top of page

11172-11179: フローニンゲンからの便り 2023年10月27日(金)



その他のカリンバ即興演奏曲はこちらからご視聴いただけます。

8617個のピアノ曲・箏曲の全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。


下記のアートギャラリー(Instagram)より、本日のアート作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。


成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11172. 今朝方の夢

11173. 今朝方の夢の続き

11174. ドラッグ中毒と地下経済の問題を受けての合成系と天然系のサイケデリクスに関する考察

11175. ハーバード大学神学大学院のオープンキャンパスイベントに向けて

11176. 合成系サイケデリクスの希薄化・代替化の問題

11177. 地球規模で展開される薬物戦争

11178. 武術における攻防と薬物問題へのアプローチ

11179. ドラッグに関するハームリダクション戦略について/マヤ暦2012年の12月21日に


11172. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。闇に包まれた世界の中で、暖房の音とこの日記を綴るパソコンのタイプ音だけが響いている。今の気温は9度ほどで、強の最高気温は11度とのことだ。今週の日曜日から滞在するボストンは、土曜日まで温かく、なんと最高気温が26度を示している。しかし、自分が滞在を始める日曜日から気候が一気に転換し、最高気温は13度、最低気温は10度とフローニンゲンと同じような気温になる。むしろフローニンゲンと同じぐらいの気温の方が体調管理がしやすいのでそれはそれで有り難い。滞在中からどんどんと気温が下がっていき、ちょうどオープンキャンパスがある日が一番気温が下がり、最高気温は8度、最低気温は1度を示している。これは相当に寒いので、冬用のジャケットとヒートテックも上下必ず持っていくようにしたい。


今朝方の夢をいつものように振り返っている。夢の中で私は、見慣れない旅館の部屋にいた。その旅館はとても風情があり、それでいてモダンな設備がいくつもあって大変過ごしやすかった。しばらく部屋で寛ぎ、夕食の準備をしていると、突然自分の体が瞬間移動して、気がつけば野球場にいた。どうやらそこは、夏の甲子園が行われている会場のようで、今目の前で試合が行われていた。文字通り目の前で、私はバッターボックスのネクストサークルにいた。満員の観客がやたらと盛り上がっているなと思ったら、どうやらすでに9回の裏のようで、バッターボックスにいるキャッチャーの選手がホームランを打てば逆転勝ちのようだった。そんな状況だったので観客席からの応援は凄く、ベンチからの声も含めて会場全体が大盛り上がりを見せていた。そんな中、ネクストサークルにいた私は冷静ながらも緊迫した心持ちでバッターの選手を見ていた。バッターの選手は堂々としていて、いざバッターボックスに立つと、何かやってくれるのではないかという雰囲気を発していた。ピッチャーが振りかぶって初球を投げると、初球はストレートでストライクとなった。バッターの彼は初球を意図的に見送ったようだった。続く2球目はボールで、3球目に何か起こりそうだなと思った。その予感の通り、3球目もまた良いストレートのストライクボールで、バッターの彼はそれを打った。すると、打球はレフトの方向に飛んで行ったが、ホームランではなかったので、逆転勝利にはならないと思ったが、飛んで行った方向がとても良かったことと、バッターの彼が俊足だったこともあり、あれよあれよという間にランニングホームランになりそうだった。3塁に向かうところでこれはランニングホームランになると選手たちも会場も確信し、最大の盛り上がりを見せた。すると私はどういうわけか、ネクストサークルからホームベースに移動し、彼をホームベースで迎え入れようと思った。3塁からホームベースに走ってくる彼は歓喜で笑顔を見せながらも涙ぐんでいて、それを見て私も笑顔になり、同時に歓喜の涙が湧いてきた。彼はホームベースにいる私に抱きつくようにして飛びかかり、私は地面に倒れ、倒れた2人の上に選手たちが駆け寄ってきて喜びを表現した。すると会場からは本日一番の大歓声が飛び交い、歓喜の渦に包まれた。鳴きながら喜ぶ選手たちの輪の中で、自分も人生で一番歓喜の涙を流したと言えるぐらいの感動に包まれていた。フローニンゲン:2023/10/27(金)06:26


