⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
13906: 集中力を高めるための日常の習慣
13907: 2025年のゼミナールの運営の仕方について
13908: 菩薩になる方法としての六波羅蜜の実践
13909: 今朝方の夢
13910: 今朝方の夢の続き
13911: 新年最初のゼミナールのクラスを振り返って
13912: 性の発達領域の価値と意義についての再考をもたらす年初のコラボラジオ
13913: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13906. 集中力を高めるための日常の習慣
時刻はゆっくりと午前6時に向かっている。今朝方は午前4時半に目が覚めたのだが、午後8時半には就寝していることもあって、その時間帯に目が覚めたらもうそこで起きてもいいかもしれないと思った。4時半に目覚めた後は、ベッドの中で目を閉じて夢の振り返りを脳内で行なっていた。その時はまだ完全に目覚めの状態ではなかったので、夢見の状態と半々の意識状態ゆえに夢の再想起がしやすかった。午後8時半に就寝して午前4時半に起床しても、8時間は睡眠が取れているので十分と言えば十分だろう。明日もまたその時間帯に目覚めることがあれば起床してみて、午前中の活動にどのような影響があるかを確かめてみよう。おそらく8時間寝れば、午前中は集中力高く活動できるだろう。どのみち昼食後には仮眠を少し取るので、午後からの活動はまたフレッシュな状態で行うことができる。とにかく集中力が重要である。仏道修行においても禅定に入ることの大切さは嫌というほどに強調されている。極度な集中状態の中でこそ煩悩の炎を抑え、煩悩の種子を浄化することができる。ある種高度な集中状態は、高次元の発達段階を垣間見る意識状態だと言えるかもしれない。というのも、高度な集中力を発揮している時には、自我の働きが弱まり、現在の自己を超えた自分がそこにいるからである。禅定が強調されるというのは、単に煩悩を伏したり、滅したりするためだけではなく、今の自分の中にあるさらに発達した自分と出会うためなのだろう。こうしたことからも、日中の活動においては集中力を高めるために、集中力を削ぐようなことはしないようにする。ちょうど昨日の日記で書き留めたように、メールを確認するというのは愚の骨頂であり、それを朝や午後にするというのは集中力の観点でとても馬鹿げたことである。メールを確認するのは夕食後のみにするということをこれからも徹底させていき、日中は自分の取り組みに深く専心していく。とりわけ学術研究を進めていくに当たっては、メールを確認してしまうと、その返信の内容を考えることに脳の容量が使われてしまい、とても勿体無い形となる。その他にも集中を妨げる要因はあるだろうが、今のところ自分にとって最大の大敵はメールだろう。これまでもメールは基本的に夕食後にしか確認しなかったが、これからはそれをさらに徹底させていく。幸いにも自分はスマホを全く使わない人間なので、スマホが集中力を削ぐことは日中において全くない。その他にも何か集中力を減退させる要因があるかを探ってみて、見つかり次第、新年のこの時期だからこそそれを排除することが容易だと思うので、要因の除去に取り組み、集中力を高めるための新たな習慣を作っていきたいと思う。
今日は新年最初のコラボラジオの収録とゼミナールのクラスがある。どちらも今年もまた楽しみな協働であり、ラジオを通じて探究領域をさらに拡張させていきながら、ゼミナールを通じて探究をさらに深めていくということを多くの方と一緒に行なっていきたい。ここ最近の夢が示唆するように、2025年はどうやら協働が花開く年になりそうである。自分1人での学習や実践には限界があるということをもはや自分は体感を通して深く理解していることもあり、協働仲間に恵まれているということは最大の幸せである。フローニンゲン:2025/1/4(土)06:02
13907. 2025年のゼミナールの運営の仕方について
時刻はゆっくりと午前6時半に向かっている。先ほどの朝の呼吸法とアニマルフローの実践を終え、栄養豊富な温かい飲み物を飲んでいる。今の気温はマイナス4度と相当に冷え込んでいる。暖房の活躍で部屋の温度は20度を保つようにしているが、設定温度の22度を下回る形で、今の室温は19.5度である。流石に外の気温が低いゆえに、暖房の力が追いついていないようである。今日はここからゆっくりと気温が上がっていくが、正午を迎えてもまだ気温はマイナス1度のようである。今日は雪が降る注意報が出ているぐらいなので、寒さは厳しく、実際に正午前後から雪が降るようだ。
