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【サイケデリック学・意識哲学探究記】12242-12247:2024年3月3日(日)



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タイトル一覧

12242. 心と体への感謝の念

12243. 唯識思想を学べる幸せと感謝/今朝方の夢

12244. 言葉を離れる創作活動の意義と魅力/今日の唯識思想探究計画

12245. 『成唯識論』の英訳書の徹底読解

12246. 心の成長に関する記述を超えて含む処方をもたらす唯識思想の魅力

12247. 唯識思想に関する和書の専門書を一括注文して


12242. 心と体への感謝の念


時刻は午前2時半を迎えた。今日もまた昨日と同様に午前2時過ぎに起床した。目覚めはすこぶる良く、今日もまた思う存分唯識思想の研究に没頭できるだろう。その喜びと楽しみを毎日感じていると、自分の心身がますます健康になり、心がどんどんと豊かになっているのを感じる。仏道修行の素晴らしさをそこに見る。他者や社会全体の幸福の実現に向けて活動をしていく際に、活動の担い手である自分の心身が健康であることは不可欠な要素ではないかと思う。そう考えると、今の状態はそれにふさわしい。それにしても唯識思想を学べば学ぶだけ心身ともに健康になっていくというのはどういうメカニズムがその背後に働いているのだろうか。1つには自分の心身に対する理解がさらに深まり、心と体への感謝の念が両者を健康にしているのかもしれない。心身に対して理解を深めている主体としての自己もまた仮構の存在で空なるものなのだが、それを認識した上で自分と最も近しいところにいる心と体を労り、それらが最善の状態でいられるような心掛けを自然にしていることが好影響を与えているのだろう。文字通り、「心を掛ける」という意味で「心掛け」を心身に対して常に行っている自分がいるのだ。例えば就寝の際に、ベッドの上で仰向けになって両手を重ねて腸の上に当て、腸に感謝の気持ちを伝え、そこから他の臓器や体の細胞全体にお礼を述べて就寝に向かっていることは、きっと身体の健康を促進しているのではないかと思う。まさに栽培中のシロシビン・マッシュルームに声を掛けて愛情を注げば注ぐだけ元気に育っていくように、身体もまた生命体なのだから、声を掛けて気にかけてあげながら愛情を注ぎ、感謝の念を持って接すると状態がますます良くなるというのは道理に適っている。これからも唯識思想を学びながら、心についてさらに深い理解を獲得していき、身体への感謝の念を絶えず持って生きていきたいと思う。


3月を迎えたからなのか、ここ最近は天気が良い日が続く。昨日は最高気温が14度近くまで上がっていて、どうやら今日も13度まで上がるらしい。明後日からはまた最高気温が10度を下回り始め、最低気温も3度前後と少し気温が低くなるが、それでも晴れの日が続くようなので何よりである。来週はどうやら日中はほぼ雨が降らないようなので、大変過ごしやすそうである。


今日の唯識思想の研究は、三蔵法師こと玄奘の『成唯識論』の英訳の再読を進めていく。午前中は最も集中力があるので、この時間帯に唯識思想に関する専門書の中でも難解なものを読んでいく。午後からは少しリラックスした気分で、唯識思想を専門家ではない一般人向けに紹介した書籍を読んでいくなどのメリハリをつけた読書をしていきたいと思う。ここから唯識思想の専門家になっていくことに向けて、毎日着実な歩みを行っていきたい。フローニンゲン:2024/3/3(日)02:55


12243. 唯識思想を学べる幸せと感謝/今朝方の夢


時刻は間も無く午前3時を迎える。今日もまた、とにかく唯識思想について思う存分学べると思うだけで幸せな気持ちになる。喜びと楽しさをもたらし、幸せな気持ちにさせてくれる唯識思想への感謝の念が尽きない。絶えずこの感謝の気持ちを持って唯識思想の探究とその実践に従事していけたらと思う。それはきっと自他の心の成長につながり、社会をより良くすることの貢献につながると信じて。


