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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12774-12778:2024年6月1日(土)




⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

12774. スピーキング能力の向上実践の進展と注意事項

12775. 今朝方の夢

12776. 漢文読解の実践/工夫を凝らした徹底的な反復練習

12777. 今朝方の夢の続き

12778. 第82回のゼミナールのクラスを終えて


12774. スピーキング能力の向上実践の進展と注意事項

   

時刻は午前4時半を迎えた。今、空がダークブルーに変わり始めており、ここから本格的に夜明けを迎える。夜明け前の今、小鳥たちがもう鳴き声を上げ始めている。聞こえてくる音は小鳥たちの鳴き声だけであり、土曜日の夜明け前の世界がとても美しく輝いている。昨日のこの時間帯は気温が10度ほどと大変冷え込んでいたが、今朝は16度ほどある。とは言え室温は昨日とほぼ同じであり、とても肌寒いことには変わりない。少し前に夏日が続いた時にお風呂のお湯の温度を下げていたが、昨日からまた温度を上げて冬の時と変わらない温度設定にした。それくらいにまだまだ寒さが残っている。来週に至っては、最低気温が10度を下回って8度にまで落ちる日があるようだ。寒さには気をつけて過ごしたいと思う。


今日もまた英語のスピーキング能力の向上実践を核にして、唯識学の研究などの自らの取り組みを前に進めていこう。ここ最近は毎日コンスタントに8時間以上はスピーキング能力の向上実践に取り掛かっており、着実にその能力が磨かれているのを実感する。脳内での英語での独り言も以前よりもスムーズに言えるようになり始めており、ここから継続して実践に取り組み続けていれば、日本語で独り言を言うレベルまでに発話能力を高められるかもしれない。そうなれば、ネイティブレベルどころではなく、ネイティブを超えたレベルに到達したと言えるのではないかと思う。ここから自分はその次元を長期目標に設定して、毎日コツコツを実践を深めていく。来週ぐらいにまた唯識学に関する文献を日本から一括注文しようと思っているのだが、その時に英語の文法を含めて、何冊か英語のスピーキング能力を伸ばすための学習教材を購入しようと考えていた。しかし昨夜それを考え直した。と言うのも、英語のスピーキング能力を伸ばしていくためには兎に角実践あるのみであり、書籍を通じて学べるのは英語に関する知識なのであり、それを通じてスピーキング能力を高めていくというのは非効率的であるように思えたのだ。今使っているいくつかの学習教材アプリを何度も繰り返しやり込んでいく方がスピーキング能力の向上の近道だと思ったのである。書籍を購入して書籍から学びを深めようとすること自体は悪くなく、唯識学のような学術的な要素を含めて学びを深めたい場合には書籍を購入して学びを深めていくのは最良の手段である。しかしながら、英語のスピーキングに関して言えば、それは兎に角実際の発話をしていくという実践が何よりも大事なのであり、日本語で解説された文法事項や音声の付いていない教材などを目で追って学んでいこうとする姿勢はあまり好ましくない。自分の長所でもあり、短所でもあるのは、兎に角大量の書籍を読んで学びを深めていくという姿勢であり、今回の英語のスピーキング能力の向上実践に関して言えば、書物から学んでいくという方法は得策ではないと思われた。なので今回は英語の書籍については購入を控え、引き続きアプリを通じて実際に声に出しながら単語を入れ替えたりしながら自分で例文を作っていく形での発話練習をしていこうと思う。唯識学関連の書籍以外に購入するものとしては、唯識学の探究で必要な漢文を読解するための文法書を購入するぐらいである。フローニンゲン:2024/6/1(土)04:53


12775. 今朝方の夢      

 

時刻は間もなく午前5時を迎える。先ほどよりも空が少しずつ明るくなってきているが、完全なる夜明けはもう少し先である。そんな中、小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っていた。今朝方はいくつかの夢を見ていたので、覚えているものから順番に書き留めておきたいと思う。


