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【サイケデリック学探究記】11765-11769:2024年1月4日(木)



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成人発達理論とインテグラル理論を基礎にして、様々な学問領域からサイケデリクスやその他のテーマについてお話しさせていただくチャンネル「インテグラル・サイケデリックラジオ」はこちらからご視聴いただけます。

タイトル一覧

11765. 今朝方の夢

11766. 「超越的一元論的汎心・汎神主義」の補足

11767. 主客合観の眼を伴った主観領域と客観領域の往復運動

11768. 超紐理論に関する入門書を求めて/超越意識と超紐/統覚と非二元

11769. 2024年最初のジムでのトレーニングを終えて


11765. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。今日からいよいよフローニンゲンは寒さが厳しくなり始める。ようやくフローニンゲンの冬の真骨頂が味わえるという感じだ。今の気温は3度で、今日はこの気温が最高気温となる。深夜には1度まで気温が下がり、明日も今日と同じぐらいの最高気温と最低気温となり、明後日からはいよいよマイナスの気温の世界となる。おそらくここから2月の初旬までは最高気温でさえもがマイナスとなる日が出てくるのではないかと思う。寒さが到来することもまた変動性であり、変動性を好む自分としては、ここからの寒い日々が楽しみである。そのようなことを思いながら、今朝方の夢を振り返り始めた。


夢の中で私は、かつて日本で卒業した大学のキャンパスに似た雰囲気の大学の構内にいた。講義棟の中を歩いていると、そこで小柄で綺麗な日本人女性に声を掛けられ、そこから近くの教室に入って少し話をしていた。その女性から相談を受けたのは、今後の人生の歩み方に関するものだった。その女性は学生ではなく、すでに大学を卒業していて、社会人として働いているようだった。ではなぜ大学にいるのだろうかと思っていたところ、今大学院の進学も検討しているとのことで、今日は下見にやって来たとのことだった。どこか女優の雰囲気を思わせる端正な顔立ちだったので、教室にまばらにいる学生たちが彼女のことをチラチラ見ていた。それが少し気になったので、場所を変えて人がいないところで話をした方がいいかと思った。彼女にそれを告げて場所を変えようとしたときに、偶然大学時代の2人の友人と遭遇し、彼らもまた自分の隣にいた女性の美しさに魅了されているようだった。そしてあろうことか、2人は彼女が自分の婚約者だと勘違いしているようで、話が変な方向に向かいそうだったので2人とは別れて、より静かな場所を求めて彼女と歩き出した。構内を歩いている最中には、彼女の過去の苦労話を色々と聞かせてもらった。その中に、学生時代に借金をして起業したときに、その借金を返すのに随分と苦労した話があったり、両親の揉め事の調停に入ったりと、色々と印象深い話をしてくれたのを覚えている。話には出していないが、きっと彼女はそれ以外にも色々な苦労があり、波乱万丈な人生を歩んできたのだろうと思った。そのような場面があった。


それ以外にも何かもう1つ夢を見ていたような気がする。そちらの夢については上記の夢で上書きされてしまったかのようである。夢に上書き現象ということが起こり得るというのは興味深く、上書きされずに無意識のどこかに保存される場合もあれば、上書きされてしまう場合の発生要因は何なのだろうかと考えさせられる。フローニンゲン:2024/1/4(木)05:45


11766. 「超越的一元論的汎心・汎神主義」の補足    


ここ数日間は風の強い日が多く、そこに雨が伴うことも多かった。しかし、それは冬の中での位相転移現象のようで、ここからは寒さが一段と増しながらも、天気の良い日が続く。雨風と暖かさを取るか、晴れと寒さを取るのかのトレードオフ関係を見出せる。


昨日、新年最初の「インテグラル・サイケデリックラジオ」の収録があった。その中で自分の宇宙論として、「超越的一元論的汎心・汎神主義」を採用しているということを紹介した。とりわけ超越的一元論の箇所の言語化は難しく、ラジオの収録を終えて昨夜入浴していたときに少し補足を思いついたのでそれについて書き留めておきたい。


ラジオの中では、個人の意識は物質を生み出せないと述べたが、おそらくそのようなことはなく、少なくも自分の意識と直接的につながっている脳や身体においては各種の分泌物という物質を意識の力で生成することができるはずである。事実、意識から生み出される感情の種類によってストレスホルモンの種類も量も変わるように、また思考内容いかんによって生成される物質の種類も量も変わると言われているように、個人の意識は個人の物質としての身体内において特定の物質を生成することができると思われる。一方で、個人の身体を離れた次元においては、その次元が離れれば離れるだけ、意識が物質を生成する力は弱まっていき、その影響力も弱まっていくのだろう。もちろん、近くにある水に対して言葉や念を通じて、意識が水に働きかけをして、水の味を変えたり、結晶の模様を変えたりすることならできるということが発見されているが、生成した物質を組み合わせて大きくしたりして形を作っていくというのはおそらくファンタジーの世界でしか可能ではないと思われる。もう少し厳密に言えば、相手が例えば植物のような生命であれば、確かに植物の発育を促進するというように、相手の物質を大きくすることも可能かもしれないが、非生命体を相手にした場合にはそうした現象はほぼ不可能なのではないかと思う。例えば、無数の原子に対して意識の力だけを使って机を生み出したり、念力で机を大きくしたりするというのはほぼ不可能で、それはファンタジーの世界かと思う。そうした意味で、個人の意識が物質へ働きかける力の作用には限界があると言えるだろう。自分の身体への働きかけが最も強く、生命体への働きかけの強さが次に来て、非生命体への働きかけは限りなく限定的となる。


