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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12382-12385:2024年3月26日(火)

⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12382. 心の浄化プロセスの進展を感じて

12383. 今朝方の夢

12384. 今朝方の夢の続き

12385. 真理の確証/良遍の教えへの依拠/現在の生きがい


12382. 心の浄化プロセスの進展を感じて


時刻は午前4時半を迎えた。つい今し方、シロシビン・マッシュルームの新栽培キットから4本ほどマッシュルームを収穫し、オーブンでの乾燥を始めた。新栽培キットもこれまでのところ順調に実りある収穫をもたらしてくれている。前々回のセッションから新栽培キットから収穫されたマッシュルームを用い始めたのだが、すこぶる体験が深く良好で、この品種との相性の良さを感じる。前回の栽培キットは結局4ヶ月弱収穫をもたらしてくれ、今回もそうなら年に3回ほど栽培キットを購入するだけで隔週でのセッションを1年間行えることになる。今年は秋に数週間ほど日本に滞在しようと思っているので、その時期には栽培キットの世話をできないことを考えると、6月のどこかで新しいものを購入したらそれを使い切り、秋の一時帰国から帰ってきた後にまた新しい栽培キットを購入する形にしようと思う。収穫したマッシュルームをオーブンで完全乾燥させ、アルミホイルに包んで瓶に入れて冷蔵庫で保存すれば数ヶ月は効力が高いまま日持ちするので、一時帰国からオランダに帰ってからも速やかにセッションが行えるようにしておきたい。


昨日はシロシビン・セッション翌日のジムでのトレーニングがあったが、トレーニングは快調であり、これまでにないほどに体が動いた。そのあたりにも浄化プロセスの進展を見る。結局心の成長を実現していくためには浄化が必要なのである。仏教において、人間は本来清浄な輝きを持つ存在であるが、人は誰しも煩悩によって汚れた心を持つ病人であるとする人間観を持つ。自分はこの人間観に共感しており、自らも煩悩によって汚れた病人であるという認識のもと、少しでも煩悩を滅却し、少しずつ清浄な心を取り戻していくプロセスを歩んでいる。唯識学の観点を通じた自己観察と隔週でのシロシビン・セッションの相互に影響を与え合う円環構造の恩恵を受けて、少しずつだが着実に心が浄化されているのを実感する。それは毎回のセッションの体験内容としても示されつつある。さらには、こうして軽妙な身体が実現されているのもまたその証拠である。心が煩悩の重みから解放されて軽くなってくると、身体もまた軽くなってくる。今日もまた心の浄化プロセスの歩みを進めていくべく唯識学の探究に勤しみたいと思う。フローニンゲン:2024/3/26(火)04:42


12383. 今朝方の夢


軽く自由な身体。澄み渡る平穏な心。そんな体と心が今ここにある。自分の心が世界を作り出し、そんな世界の中で快調な身体を通じて生きている諸行無常の自分がいる。そのようなことを思いながら、今朝方の夢について振り返っていた。


今朝方の夢でまず覚えているのは、野球の試合を観戦していたことである。スタジアムの観客席から観戦したのではなく、なんとマウンドの上に立つピッチャーの真後ろで試合を観戦していた。ピッチャーを務めていたのは元ジャイアンツの名ピッチャーで、その方はとても面白いボールを投げていた。どんなボールを投げていたかというと、事物に内在する理が内包されたボールを投げていたのである。言い換えると、様々な種類の真理が内包されたボールを投げていたのである。それはストレート、カーブ、フォークボールといった球種に加わる新たな球種なのだが、その方が投げる真理が内包されたボールは本当に面白い速度や動きを見せ、バッターボックスに立った名バッターたちですら手も足も出ない状況が続いていた。いくつも印象に残る球種がある中で、1つ印象に残っているのは性の真理が内包されたボールである。そのボールを投げる前に、その方は何かマントラのようなものを唱え、投球フォームに入る前の構えのまま静止して祈りを天に捧げていた。すると、バッターボックスに立っているバッターが突然身悶えし始め、身体をクネクネとさせてその場にぺたんと尻餅をついた。それを受けて不思議な動きをする緩やかなボールを投げてストライクを取った。私はその方が投げる種々の真理が内包されたボールに惚れ惚れし、ずっと釘付けて投球の様子を眺めていた。そのような場面があった。


もう1つスポーツ関係で覚えている夢は、サッカーフランス代表の練習場にいた場面である。明日に国際試合を控え、選手たちは最終調整の練習に精を出していた。練習を終えると明日の試合に向けたスタメン発表がなされ、そのラインナップが興味深かった。いつものメンバーではなく、新しい選手とこれまでの選手をうまく組み合わせてのラインナップが発表された時、私は少し驚いた。明日の試合はフランス代表にとっても大切な試合なのだが、そこで新しい選手を何名か試すという監督の勇気ある采配と、よくよくラインナップを眺めてみると、新しい選手がことごとくこれまでの選手と大きなシナジーを起こしそうだという予感をもたらす巧みな人材採用があったことに驚かされたのである。それにしてもフランス代表からは続々と優秀な選手が出てくるなと思い、その背後には質の高い育成システムがあるのだと改めて感じた。タレントが豊富な分、監督も選手選考には悩むだろうが、それは贅沢な悩みで、監督の表情を見ると、とても活き活きしていた。フランスの選手たちは個性も主張も強いが、それらのマネジメントも含めて、監督業のやりがいの一端を垣間見る体験であった。フローニンゲン:2024/3/26(火)04:56


