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成人発達理論とインテグラル理論を基礎にして、様々な学問領域からサイケデリクスやその他のテーマについてお話しさせていただくチャンネル「インテグラル・サイケデリックラジオ」はこちらからご視聴いただけます。
タイトル一覧
11770. 今朝方の夢
11771. 今朝方の夢の続き
11772. 「読み書き」としての読書/可能性を実体化させる観察行為的な日記の執筆の意義
11773. 「インテグラル・サイケデリックラジオ」のこれからについて
11774. 学習スタイルの微修正をして/AI時代における自分の研究と大切にしたいこと
11775. ChatGPTを活用した学術論文の執筆に向けて
11776. AIとの良好な関係を築くためのサイケデリック実践
11770. 今朝方の夢
時刻は午前3時半を迎えた。今の気温は1度で、暖房がせっせと働いてくれている。今日は小雨混じりの1日のようであり、自宅で大人しく過ごすことになりそうだ。昨日に年初最初のジムでのトレーニングを行なったので、今日はアクティブレストとして、自宅の中で軽く身体を動かすことを早朝のアニマルフローだけではなく、午後にも行いたいと思う。
今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、大学時代のサークルの先輩と少し年上の医師の知人の方を自宅に招いていた。自宅と言ってもオランダの自宅ではなく、かつて両親と住んでいた社宅のアパートだった。2人を部屋に招き、そこで医師の知人と私の立ち合いのもとに大学時代の先輩にMDMAセッションを行った。すなわち、2人のシッターと先輩が摂取者となった形でのセッションを行ったのである。その先輩も実は医師の資格を取得しており、名門商社をやめて今は医師として活動している。その場には2人の医師がいることになり、2人ともサイケデリクスの医療現場での活用を検討しているらしく、自分がサイケデリクスの専門家であることを知って自宅にやって来たという背景がある。今回は数あるサイケデリクスの中でもMDMAを選択して、先輩がそれを試す形になった。
先輩がMDMAを摂取して体験から戻ってきた後に、振り返りの対話を3人で行った。まずは医師の知人から先輩に対してあれこれと質問をしてもらった。その後に、サイケデリクスの専門家かつ意識研究の学者の立場から、私の方でも追加で色々と質問させてもらった。先輩のシェアで印象的だったのは、「これまで仏教を自分が信じる宗教だと思っていたけど、それが違うことに気づき、仏教が自分から引き剥がされた感じがした」と述べていたことである。先輩は大学時代にドイツに留学しており、キリスト教文化への親しみもある。そんな先輩は日本に戻ってきてからは仏教に目覚めたらしいのだが、今回のセッションを通じて仏教に対する脱構築が起こったようだった。一度ここで仏教を手放し、無宗教の状況になり、再び仏教に戻ってくるのではないかと私は予想していた。その予想については先輩に語らず、引き続き先輩の話を聞いていた。先輩の振り返りが終わると、部屋を出て食卓に向かった。するとそこに両親がいて、そう言えば神学大学院に合格した報告をまだしていなかったなと思ったので、両親に伝えた。すると両親は自分ごとのようにその報告を喜んでくれた。私も両親が喜ぶ姿を見れて嬉しく思った。そこから改めて、自分が神学大学院で何を研究するのかについて両親に話をした。そのときにサイケデリクスについても言及したのだが、両親はオープンマインドを持っているので、自分がきちんと説明すれば、サイケデリクスに対して何の偏見もなく話を聞いてくれたことは有り難った。どういうわけか、先ほど先輩が述べたことに近いような形で、「これまで何も宗教を信じていないと思っていたけど、神道と仏教に目覚めた」ということを述べると、本来は両親もそれら2つの宗教に親しみがあるので喜ぶかと思ったが、父がふと、「神道か・・・。奇跡についての研究をしてくれると嬉しいんだけどな」と述べた。「奇跡?」と私は一瞬思ったが、なるほど確かに奇跡について研究してみるのも面白いなと思ったし、サイケデリクスの研究と神秘的な奇跡現象の研究は相性がいいかもしれないと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/1/5(金)03:50
11771. 今朝方の夢の続き