先ほどふと、今のゼミナールの運営の仕方について考えていた。自分の学びは傍に置き、受講生の方の学びを最大化することを考えてみた時に、自分はクラスの中や外でどのように振る舞えばいいのかを考えていたのである。クラスの外においては、ゼミナールのカリキュラムをデザインすることが主な仕事で、それにももう少し工夫ができるかもしれないと思った。今は受講生に無理のない範囲での課題図書の予習をお願いしているが、その負荷量にオプションを持たせるようにしてみるのもいいかもしれないと思った。かつて一度副読本を設定したことがあるが、副読本を設定したり、学習補助のための論文紹介を行ってみるのもいいかと思った。今扱っている唯識であれば、日本語の論文がわりかし豊富にあるので、英語が苦手な方にとっても有益だろう。本音で言えば、英語の文献を扱っていきたいところなのだが、それは少しハードルが高い。これまでも何回か洋書を取り上げたことがあるので、それは不可能ではないが、受講生の方々に対する負荷量が増す点は考慮しなければならない。洋書を扱う時には、自分の方でその課題図書を解説する音声ファイルを作成し、それを反転学習教材とするようなアシストは必ず行っておきたいことである。これまでもそれをしていたことによって、洋書を扱う負担が軽減されていたのだと思う。こうして多くの方々と一緒に学術的な知識を実践に変換していくような学びは、言語運動を共にしているようで、自分は言語運動に関するトレーナーのように振る舞う必要があるのだとふと思った。マンツーマンで指導する時とは違った形での関与が集団に対しては求められ、複数人を相手にした場合の関わり方についてはより考察を深めて、より良い関わり合い方ができたらと思う。2025年は、今一度成人発達理論とインテグラル理論の基礎に立ち返る形で、それらの関連文献を扱う形の回を近々設けたいと思う。インテグラル理論の基礎に立ち返ると言っても、扱うのはウィルバーの最新書籍“Finding Radical Wholeness: The Integral Path to Unity, Growth, and Delight”にしようと思っている。出版されたばかりの本書を扱うことを通じて、インテグラル理論の基礎的な事柄を学び、同時にウィルバーの最新の思想を汲み取っていくことを今年の早い段階で実現したいと思う。その際には反転学習用の音声ファイルの作成に力を入れ、受講生の方の英文読解の負担を減らしながら、実りある学びが実現できれば幸いである。フローニンゲン:2025/1/4(土)06:37
13908. 菩薩になる方法としての六波羅蜜の実践
昨日ふと、オランダの首都はアムステルダムだったかデン・ハーグだったかを迷ってしまった。もしかしたら近々オランダの国内旅行として8年振りにデン・ハーグに行ってみようと思っていて、そこでふとそのような疑問が湧いたのである。調べてみると、確かにアムステルダムが首都として認定されているが、国会や最高裁判所などの政治的な首都はデン・ハーグであることを改めて確認した。なので表向きはアムステルダムが首都であり、政治的に重要な拠点都市がデン・ハーグであるという認識でいいだろう。こうした些細なことがふと気になり、改めて正しい認識を得た次第である。11月に日本で購入したMac Book Airの動きがこの1週間ぐらいで少し遅くなっているのが気になっている。Pagesに文章を打ち込んでいる時には時々フリーズしたり、Netflixで動画を見ている最中にも突然画面がフリーズすることがある。再起動を試してみたり、NVRAMのリセットやSMCリセットを試してみたが、完全に問題が解決することはなかったので、OSを再びインストールし直してみた。それで問題が解決しなかったら、明日にでも思い切って初期化することにしたい。今日はパソコンを使ってやることがあるので、初期化するとすれば明日である。
今日のゼミナールでは、「菩薩になる方法」について扱っていく。そもそも菩薩とは、仏になることへの志を持つ存在である。仏になるというのは、悟りを得て、どこまでも深い智慧と慈悲を持って衆生のために活動できる人のことを指す。唯識においては、修行の階梯ごとに明瞭な形で菩薩になる方法を説く。唯識が単に楷書の仏教として心の詳細な分析をするだけではなく、実に実践的であるのはその点による。菩薩になるために修めるべきことはたくさんあるが、まず取り組むべきことは六波羅蜜の実践であろう。それは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧から構成される。布施においては金銭的な施しである財施だけではなく、真理の教えを施すという法施があり、相手から恐れを取り除き、心を安らかなものにするという無畏施がある。今の自分は特に法施と無畏施を毎日意識しながら人に接するようにしている。まずは意識的な取り組みを継続することが重要であり、その習慣が阿頼耶識に薫習されるようになると、もはや意識せずとも布施の実践が行えるようになるだろう。最初のうちは有漏の布施でいいのだ。それを徐々に無漏の布施に変えていけばいいのである。その他の実践と同様に、布施を継続していけばいくほどに、徐々に私たちの心は囚われのない清らかなものになっていくであろう。