12384. 今朝方の夢の続き


時計の針が午前5時半を迎えた頃に小鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。今、彼らの清澄な鳴き声が夜明け前の静寂な朝の世界を優しく満たしている。小鳥たちの澄み渡る鳴き声が朝の世界の頬を優しく撫でているのを感じながら、今朝方の夢の続きを振り返っていた。


夢の中で私は、父が運転する大きな車の中にいた。後部座席には母が座っていて、3人で今から波止場に行って釣りをすることになっていた。その波止場は父が見つけた穴場で、種々の魚がたくさん釣れる。波止場に到着してみると、満潮のため波止場が水浸しになっていた。父はそんな中、行けるところまで車で波止場の中に入って行こうとした。正直なところそれはかなり危険であった。というのも水が浸水しているせいでどこまでが道なのか分からなかったからである。下手をすると海に落ちてしまう可能性があった。そんな状況でも父は車をゆっくりと走らせていった。確かに慎重に車を進めていたが、いかせん足場がもう水で見えない状態になっていて、とても危険だった。事実、後輪のタイヤが道から外れてしまったようで、車が傾き、危うく海に落ちるところだった。そこからなんとか車体を立て直し、道に戻れたが、これ以上車で進むのは危険だと再度私から父に伝え、波止場の手前で車を降りて、そこから釣具を運ぼうと持ちかけたところ、父もその案に賛同してくれた。それを受けて私はほっと胸を撫で下ろした。そのような場面があった。


海に関連する夢として、現実なのか映画なのか分からないが、小型船が海上沖で沈没し、乗組員が海に投げ出される場面があった。ちょうど一昨日のシロシビン・セッションの朝に、サメが出ないか心配しながら海に入っている場面があったが、それとシンクロするかのように、今朝方の夢の場面においては大きなホオジロザメが現れた。船が沈没して海に投げ出された乗組員のうち、1人は不幸にもサメに食い殺されてしまった。その男性は外国人か日本人かの区別は付かず、国籍は不明だった。その男性の悲痛な声が海上沖に鳴り響いており、海に投げ出された他の乗組員は戦々恐々としていた。私は夢を眺める者として存在していたため、彼らを救うこともできず、ただただその光景を眺めるだけであったが、すぐに救助船が駆けつけてきて、残りの乗組員は全員助かった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/3/26(火)05:50


12385. 真理の確証/良遍の教えへの依拠/現在の生きがい


時刻は午前9時半を迎えた。今日は早朝から穏やかな朝日に恵まれ、静けさの中で午前中の唯識学研究に打ち込むことができている。唯識学に関する書物を読む中で、絶えず真理に対して頷いている自分がいて、この頷きことが真理の確証なのだと感じていた。真理は言葉を超えたものだが、言葉を通じて仮設する形で人に伝えられる。そうした言葉によって仮設された真理に触れた時、自分の中にそれに響く何かがあれば、それは「確かにそうだ」という確証を持って頷きがもたらされる。真理の確認はそうしたシンプルな現象となって自分の内側に現れる。


『観心覚夢鈔』を執筆した良遍の教えに依拠する形でここからの唯識学研究が展開していきそうな予感がする。自らの実存が依って立つべき存在は良遍か。あるいはその他の学僧だろうか。今のところは良遍の思想に最も感銘を受けている。『観心覚夢鈔』は何度も擦り切れるぐらいに読み込んでいかなければならない。それが擦り切れれば擦り切れるだけ、良遍の教えが自分の中に体現されていくであろう。本書についての英訳はあるようだが、広く知られたものではない。単なる翻訳ではなく、それに解説を加えるような形で良遍の思想を世界に共有したいという思いが芽生える。このように、日本の優れた法相僧の中で思想として欧米社会に紹介したいと思う人物を列挙していき、実際に彼らの書籍を読み込んだ上で、英語翻訳と解説を付ける形で論文なり書籍なりの形にしていきたいと思う。日本語と英語に出会い、それらの言語を習得する機会を授けられた自分が果たすべきことはそれだったのだ。このことに使命感が燃えてくる。


5月からゼミナールの方で唯識学を本格的に扱っていこうと思っている。そのための反転学習用の解説動画作りも佳境を迎え、今日の午後の撮影でそれが完了する。そこからは『唯識三十頌』と『成唯識論』をベースにしながら、その日に話したいトピックについてPPTスライドを作成して解説動画を作っていくことを毎日午後に行っていこうと思う。仮眠から目覚めた後の午後一番には音読を行い、そこから1時間ほど読書をした後に、夕食準備までを解説動画の作成に充てていくという日々をこれから愚直なまでに過ごしていきたいと思う。ゼミナールの受講生の皆さんからの反応を受けながら、ここからクラスの中で唯識学を本格的に扱ってお互いの心の成長を実現させていくことが本当に楽しみである。それは今の自分にとっての最大の生きがいである。フローニンゲン:2024/3/26(火)09:34

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