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9914-9921: フローニンゲンからの便り 2023年2月16日(木)



No.4481 印_A Sign


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本日の3曲


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タイトル一覧

9914. 今朝方の夢

9915. 今朝方の夢の続き

9916. 公共政策とアートを通じたアプローチ/ミラーニューロンの活用

9917. リアルオブジェクトと創作活動との関係性

9918. リアルオブジェクトと美/リアルオブジェクトの外側に無限に広がる創造世界

9919. オブジェクト指向存在論と批判的実在論を横断しながら

9920. 充実した筋力トレーニングを終えて

9921. 祈りの実践/オブジェクト指向存在論・思弁的実在論と仏教の実在論思想を絡めて


9914. 今朝方の夢


時刻は午前9時を迎えた。空にはうっすらとした雲が掛かっていて、今朝は朝日を拝むことができない。気温はさほど低くないが、午後からは小雨が時折降るようなので、午後にジムに行く際には折り畳み傘を持っていこうと思う。今日のパーソナルトレーニングも実りあるものになるだろう。今、着実に筋力トレーニングの成果が身体に現れているのを見ることができており、それが励みになっている。筋肉というのもまた知性の発達と同じく緩やかに発達していくことがわかる。焦ることなくゆっくりと気長に実践を続けていこう。そうすれば、継続的な筋力の発達を実感できるだろう。


今朝方は断片的な夢をいくつか見ていた。夢の中で私は、日本人の同年代のある有名な投資家の方と話をしていた。場所は薄暗い建物の中で、その部屋は薄汚かった。投資家として成功しているその方と自分がいるにはあまりふさわしくないように思えたところ、どうやら私たちは探偵としてその家を調査しに来たようだった。ある事件の犯人が潜伏していたその場所はもうもぬけの殻になっていた。そこから私たちは次の場所に調査に向かうことにした。部屋を出て廊下に出た時に、その投資家の方と今夜の打ち上げの話になった。その方が1口8万円の高級の飲み物を私に振る舞ってくれると述べた。しかし私はそんな高価なものを飲むのは少し気が引けると述べたところ、その方は早くそのような常識的な考え方を捨てたほうがいいと述べた。確かにそれも一理あるなと思いながら、私たちはその建物を後にした。そこで夢の場面が変わった。


その他には、人権問題に関する活動を街頭で熱心に行っている場面があった。私は道ゆく人にビラを配っていた。隣には自分と同じ志を持ち、活動に共感してくれている同年代の女性がいた。彼女と2人でビラを配りながら、時に足を止めてくれた人たちにこの活動の意義を説明していった。そして人権問題と絡めてトランスヒューマニズムの話を人々にしていった。意外と人々は私の話に共感的であり、トランスヒューマニズムについても理解をしてくれているようだった。そんな地道な活動を行っている場面があった。フローニンゲン:2023/2/16(木)09:15