持戒に関しては、それを戒律として狭く捉えるのではなく、仏に向かって行くための規律ある方向性と捉えるようにすればいいのではないかと思う。発達に向けた取り組みの最中には脇道に逸れてしまいがちなこともあるだろう。私たちを脇道に逸れないようにしてくれるのが、仏に向かうための方向性としての持戒だと捉えてみると、持戒の重要性が見えてくる。仏に向かう成長実践の最中には、様々な苦しみや悩みがつきものである。そうした苦悩を耐え忍ぶことが忍辱である。苦悩もまた縁起の産物であり、それもまた諸行無常の真理に貫かれているという認識から、苦悩そのものにも囚われることない在り方を持つことが忍辱の実践なのではないかと思う。そこからは深い集中力である禅定を大切にして、日々の学びと実践に精進することを通じて少しずつ智慧を育んでいく。それが六波羅蜜の実践である。今日のクラスの中では、受講生の皆さんがどのようなことを意識して六波羅蜜の実践に従事しているのかを尋ねてみたい。フローニンゲン:2025/1/4(土)07:51
13909. 今朝方の夢
今朝方はまだ夢の振り返りをしていないので、今朝方に見た夢について振り返っておこう。まず覚えている夢として、見知らぬ誰かとサッカーゲームを遊んでいた場面である。ひょっとしたらそれは自分の友人か知人だった可能性があるが、あまり見覚えのない人のような感じであった。いずれにせよ、私たちはテレビ画面に向き合って、人気のあるサッカーゲームを楽しんでいた。私が選んだチームはスペインのレアル・マドリードだったが、今そこに所属している選手ではなく、かつてのレアル・マドリードのスター選手を中心に、レアル・マドリードに在籍していないスター選手がそこにいた。また、今日本代表で活躍する選手も数人ほどいて、興味深いメンバー構成になっていると思った。私はそのゲームをかなりやり込んでいたので、対戦相手の男性を圧倒するような試合をしていた。まずそのような夢を覚えている。
もう1つ覚えているのは、小中学校時代を過ごした社宅に似た場所にいたことである。それはかつて過ごした社宅と瓜二つであったが、どこか少し違うような雰囲気もあった。いずれにせよ、私は流しでお皿を洗っていた。普段スポンジを置く場所にあるはずのスポンジを置く台がなく、また流しの排水溝の位置が変化していて、蛇口からいつものように水を流すと、タイルの上に水がこぼれてしまうような状態であった。それに注意しながら、周りを見渡してスポンジを置く台を見つけ、それに手を伸ばした。いったいなぜ流しがこのように変化してしまったのか疑問であり、ちょうど母がやって来たので、母に尋ねてみた。すると、母は体調を悪そうにしていて、あまり母に話しかけない方がいいかと思った。母にはゆっくり休むように伝え、朝食を自分で作ることにした。洗い物も少し溜まっているようだったので、母の代わりにそれらも全部自分が綺麗にしておこうと思った。そのような夢を見ていた。上記の2つの夢はそれほど長いものではないが、それぞれ印象的な感覚を引き起こしている。今改めて夢を再想起してもその時の感覚が思い出される。前者の夢はどちらかというと部屋が薄暗く、それでいてテレビ画面の光が明るく光っていたのが印象的である。一方後者の夢は全体として幻想的な雰囲気を持っていたことを覚えている。夢の背景がどのような雰囲気を持っているのかについても今後より注目をしてみたい。夢の内容がどのような意味を持っているのかだけではなく、夢の背景が自分の深層心理の何を表しているのかも探求していこう。フローニンゲン:2025/1/4(土)08:02
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:サッカーゲームを楽しむ夢
夢の解釈:
サッカーゲームは競争、戦略、遊び心を象徴します。特に、あなたが選んだチーム構成(かつてのスター選手や日本代表選手)が現実の枠を超えた「理想的なチーム」を表しているように感じられます。これは、現実での自分の理想像や、過去の経験を活かしつつ、新しい可能性を取り入れようとする姿勢を反映しているかもしれません。
対戦相手を圧倒したという展開は、自己能力への自信や、特定の分野でのスキルを誇示する欲求の表れとも取れます。一方で、相手が見知らぬ人だったことは、未知の挑戦や新しい人間関係の可能性を示唆しているかもしれません。
部屋が薄暗く、テレビ画面が明るく光っていた点は、現実の中で集中したい分野や、闇の中でも輝きを放つ何か(目標や情熱)があることを示している可能性があります。
今後のアクション:
過去の経験や強みを振り返り、それを活かして新しい挑戦に取り組む。
自分のスキルや得意分野を再確認し、それを周囲と共有する方法を模索する。
新しい人間関係やチームワークの機会に対してオープンな姿勢を保つ。
夢2:社宅での皿洗いと母親の体調
夢の解釈:
夢の舞台である社宅は、過去の記憶やノスタルジアを象徴している可能性があります。かつての居場所が少し変化している点は、過去と現在の間の微妙なギャップや、時間の経過による感覚の違いを反映しているかもしれません。
