⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「サイケデリック唯識ラジオ」の配信をしています。
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タイトル一覧
12808. 今日のゼミナールに向けて/例文作成学習法
12809. 今朝方の夢
12810. 明確な必要性と目的意識/英語の身体的・知的な領域固有性
12811. 第83回のゼミナールのクラスを振り返って
12812. 幸福を実現させるための唯識学
12808. 今日のゼミナールに向けて/例文作成学習法
時刻は午後5時半を迎えた。もうすでに辺りは随分と明るくなっており、早朝の静けさを今味わっている。今日は晴れているにもかかわらず、小鳥の鳴き声がまだあまり聞こえてこない。小鳥たちにも休日があるのだろうか。今の気温は11度と肌寒く、日中も16度までしか気温が上がらない。今夜は7度まで気温が下がるようであり、明日から木曜日まで最高気温は15度ほどとのことである。今こうして暖房の音を聞いていると、今年は夏の訪れは遅く、冬からの寒さを長く引きずる形になっていると感じる。フローニンゲンの夏の訪れはまだまだ先のようである。
今日は午後からゼミナールの第83回のクラスがある。唯識学を扱うのは今日が4回目で、これまでの3回のクラスは大変充実していた。今日もまたきっと充実したやり取りを受講生の方たちと行えるだろう。今日は阿頼耶識を扱う回で、阿頼耶識は唯識学を構成する心の理論の中でも非常に重要な概念であるから、多様な角度から阿頼耶識について対話ができたらと思う。こうして毎週ゼミナールを通じて唯識学を扱うことはその理解を深めることに本当に大きく寄与している。1人での学びでは決して到達できない境地に着実に歩みを進めているのを実感するのである。当然ながら日々小さく自分でも探究を進めているのだが、それだけでは限界がある。「人人唯識」という言葉にあるように、それぞれの経験や資質を持ち寄りながら、ざっくばらんに唯識学について語り合うことを通じて、学びにおける共鳴現象が起きている。そのような場に毎週末身を置けることに感謝したい。
ゼミナールのクラスまでの時間はいつものように英語のスピーキング能力の向上実践に多くの時間を充てたいと思う。すでに昨夜の段階で今日のゼミナールに向けた予習を終えているので、思う存分に英語の発話訓練に臨む。今日の実践では、とりわけ自分の例文を即興的に口に出す速度を上げていきたい。もしかしたらまだ正確性を大事にする時期かもしれないが、とりあえず実験的に正確性以上に瞬発性を意識してみて、どれだけ滑らかに例文が口から出てくるかを観察したいと思う。学習教材の例文の音源を聴いて音読をしていくことももちろん重要だが、それだけに留まるとリスニング力の向上はあってもスピーキング能力の向上はあまり望めない。自分の発音は向上するかもしれないが、自分の頭で文章を生み出すという力は実際に自分で例文を作って口に出してみるというのが最も良い学習方法のように思える。この学習方法をしっかりと確立させていき、その成果を測定することをしてみたいと思う。フローニンゲン:2024/6/8(土)05:43
12809. 今朝方の夢
柔らかい朝日を浴びて、青々とした木々が早朝のそよ風に揺られている。そのような光景を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方の夢に関してまず覚えているのは、今は亡き母方の祖母の家で、両親と一緒に自分の資産状況について話をしていたことである。自ら率先してそれについて話をしたというよりも、2人から質問を受けたのでそれについて説明していた。どういうわけか父よりも母が積極的に自分の資産状況を把握したいようで、質問というよりも詰問を受けるような形で自分が持っている全ての銀行口座と預金額について情報を共有していた。仮に自分の資産を全て把握したいのであれば、銀行預金だけではなくて暗号資産やその他の資産の保有量についても調べるべきなのだが、母の関心は銀行預金だけにあるようだった。一通り銀行口座と預金額について情報を共有した後にふと、そう言えばアメリカの銀行の口座についてはまだ情報を共有していなかったなと思い、それについても情報共有をしておこうと思った。すると祖母が奥の部屋からやって来て、これから自分が外出をする予定がることをリマインドしてくれた。ちょうどこれから名古屋のクライアント企業を訪問する予定があったのだ。それを思い出して、今から出発しようとすると、時刻はもう夜の時間になっており、そもそもクライアントといつ会うことになってのかのかのスケジュールをもう一度確認する必要があると思った。東京と名古屋の間は距離的に近いが、念の為前泊をしておくのも良いかと思った。しかしながら改めてそこでふと、こうしてわざわざクライアントと顔を合わせなければならないというのは日本にいるから起こることで、移動の時間を含めて随分と無駄な時間のように思えたのも確かである。自分が日本にいなければいいのだということを改めて思い、やはり自分は日本を離れてこれからも長く外国で生活をしていこうと思った。そうすれば、物理的に会って話をする必要などなく、こちらとしても異動に向けた種々の準備や移動に時間を充てる必要がなくて好都合だと改めて思った次第である。
