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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12755-12759:2024年5月27日(日)




⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12755. 自宅での朝のトレーニングに向けて

12756. 今朝方の夢

12757. 目的意識と集中力を持った学習・実践

12758. 役者兼作曲家としての意識を持ったスピーキング能力の向上実践

12759. 漢文を読むかのように/マーシャルアーツの稽古のようなスピーキング実践


12755. 自宅での朝のトレーニングに向けて    

   

時刻は午前5時半を迎えた。今この瞬間の空にはうっすらとした雲が覆われている。昨夜はどうやら雨が降ったらしく、1階の浴室の天窓に雨滴が付着していた。雨が降ったこともあってか、2階の室温も随分と下がっていて、今日はかなり肌寒い。6月を前にして冬の終わりの時代に逆戻りしたかのようである。そう感じれてしまうぐらいに今の気温は低い。今日の最高気温も18度までしか上がらないで、1日を通して過ごしやすい形となる。こうした涼しさは自宅で筋力トレーニングをするにはもってこいである。ちょうど今日は自宅でVRTXバンドを用いてトレーニングしようと考えていた。昨日はジムでトレーニングをして来たのだが、ジムで焦点を当てて鍛えていない部位があるのでそれらについて自宅でVRTXバンドを活用して鍛えていきたいと思う。具体的には上腕二頭筋、上腕三頭筋、前腕、肩、脹脛の筋肉群である。前腕を道具なしで鍛えることはかなり難しかったので、VRTXバンドは重宝される。また、上腕二頭筋についても同じく、ダンベルなどがないとなかなか鍛えづらかったので、ここから腕の筋肉は自宅で随分と鍛えていくことができるのではないかと思う。肩についてはこれまでジムで鍛えていたが、その部位についても自宅でVRTXバンドを用いれば十分に鍛えられると思ったので、昨日はそこに焦点を当てることをしなかった。


朝の筋力トレーニングを空腹の状態で行うと筋肉が分解されてしまう恐れがあるので、ある程度の栄養を摂って少ししてからトレーニングするようにしている。朝の呼吸法を終えて簡単な動的ストレッチをした後に、ヘンプパウダー、小麦若葉パウダー、カカオパウダーを混ぜて蜂蜜を加えたものを朝一番の栄養補給のドリンクとして飲んでいる。最近はお湯でそれらのパウダーを溶かした後に少々豆乳を加えるようにしていて、それによってタンパク質量も若干増えている。この飲み物でだけでタンパク質は14.5gほどあり、カロリーも180kcalほどある。これを飲んだら朝の活動に従事し、お腹が減ってきたら朝食を食べるというのが最近の朝の様子である。しかし今日は朝に筋力トレーニングを少々行うので、黒豆の水煮を作る調理に並行してサツマイモをレンジで蒸し、そこにヘンプパウダーを加えたものを食べたいと思う。それを摂取すれば筋力トレーニングに向けての栄養補給として十分であろう。トレーニングの日や翌日に何を食べるのかの工夫も引き続き意識して行っていきたいと思う。今こうした工夫のおかげで着実に体が良い方向に変化しつつある。フローニンゲン:2024/5/28(火)05:41


12756. 今朝方の夢


朝の冷たい世界に小鳥たちの清澄な鳴き声がこだましている。先日家のオーナーのフレディさんと立ち話をしたおかげで、今聞こえてくる鳴き声の主がコマドリだと知ってどこか嬉しい。ようやく彼らの名前を知れたことによって、より一層彼らに親近感を感じる。人間同士のコミュニケーションでもそうだが、相手の名前を知っているのと知らないのとでは親近感は随分と異なる。ここにも名前の重要さ、名前が持つ力を感じる。


