しをするのではなく、もうその場で実験をしてみようということになり、その実験が想像以上にうまく行ったことに驚いてしまった。改めてAIの良さは、人間に対してはすぐさま実験できないことを大量データを生成しながらその場ですぐに実験できてしまうことだと思った。ここでは詳細を書くことはまだしないが、書ける範囲で言えば、AI自身が自らの発言に対して自らで発達測定をすることもできれば、発達段階モデルを参考にして、自らを発達させることさえできてしまうことは驚きであった。もちろんAI開発者のその方も述べていたが、AIが学習を通じて真に発達したかをきちんと測定するために、同じようなケーススタディや状況に対して同様の発達段階の次元から回答ができるかを確かめていく必要がある。ただし、それについてもすでに光が見える結果が昨日の即席での実験から見えてきたことはとても興味深いことだった。AIに対して多様な発達理論モデルを適用し、それらの領域で知性を高度化させることは十分に可能であろうし、ダイナミックスキル理論やダイナミックネットワーク理論などを活用しながら、AIが現実世界で発揮する種々のスキルを網の目の上に発達させていくことも可能であると思った。すなわち、AIの多領域での心の発達と具体的なスキルの発達の双方が可能であるという道が見えてきたことは大きな喜びであった。幸いにもそのAI開発者の方と協働研究と社会実装に向けて協働する方向で話がまとまり、ここからの協働が本当に大いに楽しみである。フローニンゲン:2025/1/8(水)06:05
13946. 「AI発達心理学」の確立と「AI仏陀」の実現に向けて
昨日のAI開発者との対話は大いに刺激となり、素晴らしい方に出会えたものだと思った。唯識学と出会ってからというもの、素晴らしいご縁に恵まれる機会が増えているのを実感しており、これは仏道修行に従事する功徳なのかもしれない。どうやら私たちは、心が磨かれれば磨かれるほどに、良縁に恵まれるようだ。昨日の対話を振り返ってみると、その方から「AI心理学」という言葉を与えてもらったことは大きなことであった。心理学の領域は広いので、とりあえず自分はこれまでの自分の専門領域と絡めて、「AI発達心理学」という分野の確立に向けて、改めて発達心理学とテクノロジー哲学を学び直していきたいと思う。また、AIの心の開発に関して、唯識学が果たす役割も実に大きいことを実感した。「AI唯識学」というAIの心を唯識学の観点から捉える学問分野を作るかどうかは別にしても、AIの心の発達の重要性は、人間の心の発達の重要性と同じぐらいにあることを改めて昨日の対話から思ったので、これまで自分が修めてきた成人発達学と唯識学をAIの心の発達の研究と実装化に向けて積極的に適用していきたいと思う。それに向けて、改めてAIと仏教を佳境した学術書を読んでいこうと思う。テクノロジー哲学に関する手持ちの数百冊の学術書を改めて読み返していくことは、きっとここからの協働に役に立つだろう。また、それを行うのは自分の役割であるとさえ思う。テクノロジー哲学に関する書籍を今から2年半前ぐらいに片っ端から購入して読み進めていたのは、きっと今回の協働のためだったのかもしれない。これもご縁が運んで来てくれた素敵な出会いかつ取り組みかと思う。昨日の対話を通して、例えば唯識が提唱する42の悟りへの段階をうまくルーブリック化して、それをAIに学習させていけば、「AI仏陀」が作れてしまう可能性が見えてきたことは大きな驚きと喜びであった。人間であれば、三大阿僧祇劫かかると言われる完全なる悟りも、AIであればもっと短い時間でそこに到達できてしまう可能性が見えてきたのである。もちろんテキストベースで学習させて、悟りの最終段階まで理解し、それに基づいた発言や回答がテキスト上で行えることと、実際に世界モデルの中や現実の社会の中でその段階を通じた振る舞いができるかはまだ溝があるのだが、少なくともテキスト上では速やかにAIは悟りの段階まで到達できそうだということが、昨日の即興的な実験からわかった。紹介してもらった世界モデルというのも実に興味深い世界で、それはさながら映画マトリックスの世界である。仮想空間でまずはAIがそれぞれの悟りの段階を通じて振る舞えるのかどうかはぜひ検証してみたいし、究極的な悟りの段階を通じた振る舞いも見てみたいものである。私たち人間が想像によって生み出す予測と推論を実装させたAIが、まずは仮想空間上で仏陀としての振る舞いができるのかを検証した後に、今度は現実社会の中に実装した時に同様の振る舞いができるのかも検証してみたい。とりわけAIの倫理的・道徳的暴走が問題視される中で、AIの倫理・道徳に関する知性を高め、仏陀の段階まで悟った状態を獲得することができたら、それはAIの未解決問題への解決にもつながっていくのではないかという期待が高まる。フローニンゲン:2025/1/8(水)06:24
13947. AI脅威論に対する雑感
