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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12871-12875:2024年6月22日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12871. 祝福の朝/観察と関与

12872. 今朝方の夢

12873. 最近視聴しているポッドキャストと海外ドラマから

12874. 話すための英文日記/スキルとしての英会話

12875. 第85回のクラスの振り返り


12871. 祝福の朝/観察と関与


時刻は午前6時を迎えた。今、土曜日の到来を祝福するかのように天から優しい朝日が地上に降り注いでいる。そのまろやかな朝日を受けて、地上の生き物たちが静かに微笑みを浮かべている。こうした日には小鳥たちが鳴き声を上げているのが普通だが、今日はおとなしい。彼らも穏やかな朝日を浴びながら黙って悦に入っているのかもしれない。


今の気温は14度と肌寒さが残るが、今日の最高気温は21度に達し、今日から来週の水曜日までは最高気温が20度を超える。来週の土曜日には再び寒さが戻ってきて、最高気温は20度を下回り、最低気温も10度前半なのだが、今日から来週の金曜日の中には夏日になる日もある。とりわけ火水木は27度を超える気温になるようなのでまさに真夏日である。7月を目前にしてようやく夏らしい日が現れるようになってきた。気温が上がってきたおかげか、シロシビン・マッシュルームの発育も順調であり、起床してすぐにその様子を確認したところ、一気に何本ものマッシュルームが地上から生え始めており、明日と明後日にまた連続で収穫できそうである。これにて明日ではなく来週の日曜日に第35回のセッションを行おうと思う。今回は新しい品種ということもあり、そして4週間ほどのインターバルを空けたこともあり、どのような体験がもたらされるのか、そして何よりどのような真理が開示されるのかとても楽しみである。


唯識学の教えを通じた心の観察行が着実に前に進んでいる。それは微々たる歩みかもしれないが、そこには着実な進歩がある。心を観察するというのはもはや心に関与していることなのだ。心を通じて心を観察するとは、心を通じて心に関与していくという実践なのである。観察者から関与者の意識を持つこと。絶え間ない観察を通じた絶え間ない関与を通じて心を磨いていく。観察を通じて心が磨かれていくというのは、そこに関与という行為が内在しているからだったのだ。今そのような認識を持ってみると、心の観察行に向けた意識がより一層高まってくる。今日もまた心を観じて夢から醒める確かな一歩を歩みたい。フローニンゲン:2024/6/22(土)06:15


12872. 今朝方の夢     


まろやかかつ黄金色の朝日がすこぶる美しい。地上の生きとし生けるもの全てが朝日を浴びて祝福を受けている。自分もまたその1人であり、その喜びを噛み締めている。


今朝方は夢の中で、小中高時代の2人の親友(KF & SI)を自宅に呼んでテレビゲームをしようとしていた場面があった。まず最初に片方の親友に電話をしたところ、彼は即座に自宅に来ること喜んで承諾した。そしてもう1人の親友に電話をしたところ、彼は少し何か考えているようだった。返事に躊躇する彼に訳を聞いてみると、どうやら誰がうちに遊びに来るかによって行くか行かないかを決めたいとのことだった。彼曰く、ある友人が来ると、その友人は少しうるさいし、自分のことを馬鹿にするので一緒に遊ぶのは嫌とのことだった。幸いにも彼が懸念する友人には声を掛けていないことを伝えると、彼はホッとして、それであれば遊びに来るとのことだった。2人を待っている間に外の風を浴びたいと思って社宅のアパートの外に出たところ、何やら台風がやって来そうな気配があった。このアパートは煉瓦造りで、前回の修繕作業から随分と日が経っていることもあり、仮に台風がやって来たら結構危ないことになりそうな予感がした。そこで私は自分に備わった特殊能力である建物を修復する能力を使って、アパートの脆弱な部分を修復していくことにした。その作業に没頭していると、静かに夢の場面が変わった。


もう1つ覚えている場面は、外国の見慣れない高級マンションに住んでいる場面である。そのマンションにはジムが併設されていて、そこで体を鍛えていた。その時に、自分の横にはある友人がいて、彼と一緒に話しながら楽しくトレーニングに励んでいた。彼はまだ筋力トレーニングを始めたばかりで、体の鍛え方についてあまり知識がないようだったので、自分が持っている少ない知識を彼に伝えた。とりわけダンベルの使い方を彼に教えることにした。どういうわけか私は、比較的軽めのダンベルを片手に持って小走りするメニューを彼に紹介した。それは筋力を鍛えるだけではなく、心肺機能も高めるようなメニューであり、自分はそのメニューをトレーニングの最後に取り入れていることが時折あった。マンションに併設されたジムの窓の向こうには大都市が見え、近くには緑豊かな公園などが見渡せた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/6/22(土)06:38