今朝方は、今にないものを作るのは識であり、それが未来に向けた創造の全てなのだということを伝える夢を見ていた。そのメッセージを発していたのは紛れもなく自分であり、講演会場のような場所で多くの人たちに向けて話をしていた。将来の自分の姿にせよ、将来にやりたいことにせよ、それらは全て今この瞬間の自分の識次第なのである。人は妬みや嫉妬やお節介から、将来の自分の姿や将来にやりたいことを口に出した時に批判や否定をするかも知れない。しかし、そんな批判や否定は一切気にすることはない。なぜなら、自分の将来のなりたい姿ややりたいことを想像した瞬間に、それはもう出現する未来が今その自分の意識の中にちゃんと創造されて存在しているのだから。全ては自分の識の中での想像と創造次第なのである。今にないものを今この瞬間に生み出す力を持っているのが私たちの識なのである。そのようなことを力説している自分がいて、会場にいた人たちは自分の主張に強く同意してくれているようで、彼らの目が講演前とは打って変わって輝き始めていた。そのような場面があった。


それ以外には、実際に通っていた中学校の体育館に似たような場所にいて、全校生徒の前で部活の恩師の先生の主張に対して反論を提示している自分がいた。ちょうど全校集会が終わりに差し掛かっている時に、先生が重要なことと言いながら私たち生徒にメッセージを投げかけた。それはどこか抑圧的なものに思えたので、自分は自らの考えをその場で主張した。その主張の論拠も論理も全てが先生の主張を上回っていたこともあり、先生は何も反論できずに黙っていた。そこから私は全校生徒に向けて、自分たちが持っている潜在可能性を解き放とうと大々的に主張した。最初生徒たちは遠慮がちな表情を浮かべていたが、自分がスピーチを続けていけばいくほどに、彼らの表情は明るくなり、彼らは徐々に力を取り戻していくのが見えた。生徒は学校という場で教育を受けているという体裁で力を奪われているのであり、自分はそのことに大きな問題意識を持っていた。本来持っている力を取り戻すこと。力の復権と力の解放を進めていくことを自分はこの社会の中で役割として担っているのかも知れない。それを実現するための啓発的な活動に従事していきたいと改めて思わせる夢だった。フローニンゲン:2024/5/28(火)05:54


12757. 目的意識と集中力を持った学習・実践


時刻は午前6時を迎えた。起床直前に空を覆っていた薄い雲はどこかに消え去り、今穏やかな朝日が地上に降り注いでいる。それを祝福するかのように小鳥たちが甲高い鳴き声を上げている。どうやらコマドリではなく別の種類の小鳥もやって来たようで、コマドリの透き通る鳴き声に加えてその甲高い鳴き声が彩りを加えている。


つい先ほど朝の呼吸法と簡単な動的ストレッチを終え、黒豆の水煮の調理を行い、その後にレンジで蒸したサツマイモをいただいた。ジムでのトレーニングの翌日の朝は普段よりも早くお腹が空き、身体が栄養を欲しているようなので、今後もトレーニングの翌日の朝にはトレーニングのご褒美としてサツマイモを食べるようにしたいと思う。近所のオーガニックスーパーではサツマイモがセットではなくて単体で販売されているので、毎回ジムの帰りにスーパーに立ち寄る際には1本だけサツマイモを購入して翌朝に食べたいと思う。これで朝の栄養補給はひと段落し、ここから本格的に朝の活動に取り掛かっていく。まずは集中して1時間半ぐらいを英語のスピーキング能力の向上実践に充て、それが終われば気分転換に朝の筋力トレーニングに励みたいと思う。そこでのトレーニングでは無理をすることなく、明後日のパーソナルトレーニングで体をしっかりと動かせるように、大きな筋肉群については鍛えないようにする。今朝方の日記で書き留めた比較的小さい筋肉群に焦点を当ててトレーニングするのが今日のトレーニングの目的であり、自宅でのトレーニングの趣旨はそれである。目的を明確にしたトレーニングの重要性。細かな部位に意識を集中させて行うトレーニングの重要性。それは何も筋力トレーニングにだけ当てはまることではなく、英語のスピーキング能力の向上実践においても当てはまることであるし、唯識学の研究においても当てはまることだ。それらを決して惰性で行わず、常に明確な目的意識を持って意識を集中させて学習や実践に取り掛かりたいと思う。英語のスピーキング能力について言えば、今日もまた消失音と連結音を意識し、学習教材の例文を自分なりにアレンジして自分の例文として発話することを大切にしていきたい。とりわけそれは4周目の際には尚更意識したい。唯識学の研究においては、今日から再び唯識学における修行論について本格的に講義動画を作っていこうと思っている。これまで見逃していた細かな論点や概念を押さえながら、ゼミの受講生の方たちの心の成長実践に少しでも繋がるような解説動画を作っていきたいと思う。何事においても目的意識を持ち、集中して活動に取り組むということをこれからも絶えず心掛けていこう。朝日を拝みながらそのようなことを思う。フローニンゲン:2024/5/28(火)06:48