9915. 今朝方の夢の続き


時刻は午前9時半を迎えようとしている。今日もまた昨日に引き続き、グラハム·ハーマンの書籍で未読のものを読み進めていこうと思う。新たに買い足してすでに届いていた書籍のうち、3冊ほど未読のものある。それらを読むことに加えて、テクノロジー哲学者のドン·アイディの書籍も未読のものを読み進めていこうと思う。それらの書籍を読み終えたら、政治関係の書籍で未読のものを読み進めていこうと思う。未来の研究に向けて、地道に足元の研究を進めていく。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあるのでそれについても書き留めておきたい。夢の中で私は、地元の街を自転車で走っていた。近くには小中高時代の2人の友人(TK & AF)がいて、彼らと一緒に山越えをしていた。山の頂上から街に向かって自転車で降りる際のスピードに興奮し、頬に当たる心地良い風を感じていた。平地に来てしばらくすると、自転車の速度も落ち着き、心も落ち着いてきた。私は彼らと一緒に海辺の方を自転車で走りたいと思ってその提案をした。すると彼らはその提案に乗ってきてくれて、途中でいつもの道を通るのをやめて脇道に入って行き、海を目指した。海辺に向かっている途中でふと、2人はある一軒家を指差して、そこがある女性友達が経営するレストランだと述べた。すると彼らは彼女に挨拶しに行くと述べてレストランの敷地の中に自転車で入って行った。私は早く海が見たかったので彼らの後を追いかけることをせず、1人で海に向かった。すると突然私は瞬間移動して、地元にある大型スーパーの中にいた。そこは外国の資本が入ったスーパーで、店員は外国人が多かった。本当に大きなスーパーなので中を歩いている迷いそうだった。何回来ても迷ってしまうほどの大きさを持つスーパーの中をぶらぶらしながら、何か軽食でも購入しようと思った。この店に置かれている食材の質は意外と高く、オーガニックの食材もかなりの数あった。そこでふと、オーガニックの食材を使ったチョコチップメロンパンが美味しそうだと思ったが、甘いものを食べるのはやめようと思って水だけ購入することにした。レジに行くと、レジも何台もあって、レジ係は全て外国人の女性だった。私は黒いヒジャーブ(スカーフ)をかけたイスラム系の女性のいるレジに行き、クレジットカードで支払いを済ませた。すると後ろから、先ほどまで一緒にいた2人の友人に声を掛けられ、そこからはまた一緒に行動しようということになった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/2/16(木)09:37


9916. 公共政策とアートを通じたアプローチ/ミラーニューロンの活用


朝の優しげな時間が自己の深部の頬を撫でているかのように感じる。このようにして自分固有の時の流れに身を任せ、自己は絶えずそこから養分を得ながら成長を続けていく。


芸術活動·創作活動は、自分の魂をどこまでも果てしなく自由に解放させてくれる。社会的な生き物としてこの社会で生きていると、どうしても魂に制御をかけなければならない場面が必ず付き纏う。そうした制御から自己を完全に解き放ってくれる貴重な実践が芸術活動·創作活動なのだと思う。それもまた魂に瑞々しい養分を与えてくれる。言葉では表現し切ることのできない感覚やビジョン、そして思いを自身の創作物に具現化させていくこと。それは今後一生続けていきたいことであるし、具現化の精度を高められるように学びを継続させて行きたい。


トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムを社会に浸透させていくためには、公共政策的なアプローチだけではなく、アートを通じたアプローチも鍵を握る。むしろ優先するべきは後者であって、後者を通じて人々の意識が変革し始めたところで政策·制度を導入するべきなのではないかと思う。人々の意識が涵養されていない段階での政策·制度の導入はうまくいかないであろう。政策·制度から人々に変革を促すことよりもまずはアートを通じての意識変革を促す道とテクノロジーを通じて自ずから人々の意識が変わってしまうというアプローチを採用していくことをより真剣に検討していこう。


昨日ふと、楽器の演奏技術の向上にミラーニューロンの活用を生かしてみようと思った。具体的には、ミラーニューロンを活性化させるために、箏の巧みな演奏の動画をより多く視聴していくことは有益だろう。もちろん単に動画を視聴しているだけでは技術的な向上が見られず、動画の視聴によってミラーニューロンが活性化されるのはあくまでも一時的なものなので、その一時的に活性化された状態を活用して箏の稽古をするのが良い方法かと思う。準備運動の後か前にまず良い演奏を聴いて稽古を始め、途中にも良い演奏を聴くことを挟んで行うと、ミラーニューロンが継続的に活性化された状態で箏の稽古に励むことができるのではないかと思う。今日からそれを試してみよう。この応用範囲は広く、何かスポーツをする際や筋力トレーニングの際にも参考になる人の動きを見たり、英語を話すという技能に関しても、自分が参考にしたいと思うネイティブスピーカーが話をしている動画を視聴してミラーニューロンを活性化させることができると思う。人の姿を見て自分のニューロンが活性化されるというのは、人間に備わった驚くべき特性である。そこに共感の鍵があり、人を啓発し、人から啓発される鍵もそこにある。自分の全ての取り組みの核にミラーニューロンの活性化というものがありそうだ。フローニンゲン:2023/2/16(木)10:39