今朝方起床して2階に上がってきたときに、キッチンのシロシビン・マッシュルームの栽培キットを見ると、4周目の栽培において、すでに4つほど大きなマッシュルームに育ったものがあったので、後ほどそれらを収穫して、今日もまたオーブンでじっくり乾燥させようと思う。それら4つでは英雄の服用量には満たないので、ここからのさらなる収穫に期待したいところだが、果たして無事にもう少し地上から頭が出てくれるだろうか。もう栽培も4周目を迎えたので、ひょっとしたらこれ以上収穫はできないかもしれない。今回の栽培は本当に大成功で、説明書には2~3回の栽培が標準的とのことだったが、自分の場合は4周目に突入することができた。今回の栽培においての学びは、乾燥は徹底して行うということであり、乾燥の不十分さが1度ほどあったため、今後は完全乾燥を徹底させたいと思う。こうした学びもまた自分で栽培するという実践をしたから気づけたことである。実践するということの重要さを本当に身に沁みて理解する。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢には続きがあるのでそれについても振り返っておきたい。夢の中で私は、見慣れない高級住宅地にいた。それはスイスかどこかの山の麓の一角にあり、周りは自然に溢れていて、本当に素晴らしい生活環境がそこにあった。その住宅地の一角にある一軒の家の駐車場でバスケを数人の外人たちとしていた。その中に母もいて、母も昔バスケをやっていたので、全員で3on3のバスケを楽しんでいた。中にはバスケの初心者もいたが、総じて笑顔が絶えない形で和気藹々とバスケを楽しみ、清々しい汗をかいた。しばらくバスケをした後に、昼食を食べようということになり、家に戻ることにした。そのときに、自分はもう少しバスケがしたいなと思ったのだが、小雨が降り始めたのでバスケをするのはやめにし、私も自宅に帰ることにした。自宅に戻ると、小中高時代の友人(YU)が玄関にいて、そう言えば彼とこれから一緒に大学に行って講義を聞きに行くことを約束していたのだったと思い出した。彼に待たせてしまったことをお詫びし、すぐに準備して一緒に大学に向かった。
大学に到着して教室に入ると、すぐさま教授がやって来て授業が始まった。見ると教授が高校1年生の時の担任の先生だったので驚いた。そこから授業が始まるものの、大学の講義というよりも、どこか高校時代の授業を思い出すかのようであった。先生は私のことを知っていたので途中で私に指名をしてきた。先生は教科書のある箇所を私に音読して欲しいと思っていたようなのだが、私はずっと自分の研究テーマについての考え事をしていて上の空だったので、先生の指示を全く聞いていなかった。するとそこで奇妙な沈黙が生まれ、時間の空白が生まれた。先生は本来かなりせっかちな性格なのだが、どういうわけかその空白に耐えてくれ、もう一度指示を仰いだところ、親切に指示を繰り返してくれた。先生に指示された箇所を音読しようと思ったときに、再び研究テーマについて考えようとする自分が芽生えた瞬間に夢から覚めた。フローニンゲン:2024/1/5(金)04:08
11772. 「読み書き」としての読書/可能性を実体化させる観察行為的な日記の執筆の意義
時刻は午前5時を迎えた。外は真っ暗で何も見えないが、先ほど窓を眺めたときに、雨滴が付着していたので、どうやら小雨が降っているようである。本格的に冬の厳しさが強まって来たことを昨日のジムへの行き帰りに感じたが、耳や鼻が凍りそうになるあの寒さがどこかたまらず、待ち望んでいた自分がいることに気づかされた。冬が厳しければ厳しいだけ、そうした冬を乗り越えた後の自己は逞しいものになる。フローニンゲンに春がやって来るのは毎年5月の中旬以降と随分と遅いが、春がやって来る頃には今よりもずっと逞しく成長した自己がいるはずである。
先ほど、朝のアニマルフローの実践を終えて、シロシビン・マッシュルームの収穫を終え、オーブンでの乾燥を始めた。アルミホイルの重さを除いて、フレッシュな状態で13.8gほどの収穫だった。ここから完全乾燥させると重さが1/10ほどになることがわかっているので、1.4gほどの状態になることが予想される。英雄の服用量5.0gには満たないため、ここからの収穫量が期待される。
今日もまた旺盛な読書を進めていく。ここで述べている読書というのは単に学術書の字面を追うことでは決してなく、学術書に書かれていることはあくまでも自分の思索の刺激をもたらすものに過ぎず、重要なことは書物に書かれていることを読みながら自分が何を考えるかである。今後の研究についてのアイデアを育むことや閃きを得ること、さらには既存の思索内容に対して補足をすることや修正をすることを行うことが読書中における主たる営みなのである。くれぐれも書かれていることを理解することを読書だと思わないようにしなければならないし、単に知識を得ることを読書だと思わないようにしなければならない。そんなものは自分にとっては読書でもなく、「読書」とは「読み書き」という言葉が示唆しているように、読んだ後に何を自分の言葉として書き記すかが重要なのである。そうした読書の本質を骨抜きにした形で書物と向き合わないようにより一層努めよう。
