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9872-9877: フローニンゲンからの便り 2023年2月8日(水)



No.4463 朝の美しさ(その2)_Morning Beauty (Part 2)


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本日の2曲


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タイトル一覧

9872. 外の景色を眺めながら/地理的観点によるトランスヒューマニズムとポストヒューマニズムの分類

9873. 今朝方の夢

9874. ニーチェの思想より/トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムにおける重要な論客の動画を叩き台にして

9875. 御茶ノ水駅の駅舎が変わるという知らせを受けて/中国語への関心/円周率を箏で演奏してみる

9876. 箏の稽古(64):円周率小数点1000以下を演奏する楽しみ

9877. 箏の稽古(65):美しい数列の美しい音


9872. 外の景色を眺めながら/地理的観点によるトランスヒューマニズムと

ポストヒューマニズムの分類


時刻は午前8時にゆっくり近づいている。今の気温はマイナス4度と低く、窓ガラスの外が白くなっているところがある。それほどまでに外は寒い。しかし、遠くの空に見え始めた朝焼けが綺麗であり、寒さもどこ吹く風と言いたいところだ。朝のこの穏やかな様子を眺めることはいつも至福である。以前の家でもそうだったように、書斎はやはり外の景色が見えるのが一番である。机を窓の方に向けて外の景色を眺めながら研究に従事することもまた幸福感をもたらしてくれる。幸いにも以前の家も今の家も、窓が開放的である。仮にこの夏からアメリカで再び生活することになったとしても、外の景色が眺められるような部屋を借りたいし、書斎の机は外に面した形で配置しようと思う。変化に富む外の景色を眺めることは精神衛生的にとても良いようだ。


昨日は、編集者の方に送ってもらった初校の修正結果を見せていただき、いくつか気になる点についての意見を求められたので、それについての回答に時間をかけていた。自分でも改めて文章を読み返し、修正するための文章を練っていくことをやっていると結構時間が経っていた。おそらくそれらの修正を受けて再校が無事に作られるだろうと思う。そこからはもう誤字脱字の修正ぐらいしかないのではないかと期待する。ひるがえって今日はまた読書に力を入れたい。昨日も朝の時間と夜の時間には読書をしていたが、今日はより力を入れて学術書を読み込んでいける。今読んでいる本は一言一句最初から最後まで音読をするに値するもので、テーマはトランスヒューマニズム、ポストヒューマニズム、メタヒューマニズム、クリティカル·トランスヒューマニズムを網羅的に扱うものである。この書籍を精読していくことは実りが多く、かなり細かな知識も獲得されていることを実感できる。もう一冊、マックス·モアーとナターシャ·ヴィタ·モアーが編集者として執筆した“The Transhumanist Reader”も最初から最後まで精読したい。昨日の読書体験の中で、トランスヒューマニズムという言葉を用いて研究と実践を進めているのはアングロサクソン系の国が多く、ポストヒューマニズムという言葉を用いて研究と実践を進めているのはヨーロッパ大陸の国が多いという地理的分類は確かにそうだと思った。これまでは思想内容の違いによる分類やそこで注目される学問分野の違いによる分類の観点はあったが、地理的な観点はなかった。もちろんここ最近ではそうした地理的な差を超えて、両者は混じり合っているし、トランスヒューマニズムとポストヒューマニズムを批判的に検証する思想運動も見られる。また、メタヒューマニズムという新たな思想潮流も見え始めていることは確かだ。今日もまたこれまでになかった観点が得られる読書が実現されるだろう。このように少しずつ観点を獲得し、自分なりの知識体系を構築していき、それを実践に活用していく。フローニンゲン:2023/2/8(水)08:04


9873. 今朝方の夢


朝の爽快で鮮やかな空を眺めるのは本当に気持ちの良いことだ。昨日もメルヴィンと話していたが、フローニンゲンもようやくどんよりとした雲に覆われた日々が過ぎ、晴れの日が増えてきたことを喜びたい。


