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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12813-12816:2024年6月9日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12813. 三性説から見る人間関係:大円鏡智的な関係性に向かって

12814. 今朝方の夢

12815. 滲む展望/今朝方の夢の続き

12816. 和書の一括注文を終えて


12813. 三性説から見る人間関係:大円鏡智的な関係性に向かって


時刻は午前5時を迎えた。日曜日の朝が静かに始まりを迎えようとしている。今日は小鳥たちの鳴き声が一切聞こえてこない。辺りは随分と明るくなっていて、外は晴れているのだが、いかんせん気温が8度と低く、その寒さゆえに小鳥たちもまだ活発的に活動を始めていないのだろうか。部屋に響き渡っているのは暖房の音だけである。今日も14度までしか気温が上がらないのだが、明日は驚いたことに、12度までしか気温が上がらないとのことである。最高気温が12度というのは秋の終わりか冬の始まりに近いような気温である。6月も2週目に差し掛かろうとしているこの時期にまさかそれほどまでに気温が下がる日が現れるとは思ってもいなかったことである。


昨日のゼミナールはいつもと同じように充実していたのだが、唯識学を扱い始めてからというもの、回を重ねるごとにその充実感が高まっているように思う。ここから末長く唯識学を扱っていくことを通じて、受講生の方々とどこまで唯識学の理解を深められるかが楽しみであり、何よりもどこまで私たちが成長を実現させ、幸せを実現させられるかが楽しみである。


昨日のクラスを終えて就寝に向かっている最中にふと、昨日のクラスで話題となった関係性に関するテーマに考えが巡った。人や諸物との関係性をノードの集まりとして捉えるのではなく、1つの全体として、まるで1つの大海であるかのようにして関係性を捉える考えについて考えていた。ノードの集まりとして関係性を捉えるのはどこか依他起性的であり、下手をすると関係性の中で損得計算をしてしまい、遍計所執性的になりがちな傾向があるように思える。そうした関係性は自我や煩悩が色濃く反映された有漏の関係性と言えるだろう。そうした関係性はあくまでも条件付きのものなのだ。一方、自我や煩悩を介在させない関係性は無漏のものだと言える。無漏の関係性は言い換えれば、無条件の関係性なのだ。例えば親子関係などは本来そういうものだろう。子供が何かができるから子供を愛するのではなく、子供をありのまま受け止めて愛するような形で生じる関係性は無漏の関係性と呼べるものである。現代社会においては得てして、人間関係というものが条件付きのものになりがちであり、心の清らかさを維持し、自らの煩悩や我執に自覚的であれば、そうした関係性もなんとか依他起性的なものとして保てるかもしれないが、大抵の場合は遍計所執性的な卑しい関係性となる。現代に求められる人間関係は、損得勘定を超えた大円鏡智的なものなのではないかという思いが沸々と湧き上がっていた。そのようなことを考えながら昨夜は就寝に向かった。フローニンゲン:2024/6/9(日)05:23


12814. 今朝方の夢    


遠くの空が仄かに朝焼けを見せている。今朝の朝焼けはライトオレンジに色付いている。そんな朝焼け空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。