12758. 役者兼作曲家としての意識を持ったスピーキング能力の向上実践 


今から朝の英語のスピーキング能力の向上実践に集中して取り組んでいく。それが終われば筋力トレーニングをして、朝食をいただこうと思う。


スピーキング能力の向上実践においては、とにかく創造性と即興性を働かせて、その実践を楽しみ、喜びの感情に絶えず包まれるように意識している。いやもはやそれは意識せずとも実現されているものであり、だからこそ1日に何時間もこの実践に従事できるのだと思う。また、日本法相唯識学を欧米社会で英語を用いて宣揚していくという使命感に燃えていることもあり、その動機が英語のスピーキング能力の向上実践を強く後押ししていることは言うまでもない。こうした明確な目的意識と動機があるところに自身の創造性と即興性を発揮できる余地があることがこの実践を楽しいものにしているのだろう。


この実践においては、演劇をするかのように、作曲実践をするかのように、身振り手振りを創造性を発揮させて自分の例文を作っていくことを大切にしている。より具体的には、学習教材の最初の3周ぐらいは演劇的側面をまずは大切にし、読み上げられる音源をまずは目を瞑って聴き、聞き取れない箇所を明確にしてその理由を考察していくことを意識している。そして実際に自分の口を通じてその例文を音読していく際には、できるだけネイティブの発音に近づけることを意識し、まるで自分がネイティブスピーカーであるかのような意識を持ち、同時にその例文に含まれる感情的要素をきちんと汲み取って、役者のように感情を込め、身振り手振りを交えて発音をしていくことを心掛けている。そうした地道な実践を、自分が選んだ学習教材に対して少なくとも3周ほど行うと良いだろう。まずはそれに集中して演劇を自らしているかのような実践をしていく際にも、学習教材に掲載されている派生語などの例文が付いていないものについては、その場で短い文章でいいのでその派生語を用いて自分なりのセンテンスを即興的にサッと作ってみることを意識している。名詞・動詞・形容詞・副詞のそれぞれに対して、掲載されている単語の全てに対して自分なりのセンテンスをどれだけ作って口に出していくかがスピーキング能力の基礎体力の形成にどれだけ役立つかは計り知れないものがあるだろう。


学習教材の4周目以降はもう創造性と即興性を大いに発揮させる楽しみがある。そこからは与えられた例文を参考にしながら、一応例文の音源を聴いて口に出してみることを継続するが、自分なりの音楽としての例文を創造することに重きを置く。そうなのだ。私たちの口から発せられる言葉は音楽なのである。長いスピーチは長編な音楽作品であり、短いセンテンスもまた立派な音楽作品なのだ。それは断片的なものかも知れないが、人と会話をするというのは短いセンテンスを共に織り成していく行為であり、それが積み重なることによって1つの会話は1つの作品となる。ゆえに短いセンテンスも馬鹿にすることなく、それもまた創造性の産物であるという意識から、日々の英語のスピーキング能力の向上実践では、役者としての意識だけではなく、作曲家としての意識を持ちたいものである。おそらく、その2つの意識を強く持って練習に取り組めば取り組むだけ、スピーキング能力は大きく向上していくだろう。英語を用いた役者兼作曲家としての意識を常に持った鍛錬をこれからさらに意識していこう。きっとそれは母国語の日本語を話す際にも思わぬ効果をもたらしてくれるだろう。フローニンゲン:2024/5/28(火)07:10