だが人間の手を離れた非生命物質にもまた超越意識は宿っており、それが物質の根幹にあることを補足しておきたいと思ったのである。超越意識を表す宗教学的な用語としては、空、ブラフマン、神、天之御中主神などと表現されているものであり、それを物理学の用語で表せば、物質の最小単位と言われる超ひもを生み出している場全体とでも言えるだろう。大変興味深いのは、超ひもでさえもがもはや物質的な形で存在しておらず、概念という意識体として存在していると見なされていることである。今の自分の限定的な知識と理解で言えば、超ひもは物質として観測不可能であり、それは抽象概念なのである。そうした抽象概念としての意識体から素粒子を含めて、極小の物質が生み出されると現代物理学で考えられている点はとても興味深い。すなわち、物質的な世界は確かに実在はするのだが、そうした物質的な世界を生み出しているのもまた物質ではない何か、すなわち意識が生み出しているという点で、現代物理学も一元論的な発想を持っているようなのだ。自分が超越的一元論と呼んでいるのは、まさに意識体としての超ひもを生み出している場全体が超越的としか今のところ表現できぬゆえに、また空もブラフマンも神もまた超越的な存在であるがゆえにそのような名称を仮置きしている。そして、全ての存在に心のようなものや霊としての神性が宿るという考え方を採用しているがゆえに、「超越的一元論的汎心・汎神主義」という考え方を持っているというのが今の自分の自己や宇宙に対する認識の仕方となる。おそらくここからさらに考えが深まっていき、修正する箇所も出てくるかと思うが、とりあえず暫定的な自分のリアリティ認識はそのような内容となる。フローニンゲン:2024/1/4(木)06:11


11767. 主客合観の眼を伴った主観領域と客観領域の往復運動


自らのサイケデリック体験に紐づいた形で意識と宇宙について探究するサイケデリック哲学者の仕事と、量子物理学で先端的な研究をしている研究者の仕事にはとにかく注意を払って彼らの論文や学術書を読み続けていこうと思う。そこに自分の研究に対する光が無数に存在しているように思える。既存の社会的常識やパラダイムに囚われず、自由気ままに意識と宇宙について探究をしていく。社会全般として、意識と宇宙のものの見方はかつての天動説を採用しているような状態と喩えられるかもしれないが、自分は地動説を採用し、それを提唱していくつもりである。とにかく社会常識や既存のパラダイムに縛られる形で意識・宇宙・サイケデリクスを研究しないようにする。これまでの社会常識や既存のパラダイムに則って研究したいと思う人にそれを任せればいいのである。自分はとにかく、前衛的なサイケデリック哲学者と量子物理学者の見解や洞察に虚心坦懐に耳を傾け、自らに対して厳格なサイケデリック・セッション(シロシビン・セッション)を課し、その直接体験を通じて得られた現象と洞察を出発点にして思索を深めていく。サイケデリクスに関する科学的研究成果を下敷きにしながらも、とにかく自分の仕事は哲学と神学を通じたものになる。


今日の読書は、西田幾多郎の絶対無と宗教観の書籍“Last writings: Nothingness and the religious worldview”から開始しようと思う。とりわけ絶対無と空についての理解をまずはその言葉の創造元である仏教を通じて理解を深めていく。そこから神道における絶対無や空の概念に該当する考え方を探究する。そして、絶対無と空は究極的に等しく、それを自分にとって裏観すれば、超ひもが生まれる場全体やブラックホールと言えるだろうから、量子物理学や宇宙物理学の先端的な議論を参照していく。これまでインテグラル理論を通じて主観領域と客観領域の双方の観点を取ることの大切さを学んできたつもりだったが、実際に自分の研究分野に対する自らの研究姿勢を内省すると、意外と偏りがあることに反省させられる。とりわけ自分は目には見えない主観領域に焦点を当てる傾向が強く、これまではさほど真剣に量子物理学や宇宙物理学の考え方を学んでこなかったように思う。今積極的にそれらの分野における学術書を購入して読み進めているのは、少なくとも自分の研究分野に対しては、主客合観のものの見方を持ってどこまでも広く深く意識と宇宙とサイケデリクスを研究していきたいという思いを持っているからだろう。日々の探究は、主客合観の眼を伴った主観領域と客観領域の往復運動によって進められていく。フローニンゲン:2024/1/4(木)07:32


