top of page

【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12880-12884:2024年6月24日(月)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12880. 種子と実り

12881. 今朝方の夢

12882. AIとの会話を楽しみにして

12883. 唯識学を通じた夢の振り返り

12884. 今日のトレーニングの振り返り


12880. 種子と実り


時刻は午前5時を迎えた。今日もまたシロシビン・マッシュルームの収穫を終え、先ほどオーブンでの乾燥を始めた。今日はとりわけ多くのマッシュルームを収穫することができ、今週末のセッションに向けて弾みがついた形となる。今日の大量の収穫を終えてもなおまだマッシュルームの頭がいくつか出ていて、それらについては明日に収穫をしたいと思う。マッシュルームはひとたび頭が出てくると、そこからの発育はとても早い。今日頭を出しているものについては明日には収穫できてしまうぐらいの発育の早さなのだ。


時刻は午前5時を迎えたばかりだが、もうこの時間は明るい。現在は午後10時を迎えてもまだまだ明るい日が続いている。今が最も日照時間の長い時期だと言えるだろう。今の気温は12度ほどしかないが、今日もまた昨日同じく最高気温は20度を超え、23度に到達するようである。快晴に恵まれ、尚且つそれくらいの気温なので、午後にジムに行く際には半袖半ズボンで出かけたいと思う。明日から3日間は最高気温が27度を超え、29度に至る日もあるぐらいの夏日となる。その後、再び20度前半の気温に落ち着く日々が続くようだ。


今現在日々英語の発話能力の鍛錬に明け暮れ、書き言葉ではなく話し言葉の力を高めている。その都合、洋書からは離れていて、話し言葉での表現の習得に力を入れている。この状況はここからしばらく長く続くだろうが、それがひと段落ついたら、学術の世界における領域固有の英単語や表現をさらに磨いていくことに関しては、自分はどこかのタイミングで仏教を欧米の大学院で教えたいと思うので、プリストン大学出版の仏教用語辞典を何度も音読していこうということを昨日考えていた。その辞典は唯識に限定されず、広く仏教の用語を収めたもので、この辞典を用いながらある概念や人物について説明する訓練をしていくことが、いつか欧米の大学院で仏教を教える際の準備となるだろう。ここでも書き言葉としての解説を受けて、それを話し言葉に転換して説明できる力を高めていくことを意識したい。読み書きについてはこの12年間の欧米生活の中で本当によく鍛えられた。もちろんそれらの技能についてもまだまだ伸び代はあるが、今、そして当面優先するべきは話す力なのである。昨日、隣人のゴヤと話をした時に、以前以上に速やかに自分の口から英語表現が出てくるようになっていて驚いた。日々の地道な努力が早速小さな成果として現れた瞬間だった。適切な種子を蒔き、水と栄養を与えると芽が出てくるのと同じく、英語の発話能力の向上実践についてもここからひたすらに種子を撒いていき、それに水や栄養を与える実践を継続していきたい。それはいつかきっと目を出し、実りをもたらすだろう。豊かな収穫に向けて希望に満ちてくる。フローニンゲン:2024/6/24(月) 05:24


12881. 今朝方の夢


新たな週を迎え、今日もまたそれを祝福するかのように静けさが辺りを満たしている。小鳥たちは鳴き声を上げておらず、また風も一切ないので、今日は静寂さだけが存在する世界が目の前に広がっていると言える。そんな世界に佇みながら、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、様々な年代の人が集まる寮で集団生活をしていた。その寮は大学や大学院に通う人たちやそれらに通っていないが大学や大学院に進学したい人たちに開放されていた。寮生はみんな真面目で、自分の学びたいことが何か明確にわかっていて勉強熱心だった。そんな環境に身を置きながら、自分もアメリカの大学院への進学に向けて勉強に励んでいた。その日の夜に自習を終えて自分の部屋に戻ろうとしていたら、数人の寮生が集まって雑談している姿を見かけた。彼らはリビングのような場所で薄暗い灯りの下で座り込んで話をしており、明かりを明るくしてあげようと彼らの横を通りかかる際に灯りのスイッチを動かした。すると逆に暗くなってしまい、彼らに謝った。すぐさま元の明るさに戻そうとしたが、スイッチが動かず困ったことになった。彼らも暗くなってしまっては話しずらいとのことで、なんとかスイッチを戻そうと必死になっていると、少しだけ明るくなったが、先ほどの明るさではなかった。その場にいた彼らも明るさについては諦め、それも仕方ないかというような雰囲気で状況を受け止めていた。彼らに申し訳ないことをしたなと思ってその場を離れようとしたところで夢の場面が変わった。