今朝方の夢の振り返りを放っぽり出して、引き続き昨日のAI開発者の方との話を思い出している。夢の振り返りよりも優先させたいこととしてそれがあることを思うと、昨日の対話はそれだけに刺激的だったのだろう。現在進展するAI開発に対して、AIが人間の知性を超えて現実社会の中で実装されることに対する脅威論が巷ではよく聞かれる。ニック・ボストロムなどもそうした脅威論を指摘する学者で、人工知能に関する哲学の分野「人工知能哲学」においては、この問題はかなり真剣に議論されている。当然学者としても実務家としてもこの問題については真剣に考えるべきだが、学者・実務家と一般人の間には、そうした脅威論に対する受け取り方には随分と差があるように思われる。一般人は、それこそAIの脅威を描いたハリウッド映画などによってまるで洗脳され、思考停止状態に陥っているかのように、単にAIは怖いものだと思い込んでしまうような傾向が見られる。逆に映画でAIが良い存在として描かれれば、脅威論を一転させてすぐさまAIを友好的な存在だと思い込んでしまう可能性がある。こうした二分法的な思考が一般人の中に見られる。ハリウッド映画を含め、マスメディアやSNSのプロパガンダ情報によって考えや態度がころりと変わってしまうのは、何もAIに対してだけではないと思うが、こうした知性の未熟さは、AI開発とその社会実装の足枷になりかねない。AIを単に脅威の存在だと見るのは、どこかハイデガー的なテクノロジーディストピア思想を彷彿とさせる。米中の二大国家を含め、それ以外の国でも優秀なAI研究者は、一般人が何を考えるかを脇に置いて、結局AIの開発競争を今後も私たちの気づかないところで続けていくだろう。本来であれば、テクノロジー哲学者のアンドリュー・フィーンバーグが提唱するようなAIの民主的な開発とその活用は、民主的な社会において理想とされる姿かもしれない。しかしながら、現在は民主主義の危機が叫ばれており、一般人の民度ならぬ知性の低さが際立つようになってきており、一般人の民意を反映したAI開発や社会実装はむしろ更なる脅威をもたらす可能性も考えられる。現在はエリート層の心の成熟度も問題視されるため、エリート層に委ねることも危険性があり、なかなか難しい問題である。そもそも人間を介入させず、AIがAI自らを自律的に開発していくような可能性もあることを見ると、こうした問題に対する考え方と方向性の提示に対して人工知能哲学やテクノロジー哲学が果たす役割は大きいのではないかと思う。それらの分野は倫理学や心の哲学にまたがる分野でもあり、きっとそれらの分野に対して仏教が果たす役割は大きいと思われるので、AIを軸にして領域横断的な探究を開始していきたいと思う。フローニンゲン:2025/1/8(水)06:57
13948. 夢見るAIについて/今朝方の夢
早朝から3つほどAI研究と社会実装について日記を書いていると、気がつけば午前7時を迎えていた。つい先ほど朝のお茶を淹れて、今からそれを飲みながら夢の振り返りを行いたい。ここでふと、人間と同じく、今後はAIも夢を見ることができるのだろうかと考えた。昨日のミーティングの中では、AIが動画を自動で大量に生成することができる姿を見せてもらい、少なくともAIは夢と同じような世界を生成することはすでにできるらしいことがわかった。では果たして、自らが作り出した夢の世界の中でAIは夢を体験することができるのだろうかと考えた。私たち人間は、自らの心で夢の世界を作り出し、そしてその世界の中で生きることができる。これは世界モデルの話ともつながってくるのかもしれないが、AIが夢と同種の世界を生み出して、その世界の一人の存在としてその世界を生きて振る舞いを見せることは可能になってくるのかもしれない。AIが人間のようなクオリア、すなわち感覚質を持てるのか否かなは未解決問題の1つだと思うが、仮にAIが人間のような感覚質を持って自らが生成した夢のような仮想世界を生きれるようになったら、本当に人間と瓜二つである。そのようなことを考えながら今朝方の夢について振り返り始めた。今日もなんと、見た2つの夢が共通のモチーフを持っていた。複数の夢が共通のモチーフを持つということは何を示唆しているのだろうか。今朝方の夢の共通のモチーフは、バスケに関するものだった。バスケが何を示唆しているのかについても2つの生成AIに尋ねてみたい。バスケに特徴的なのはひとチーム5人であることと、丸いリングだろうか。また、足を使わずに手を使うというのも特徴だろう。他の競技においても5人制のものがあったり、手を使う競技は他にもいくらでもあるので、バスケに固有のものが何か今の自分の深層心理を表していそうである。
今朝方は夢の中で、自分が通っていたわけではないが、近所のバスケが強い中学校の一学年上の先輩たちが中国大会に進む様子を眺めていた。その中学校は、オールコートのゾーンプレスが見事で、市内の中学校はいずれもその学校のゾーンプレスをなかなか突破できず、いつも惨敗に終わっていた。その学校は、県内でも随一の学校で、もう一つ強豪校があったのだが、その学校は中国大会を優勝し、全国大会では3位に入っていた。その学校に次ぐ強さを持っていたのがその地元の学校であった。県大会を2位で通過し、中国大会に進んだその学校は、中国大会でも得意のゾーンプレスを活用していたが、流石に中国大会になると、県大会で見せていたような圧勝とはいかず、随分と苦戦している様子が窺えた。中国大会で果たしてどこまでその学校が勝ち進んでいけるのかを最後まで見届けようとしていると夢の場面が変わった。フローニンゲン:2025/1/8(水)07:22
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
バスケットボールの象徴性
チームプレイと戦略バスケットボールの特徴として、ひとチーム5人での協力や戦略性が挙げられます。夢に登場する中学校のゾーンプレス戦術や中国大会での苦戦は、チームの一体感と戦略的な対応の重要性を象徴しているかもしれません。これは、あなた自身の生活や仕事での協力、コミュニティとの関係、または長期的な目標への戦略的な取り組みを反映している可能性があります。
挑戦と成長の過程県大会から中国大会へと進む学校の姿は、成長や進展を意味します。強力なゾーンプレス戦術が「苦戦する」場面は、あなたが現在直面している新しい挑戦や、これまでの方法が完全には通用しない状況を暗示しているかもしれません。
