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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12866-12870:2024年6月21日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12866. シロシビン・セッションと唯識学の二人三脚

12867. 今朝方の夢

12868. 日々の音読行の果てに

12869. 能力の向上における原理を思い出しながら

12870. 英文日記の再開


12866. シロシビン・セッションと唯識学の二人三脚 

   

時刻は午前4時半を向けた。今朝方も起床した時にはもう辺りはうっすらと明るくなり始めていて、数羽の小鳥たちが鳴き声を上げ始めていた。この時期は世界や小鳥たちの方が自分よりも早く活動を始めているようだ。夏の時期は彼らの方が早く活動を始め、自分の目覚めを待ってくれている。逆に秋と冬の時期においては自分の方が早く起き、世界と小鳥たちの目覚めを待つ形となる。こうした持ちつ持たれつの関係がここにある。


少し前に購入したシロシビン・マッシュルームの栽培キットからようやくマッシュルームの頭が出始め、昨夜の段階で今日にも最初の収穫が行えそうだと思った。今朝方起床して朝一番に確認したところ、1本ほど収穫できる大きさのものがあったので、収穫し、先ほどからオーブンでの乾燥を始めたところだ。収穫した1本のマッシュルーム以外にもいくつかまた新しく頭を出し始めているものがあったので、ここから数日以内に再び収穫ができるだろう。この収穫のペースだと今週末にセッションを行うのは難しそうだが、来週末であれば確実にセッションが行えそうである。今回はインターバルを設ける形で4週間ぶりのセッションとなる。ここでは「英雄の服用量」である乾燥マッシュルーム5.0g以上を摂取する予定だ。過去最も摂取量を多くしたのは5.3gで、5.0gを超えると相当に体験が深くなる。今回は5.5gほどを試してみようかと考えている。前回から4週間空く形となるのでシロシビンの耐性はほぼ完全に消えているだろうから、それくらいの摂取量にするとこれまでにないほどに体験が深まるかもしれない。シロシビン・セッションは自分にとって重要な瑜伽行であり、この実践のおかげで心の世界を広く深く探究することができている。また、この実践を通じて得られた発見事項は唯識学の探究にも直接的に役に立っている。シロシビン・セッションの体験をもとに唯識学が展開する心の理論を紐解くと、まさに手に取るように理解ができてくるのである。こうしたことが起こるのは、唯識学が机上の空論ではなく、瑜伽師たちの実践体験をもとにして構築された思想だからだという点が要因としてありそうだ。そして両者は共に心を扱っているという共通点もある。シロシビン・セッションという瑜伽行の深まりが唯識学への理解をここからさらに深めてくれるだろう。シロシビン・セッションと唯識学の探究は、これからの自分の人生の中で絶えず二人三脚で進んでいくに違いない。この二人三脚を大切にしながら日々地道な学習と実践に励むことによって、少しずつ智慧と慈悲が涵養され、この世界に対して何か意味のある形での貢献ができてくるようになるだろう。それを望む自分がいる。


昨日は随分と暖かったが、今日は最高気温が18度までしか上がらないようだ。もし今日晴れてもう少し気温が上がるのであれば、庭の草むしりをしようと思っていた。ここのところは雨が続いていたこともあり、また夏が迫っていることもあって雑草の伸びが冬の時代よりも早く、雑草が少しずつ伸びている状態であった。今日は肌寒さがあるようなので今日の夕方ではなく、明後日の日曜日が天気も良いようなので、夕方にアクティブレストがてら草刈りをしたいと思う。フローニンゲン:2024/6/21(金)04:58


12867. 今朝方の夢    


時刻は午前5時を迎えた。朝の静けさが辺りを満たしており、そこに小鳥たちの鳴き声が響き渡っている。今日も穏やかな1日の中で、自分の取り組みを着実に前に進めていこう。前に進めていくという作為を手放し、常にその瞬間に没頭しながら時を過ごしていくこと。時の経過を忘れるほどにその瞬間と行為と1つになることを今日もまた行っていこうと思う。さすれば自分は然るべき場所で然るべき形で自分の役割を全うすることができるだろう。