そう言えば、今朝方の夢の中でも唯識思想の研究に打ち込んでいる自分がいた。そこではまず独学で好きなように思う存分唯識思想について探究している自分がいた。書斎には唯識思想に関する専門書が山のようにあったが、それらを全てまるで子供が図鑑を食い入るように眺めるかの如く易々と読破し、現代のコンテクストに応じて自分の体験と絡めた形で唯識思想を咀嚼しようとしている自分がいた。書斎に置かれている書籍の大半は英語で、その次に日本語の書籍が多かった。それを見たときに、ここからはサンスクリット語の原典を読みたいという気持ちが増し、そこから派生して中国語とチベット語の充実した翻訳書を読んでいこうという気持ちになった。その時の気持ちもまた、子供が何か学びたいと思う対象を見つけたときと同じような喜びと好奇心に溢れたものだった。


そのような場面があった後に、今度は見慣れない体育館でバスケの練習をしている場面があったのを覚えている。そこでは中学校時代のバスケ部のメンバーだけではなく、高校時代のクラスメートやサッカー部のメンバー、さらにはどういうわけか現役のサッカー日本代表の選手も数人にて、彼らとバスケの練習をしていた。どうやらこれから近くの中学校と試合を行う予定になっているようだった。そこで気づいたのは、今ここにいる私たちは一応みんな中学3年生ということになっているということだった。試合前の練習では、バスケからずいぶん離れていたことによるブランクか、ボールが手につかず、これは困ったなと思った。一緒に練習しているメンバーからも少し心配されるような状態だった。そんな状態が変わらないまま、誰がスタメンで試合に出るかの話し合いになった。今日の試合のために、学校を上げて多くの生徒たちが体育館に詰めかけて応援しに来てくれていたので、恥ずかしい試合はできないと思った。確かに試合前の練習ではボールが手につかなかったが、自分はスタメンかつキャプテンとして試合に出るにふさわしいと思い、挙手をして自分がスタメンとして試合に出ることの意思表明をした。そこから何人かのメンバーにこちらから声を掛けていき、スタメンを自分で選んだ。試合開始前に、相手の中学校には知り合いが多くいたので彼らに話し掛けた。彼もまた私たちと同じように、高校受験に向けてもうバスケ部からは引退しているようだったが、昼休みにはバスケをして遊んでいるようで、「遊びが一番上手くするからね」と述べた知り合いがいて、確かにその通りだなと思った。同時にこれは気合を入れていかなければいけないぞとも思った。いざ試合が開始となる前に、私は大きな声を張り上げて、スタメンのメンバーとベンチにいるメンバーの士気を一気に高めた。試合前の練習の時とは自分の目の色が違うことは誰の目からも明らかで、試合に向けて変貌した自分の姿に驚いているメンバーもいたが、スタメンのメンバーは基本中学の時のバスケ部のメンバーだったので、彼らは私が本気の時と本気でない時の大きなギャップを知っているのでさほど驚いていなかったが、自分の本機が彼らの心にも火を付け、彼らもまた目の色を変えた。それを見たときに、この試合はきっと勝つなと思った。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2024/3/3(日)03:13


12244. 言葉を離れる創作活動の意義と魅力/今日の唯識思想探究計画


朝の呼吸法とアニマルフローの実践を終え、そして朝の創作活動も終えたので、ここから本格的に午前中の唯識思想研究を始めていこう。ちょうど今午前4時を迎えたところなので、昼食までまだかなりの時間があり、その時間まで没頭して唯識思想研究ができると想像するだけで喜びの気持ちが溢れてくる。