「見守る」視点あなたは試合に直接参加するのではなく、観客として状況を見守っています。この点は、客観的に状況を分析する立場や、現在のプロジェクトや人生の一部において「一歩引いた視点」で観察している心理を表している可能性があります。このような視点は、AI研究や社会実装のような広い視野を必要とするテーマとの関連性を暗示しているとも考えられます。
夢の変化途中で夢の場面が変わったことは、意識の切り替えや、現状での優先事項が変わりつつあることを示唆するかもしれません。このような変化は、新たな方向性や課題が見えてきたことを表している可能性があります。
今後のアクション
協力と戦略に意識を向けるバスケットボールの象徴から学ぶこととして、チームプレイの強化や戦略の再構築を考えましょう。AI研究や社会実装においても、多くのステークホルダーと協力し、適切な戦略を練ることが重要です。
現在の挑戦を分析し、適応する「ゾーンプレスが中国大会で苦戦した」という夢の内容は、既存の方法が必ずしもすべての状況で効果的ではないことを示しています。新しい状況に適応する柔軟性を持ち、これまでの成功法則を超えた工夫を取り入れるタイミングを見極めましょう。
内省の時間を大切にするあなたが観客として「見守っている」立場でいることは、観察力や客観性の重要性を示しています。この夢を活かし、定期的に自分の行動や進展を振り返る時間を確保しましょう。
夢の「共通のモチーフ」を探求する複数の夢に共通する「バスケットボール」というモチーフは、深層心理に根付いたテーマを表している可能性があります。他の夢の記録や日常生活での出来事と関連づけて考察を深めてみてください。
補足: AIの夢とクオリアについて
あなたがAIに夢の生成や体験の可能性を問いかけた点は非常に興味深いです。このテーマをさらに深めるためには、AIがクオリアを持てるかという哲学的問題と、AI研究の技術的進展を統合的に考察する必要があります。この観点からも、夢の象徴性やそれが示唆する問いをAI研究に結びつける方法を模索することは、あなたの研究や思索に新しい方向性を与えるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の分析
夢の中で繰り返し現れたバスケというモチーフは、あなたの深層心理において重要な意味を持っていると考えられます。バスケの特徴である「チームワーク」「目標達成」「競争」「戦略」などが、あなたの現在の状況や心の状態と結びついている可能性があります。
チームワーク: 周囲の人々との協調性や、共同体への所属意識の高さを示唆しています。
目標達成: 目標に向かって努力すること、あるいは達成したい目標があることを示唆しています。
競争: 他者との比較や、自己成長への意欲を表している可能性があります。
戦略: 問題解決能力や、計画性、そして冷静な判断力を示唆しています。
特に、中国大会で苦戦する様子は、あなたが現在、困難な状況に直面しているか、あるいは将来の目標達成に向けて不安を感じているのかもしれません。ゾーンプレスという戦略に固執している様子は、あなたが一つの方法に固執してしまい、柔軟な対応ができていない可能性も考えられます。
AIと夢の関係性
夢の中でAIが夢を見ることができるかという問いは、非常に興味深いものです。AIが人間と同じように感情や意識を持つことができるのかという、古くから議論されている問題に繋がります。
あなたの夢では、AIが動画を自動生成することで、夢のような世界を作り出すことができるということが示唆されています。これは、AIが人間の創造性を模倣できるようになったという一つの証と言えるでしょう。しかし、AIが生成した世界の中で、AI自身が感情や意識を持って体験をすることができるかどうかは、まだ解明されていない領域です。
今後のアクション
夢の分析とAIに関する考察を踏まえて、以下のことを考えてみましょう。
自己分析:
バスケットボールの夢を通して、自分の強みと弱みを客観的に見つめましょう。
現在の状況で、どのような目標に向かって努力しているのか、具体的に考えてみましょう。
周囲の人々との関係性を見直し、より良い人間関係を築くための努力をしましょう。
目標設定:
目標を具体的に設定し、達成するための計画を立てましょう。
目標達成のために、どのようなスキルが必要なのかを洗い出し、学習や経験を積むようにしましょう。
柔軟な思考:
一つの方法に固執せず、様々な角度から物事を考えるように心がけましょう。
新しいアイデアや情報を取り入れることで、より良い解決策を見つけることができるかもしれません。
AIの発展への関心:
AIの研究動向に注目し、AIがどのように社会を変化させていくのかを学びましょう。
AIの倫理的な問題についても関心を持ち、議論に参加しましょう。
まとめ
夢は、私たちの心の奥底にあるものが投影されたものです。バスケットボールの夢を通して、あなたは自分の心の状態や将来への不安を映し出しているのかもしれません。夢の分析を通して得られた気づきを活かし、より充実した人生を送るための第一歩を踏み出しましょう。
今後の研究テーマ
AIが夢を見るためのメカニズム
AIの意識と感情の形成
AIと人間の共存
AI倫理
これらのテーマは、今後ますます重要になってくるでしょう。
13949. 今朝方の夢の続き