11173. 今朝方の夢の続き


時刻は午前7時を迎えた。依然として闇と静寂さに包まれた世界の中にいる。昨日の日記で書き留めたように、昨日はいつものように就寝時間を早め、寝る前に瞑想実践をして心を落ち着かせた。瞑想によって脳をリセットしたところで就寝すると、やはり目覚めが良く、活力の湧き方が随分と違うことが改めてわかった。昨日までの2日間は調べ物の都合上、いつもより就寝時間が遅くなり、さらには寝る前の瞑想もできなかったのでその反省から、昨日から改めて寝る前の20分の瞑想と早めの就寝をしてその効果を存分に実感できたことはよかった。こうした小さな実験を積み重ねていき、日々をより充実した形で過ごしていければと思う。


今朝方の夢については先ほども振り返っていたが、まだいくつか続きがある。それらについても忘れないうちに書き留めておきたい。夢の世界の出来事や気づきが、今後のシロシビン·セッションにも影響を与えるであろうし、そこから汲み取れる治癒と変容の効果も増すであろうから。


夢の中で私は、魔法が使える国にいた。そこはどこか中世を思わせるような雰囲気を発していたが、町自体は先端テクノロジーで溢れていて、中世と未来の混ざり合った不思議な場所のように知覚された。その町で私は魔法学校に通い始めた。そこでの学びは座学と実践だった。座学に関しては、非科学的なものでは全くなく、むしろ現代の科学を越えた超科学的な観点から、魔法に関するかなり精密な理論体系を次々に教えてもらった。それが私にとってはとても楽しく、好奇心の目が全開となって全ての授業を最前列で積極的に発言しながら受講していた。すると、自分の成績は学年で1番となり、その成績はダントツであった。一方の実技については、最初こそ他の生徒に遅れを取っていたが、実技に関しても爆発的な好奇心を持って、自分で創意工夫しながら楽しく実践を日々継続していると、実技においても学年で1番となった。その頃には自分の魔法能力が先生たちを凌ぐようになっていて、若くしてその学校の講師を任されることになった。私は講師になれたことを純粋に喜んだが、それ以上に嬉しかったのは、引き続きこの学校で他の先生や優秀な生徒たちと魔法について探究できることだった。この学校は自分の好奇心を満たす唯一無二の場所だと思った。そこで夢の場面が変わった。


もう1つ覚えているのは、見慣れないキャンプ場の屋外で、モンゴルとどこか中央アジアの国のハーフの若い男性と日本語で話をしていた場面である。彼は本当に日本語が流暢で、まずはそれに驚き、聞くところによると、小中高と日本語を勉強していたようだった。しかし日本人も小中高と英語を勉強しているが、流暢に話せるようなレベルにある人は皆無であることを思うと、彼が育った国の日本語教育は優れているのだろうと思った。そこからは学術的な事柄をテーマにして話を続けた。そこでも英語ではなく彼は日本語で話をし始め、学術的な事柄についても日本人以上に日本語を知っていることに驚かされた。そこからの彼との対話は非常に充実したものだった。フローニンゲン:2023/10/27(金)07:14


11174. ドラッグ中毒と地下経済の問題を受けての合成系と天然系の

サイケデリクスに関する考察


時刻は午前7時半を迎えたが、引き続き辺りは闇に包まれている。闇の心地良さ。闇に包まれていることによって自分は光を知覚できる。光の優しさを実感できるのである。


ユングがかつて「地獄に届く根を持たない木は天国に至ることはできない」と述べたように、サイケデリクス·ルネサンスの時代において世界の名門大学が行っているサイケデリクス研究によってもたらされているサイケデリクスの効能という光の側面だけではなく、世界の様々な場所で蔓延するドラッグ中毒や地下経済の問題に関する闇を描いたドキュメンタリーを洗いざらい視聴している。全てのドキュメンタリー作品を見るまでにかなりの時間を要しそうだが、ドラッグに関する地獄を真正面から見つめなければ、サイケデリクスを通じた天国に至ることはできないであろう。


