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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12798-12802:2024年6月6日(木)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

12798. シロシビンのアンラーニング効果を通じた英語学習

12799. 今朝方の夢

12800. ライフワークと発話能力の鍛錬

12801. プログラミングと英会話/今朝方の夢の続き

12802. 夕方の晴れ間を眺めながらの今日のトレーニングの振り返り


12798. シロシビンのアンラーニング効果を通じた英語学習 


時刻は間もなく午前4時半を迎える。今朝方は午前4時ちょうどに起床し、もうその時間帯からうっすらと外は明るくなり始めていた。そこから30分経ってみると、もう随分と夜明けの感じがする。日が昇るのはすっかり早くなったが、今朝は起床した瞬間から暖房が自動で入りっぱなしとなっている。今の気温は9度であるからそれも無理もない。今日の日中の最高気温も15度までしか上がらないようなので、午後にジムに出掛けていく際にはジャケットを羽織っていく必要がある。今日は相当な肌寒さだが、週間予報を見るとここから1週間は今日と全く同じような気温である。暖房に感謝し、暖房の頑張りに期待したい。


こうして肌寒さを感じながらも、日々の取り組みは着実に前に進んでいる。日本法相唯識学の欧米社会での宣揚を重要なライフワーク1つとして掲げながら、その実現に向けて不可欠な英語の発話能力の鍛錬に思う存分毎日取り組むことができている。これまでもすでに英語脳は出来上がっていたのだが、それはとりわけリーディングに強みを発揮するものであり、スピーキングに関してはまだまだ改善の余地があった。自分でも薄々気づいていたが、英語で話をしている時についつい接続詞などが書き言葉で用いるような非常に硬いものになりがちであり、スピーキングの質感がどこかライティングのようなものになりがちであった。本来であれば順序が逆で、スピーキングを通じてライティングやリーディングが展開されるというのが自然である。どの言語もまずはその言語のネイティブは話すことから学習を出発させる。そうした自然な学習順序とは違う形で自分は英語を学んでいた、あるいは学校教育においてそのように学ばされていたのであり、これまで学んだ思考習慣を一度アンラーニングさせる形で今発話鍛錬に取り組んでいる。もう25年以上も学んだやり方を手放してアンラーニングすることは難しいかと思ったが、意外とそうでもなく、アンラーニングは速やかに実現されている。しかもそこに楽しさや喜びの感情が伴っていることは特筆するべきことである。おそらくライフワークと紐づいた明確な目的意識があることがそれを後押ししているのだろう。それとシロシビンの実証研究で興味深いものがあるように、それは学習の臨界点を修正し、アンラーニングを促す効果があるのだ。確かそこでの研究調査も言語学習と対象にしていたのではなかったかと思う。新たな言語を学ぶ際の臨界点は幼い頃に設定されているが、シロシビンを含めたセロトニン系のサイケデリクスはその値を変え、幾つになってもアンラーニングをして新たな言語獲得に向けた脳を作り直してくれる働きを持っている。こうして隔週でシロシビン・セッションを実践することになったのも、1つには英語の発話能力をもう1度やり直して学習するためだったのかもしれない。ここにもまた諸縁を感じる。ここからは隔週で脳をリセットし、英語を幼児のように吸収する形で発話能力を極限まで高めていく試みに従事していきたいと思う。フローニンゲン:2024/6/6(木)04:40


12799. 今朝方の夢  

 

時刻は間もなく午前5時を迎える。辺りは随分と明るくなり、起床直後から鳴き声を上げていた小鳥たちの清澄な鳴き声が聞こえてくる。ただし今日は室内で暖房が音を上げて働いてくれているので、小鳥たちの鳴き声はいつもより聞こえにくい。