今朝方は1つ印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない外国のリゾート地にいた。そのリゾート地にある学校の教室の中にいて、謎解きをしていた。謎解きの1つとして、手持ちのアイテムを誰でもいいので教室にいる人と交換して会話をせよというものがあった。私はイチゴとブルーベリーという果物をアイテムとして持っていて、それと何かを交換できる人を探そうと思ったが、近くにいた友人が「果物と何かを交換したいと思う人は少ないかもよ」と言われた。しかし私は、偶然に目の前を通る外国人の男性がブルーベリーを持っているのを見て、お互いのブルーベリーを交換しようと述べた。それであれば損得もなく、プラスマイナスゼロであるから、相手も交換の交渉に乗ってくれると思ったのである。私が思った通り、その男性はすぐにブルーベリーを交換してくれた。1粒交換するだけで良かったので交換のハードルも手間もなく、ミッションを終えた私はすぐに次のステージに向かおうと思った。次のステージに行くには教室の窓から外に出ていく必要があり、教室の左側にあった窓を開け、ベランダに出た。すると目の前には穏やかで見事な海が広がっていて、それを眺めるだけで心が癒された。しかし、心を癒している場合ではなくて、次のミッションに取り掛かる必要があった。ベランダから下は崖になっていて、もう海がそこに広がっていた。すると、ベランダを修理している少し柄の悪そうな数人の外国人の男性たちが休憩をしていて、ベランダの下の細い通路に座り込んでいた。私はその通路を通っていく必要があったが、彼らはどうやら動く気配がなく、声を掛けてみたが、今は休憩中とのことで動きたくないようだった。彼らの機嫌を損ねてはならないと思った私は、さてどうしたものかと思った。すると突然、教室でのミッションを終えた高校時代のサッカー部の3人の友人が窓の外に出てきて、ベランダから勢い良く海に飛び込んで行った。高さとして15m以上あり、そして海の深さはそれほどでないと思ったので、飛び込んだ勢いで岩礁にぶつかってしまうのではないかと思ったが、彼らはジャブンと海に沈んでいき、そこから浮上して次のステージに向かっていった。その光景を見て自分も飛び込もうと思ったが、リュックを背負っていたことと服を濡らしたくないと思ったので、別の手段を考えることにした。すると、空を飛ぶ手段があったと閃き、体を宙に浮かせて平泳ぎをするような動作で空を移動し始めた。空は少し風が強く、しっかりと平泳ぎの動きをして進む必要があったが、ゆっくり着実に次のステージに向かって進むことができた。するとすぐに、幼少期に祭りに参加していた寺と似たような寺があり、そこに着地して、そこからは歩いて目的地に向かうことにした。そのような夢を見ていた。この夢のどこかのタイミングで、海沿いの料理屋に入り、その店を経営する老夫妻に数多くの美味しい料理を振る舞ってもらったことを覚えている。体を動かすミッションが続いていたため、そこでの食事は本当に良い栄養補給になり、とても助かったことを覚えている。フローニンゲン:2023/2/8(水)08:34


9874. ニーチェの思想より/トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムにおける重要な論客の動画を叩き台にして


午前中の読書はすこぶる捗っている。音読をしながら調べ物をしたり、考え事をしているとあっという間に正午前になった。引き続きトランスヒューマニズム、ポストヒューマニズム、メタヒューマニズムの書籍を読み進める中で、再びニーチェの超人思想とそれらのつながりに関する論文に行き着いた。ニーチェは宗教を批判的に検証し、科学の力の重要性を訴えた哲学者でもあった。ニーチェの論考を受けて、宗教的に構築された死後の物語を信じることと、科学の力を信じることを対比させて考えてみた場合、どちらの方が人類を幸福にするのだろうかと考えさせられる。当然ながらトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムの信奉者は後者に軍配を上げることになるが、両者を止揚した考え方はないものかと考える。明らかに前者だけを信じているというのは神話的段階の発想であり、それは超克しなければならない。一方で後者のみを信じるというのもまた合理性段階の域を出ず、それもまた克服していかなければならない。より統合的な霊性観と科学観がこれからの時代に求められ、トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムはそうした発想を持っていかなければならないだろう。メタヒューマニズムというのはそうした形で結実していくはずである。


今読み進めている書籍では、トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムにおける重要な論客が1人1人紹介されている。その中でも改めてニック·ボストロムとマックス·モアーに着目し、彼らのレクチャー動画や対談動画を明日から集中的に聴き始めようと思った。彼ら以外にも、レイ·カーツワイルのレクチャー動画や対談動画も以前視聴していたが、それらについても改めて視聴し直してみよと思う。トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムにおける重要な論客も考え方や注目点は人それぞれで、彼らの中での共通見解や相違点などを探りながら、彼らの論に対して自分なりの見解を構築していくことや自分なりの問題意識を醸成していこうと思う。彼らの動画を叩き台にするという意識で視聴していく。フローニンゲン:2023/2/8(水)11:30


9875. 御茶ノ水駅の駅舎が変わるという知らせを受けて/中国語への関心/

円周率を箏で演奏してみる


時刻は午後3時を迎えた。今日もまた雲ひとつない快晴に恵まれ、外を眺めているだけで心が落ち着く。後ほどジョギングがてら近所のスーパーに買い物に出かけようと思うが、外の時には穏やかな太陽の光を浴びることができ、新鮮な空気を取り入れることができるだろう。