9917. リアルオブジェクトと創作活動との関係性


グラハム·ハーマンのオブジェクト指向存在論を基にした美学思想に触れていると、改めて芸術の意義を考えさせられる。そもそもリアルオブジェクトは私たちが直接把握できるものではなく、間接的にその存在を把握することに留まる。その際に、隠喩的な方法が採用されるのだが、そこではまさにメタファーや芸術の力が必要となる。それらを通じて私たちはリアルオブジェクトの一端を感覚質として捉えることができる。つまりは、リアルオブジェクトと感覚質の間にある溝を埋めてくれ、リアルオブジェクトに付帯するリアル質ではなく感覚質を知覚させてくれることを通じてリアルオブジェクトの存在を間接的に把握させてくれることに貢献してくれるのが芸術なのだ。詩、絵画、音楽の新たな意義が自ずから見えてくる。自分が生み出すそれらの創作物は、自分が知覚したリアルオブジェクトの何らかの側面を映し出し、それに伴う感覚質が体現したものなのだ。そのようなことを考えていると、より一層創作活動に打ち込む気持ちが高まってくる。創作活動に伴う喜びと楽しさが増幅·拡張されていくのを実感する。


日々の創作活動を、その瞬間に自分の存在を通じて知覚されるリアルオブジェクトをスナップショット的に映し出す営みとして捉えていこう。リアルオブジェクトは絶えず隠れたものだが、その不在を不在化させていくのが創作活動なのである。今こうして執筆している日記もまた自分にとって重要な創作活動である。そこでは隠喩的な言語表現によって顕現するリアルオブジェクトの一端が表現されていて、それは隠喩的な言語表現を通じて感覚質として知覚することができる。こうしたところにも日記の執筆の大きな意義が見える。自分を通じて立ち現れるリアルオブジェクトの顕現化が創作活動の本質なのであり、おそらくそれを続けていくことを通じて自己が成長し続けていくというのはリアルオブジェクトの感覚質をこの世界に形として在らしめることの力と恩恵なのだろう。フローニンゲン:2023/2/16(木)11:16


9918. リアルオブジェクトと美/リアルオブジェクトの外側に無限に広がる創造世界


来週からのトルコ旅行ではいつものようにいくつもの美術館に足を運ぶ予定だが、そこではハーマンのオブジェクト指向存在論を応用した鑑賞を心掛けてみようと思う。作品というオブジェクトを通じて立ち現れるリアルオブジェクトを想像し、自分を通じて喚起される感覚質に着目してみる。そうした鑑賞的態度を徹底させたい。これは何も芸術作品の鑑賞だけではなく、トルコの街を歩いている時に触れるリアルオブジェクトとそれに付帯する感覚質に気づきの意識を当てるという形を取ることもできる。また、日々の生活の中で絶えずそれを自覚的に行っていくことができれば、リアルオブジェクトとの接触頻度が増え、自分の感覚がより研ぎ澄まされたものになっていくだろう。とりわけ何気のないものの背後にある神聖なものへの感覚を磨いていきたいと思う。そうすれば、日々がより一層強い充実感の光に包まれるだろう。


この世界に存在する無数のリアルオブジェクトと感覚質との間の緊張関係から立ち現れる美。美はそれらの緊張関係の破れとして滲み出すもの、あるいは弾け出すものなのだろう。リアルオブジェクトと感覚質との間の緊張関はいつでもどこでも今この瞬間にあり続けている。それに自覚的になるだけで、今この瞬間は絶えず美の輝きを帯びたものになる。