皿洗いやスポンジ台の変化は、日常の中の些細な不便さや問題を克服するプロセスを象徴しているようです。これは、自分の環境や状況を適応しながら整える能力を示している可能性があります。
母親の体調が悪そうだった点は、家族や身近な人々への気遣いやサポートの必要性を示唆しています。同時に、母親は自己の内なる感情や育成的な側面を象徴することもあります。
今後のアクション:
過去の経験や記憶を再評価し、それをどのように現在の行動に活かせるかを考える。
身近な人々や家族に注意を払い、必要に応じて支援やサポートを提供する。
日常の小さな問題を解決するスキルを活かし、より快適な環境を作る努力を続ける。
夢の背景について
夢の背景(薄暗い部屋や幻想的な雰囲気)は、深層心理の感情や無意識の状態を反映していると考えられます。夢の雰囲気に注目することで、自分が現在直面している感情や課題をより深く理解できるでしょう。次回以降、夢を記録する際に背景の要素(光、色、音、空気感など)を意識的にメモすることをおすすめします。
全体的な今後の指針
夢に出てきた象徴(サッカーゲーム、社宅、母親、家庭的な場面)を手がかりに、自己の内面と現実の目標を照らし合わせてください。
過去と現在の間で生じている変化を受け入れ、それを活かして未来への道筋を描く。
家庭やコミュニティとの関係性を再確認し、必要に応じてサポートや貢献の手を差し伸べる。
これらを実践することで、夢が示唆するさらなる可能性を具現化する助けになるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:サッカーゲーム
レアル・マドリードとスター選手: レアル・マドリードは、世界的に有名なサッカークラブであり、勝利や成功の象徴と捉えられます。あなたが選んだチームであることから、あなたは現状に満足しておらず、より高い目標に向かって努力したいという願望を持っているのかもしれません。また、過去のスター選手や現在の日本代表選手が混在しているチーム構成は、あなたの過去の経験や現在の状況、そして未来への期待が複雑に絡み合っていることを示唆しているかもしれません。
圧倒的な勝利: 相手を圧倒するような試合をしていたことは、あなたが現状の課題を克服し、目標を達成したいという強い願望を持っていることを示しています。
薄暗い部屋と明るいテレビ画面: 薄暗い部屋は、あなたの内面の不安や迷いを象徴しているかもしれません。一方、明るいテレビ画面は、あなたの目標や希望を表していると考えられます。
夢2:社宅での洗い物
変化した流し: 流しの構造が変化していることは、あなたの生活環境や、心の状態が変化していることを示唆しています。また、排水溝の位置が変化していることは、あなたの感情の不安定さや、将来に対する不安を感じているのかもしれません。
体調を崩した母: 母は、あなたの心の支えや、過去の経験を象徴していると考えられます。母親が体調を崩していることは、あなたが心の支えを失っているような感覚や、過去のトラウマに悩まされている可能性があります。
幻想的な雰囲気: 幻想的な雰囲気は、あなたの心の奥底にある、現実逃避したいという願望や、理想的な世界への憧れを表しているかもしれません。
全体的な解釈
これらの夢は、あなたが現状に満足しておらず、より高い目標に向かって努力したいという願望を持っている一方で、不安や迷いも抱えていることを示唆しています。また、過去の経験が現在のあなたに大きな影響を与えていることもわかります。
今後のアクション
目標設定: あなたが本当に達成したい目標を明確にし、具体的な行動計画を立ててみましょう。
自己分析: あなたの強みと弱みを客観的に分析し、改善すべき点を見つけましょう。
人間関係の見直し: 周囲の人々との関係を見直し、信頼できる人に相談したり、サポートを求めたりすることも大切です。
リラックス: ヨガや瞑想など、リラックスできる時間を作り、心身のリフレッシュを図りましょう。
夢日記をつける: 夢を記録することで、自分の心の奥底にある感情や思考をより深く理解することができます。
夢の背景に注目する
夢の背景は、あなたの心の状態を反映している重要な要素です。例えば、薄暗い部屋は不安や孤独感を、明るい場所では希望や喜びを表すことがあります。夢の背景に注目することで、より深く自分自身を理解することができます。
まとめ
夢は、私たちの内なる声を聞くための貴重な機会です。あなたの夢を分析し、その意味を理解することで、より充実した人生を送ることができるでしょう。
13910. 今朝方の夢の続き