一連のドキュメンタリーを見ていると、やはり中毒を引き起こすドラッグというのは必ず製造過程で人間の手が加わり、そこに何かしらの化合物を加えていることがわかる。一概に天然系が安全で、合成系が危険だとは言えないことを繰り返し述べているが、現在世界で問題になっているものは間違いなく合成系のドラッグである。例えば、メタンフェタミン系の覚醒剤、ヘロイン、コカインなどは元々の根元にあるのは植物起源の物質だが、それを人の手で加工し、加工過程の中で様々な物質を加えていく。そうした形で危険なドラッグが出来上がり、それが中毒の問題を引き起こしている。より正確に述べるならば、そうした危険なドラッグそのものが中毒を引き起こしているわけではなく、確かにそれらの物質には中毒性があるのだが、そうしたドラッグに手を出してしまい、それらを継続して使用してしまう心の問題及びその問題を生み出している社会構造があるのである。


メタンフェタミン系の覚醒剤、ヘロイン、コカインといったハードドラッグではなく、サイケデリクスに目を向けてみると、合成系のMDMAに関してもやはり紛い物が多く、それが問題を起こしている。一方で興味深いのは、同じく合成系のLSDは紛い物があることはあるだろうが、その問題が取り立たされることはほとんどない。これはMDMAとLSDの製造のしやすさの違いなどによって生じるのだろうか。LSDについても紛い物の問題が本当にないのかは確認したいし、市場に出回っているLSDとMDMAのそれぞれの純正品と紛い物の数と割合の比較なども行っておきたいと思う。


そうした合成系のサイケデリクスの問題に対して、天然系のシロシビンやメスカリン、さらにはDMTについては紛い物の問題は聞いたことがない。またそれらは各種の中毒に対する治療にも効果があることがかなり分厚く研究されており、そうしたことを総合的に考えると、尚更天然系のサイケデリクスに関心が行き、それを研究と実践の根幹に据えたいという思いが強くなるし、社会実装においてもまずはそれを優先させるべきかと思う。実際にアメリカの各州のサイケデリクス規制の流れを見ていても、合成系は依然として違法としながらも、天然系のサイケデリクスを合法化しようとする動きが様々な州で見える。こうした薬に関しては、人間が手を加えれば加えるだけ自然から乖離していき、様々な病理を招くのではないかという考えが自ずと生まれてくる。サイケデリクスに関してもできるだけ自然と乖離せず、自然と共生するような形での生産と販売が望まれるのではないだろうか。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/27(金)07:45

11175. ハーバード大学神学大学院のオープンキャンパスイベントに向けて


時刻は午前8時に近づいてきたところでようやく1羽の小鳥が鳴き声を上げてくれた。その鳴き声にどこかホッとする。起床からここまでは闇と静寂さしかなかったところに、小鳥の鳴き声が生まれた瞬間に、無から有への転換を見た。状態転移を世界が迎え、そこでふと荘子が述べるところの「有を超越した無をさらに超越した絶対者としての一者」について思った。今まさに自分はそうした一者と合一している。自己即世界全体、世界全体即自己の境地にいる。一者との合一体験を得るきっかけとして、次回のシロシビン·セッションを楽しみにしている。次回はボストン旅行から戻ってきてしばらくしてからにしようと思っていて、そこではクラシックオペラではなく、クラシックのヴァイオリン協奏曲をメインな音楽としてセッションを行う予定だ。


昨日、ハーバード大学神学大学院(HDS)のアドミッションから、11/1(水)のオープンキャンパスイベントについてのメールが届いた。メールを開けるとPDFが添付されており、そこに1日の流れが記載されていた。午前8時半に受け付けが開始され、午後5時まである1日かけたイベントに参加できる喜びがある。午前中には2人のプログラム長による模擬授業があり、希望者はHDSが用意してくれた2つのクラスのうちどちらかを聴講できるらしいが、聴講できる人数には制限があるらしく、朝の受け付けの際に申請をして早い順に席が埋まるとのことだった。どちらのクラスも最大で5人までしか受け付けていないので、午前8時半よりも早めにキャンパスに到着し、できれば受け付けを一番乗りで行いたいと思う。


