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タイトル一覧
13923: 心身に絶えず動きを持たせて
13924: 今朝方の夢
13925: 今朝方の夢の続き
13926: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13927: 野生動物に退行する現代人
13928: 脱自的であることを特徴とする観想的な生/古いものを壊すことの難しさ
13929: 個人の認識を超えたトランスパーソナルな心としての世界そのもの/物理主義への汚染度を測る試金石
13930: ショーペンハウアーの慧眼/地平線の向こう側の世界へ向かって
13931: ますます深まる観想的な在り方/読むことよりも書くこと
13932: 暴風が吹き荒れる中でのジムでのトレーニングを終えて
13923. 心身に絶えず動きを持たせて
時刻は午前6時を迎えた。今、真っ暗闇の世界を吹き抜けていく風の音が聞こえてくる。昨夜は室温もかなり冷えていて、足元から冷える感じだったので分厚い靴下を履くことにし、下のヒートテックに加えて上にもヒートテックを着ることにした。昨夜の雨のおかげで気温は比較的暖かく、9度ほどある。今日はこの気温が今からずっと続いていき、午後4時過ぎまでこの暖かさが続くのは嬉しい限りである。そこから気温が下がっていき、明日以降はまた寒い日々が続く。午後は小雨が降るかもしれないので、折り畳み傘を持ってジムに行くことにしよう。雨の降らなさそうな午前中は、いつものようにランニングに出かける。今日も短距離走のトレーニングは控え、両足のハムストリングを休めることに徹したい。走るとしてもジョギングぐらいに留め、有酸素運動を楽しむことにする。ジムの日は朝に出掛けてランニングしなくてもいいかと思っていたが、やはりランニングをしながら外の空気を吸うと、良い気分転換となり、そこからの学術研究が大いに捗るので、そうしたメリットを考えても朝もまた軽く体を動かすことの効能を実感している。とにかく今の自分の肉体は、動かすことを待ち望んでいるようなのだ。身体が強張ると精神も強張る。身体が動きを忘れて硬直してしまうと、精神も柔軟性を失って硬直してしまう。2025年はどこか新しい動きがありそうな予感をしている分、人生の動きを阻害せず、その動きをより円滑なものにしていくためにも、心身共にその場に居着かない柔軟性を持ち合わせておきたいものである。居着くことは武術において厳しく戒められている。全ては循環しているのだから、心身の居着きも禁物である。
昨夜ふと、バーナード・カストラップの書籍の精読が終わったら、手持ちの全てのカストラップの書籍をビョンチョル・ハンの書籍に対して行なったように、出版年順に並べ替え、出版年の古い順に精読を行なっていこうと思ったので、早速書籍の並び替えをした。今取り掛かっているカストラップの書籍の精読は順調に進んでいて、彼が考案した「分析的観念主義」は、まるで西洋版唯識であり、とても興味深く書籍を読み進めることができている。唯識との共通点がますます見えてきている状態であり、今のところ明確な違いを見つけるのは難しいが、それは心の哲学の範疇での議論なので、シャドーこと煩悩に関するような分析はない。分析的観念主義はあくまでも哲学思想であり、実践的な枠組みを提示するものではないが、心への理解とリアリティの理解が深まることによって、そこから様々な実践的アイデアを生み出すことならできる。今日もまた午前中は、カストラップ、ビョンチョル・ハン、ケン・ウィルバー、マンタク・チアの書籍を領域横断的に読み進めていきたい。午後からはジムに行くまでどれだけ時間があるかを考慮して、唯識学の書籍か辻邦生先生の論考集を精読していきたい。今日もまた一歩の成長が実現できる充実した日になるだろう。フローニンゲン:2025/1/6(月)06:15
13924. 今朝方の夢
今日からまた新たな週を迎えた。振り返ってみると、日本の一時帰国を終えてオランダに帰ってきてからまだ1ヶ月経っていないことに驚く。日本の一時帰国がもう随分と昔のように感じられるほどに、気がつけば時が流れている。時というのも発達と同じで、それが過ぎ去った後に振り返ってみて、時が流れていたことに気づくものなのかもしれない。各種悩みや課題の解決も、それが解消されてみて初めてそれが悩みであったことや課題であったことに気づく場合もある。ある出来事Aを知覚するためには、Aの完了を待たねばならないのかもしれない。いずれにせよ、今日からまた新たな週となったことを受けて、今週もまた輝く週としたい。この穏やかな心身の状態をもってすれば、今週もまた実り多き週になるに違いない。
今朝方の夢についていつものように振り返っておきたい。今朝方の夢はなんと、2つとも島を舞台にするものだった。まずは最初に見た夢について振り返っておく。夢の中で私は、どこの国の領土なのかわからない島に向かって空を飛んでいた。その日は晴れていたこともあり、空を飛ぶことはとても気持ち良く、風がほとんどなかったので、空を飛ぶことは容易であった。高度は雲まで届くような高さではないが、比較的高い高度を維持して空を飛んでいた。前方に目的地の島が見えた時、噂通りその島が観光名所であることがすぐにわかった。太陽の光に照らされた輝く海に取り囲まれた、まるで宝石箱のような島の姿に目を奪われた。そこから高度を徐々に下げていき、島に着陸しようとした時に、どこに降りるのがいいかと考えた。すると偶然にも眼下にフェリー乗り場が見えたので、その辺りに着陸しようと思った。いきなり空から人が降り立ったら、その場にいる人が驚いてしまうだろうと思ったので、サッと何事もなかったかのようにフェリー乗り場に降り立った。するとその瞬間に、その島に自分が借りているマンションがあることに気づき、普段はそこで生活していたことを思い出した。もうそのマンションには1ヶ月以上帰っておらず、そこでの生活の仕方を忘れてしまっているかのようであった。