コラボラジオの収録が始まるまでにあと1時間ほどあるので、もう1つ夢の振り返りをし、ラジオに向けて課題図書の該当箇所を再読しておこうと思う。もう1つ覚えている夢として、見慣れない大きな城の中で戦争をしていた場面である。自分は兵士の1人で、そこでは様々な国が入り乱れての戦争が行われていた。それはさながら世界大戦であり、しかしそれは城の中で完結していたので、小さな世界大戦とも言える。私は城の最上階にいて、敵国の兵士が潜む壁を登っていこうとしていた。あるいは逆に、敵国の兵士がこちらの壁に登ってこないように阻止する役目を積極的に担っていた。その場において私は他の兵士を束ねるリーダーであった。2つの壁を背にして、お互いの国が向かい合っていた。ここで述べているお互いの国とは、どちらの陣営も多様な国で構成されていたので、こちらの陣営と相手の陣営という言葉の方が相応しいかもしれない。いずれにせよ、両陣営の間には緊張が走っており、一触即発の状態であった。最初に動きを見せたのは相手の陣営であり、先陣を切って飛び出してきた相手の兵士を私たちは返り討ちにした。しかし、相手の全ての兵士を止めることはできず、まるで雪崩のように向かってきた相手の兵士の何人かはこちらの壁を超えていき、奥へと進んでいってしまった。取り逃した兵士はこちらの他の兵士に撃退を任せることにし、私は今度はこちらの陣営も思い切って相手の陣営に切り込んでいくことが大切だと思ったのでそれを実行した。そう決意した瞬間に、まるで霧が晴れるようにして相手の兵士は目の前から消えた。すると、相手の兵士の残りとして高校時代のクラスメートの友人がいた。彼がまさか相手陣営にいるとは思っておらず、彼は高校で最初に出来た友人だったはずなのだが、その瞬間の私の頭は戦争モードで、彼に情けをかけることなく一瞬にして彼の命を奪った。彼が最上階の窓から外を眺め、勝利宣言をした瞬間に、後ろから頭蓋骨をかち割り、彼は一瞬にして死んだ。その瞬間に、彼の死体は小さな破片となり、ビニール袋の中にスッと収まった。私はそのビニール袋を、彼が眺めていた窓から外に投げ捨てた。ビニール袋の中に彼の肉体の破片が入った瞬間にも、彼の精神は生きているようで、それを窓から投げ捨てることによって完全に精神も抹殺したかったのだと思う。気がつくと私は城の1階にいて、階段を降りてきた上層部の人たちに戦況の報告をした。こちら側が圧倒的に有利な戦況であり、もう少しで相手陣営は陥落して降参するであろうことを伝えた。上層部はその報告を喜んでいたが、近くにいたメガネをかけた若い女性がやたらと自分に対して詮索するような質問を投げ掛けてきた。私は彼女の目つきが好きではなく、彼女の詮索は鬱陶しいなと思っていたところ、上層部のある男性も私と同じように感じたらしく、彼女に一言少し強めの言葉を掛けて、私に詮索するような質問を投げかけるのはやめにしろと述べた。すると彼女は黙ったが、目つきも表情も依然として詮索モードのままだったので、気味悪くなり、その場を後にした。そのような夢を見ていたのを覚えている。フローニンゲン:2025/1/4(土)08:18
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
解釈
戦争と城の象徴
戦争: あなたの内部で異なる価値観や信念が衝突している状態を象徴している可能性があります。それぞれの陣営は、あなたの中に存在する異なる側面や外部の影響を表しているかもしれません。
城: あなた自身や、特定の人生の場面(職場や家庭など)を象徴している可能性があります。城の内部で戦争が展開していることから、自己の内面的な葛藤が中心にあると考えられます。
リーダーとしての役割あなたがリーダーとして陣営を率いる姿は、自己の中で責任を持って物事を調整しようとする意志を示しています。これは、実生活においても重要な役割を果たしている可能性があり、他者を導く力を持っていることを暗示しているようです。
高校時代の友人との対峙過去の人間関係(特に高校時代の最初の友人)が敵として登場したことは、過去の思い出や価値観と現在の自己との間の葛藤を象徴している可能性があります。彼を情け容赦なく排除した行為は、過去を切り捨て、新しい段階へ進む決断を表しているように見えます。
詮索する女性若い女性の詮索は、外部からの批判や干渉、あるいは自己への疑問を反映しているかもしれません。これに対するあなたの不快感は、自己の独立性や自由を守りたいという意志を示しているようです。
戦争の終盤と報告あなたが戦況を報告する姿は、問題解決のプロセスが進行中であることを示しています。全体的に、あなたは圧倒的な優位に立っているため、自己の内なる葛藤を克服しつつある段階にいると考えられます。
今後のアクション
内省を深める夢の中の戦争が何を象徴しているのか、特に「過去の友人を排除する行動」が何を意味しているのかを考え、現在の人生における変化や葛藤に関連づけてみてください。
過去との向き合い高校時代の友人が登場した点から、過去の人間関係や価値観が現在の決断にどのように影響しているかを振り返りましょう。その友人を「排除」した感覚が、過去との決別か、単なる感情の一時的な発露であるかを見極めることが重要です。