先ほど朝の創作活動として毎日行っているデジタル絵画の創作とカリンバを用いて即興演奏作曲実践を終えたときに、両者は自分の心の成長にとって無くてはならないものだと改めて気づいた。それはアートセラピー的な観点でもそうであるし、高次元の意識を扱うトランスパーソナル心理学的な観点でもそうである。もちろん唯識思想を学ぶだけでも心の成長は実現できるだろうが、統合的な実践をすることが心の成長をさらに促進していくことを考えると、こうした芸術活動やなんと言ってもサイケデリック実践は鍵を握ってくると改めて思った。創作活動の意義について改めて話を戻すと、こちらはとにかく自然言語を媒介しないのがいい。言葉の世界を離れて、絵画世界や音楽世界に没入できることが他の実践には替えがたい意義であり、価値である。デジタル絵画を描いているときは目を開けていながらも本当に言葉が脳内にほとんど浮かんで来ず、深い瞑想をしている時の状態に近しい。またカリンバを用いた即興演奏作曲においては、こちらはもう完全に目を閉じて、指が音楽に合わせて動きたい方向に動くようにいつもしており、こちらもまた言葉を媒介にした思考はほとんど浮かばない。どちらの実践も自分にとっては思考の掃除のようなものだと言えるだろうか。とかく学術研究に従事する者として日中の多くの時間は言葉の世界にいるため、こうして思考から離れさせてくれる実践はとても貴重かと思う。改めて創作活動の意義と魅力に気づいた次第だ。


さて、ここからは玄奘の『成唯識論』の英訳の“On realizing there is only the virtual nature of consciousness: An English translation of Xuánzàng's Vijñapti Matratā Siddhi”の再読を進めていく。今回は精読ということで、まずは通称「唯識九難義」の箇所を音読しながら丁寧に読み進めていこうと思う。ここでは唯識思想に対する批判的な問いが提示され、それに対する問いと答えの往復的なやり取りがなされている。提示される問いは高度であり、それに対する回答は秀逸でありながら、その回答に対してまた突っ込んだ質問がなされるというその応酬を辿っていくだけで知的興奮が得られる。当時の唯識論者たちの姿を思い浮かべながら読み進めていくと、なお臨場感があって理解が進んでいくのではないかと思う。とりあえずは唯識九難義の箇所を精読し、そこから別の書籍に映るか、引き続き同じ書籍を扱って阿頼耶識の箇所を丁寧に読み返すかのどちらかを選択したい。ここで行う選択もまた新たな分岐宇宙を生み出す。自分の選択は新しい宇宙の扉を開き、新しい唯識世界を開示させる。そのようなことを考えながら、今日の午後からはサイケデリクスに関するメディア出演があるので、それが終わった後の読書計画に考えを巡らせていた。メディアの収録が終わったら、唯識思想の核にあたる『三性論』『唯識三十頌』の英訳書籍を読み返していこうと思う。本当に不思議なほどに幸福感に包まれている。唯識思想の何をどのように学ぶかを考えるだけで幸福感が湯水のように溢れ出てくることに自分でも驚きを隠せない。この幸福感は自分の内側にしまっていてはならず、他者にどんどんと分け与えていきたい。そんな気持ちで一杯だ。フローニンゲン:2024/3/3(日)04:17


12245. 『成唯識論』の英訳書の徹底読解


時刻は午前6時半を迎えようとしているが、辺りはまだ暗い。そんな日曜日の朝に、今日もまた唯識思想に関する探究を嬉々として進めている自分がいる。自らの深い部分が喜んでいることがわかる。