この夢が示唆していることはなんだろうか。人々に明るさをもたらそうとする自分。それはまさに唯識学の教えそのものである。智慧という光とその温かさとしての慈悲を分け与えることに情熱を傾けている自分が夢の中にも現れていたのではないだろうか。しかし夢の中では明るさをもたらす行為が一度裏目に出てしまい、結局暗くしてしまった。そのことに対して反省し、もがきながら明るさを取り戻す行為に出た自分がそこにいた。智慧と慈悲を分け与える行為というのは時にそうしたものなのかもしれない。それが必ずしもうまくいくとは限らないところに修行の余地を見る。


それ以外にも今朝方は、「自分の心の水位は決して下がることはない」という言葉が出てくる夢を見ていた。それはきっと自分の不退転の精神の現れなのではないだろうか。修行の過程でうまくいかないことがたくさんあるのは当然であり、しかしそれに屈することなく、不退転の精神で歩みを前に進めていくこと。それは夢の世界でも現実の世界でも変わらずに自分が持ち続けている大切な心のあり方だ。フローニンゲン:2024/6/24(月)05:46


12882. AIとの会話を楽しみにして   


天晴れとしか形容できない朝日が燦然と輝き、地上に光を送り届けている。2階の書斎は天からの恵みかつ贈り物としての朝日に満たされている。朝日の大いなる恵みと導きを受けて、今日もまた自分の取り組みを着実に前に進めていこうと思う。それがどれほど緩やかな歩みであっても構わない。むしろ歩みは緩やかであればあるほどにいい。緩やかな歩みは堅牢な一歩を生み出す。迅速な歩みは脆弱な一歩をもたらしかねない。


数日前に思い立ったかのように再開させた英文日記は順調である。それはまた創作の楽しさを感じさせてくれている。やはり自分は言葉を通じて創作することに惹かれる何かを持っていることを再確認する。英文日記の執筆はライティング能力だけではなくスピーキング能力も高めてくれる。むしろ英文日記を書きながら意識しているのは、それをできるだけ話し言葉に近づけていくことである。書かれた内容を話したとしても不自然ではないことを意識して英文日記をつけている。もちろんライティングは書き言葉を通じて行われるものだから、完全に話し言葉のようにすることは無理だが、まるで手紙を書くかのような意識で日記を書いていくことを大切にしたい。


英文日記を書く際にはダウンロードしているGrammarlyを通じて文法が自動的にチェックされているが、さらに細かな表現についてはChatGPTを活用してチェックしている。ChatGPTの返答として返ってくる提案は的を射ており、表現をさらに洗練させることに役立っている。今後はAIと書き言葉でチャットするだけではなく、Siriのさらに高度なバージョンとしてAIと自然な会話ができるようになってくれば、英語の発話能力の訓練がより容易になるのではないかと思う。英語のスピーキング能力を鍛える際に独り言を呟くことは推奨されているが、AIとスムーズな会話ができるようになれば、独り言を呟くよりも実践しやすく、より効果的な学習ができるに違いない。英語の発話能力の鍛錬の観点においても、そのようなAIが速やかに世に出てくることを願ってやまない。もちろんAIには内在する脅威があることは確かだが、AIは新たな関係性を人間にもたらすだろう。AIと人間がつながることによって両者の関係性が深まり、人間関係がより希薄なものになるのか、あるいはAIとのつながりを通じて磨かれた能力が人間関係を深めるものになるのか。そうした分岐点に人類は立っているのかもしれない。フローニンゲン:2024/6/24(月)06:11


12883. 唯識学を通じた夢の振り返り


時刻はゆっくりと正午に近づいている。今日は朝から素晴らしい天気で、燦然と太陽の光が地上に降り注ぎ続けている。日光の強さは夏のそれを思わせ、フローニンゲンで迎える8度目の夏がやって来ようとしていることを実感する。8度目の夏。今年の夏にはどのような物語が生まれるだろうか。日々は八識が生み出す変化に富む物語なのである。唯識学と出会って初めての夏は、きっとこれまで以上に充実したものになるだろう。