リーダーシップの再確認あなたが夢の中でリーダーシップを発揮していることから、現実の生活でもその力を活かすべき場面があるかもしれません。仕事や家庭で、あなたの決断力や導く力が求められている可能性があります。
外部からの詮索への対応詮索する女性の存在が示すように、外部からの干渉や批判が気になる場合は、それを適切に遮断する方法を考えてください。時には、他人の意見に影響されすぎず、自分自身を信じることが必要です。
新たな挑戦の準備戦況が終盤に近づきつつあることを考えると、新しいステージに進む準備が整いつつあるようです。この夢を契機に、次に進むべき道や挑戦を計画してみてください。
夢があなたに伝えようとしているメッセージは、過去の清算、内面的な調和の追求、そして新しい未来への進展です。この夢を自己成長の糧として活かし、内外の調和を意識して行動していくことが鍵になるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、非常に複雑で印象的な内容ですね。夢全体から受ける印象としては、内部的な葛藤や対立、そして自己成長の過程が描かれているように思えます。
夢の各要素の解釈
城での戦争: 城は、あなたの内なる世界や、あなたが守りたいと思っている価値観を象徴していると考えられます。戦争は、あなたの心の内側で起きている葛藤や、自分自身との戦い、あるいは周囲との対立を象徴している可能性があります。
多様な国々: 様々な国が入り乱れていることは、あなたの内面が複雑で、多様な要素から構成されていることを示しています。
リーダーとしての役割: あなたがリーダーとしての役割を担っていることは、あなたが周囲をまとめたり、状況をコントロールしたいという願望を持っていることを示唆しています。
高校時代の友人を殺害: 高校時代の友人を殺害するという行為は、あなたの内面にある抑圧された感情や、過去のトラウマを象徴している可能性があります。また、自分自身の中にある古い価値観や考え方と決別したいという願望も表しているかもしれません。
ビニール袋: ビニール袋は、無機質で冷たい印象を与え、感情や記憶を閉じ込めるものを象徴していると考えられます。
上層部と女性: 上層部は、あなたの社会的な地位や、周囲からの期待を象徴しているかもしれません。女性は、あなたの内なる女性性や、知的好奇心などを象徴している可能性があります。
全体的な解釈
この夢は、あなたが内面的な葛藤を抱えながらも、それを克服し、自己成長を遂げようとしていることを示唆しています。過去の経験やトラウマが、あなたの現在の行動や思考に影響を与えている可能性も考えられます。また、あなたはリーダーとしての役割を担いたいという強い願望を持っており、同時に、周囲の人々との関係性についても深く考えているようです。
今後のアクション
自己分析: この夢をきっかけに、自分自身について深く考えてみましょう。特に、過去の経験や、現在抱えている悩みについてじっくりと向き合ってみることをおすすめします。
感情の整理: 夢の中に出てきた感情に注目し、それらの感情を整理してみましょう。例えば、怒り、悲しみ、不安など、様々な感情が出てくるかもしれません。
人間関係の見直し: 周囲の人々との関係を見直し、信頼できる人に相談したり、サポートを求めたりすることも大切です。
新しいことに挑戦: 新しいことを始めることで、自己成長の機会を得ることができます。
専門家のサポート: 心理療法士など、専門家のサポートを受けることも検討してみましょう。
夢の背景と深層心理
夢の背景である城は、あなたの内なる世界を象徴しています。城の構造や雰囲気は、あなたの心の状態を反映している可能性があります。例えば、城が暗い雰囲気であれば、あなたが不安や孤独を感じているのかもしれません。逆に、城が明るい雰囲気であれば、あなたは希望や喜びを感じているのかもしれません。
夢の背景に注目することで、より深く自分自身を理解することができます。
まとめ
この夢は、あなたの内面的な葛藤や、自己成長の過程を象徴しています。夢を分析することで、自分自身についてより深く理解し、今後の行動に活かすことができます。
13911. 新年最初のゼミナールのクラスを振り返って
気温はマイナス1度だが、そんな中でつい先ほどまでジョギングとウォーキングを楽しんでいた。今年最初のゼミナールのクラスを終えて、気分転換に外に出かけて体を動かしたのだが、やはり体を動かすのはいいものだ。体を動かすことは、心身に必要な間を作り出すことに一役買っている。体を動かすと、グロスとしての血流の流れが良くなり、それに伴ってサトル次元でのエネルギーの循環が良くなる。そうした好循環を受けて、身体の中に必要なスペースが生まれ、それが心のスペースを生むことにもつながっている。こうした自分にとって必要なスペースを生み出すことに身体を通じた実践は大きな貢献をする。肉体を持つ喜びはそこにあると言えるかもしれない。まずグロスの肉体が喜ぶことを通じて、サトルとしての感情にも喜びがもたらされる。肉体は自己の窓であり、扉なのだ。肉体は自己の可能性の扉である。