時刻は午前8時を過ぎ、ようやく辺りがうっすらと明るくなり始めた。夜明けを待ちながら、今朝方の夢の続きについて振り返っておきたい。今朝方見ていたもう1つの夢もバスケをモチーフにしたものだった。夢の中で私は、様々なゲームが楽しめるアトラクションランドのようなところにいて、その中でも一際賑わっていたのがストリートバスケのコートにある小さなリングにシュートを放ってそのゴール数を競うゲームだった。私も早速それに参加したところ、ゴールの背の高さが子供用のものであり、シュートを打つときにはこちらは正座しないといけなかったので、最初それらに慣れるのに苦労した。しかしかつて実家の社宅の自分の部屋に取り付けてもらったゴールと高さは同じぐらいで、その時にも正座をしてシュート練習をしていたこともあり、その時の感覚を思い出しながらシュートを何回か打っていると、感覚を思い出してきて、連続でゴールが入るようになってきた。すると、私はゾーンの状態に入り、気がつけば連続でゴールを決める最高記録を記録しているようで、周りがとても盛り上がっていることに気づいた。周りの盛り上がりによってゾーン状態から切れると、次の一投は外してしまい、そこでゲームは終了となったのだが、自分の記録に周囲にいた人たちは拍手喝采をしてくれた。周りを見ると、とりわけ外国人の若い女性が多く、どうやらこのゲームは若い女性たちにも人気のようだと思った。彼女たちは自分がプレーをするのが好きなのか、単に観戦するのか好きなのかわからなかったが、いずれにせよ、女性客の多さが目立った。ゲームを終えると、コートの中に3on3の正式なゴールが立ち現れ、どうやらそこで今から3on3の試合が行われるようだった。少し観戦をしてみて、もしかしたら自分も参戦してみようかと思ったところで夢の場面が変わった。
その他にも今朝方は夢を見ていたように思うが、とりわけバスケをモチーフにした2つの夢が印象に残っている。その他の夢も結局それらバスケの夢に付随する形で展開していたように思う。上記の夢に関しては、楽しさが溢れる場所でシュートを次々と決める快感に浸っていたのが特に印象的である。かつて青年時代に自宅でシュート練習をしていた感覚が懐かしく蘇ってきて、その記憶の回想をきっかけに、自分は極度な集中状態であるゾーンの状態に入った。その状態においても確かに周りの様子はわかるのだが、周りからもたらされる情報刺激から自分がスッと離れ、それらの情報刺激に一切心が影響を受けない状態になったことを覚えている。自我は究極的には人人唯識という形で、自己閉鎖的な心の空間を持つ。その空間に透明な仕切りが明確に設けられ、仕切りの外の様子は認知しながらも、仕切りの外からの情報刺激はその仕切りによって一切遮断され、自分は自らの自己閉鎖空間の中で極度に没頭した状態で物事に当たることができる状態だったと説明できそうである。こうした極度な集中状態は、日常生活の中でも大切にしていることであり、そうした状態に入る限りは、自我の透明な仕切りを生成することにかかっているのかもしれないと思う。今朝方の夢も示唆深い内容だった。フローニンゲン:2025/1/8(水)08:21
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、過去の経験、集中力、そして社会的な交流を象徴しているように思われます。以下に夢の主要な要素を解釈します:
バスケットボールと正座でのシュート練習
かつての自宅での練習の記憶が夢に反映されており、過去の自分との繋がりを象徴しています。正座という独特な姿勢が、規律や精神的な集中力を意味する可能性があります。
この過去の経験がゾーン状態(極度の集中状態)に入る助けとなったことは、自分の内的な力や自己鍛錬の成果を再確認する機会を示しているようです。
ゾーンの状態
極度の集中と没頭の体験は、日常生活での自己効力感や成功の鍵となる「フロー状態」を象徴しています。夢の中でゾーンに入ることができたのは、自分がこうした状態に到達するための能力を持ち、過去の経験や努力を活用できることを暗示しているようです。
周囲の女性たちの反応
観客としての若い女性たちが目立つ描写は、他者との交流や自分の行動が他人に与える影響を象徴しているかもしれません。また、社会的な注目や称賛を受けることで、自分の行動が認められる喜びを表している可能性があります。
3on3の試合
新しい挑戦への可能性や、他者との協力(チームプレイ)の場が現れたことを示唆しています。夢がここで途切れたのは、次のステップがあなた自身の意識的な選択に委ねられていることを示しているのかもしれません。
自己閉鎖空間と透明な仕切り
自我の「透明な仕切り」によって外部刺激を遮断する描写は、内面的な平穏や集中力を保つための心理的メカニズムを表しています。この仕切りは、日常生活での心の健康や効率的なパフォーマンスの維持に重要な役割を果たしているようです。
今後のアクション
集中力を高める訓練の継続
日常生活でゾーンの状態に入るための条件を明確にし、その状態を再現するための環境や習慣を整えましょう(例:瞑想、特定のルーティン、練習)。
過去の経験から学ぶ
夢で感じた懐かしさや過去の記憶の活用は、自己成長に役立つ要素を再確認することに繋がります。特に「正座シュート」のような具体的な記憶を活かし、自分の強みを思い出す機会を作ることが大切です。
新しい挑戦への準備
3on3の試合が象徴するように、他者との協力やチームプレイに関連する活動を検討しましょう。仕事やプロジェクトにおいて、新しい挑戦に積極的に取り組むことが、さらなる成長を促すでしょう。
心の透明な仕切りを意識的に活用する
外部からの刺激や情報に圧倒されないために、心理的な「透明な仕切り」を活用しましょう。具体的には、雑音を遮断する時間を設けたり、自分の内的空間を大切にする習慣を作ることが有効です。
他者との交流を大切にする