この1ヶ月は世界の方々を旅していて、基本的にホテル暮らしだった。そうした生活に慣れてしまっていったので、再び自分の家で自炊をしたり、洗濯をしたり、掃除をしたりすることが少し想像し難かったのである。ただ自分の家がこの島にあることを思い出したので、せっかくなので自宅に戻ってみようと思った。フェリー乗り場から自宅まではバスで行けるが、バスの路線には2種類あり、目の前のバス停に止まっているバスの表記が英語ではなくスペイン語で、果たして表示された場所に向かうバスに乗って自宅近くのバス停まで行けるのか不明だった。なのでスマホを取り出して路線を調べたところ、2種類のバスのどちらでも自宅近くのバス停まで行けるようだったので、停車しているバスに乗ることにした。その瞬間にふと、自分のスーツケースはどこにあるのだろうと思った。旅の最中に使っていたスーツケースはどこかに預けていたようであり、少なくとも空を飛んでいる時には手に持っていなかったので、バスに乗るよりも先にスーツケースを探す必要があると思った。ところが私は、スーツケースはきっとどこかのタイミングで発見され、自分の手元に勝手に戻ってくるという直感があったので、乗客で混雑し始めた停車しているバスに速やかに乗車することにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/6(月)07:02
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、自己探求、帰属意識、生活の調和を象徴している可能性があります。以下は夢の主要な要素の解釈と、それに基づく今後のアクションの提案です。
夢の解釈
島への飛行
象徴: 島は孤立した場所や安全な避難所、あるいは自己の内なる世界を象徴します。空を飛ぶ行為は自由、達成感、自己成長を意味します。
解釈: あなたは新たな視点や目的を探しているか、人生の自由を感じている一方で、過去のルーツや帰属する場所にも再び目を向け始めています。
マンションの存在を思い出す
象徴: マンションは安定や自己のプライベートな領域を象徴します。それに帰ることを思い出すのは、自己の基盤や過去の生活のリズムへの回帰を意味します。
解釈: 最近の忙しい旅や挑戦が、あなたの日常生活や基盤から一時的に離れる結果を生んでいますが、心の奥ではその安定した基盤に戻りたいという願望があるようです。
スペイン語表記のバス
象徴: 言語や文化の違いは、未知の世界への挑戦や不確実性を表します。スマホで調べて安心したのは、知識やツールを活用して困難を克服できる能力を示しています。
解釈: 直感と情報を活用することで、未知の状況に対処できるという自信を持っています。この部分は、柔軟性や適応力の高さを示しています。
スーツケースの行方
象徴: スーツケースは過去の経験や人生の「荷物」を象徴します。それがどこかにあることを心配しつつも、最終的には戻ってくるという直感は、過去の経験が自然と役立つ形で戻ってくることを信じている心の表れです。
解釈: あなたは過去の経験を活用しつつも、それに囚われすぎない柔軟な姿勢を持っています。
今後のアクション
基盤を見直す
夢の中のマンションは、自分自身の安定や日常の基盤を象徴しています。忙しい日々の中で、生活の基本(自炊、掃除など)や自己のケアを見直す時間を取りましょう。
アクション: 毎日のルーティンに戻り、自己ケアの時間を確保する。
未知への挑戦を楽しむ
スペイン語表記のバスに乗るというシーンは、直感や情報に基づきながら新しい挑戦に飛び込むことを意味します。不安を感じたとしても、道を切り開く自信を持って行動しましょう。
アクション: 仕事や学びの中で新しい分野に挑戦する。
過去の経験の再発見
スーツケースのエピソードは、あなたが過去の経験やスキルを再発見し、それを必要な時に活用できることを象徴しています。
アクション: 過去の経験を振り返り、それを現在のプロジェクトや目標に生かす方法を考える。
直感を信じる
スーツケースが自然と戻ってくるという直感を信じたように、自己の直感や感覚に信頼を置くことが、未知の状況でも重要です。
アクション: 定期的に瞑想や内省を行い、直感を磨く。
この夢は、あなたが現在の生活の中で調和を求めつつ、変化や新たな挑戦を受け入れていることを反映しているようです。自己の基盤を大切にしながら、自由に飛び回るような人生を楽しむことができるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢は、無意識のうちに抱えている願望や不安、過去の経験などが象徴的に現れるものです。今回の夢は、島という隔絶された空間を舞台にしており、複数の要素が複雑に絡み合っています。夢の解釈はあくまで一つの視点ですが、あなたの心の奥底にあるものを探る手がかりになるかもしれません。
夢の要素と解釈
島: 島は、あなたにとっての「自分」や「心の状態」を象徴している可能性があります。今回は、観光名所のような魅力的な島と、生活感のある自分のマンションのある島という二つの側面を持っています。
空を飛ぶ: 自由な状態、高揚感、目標達成への意欲などを表すことがあります。
フェリー乗り場: 新しい出発点、選択の岐路、変化への恐れなどを象徴する場合があります。
マンション: あなたの居場所、安心できる場所、日常的な生活を象徴しています。
スーツケース: あなたの持ち物、過去の経験、未来への不安などを表すことがあります。
総合的な解釈
この夢は、あなたが現在、新しい生活への期待と同時に、過去の生活への未練や不安を抱えていることを暗示しているのかもしれません。
新しい生活への期待: 観光名所のような島は、新しい環境への憧れや、刺激的な経験を求める気持ちを表していると考えられます。
過去の生活への未練: 自分のマンションのある島は、安定した生活や、懐かしい思い出への未練を表していると考えられます。
