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タイトル一覧
12158. 日本で大成された法相唯識教学の研究への誓い
12159. 今朝方の夢
12160. 唯識思想研究とサイケデリクス研究を比較して/ハーバード神学大学院での読書会
12161. 2件のオンラインミーティングへの感謝
12162. 肉体を持つ喜び/今この瞬間への意識
12158. 日本で大成された法相唯識教学の研究への誓い
時刻は午前5時半を迎えようとしている。今日からまた新しい週が始まった。1日1日がゆっくりと進行している。それは大海の緩やかな動きのように知覚される。自分はそうした大海の中にいて、大海の一部として常に今というこの瞬間を生きている。
新たな日がやって来るごとに、自分のここから数年間の人生を左右するであろうハーバード神学大学院(HDS)の結果発表の日が近づいて来る。例年3月の第2週の月曜日に発表があるようなので、今年もその慣例に従うのであれば、ちょうど再来週の月曜日に結果を知ることになるだろうか。今カレンダーを見て驚いたのだが、その日はちょうど3/11となり、東日本大震災があった13年前のあの日と重なる。これも何かの偶然なのだろうか。そこに何かしらの意味を汲み取ってしまう自分がいる。日本の転換点の1つであったあの出来事からちょうど13年経った日に、自分は自らの人生の転換点の1つになるであろうHDSの合格発表を受けることになるかもしれない。結果がどうであれ、自分はもう世のため人のために学術研究と実践をしていくことを決意しているのだ。それはHDSの結果に左右などされない。しかし仮に晴れてHDSに入学することができたら、世のため人のために資するための無数の智慧と支援をHDSで授かることになるだろう。その導きがあるかどうか。あとはもう静かに祈って結果を待つだけである。
昨日、日本には欧米以上に唯識思想に関する研究の分厚い蓄積と豊かな歴史があることに気づいてひどく喜んだ。とりわけその歴史は飛鳥時代まで遡ることができる。日本で大成された法相唯識教学を欧米に紹介していくための本格的な研究に従事すること。飛鳥時代から明治時代までに活躍した唯識思想の学僧たちの功績をまとめ上げていく博士論文を執筆したい。飛鳥時代や奈良時代に漢文で書かれていた仏典を読み解くのは大変かもしれないが、サンスクリット語よりも現状はハードルが低い。あとはどれだけ文献が保存されているかが研究上鍵を握る。もちろん飛鳥時代から明治時代にかけての主要な唯識思想の学僧の全ての主著を読むことができたら理想だが、博士論文の執筆もまた1つの通過点に過ぎず、それを執筆する時間的な制約などを考えると、全ての書物を読む必要はないかもしれない。残存している文献を基にして論文の構成や内容を組み立てていくことは現実的な方法だろう。欧米における唯識研究は、やはりサンスクリット語の文献を基にした文献学的手法が採用されることが多いが、日本には独自に展開した唯識研究の歴史があるのだから、日本語を読み書きできる日本人としてそれに注目しないわけにはいかないし、日本の風土で固有に発展した唯識思想について欧米の大学院に拠点を置きながら研究することが自分の使命であるかのように思えている。日本にも立派な法相唯識教学というものがあることをまずは欧米の唯識研究者たち、そして仏教研究者たちに伝えていくことから始めたい。そこから広くその他の宗教研究者や哲学者たち、さらには科学者たちへとその知見が伝播していき、欧米の一般人にも日本の唯識思想に触れてもらえるような書籍の出版などを視野に入れて、自分が日本人として生まれてきた意味を噛みしめながら、是非ともこの研究を形にしたいものである。そんな朝の誓いが起こった。フローニンゲン:2024/2/19(月)05:41
12159. 今朝方の夢