今朝方の夢をいつものように振り返っている。今朝方の夢は大学受験に関するものだった。場面は見慣れない大型書店だった。そこに私は母と一緒に出掛けていき、参考書や問題集を選んでいた。参考書よりもどちらかというと問題集で何か良いものがないかと吟味していた。どうやら私は母校をすでに卒業しているらしいが、卒業して働き始めてから再び母校に戻って勉学に励むために再受験をしているようだった。ところがすでに2回ほど不合格になっているらしく、母校の学士過程に再び入学することの難しさを思った。しかしめげずにもう1度挑戦しようとしている自分がいて、その大型書店では合否を分ける数学の問題集選びに真剣になっていた。ある出版社から過去問と過去問をさらに発展させた問題が多数掲載されている対策本を見つけ、それを購入することにした。幸いにもその対策本は数学に特化しており、逆に言えばそのシリーズは数学の対策本しか置いていなかったのでそれ以外に購入する選択肢はない状態であった。もちろん過去問単体や予想問題集なども置かれていたが、それらについては興味がなく、そのシリーズの解説の仕方や応用問題に魅力を感じたのでそれを購入することにした。今のところそれしか購入しなくていいように思えたが、今一度数学の基礎からやり直すべきかを一瞬迷った。ここから入試本番まであまり時間がなく、基礎を一からやり直していると時間が足りなさそうだと思ったので、もうここからはその対策本に絞って学習をしていこうと思った。すると自分の右横に自分よりも若いがすでに社会人になっている男性がいて、彼もまた問題集を選んでいた。その男性と少し会話をしたところ、そこでふと、自分はなぜまた母校の学士課程から勉強し直そうと思っているのだろうかと思った。すると突然、また学士号を取得するのではなく、大学院に進学した方がより実りがあるのではないかと思ったのである。その考えが浮かんだ瞬間に、自分の心はもはや母校の再受験になく、また日本の大学院にもなく、海外の大学院に向かっていた。海外の大学院に向けて今日から勉強するぞと誓った瞬間に、横にいた男性も母も消えていて、本屋さえもが消えていた。自分は希望に包まれた空間の中で、自分がいるべき海外の学び舎に向けて1人静かに心を燃やしていた。フローニンゲン:2024/6/21(金)05:15


12868. 日々の音読行の果てに


昨日の筋力トレーニングを受けて、つい今し方サツマイモを電子レンジで蒸し始めた。今その調理の完了を待っているところであり、調理を終えたら再び電子レンジをオーブンモードにしてシロシビン・マッシュルームを乾燥させていこうと思う。