夢の中で私は、今から随分と前に協働していたある女性の方が運転する車の助手席に座っていた。その方の地元である四国を案内してもらっており、まずは香川を観光していた。香川はその方の地元でもあることもあり、車で走っている最中にもいくつもの見所を指差してもらいながら観光名所を案内してもらった。その方があまりにも熱中して説明をしてくれるものだから、運転が時折疎かになってしまうことがあり、それにはヒヤヒヤしたが、色々と見所について説明をしてもらえることは有り難かった。しばらく車を走らせた後、ガソリンスタンドで一度停車した。するとそのガソリンスタンドには不思議な自転車が置いてあった。それは自転車のようでいて、同時に車のようでもあった。運転席が2つあって、2人が運転席に腰掛ける形でペダルを漕いで前に進めるような仕組みになっていたのである。その方曰く、この自転車は競技用らしく、この辺りでは時折レースが行われているようだった。試しにそれを漕いでみたいと思ったので、その方と一緒に運転席に腰掛け、ガソリンスタンド内を少しだけ走らせてもらうことにした。すると、運転が新感覚でとても楽しく感じ、まだまだ運転をしていたいと思ったが、次の行き場があることを思い出したので運転を早々に切り上げた。いざガソリンスタンドを出発すると、突然お腹が鳴り出し、空腹感がやって来た。そう言えば、今日は昼食を食べていなかったなと思い、夕食までまだ時間が随分とあったので、その方にお願いしてそばかうどんの美味しい地元の店に連れて行ってもらうことにした。その方は笑顔で「もちろん」と述べて、目的地への移動をちょっと寄り道する形で定食屋に向かうことにした。そのような場面があった。


この場面以外に覚えているものとしては、小中時代の学年で一番背の高かった友人が、かつての彼自身について振り返り、自らの振る舞いや在り方に対して涙ながらに懺悔している場面である。彼は事前に用意した文章を私を含めて、数人の友人たちの前で読み上げ始めた。その文章の中で、当時の自分が強さを求め、心を涵養することなくいくつもの小手先の技術を高めることに躍起になっていたと反省していた。そして最後には、当時の自分の振る舞いや在り方は横暴で、宗教的に極端で危険な原理主義者的な在り方をしていたと涙を浮かべて述べたのである。その懺悔は私の心を打ち、彼の涙を初めてみたことへの驚きを含め、彼への共感の念が大きく花開いた。そのような夢を見ていた。


夢の中の彼は自分のシャドーの写し鏡なのだろうか。自分にも極端で危険な原理主義者的な在り方があったのではないかと反省させられる。きっとそうした在り方があったのだと思うし、逆に極端に走れるということは自分の強みでもあり、両極端に振れることを通じての中庸の道を歩むためにはきっと必要な在り方だったのだと今なら思える。フローニンゲン:2024/6/1(土)05:12


12776. 漢文読解の実践/工夫を凝らした徹底的な反復練習


どうやら今日は1日を通して曇りがちのようである。時刻は午前6時を迎えて辺りはすっかりと明るくなったが、朝日が照っているわけではないので、朝の世界を眺めているだけで肌寒さを感じてしまう。今日もまたそれくらいに冷えている。今日は午後1時からゼミナールの第82回のクラスがある。今日のクラスでは課題図書の第3章を扱う予定で、今日もまた受講生の方々の実践の進捗を聞くのが楽しみであるし、課題図書の該当箇所を読んでの感想やそこから生まれた実践案を聞くのがとても楽しみである。ゼミナールのクラスの開始まではいつものように朝の時間を過ごしていく。英語のスピーキング能力の向上実践に多くの時間を充てながら、その息抜きとして唯識学に関する鎌倉時代の文献を読み進んでいく。訓読文を読むことはもう習慣となり、朝のこの習慣を継続していけば、訓読文を読み解く力が高まっていくだろう。今はもう訓点に頼らずに、まるで英語を読む時と同じく一切返り読みしない形で漢文を漢文のまま読むことを意識して文献読解を進めている。この実践の継続によって、漢文を自由自在に読み解ける境地に近い将来に至れるはずだ。英語でそのような境地に至ったのであるから、漢文でそれができないはずはない。むしろアルファベットよりも漢字の方が自分の言語的DNAには親しみのあるものなのだから、尚更漢文の自由自在な読解がいつの日か実現されるだろう。その実現を促進する上でも、今月の書籍の一括注文の際には漢文の実践的な文法書を求めたいと思う。今一度ここで句法を含めた漢文の文法を復習しておくべきだと思う。漢文にも英語と同じく文章上のルールがあり、ルールを知っているのと知らないのとではその理解に雲泥の差を生む。そうしたこともあり、文法を大切にした形で文献読解という紛れもない実践にこれからも精を出していく。