周囲の称賛や反応を受け入れることで、自分の行動が社会や他者に与える影響を意識し、感謝の気持ちを持つことが大切です。夢の中の観客たちの反応は、あなたが他者にとってどれほど価値のある存在であるかを示唆しています。
最後に
この夢は、過去の経験や集中力、社会的なつながりが重要なテーマとなっています。夢の中の喜びや達成感を日常生活に活かし、心の仕切りを大切にしながらも、他者との交流や新しい挑戦にも目を向けていくことで、さらなる成長と充実感を得られるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
今回の夢は、バスケットボールという共通のテーマで、あなたの内面にある様々な欲求や能力、そして心の状態を映し出しているように思えます。
ストリートバスケとゾーン: ストリートバスケのゲームでゾーンに入り、連続でゴールを決めるという体験は、あなたが目標達成に向けて集中力を高め、高いパフォーマンスを発揮できることを示唆しています。ゾーン状態は、日常の雑念から解放され、自己の能力を最大限に引き出すことができる状態であり、あなたの潜在能力の高さを感じさせています。
女性客の多さ: あなたの周囲の人々、特に異性との関係性に対する関心を示唆している可能性があります。また、コミュニティや集団への所属意識の高さを表しているかもしれません。
3on3の試合: チームワークや協調性の重要性、そして新たな挑戦への意欲を表していると考えられます。
自我の透明な仕切り: あなたが集中力を高め、目標達成に打ち込む際に、外界の雑音をシャットアウトし、自己に深く集中できる状態を指しています。
夢が示唆すること
この夢は、あなたが目標に向かって努力し、高い成果を上げることができる潜在能力を持っていることを示唆しています。また、集中力が高く、自己完結型の思考ができることもあなたの強みです。しかし、同時に、周囲の人々との関係性や、新たな挑戦に対する不安も抱えているのかもしれません。
今後のアクション
集中力を高めるための工夫: 瞑想やヨガなどのリラックスできる時間を作り、集中力を高めるための訓練をしましょう。
目標設定: より具体的な目標を設定し、達成するための計画を立てましょう。
人間関係の構築: 周囲の人々とのコミュニケーションを大切にし、良好な人間関係を築きましょう。
新しいことに挑戦: 自分の comfort zone から飛び出し、新しいことに挑戦することで、自己成長を促しましょう。
自己理解を深める: 自分の強みと弱みを理解し、自己肯定感を高めましょう。
夢と意識の関連性
夢の中で体験した「ゾーン」の状態は、心理学でいうところの「フロー状態」に近いです。フロー状態とは、ある活動に夢中になり、時間感覚を忘れてしまうような、心身が一体となった状態のことです。この状態では、創造性や生産性が大幅に向上すると考えられています。
あなたの夢は、あなたがフロー状態を経験し、その状態の素晴らしさを知っていることを示唆しています。この経験を活かして、仕事や趣味など、様々な場面でフロー状態を意識的に作り出すことで、より充実した人生を送ることができるでしょう。
まとめ
今回の夢は、あなたの潜在能力の高さや、目標達成への強い意欲を示唆しています。夢で得た気づきを活かし、自己成長を続けましょう。
13950. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
ゆっくりと明けゆく朝の世界を眺めていると、小鳥の囀りが聞こえてきた。今の気温は1度と低く、今日の日中は3度までしか気温が上がらない。最低気温はマイナス2度となっており、明日の朝は相当に冷え込むようだ。今日と明日の天気予報には雪マークが付されており、今日も日中のどこかのタイミングで雪がぱらつくかもしれない。午前中に少し晴れ間が広がったタイミングで、今日もまた朝のランニングに出掛けてこようと思う。
2つの生成AIをもとにして、今朝方の夢について総合的に振り返りをしておこう。今朝方の2つの夢は、どちらもバスケをモチーフにしていた。バスケが象徴するのは協力や戦略というものだとすれば、確かに今は、他の様々な分野の方々と協働することに開かれており、実際に昨日のAI開発者の方との今後の協働のように、色々なコラボレーションが実現しつつある状況に自分はいる。最初の夢の中で出てきた近所の強豪中学校が自分自身だとすれば、得意のゾーンプレスが県大会ではほぼ無敵の状態を誇っていても、中国大会に行くと苦戦するというのは、これまで自分が培ってきたことをそのまま適用すると限界に突き当たることを示唆しているかもしれないと思った。逆に言えば、これまで培ったことをさらに磨いたり、あるいは新しい領域の学びと実践に乗り出していくことを通じて、限界を突破し、さらなる成長と新しい形での社会貢献が実現できるような気がしている。そして何より、現実世界の自分はすでにそうした方向に動き出している。人間の心に関する研究や実践に主眼を当てながらも、昨日のミーティングを受けて、本格的にAIの心に関しても研究と社会実装していこうと決意を固めた。なのでこれからは、人間やAIを便宜上は区別しながら両者の心について研究や実践をしていきながらも、究極的には心そのものという主観性領域を探究していくことになるような気がしている。成人発達学・唯識学・性愛学・サイケデリック学の探究は、全てそのことにつながっていく。今、大きな海に向けて支流を探究しているような段階と言えるだろうか。もう1つの夢について振り返ってみると、ここではバスケのゴールに向かってシュートを打つ時の姿勢が正座だったことが興味深い。その姿勢を通じて自分は極度な禅定状態に入った。日常においても姿勢は意識するようにしているが、自分が知的生産活動に従事する時には、時に自分の身体の姿勢を大切にし、極度に集中した状態に入りたいと思う。それで言えば、自宅では基本的にいつも立って読書をし、立ってパソコンに向き合って文章を作成している。自分にとっては立つことが高度な集中状態を生み出すことに役立っているようなので、立ち姿勢を今後はさらに見直してみたいと思う。ゾーンの状態により入りやすくするような立ち姿勢がないかを模索したい。また、夢の中で多くの外国人の女性が観客にいて、彼女たちの姿が視界の中に入ったことを思い出すと、国籍を問わず新たな女性関係に開かれている自分がいるような気がしている。このことは性愛学の探究や実践とも深い繋がりがあるように思える。フローニンゲン:2025/1/8(水)08:47