この夢以外にも、見慣れない日本の町の上空を飛んで移動している場面があった。そこは外国人がよく訪れる観光地で、交通機関は発達していたが、いかんせん初めての訪問だったこともあり、交通機関の使用に慣れておらず、そうであれば空を飛んで移動した方が早いと思った。とは言え、ある主要駅からは移動経路について理解をしていたので、とりあえずその駅まで空をひとっ飛びしていこうと思って空を飛ぶことにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/6/8(土)06:06
12810. 明確な必要性と目的意識/英語の身体的・知的な領域固有性
時刻は間もなく午前9時半を迎えようとしている。今はうっすらとした雲が空を覆っており、朝日を拝むことはできない。今日は早朝より小鳥たちが大人しく、彼らの鳴き声があまり聞こえてこない。こういう日もある。
早朝より英語の発話鍛錬が順調に進んでいる。学習教材の音源をまずは目を閉じて聴いて、語られている内容を理解する際に情景を思い浮かべる情景想起力を高めることを意識している。そして聴き取れない音を確認することを継続している。とりわけネイティブは音を連結させたり、脱落させたりする形で素早く発音をしていくので、それに慣れていく必要がある。幸いにもそれらには法則性があり、その法則性を掴んで何度も音源を聴き、実際に自分の口を通じて発話をしていくと、音がどんどんと聴き取れるようになる。こうしたことを今意識的に取り組んでいるのだが、逆に言えばこれまでの欧米での12年間の生活ではそうした意識的な鍛錬をほとんどしなかったのである。大学院での研究や仕事に専念する必要があり、そうしたリスニング力やスピーキング力の向上に繋がる努力にまで労力を割けなかった自分がいるし、その必要性をそもそも感じていなかった自分がいる。しかし、今はそれがどれだけ重要なことであるかの明確な認識がある。やはり明確な必要性と目的意識がなければ人は学習や実践に乗り出していくことができないのだろう。必要性と目的意識を持つこと。それがある対象に精通し、習熟するために不可欠なことであることを思う。
今日は少しばかり舌を鍛える意識を持って朝の発話訓練に乗り組んでいた。英語と日本語とでは舌の動かし方に違いがあり、文字通り舌の筋肉を発話を通じて鍛えていくことが重要である。単純に準備運動がてら口を閉じて舌回しをすることは発話訓練に入る前の良き準備になる。舌をよく動かすエクササイズを隙間時間に行い、そこから実際に英文を口に出して発話していくことが、英語固有の舌の動かし方に私たちを慣らしてくれ、それ固有の脳内回路を作り上げていく。ここにも領域固有性の原則を見出すことができる。英語の発話は、身体的にも知的にも領域固有性があるのだ。そのことを念頭に置いた鍛錬が重要になる。フローニンゲン:2024/6/8(土)09:32
12811. 第83回のゼミナールのクラスを振り返って
時刻は午後3時半を迎えた。第83回のゼミナールのクラスを終えて、少し一息つきながら今日のクラスの内容を振り返っている。今日もまたたくさんの振り返りポイントがあるが、それらを全て取り上げているとキリがなさそうなので、印象に残っているものから順番に書き留めておきたい。まずは冒頭で自らがコメントしたことなのだが、唯識学は術語が難解である。すぐさま理解できないような難解な言葉がしかも目白押しなので、それらに最初は面食らってしまうこともあるだろう。しかし継続して術語に触れていると、あるときパッと視界が開かれるような瞬間がやって来る。その現象を受け取る上で重要なことは、様々な人が多様な話題やコンテクストの中でその言葉を使っていることを注意深く聞くことにあると言えそうである。まさに唯識学が大事にしている聞法という実践である。私たち1人1人は真理に貫かれている存在なのだが、そうした存在が発する言葉にも真理が内包されていて、そうした真理を把握するように傾聴していると、その人の真理に裏打ちされた形で語られる言葉に命が宿り、その命の動きが言葉の理解を促進させてくれることがよくある。唯識の学習過程においては他者の話に真摯に耳を傾けてみるということは不可欠だろう。ゼミナールの場で行われているように、唯識の枠組みから語られる体験談や意見は、唯識の専門用語を具体的なコンテクストの中で理解することを助けてくれる。