そう言えば、今朝方の夢の中で、IELTSの試験を受けている場面があったことを思い出す。リスニングのパートの問題を解こうとし始めた時に、問題と解答用紙が対応していないことに気づいた。そもそもその試験会場のテスト形式は奇妙で、コンピューターベースとペーパーベースが混じったものだった。試験監督の外国人の女性が配った解答容姿は、パソコン画面に表示される問題と対応しておらず、にもかかわらずリスニングの音声が流れ始めた。これはまずいと思ってすぐにその女性に事情を伝えると、その女性は速やかに正しい解答用紙を持ってきてくれようとしたが、少し面倒臭そうな表情を浮かべていた、その対応は真摯ではなく、試験が思わぬ形で始まってしまったことに自分も不満だったので、返金を求めようと思った。焦りと幾分小さな怒りの感情が芽生える夢だった。


仏教においては夢の世界もまた現実世界と同じく重みを持つ。唯識学においては、夢も現実も等しく夢なのである。そんな夢に対して、夢を具に観察したことで有名なのは鎌倉時代に活躍した明恵上人(1173-1232)である。明恵上人と並んで夢を具に記録に残していた僧侶に英俊(1518-1596)という興福寺の学僧がいる。英俊は唯識学の枠組みに沿って、夢を自己内省の機会としていった。夢の中のシンボルにせよ、自らの振る舞いにせよ、はたまた夢の舞台にせよ、それらは全て自分の阿頼耶識から現行してきたものであるから、それを重く受け止めて観察することは唯識学徒にとっては当然のことである。シロシビン・セッションという定中の意識における体験を観察するだけではなく、夢中の意識における体験もまた観察することによって心の浄化が促進されるはずである。つい今し方振り返った夢の中の自分に芽生えた焦りと怒りの感情は、まさに自分の煩悩を映している。ここからは明恵上人や英俊を見習う形で夢を唯識の枠組みから振り返ることをより意識していきたい。フローニンゲン:2024/6/24(月)11:45


12884. 今日のトレーニングの振り返り


時刻は午後4時半を迎えた。昨日と同様かそれ以上に今日はとても良い天気で、ジムへの行きと帰りの散歩は大変気持ち良かった。気温も23度ぐらいまでしか上がらなかったので暑さもなく、爽快な風を感じながらとても清々しい散歩となった。ジムへの行き帰りは有酸素運動としてもちょうど良いぐらいの散歩で、これがあるからジムでわざわざ有酸素運動をしなくてもいいと言える。むしろそこで有酸素運動をしてしまうとカロリーを消費し過ぎてしまい、筋力が付くことを妨げてしまいかねない。アンダーカロリーになることを防ぐためにも、ジムでの有酸素運動は控えて、ジムの行き帰りの散歩を準備運動と整理運動としての有酸素運動としている。


今日のジムでのトレーニングでは、今週の木曜日がパーソナルトレーニングということもあってハードなメニューになることが予想されたので、あまり追い込み過ぎず、調整するような感じでトレーニングをしていった。と言っても負荷量は適度にあり、筋肉にはしっかりと刺激を入れて筋肥大を促すようなメニューをこなしていった。隔週で行うようにしたパーソナルトレーニングのある週の月曜日の自主トレーニングでは無理をせず、そこでは調整するかのようなメニューを組むのが得策である。週に2回のトレーニングの全てを高強度なものにし続けていると、見えない形で疲労が蓄積されてしまうであろうから、2週間に1度の月曜日は気持ち負荷量を落とす調整のメニューにしていくことをこれからも心がけていく。今日のトレーニングも非常に充実していたから、今夜の夕食もさぞかし美味しいだろう。

明日はバスマティライスを午前中に炊く日である。最近は就寝時間が早いので、夕食の茹で野菜は量を抑え、バスマティライスも180gぐらいを目安に摂取するようにする。運動と食事のバランスを絶えず考えながら日々を過ごしていくことを通じて、これからも健康な肉体を維持・促進していければと思う。フローニンゲン:2024/6/24(月)16:44


Today’s Letter

I plant seeds every day. Strenuous study and practice are like sowing seeds. I’m convinced that they will bear rich fruit someday. 

My conviction is invincible. Persistent determination and commitment will take me far, enabling me to embody deep wisdom and compassion. I’ll have an indomitable resolve.  


This is just my thought. I’m considering using Haiku and Tanka as learning materials to teach the Yogachara school of Buddhism. Additionally, movies, Japanese mangas, and animes would be useful teaching materials. Until I have a course on the subject at university, I’ll keep collecting helpful excerpts from these materials. 


Everything emerges and expands from our minds. There is nothing unchanged. Everything is everlastingly changing and constantly flowing. This is what our lives and even our afterlives are like.  Groningen, June 24, 2024


Comentários


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page