今日もまた朝一番の実践として、英語の発話能力の鍛錬を行っていく。それは朝一番の実践だけではなく、1日を通して多くの時間をそれに充てているのだが、朝一番にはiPadにダウンロードしているネイティブが手加減なしのネイティブスピードで吹き込んだ音源を聴きながらシャドーイングすることを1時間ほど行っている。これは午後に仮眠から目覚めた後にも1時間ほど行っているのだが、ネイティブスピードで吹き込まれた音源を聴き、それと同じ速度で話すことを1時間というまとまった時間行うことによって頭の回転が速くなるような副産物が得られている。母国語の音読も脳を活性化させることに有益だが、外国語の方がもっと有益であることが研究結果からも明らかになっているように、自分はその恩恵を最大限に受けている。少なくともここから1年間は朝一番と午後一番の活動の前に1時間ほどの音読を行っていきたいと思う。それを通じて1年後の自分にどのような変化が見られるかを楽しみにしている。筋力トレーニングと同じで、音読行も継続によって必ず何か大きな変化を自分にもたらしてくれるだろう。筋力トレーニングの場合は毎日午前と午後に1時間行うことはほぼ不可能であり、むしろ筋肉の発達においては好ましくないが、音読行の場合はそれが可能であり、むしろ毎日それくらいの時間を充てていくことが好ましい。いやむしろそれ以上に時間を投じるべきものだと思う。自分の場合、英語の発話力の向上トレーニングの核は音読であり、そもそも発話力を高めようとしているのだから口を動かさないわけにはいかない。なのでアプリの教材を用いている際だけではなく、紙媒体の教材を用いている際にも基本的には音読が核となる。合計すると毎日8時間ほどは音読行に充てているのが現状である。毎日8時間をほど英語の発話能力の向上に充てることはここからしばらく続くだろう。その時間配分を変更し、唯識学の探究にさらに時間を充てるようになる日がまたどこかでやって来るはずだ。今のところのその基準は、英語の発話に関してまるでフリースタイルラップをするかのように、自由自在に澱みなく自分の考えや感情を流暢に表現できるようになる段階に到達した場合である。TOEFLやIETLSなどの試験はもはやその到達度合いを測る基準にはならない。参考にこそなるが、最終的にその到達度合いを判断するのは自分である。その段階に到達するのがいつになるのかわからないが、その日は必ずやってくる。何事も日々の地道な積み重ねが全てなのであり、毎日8時間ほどの集中的な投入量は必ずや今の壁を打ち破る。その壁が決壊したら、再び唯識学の探究という本来の自分のライフワークに時間を充てていく。壁の結界後も英語の発話能力を維持向上させていくために、そして脳の機能を健全なものにするためにも、朝と午後の音読は必ず続けていきたいものだ。それを通じて高められた発話力は、人の関係性を今よりもさらに豊かなものにしてくれるだろう。フローニンゲン:2024/6/21(金)05:53


12869. 能力の向上における原理を思い出しながら 


時刻は午前9時半を迎えた。この時間までに英語の発話能力の向上実践に十分に取り組んだので、ここでひとまず唯識学の探究に移っていきたいと思う。それがまた良い気分転換となり、そこから再び英語の発話能力の向上実践に取り掛かる予定だ。


自分が納得する次元に到達するまでに長大な時間を要するかもしれないが、自転車に乗れるようになるために時間を投じるのと同じく、英語の発話能力をさらに高めるための時間を投じていく気概に満ちている。プロのピアニストがその技術を高度な次元に習得するのに要するのと同じぐらいの時間を英語の発話能力の向上に投じたい。それがひとたび高度な次元に到達したら、その力が落ちないように日々継続して実践をしていくが、そのレベルに至るまでに投じた時間ほどはもはや時間を投じなくていいかもしれない。高度な次元に到達するためのジャンプをするためには長きに渡って膨大な実践時間を投じる必要がある。それがないと乗り越えられない壁があるのだ。その壁を乗り越えるためには1日数十分や数時間の学習・実践では足りない。大きな壁を乗り越えていくために必要な膨大な学習・実践量をどこかのタイミングで必ず投じる必要がある。しかし幸いにも、一度壁を越えて高度な次元に到達したらあとはメンテナスとしての時間を充ていけばいい。ひとたび獲得された技術は鈍ることはあっても失われることは基本的にないのだ。高度な次元で獲得した技術を鈍らせないためにはメンテナンスとしての継続的な実践が必要となる。仮にそこからさらに高みを目指すのであれば、今度はまた膨大かつ集中的な実践が求められる。英語の発話能力のみならず、これは全ての学習・実践領域に当てはまる原理である。


英語の発話能力の向上実践に従事していて興味深いのは、自己を忘れるほどにそれに没頭できることである。そうした没入を通じて、自分という存在が消え去り、そこに極限の幸福感が立ち現れる。幸福の源泉は没入的な無分別なのである。没頭的な無分別状態を通じた極限的な至福感の最中を生きること。それをこれからも日々継続していきたいものだ。さすれば自己は幸福感に溶け出していき、至福と化すだろう。フローニンゲン:2024/6/21(金)09:54