感謝の念と共に始まり、感謝の念と共に終わる毎日。日中も絶え間なく自分は何かに対して感謝している。他者や事物への感謝を忘れてはいけない。もはやそれを忘れることがないくらいに、自分は日々何かに対して感謝をしている。そうした在り方を体現させてくれたのも神道や仏教といった自らの出自に関わる宗教思想を学び始めたからだろうか。きっとそうに違いない。宗教を単なる学問的研究対象として捉えて学んできたのではなく、それを自分の生活に浸透させるという実践的な側面に注目してこれまで細々と宗教について学んできたことが少しずつ自分の日々の在り方を変容させているという成果を感じる。本来宗教を信奉するというのはこういうことを言うのだろう。自分の世界観や価値観が変容して、行動が変わっていくこと。しかもそれは他者や社会にとって有意義な行動として結実していくこと。それをもたらしてくれるのが宗教の本来の役目のように思える。
そのようなことを考えながら今朝方の夢についてふと思い出した場面がある。夢の中で私は、地元の山間で開催されていた駅伝大会に参加していた。その駅伝は市内の中学校が参加しながらも、同じ中学校の学年ごとに参加チームが異なっていた。私は第二区を走ることを任されていた。いざ駅伝が始まり、第一区の選手たちが一斉に走り出すと、私は自分の持ち場に向かって、第一区の選手からのたすきを待った。本来は学年ごとにチームが違うはずなのだが、どういうわけか私はバスケ部の小柄な先輩からたすきを受け取ることになっていた。先輩を待っている間は、体を動かしてウォーミングアップをしていた。もうそろそろ先輩がやって来るタイミングでたすきの受け取り場所に向かった。するとそこに、同じくバスケ部の先輩がいて、その先輩は短距離がものすごく早く、長距離もかなり早い人だったので、その先輩と同じ区間を走るのかと思って少し気が引けたが、自分の持っている力を全て発揮すれば何も心配はないし、後悔はないと思った。その先輩と少し言葉を交わしたところで、お互いたすきを受け取り、いざ走り始めた。すると自分の目の前にまたしても同じバスケ部のキャプテンを務めていた1学年上の先輩がいて、その先輩が最初から相当に飛ばしていたので、私も思わずそのペースについていくことになった。自分のペースで走ろうかなとも思ったが、ここで先輩についていかないと何かダメなような気がしたので、先輩の後ろにつくことにしたのである。先輩に風を切ってもらいながらハイペースで走っていると、同じ学年のバスケ部の友人(HY)とすれ違いになり、彼がヘロヘロになりながら走っている姿を見て大丈夫かなと心配した。すると突然、自分の脳裏にTOEFLの読解問題が表示され、最初こそ面食らったが、走っている間にそれらの問題を解くことが要求されているように思えたので、速読をしながら問題を次々に解いていく形で走っていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/2/19(月)05:55
12160. 唯識思想研究とサイケデリクス研究を比較して/ハーバード神学大学院での読書会
学術研究上の関心で言えば、今の自分の最大の関心事項は瑜伽行唯識学派の思想となる。そしてそれに続く形でサイケデリクスの研究が挙げられる。昨夜、今後自分が本格的に博士課程に進学し、そこから欧米の大学院で研究生活を進めるにあたっては、まずは1つ世界で一番知識を持って貢献できる領域を選定する必要があるように思えた。サイケデリック研究の分野を見渡すと、すでに様々なトピックやテーマで研究している研究者で溢れ返っており、もちろん自分なりの貢献をサイケデリック研究に対しても行えると思ったが、その影響力と重要性を考えてみたときに、まずは最優先するべき研究対象はやはり唯識思想なのだと思った。趣味と言っては語弊があるかもしれないが、サイケデリック研究は唯識研究を主にした学術研究の傍の趣味的な位置付けで研究と実践を継続していくのが当面は望ましいように思えた。もちろん趣味だからこそ何の打算的な考えなしに好きなように研究と実践ができる良さがあり、結果として思わぬ形で知識が獲得されていき、それがいつかサイケデリック研究の分野への貢献として花開く可能性もある。今ここで自分が述べようとしているのは、博士号という学位の取得を念頭に置いた場合、今のところで世界でサイケデリクスを哲学・宗教の観点から取り上げて博士論文を書き上げていくことをサポートしてくれる教授と大学機関がほとんどないゆえに、その事情を鑑みたら、より研究しやすい唯識思想を博士論文のテーマに選ぶことが賢明に思えたということである。