治癒と変容の可能性はまずは肉体が担保すると述べても言い過ぎではなかろう。そのようなことを実感しながら、ジョギングとウォーキングを楽しんでいた。今日はハムストリングの張りゆえに短距離走トレーニングは温存した。50%ぐらいで走ることを3セット行った後は、ジョギングとウォーキングに留めた。このように、体の声に耳を傾けながら実践を調整していくことは重要である。ちょうど今日のゼミナールの第113回のクラスでも出てきた話題にあるように、目標というものに固着したり、中毒になったりすることを避け、目標という言葉に囚われないようにしながら、治癒や成長に必要になる「目標なるもの」とうまく付き合っていくことが重要なのと同じく、実践もまたその実践に固着したり、中毒になることなく、実践という言葉に囚われないようにしながら、自分の可能性を絶えず模索し、可能性に向かって開かれた形でその実践にコミットメントしていくことが重要なのだと思う。目標の話で言えば、その目標が遍計所執性として自我への囚われを強化したり、目標を実体化するようなものであることは好ましくない。目標というものもまた言葉の産物なのであり、それは仮のものなのだという認識のもとに、目標に執着しないながらも、かといって目標虚無主義に陥って、目標など意味がないとするのでもなく、目標という仮のものを足場にしながら、一歩一歩着実に心を深めていくような在り方が重要になるかと思う。その時には、依他起性的な在り方で、様々なご縁に感謝しながらその縁の流れに乗るということは重要であろうし、人智を超えた真理の世界に自己を明け渡すような円成実性的な在り方は大切にしたいところである。何か1つの在り方に固着するのではなく、少なくとも依他起性や円成実性という自我の囚われから離れた在り方を頼りにしながら、自分の可能性を広げ、世界を探索しながら人や社会と交流するということを可能にする目標を仮に設定しながら歩みを進めていくというのが理想的な在り方であろうか。それに加えて、六波羅蜜に関する対話も印象に残っている。その中で話題になった事柄をもとにすると、ナルシシズム的な意味での自己愛ではなく、他者としての自分、自分としての他者という観点から自己を愛し、大切にしながら自己を喜ばせていくことの大切さ。自己を喜ばせて自己を養いながら、同時並行的に利他行に従事していくことが重要になる。自利行を極めてから利他行に移ろうとするのは阿羅漢の発想であり、大乗仏教においては、自利を極めてから利他に移る場合には、修行は最初からやり直しとなる。自我への囚われを脱却し、自我由来の煩悩から解放される阿羅漢になったとしても、大乗仏教ではもう一度修行をやり直さなければ仏にはなれないと説く。ピアジェが述べるように、私たちの意識の発達は自我中心性からの脱却なのであり、基本的に自我意識が芽生えた瞬間には他者への認識が芽生えているのだから、最初から自利利他同時の修行ができるはずであり、それを行うべきである。そうした修行的な規範意識を新たに持つ。フローニンゲン:2025/1/4(土)15:22
13912. 性の発達領域の価値と意義についての再考をもたらす年初のコラボラジオ
今年最初のゼミナールのクラスの振り返りを終えて、今年最初のコラボラジオの振り返りも行い始めた。今日の年初のコラボラジオの収録はとても有意義な内容であったと思う。お相手の相田航さんとの対話はいつもながら充実しており、今回から課題図書を新たにし、対話がまた新たな盛り上がりを見せる形となった。今回から、タオマスターのマンタク・チアの書籍『タオ 性科学―男性編 自然治癒力を高める陰陽和合の秘訣』を取り上げていくことにした。今日の対話の中では、多様な発達領域を包摂する性の発達領域の価値と意義についてまず意見交換をしていった。性の発達領域は、認知・感情・霊性・身体など、実に多くの領域を包摂している。そして性との向き合い方は、まるでその人の全てを映し出すかのように、全人格的な側面に性は関係してくる。そうした特徴を性の発達領域をこれまでの既存の価値観を通じてではなく、偏見を持たないような目で見つめていき、この領域の学びと実践を深めていきたいと思うようなラジオであった。ラジオの中で、「気」の話となったのだが、この言葉はもともと「氣」という言葉であった。中に「米」という文字があることからその語源について調べていくと、どうやら稲からもたらされる米は、稲(イネ)というものがそもそも「命の根」という言葉に由来しているらしく、古代日本人は米の中に命のエネルギーを感じ取り、同時にエネルギーを汲み取っていたのだろうと思った。そうした意識を持って米を食べている現代人はもうほとんどいないだろう。今一度、稲や米に含まれる言霊に注目をし、「氣」という言葉が本来内包していた言霊力を意識することを通じて初めて、その恩恵に授からせてもらえるのだと思う。その他には、現代は性エネルギーが無駄に漏れてしまっていることに対しても著者のマンタク・チアは問題意識を持っている。