12870. 英文日記の再開 


時刻は午後4時半を迎えた。今、空は曇っていて、小鳥たちの鳴き声は一切聞こえずとても静かである。今日からまた何かを思い立ったかのように、以前付けていた英文日記を再開することにした。特にフローニンゲン大学に在籍していた時代やそこからしばらくの間は毎日日記のような、あるいは詩のような短い文章を毎日執筆していた。本日再び英文日記を再開しようと思ったのは、それが英語の発話能力の鍛錬にも繋がると思ったからである。以前の日記のようにライティングを強く意識するというよりも、スピーキングを意識した形で英文日記を付けようと思い立ち、今の自分への手紙として、未来の自分への手紙として、はたまたこの世界の誰かへの手紙として話し言葉に近いような書き言葉で英文日記をこれから付けていきたいと思う。かつて執筆していたとはいえ、久しぶりの執筆になるので無理をせず、短い文章を執筆していく形で日記を継続させていきたいと思う。この実践を通じてまた自分の発話能力にどのような変化が起こるか楽しみである。


英文日記の執筆の良さは、自分の手に馴染む表現が獲得されることだろうか。日記に書くぐらいなのでそのトピックやテーマについて関心があるはずであり、その事柄について人に話す確率が高くなる。そうした自分が置かれているコンテクストの範囲内で英語で文章を執筆していくことは、表現の幅を広げ、またそれを磨くことにも繋がる。最も自分が話をする確率が高いコンテクストのトピックやテーマについて文章を書いていけばいくだけ、自分なりの表現集が溜まっていく。とにかく英文日記は自分が関心のある事柄や好きなことについて書けばいいのであり、無理をして自分の関心外のことについて書く必要はない。そうした無理は実践から自分を遠ざけてしまいかねない。「好きこそ物の上手なれ」と言うように。とにかく書きたいことについて書くことが一番だ。自分の中にある表現欲に沿って、それが赴くままに筆を走らせていけばいいのである。こうしてまた新しい創作的楽しみを見つけられたことは本当に喜ばしいことである。自分はやはり書くことに最大の楽しみを見出す人間なのだ。


1日の最後にその日に執筆した英文日記を音読していこう。それもまた英語の感覚を自分に染み込ませていく上で有益な実践だろうし、1日の総括的な振り返りにもってこいである。フローニンゲン:2024/6/21(金)16:47


Today’s Letter

All of a sudden, the urge to write English surged from the bottom of my heart. It made me restart to express myself in English. This series of diaries could be a long letter to someone in the world at this moment or in the future. I hope that my writing will be somehow beneficial both for me and others. 


The oven is working drying psilocybin mushrooms. Psilocybin sessions are essential yoga practice for me to cultivate my wisdom and compassion. Next Sunday could be my 35th session, which I believe will provide me with a great opportunity to contemplate myself and my life. 


Making mistakes is indispensable to learning. I can say that learning is a process of continuous mistakes; in that sense, mistakes are never mistakes at face value, which are precious gems for our development. If you are in a cul-de-sac of learning, don’t worry. Your keeping making mistakes will bring you to light at the end of the tunnel. 


I’m obsessed with writing. Writing is my soul-rooted passion. While writing something even if it is trivial, my whole existence starts to ignite.  


Are there any strokes of luck in reality? In terms of Buddhism, I’d say there aren’t. All outcomes have root causes. Seemingly good fortune definitely has an origin to occur. Root causes are intertwined with one another, resulting in an outcome; this is a fundamental principle of interdependence. 


I live in a unique linguistic world constructed by my words. The sui generis nature of the world is sometimes astonishing to me, which is awe-inspiring. I cannot help but expand and deepen my inner world through writing. 


 Just absorb yourself into your practice, and you’ll feel ultimate bliss. Being engrossed liberates us from egotistic fetters. Once we become the practice itself that we’re engaging in, the nondual state brings us paramount euphoria; we are bliss itself. Nothing more, nothing less. Groningen, June 21, 2024


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