12873. 最近視聴しているポッドキャストと海外ドラマから


結果的に英語学習になっていると思うのだが、それは英語学習のためというよりも純粋にコンテンツを楽しんでいるものとして、仏教に関する書籍の出版に特化したWisdom PublicationsのポッドキャストやNetflixでの海外ドラマの視聴などがある。 Spotifyを経由してWisdom Publicationsのポッドキャストの全てのコンテンツを視聴し終えた後に、繰り返しコンテンツを視聴しようと思って2巡目に入ったところでふと、敬愛するフリースタイルラッパーのハリー・マックのポッドキャストのことを思い出し、数日前から彼のポッドキャストを隙間時間に最初から順番に聴いている。英語の発話能力の鍛錬にフリースタイルラップの要素を取り入れることができれば日々の実践はさらに楽しいものになると思ったことも彼のポッドキャストを聴こうと思った理由である。彼のラップ技術は神業に近く、ラップで展開される内容も人々を啓発し、楽しませるものなので、聴いていてとても気分が良い。彼のポッドキャストのコンテンツはかなりの量になるが、それを最初から全て聴き終える頃には英語の発話能力の向上実践にフリースタイルラップの要素が体現され始めているのではないかと思う。それを楽しみしながら引き続き彼のポッドキャストを聴いていきたい。

ここ最近面白いと思って視聴を続けているのはアメリカの“The Good Doctor (2017)”というドラマである。主人公の若い外科医がアスペルガー症候群を持っていて、彼が患者や他の医者との交流を通じて少しずつ成長していく物語である。この作品の面白さは主人公以外の登場人物たちの葛藤や成長が描かれているところである。全ての人が何かしらの課題や葛藤を抱え、それと向き合いながら日々を生きている。そしてそれらの課題や葛藤を他者との関わり合いの中で向き合うとき、初めて成長が起きることを描いている点も特筆に値する。その他にも個人的に素晴らしいと思うは、助かる命と助からない命の双方をきちんと描いていることである。ドラマだからと言って救われる命だけを描いてハッピーエンドにするのではなく、現実世界を忠実に再現するかの如く、助からない命をしっかりと描いている点に好感を持つ。救われる命と救われない命の双方を描くことによって、この作品を通じて諸行無常を実感するし、命の輝きを改めて実感することになる。昨日はこの作品を視聴しながら、人体に関する知識が現在のように多数集積され、人体がこれだけ解明されていった背景には、肉体を切られて命を落としていった無数の命たちがあることを思った。命のバトンは脈々と受け継がれているのである。このドラマを見ながら、今探究を深めている唯識の思想や仏教の教えを思わずにはいられない。いつか本格的にドラマやアニメと唯識思想を絡めて講義を持ったり、一般書を執筆してみたいという気持ちが湧いてくる。それだけ映像作品からの学びは多く、そこには人間の心が必ず描かれているのだから、唯識思想が当然絡んでくる。引き続き積極的に映像作品を見ながら、日々の唯識学の探究と佳境させることを意識していきたいと思う。フローニンゲン:2024/6/22(土) 07:10


12874. 話すための英文日記/スキルとしての英会話  

 

時刻は間もなく午前11時半を迎えようとしている。今日は午後1時からゼミナールの第85回目のクラスがあるので、この日記を執筆し終えたら少し仮眠を取って、そこから昼食を食べたいと思う。前回のクラスは大いに盛り上がるクラスだったので、今日のクラスでもどのようなやり取りがなされるかが今からとても楽しみである。今日は心の前六識を扱っていく予定だ。


昨日から何かを思い立ったかのようにして英文日記を再開させた。それは新しい創造的活動としての意味合いもあり、文章を英語で執筆していくことが純粋に楽しい。そこには創造的な喜びと構築的な喜びがある。とにかく楽しむこと。没頭して悦に入って、その活動と一体となること。それを続けていく。英文日記に何を書くかやどのように書くかについても絶えず創意工夫の精神を持っておきたい。当面はとにかく書きたいと思ったことを書きたいと思ったタイミングで書きたいように書けばいい。しかしその時に少しばかり意識しておきたいのは、新しい表現を絶えず求めることである。すでに自分の内側にある表現の幅を増やすために、新しい単語やイディオムを活用する意識を持っていく。そのような意識で日々英文日記を執筆していけば、新しい単語やイディオムが自然と手に馴染んでいくだろう。また、英文日記を執筆する際にはもう1人の自分に語りかけるようなイメージ、あるいは誰かに語りかけるような意識を持ちたい。言い換えれば、書く内容をスピーキングでも活用する意識を持っておきたい。ライティングもスピーキングもどちらも共にアウトプットを司るものなのだ。もちろん書き言葉と話し言葉では違いがあることは確かだ、その共通性に注目して、「話すための英文日記」という意識を常に持っておきたい。