今日の読書も量子物理学や宇宙物理学の書籍を読むことから出発したい。ちょうど昨日、ケンブリッジ大学出版から出版されている“Multiverse Theories”という書籍が届き、この書籍の著者はフローニンゲン大学の教授でもあるので、親しみを持って読み進めることができそうである。難解な数式も所々出て来るが、理論の解説が豊富なので、解説箇所を中心に理解を深めていき、自らのサイケデリック体験と絡める形で宇宙に関する自分の思想を少しでも育みたいと思う。まさにこうした読書は、思想体系の種に水や養分を与えることに等しいと思えて来る。
昨日、 量子物理学の発見で非常に興味深いと思ったことがある。それは、全ては可能性の波として存在していて、ひとたびそれが観察者によって観察されると実体となるということである。個別具体的な実態を持たずに空(くう)としての可能性で満ちているのがこのリアリティであり、ひとたびそこに観察という行為が生まれると、可能性の波が固有の実体として顕現する点は大変興味深い。こうして日々綴っている内省日記は、まさに内省が観察行為となり、それが自らの可能性を具体性のある実体として生み出しているのだと思うと、なお一層のこと、こうして絶えず観察的日記を綴ることの重要さを思う。フローニンゲン:2024/1/5(金)05:22
11773. 「インテグラル・サイケデリックラジオ」のこれからについて
時刻は午前7時半を迎えた。先ほど多元宇宙論の学術書を読み終えた。本書はフローニンゲン大学に所属しているドイツ人の科学哲学の著者が執筆したもので、その教授は理論物理学と哲学の2つの博士号を取得しているだけであって、大変洞察の深い論が展開されていて初読を楽しむことができた。そこからは、日本思想の研究で有名なジェイムズ・ハイジック教授の“Philosophers of nothingness: An essay on the Kyoto school”の再読を始めた。絶対無について、京都学派の思想を借りて自分なりに理解を深めていき、シロシビン・セッション中に体験する絶対無体験について自分なりの考えを醸成していきたい。
そのようなことを考えながら、また別の考え事が浮かんだ。考え事は頭の中に留めておくと堂々巡りしたい、他の思考の邪魔になるので、書ける範囲のことはできるだけここに言葉にしておきたいと思う。今の自分はひょっとしたら、自らの思索を深めることや研究を進展させることにより注力した方がいいのかも知れないとふと思った。もちろんその際には他者との対話は不可欠のものなのだが、どのような他者とどのように対話をしていくのかが重要であると思ったのである。毎週末のゼミの場は非常に有意義な対話の場が形成されている。この場は引き続き育んでいきながら、現在行っている「インテグラル・サイケデリックラジオ」については少し見直しが必要かも知れないと思った。お相手を務めてくださる早田航さんとこれまで楽しくラジオを配信して来たが、お互いの学びを深める対話がもっと可能なのではないかという思いが芽生え、リスナーの皆さんにもっと有意義な内容を伝えることができるのではないかという思いが芽生えたのである。ラジオの中での対話は楽しさを残しながらも、幾分馴れ合いになってしまっていないだろうかと反省している。ラジオの中で即興性を発揮するのは大事なのだが、即興性の土台としての事前準備をしっかりしているかという反省を自らに対して行っていた。毎回何をテーマにして話したいのかという大枠がない中での即興性の発揮は、ラジオの配信者である双方にとって、そしてリスナーの皆さんにとっての学びに大してつながらないのではないかと思う。少なくとも事前に3つぐらいは今日何をテーマにして話したいのかという意識づけがないというのは、惰性で時間を過ごすことになってしまうのではないかと危惧している。サイケデリック・セッションにおいてセットという目標設定があるように、それはラジオの配信においてもあるべきであり、セットがないラジオの配信はどこか学びが希薄化されているように感じ始めている。自らの時間を使うのであれば、できるだけ学びを多くしたいとうのが正直なところで、学びの最大化のための工夫を怠っていないだろうかと反省した時に、改善するべき点が多々あるのが現状のラジオのように思えてきている。自分としては、もっとサイケデリクスについて広く深く対話をしたいという思いがあるし、サイケデリック体験から派生したそれぞれのテーマやトピックについてもっと深く対話したいという思いがある。ラジオの配信の頻度を含めて、ラジオの在り方について見つめ直すことを年初にやるべきだろうと思う次第だ。フローニンゲン:2024/1/5(金)07:56