あるリアルオブジェクトが立ち現れ、それに伴う感覚質を知覚できた時、至福的な喜びに包まれる。しかしそこで体験を終わりにするのではなく一歩先に進めて、あるリアルオブジェクトの外側に広がる無限の創造世界そのものに眼差しを向けるということも併せて行っていきたい。あるリアルオブジェクトが立ち現れると、そこに意識の指向性によって引っ張られるが、重要なことはリアルオブジェクトの外側に不在となっている無限の世界そのものを感じることなのだ。リアルオブジェクトの顕現化に伴う感覚質を知覚できたら、リアルオブジェクトの外側に不在として広がっている広大無辺の世界そのものに眼差しを向けてみよう。フローニンゲン:2023/2/16(木)11:44


9919. オブジェクト指向存在論と批判的実在論を横断しながら


もうしばらくしたらジムに向けて自宅を出発する。先ほど仮眠から目覚め、そこから引き続きグラハム·ハーマンの書籍を読んでいた。一言一句精読しているわけではないが、重要な箇所を音読していると、いくつもの刺激と洞察を得て自分の考えが少しずつ着実に深まっていくのを実感する。これが読書の効能である。先日、自分の趣味は何かと考えていたところ、学術研究というのも趣味のようなものと化していることに改めて気づき、ゲームをするよりも論文や書籍を読んでいた方が楽しいことからもそれを改めて実感した。この趣味は一生涯かけて取り組むものであり、一生涯かけて深めていくものである。


ハーマンのオブジェクト指向存在論とロイ·バスカーの批判的実在論を横断しながら両者の理解を深めていくことができている。オブジェクト指向存在論で言われるところの感覚オブジェクトと感覚質は、批判的実在論で言うところの経験世界に対応する。一方で、オブジェクト指向存在論で言われるところのリアルオブジェクトとリアル質は、批判的実在論で言うところの実在世界に対応する。そうした対応関係をひとたび見出すと、オブジェクト指向存在論で言われるそれら4つの要素を理解することが容易になる。批判的実在論では、オブジェクトは1つのものとして扱っていたが、オブジェクト指向存在論では2つに分類でき、それら2つのオブジェクトにはそれぞれ固有の質感がある。このように、オブジェクト指向存在論では批判的実在論で言うところのオブジェクトに関するより精密な分析の視点を与えてくれるところに価値がある。3月から始まる思弁的実在論の講座でもオブジェクト指向存在論に触れることになるため、批判的実在論と絡めて受講生の方々とオブジェクトと実在について理解を深めたい。


仮眠中にふと、短い学術論文を1つ執筆することは、まるで短編小説を1つ執筆することと同じ創作的楽しみがあることを改めて思った。論文全体のストーリーを考えたり、ストーリー展開を考えたり、何を登場させるのかを考えることはさながら小説の執筆を彷彿させる。早く論文を執筆したいという切望感が徐々に強まってきており、これは良好なサインである。学術機関に戻ることが論文執筆の本格的な開始になるだろう。その日がやってくることを今から心待ちにしている。フローニンゲン:2023/2/16(木)14:11


9920. 充実した筋力トレーニングを終えて


時刻は午後6時を迎えようとしている。ここ最近は日が伸びており、今もまだうっすらと明るさが残っている。この点においても季節の変化を感じる。


今、体がポカポカして温かい。それは筋力トレーニングのおかげだろう。今日はパーソナルトレーナーのエリーザの指導の下に1時間ほどパーソナルトレーニングをして、そこから1時間ほどさらに追い込んで筋力トレーニングをした。2時間ほどの筋力トレーニングにより随分と筋肉を疲弊させることができ、筋力の肥大に向けての刺激が入ったことが窺える。ここ最近は着実に筋力の増強を実感することができている。筋肉の量、強度、そして回復力などが軒並み上がっているのもエリーザの助言に基づいた的確なトレーニングのおかげだろう。筋力トレーニングではわずかな角度や姿勢の違いが物を言う。それを知らないままトレーニングを行っていては時間の浪費ばかりであり、筋肉がほとんどつかないのでとてももったないとエリーザと話していた。何事もプロから助言を求め、そこから自分なりの創意工夫を施していくことの大切を身に染みて実感する。筋力トレーニングにも守破離があることを強調したい。