今取り掛かっている『成唯識論』は、唯識思想の探究上の最重要なテキストかつ基本書である。ここから数ヶ月間は毎朝必ずこのテキストを紐解くことから探究を始めていこうと思う。すでに唯識思想に関する専門書をいくつも所持しているが、それらに目移りすることなく、それらはあくまでも基本書である『成唯識論』の英訳書を読むことの気分転換として触れていくようにする。基本が大切なのは学術研究上もスポーツも何に対しても同じである。とにかく基本書の徹底的な読み込みが基礎体力を向上させ、強靭な足腰を作り上げていく。唯識思想に関する専門的な知識体系をさらに拡張させるために専門書を読んでいくのはその後からでいい。まずは基本を大切にし、『成唯識論』の英訳書を何度も何度も擦り切れるまで繰り返し読み込んでいく。それを毎日続けていけば、まさに知識が自分の心身に「薫習」されていき、どこかのタイミングで論文執筆においても、そして自他の心の成長実践においても自由自在に知識を活用することができるだろう。これまでの自分の専門領域である人間発達に関する知識と組み合わせる形で、唯識思想に関する知識を縦横無尽に活用することができれば、自分はさらに深い喜びを得るだろう。それは自他と社会に資する際に生じる無上の喜びである。


ふと興味深いことに気づいた。『成唯識論』の英訳書である“On realizing there is only the virtual nature of consciousness: An English translation of Xuánzàng's Vijñapti Matratā Siddhi”は、かつて師事をしていた発達心理学者のオットー・ラスキー博士の主著の“Measuring Hidden Dimensions of Human Systems: Foundations of Requisite Organization”と見た目も分量も瓜二つなのだ。どちらも600ページほどの情報量の多いテキストであるが、かつてラスキー博士のその主著を一心不乱に毎日読み続けた結果、堅牢な知識体系が自然と構築されていたのを懐かしく思い出す。それと同じことをすればいいのだ。ラスキー博士のそのテキストを何度も擦り切れるぐらいまで読み込んで知識を徹底的に体現させていった経験があるので、今回もまた同様のプロセスを採用すれば唯識思想についても堅牢な知識体系を構築することがきっとできるであろう。とにかく、最重要な基本書は理解を伴った形で何度も何度も反復させていくに尽きる。それをしない限りは、基礎体力も足腰も弱い状態にとどまったままになる。もはや筋力トレーニングと要領は全く同じである。意識的かつ内省が伴った繰り返しのトレーニングが鍵を握るのだ。フローニンゲン:2024/3/3(日)06:32


12246. 心の成長に関する記述を超えて含む処方をもたらす唯識思想の魅力       


時刻は午前8時を迎えた。今、日曜日の鮮やかに晴れ渡る平穏な朝の世界の中で、小鳥たちが清澄な鳴き声を上げている。それはまるで透き通る鏡のようである。彼らの鳴き声を通じて、自分の心の奥深くまでもが自然と外界に映し出されるかのようである。


昨日、シロシビン・マッシュルームの新栽培キットで収穫された何本かのマッシュルームを乾燥させ始め、今朝も引き続きオーブンを用いてその乾燥を行なっている。ダメもとで旧栽培キットの7周目の栽培を先日始めてみたところ、驚いたことに1本ほど立派に育ち始めているマッシュールが姿を現していることに先ほど気づいて嬉しくなった。それは近日中に収穫できそうである。