聴くという実践に加えて、話すということがまた重要になる。唯識学の術語に慣れ、それを成長実践に繋げていくための最良の方法は、自分の関心のある話題や問題意識を持っているテーマについて唯識学の言葉を使って発話してみることである。その原理は英語のスピーキング能力の向上実践と全く同じである。実際に自分でその言葉を使ってみるということをしないと、いつまでもその言葉の理解が深まらないし、仮に理解が深まったとしても知的理解に留まり、体現された知識として成長実践に繋がらないものとなる。日本人の大半が英語教育を受けても英語を一向に話せないのは、話すという実践をしていないからであり、唯識学という実践思想体系においても、唯識の言葉を使って話すという実践をしない限りはその理解を深めることはできないはずである。
最後に、こうして毎週クラスの中で受講生の方たちと唯識についての話を様々な角度からさせてもらえるのは自分としても本当に有り難く、これから8月末までの第1タームの中で、受講生の方々が少しずつ唯識学の全体像が見えてきて、徐々にピースが埋まって理解できて来ることの楽しさを味わってもらえれば幸いである。唯識学にはお手軽には分からないからこそ、分かって来ることの喜びもひとしおであろう。フローニンゲン:2024/6/8(土)15:47
12812. 幸福を実現させるための唯識学
うっすらとした雲が空を覆いながらも、穏やかな雰囲気を発している午後の世界に佇んで、この時を味わっている。ゼミナールの後はいつも充実感に漲る自己がいる。唯識学を扱い始めてからというもの、受講生の顔ぶれも新しくなり、新たな風を毎回感じながら楽しく充実した時間を毎週過ごさせてもらっている。それはまさに贈り物のような時間であり、こちらからそのような時間を生み出したというような意識は一切なく、使役形の中動態的表現として、そうした時間が向こうからやって来てくれたかのようなのだ。流れ星のような美しく輝く時間が今日のクラスでもあったことに感謝したい。こうした時を毎週毎週味わいながらクラスを積み重ねていくことができればと思う。
仏教は幸せに繋がる道であり、個人と社会が幸せになる教えを説いているのだということを忘れないようにしたいということを改めて思うクラスであった。それに繋がる発言をしてくださった受講生の方には大変感謝している。クラスの中でも課題図書を通じて、唯識学の細かな用語を追っていくが、その理解を深めることが最終的なゴールなのではない。唯識学はゴールや目標設定を実体化の産物として嫌うかもしれないが、仏教である唯識学にも明確な方向性があるのであり、それは何かというと、私たちが智慧と慈悲を育んでいくことを通じて、命を輝かせて幸せになっていくことなのだ。毎回のクラスがそれに繋がる一歩になっているかを絶えず確認しながらゼミナールの運営をしていきたいものである。昨日よりも今日一歩心が美しくなれたか、一歩でも幸せを深めることができたか。それを自らに問うていきたい。美しさと幸せを問われる存在であり続けたい。そして唯識学はそれを後押ししてくれるものなのだろう。
無性有情は悟りに至るための無漏の種子を持たない存在だとされる。結局自分がそのような存在なのかどうかは最後までわからないのである。「悟れるか悟れないかは宝くじ的ですね」と述べた受講生の言葉が印象に残っている。無漏の種子があるかどうかが宝くじ的なのであれば、最初からそのようなことを気にしなければいいのである。無漏の種子があるかどうかに気を止む暇があれば、自らと他者の、そして社会の幸福の実現に向けて、学び、実践をしていくことの方がよほど建設的で立派な生き方ではないだろうか。そして自他の幸せが少しでも実現する形でこの世を去る時、仮に仏教の観点から見て悟りが得られなかったとしても、涅槃に至れなかったとしても、それがどうだというのだろう。少なくとも自分は、阿羅漢的に自分だけが救済された人よりも、悟りや涅槃に至れないながらもこの世界で自他の幸福に向けて尽力した人を尊敬する。自分の人生の値打ちは、自分が悟りや涅槃に至ることにはなく、どれだけ自他の命を輝かせ、幸せの実現を果たしたかで決まってくると考えたい。そのようなことを思わせてくれるクラスだった。フローニンゲン:2024/6/8(土)16:08
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