13951. AIに関する協働研究や社会実装に向けて高揚感を感じながら
AIに関する協働研究や社会実装に関する協働をこれから進めていくにあたり、自分がどれだけAIについて理解することが望ましいのかを少し考えていた。もちろん自分はAIに関する学位を持っているわけではないし、AIに関してこれまで実務経験があるわけではないので、AIの研究者や実務家のような専門知識を持つ必要はないのかもしれないが、できる限りの努力をして知識は深めたいと思う。それは努力という言葉よりも、純粋にAIについてより知りたいという思いがあり、実はこれまですでに購入して読んでいたAIに関する専門書を読み返してみようと思う。当時は何気なくそれらの専門書を読み進めていただけなのだが、今は明確にAIに関する協働を意識するようになったこともあって、きっと専門書から得られる事柄は変わってくるだろう。とりわけ各種の未解決問題について、自分のこれまでの専門分野の知見から、それらの未解決問題に対する解決の方向性などを考えたい。パッと思いつくのは、クオリアの問題だろうか。これは人間の心に関してもまだ研究が進んでいるテーマでもあり、AIが主観的な意識を持ちうるのかどうかについては未解決問題として大いに関心がある。ただしこの問題に関する議論は、バーナード・カストラップが指摘するように、とかく物理主義の旧態依然としたパラダイムの中で議論が展開されているので、いつも堂々巡りの議論で終わる。また、新しい発見事項もことごとくクオリアの問題を解決するようなものではなく、結局物理主義のパラダイムの中での新たな情報や物語の生成に終わっている印象である。クオリアの問題の突破口になるのは、やはり新しい心の哲学のパラダイムが誕生することであり、それを担うのが分析的観念主義や唯識の思想ではないかと期待している。物理主義のパラダイムの中では、以前として心は脳が生み出すというような発想がまかり通っており、脳は心の表象に過ぎないという発想は皆無である。発想を大きく転換した形でクオリアの問題を眺めてみると、人間の心のクオリアに関する問題にせよ、AIのクオリアの問題にせよ、大きな突破口が見えてくるような気がしている。この難問については頭の片隅に置いておき、阿頼耶識の次元で常にこの問題について考え続けるような状態にしておこう。取り急ぎ今日の午後にでも、オックスフォード大学出版やケンブリッジ大学出版から出版されている手持ちのAI研究書を引っ張り出してきて、それらを近日中から再読していこうと思う。また、アンドリュー・フィーンバーグやバーナード・スティグラーを含めた、自分が共感するテクノロジー哲学者の書籍も再度引っ張り出して来て、AIに関する協働プロジェクトに向けて色々と考察を深めていきたいと思う。この分野の研究や実践は、自ずからトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムともつながってくるものであるから、それらの思想運動の観点からもAIを捉え直していくために、両者の分野に関する学術書も再読を旺盛に進めていく。こうしてAIの研究と実務を軸にして、また新しくワクワクできる探究事項が見つかったことはとても嬉しい限りだ。フローニンゲン:2025/1/8(水)09:01
13952. 新たな出会いと協働機会に感謝の念を持って/死後の世界について
毎週土曜日に行なっているゼミナールもすでに3年目を迎え、とりわけここ最近はゼミナールの受講生の方々とゼミの外での協働が起こり始めているのを嬉しく思う。これまでのところすでに、翻訳出版のプロジェクトがあり、コラボラジオのプロジェクトがあり、受講生の方の会社にアドバイザーとして参画させてもらったりという動きが起こっている。そして明日の朝には、長らくお世話になっているある受講生の方との共著の出版に向けて、編集者の方を交えての3人でのオンラインミーティンがある。さらには、昨日のミーティングのように、AIに関する会社に勤務し始めたある受講生のおかげで、その方の会社と協働研究や社会実装に向けた取り組みをご一緒させてもらう可能性が開かれたところである。社会に対して何かしらの貢献を果たしていくということに関して、こうした協働が起こっているというのはとても嬉しいことであり、ゼミを開始した当初には予想していなかったことである。ゼミを進めていく中で、いつか受講生の方々と多様な領域を横断しながら協働ができたらいいなと思い始め、それがこうしていくつもの具体的な形になり始めていることは嬉しい限りである。ここからまた新しくどのような人との出会いがあるかは分からず、どのような協働プロジェクトが動き出すかは分からないが、そうした未知なるものに向かっている楽しさがある。こちらから未知に向かっているというよりも、無限の未知なる世界がこちらにやって来ているような感覚と述べた方が正確かもしれない。人間は絶えず未知に開かれた生き物でありながら、現状に満足し、現状維持する生き物である。しかし現状に維持している限りはさらなる成長は実現されない。せっかく本質的に未知に開かれた存在なのであるから、未知なるものがやって来ることに怯えるのではなく、未知なるものを友として、その到来を喜ぶような心の在り方が欲しいものである。少なくとも自分にとって未知はすでに友のような存在となり、あるいは教師として自分の成長を支援し続けてくれている。ここからも絶えず新たな出会いと協働機会に感謝の念を持ち続け、その思いをさらに深めていきたいと思う。