変化への不安: バス路線の選択や、スーツケースの行方など、未来に対する不安や、決断の難しさを感じているのかもしれません。
今後のアクション
夢の解釈を踏まえて、以下のことを考えてみてください。
自分の気持ちに素直になる: どのような生活を送りたいのか、本当にやりたいことは何か、自分自身とじっくり向き合ってみましょう。
過去の経験と決別する: 過去の経験にとらわれすぎず、新しいことに挑戦する勇気を持ちましょう。
具体的な行動を起こす: 夢の中で抱いた不安を解消するために、具体的な行動を起こしてみましょう。例えば、旅行の計画を立てたり、新しいスキルを習得したりするのも良いでしょう。
周囲の人とのコミュニケーション: 周りの人に相談したり、アドバイスを求めたりすることも、解決の糸口になるかもしれません。
まとめ
今回の夢は、あなたが現在、新しい生活への期待と同時に、過去の生活への未練や不安を抱えていることを暗示しているのかもしれません。夢の解釈を参考に、自分自身と向き合い、より良い未来に向かって進んでいきましょう。
13925. 今朝方の夢の続き
設定している室温よりも依然として低い状態だが、暖房が今日もまた早朝から頑張って稼働してくれている。暖房は増上縁であり、その支えを受けて自分の日々の活動がある。ここからまだまだ長い冬において、増上縁としての暖房にはお世話になり続けていくであろう。そのようなことを思いながら、今朝方の夢の続きについて振り返り始めた。もう1つの夢もまた1つ前の夢と同じく島を舞台にしたものだった。
夢の中で私は、観光名所として有名なある島を訪れていた。その島もまたどこの国の領土がわからなかったが、観光客は日本人がほとんどだった。なのでひょっとしたらそこは日本の領土なのかもしれない。そんな島にあるホテルの一室で、私よりも数歳年上の見知らぬ男性と話をしていた。その男性は自分と数歳しか違わないが、だいぶ老けていて、ひと回り以上年齢が離れていると最初思っていた。すると話の中で自分と数年しか違わない時期に大学受験を経験していることがわかった。その方は自分の母校である一橋大学の社会学部を受験したとのことで、残念ながら不合格となり、名門私立大学に通うことになったそうである。その年の一橋大学の社会の記述問題はいずれも難解であり、その人は自分と同じく世界史を選択していたそうで、世界史の記述問題も相当に手強かったことを私は赤本を通じて知っていた。そんな受験時代の話に花が咲いた後、レストランに移動して話の続きをすることにした。その方は勉強熱心で、社会人になってからも会社の外で色々な先生に師事して、様々な分野の勉強をしているようだった。ある有名な物理学者の教授がアメリカでの研究生活を始める前にその方と会って話をする機会があったらしく、アメリカに行くまでの期間その方はその先生について理論物理学の先端的なことを学んでいたようだ。その方は、物理学者のその先生がアメリカでさらに先端的な物理学を探究し、その成果を日本に活用してくれることを期待していらしいが、その物理学者の先生はアメリカの指導教授に神学を学ぶことの大切さを指摘され、物理学の分野を放り捨てて神学者になったとのことであった。その方の本音として、その物理学者の教授が神学を学びながらも、神学と物理学を統合してくれることを期待していたが、実際には分野の鞍替えしか起こらず、残念な結果になったとのことだった。その話を聞いて、ある分野で一流になった人が別の分野に転向してその分野でも一流になることはできるが、異なる分野を掛け合わせて新たな分野を切り開いていくことはやはり難しいのだなと思った。そこで思い出されたのが発達心理学者のマイケル・コモンズの発達理論で、ある特定の非常に高度な体系を持つ分野を修めることもまた長大な時間と高度な認知能力を要求するが、異なる分野を統合することはなお高度な認知能力が要求され、そうしたことができるのは本当に一握りの人しかいないのだと改めて思った次第である。その方の話に熱中していると時間を忘れており、ハッと我に返ると、帰りのフェリーの時間がやって来ていたので、慌ててフェリー乗り場に向かった。すでに停泊していたフェリーに私は荷物を先に預けていて、荷物を置いた場所に向かった。そこは広いテーブル席が左右にそれぞれ2つずつある場所で、開放的な窓が特徴的だった。自分のリュックサックなどを置いたはずのテーブルの下を見ると、それが見当たらず、どうやら荷物を預けた船はもう出発しており、今乗船しているのは1本次の船なのだと思った。船は1時間に1本しかやって来ず、先ほどの男性との話が盛り上がったことから考えてみると、確かに本来乗るべき船を乗り過ごしてしまったのだろうと思った。まだ乗船のためのチケットを購入しておらず、偶然にもチケットを確認するアジア人の女性の船員の方がやって来たので、その女性に話しかけると、その女性は幾分日本語が話せるようだったので、日本語で事情を説明した。するとその女性は一瞬脳裏にはてなマークを浮かべたような気がしたので、英語の方がお互いに意思疎通がよりスムーズになるだろうと思い、英語で事情を再度話すと、事情をようやく理解してくれた。幸いにもポケットにはカードだけを入れた財布があったので、カードでチケットの支払いをし、1つ前の船だと思われる船の荷物は、船員同士で連絡を取り合ってちゃんと確保しておいてくれるとのことだった。それを聞いて安心したところで夢から覚めた。フローニンゲン:2025/1/6(月)07:26
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、自己成長や学び、そしてコミュニケーションの課題を象徴している可能性があります。以下に内容の解釈と今後のアクションを述べます。
1. 夢の解釈
(1) 島と観光名所
島は新しい環境や未知の可能性を象徴しているかもしれません。どこの国の領土かわからないという点は、アイデンティティの模索や、自己の属する文化・価値観に対する曖昧さを表している可能性があります。