片方のクラスはヒンドゥー教の神クリシュナとキリスト教におけるイエスを比較するもので、もう片方のクラスはユダヤ教の神秘主義を扱うものである。どちらも興味深いが、サイケデリクスとの関係で言えば、ユダヤ教のカバラとサイケデリクスの関係を解き明かした数冊の書籍を先日読んでいたこともあり、後者の授業の聴講をしたいと思う。今すぐにではないが、いつかユダヤ教のカバラとサイケデリクスの関係を扱う論文を自分も執筆する可能性があるかもしれないし、それについてどこかで話すこともあるだろう。そうしたことを見越してこちらの授業が聴講できるように、当日はホテルを朝早く出発し、受け付けが始まる前に会場に到着しておこうと思う。どこか新作ゲームの販売を店の前で待つ人の心境である。それくらいに今ワクワクしている。こうしたワクワク感を幾つかになっても持ちながら、自分は自らの探究と実践を愚直に継続していく。フローニンゲン:2023/10/27(金)07:57


11176. 合成系サイケデリクスの希薄化・代替化の問題


今日のサイケデリクス研究は“Essential guide to psychedelic renaissance: The neuroscience behind a new psychotherapy”という書籍の再読から始まった。1ヶ月前に初読を終えていたのだが、この1ヶ月間で自身の学習も進み、新しい問題意識を本書を眺めてみると、随分と新たな発見があることに驚く。


最初はシロシビンの記述の箇所から読み進めていこうと思ったが、社会学的なハームリダクション戦略に関する説明を再読し、そこから合成系サイケデリクスの希薄化や混合化の問題に関する説明を読んだ。ちょうど早朝にMDMAやLSDの合成系の希薄化·混合化の問題について日記を執筆していたこともあり、問題意識を持っていた問いに見事に答えてくれるような記述があった。


MDMAが砂糖やクレアチンといった白色のパウダーで置き換えられたり、希薄化されたりすることは知っていたし、MDMAの紛い物が横行していることは知っていたが、実際のところLSDもMDMAほどでないにせよ似たような状況らしい。LSDに関しては希薄化というよりも代替化の問題が深刻なようで、LSDとして販売·流通しているものが、実は神経に対する毒性のある25i-NBOMe(俗称「スマイル」「N爆弾」「ソラリス」「ウィザード」)やDO系(例:DOC、DOI)などに置き換えられているケースがあるようだ。さらに昨夜より視聴しているドキュメンタリーの中で登場しているフェンタニル(fentanyl)という非常に強力な鎮痛オピオイドがMDMAやLSDなどの合成系のサイケデリクスと称して稀に北米で出回っているようだ。フェンタニルはヘロインの50倍、モルヒネの100倍ほどの効力を持っている鎮痛剤で、これは劇薬であり、それが稀にであってもMDMAやLSDなどの合成系サイケデリクスとして出回っているリスクには注意しなければならないだろう。もちろん、MDMAやLSDのパッケージや製品の外見を見ればある程度のことがわかるし、個人で検査キットを用いて純度を測定することもできる。しかし、知識がなく、そうした検査キットも持ち合わせていないと、思わぬ劇薬を合成系サイケデリクス として摂取してしまうリスクがあることは常に念頭に置いておくべきだろう。こうしたことからも、自分自身は合成系のサイケデリクスは研究こそするが、摂取しはないという在り方を持っておきたいと思う。大学の研究所や病院での被験者としての実験の際に提供されるものなら摂取する可能性はあるが、ストリートのものは手を出さないようにするというのが賢明だろう。こうしたことを考えると、天然系のサイケデリクスの安全性と価値が相対的に高まり、自ら栽培するシロシビン・マッシュルームの安全性が高まってくる。 フローニンゲン:2023/10/27(金)08:39


