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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12840-12843:2024年6月15日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12840. 良質な感覚のインストールに焦点を当てて

12841. 今朝方の夢

12842. 第84回のクラスに向けて

12843. 第84回のクラスを終えて


12840. 良質な感覚のインストールに焦点を当てて


時刻は午前5時を迎えた。今、ゆっくりと夜明けを迎えようとしており、辺りが少しずつ明るくなっている。今朝方も小鳥は鳴いておらず、ここのところの寒さのせいなのか小鳥たちはとても大人しい。先日両親とZoomで話をした時には、日本はもう30度ぐらいの気温に達する地域が多いそうだ。それに比べてフローニンゲンはまだまだ肌寒さが残っている。今日の最高気温も昨日と同じく17度までしか上がらない。ひんやりとした気候の中で、今日もまた自分の取り組みを着実に前に進めていこうと思う。


ここのところはまるでAIの機械学習のように英語脳を作っている自分がいる。AIの学習方法を参考にするかの如く、大量なインプットとアウトプットを繰り返す形で英語脳を新たに作り直している最中だ。これまで構築してきた英語脳を刷新するかのような抜本的な取り組みをしている。取り入れるインプットはネイティブの表現とネイティブの速度の音源である。ネイティブが使わないような表現は悪質なインプットであり、ネイティブが力を加減して吹き込んだ音声もまた今の自分にとっては不要なインプットである。とにかくネイティブがよく使うナチュラルな表現に絞り、そしてネイティブスピーカーが普段話す速度で吹き込まれ、連結と脱落のオンパレードな音源をインプットとして活用していく。今焦点を当てているのは、ネイティブが持ち合わせている固有の感覚をインストールすることだと言えるだろう。それをこれまで怠ってきていたのである。その反省から、今の学習方法はこれまでの学習方法と一線を画している。この学習方法を継続していけば、きっとまた英語話者としての自己は変貌を見せるだろう。一歩一歩でいいので、ネイティブの感覚を少しずつ体現していき、ネイティブの感覚で英語を話せるようになっていきたいと思う。その道のりはまだまだ長いが、今の自分でもすでに無意識的にネイティブと同様の感覚で話ができている部分もあるので、それをもっとずっと拡張させていく意識を持っていけばいい。感覚をインストールすることの大切さは何も英語の発話能力の向上だけに当てはまるのではなく、唯識学の探究実践活動においても当てはまるだろう。唯識を修めた瑜伽師たちの感覚をインストールしていく意識を持つのと持たないのとでは、唯識の理解の深まりが違うだろうし、唯識を通じた成長の実現度合いも大きく異なるはずである。ここからは頭でっかちに学びを深めていくのではなく、感覚というものに焦点を当て、良質な感覚のインストールに努めるようにしていく。フローニンゲン:2024/6/15(土)05:28


12841. 今朝方の夢


時計の針が午前5時半を迎えた頃、ようやく1羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。それはひどく待望していたものだったので喜びもひとしおである。その小鳥の鳴き声は物音ひとつしない朝の静かな世界に広く遠く染み渡っている。今日もまた自宅にいて聞こえてくる音は小鳥の鳴き声か暖房の入る音かになるだろう。そのような環境下で今日もまたライフワークを焦らず着実に前に進めていきたい。


今朝方は夢の中で、英語の発話能力の鍛錬に没頭している自分と、唯識学の探究に没頭している自分の双方があった。どちらも異なる場面として立ち現れたのだが、没頭している自分という点では共通している。夢の中の自分と現実世界の自分はまさに重なっており、喜びの感情に満たされ、一切疲労感を感じない形でそれら2つに打ち込んでいる自分が夢の中にいた。そしてどちらも没頭をして活動に従事した後には、英語の発話と唯識に関して誰か身近な人にノウハウと智慧の伝達をしていたように思う。それもまた自分にとっての最大の楽しみであり、自分が実践を通じて学んだことを他者にシェアすることを自分は最大の生きがいと感じているようだった。それは現実世界の自分にも当てはまる。


そのような夢を見た後に、大きな体育館でバスケをしている場面があった。そこには200人ぐらいの人が集まり、100人ずつに分かれて2つのチームを作った。どちらも相当にメンバーの多いチームとなり、目まぐるしくメンバーチェンジをしながら試合を楽しんだのだが、自分は200人の中で一番バスケがうまく、最も出場時間が長かった。自分からそうしようと思ったのではなく、他のメンバーからの後押しでそうなった。試合の中では自分が放つスリーポイントがことごとく入る時間帯があり、その時間帯はある意味ゾーンに入っている状態であった。そうなるともう誰も自分を止めることができず、相手チームとの点差を一気に広げる形となった。そのような夢を見ていた。体育館で試合をする前に、実はウォーミングアップとして、中学校時代に同じ町にある別の中学校の先輩たちと練習をしていて、その先輩たちは相当にバスケがうまかったので、彼らのバスケの感覚をうまくインストールすることができていたのだと思う。先ほどの日記で書き留めたように、ここでも感覚のインストールが鍵となっている。どのような学習・実践分野においても、一流の人たちには固有の感覚がある。逆に言えば、熟達とはその分野固有の感覚を磨いていくことだとも言える。そして、そうした感覚を備えた一流の人たちと共に活動に従事することは、感覚の感染現象を引き起こし、こちらの感覚を磨くことにつながる。感覚は共鳴し合うものであり、高次元の感覚はとりわけ低次元の感覚の成長促進剤として大きく寄与する。ここからもどのような人たちと学びを共にするのかがどれほど重要であるかが見えてくる。そのようなことを改めて考えさせてくれる夢だった。フローニンゲン:2024/6/15(土)05:43