観光名所や日本人観光客が多いという設定は、社会的な文脈の中での自分の位置づけや、個人としての経験を再確認するプロセスを示していると考えられます。
(2) 男性との会話
見知らぬ男性は、夢の中で自身の別側面や潜在意識を象徴することがあります。この男性が勉強熱心で、様々な分野に興味を持っている点は、あなた自身の知的好奇心や探究心を反映している可能性があります。
「物理学者が神学に転向した」という話は、学問の深さや分野の選択の難しさを象徴しているように見えます。これは、あなたが現在進めている仏教学や他分野との統合への挑戦に対する内的な問いかけとも解釈できます。
(3) フェリーと荷物の紛失
フェリーは移動や転機、人生の次の段階への橋渡しを象徴します。乗り過ごしたことや荷物を失ったという出来事は、タイミングや準備の不足、あるいは物事の優先順位を見直す必要性を示しているかもしれません。
荷物は自分自身の責任や過去の経験、現在の課題を象徴する可能性があります。それが無事確保されたことは、最終的に問題が解決するという安心感を表していると考えられます。
(4) 言語の切り替え
日本語と英語の切り替えは、異文化間のコミュニケーションや、多様な視点から物事を理解する力を象徴します。英語での再説明が成功したことは、柔軟なアプローチが効果的であることを示唆しています。
2. 今後のアクション
知的好奇心をさらに深める
現在の仏教学研究や、異分野との統合的なアプローチに挑戦し続けることが、夢で語られた「難しさ」や「期待」に応える道となるでしょう。
特に、異なる視点を統合するために、より多くの分野や人々と接する機会を増やすことを考えてください。
タイミングと計画性を意識する
フェリーを乗り過ごしたシーンは、時間管理や計画性の重要性を示している可能性があります。現在進めているプロジェクトや研究において、スケジュールをしっかりと立て、優先順位を明確にしましょう。
コミュニケーションのスキルを向上させる
言語の切り替えが功を奏したことを踏まえ、異文化理解や多言語での対話力を高める努力を続けてください。これにより、国際的な文脈でも自己の主張や目的を効果的に伝えることができるでしょう。
失った荷物の象徴を活用する
荷物はあなたの「過去の経験や成果」を象徴する可能性があります。これを見直し、今後の目標達成のためにどのように活用するか考えてみましょう。
自己探求を継続する
この夢は、あなた自身の内面的な成長や、現実世界での行動を反映している可能性があります。日記や瞑想を通じて夢から得た洞察をさらに深めることをお勧めします。
この夢は、あなたが現在直面している課題や未来への希望を象徴的に示しているように思えます。それを前向きな行動につなげることで、大きな成長を遂げられるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、非常に興味深く、多層的な意味を含んでいるように思われます。夢に登場する様々な要素を紐解きながら、夢が何を暗示しているのかを一緒に考えていきましょう。
夢の要素と解釈
島: 未知の世界、孤立、自分自身を表す。この夢の島は、異なる文化や価値観が混在する場所であり、あなたの内面の複雑さを反映しているのかもしれません。
見知らぬ男性: あなたの潜在意識や、あなたが憧れる人物の象徴。彼の老け顔は、人生経験や知恵の象徴であり、彼の学問への熱意は、あなたの知的好奇心や自己成長への欲求を映し出している可能性があります。
一橋大学受験、物理学、神学: 学問への情熱、目標設定、人生の選択、そしてそれらに伴う葛藤や後悔を表していると考えられます。
マイケル・コモンズの理論: 多様な分野を統合する難しさ、人間の能力の限界、そして自己の可能性に対する探求心を象徴しています。
フェリー乗り場、荷物の紛失: 新しい出発、チャンスの喪失、そしてコミュニケーションの重要性を暗示しています。
総合的な解釈
この夢は、あなたが学問や自己成長に対して強い関心を抱いている一方で、人生の選択や、自分の能力に対する不安を感じていることを暗示していると考えられます。
学問への情熱と自己成長: 見知らぬ男性との会話は、あなたが知識や経験を深めたいという願望を象徴しています。
選択の困難さ: 物理学者の転身の話は、あなたが一つの分野に特化するのか、それとも複数の分野を横断して新しい価値を生み出すのかという、人生の大きな選択に直面していることを暗示しているのかもしれません。
自己の可能性に対する探求: コモンズの理論が登場したことは、あなたが自分の能力の限界に挑戦したいという欲求を持っていることを示唆しています。
コミュニケーションの重要性: フェリー乗り場での出来事は、人と円滑にコミュニケーションをとることの大切さを教えています。
今後のアクション
この夢を参考に、以下のようなことを考えてみましょう。
自分の興味関心を整理する: 自分が本当にやりたいことは何か、何があなたをワクワクさせるのか、じっくりと自分自身と向き合ってみましょう。
目標を設定する: 目標を具体的にすることで、モチベーションを維持し、行動に移しやすくなります。
様々な分野に触れてみる: 自分の興味のある分野だけでなく、全く異なる分野の知識や経験を身につけることで、新たな視点を得られるかもしれません。
周囲の人とのコミュニケーションを大切にする: 周りの人との交流を通して、新しいアイデアを得たり、悩みを共有したりすることができます。
自己成長のための努力を続ける: 学び続けることは、人生を豊かにする上で非常に重要なことです。
まとめ
この夢は、あなたが学問や自己成長に対して強い情熱を持っている一方で、人生の選択や、自分の能力に対する不安を感じていることを暗示していると考えられます。夢の解釈を参考に、自分自身と向き合い、より良い未来に向かって進んでいきましょう。
13926. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