そうした嬉しい出来事を受けて、改めて自分が今なぜ仏教に魅力を感じ、とりわけ大乗仏教瑜伽行唯識学派の唯識思想に魅力を感じているのかを考えていた。まず自分のこれまでの学術的な研究の歴史を振り返ってみると、心の発達について哲学の観点から修士号を1つ取得し、科学の観点から修士号を2つ取得した。しかしそんな自分は、哲学と科学のアプローチから心を解明していくことに満足できなかった。哲学も科学も基本的には、心についての記述(describe)に留まるのである。確かに心の性質や成長のプロセスとメカニズムを解析的に記述していくことは重要なのだが、自分がさらに求めていたのは、記述を含んで超える形の「処方(prescribe)」だったのだ。端的には、哲学も科学も心の成長を実現するにあたっての具体的な実践方法を提示することはなく、それらは基本的に哲学と科学の範疇の外なのである。さらには、成長を実現することに伴う倫理的な在り方や道徳的な在り方、すなわち規範的な在り方についても基本的には心を扱う哲学や科学は具体的な実践を指示してくれない――成長を実現するための実践や規範的な在り方についてのヒントや考え方は示してくれるかもしれないが――。そうした哲学や科学で欠けた重要なピースを埋めてくれると感じさせてくれたのが仏教の実践思想体系であった。仏教は宗教であるからこそ、規範的な側面や解放・救済に向けた具体的な実践の指示を積極的に行える特徴を持っているのである。そして、そんな仏教の中でも、大乗仏教の瑜伽行唯識学派の唯識思想は、心を扱う哲学や科学の知見を凌駕するほどの詳細な心の分析をしながら、同時にその思想の目的がそもそも心の成長を実現させることであり、苦や悩みからの解放を実現させることにあるため、非常に具体的な実践方法を私たちに提示してくれるのである。それは決して、心を扱う哲学や科学にできることではなく、宗教思想ゆえの最大の強みなのではないかと思う。唯識思想においては、その緻密かつ堅牢な心の分析を超えて、兎に角実践的であることに自分は最大の魅力と価値を見出している。フローニンゲン:2024/3/3(日)08:10


12247. 唯識思想に関する和書の専門書を一括注文して   


時刻は間も無く午後7時を迎えようとしている。つい今し方、キッチン側の窓から小鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。振り返ってみると、今週も非常に充実した毎日を送っていた。大いに唯識思想研究が前に進み、日々着実に新しい事柄を理解し、それを実生活での内省に役立てることに成功している。また、唯識思想を学べば学ぶだけ、他者への関わり方も変わってきているように思う。とにかく利他的な振る舞いをできるだけ心掛け、自我への執着心を少しでも減らすような実践を心掛けている。明日からの新たな週でもその意識を強く持ちたい。本当に毎日は心の成長機会に溢れている。


今日は午後に時間を取って、書籍の一括注文を行った。書籍の一括注文と言うとこれまでは洋書の購入の場合がほとんどであったが、唯識思想に関する英文書籍は数が少なく、主要なものはもう全て入手しているような状態だったので、今日は和書を注文した。唯識思想の研究に従事して初めて日本語を読めることの有り難さを学術研究上実感しているように思う。と言うのも、唯識思想の研究に関しては優れた和書が数多くあるのだ。今日は、唯識思想に関する和書の専門書を30冊ほど日本から注文した形となった。購入したいと前々から思っていた購入リストの全ての書籍を再度吟味し、さらにはその他に購入しておきたい文献が他にないかも確認していったところ、そのプロセスに2時間ほどの時間を要した。逆にそれくらいの時間をかけることによって、見落としていた良書を数冊発見することができたし、今の研究には必要ないと思って購入を見送る判断ができた書籍もあった。そして、「唯識」とタイトルに付く和書を全て吟味することを通じて、日本における唯識思想研究のトレンドのようなものも掴むことができたように思うし、まだ日本語に翻訳されていない文献にはどのようなものがあって、自分が今後貢献を果たしていくべき研究領域もおぼろげながら見えてきたことは嬉しい副産物であった。本日注文した30冊ほどの専門書は、欧米の大学院で研究する際にも引用に足るものばかりであるから、非常に良い買い物をしたと思う。いずれも新品で購入できるものに限ってアマゾンから注文をしたので、実際にはまだまだ古書として貴重な文献が山ほどあるだろう。それらは実際にまた大学院に進学してから研究テーマに応じて注文すればいいかと思う。とりあえず現状新品で購入できる重要な文献を注文することができて大変満足である。昨日ふともしアメリカでの生活が決まったら、欧州滞在中の最後にスイスにあるユング記念館に訪れておこうと思ったが、今回注文した書籍を何度も繰り返し読むためにその旅行もお預けにしておこうかと思った。今は旅行に出かけるよりも、唯識思想の研究に打ち込む方が圧倒的に有意義な時間を過ごせると実感している。フローニンゲン:2024/3/3(日)19:03


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