11177. 地球規模で展開される薬物戦争


本日のサイケデリクス研究の2冊目として再読を始めたのは“Drug policy and the public good (2nd ed.)”という書籍だ。こちらはオックスフォード大学出版から出版されている一線級の学術書で、公共善の実現に向けた薬物規制について多様な学者が執筆陣として名を連ねている。


本書を読みながら、確かに一国内で薬物の規制をどのようにしていくのかを考えていくことも重要だが、薬物というのは地球上でダイナミックスステムかつダイナミックネットワークを形成していることもあり、そのことを見逃すと、公共善を実現した規制にはつながらない。端的には、一国の薬物規制がどれだけ優れていたとしても、違法薬物や危険薬物はあの手この手を使って必ずその国に入ってくるであろうから、供給元の国や地域に対しての介入をして行かない限りはグローバル規模でのドラッグ問題の解決にはならないのである。昨日視聴していたのはフィリピン国内における薬物戦争に関するドキュメンタリーだが、違法薬物や危険薬物を撲滅させるための戦いは1つの国だけで完結するものではなく、地球規模のものなのだ。現在は、地球規模での薬物戦争に私たち全員が従事しているということにどれだけの人が気付けているだろうか。サイケデリクスの研究を始め、ドラッグの社会的闇の調査をするまではこの点に自分も気づけていなかった。


コカインやヘロイン以外にもより危険な薬物はたくさんあるが、コカインやヘロインの主要な生産国を見ると、コカインにおいてはコロンビアが最大の生産地であり、次にペルーが来る。そしてヘロインにおいてはアフガニスタンが世界で最大の生産国であり、次にミャンマーが来る。これらの国に共通しているのは政治経済の不安定さであり、これらの国を国際社会が見捨てる限り、地球規模での薬物戦争に終わりは来ないであろう。フィリピンの薬物戦争に関するドキュメンタリーを見た後にタリバン政権下におけるオピオイドの蔓延の問題を取り扱ったドキュメンタリーを見たのだが、アフガニスタンの薬物問題に関する惨状を見た。そこではもう薬物中毒者は人間として見なされておらず、死体は川や街中に放置されたような状態になっている。グローバルで展開される薬物戦争を本当に終わらせようとするのでれば、これらの国に対する国際支援と政治経済上の問題の解決をしていかなければならない。薬物の規制の問題は国内問題に留めるだけではなく、このように地球規模のマクロな観点で考えていかなければ根本問題が解決されないことを自覚する必要がある。フローニンゲン:2023/10/27(金)09:57


11178. 武術における攻防と薬物問題へのアプローチ


武術を日々鍛錬していると、武術での稽古を通じて獲得された感覚やアイデアが他の領域にも活かされてくる。それでいうと、薬物問題に関して攻防の分類を適用してみると、薬物教育は護身的な守りの側面が強く、薬物規制を見直していくというのは攻めの側面が強いように思えてくる。薬物教育を通じて知識を獲得することは、危険な薬物に手を出すことの防止につながっていくが、それだけでは不十分である。それはあくまでも守りの側面なのだ。一方で、薬物教育をせずに国民のドラッグリテラシーを高めない形で薬物規制をどれだけ立派なものにしようとも、その規制を逃れて危険なドラッグが人々の目の前に現れると、それに人々は汚染されてしまうかもしれない。ゆえに規制の改革はあくまでも攻めの側面なのだ。武術においては攻防の技を習得することが大事であり、攻防の技に対するカウンター攻撃に対してもまたカウンターとしての攻防の技を鍛錬することが求められる。その構造を薬物問題に対しても適用する必要があるように思えてくる。武術は個人の領域に関する実践だが、薬物問題は個人かつ社会の領域に関する現象であり、より緻密な攻防技術が求められるだろう。国民と国の双方を守り、必要であれば積極的に攻撃に転じるような技術を高めていくためのプログラム作りをしていきたいと思う。そのようなことを考えていた。