12842. 第84回のクラスに向けて  


朝の静けさの中で、今日の午後からの第84回のゼミナールのクラスに向けて考え事をしていた。今日は唯識を扱う5回目のクラスということもあって、クラスの中でのグループワークとして、ここまで学んできた唯識の枠組みを現実世界に適用した具体的な場面について尋ねてみたいと思う。今ゼミにご参加いただいている受講生の方々は学への意欲が高く、とても積極的に学びを進めていっている様子が伺え、こちらとしても嬉しい限りだ。ここからは単に唯識を知的対象として眺めるのではなく、唯識の教えを通じてどのような観法行を実践したかの意識を持ってもらえればなおよしである。観法行という実践への誘いをするような問いかけも何かしてみたいと思う。前回のクラスでは阿頼耶識を取り上げたこともあり、ここまでの4回のクラスを通じて、受講生のそれぞれの方々が阿頼耶識にどのようなものが薫習されつつあると感じているのかも尋ねてみたい。それに加えて、阿頼耶識から現行してきたものとしてどのようなものがあるかも尋ねてみたい。現行してきたものは人生の新たな方向性かもしれないし、新たな実践案かもしれないし、煩悩かもしれないし、それらいずれであってもいい。ゼミの場が阿頼耶識に対して良きものを薫習し、良きものを現行させる場であるようにこれからも努めていきたい。


今日のクラスのテーマは末那識ということもあって、末那識についても何か質問をしてみたいと思う。この1週間を振り返ってみて、末那識が不善の方向で現れた場面にはどのようなものがあるだろうか。また、有漏善として良き方向で現れた場面としてどのようなものがあるのかについても尋ねたい。こうした問いについて振り返りをしてもらうことを通じて、少しずつ唯識の考え方が身についてくるだろう。逆に言えば、こうした問いを通じて唯識の教えを自らに引き付けて内省しない限りは単なるお勉強で留まってしまう。このゼミでは単なるお勉強に留まることを良しとせず、とにかく実践を大切にし、自らの心を磨いて自他の幸福をさらに深く実現させていくことを大切にしているのだ。その点を踏まえて今日のクラス、そしてこれからのクラスに臨みたい。フローニンゲン:2024/6/15(土)06:23


12843. 第84回のクラスを終えて


時刻は午後3時を迎えた。早朝に空を覆っていた雲はどこかに消え、見事な青空が広がっている。青空を眺めている今の自分の心の清々しさは、先ほどまで行われていた第84回のゼミナールのクラスの充実さを物語っている。今日のクラスは本当に洞察溢れる素晴らしい回であった。毎回のクラスは常に驚きや発見をもたらしてくれるものなのだが、今日のクラスはとりわけ深く考えさせてくれる話に満ちていた。冒頭である受講生の方が長崎の壱岐島で参加したイルカと触れ合うワークショップの体験談を語ってくださり、そこから人間とイルカの自己意識としての末那識の性質の違いや共通性の話となって、人間同士の関係性の構築の話が話題に出た。このように唯識学の魅力はなんと言っても、その教えが私たちの日常と絶えず結びついており、私たちは唯識の目を通じて自己を省みて心を磨いていくことができることである。心を磨くということを上段に構えなくても、唯識の目を通じて自己を見つめることで必ず何かしらの新たな自己発見があるだろう。唯識は自己発見と自己成長をもたらしてくれる宝庫なのであり、そもそも私たちの日常生活が自己発見と自己成長の機会に満たされているのであり、自分という仮の存在としての自己そのものに無限の自己発見と自己成長の可能性が内包されているのである。まずはそのようなことを思った。


それ以外として、兎にも角にも今日のクラスの大部分の時間は、ブレークアウトである2人の方が対話した内容で持ちきりであった。いまだかつてゼミやセミナーなどの場で、1つのブレークアウトのグループで取り上げられた話題だけでクラスが終わったことはいまだかつてなかったと思う。それくらいにその話題はとても興味深いものであったし、全員で紐解くに値するものだった。今日のようなクラスは滅多いないかもしれないが、今後もブレークアウトの全てのグループの話を聞くということを強制せず、より自由にその場でもっとも熱量のある話題を取り上げられたらと思う。とにかく私たちは存在として自由を本質としているのだから、クラスの進め方も自由でいいのだ。堅苦しい決まり事など設けず、その場で生み出されるダイナミズムに身を委ねる形で今後もクラスを重ねていきたい。今日のクラスを受けて、今一緒にゼミで学んでいる皆さんとであればどこまでも広く深く唯識についての学びを深めることでき、どこまでも広く深く智慧と慈悲の心を育んでいくことができるのではないかと思った。とても実りある時間を過ごせたことに大感謝である。フローニンゲン:2024/6/15(土)15:28

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