おそらく今から3週間後の今日に、ハーバード神学大学院(HDS)からの結果が届く。自分によって4つ目の修士号は、初めて学術系の修士号ではなく、プロフェショナル系の修士号になる。HDSは学術系大学院ではなく、ビジネススクールやロースクールと同じプロフェッショナルスクールの括りなのだ。とは言え、HDSが提供する修士課程の4つのプログラムのうち、博士課程の進学を念頭に置いた最も学術的なプログラムに今回出願した。それが2年間の“Master of Theological Studies”というプログラムである。このプログラムは、3年間かけてプロフェッショナルな聖職者を育成することを念頭に置いた“Master of Divinity”というプログラムとは異なり、博士課程への進学を念頭に入れた形で、それぞれの宗教的な関心に基づいて広く深く学術研究に打ち込めるプログラムである。このプログラムを通じて自分は、まずは改めて、いや一から仏教について学んでみたいと思っている。比較宗教学的なアプローチにも興味があるし、仏教はインド哲学の1つでもあるから、HDSが提供するインド哲学やヒンドゥー教のコースもいくつか履修したいと思っている。上記のように博士課程への進学を見込んで、HDSでは自ら率先的に読書会を開催したいと考えている。HDSの学生だけではなく、広くハーバードの学生や教授が参加できるようなオープンな読書会を、世界宗教センターの支援のもとに開催したいと考えている。仮に合格通知をもらったら、すぐさまこの読書会の開催に向けて、コースシラバスのようなものを作りたい。すでに構想があり、どのような書籍をどのように取り上げていくのかもアイデアがある。そのシラバスを世界宗教センターのディレクターであるチャールズ・スタング教授に見てもらい、リサーチアシスタントとしてのポジションを与えてもらう形で読書会を開催できれば本望である。すでに存在しているサイケデリック読書会のリーダー役も務めようと思っており、唯識思想を扱う読書会と並行して、それぞれ週をずらして隔週で開催していけば無理なく進めていくことができるだろうか。HDSのコースワークと合わせて、まるで2つの授業を受け持つような形であるが、自分の情熱と熱量を持ってすれば、それは無理なく実現できるだろう。フローニンゲン:2024/2/19(月)07:32
12161. 2件のオンラインミーティングへの感謝
新たな週を迎えた月曜日の午前中もまたとても充実していた。週の最初の日から充実感が漲っていることにただただ感謝である。午前中は目下注目している唯識思想の研究をほどほどにしながら、異なる協働プロジェクトに関する2件のオンラインミーティングをしていた。ここから本格的に始動するかもしれないプロジェクトに関するミーティングと、それを終えた後に連続してこの5年間半お付き合いのあるベンチャーキャピタルさんとのミーティングを行った。前者のミーティングはサイケデリクスをテーマにするもので、日本におけるサイケデリック産業の創出と具体的なプロダクト開発を見据えたキックオフミーティングの意味合いのあるミーティングで、そこで出てきた質問やコメントがとても刺激になり、コンサルタントとして関与させていただく身ながら大きな知的興奮が1時間の間にあった。それにもただただ感謝しているし、こうした場が実現された縁にも感謝する。感謝に尽きない朝の時間を過ごしていた。
今日は午後から毎週月曜日の習慣であるジムに行って筋力トレーニングに励む。先日オランダに来られた知人の身体治癒を専門とする方の助言を思い出しながら、今日もまた創意工夫を楽しむ形で身体と向き合い、身体を鍛えていこうと思う。今日の2件目のミーティングの中で話題に挙がった、自己客体化のためのステップバックという発想はとても興味深く、自分が何か気持ち的にその場に硬直してしまったり、冷静にその瞬間に判断できなくなってしまう状況において、自己と他者や状況を俯瞰的に見るためにステップバックするというのはまずは身体トレーニングの中で体に染み込ませていくことは重要であろう。