朝食を今し方食べ終え、お茶を淹れて一息ついたところで、今朝方に見ていた2つの夢について、生成AIの解釈をもとに再び俯瞰的に振り返りをしておきたいと思う。どちらの夢も島を舞台にしていたことが大変興味深い。他の陸から隔離された島は、一人ひと宇宙である心の世界を表しているのかもしれない。人人唯識ゆえの自分だけの固有の心の世界を島は暗示させる。最初の夢では、久しぶりに空を飛んでいた。飛行を阻害する風もなく、自由を享受している自分がそこにいて、それは今の自分の日々の生活の在り方を思わせる。自分の取り組みを阻害する何ものもない状態で、自分のライフワークに取り組めていることほどに幸福なことはない。自らの取り組みを阻害するものがあるとすれば、それは自分の煩悩ぐらいである。結局、自分に立ちはだかるのではいつでも自分の心なのである。自分の心が自由になるのもならないにも、全て自らの心に委ねられているのである。今の自分は煩悩を伏しながら、少しずつ煩悩の種子を滅却することに向かって進んでいる。この状態を維持しながら、心の浄化が等加速度運動のように継続していくように心掛けける。いやそれはもう自発的に継続する運動となっているのであるから、その運動を阻害する要因が浮上することを避けていけばいいのである。島に向かって飛行していることへの生成AIの解釈は見事で、今の自分は自由を体感しながらも、それでいて過去のルーツを探し求めたり、どこかに帰属先を探し求めているというのは本当にそうかもしれない。先般の日本への一時帰国はある意味ルーツの探求の旅でもあった。また、今改めて別の国や地域に引っ越して、学術機関に所属したいと思っているのは、まさに新たな帰属先の探索でもある。夢の中の自分が高度高く飛びながら島に向かっていたのと同じく、高度な俯瞰的な視野を持って過去のルーツを探ったり、新たな帰属先を探したいと思う。また、どちらの夢にも出てくるスーツケースであるが、それは過去の自分の記憶や思い出、さらには過去に獲得した知識が技術などだと考えてみると、スーツケースをどこかに置いて、スーツケースを持たずに移動していた自分の姿がとても軽やかに映る。確かに、過去に培った大切なものを収めたスーツケースが手元にないというのは最初は不安であったが、よくよく考えてみると、それがなくてもいいことに気づいたのである。その気づきを得た途端に心が軽くなり、自分はまた新たな挑戦や新たな旅に向かっていけるようになった。過去の棚卸しをしながら、過去に得られた諸々のものを断捨離する形で、心身共に軽やかに日々を生きたいとものである。その先にまた新しい良き出会いが待っているであろう。手元にないスーツケースがまた自然と戻ってくると直感したように、過去に培った事柄は全て自分の阿頼耶識に薫習されているのだから、それらを意識的に手放しても何も問題ないのである。大事なものは全て常に深層意識に残っているのだから。2つ目の夢の中で、複数の学問分野を統合することの難しさを示唆する内容が現れていた。それを受けて、今の自分はいくつもの学問分野を横断しながら日々の探究活動を続けており、それらを統合することの困難さを承知で、むしろその困難さを脇に置き、探究そのものを純粋に楽しむ姿勢で日々の研究に従事している。何かを統合してやろうというような自我に由来する思いを持って探究活動に従事するのではく、無漏の状態で、深い禅定状態で探究そのものを楽しむことを続けていれば、いつか自然と探究分野が自分の内側で統合されていくであろう。フローニンゲン:2025/1/6(月)08:29
13927. 野生動物に退行する現代人
少しばかり強い風が朝の世界を通り過ぎていった。風が過ぎ去った時、ふと窓の外を見ると、ようやく夜明けがやって来たことに気づいた。そんな中、過剰な刺激や情報に溢れ、過剰に衝動的にさせることの現代社会は、人間の発達を促進するのとは逆に、退行させているかのようである。テクノロジーとしての発展は目覚ましいが、それに文化の発展が追いついておらず、むしろ発達したテクノロジーに飼い慣らされる形で私たちの心はより貧困になり、身体も脆弱なものになっているように見える。身体に様々な症状を抱え、神経衰弱に陥っている無数の現代人を見ると、なお一層のことそれが強く実感させる。ビョンチョル・ハンが指摘するように、現代は成長や成果、そして生産に駆り立てる疲労社会なのであり、そうした社会において、人々は過剰な情報に対処するためにマルチタスクを行おうとする。マルチタスクをすることはまるで良いことであるかのように、それが社会の中で推奨されているのは驚くべきことである。マルチタスクをしなければいけなくなった社会の構造的なものへの考察を一切抜きにして、マルチタスクが求められるようになった文脈を見ない形でそれを推奨するという狂気がそこに見られる。ハンが述べるように、マルチタスクは退行の表れである。それは野生動物が専売特許にする能力だったのである。野生動物は食事の最中も外敵に襲われないかに注意を向け、移動している時にも同様に外敵に襲われないかに注意を向けながら、同時に食べ物を探したりする。このように、野生動物は基本的に注意散漫なのであり、現代人もまたそうした状況に陥っている。本来人間には、観想的な在り方という注意深い在り方が可能であった。仏教においても、極度に集中的な禅定状態を大切にする。現代人は、心の本質的な成長・発達に必要な観想的な在り方、ないしは集中する状態というのを忘れ、野生動物的な注意散漫状態の中でマルチタスクを通じて成果や生産に向けて駆り立てられている有様なのである。それに加えて、現代人は過度な緊張状態に常に晒されている。それもまた成長・成果・生産への過度な駆り立てによってもたらされているものだと思われる。そうした緊張をとき解すために、身体においては睡眠が重要であるのと同じく、精神的にも弛緩させる実践が求められるだろう。ハンは退屈さ、あるいは手持ち無沙汰を感じることの重要性を説く。現代において、退屈さは悪と認識され、私たちは常に何かに従事していないと落ち着かず、何かに従事していることを良いことだと思っている節がある。そうしたマインドセットをもう一度見つめ直すことが、過度な駆り立てを通じた緊張状態からの脱却に有益だろう。今一羽の小鳥の清澄な鳴き声にぼんやりと耳を傾けることは、精神を深く弛緩させてくれ、深く寛がせてくれる。あと1時間ほどしたら散歩に出かけようと思うが、散歩もまた何か具体的な目的を持つものではない活動として、自分の心身にスペースを与えてくれる良き弛緩実践である。こうした何気ない実践に目を向け、それを行なっていくことが現代人には強く求められているのではないだろうか。フローニンゲン:2025/1/6(月)08:50