11774. 学習スタイルの微修正をして/AI時代における自分の研究と大切にしたいこと
時刻は午後2時半を迎えようとしている。今日は午前3時過ぎに起床し、そこから今にかけて探究活動が多いに捗っている。今日からは書籍だけではなく、ふとした思いつきで動画を積極的に活用して探究をし始めることにした。とりわけ量子物理学や宇宙物理学については英語の動画で秀逸なものが多く、こうした馴染みの薄い分野については書籍よりも動画を通じて視覚的に理解が進むことがわかったのである。AIなどの自分のその他の関心領域についても積極的に動画を活用して学習を進めていこうと思った。また読書の最中も動画を視聴している最中も、バランスボールの上に座ることを極力減らし、立ってそれを視聴することにし始め、より健康に良い形で学習をこれから進めていけそうである。
先ほど最先端のAIの動向に関する動画を見ながら、今後の自分の仕事の在り方なや内容そのものを見つめ直していた。幸いにも自分の関心事項である意識やサイケデリック体験は、それが究極的に個人的な主観性に関するものであるがゆえに、その研究も実践もしばらくはAIに取って代わることはなさそうである。とにかくAIの進展が目覚しいので、AIに取って代わられるような事柄を学んだり、実践していてもあまり意味はないだろうという判断から、偶然にも今の自分が最大の関心を持っている意識とサイケデリック体験については楽しみながらとことん追求していこうと思う。その他には、やはりテキストベースでの対話ができるAIを超えて、リアルタイムで音声を通じて対話ができるAIの登場を個人的には楽しみにしている。文字をわざわざ打ち込んでAIと対話をするのも今のうちなように思えていて、次にはまるでリアルな人と対話を自然に交わしているようなAIが近い将来に登場し、個人でも簡単に使えるようになるのではないだろうか。自分の思考や知性を刺激するそうしたAIが登場したら、いち早く活用したいと思う。その他には、日々視聴しているNetflixの動画コンテンツなども、今後はAIにとってのビッグデータとなり、自分が見たい既存の動画をコンテンツプラットホームを通じて視聴するのではなく、AIに見たい作品の雰囲気や好みなどを伝えて、その場で即座に生成された動画を楽しむような日もやって来るだろう。AIが作った映画やアニメなどは実際に見てみたいものである。史実に基づいたドキュメンタリーなどもわりかし簡単に作れるのではないかと思う。もちろんこの流れは動画のみならず、音楽や音声コンテンツを巻き込んだものとなり、これまではコンテンツクリエイターやコンテンツプラットホームが活躍する時代だったが、それらも軒並みAIに取って変わられ、個人の固有の感性をもとにAIに依頼したコンテンツを自由自在に共有し合って楽しみ合うような社会がやってきそうである。こうした来たる社会を想像しながら、自分の研究分野である意識とサイケデリクスがどのような役割をになっていくのかも考えたいし、その研究の価値を絶えず自らに問わなければならないと思う。いずれにせよ、ここからは自分の感覚や感性を磨くことがより一層重要になり、広く深く遊戯力を発揮できるかが問われるようになってくると思われる。すでに自分は他者とは一線を画した楽しみや実践を持っているので、引き続き他者に代替の効かない自分独自の学びと実践をひたすらに楽しんで従事していこうと思う。フローニンゲン:2024/1/5(金)14:34
11775. ChatGPTを活用した学術論文の執筆に向けて
昨年はChatGPTが非常に注目を浴びたが、実際に自分もそれとうまく付き合うようにしている。とりわけ今後注目するべき活用の仕方は、いかにChatGPTを活用して学術論文を執筆していくかである。当面はまだ学術論文の価値が残り、学者は論文を書くことで評価されるだろうが、おそらく近い将来にはそうではなくなるだろう。完全にAIがユニークな学術論文を無限に生成する時代がやって来ることを容易に想像できる。そうなってくると、学者の存在意義が問われる。少なくとも学者は論文を書くことで評価されることはなくなるだろうし、下手をすると分野によってはどんどんと学者の数が減っていくのではないかと思う。端的には、AIに取って代られるような研究内容の学者は早晩淘汰されていく姿が想像できる。そうした時代にあってどのような研究分野が比較的AIに取って代わられにくいのかについて考える必要があるし、学者とはそもそも何をすることで社会に貢献できるのかを考えなければならないだろう。今の自分の研究分野である意識・宇宙・サイケデリクスについてはどうだろうか。