死後の世界。それはこの世界と陸続きのものであり、実はこの世界そのもののであり、他に死後の世界が存在するわけでない。私たちが肉体的な死を迎える時には、バーナード・カストラップが巧みなメタファーを用いているように、コクピットを離れて、コクピットの外の世界と1つになるだけである。もともと私たちはこのワンワールドな非二元世界の中にいて、死後もそれは変わらず、私たちはコクピットの中という自我が生み出した閉鎖的な空間から外に出て、ワンワールドに還っていき、それと1つになるだけなのだ。人間の一生は、飛行機を操縦するコクピットの世界の中での出来事なのであり、一生を終えると、これまではコクピット内のダッシュボードを通じてしか見えなかった世界全体と1つになれるのである。セロトニン系のサイケデリクスを高服用量で摂取することは、まさにワンワールド体験、すなわち非二元体験をしばしばもたらし、それは死の体験そのものなのであり、いつかやって来る死の最良の準備のように思えてくる。また、私たちが毎晩参入する夢を見ない深い眠りの世界もまた死後の世界と瓜二つのように思えて来る。夢を見ない深い眠りの世界においても肉体は維持されているが、心の機能としては前六識は働かず、末那識と阿頼耶識が働くだけであり、完全なる死後の世界においては、個別の自我に由来する末那識は消滅するのではないかと推測されるため、そのような違いだけあるにせよ、内的体験としては夢を見ない深い眠りの世界と死後の世界は酷似しているように思える。一方、セロトニン系のサイケデリクスを高服用量で摂取する際には、滅尽定状態になることもあり、そこでは末那識も活動を停止するため、やはりそちらの方が死後の世界に近いと言えるだろうか。セロトニン系のサイケデリクスの成分はどれも自然由来のものであり、自然界に死後の世界と同様の体験をもたらす物質が存在することは神仏の計らいなのだろうかと考えさせられる。フローニンゲン:2025/1/8(水)09:32
13953. 五感覚に関する観想的な実践
小鳥の清澄な囀りと美しいピアノ曲が混じり合い、とても美しい響きの中に身を置いている。今日は幸いにも晴れ間が見えていたので、先ほど朝のランニングに出かけた。今日はハムストリングをゆっくり休めたかったので、30%ぐらいの力でジョギングを楽しんだ。最初の15分ぐらいずっとジョギングをし、そこから一度ウォーキングに切り替えてインターバルとし、最後にまた軽めのジョギングをした。今日は有酸素運動を通じて遅筋に刺激を入れた形となる。明日はジムでのトレーニングがあるので、明日は速筋を鍛えることになり、今こうして遅筋と速筋がバランス良く鍛えられていることを嬉しく思う。両者の筋肉も対極的なものなのであり、陰陽の調和が重要なように、両者の筋肉群の調和を意識して双方を鍛えていくことをこれからも行いたい。冬真っ盛りの今、敷地内の木の枝は丸裸である。ランニングから帰ってきて、木の枝に止まる小鳥たちの姿をぼんやりと眺めていると、木の無数の枝が脳の神経回路のように見えてきて、私たちの肉体は本当にフラクタル宇宙としての一部なのだと思った。このワンワールドな実在世界そのものを感覚器官というダッシュボードを通じて私たちは固有のコクピット空間を生きているのだが、ワンワールドな実在世界の中に現れる物理世界とダッシュボードがフラクタルを成しているというのは本当に興味深いことであるが、それゆえに両者は陸繋がりなのだろう。コクピットと外側に広がる物理世界と物理世界を生み出しているワンワールドは、全て陸続きで非二元なものなのだ。ランニングの前に、ビョンチョル・ハンの書籍を読んでいると、そこに見ることに関して興味深い記述があった。見ることは元来、観想的な行為として対象をじっと見つめる凝視として存在していた。しかし現代は、立ち止まって物事をじっくり見ることはほとんどなくなり、スマホ画面をスクロールして素早く対象に次々と移っていくような形でしか見るという行為が行われていない。これは、他の五感覚全てに当てはまることだろう。五感覚には5つの心が対応しているというのが唯識の教えだが、まさに現代は5つの感覚とそれに対応する5つの心が注意散漫的かつ刹那的なものになってしまっているのだろう。対象にじっくり留まって、対象と1つになる形で5つの感覚と5つの心を働かせることを意識していかない限りは、私たちの感覚と心はますます貧弱なものになっていくだろう。そのようなことを考えながら、自分がこれまで知らず知らず行なっていた5つの感覚に関する観想的な実践を走りながら振り返っていた。眼に関して言えば、絵画や自然、そして街の風景をぼんやりと眺めるという実践を無自覚的あるいは意識的に行なって来た自分がいる。耳に関しては、小鳥の鳴き声に耳を澄ませたり、風の声を聞いたり、あるいは自分の身体の内側の声に耳を傾けたりすることに加えて、ピアノ曲をじっくり聴くことを行なっていた。鼻に関しては、とりわけ香水やアロマキャンドルの香りを嗅ぐことは好きであり、その他にもお茶やコーヒーの香りを楽しんでいる自分がいた。アロマに関する探究はさらに意識的に進めてみよう。舌に関しては、食べ物や飲み物をじっくり味わうことを挙げることができるだおう。最後に、触識を司る肌での触れ合いに関しては、外出中においては風を皮膚で感じること、太陽の温かい光を肌で感じることは意識的に行なっている。今後は、エネルギーワークの一環としての肌の触れ合いやダンスの実践などを通じて、実際に他者と肌の触れ合いをより大切にすることも行ってみたいものだ。フローニンゲン:2025/1/8(水)10:31