今朝方の夢の場面は、日本の見慣れない町の住宅地を舞台にしたものだった。そこはどうやら東京の郊外のようで、都心部に比べて人口は過密ではなく、住宅地の面積も広々としていた。そんな場所に脱出ゲームを行っている施設があり、そのゲームに数人の友人たちと参加していた。小中学校時代の友人4人と一緒にそのゲームに参加し、ゲームの後半に差し掛かった時に少し休憩を兼ねて、地べたに座って5人で話し合った。その際に、次のゲームの課題がまだわかっていない状態ながら、自分は次の課題には取り組みたくないと思って、姿を消す術を使った。すると4人のうち3人は自分が突然消えたと思っていたが、もう1人は私の姿は見えないながらも気配を感じ取ることができるらしく、自分がまだそこにいることを指摘していた。彼の勘の鋭さに驚きながら、姿を消した状態でその場から去ろうと思った。そして実際にその場からスッと去っていくと、これまでクリアしてきたゲームを遡っていくかのようにダンジョン内を逆戻りしていった。途中でどっちに戻ればいいのかわからないような分岐点があり、そこは自分の勘に頼る形で先に進み、なんとか無事に外に出れた。すると、そこは自分のマンションが見える地点でホッとした。このままマンションに戻ろうと思ったが、マンションの周りは運河で囲まれていて、遠回りをしないとマンションの入り口に行けないことがわかった。遠回りをするのが面倒だったので、空を飛んで一気にマンションの入り口まで行くことにした。マンションの周りに立っていた守衛さんを驚かせないように、サッと着陸してマンションの中に入っていった。するとエレベーター付近に、高校時代のクラスメートの2人と出会った。彼らのうちの1人がどうやらこのマンションに引っ越してきたばかりのようであり、もう1人の友人を自宅に招待したようだった。久しぶりに彼らと再会したので、エレベーターの中で立ち話をした。この時にエレベーターを作動させず、扉を開けっぱなしにした状態で1階に留まっている形で話をしていた。すると、遠くの方から誰かが話しかけてくる声がして、友人の1人がエレベーターを降りて声のする方を確認したところ、外国人の居住者がエレベーターに乗りたいようだった。しかしその外国人は郵便受けを確認する必要があることを思い出したようで、自分のことは気にせずに先にエレベーターで上に行ってくれと友人に伝えた声が自分にも聞こえた。


そのような夢を見ていたのだが、この夢の中でそういえば、小中学校時代の友人たちが東京の都心部の高級住宅地に居を構えるか、それとも今いる郊外の住宅地に居を構えるべきかを相談し合っていた場面があったことも思い出す。私は東京に長らく住んでいたこともあり、自分が知っている情報を彼らに共有することで、居住地選択の参考にしてもらえればと思っていた。個人的には地価がバカ高い都心部よりも郊外の落ち着いた場所に居を構えることをお勧めするということも彼らに伝えていた。フローニンゲン:2024/6/9(日)05:41


12815. 滲む展望/今朝方の夢の続き  

     

神々しい朝日が日曜日の早朝の世界に降り注いでいる。天からの恵みであるかのような朝日が地上に降り立ち、地上に生息する生きとし生けるもの全てに対して命と存在の恵みを分け与えている。光り輝く朝の世界を眺めながら、今日1日の活動の充実さを予感する。


今日もまた旺盛に英語のスピーキング能力の向上実践に取り組み、その合間の息抜きとして唯識学の探究を大いに楽しんでいこうと思う。この生活はここからしばらくの間続くだろう。どこまでそれが続くかは自分にはわからず、また自分では決められない。中動態的な導きとして、その時がやって来たらまた生活の有り様が自然と自ずから変わっていくであろう。その時に在り方が大きく変わるわけではなく、おそらくは今1日の活動に充てている時間配分が両者逆転するだけなのではないかと思う。どこかのタイミングで再び唯識学に1日のほぼ全ての時間を充て、英語のスピーキング能力の向上実践を毎日30分か1時間は時間を取って行うようになっていくのではないかと予感される。いずれにせよ、今は英語の発話能力の向上に特化し、極限までそれを高め、そこからはその力を鈍らせないように継続して毎日少しの時間でもいいので意識的に発話訓練に励んでいきたい。そのような展望が見えている。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢の続きとして、サッカーアルゼンチン代表がW杯の決勝に進出し、自分はアルゼンチン代表の関係者としてロッカールームにいた場面があった。そこでアルゼンチン代表のキャプテンかつエースの名選手と会話をしていたのだが、その選手がふと、「前回のW杯では組み合わせに恵まれず、トーナメントに入ってすぐに強豪と戦うことが続き、決勝ではもう疲労困憊だった」というようなことを述べた。今回のW杯では逆にくじ運に恵まれ、トーナメントに入ってからも力を温存する形で決勝まで進めたのである。準決勝も主力をうまく休ませながら勝つことができ、決勝では十分な休息をした主力が大暴れしてくれることが期待された。キャプテンかつエースのその選手も目を輝かせており、きっと今回はアルゼンチンが優勝するだろうなと思った。そのような場面があった。