小鳥たちの鳴き声と暖房の音を背景にして、今朝方の夢について振り返っている。今朝方は夢の中で、大学入試の問題を解いていた。夢の中の自分は見慣れない学校の教室にいた。そこには子供はおらず、その代わりに大人たちが学生として席に着席していた。しかも彼らの大半は随分と年配であった。まず最初にその教室で戦前の京大の入試問題を解くことになった。科目は国語で、問題用紙の作りも古風ながら、問題そのものも随分と古風な感じがした。国語の問題のはずなのだが、どこか社会のような教養問題のように思え、思考力を試すよりも知識力を試すような問題だった。最初の設問の答えは「徒然草」だろうと思ってそれを書き記し、次の問題に移っていこうとした時に1度下まで全ての問題に目を通した。すると、大半の問題には解答できそうだぞという見通しが立ち、焦ることなく解答を書いていくことにした。すると突然、自分は瞬間移動して別の教室にいた。その教室でも大学入試の問題を解くことが行われており、その教室では東大の文系数学の問題を解くことになっていた。その教室でもまた年配の人たちが席に着席していて、問題の配布を待っていた。私も早々に席に腰掛けて、問題用紙が配られるのを待った。いざ問題用紙が与えられて問題を解き始めると、数学の解法を随分と忘れているようであったが、なんとか1問目は完答できそうだと思った。実際に完答してみると、少し離れたところにある高齢の男性が笑みを浮かべて問題を解いている姿が見えた。どうやらその人は東大のOBのようで、入試問題が懐かしく感じられたのであろう。試験中ではあったが、私はすでに問題に解答し終えていたので、解答を終えた人は立ち上がって教室を移動することが許可されており、私はその方のところにいった。そしてそこで問題の出来について話し合った。どうやらその方は自分が完答した1問目の最後の問題に苦戦したとのことだった。途中の小問までは解答がお互いに同じだったが、最後の問題だけ答えが割れた。2人のどちらの答えが正しいのか、あるいははたまた2人とも不正解なのか気になるところだったが、お互いに最善を尽くした清々しさがあった。その方の机には、問題を解いている最中に飲んでいた抹茶が入ったカップと抹茶を点てる道具があったのが印象的である。フローニンゲン:2024/6/6(木)05:06


12800. ライフワークと発話能力の鍛錬 


黄金色に輝く朝空。夜明けを完全に迎え、今、橙色に輝く朝空を眺めている。いつもとは少し違って、先ほどまで鳴いていた小鳥たちは一度休憩に入ったようで、彼らの鳴き声は聞こえてこない。その代わりに暖房の音だけが聞こえている。美しい朝空の輝きと程よい寒さがミックスした朝の中で、今日もまずは英語の発話能力の鍛錬に取り掛かりたい。それは欧米社会での日本法相唯識学の宣揚というライフワークと直接的に結びついたものであり、こうした明確な目的意識があるおかげで毎日集中し、そして充実した形での発話トレーニングがある。なるほど、これまでの自分は英語のスピーキングに関してはそうした目的意識がなかったのである。確かに欧米の大学院で教鞭をとることも視野に入れていたが、それは自分の専門領域だけに閉じた非常に限定的な英語の発話だけでなんとかなると考えていた節があり、特に意識的に発話能力の向上などしなくてもいいと思っていたような気がする。しかし新たに芽生えたライフワークでは、もちろん唯識学に関する領域固有の英語を彫琢していくことが求められるが、広く一般人にも唯識学の叡智を平易な言葉で伝えていきたいという思いがあり、より領域を拡張した領域全般的な英語力が求められる形となった。発話において、領域特定型の英語から領域全般型の英語へとシフトを強いられたことが発話能力の鍛錬に火をつける形になったのである。最初この変化を受けた時、また厄介な課題がやって来たなと一瞬思った。本来であれば、唯識学に関する文献をひたすら読んで論文なり書籍なりを執筆していくことだけに集中できればそれに越したことはないと思っていた。しかしひとたび自分の発話能力を見つめ直してみると、課題がわんさかと見つかり、その課題を克服していくことが一種の喜びとなった。それはまるでゲームをしているかのような楽しさがある。新たな課題が現れ、それを克服するとまた新たな課題が現れるという循環構造がある。時に、あるいは往々にして同時並行的に複数の課題が立ち現れるのだが、そうした課題に対して課題の分析をして、課題の克服に向けた打ち手を考え、それを実行して成果を検証することが科学者としての仕事をしていた時を彷彿させる面白さがある。そうした課題解決的な要素は多分にゲームの世界に見られるもので、自分はこの夢の世界をゲームの世界としても生きているようだと改めて思った。鎌倉時代の学僧の良遍の「観心覚夢」という言葉は、現代風に言えば、心を観じてゲームの世界から覚めていくという表現にすることもできるだろう。こうした日々の実践上の楽しみとしての発話能力の鍛錬も、この夢の世界すなわちゲームの世界の出来事なのだが、それに対して斜めに構えて虚無的になることなしに、この能力を高めることを通じて多くの人たちが夢とゲームの世界から覚めて自由に生きれる後押しをしたいと思う。朝焼けの輝きを眺めながらそのようなことを思う。フローニンゲン:2024/6/6(木)05:43