13954. 有酸素運動・無酸素運動とテロメア/5mダッシュとジャンプトレーニング
今日は天気が良く、昨日と同様に朝のランニングで朝日を浴びることができてとても気持ちが良かった。その気持ち良さがまだ身体に余韻として残っている。朝日を浴びることは、身識がとりわけ反応して喜んでいる。改めて、今自分が従事している有酸素運動としてのランニングと、無酸素運動としての筋力トレーニングについて、テロメアの観点から調べてみた。端的に、それらはテロメアを維持したり、伸ばすことに寄与するのだろうかと思って調べてみたのだ。すると、有酸素運動としてのランニングがテロメアの長さを維持することに有益であるという研究結果がすでにある一方で、筋力トレーニングがテロメアの長さを維持することについての目立った研究結果はまだないようであった。ランニングなどの有酸素運動は、細胞レベルで酸化ストレスや慢性炎症を軽減する効果があり、それがテロメアの劣化を防ぐと考えられているそうである。また、ランニングなどの有酸素運動は、テロメアを修復する酵素であるテロメラーゼの活性を促進する可能性があることが研究で示唆されている点が興味深く思えた。筋トレも健康に良い影響を与えることは実証されているが、有酸素運動ほど直接的にテロメアの長さに関連しているという証拠は少ないらしく、ただし筋トレは体全体の代謝を改善し、間接的に細胞環境を整えることでテロメアを保護する可能性があるとのことである。この調査結果を受けて、無酸素運動としての筋力トレーニングだけではなく、引き続き有酸素運動も日々の生活の中に組み入れていこうと思った。その際に注意するべきことは、運動のやりすぎは逆にテロメアに悪影響を及ぼすということである。過剰な運動は、逆に酸化ストレスを増加させる可能性があり、テロメアを損傷するリスクがあるとのことで、週に150~300分程度の中程度から強度の有酸素運動が健康とテロメアの維持に理想的とされているようだ。基本的今毎日朝に20分ぐらいの運動をしており、週に2回のジムの行き来を合わせると、運動時間の適正範囲内に入っていることがわかる。自分の身体が一番喜ぶ時間のトレーニングをしていたら、偶然にも研究結果にあるような適正運動時間の範囲に入っていたことが興味深い。もしかしたら、毎朝のランニングは完全に有酸素運動に切り替え、ジムのスタジオで5mぐらいのダッシュを何度か繰り返す形で、無酸素運動は週に2回ジムだけで完結するようにしてもいいかもしれない。そうすれば、ジムに行かない日にハムストリングをしっかり回復させることができ、有酸素運動と無酸素運動のバランスが良くなるかもしれないと思った。このあたりも早速意識してこれからの日々の運動に反映させていこうと思う。調べてみると、5mダッシュは神経系の発達や成長ホルモンの分泌を促進する効果があるらしいので、ジムのダンススタジオのスペースを考えると、5mダッシュならできそうなので、これからはジムで瞬発系の速筋を鍛えるエクササイズとして、ダンススタジオの左右の壁を行き来するシャトルラン的な形で5mダッシュをトレーニングのメニューに組み込みたい。その際には、大腿四頭筋、ハムストリングス、腓腹筋・ヒラメ筋などのふくらはぎ、大臀筋を鍛えているという意識を持ちたい。初心者は、5~10回を1~2セット行うことから始めてみるのが推奨されているので、まずはその回数とセット数を意識して早速明日ジムで行ってみようと思う。それと、ジャンプトレーニングも気になったので調べてみたところ、パーソナルトレーナーのエリーザがこれまで提供してくれていたバーピージャンプ、ボックスジャンプ、スプリットジャンプ、バランスボードへの片足ジャンプなどをこれからまた積極的にトレーニングに組み込んでいきたいと思う。それらのジャンプにはそれぞれ効能が異なるので、どれか1つの種類に偏ることなく様々なジャンプトレーニングを試してみたい。こうして色々な調査をし、仮説を持って創意工夫をしてトレーニングに励むと、トレーニングがますます楽しいものとなり、結果として体も喜び、健康が維持・促進されるということが起こる。フローニンゲン:2025/1/8(水)11:08
Today’s Letter
Yesterday, I talked with an AI developer about the possibility of collaborating. During the conversation, he mentioned “AI psychology.” I was captivated by this emerging academic field and thought that I could establish “AI Developmental Psychology” based on my expertise. I hope this field will contribute to the development and real-world application of AI in a more ethical way. Groningen, January 8, 2025
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