私たちが学校で習ってきた英語は英語に関する知識を増やしているだけで、英語を活用するというスキルの側面にはほとんど光が当たっていない。英語を書くことも話すこともスキル領域に属するものだということを忘れてはならない。忘れてはならないというよりも、そうした認識を明確に持つべきである。でなければ、かつての教育によって薫習された思考経路のままとなり、いつまで経っても英語が話せるようにはならないだろう。英会話のみならず、唯識学においても知識とスキルの2つに分かれ、それら双方を伸ばしていくことが重要だが、唯識の本質に立ち返れば、唯識の教えという智慧を運搬していく技術を実践を通じて伸ばしていくことが重要なのである。今日のゼミナールのクラスもまた唯識の智慧を運搬するという実践的な側面が体現されたものになればと思う。フローニンゲン:2024/6/22(土)11:25


12875. 第85回のクラスの振り返り        


時刻は午後3時半を迎えた。今、穏やかな午後の光が地上に降り注いでいる。先ほど第85回のゼミナールのクラスを終えた。今日もまた非常に充実した回となり、改めて唯識という思想の広さと深さを実感する回となった。回を重ねるごとにお互いの識の世界の固有さに気づき、心の世界を見つめる解像度が深まっているのを実感する。「人人唯識」という言葉は1人1宇宙を指しており、毎回のクラスは多様な宇宙が出会い、交流する場として存在し、自らの宇宙と他の宇宙への理解を深めるまたとない機会となっている。この世界には80億人ほどの人口がいるが、80億人の1人としてその人と今向き合っていくことの大切さを思うのと同時に、改めてそのような確率でその人と出会えた奇跡を思う。


「愧」という善の心の働きは、他者や社会に照らして他律的に自らを省みる心の作用を指す。この時、物理的な他者だけを見つめているのはピアジェで言えば具体的操作段階での他律的反省であり、他者を内面化して反省をしているのであれば形式操作段階の他律的反省となる。また、社会の決まり事などの観点から自らを顧みるのは社会中心的(socio-centric)な反省であり、それを推し進めていくと宇宙中心的(cosmo-centric)な反省となる。最終的な宇宙中心的な振り返りというのは物理的な宇宙を指しているのではなく、他者の人人唯識を尊重し、他者の宇宙の奥深くの視点から、すなわち他者が持つ仏性や真理から自己を顧みることを指す。そのような新たな解釈が芽生える瞬間に恵まれるクラスだった。ここからも知情意を総動員し、第六識を通じて自他の識の世界、すなわち自他の心の宇宙を深く理解することに努めていきたい。


それともう1つ、今日のクラスでは夢が話題に挙がった。仮(け)と夢の違いは何なのか、夢を見る主体は阿頼耶識ではなくて第六識であるというのはどういうことなのか。非常に興味深い論点がいくつも立ち現れてきて、これは是非とも引き続きクラスの中で対話を重ねていきたいものである。ちょうど夢に関する映画やアニメと唯識を絡めた考察をしようと思っていたところだったので、こうして今日のクラスの中で夢について話題に出たのは偶然ではないだろう。仏教においては偶然はなく、全て必然で、必ずそこには因があるはずなのである。そのように考えると、夢が今日のクラスの場に出てきた因について探究を深めていき、夢のさらなる解明を通じた心の解明をしていきたい。心は夢を見、宇宙は夢を見る。心と宇宙は同じものであり、両者は共に夢を見ており、夢の中にいるのである。夢はそれくらいに広大無辺なものである。フローニンゲン:2024/6/22(土)15:43


Today’s Letter 

Brilliant morning sunshine is coming from a heavenly translucent sky. All living creatures on the earth are rejoicing in the sunlight. 


Observing our minds is participating in them, which is why our minds change by our observation. There are no observations without involvement. The more we observe our minds, the more we can purify our minds. Observing the mind enables us to awaken from a dream; this is the essence of the Yogachara school of Buddhism. 


Knowing about English and applying English such as writing and speaking is a different story. Most Japanese don’t notice it. If you want to improve your command of English, you’ll definitely practice. Remember practice makes perfect. This applies to learning the Yogachara school of Buddhism. It has two aspects: knowledge and practice. However, most people tend to focus on the knowledge side. Since the Yogachara school was founded by yoga practitioners who seriously devoted themselves to practice, we must engage in actual practice in our daily lives. Practice would open the door to deep wisdom and compassion. 


Each of our minds is a unique universe. Our minds have a dream, which I believe implies that our universe has a dream. Both the mind and universe have a dream. What an awe-inspiring truth. Groningen, June 22, 2024


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