12801. プログラミングと英会話/今朝方の夢の続き


時刻はちょうど午前9時半を迎えた。優しげな朝日が美しく輝いており、そっと地上に降り注いでいる。今日は珍しくこの時間帯にあまり小鳥が鳴いていない。一体どうしたのだろうか。朝の穏やかな世界の中で、温かい抹茶を飲みながら英語の発話能力の向上実践に長く取り組んでいた。この時間帯ですでにかなり学習が進み、とても良い気分である。今日は午後からジムに出かけるが、それまでの時間まだまだ時間があるので、唯識学の探究を息抜きにしながらも、英語の発話実践に精を出していきたい。


フローニンゲン大学に在籍していた当時は統計ソフトのRを活用するために、プログラミングコードを書く訓練をしていた。その時の記憶をふと思い出しながら、プログラミング学習においてコードをただ眺めていても力が付かず、実際に自分でコードを書くことが力を付けていったのと同じく、英語のスピーキング能力の向上においては、実際に自分で例文を作って口に出すことが重要になるということを改めて思った。英語の発話はプログラミングのコードを書くことと同じことなのだ。とにかく実践あるのみで、手を動かしてコードを書くことをしなければ、いつまでもコードが書けるようにはならないのと同じく、口を動かして実際に発話を積み重ねていくことが英語の発話能力の際に欠かせない。こうしたことは考えてみれば当たり前なのだが、日本の受動的詰め込み教育を受けてきた多くの人にとってはそれが意外と難しいのである。また、それができる領域もあればできない領域もあるというように、それは領域全般的かつ領域固有的な性質を持つから厄介である。自分がどの分野の実践に従事し、その実践を阻害する心理要因は何なのかを特定し、それと向き合いながら絶えず実践を通じて学習していくことは多くの人にとって本当に重要なことかと思う。


この時間帯になってふと、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で、パーソナルトレーナーのエリーザにパーソナルトレーニングを毎週30分にしてもらうようなお願いを受けた場面があった。ちょうどジムに行った際に、彼女と受付け近くで遭遇し、その時に彼女からそのようなお願いを受けた。どうやら彼女は今度参加するコンペンションに向けて自分のトレーニングに時間を充てたいようだった。隔週で1時間のパーソナルトレーニングを受けているものを毎週30分に分割することによって彼女にとってどれだけ都合の良いことはわからなかったが、そのようなワークアウトの仕方を試してみるのも悪くないかと思ったので、彼女の提案に乗ってみることにした。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/6/6(木)09:38


12802. 夕方の晴れ間を眺めながらの今日のトレーニングの振り返り 


時刻は午後4時半を迎えた。今、夕方の穏やかな空が輝いている。今日は結局天気予報とは異なって、小雨が降らず、早朝には朝日が輝き、午前中の途中からは雲が出て来たものの、午後からは晴れ間が広がり始めた。ジムの帰り道では特に雲がほとんどなくなって、太陽が輝いていた。そのおかげで外気は低いもののさほど寒さを感じることなく帰ってくることができた。ジムで体を動かしたこともあり、羽織っていったジャケットが自宅に着く頃には少し暑く感じられたほどである。


今日のジムでのトレーニングも全身をくまなく鍛えていった。前回のトレーニングを受けて、今回はメニューを少し変えて筋肉に異なる刺激を入れていった。ダンベルで行うルーマニアンデッドリフトを前回行った際に、際限なく繰り返し行えそうで負荷量が足りないかもしれないと思っていたが、やはり100回近く行っていたこともあってか、ちゃんとそれは筋肉に効いており、ハムストリングに幾分筋肉痛がまだ残っている形で今日もその部位を鍛えた。今日はダンベルではなくバーベルを活用し、筋肉痛があったので負荷量を落とし、その代わり今回も回数をかなり多くこなしていった。ダンベルを用いた大胸筋のトレーニングも月曜日にかなり追い込んで鍛えていたためか、筋肉痛が残っていたので無理をせず、それでいて十分な回数をこなしていった。木曜日から月曜日にかけては十分に休息時間が取れるので、木曜日ではできるだけ追い込んだ形でのトレーニングを採用するようにしている。ジムで上半身の筋肉を鍛えている時には自然と上腕二頭筋を結構使うことが多いので、ジムであえてその箇所を鍛えることをしていない。なので明後日の月曜日には上腕二頭筋と前腕の筋肉、そしてふくらはぎに絞って自宅で鍛えたいと思う。ジムと自宅でのトレーニングの併用も随分と板に付いてきた。フローニンゲン:2024/6/6(木)16:53

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