13928. 脱自的であることを特徴とする観想的な生/古いものを壊すことの難しさ
かつてニーチェは、私たちが観想的な在り方を忘れてしまったら、私たちの人生は単に過度に活動的な生に堕してしまうことを危惧していた。現代人は、事実そうした無駄に活発的な生を無自覚に営み、それによって心身共に疲労困憊の状態に陥っている。ビョンチョル・ハンは、観想的な在り方を取り戻すことの大切さを主張するのだが、今一度観想的な在り方というものが何なのかを考えてみると、これまで見落としていた記述をハンの書籍の中から汲み取ることができた。観想的な生とは、在ることを経験することなのだ。言い換えれば、自分がただその瞬間に寛いで在るということを味わうことなのだ。私たちがこの世界に在ることの本質的な経験は、変わりもしないし、過ぎ去りもしない。そのような特徴を持つ観想的生においてさらに特徴的なのは、それは私たちを取り巻く世界への同一化を通じて、自我を超越させる力を持っているという点である。つまり、観想的な状態というのは、脱自的なのであり、エクスタシーの状態なのである。エクスタシーの語源は、まさに自らの外に出ていくというものである。観想的生は、まさにそうした自己を超出していくエクスタティックな性質を帯びているものなのだ。発達とは結局のところ、今の自分を超えていく連続的な運動なのであるから、自己超越的な観想的な生の在り方が乱れているということは、発達の乱れでもある。現代人の心の成長が鈍化し、退行すらしているように見えるのは、まさに脱自的な観想的な在り方を忘れてしまったことに大きな要因があるだろう。そしてマクロ的には、そうした事態を引き起こした社会文化的な構造が存在しているのである。観想的な生の在り方を骨抜きにするこの集合規模の病を解決することは一筋縄でいかなくとも、自己防衛的に自らの生を観想的なものにすることは今日から、今から始めることができる。まずは自らの生を観想的なものに復活させていき、身近な他者にもその在り方の良さを伝えていくのである。そうすれば、徐々に観想的な生の在り方の共同ネットワークが形成されていき、ある臨界点を超えることができたら、観想的な生の在り方を奪う現代文明の病を治癒することができるかもしれない。
そのようなことを考えながら、今日もまたコンピューターサイエンティストかつ哲学者のバーナード・カストラップの書籍の精読に取り掛かり始めた。今日から本格的に分析的観念主義を扱う章を精読し始めたのだが、その章までにカストラップは、西洋の心の哲学を覆う問題を孕んだいくつもの主義を建設的に批判していくことに紙面を割いていた。とりわけ物理主義と汎心主義への批判が主だったものだった。カストラップは比喩を巧みに使いながら、難解な事柄をわかりやすく伝えてくれる。ここまでの章の取り組みは、まさに古い建物を取り壊し、新しい建物を作るための準備だったと述べる。新しい建物を建てることよりも、実は古い建物を取り壊すことの方がより労力がかかるという指摘は興味深く、確かに既存の旧態依然として問題を孕んだ価値観や社会システムを壊すことは、新しいものを構築していく以上に厄介なのかもしれない。現代日本はまさに、問題を孕んだ価値観や社会システムを壊して新しいものにすることに完全に失敗しており、この問題についても何か光を見出せないかと考えている。フローニンゲン:2025/1/6(月)09:11
13929. 個人の認識を超えたトランスパーソナルな心としての世界そのもの/物理主義への汚染度を測る試金石
カストラップが提唱する分析的観念主義において、世界そのものはどのように捉えることができるのだろうか。その時にカストラップの地平線に関するメタファーは参考になりそうである。私たちが地平線を目撃する時、地平線の先にも物理世界が広がっていることを予感させる。私たちが認識することができるのは、どこまでもいっても心が映し出す世界なのだが、それではその世界の奥にある世界はどのように捉えることができるだろうか。イギリスの思想家ロイ・バスカーの批判的実在論で言えば、そうした世界は「実在世界(the real)」と呼ばれるもので、仏教において言えば「真理の世界」とでも言えるような私たちの認識を超えた世界は、分析的観念主義においてどのように捉えることができるだろうか。カストラップはショーペンハウアーの思想にも造詣が深く、さらにユングの思想にも造詣深い。両者に共通するトランスパーソナルな思想から着想を得て、私たちの心が映し出す世界の奥の世界もまたトランスパーソナルな心が映し出すものだとする。確かに世界そのものは、私たちの個人の心では全て映し出すことができず、個人の心とは独立して存在していながらも、しかしそれもまた自己を超えた心の世界であるとするのはとても納得がいく。このロジックは、バスカーや唯識のロジックと実は全く同じである。そう考えてみると、個人の心の世界の奥にある世界は、トランスパーソナルな心の世界であると捉えることの妥当性が見えてくる。なるほど、それで言えば、私たちを取り巻く自然というのもまたトランスパーソナル的な心であると言えそうである。実際に唯識では、自然環境は私たちの阿頼耶識が生み出すものだと指摘しており、最初にその指摘を読んだ時にはピンと来なかったが、今ならその意味が明瞭にわかる。自然というのも個人の心とは独立に存在していて、阿頼耶識というトランスパーソナル的な心が生み出すものなのだ。物理的な自然世界は、心の表象に過ぎず、それは観察を待たないと立ち現れてこない。個人の心の表象を超えた自然そのものは、常にトランスパーソナル的な状態として存在しているのである。まさに自然そのものは大海そのものであり、私たちの個人の心が観察を通して認識する物理的な自然は、大海の波のようなものであり、波と大海を混同することはできないが、波と大海は全く異なるのでもない。そこには不一不異の関係があるのだ。