それこそ筋力トレーニングおいては前面の筋肉よりも背面の筋肉を意識して鍛えることや、今日も行う予定のジークンドーのシャドートレーニングにおいても、絶えず前のめりに打撃を繰り出していくのではなく、ステップバックをうまく活用して、相手との間合いをうまく作る形で攻撃を繰り出す練習をしてみたいと思う。精神的にその瞬間に硬直してしまうことと身体的にその瞬間に硬直してしまうことは、ボディとマインドの繋がり上密接な関係があるので、日頃の筋力トレーニングやジークンドーの鍛錬の中で、前方への意識だけではなく、むしろ後方への意識や後ろに下がることの意識を訓練していきたいと思う。そのような今日からのまた新しい実戦に向けた示唆を与えてくれるようなミーティングが実現したことが嬉しいし、サイケデリック研究にもまた新たな刺激を与えてくれるような時間を過ごせたことに改めて感謝したい。フローニンゲン:2024/2/19(月)11:37
12162. 肉体を持つ喜び/今この瞬間への意識
時刻は午後5時を迎えた。今少し小雨が降っていて、小雨が降りしきる中で、家の目の前の車庫の上を猫がゆっくりと歩いて過ぎ去っていった。
先ほどまでジムでトレーニングをしていて、今日も良い汗をかいて自宅でシャワーを浴びてさっぱりして今に至る。肉体があることの喜び。肉体を動かすことによる生命の躍動と喜び。肉体は確かに私たちの各種の欲望や限界を生み出す素でもあるが、肉体の持つ陰陽の両側面を見たときに、それは私たちがこの物理的世界で生きることの喜びを感じさせてくれる大切な器でもある。それを実感するかのようなトレーニングであった。その一方で、今日は時に集中することの難しさを感じた。「集中」と念じたり、呼吸の数を変えることやステップの数を数えることを通じて意識を集中させようとする自分がいた。というのも先週の木曜日に行われたハーバード神学大学院(HDS)の最終選考面接の結果が出るのはまだ3週間先で、その期間はまるで何か宙ぶらりんになったかのような感覚がもたらされ、どのような結果になったとしても人生が動き出すことから、意識がどうしても今に留まらず、未来に向かいがちだったのである。それは仕方のないことかもしれないが、できる限り今に集中するようにしてトレーニングをしていった。この時に、それを頭の中だけでやるとすると決してうまくいかなかったであろうことを思う。体を動かしながら、体に意識を向け、身体と対話することを通じて今に集中することがより容易になるかと思う。肉体はその意味で、私たちに生命の喜びを感じさせてくれるだけではなく、今に留まらせてくれる存在でもあるのだと思う。二重の意味で肉体の偉大さに気付かされたし、その尊さに気付かされた次第だ。
例年の動向に基づくと、HDSの結果が出るのはちょうど今から3週間後の今日かと思う。ボストン現地時間の朝9時に結果が一斉にメールで送信されるらしく、オランダはちょうど午後3時で、その時間はいつもジムでトレーニングをしている最中である。3週間後の重要な日も、先日の木曜日の最終選考面接の時と同じく自分は普段と変わらずにジムでトレーニングをしているだろう。ジムから帰ってきて、夕食を摂り終えていつものように夜にメールを確認する時に結果を通知するメールを開くことになるのではないかと思う。もちろん合格していることに越したことはなく、合格の通知を受けたら自分は本当に心底喜ぶだろう。一方で望むような結果が得られなかったとしても、自分の人生はまた新しい扉が目の前にやって来て、自分はまた新たに人生を送っていくに違いない。どのような結果であっても自分の人生は絶えず充実しており、絶えず幸福感に包まれていることには変わりない。そして常に他者への感謝の気持ちに満ち溢れたものであることに変わりはないのである。明日から結果がわかる3週間は確かに気が気ではない瞬間がふと訪れるかもしれないが、できる限り今この瞬間に集中し、自分がなすべき唯識思想の研究とサイケデリクスの研究に没頭精進したいと思う。フローニンゲン:2024/2/19(月)17:15
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