薬物問題は、人間の心の弱さを突き、社会の脆弱さを突く。人間には種々の欲望があり、それを無くすことは基本的にはできない。将来の先端的なテクノロジーによって人間から欲望を無くすことも可能かもしれないが、果たしてその時の人間は人間と呼べるのか疑問である。さらにテクノロジーが進化して、薬物問題を生む人間の低次元な欲望だけを無くし、自己実現や自己超越の欲求だけを残すことも可能かもしれないが、それらの高次元の欲求もまた薬物問題に関係している可能性もある。いずれにせよ、心の問題と向き合わない限りは薬物問題は解決されていかないだろうし、そうした個人の心の問題を生み出している社会の脆弱性や病理と向き合わなければ根本的な解決はないだろう。兎にも角にもこの巨大な問題に対しては、インテグラルに発想することが重要であり、こうした複雑な問題に対してこそインテグラル理論のアプローチが真価を発揮するのだと思わされる次第である。自分がインテグラル理論と出会い、この理論を12年間以上かけて理解を深めてきたのは、薬物を取り巻く巨大な問題の解決に向けてのことだったのかもしれない。フローニンゲン:2023/10/27(金)10:20


11179. ドラッグに関するハームリダクション戦略について/マヤ暦2012年の12月21日に


時刻は午後4時を迎えた。つい今し方、散歩がてらの中央市場への買い物から帰ってきた。市場の途中でフローニンゲン大学のショップに立ち寄り、大学のカラーの冬用のトレーナーを購入し、コーヒー屋に立ち寄ってコーヒー豆を購入した。もうすっかりと冬らしくなったので、深煎りの豆を購入することにした。冬の季節は深煎りの味わい深いコーヒーが飲みたくなる。明後日からはボストン旅行なので、今日と明日に必要な食材だけを中央市場で購入した。行きと帰りの散歩中も頭の中はサイケデリクス研究のことで一杯だった。


昼食を摂りながら、カナダのバンクーバーがフェンタニルというヘロインの50倍、モルヒネの100倍ほどの効力を持つと言われるドラッグに蝕まれている様子を取り上げたドキュメンタリーを視聴した。バンクーバーはハームリダクション戦略として使い古しの針ではなく新品の針を中毒者に無料で配ったり、フェンタニルよりも危険性の低いドラッグを無料で配ったりして対策を講じている。驚くことに、そこで配られているのがヘロインだったが、そこからフェンタニルがどれほど危険なドラッグかが見えてくる。結局のところ、ハームリダクション戦略というのはあくまでもドラッグの使用に関する否定的な現象(死亡や犯罪など)を低減させることが目的なのであって、根本的な解決策ではないことを押さえておく必要がある。ハームリダクション戦略はあくまで水際対策としてうまく活用しながら、それと並行して抜本的な解決策を打つことが社会で求められる。それは日本も例外ではないはずだ。


今日の昼前に知人の方を通して、アヤワスカやペヨーテを摂取したことのある中国人の方とお話をさせてもらった。その方がマヤ暦において2012年は人類にとって節目の年だと述べておられ、そう言えば自分がアヤワスカを摂取したのは2012年だったように思えたので調べてみたところ、2012年の12月21日(金)に初めてアヤワスカを摂取したようだった。マヤ暦において2012年についてどのようなが言われているのかを調べてみたところ、驚嘆したことに、2012年12月21日から12月23日ごろに1つの大きな区切りを迎え、2012年12月21日「新しい太陽の時代」に突入するとのことだった。これは何の偶然なのだろうか、まさに自分が初めてアヤワスカを摂取したのが「新しい太陽の時代」に突入するとされる2012年12月21日だったのだ···。もちろんこれはノストラダムの予言のようなオカルト的な要素が含まれていると思われるが、それにしても奇妙な一致である。少なくとも、人類においてその日が何か重大だったかは定かではないが、自分にとっては大きな日であったことには間違いない。確かに、その日にアヤワスカを初めて摂取したことを通じて、自分の人生が新しい太陽の時代に突入した感覚はある。こうした個人の理解や意識を超えたところにある現象を大切にしながら、超越した形での研究·実践と地に足を着けた研究·実践に従事していこうと思う。フローニンゲン:2023/10/27(金)16:33

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page