分析的観念主義においては、物質は例外なく心の表象であるとする。それはまさに唯識の指摘と合致する。私たちが物質を認識する時、それは五感に対応した形で働く心の作用を通して物質を認識することになる。その点において、いかなる物質も心の表象なのである。心のダッシュボードに映るものとして物質は知覚されるのだ。逆に私たちは、心の表象を挟まない形で物質を認識することはできないとも言える。唯識においては、五感に対応する形で5つの心を据えているのだが、これはまさに慧眼であり、私たちは五感に対応した5つの心と、純粋に思惟を司る6番目の心を通じて、物質を心の表象として認識する。イメージは、コクピットの操縦席に6つのダッシュボードがあり、それらを通じて物質を認識しているような形である。逆に言えば、私たちは物質そのものを6つの心を通さずにして把握することはできず、絶えず物質は心の表象として知覚されているということである。ゆえに物理的な自然もまた等しく、私たちの心の表象なのであり、分析的観念主義と唯識は等しくそれを指摘している。この説明が腑に落ちるかどうかは、現代社会を覆う物理主義にどれだけ私たちの世界観が汚染されているかを確かめる試金石になるだろう。フローニンゲン:2025/1/6(月)09:41
13930. ショーペンハウアーの慧眼/地平線の向こう側の世界へ向かって
ショーペンハウアーの慧眼。それは、私たちの五感は全て意志の表象であると述べている点だ。ショーペンハウアーがインド哲学の探究をしていたことは広く知られているが、ショーペンハウアーはきっと唯識の教えにも触れていたのだろう。ショーペンハウアーが述べる意志は、唯識で言えば心に害とする。ショーペンハウアーは、私たちの目は見るということに関する意志の表象だと述べる。また、私たちの耳は聴くことに関する意志の表象だと述べる。このように、ショーペンハウアーは五感を全て意志の表象、すなわち心の現れだと説く。これこそまさに唯識の発想である。バーナード・カストラップの分析的観念主義は、ショーペンハウアーの思想から大きな影響を受けていることもあり、今一度ショーペンハウアーの思想を辿りたいと思う。また、カストラップが執筆したショーペンハウアーの思想をサイケデリック科学の先端的な発見事項や心の哲学の先端的な議論に基づいて解説した書籍も必ず再読しよう。
なるほど、今の自分の心は、今この瞬間にブラジルで何が起こっているかはわからないかもしれない。また、冥王星で何が起こっているかもわからないかもしれない。つまり、自分の心は世界そのものと境界線によって分け隔てられている。ゆえに自分は誰か他者の心の世界の中に入って、他者の心を全て把握することができない。私たちの心は、他者の心や世界そのものとは常に境界線によって区分けされているのだ。唯識はまさにその有り様を見抜いており、それを「人人唯識」や「一人ひと宇宙」という表現を用いる。しかし唯識はさらなる慧眼を持っており、私たちには間主観的な共通認識を持つことができるとも説明する。お互いの心の相互作用によって生み出した共有の心的空間もまた唯識は認めており、それを実現させるのが「共種子(ぐうしゅうじ)」と呼ばれるものだとする。カストラップの地平線のメタファーはまさにこれからをうまく説明する。確かに私たちの心には独自の境界線があり、それは地平線のようなものである。しかし私たちは、常に地平線の向こうに広がる世界があることを知っている。言うなれば、私たちの心は境界線を引き、境界線の中に閉ざされていながらも、無境界な世界に開かれてもいる。境界線を引くことの大切さ。それは、境界線があるから自らの心の世界の空間が確定され、心のダッシュボードに個別具体的な表象が生じ、一人称的体験が立ち現れることである。逆に境界線があることの限界は、本来無限大に広がる世界そのものへの表象を限定的なものにすることである。逆に、心を磨き、心をどこまでも広く深くしていき、感性を高めていくことができれば、自己の表象世界はどこまでも豊かになっていくということも言えるだろう。ちょうど今から外に出かけて、朝のジョギングを楽しんでこようと思う。その際に、自分の心が映し出す表象世界を味わいながら、未だ表象の対象になっていない無限な世界にも心を巡らせてみたいと思う。ここからますます自らの表象世界は豊かに深くなっていきそうである。フローニンゲン:2025/1/6(月)10:07
13931. ますます深まる観想的な在り方/読むことよりも書くこと
朝のジョギング、あるいは散歩を通じて、観想的な在り方というものが身体を通じてより一層体現されていくことを実感する。観想的なあり方は、知的に把握しているだけでは意味がないのである。もちろんそれが出発点かもしれないが、最終的には己の肉体を通じて「体現」させていくことが重要なのだ。それが完全に体現されたら、もはや観想的な在り方を意識することなく、自らの全存在が観想的なるものに変貌を遂げているだろう。今日もまた少しハムストリングに張りが残っていたので、短距離走トレーニングをすることをしなかった。おそらく明日からまた短距離ダッシュができそうな予感がしており、今日はジョギングとウォーキングに留めた。自宅の外に一歩出てみた時に、その暖かさに驚いた。それもそのはずで、昨日はマイナス2度の中で外に出かけて行ったが、今朝方は9度もあったのだ。10度も気温が違うと暖かさを感じるのも当然である。