この場面以外にも、日本の大きなデパートの1階のお土産売り場でお土産を選んでいる場面があった。ちょうど今から大阪の協働者の方の会社に訪問する予定になっていて、何かお土産を買って行こうと思ったのである。その会社は人員拡大をしていたので、お土産も大きなものを買って行こうと思った。その時に、少し塩っけのある煎餅類にするか、逆に甘みのある和菓子するかを一瞬迷ったが、おそらく和菓子の方がウケが良さそうだと思ったので和菓子を購入することにした。そのような夢を見ていたことを思い出す。フローニンゲン:2024/6/9(日)06:27


12816. 和書の一括注文を終えて


時刻は午後3時半を迎えた。今、空にはうっすらとした雲がかかっていて、風が結構吹いている。外は随分と寒そうだが、この日記を書き留めたら近所のスーパーに買い物に出かけたいと思う。


今日は正午前に両親との月2回のZoomミーティングを行った。2人とも元気そうでなによりであり、日本とオランダでは随分と気候の差があり、お互いの格好がかなり違うことがおかしく思えた。秋の一時帰国の際には一緒に四国旅行に行こうという話になり、秋の一時期国がまたとても楽しみとなった。四国に旅行に出かけたのは小学校の頃に両親と旅行して以来だと思うので、本当に久しぶりである。父曰く、四国の高速道路は随分と整備されて旅行しやすくなっているとのことなので、それも含めて家族での四国旅行を今からとても楽しみにしている。


今日は午後から少し休憩も兼ねて、書籍の一括注文をした。洋書を注文したのではなく、英語の発話能力を鍛えるための教材と唯識学の専門書や一般書を一括注文することにした。合計で33冊ほど書籍を購入したうち、10冊は英語関係のものである。それらは全て英会話力を鍛錬するためのもので、ここでもう一度基本から見つめ直したかったので、今の自分にとってはもはや基礎的に思えるような事柄であっても初心に帰りたいという思いから、基礎的な書籍も購入してみた。英語関係の和書を最後に購入したのはいつなのかわからないぐらいに記憶にない。社会人になりたての頃に留学のために英語関係の和書を購入して以来のことになるので、そうした意味でもどこか新鮮である。とりわけ今回は英会話に特化した文法書や表現集を購入したので、それらのレベル感を見てみることも楽しみである。購入した書籍は唯識学の書籍と同じく、少なくとも4回か5回は繰り返し音読しながら読んでいき、掲載されている表現を自分のものにしていくように積極的に自分なりの例文を口ずさむなどして、表現を体得していきたいと思う。読み物してそれらの書籍を購入したわけでは決してなく、自分の英語のスピーキング能力を向上させる目的で購入したので、その点については忘れないようにしておきたい。受動的にそれらの書物を読んでいてもスピーキング能力は一向に向上せず、表現を口ずさみ、自分なりの例文を呟きながら能動的に読み進めていくことが大切となる。


その他には、漢文を白文のまま読むための漢文のわかりやすい文法書を1冊ほど購入した。英語を英語のまま、英語の語順に従って読み進めていく力が獲得されたのと同じく、漢文も漢文のまま、訓読文の語順ではなくてそのままの語順で読み進めていく力を付けていきたい。それは今後の日本法相唯識学の文献読解とその研究を行っていく際の財産となるだろう。その読解力は一生物の宝となる。


それ以外にもこの秋に訪れる興福寺に関する書籍や、唯識との絡みで空の思想や華厳思想を探究したいと思い、中観思想と華厳思想に関する書籍なども購入した。そして密やかに関心を寄せている仏教論理学としての因明学についての研究書も1冊ほど骨太のものを購入することにした。33冊のうち大半の書籍は来週には到着し、2冊ほど少し遅れて到着する書籍がある。今回の一括注文を受けて、またしばらく書籍の注文は控え、届いた書籍を何回も繰り返し読んでいくことをしていきたい。ここからまた英語のスピーキング能力の向上実践と唯識学の探究に大きな弾みがつきそうで何よりだ。フローニンゲン:2024/6/9(日)15:58

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