今日のトレーニングはゴムバンドを使った準備運動から始まった。肩周りの筋肉を解すようにして準備ができた後は、ダンベルを用いて胸の筋肉を鍛えたり、肩の筋肉を鍛えていった。トレーニング中の雑談の中で、次回からは月曜日にパーソナルトレーニングをしようということになった。これまでは月曜日のエリーザの都合がつかなかったが、シフトが変わり、月曜日でも大丈夫になったので、月曜日にパーソナルトレーニングをしてもらうことにした。自分にとっても休息日の数を考えると月曜日の方が有り難い。木曜日のトレーニングから月曜日のトレーニングにかけては中3日の休みがあり、前日の日曜日にはサウナに入って休息もできる。月曜日から木曜日にかけては中2日の休みしかないので、月曜日の方がより身体を追い込んでトレーニングがしやすい。来週の月曜日からそのスケジュールとなり、ちょうど来週の月曜日はトルコ旅行の開始の前日なので都合が良かった。次回のトレーニングでは少しばかり上腕二頭筋に焦点を当ててトレーニングをしていこうということになった。今日のトレーニングも大変実りの多いものだった。これから食べる夕食はとても美味しく感じられるだろう。フローニンゲン:2023/2/16(木)18:01


9921. 祈りの実践/オブジェクト指向存在論・思弁的実在論と仏教の実在論思想を絡めて


そろそろゆっくり入浴をして就寝の準備を始めようと思う。今日もまた十分に追い込んで筋力トレーニングをしたので、ゆっくり入浴をして身体をケアしようと思う。


夕方にジムから自宅に戻ってきた時に郵便受けを確認すると、2つの郵便物が届けられていた。封筒から察して2つの種類の税金の支払いだろうと思った。どちらも所得税に関するもので、片方は所得に応じて治める保険料である。今回納める所得税の金額はかなりの額で自分でも驚いたが、これもオランダへの貢献として喜んで支払おうと思う。税金の支払いもまた他者と社会への貢献となり、こうした相互扶助が本当に大切だと最近実感する。


社会の情勢が不安定なこの世界の中で、今夜からこの世界に対する祈りの実践を取り入れたいふと思った。その効果がいかほどか分からないが、具体的な社会実践に加えて、無性に祈りたいという気持ちになった。祈りの実践を続けることを密かに自分に課してみようと思う。それはとても自発的な思いから生まれた物だ。


ジムに行く前の読書の内容を振り返っている。仏教は基本的に実在を否定するが、実在に関しては豊かな思想がある。ハーマンのオブジェクト指向存在論やメイヤスーの思弁的実在論と仏教の実在論思想を絡めて何か論文を執筆したい。また神道においてどのような実在論思想があるののかを調べて上で、同様の試みをしてみたい。そうすることによって、哲学と神学の橋渡しができ、実在に関する見通しがさらに明瞭なものになるだろう。明日からはテクノロジー哲学者のドン·アイディの書籍を読みながら、テクノロジーに関するアイディのユニークな視点を少しでも吸収するようにし、そこから自分独自のテクノロジー思想を少しずつ養っていく。明日の読書でもまた新たな刺激があるはずであるし、それを通じて新たな思考が芽生えるはずだ。日々の刺激と新たな洞察をとにかく大切にして毎日少しずつ進んでいく。フローニンゲン:2023/2/16(木)20:37


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2197, A Public Policy for Transhumanism

A new public policy for transhumanism has been earnestly desired for a long time.

It should not be one but many.

Also, the new policies should be for as many people as possible so that all of us can live long and prosper in a healthy way.

Groningen; 10:25, 2/16/2023


No.2198, My Own Time

Time flies very quickly.

But my own time never flies.

It always exists here in a stable manner.

Groningen; 11:02, 2/16/2023


No.2199, A Time Arrow

A time arrow points out somewhere.

All I do is just go there.

That’s so simple.

Groningen; 13:01, 2/16/2023

No.2200, Chillness

Chilliness is almost over.

My soul will more fully flourish and prosper soon.

Groningen; 13:10, 2/16/2023

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