AIというアルゴリズムが生み出した存在がまだ苦手である主観性に関する研究を突き詰めていく必要がやはり大切なように自分には思えるし、それが偶然にも自分の最大の関心事項でもある。宇宙と言っても物理宇宙について以上に内面宇宙の探究をすることにやはり主眼を当てたい。もちろん今は物理宇宙の理解を深めることを通じて、そこでの発見事項を通じて内面宇宙の理解を深めることに力を注いでいる。それは当面続けていきながらも、常に自分の研究の焦点は内面世界であることを忘れないようにしたい。サイケデリクスについても客観領域の研究を広く行っていくが、その大半はAIでも十分に研究できるかと思われるので、兎にも角にもサイケデリクスを通じた内的体験の研究に焦点を当てたい。また自分自身がサイケデリック実践を積み重ねることを通じて、内面宇宙を今のうちから広く深く拡張させておくことも重要になるだろう。それでは今から少しばかり動画を視聴してみて、ChatGPTを活用した学術論文の執筆自分なりの方法論を確立していくことに役立てていこうと思う。いずれは論文だけではなく、書籍もChatGPTなどのAIを駆使して執筆することになるのだろう。そうなってくると、論文だけではなく、書籍もまた存在意義を問われることになるはずだ。フローニンゲン:2024/1/5(金)14:50
11776. AIとの良好な関係を築くためのサイケデリック実践
ChatGPTは文字通り、「チャット」することが重要なのだから、いかにChatGPTと有意義な対話を実現できるかについて考えていきたい。ChatGPTを活用して学術論文を執筆する際にも、ChatGPTといかに有意義な対話ができるかが問われる。創造的な問いを発する力がますます求められるのではないかと思える。思考を自由に拡散させ、そこから独創的な問いをChatGPTに投げかけ、そのレスポンスからまた思考を自由に広げて独創的な問いを再び投げ返していく。そのような在り方を体現する形で日頃のChatGPTの活用を行っていきたいと思う。今のところテキストベースの対話型のAIとしてChatGPTぐらいしか知らないのだが、その他にも何か良いものはないかを探してみよう。
ひょっとしたらシロシビン・マッシュルームを中核に据えたサイケデリック実践は、AI時代における最良の護身術になるかもしれない。AIから自分を守るための実践だけではなく、AIと良好な関係を築くための最良の実践にもなり得るように思えた。サイケデリクスの摂取を通じて意識を拡張させていく実践を積む過程で、想像性と創造性の双方を育んでいくことができる。このあたりの研究はすでにジェイムズ・ファディマンが行っているように、サイケデリクスは想像性と創造性を育むことを可能にする力を内包している。もちろんそうした力を意識的に引き出し、意識的に想像性と創造性の両方を育むことを目的にサイケデリクスを摂取していくという意識の志向性が重要になる。AIをうまく活用して自らの想像性と創造性を花開かせるための基盤となる想像性と創造性を育むことにサイケデリクスはきっと寄与してくれるだろう。少なくとも自分は自らを実験台にして、来たるAI時代に備えてそのような意図を持ってここからのサイケデリック実践を積み重ねていこうと思う。それを通じてAIと自らの関係性がどのように変化していくのかが楽しみであるし、その結果として人生がどのように豊かになっていくのかが楽しみである。
トランスパーソナル心理学や超心理学的な観点で言えば、ユニークな主観的体験を豊かに積んでいくことに加えて、今のところAIやロボットには体現できないであろうサトルエネルギー以上のエネルギーをいかに涵養し、それを発揮することができるかが人間に求められていくように思う。人が人を求めることがこれからしばらくは続くだろうが、もはや人は人を求めなくなることも考えられる。前者のフェーズにおいては、上記のような人間固有の多次元的な身体性及びエネルギーをどれだけ内包させているか、どれだけ発揮できているかがその人の存在意義や社会的な価値提供に直接つながって来るのではないかと思う。こうした多次元的な身体構造とエネルギーの涵養にサイケデリクスは力を発揮するはずであるし、今行っている武術的鍛錬もまたそうした高度な身体構造とエネルギーを開発していく上で重要な役割を果たすはずである。AIの先端的な動向を見ることは、日々の自分の学びと実践を深く検証し直すことに繋がっている。これは継続して行いたいことであるし、自らの存在意義が何かを考える際に、継続して行わざるを得ないように思える。フローニンゲン:2024/1/5(金)15:40
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