12759. 漢文を読むかのように/マーシャルアーツの稽古のようなスピーキング実践

   

時刻は午前10時を迎えた。朝9時の段階では朝日を拝むことができていたが、今はうっすらとした雲に太陽が隠れてしまっている。朝日が再び地上に降り注ぐまでにもう少し時間がかかりそうである。


これまでのところ、朝の創作活動、英語のスピーキング能力の向上実践、筋力トレーニング、そして唯識学の研究と随分と自らの取り組みを前に着実に進めていた。とりわけ鎌倉時代に良遍が書き残した訓読文の古文書の読解は着実に進展している。毎日少しずつではあるが、日々良遍の文章を読むことを通じて、旧字体の漢字にも随分と慣れ、訓読文のルールにもかなり慣れてきている。正直なところ、訓読文における訓点を無視して漢文をそのまま読み進める方が自分にとっては楽なような気がし始めている。訓読文というのはあくまでも日本人が漢文を読みやすくした独自のルールなのであり、中国人はおそらく文章を頭から順に読んでいくことをして意味理解をしているはずである。英語において訓点など存在せず、ネイティブは頭から順に読んで前に戻ることがない形で文章を理解していくように、漢文もそのような形で戻ったりすることなく読み進めていけるのではないかと思う。このあたりについても色々と実験してみたいし、中国人が漢文をどのように読んでいるのかも調べてみたいと思う。


早朝の英語のスピーキング能力の向上実践に取り掛かっているときにふと、この実践は演劇や作曲のようであるということ以外にも、マーシャルアーツの訓練のようでもあると思った。自分が従事しているマーシャルアーツのジークンドーの稽古においても最初は正確な動きをゆっくりとした動作の中で何度も繰り返し練習していったのと同じで、英語のスピーキング能力の向上実践においても、いきなりネイティブスピーカーと同じ速度で話せる必要はなく、最初はむしろ消失音や連結音を意識しながらもゆっくりと正確な発話を何度も行っていき、徐々に発話速度を上げていくのが望ましいと思ったのである。正確性を欠いた形で無理に早く読むことを何度も繰り返していても発話能力は思っているほどに向上しない。最初はゆっくりとでいいので、ネイティブスピーカーの発音と同じ音でありながらもゆっくりとした発音を心掛けていくことを改めて大切にしたい。こうして初心に戻った形で英語のスピーキング能力の向上実践に取り組めることはとても有り難いことであり、きっとこれも何かの恵みなのだと思う。それは真理の恵みなのだろうか。


ジークンドーの稽古において1つ1つの技を単体で学んでいったの同じく、まずは短いフレーズや文をゆっくりとでいいので自分の頭の引き出しから自然と口に出てくるように何度も鍛えていく。そうした鍛錬を経て初めて技の組み合わせとしての長い文章が作れるようになってくる。最初は短いフレーズや文章を作ることに集中し、その実践を積み重ねる中で徐々にそれらを組み合わせて長く複雑な文章を作れるようにしていけばいい。また、話し言葉においては複雑な文章にあえてする必要はさほどないということもネイティブの発話を聞いているとわかる。その代わりに短い文章が水の流れのように速やかに出てくるのが彼らの発話の特徴であるから、その点を踏まえると、なおさら基礎鍛錬としての短いフレーズや文章を徹底的に反復していくことの大切さを思う。しかもそれを実際に自分が使うであろうコンテクストを想定して鍛錬することができればなお良しである。フローニンゲン:2024/5/28(火)10:27

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