11768. 超紐理論に関する入門書を求めて/超越意識と超紐/統覚と非二元     


早朝より意識・宇宙・サイケデリクスの研究に必要な学術書を改めて調査していた。特に超紐理論に関する書籍で良いものがないかと探していたところ、数冊ほど今の自分でも理解できそうな書籍があり、それらを購入することにした。書籍の調査をしながら、超越意識と超紐との関係性について理解を深めていきたいという思いが高まっていた。自分の中で両者は同一のものであり、厳密に言えば超越意識と超紐を生み出している全体の場が同一と見做していると言った方が正確だろうか。いずれにせよ、両者は表裏合観すれば同じものであるという認識のもとで相互に関連づけながら探究を進めていく。


今目の前にある机を構成している各種の原子や分子などの諸々の物質は超紐が元になっていて、裏観すれば超越意識が元になっているということが見えてくる。もちろん、机の形まで仕立て上げたのは人間の手によるが、もともと机を構成している物質は究極的には物質的ではない意識体なのである。そのような思いがどんどんと増してくる。今の自分の意識は、日々の学術研究とサイケデリック実践によってどんどんと拡張しているが、逆に自己や宇宙を見る眼は無限縮小の方向性も伴っていることがわかる。確かに無限拡張の方向性で意識と宇宙を見ることもあるが、それはこれまでの自分の発想の枠組みと同様であり、今は逆方向の無限に微細な世界を見ている自分がいる。


老子が残した「一は二を生じ、二は一に還る」という奥深い言葉。一なる究極意識は、二という形で様々な個別意識を生み出した。そしてそれらの個別意識は常に究極意識とつながっている。サイケデリック体験においては、グロス、サトル、コーザル、目撃者と意識状態が移行していくのに応じて一なる究極意識に還っていくプロセスを辿る。まさに非二元の状態になれば、完全に一なる状態に辿り着くのが大変興味深い。


主観と客観が一つになった状態を統覚と呼ぶ。私たちは通常、主観と客観を別々に発揮するが、サイケデリック体験中の変性意識状態においては、統覚が発揮されることがある。人間の意識作用で興味深いのは、絶えず分節・分化を促していくだけではなく、いつでも絶えず元の一、すなわち非二元に立ち還れる力を持っていることである。統覚は、主体と客体という分離を乗り越え、非二元に立ち還る際の大事な役割を果たす。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/1/4(木)09:04


11769. 2024年最初のジムでのトレーニングを終えて


時刻は午後5時半を迎えようとしている。先ほどジムから帰ってきてシャワーを浴びてさっぱりしたところで今に至る。今日は2024年最初のジムでの筋力トレーニングとなり、年初から非常に充実したトレーニングができた。今日は木曜日だったのでパーソナルトレーニングの日と重なり、年初からパーソナルトレーナーのエリーザにはチャレンジングなメニューを提供してもらった。ここ最近は特に大臀筋に焦点を当てており、そこの部分の筋肉の肥大化を実感している。それに伴って他の部位の筋肉も徐々に大きくなっているのを感じる。筋肉をつけすぎて重くなることは武術をやっている身としては本末転倒な状態だが、もう少し筋肉量を増やすことが今年の筋力トレーニング上の目標になるだろう。


昨年の終わりにジムでトレーニングをしているときに、年配の男性に声を掛けられ、ジークンドーについて尋ねられたことがあった。その時は上にジークンドーのシンボルが入った服を着ていたので、その人はそれで気づいたようだった。今日はその人から、「明けましておめでとう。ブルースリーさん」と笑顔で声を掛けられた。その人はかつて空手をやっていたらしいが、歳を重ねたので今は太極拳をしているとのことだった。自分の年齢に応じて武術の内容を変えることもまた一興であるし、1つの武術を継続することもまた一興かと思った。さて自分はどうだろうかと考えたときに、今日は残念なニュースがあった。これまでジークンドーのプライベートレッスンを提供してくださっていたロビンさんが首の骨を痛めてしまったらしく、しばらくはプライベートレッスンを提供できなくなってしまったという連絡が届いたのである。その知らせは非常に残念だったが、ロビンさんには無理をさせたくはないし、とにかくお互いに身体の健康が第一なので、早く治ることを祈っている。ロビンさんの復帰がどれだけかかるか分からないが、今日もジムのトレーニングルームでひとりジークンドーの稽古に励んでいたように、これからも継続して自主稽古をしていこうと思う。すでにロビンさんからはジークンドーの基礎についてかなりのことを教えてもらったので、以前習ったことを思い出しながら、ここからは1人での稽古を続けていく。またロビンさんが復帰したときにプライベートレッスンを受けさせてもらえればと思う。


今日もまた筋力トレーニング後の有酸素運動で随分と汗をかいた。ローイングマシンとランニングマシンの併用は本当に良い汗をかかせてくれる。これからフローニンゲンはグッと寒くなり、普段の生活をしている限りは汗をかくことなどないので、週2回のジムでは思いっきり体を体を動かして良い汗をかいていきたいと思う。これから準備する夕食もさぞかし美味しくいただけるだろう。フローニンゲン:2024/1/4(木)17:32


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