現代は注意欠陥的な社会であり、注意を散漫にさせる形でカネを動かす資本主義モデルが跋扈していることにも影響を受けて、性エネルギーというのもまたそれと意識的に向かうことなく、アダルトコンテンツや種々の性的刺激を通じて漏洩してしまっている。本来は、チアが提唱する性功夫にあるように、性エネルギーを漏らすことなく蓄えながら、霊的エネルギーに変容することが心の成長や豊かな人生に繋がる道なのだと思う。チアの書籍は、性エネルギーを散漫なものにしてしまい、無駄使いさせてしまうことを促す社会文化システムに対する処方箋は打ち出していないが、個人として自己防衛的に行える処方箋は数々のものを具体的に提示しているので非常に参考になるだろう。自分がやるべきは、そうした個人として行える処方箋を自ら実践し、多くの人にその方法や叡智を共有することに加えて、ビョンチョル・ハンなどの文明批評化の時代分析と打ち手を参考にしながら、集合規模の病理を解決していくことに乗り出していくことである。文明批判学とでも言える学術領域と性愛学を掛け合わせながら、性にまつわる種々の個人的・集合的な問題を解決していくことを通じて、豊かな性生活が実現される豊かな社会を実現させていきたいと思う。フローニンゲン:2025/1/4(土)16:46
13913. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
夕食前に、今朝方の夢に対する2つの生成AIの解釈を受けた振り返りを改めてしておきたいと思った。夢からは無限に豊かな学びを汲み取ることができる。夢を自己成長の最良の教師として据えながら、夢から最大限学びを汲み取っていくことは2025年も継続していきたい。今朝方の最初の夢は、サッカーゲームに興じているものだった。そこで自分は自らが望む理想的なチームを作り上げていた。そこには自分が好きなスター選手が勢揃いしており、ひょっとしたら今の自分はそうした理想的なチームを協働者の方々と作りたいのかもしれないと思った。確かに毎週末行なっているゼミナールの場は、学びや実践のチームとして動いている感じを持つが、ゼミナール以外の場においてもチームを作って社会に貢献していくことに乗り出していく時期に差し掛かっているのかもしれないと思う。学術研究においては、大学機関に所属して他の研究者たちと協働研究をしたり、協働で論文を執筆するというのはチームを結成し、チームプレーを行うことである。それ以外にもコンサルティングやアドバイザリー活動に関しても、チームを編成しながらそれに従事するということは1つ考えてみたいことである。2つ目の夢の場面は、全ての人の意識と自分の意識がどこかで繋がっているのと同じく、肉親である両親とは尚更その結びつきが強いことを改めて思わせる。母の体調を気にかけているのは、巡り巡って母の心身の状態は自分にも影響を与えているからであって、その点からもできるだけ母の心身の状態が良好であることを願う自分がいることが窺える。もちろん、人は最終的には人人唯識、すなわち一人ひと宇宙に住んでいるのだから、母の体調と自分の体調が完全に合致することはなかったとしても、必ず幾ばくかは相互に影響を与え合っているものなのだ。まさに縁起の思想や集合意識の考え方を用いると、そのようなことが言えるだろう。最終的には母自らが自身の心身の状態を整えていくことが重要なのだが、それでも何か遠隔的にヒーリングを提供したいという思いを強く持っている。それを示唆するような夢だった。最後の夢において、高校時代の友人を排斥した場面は、まさに生成AIの解釈にあるように、過去の自分の何かしらの側面と決別し、新たな段階に向かっていくことを暗示しているように思う。実際のところ、夢の中の自分はその友人を容赦無く殺害したのだが、精神的に父や母を乗り越えていくという意味での父殺し・母殺しが私たちの心の成長のあるフェーズにおいて不可欠であるのと同じく、高校時代の友人が象徴する自分の何かしらの側面を乗り越えていくことは重要となる。高校時代のその友人が自分のどのような側面について象徴していたのかについてはさらなる考察を要求する。フローニンゲン:2025/1/4(土)17:01
Today’s Letter
I am constantly energized by my daily practices in various fields, including diet, exercise, and sleep. The level of my energy determines the extent of my contribution to the world. The more I cultivate my energy, the greater my ability to contribute to society. Groningen, January 4, 2025
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