今日これから取り組む英語のスピーキング能力の向上実践において、また色々と考えていた。この実践においては兎に角反復をして表現を体に染み込ませていくことが重要なので、無駄に多くの教材に手を出さないことが得策である。今使っている教材に限定して、それを何度も繰り返していくことをここから強く意識しよう。スピーキング能力を高めるための文法事項の復習に関しても、今使っている教材で十分だとほぼ確信しているため、新しく書籍を購入することをしないようにしたい。もちろん本当に必要なものがあればそれを購入したいと思う。例えば、今の自分にとって盲点となっているものを明らかにしてくれるような良書があれば入手して読み進めたいと思うが、そうした書籍以外は今のところ必要ない。仮に今使っている教材を数限りなく反復して、もう汲み取ることがないというところまでやり込んだら新たな教材として何か書籍を求めてもいいかもしれないが、今はとにかく今使っている教材を徹底的にやり込んで反復していくことに限る。惰性で反復するのではなく、常に工夫を凝らした反復練習を楽しんで行っていくことが何よりも重要だ。フローニンゲン:2024/6/1(土)06:08


12777. 今朝方の夢の続き


時刻は午前7時を迎えた。早朝の英語のスピーキング実践に従事し、洗濯物を干し終えたので、ここで一度休憩がてら筋力トレーニングをして、少し早めの朝食を摂りたいと思う。今日の自宅でのトレーニングでは、上腕二頭筋、上腕三頭筋、前腕、そしてふくらはぎの筋肉を鍛えていきたいと思う。


筋力トレーニングに向かう前に今朝方の夢の続きを思い出したので、それについて書き留めておきたい。そう言えば夢の中で、色や形の違う幾つかの硬い箱で出来た跳び箱を飛んで海に飛び込んでいく場面があった。最初にその遊びなのか課題なのかわからないが、それについて説明を聞いた時、自分を含めてその場にいた人は誰もそれに挑戦しようとしなかった。すると後ろから声が聞こえて来たので振り返ってみると、父が小走りで向かって来ており、その課題に父が真っ先に挑戦するとのことだった。果たしてその段差の高い箱を飛び越えて無事に海に飛び込んでいけるのか、私は少し不安だった。父を心配げに見つめながら、うまくいってほしいと願う自分がいた。父はいざ助走をつけて跳び箱に向かっていき、大きくジャンプをしたところ、最後の段に足が掛かってしまいそうだったが、見事にその段を蹴り飛ばす形で向こう側の海にドボンと落ちていった。父の成功を見て、その場にいた人たちは全員に盛大な拍手を送った。勇敢な父の姿に心を打たれたのか、そこからは次々とその課題に挑戦しようとする人が現れ、跳び箱の前には列が出来た。そのような場面があった。