手袋やヒートテックが不要なほどに暖かさを感じ、午後にジムに出かける時には少なくとも下のヒートテックは不要のように思う。気温の違いを味わうのは、一体どの心であろうか。まずは触覚という心が挙げられる。唯識の言葉で言えば、「身識」という心が気温の変化を味わわせてくれることに直接的な役割を果たす。そこから、温かい気温のおかげで小鳥たちが活発に鳴き声を上げており、それを耳の心である耳識を通じて味わうことも行なっていたし、冬の朝の固有の香りを味わうことは、鼻識という心が行なっていたことである。また眼識という目の心を通じて朝の世界全体を眺めることを味わっている自分もいて、多様な心を通じて表象される世界を先ほど味わっていたことを思い出す。舌の心である舌識もまた常に働いていたことからも、本当に五感と5つの心を総動員し、6番目の思惟する心と共に豊かに朝の世界を堪能していたことを嬉しく思う。朝のジョギングやウォーキングは、これからますます脱自的な観想性を強めていくだろう。その在り方を骨の髄まで体現していきたいと思う。
常に書くことの意義と価値について立ち返りながら、それらについて考察を深める形で書くというライフワークに従事し続けていく。今採用している領域横断型の読書は、高い集中力を維持することに大いに役立っている。それに加えて、1冊の書籍の1章を読み終えるごとか、何か閃いた都度、必ず文章を執筆して考えをまとめていこうとしている自分がいて、その衝動を大切にしたく、そうした形で文章を書いていくことを新たな習慣として確立したいと思う。読むことも大事だが、読むこと以上に書くことの方が大事なのだ。多くの人はそのことを完全に忘れているか、そのことを全く知っていない。多くの人が書くことを通じて心と人生を深めていくような支援ができたらと心から思う。フローニンゲン:2025/1/6(月)10:49
13932. 暴風が吹き荒れる中でのジムでのトレーニングを終えて
時刻はゆっくりと午後5時を迎えようとしており、辺りはもう随分と暗い。今日は強風がひどく、ジムの行き帰りには転倒している自転車やバイクの姿をよく見かけた。行きは小雨も若干降っていたので、折り畳み傘が吹き飛ばされないようにするのは大変だった。幸いにもジムから帰ってくる時にはもう雨は止んでいたが、暴風と形容できるような風がずっと吹いていた。それはどこか自然の怒りのようにも思え、ノーダープラントソン公園を横切る際には、風のけたたましい轟音が聞こえてきて、一瞬振り返って後ろを確認し、何か憤怒する存在がいるのではないかと思ったほどである。ジムでトレーニングをしている最中にも、ジムの看板が倒れかかっており、トレーナーのエリーザが外に出てそれを中に取り込んでいた。今日はパーソナルトレーニングを行なった。これまでは木曜日がパーソナルトレーニングの日で固定だったが、エリーザが医療系の専門学校に通い始めたことがあり、学業が忙しく、月曜日にパーソナルトレーニングをすることも増えた。自分としては月曜日でも木曜日でもどちらでもよく、彼女の都合に合わせている。月曜日のトレーニングの場合には、金土日の中3日の休息が挟まっているのでよくリカバリーされた体でトレーニングに従事できる。逆に木曜日は火水の中2日の休息しかないが、その後に3日の休息があるので思いっきり追い込んで体を鍛えることができる。前回のパーソナルトレーニングの際に、エリーザには短距離走トレーニングを始めたことを伝え、それ以降は短距離走に必要な爆発的な力を要求するようなメニューをいくつか取り入れてもらうようにしている。それに加えて、バランス系のメニューも組み入れてもらうことを通じて、短距離走を走るのにふさわしい肉体に向けて開発が進んでいるのを実感している。隔週でのパーソナルトレーニングは、普段のトレーニングがウェイトトレーニングに寄っていることもあり、全身の連動を高めるような調整的な意味合いを持たせている。自分一人ではメニューが偏り、それは筋肉の付き方や動かし方にも偏りをもたらすことになりかねないので、定期的にパーソナルトレーニングを挟んで、異なる刺激を筋肉入れて、多様な動きを全身にさせていくことはとても良いと実感している。今日もいくつかの新しい創造的なメニューを楽しみ、全てのトレーニングを終えた後、熱心にトレーニングに励む女性に声を掛けた。彼女は自分がジムに到着する前からすでにトレーニングを始めており、自分が1時間のパーソナルトレーニングを終えてもまだトレーニングを続けようとしていたので話し掛けてみたところ、かれこれ2時間ぐらいトレーニングしているそうだった。彼女は笑いながら、クリスマスを挟んで2週間ほどトレーニングを休んでいたらしく、その負債を返済していると述べた。12kgのダンベルを手に持ってブルガリアンスクワットをする様子はとてもたくましく、2週間のブランクがあるとは思えないほどの見事な動きをしていた。以前にも何回か彼女をジムで見かけたことがあったが、話し掛けたのは今日が初めてで、また会う機会があったら話し掛けてみたいと思う。フローニンゲン:2025/1/6(月)17:00
Today’s Letter
Jogging and walking are my practices for feeling and embodying a contemplative self. They enable me to transcend my tiny ego, bringing me into a state of ecstasy. A contemplative way of being is inherently ecstatic. People often forget not only their own capacity for contemplation but also their intrinsic connection to ecstasy. Groningen, January 6, 2025
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