この場面以外にも、不思議な屋敷でゲームを行っている場面があったのを覚えている。そのゲームは数多くある部屋で出されるお題に応えていく形で屋敷から脱出するものだった。私は挑戦者ではなく、仕掛け人側に回っており、これから挑戦者を迎え打つことになっていた。このゲームの創造主である顔の見えない人の指示に従って、次々に各部屋の担当者が割り当てられ、私は後半の部屋を担当することになっていた。前半の部屋の方では、サッカー元日本代表の若いストライカーが割り振られており、その選手の部屋の課題を克服することは多くの挑戦者にとって難しそうだぞと思った。そこから他の部屋の担当者がどのような人なのか確かめようと思って色々と屋敷内をうろうろしていると、不気味な雰囲気を放っている空間に出会した。そこは2つの部屋が一緒になって広いスペースとなっていて、2人の担当者がそこにいた。それぞれの担当者が対角線上に部屋の隅にいて、静かに座っていた。そのうちの1人と目が合った時、その男性は突然私の方に向かって走ってきた。私の横には小中高時代の友人(YU)がいて、その男性は友人の彼を挑戦者だと思って襲撃しようとしていた。その男性の目付きから察するに、精神異常者だと思われたので、私たちはその場からすぐに立ち去ることにした。しかしその男性は私たちを追いかけてきて、結局私たちはまるで挑戦者であるかのようにその屋敷から脱出しなければいけなくなった。幸いにも自分は脱出ルートについて精通していたので、友人を救うためにも脱出ルートを案内し、速やかに屋敷から出ていくことにした。屋敷を出る最後の関門は高く聳え立つ門であり、それを登って向こうに出ればもう安全であった。私は門の登り方と降り方の双方を友人にデモンストレーションし、彼が無事に門の外に出るのを見届けてからまた屋敷に戻ろうと思ったが、もはや自分も門の外に出てこのゲームから解放されたいと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/6/1(土)07:23


12778. 第82回のゼミナールのクラスを終えて 


時刻は午後4時を迎えた。今日は早朝から本当に冷え込む1日だった。正直なところ、下にヒートテックを着用するか迷うほどであったし、靴下を履かないと足先から冷えるような状態であった。どうやら明日は今日よりも気温が低く、最高気温は16度までしか上がらないようなので心しておこう。


夕方の世界を味わいながら、今日のゼミナールのクラスについて振り返っている。クラスの余韻がまだ残っていて、それを見ても今日のクラスの充実感を感じさせる。それは控えめで静かなものであり、決して大袈裟なものではないことが逆に好ましい。ささやかな充実感や幸せを毎日感じることができたらもうそれで十分である。


今日のクラスの中である受講生の方が、課題図書に書かれていた「悠然として南山を見る」という言葉(中国の詩人陶淵明の詩の一節)に注目して、ご自身の考えを表明してくださった。そもそもその言葉の意味するところは、俗世間から離れ、心を煩わすものから解放されて自然を楽しんで生きる心境を表す。どこか今の自分の心境を表している言葉ではないだろうか。今この瞬間に聞こえてくる小鳥の鳴き声が風の音が自然との一体を自然と行なっている自分の有り様を映しているように思える。もちろんこの有り様はこれからまだまだ深めていくことができる。じっくりとこの有り様を深めていくための学びと実践に従事していきたいものである。とにかく肩肘張らずに自然体で学びと実践を継続させていこう。そのようなことを改めて思う。


その他にも今日のクラスで印象に残っていることは、中動態という言語の使用に関するトピックである。私たちは言葉で迷い、言葉を通じて苦しむ生き物であるのと同時に、言葉の使用を見つめ直し、言葉への囚われから脱却することができれば、言葉を通じて人生を豊かにしていくことができるのである。その際に、能動態・受動態という表現ではなく、中動態という表現形式の言葉をまずは意識的に活用してみることは、存在の新たな扉を開けてくれるように思える。ここからまた来週までのクラスに向けて、自分でもあれこれと創意工夫をして、今よりも一歩広く深い智慧と慈悲の獲得と共有に向けた取り組みに従事していきたい。フローニンゲン:2024/6/1(土)16:26

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