昼過ぎにメールを確認すると、編集者の方から昨日のメールへの返信があり、メールの冒頭に、JRの御茶ノ水駅の駅舎が変わり、近代的なビルになると書かれていて驚いた。御茶ノ水生まれの自分として、御茶ノ水の風情のある駅舎には愛着があり、それが近代的なビルに変わってしまうことに対して複雑な気持ちになった。しかし肯定的に捉えるならば、生まれた場所の駅が変化することは、自分もまた新たに変化していくことを促されているように思うこともできる。人生の出発地の駅が変貌を遂げることによって、自分の原点が変貌し、それによってここからの歩みそのものと終着地すらもが変貌する可能性をさらに押し広げられたような実存的感覚がある。


午前中に2つほどふと新たなことに挑戦してみようと思ったことがあった。1つには、突如中国語を学びたいと思ったのである。今のところ中国で生活する予定もなく、中国語を用いて研究をする予定もないのだが、将来にそのような日がやって来るかもしれないという予感があった。将来の備えとして言語を学ぶのはかなりモチベーション維持において難しく、必要に迫られないと外国語学習はなかなか難しいものである。できれば中国語を英語で学びたいと思うので、何か良いアプリをダウンロードしてみようかと思う。


もう1つとは、突如円周率の数字を箏で演奏してみようと思った。円周率で用いられる数字は0から9までの数字であり、0を箏の10の弦で弾くようにすれば、円周率を箏で演奏することができる。せっかくなので円周率の100桁までを語呂合わせでサッと覚えて、その数字を箏で演奏してみよう。テンポやリズムは即興的に自分で工夫しながら演奏してみると楽しみながら演奏できるだろう。早速今からやってみようと思う。フローニンゲン:2023/2/8(水)15:13


9876. 箏の稽古(64):円周率小数点1000以下を演奏する楽しみ


穏やかな夕日を眺めながら、先ほどの箏の稽古を振り返っている。まずは準備運動がてら即興演奏をしてみた。これは指の体操になるだけではなく、脳にも刺激が与えられていることを実感し、今後も毎回の稽古の冒頭には即興演奏を取り入れたい。カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究で、ジャズピアニストの即興演奏中の脳の活動として、自己表現に関する脳の内側の神経回路網が活発に働いた一方で、注意を集中させることや自己を監視することにかかわる外側の神経回路網の活動は弱まったという調査結果があることを知った。これは、即興演奏がジャッジメンタルマインドを抑えることにつながっていたことを示唆するものかと思うので大変興味深く思った。即興演奏の際には音と1つになれる感覚があり、それはマインドフルネスを超えた意識状態である。即興演奏は「遊び心の精神」の賜物であることを考えると、プレイフルネスはマインドフルネス以上に重要なのではないかと思えて来る。プレイフルネスはマインドフルネスを含んで超えているのである。そんな考えをもとに今後も即興演奏を楽しみたい。


先ほどの箏の稽古では、地味に(?)円周率の小数点1000以下までを演奏していった。そこでの不思議な知覚体験として、心がとても落ち着いたのである。まるで般若心経を唱えているかのような感覚になり、般若心経を箏で演奏するのはかなり難しかったので今はそれをしていないが、円周率の小数点1000以下までを演奏することは、即興演奏と同じく今後の習慣にしたい。それも楽しんで行える1つのエクササイズに組み入れていく。円周率の小数点1000以下を演奏する際にも即興性を発揮できる余地が多分にある。円周率の数字は0から9までであり、0を10の弦で弾くことを今回は試したが、箏の弦にはまだ11、12、13と3つの未使用の弦があるので、0の数字は10から13までの4つの数字のうちその場に応じて即興的にどれか1つを選んで演奏するという方法を採用するのも面白いだろう。その時に右手で演奏するのではなく、左手のピチカートで演奏すると良いスパイスになるかと思う。また、0は何でも化けられるというルールを採用すれば、1から13までのどの数字を演奏しても良いと思って演奏してみるのもいいだろう。数字の演奏方法だけではなく、その時の気分によって抑揚の付け方にも即興性が発揮される。テンポやリズムも即興的に変化させることができる。このような工夫を凝らしていけば、毎日即興性によって生み出される変化を楽しみながら円周率の演奏ができるのではないかと思う。今夜もまた円周率を用いて演奏してみようと思う。フローニンゲン:2023/2/8(水)15:55


9877. 箏の稽古(65):美しい数列の美しい音


時刻は午後8時を迎えようとしている。先ほど、本日2回目の箏の稽古をした。美しい数列に基づいて箏の演奏をすることにハマってしまい、円周率、フォボナッチ数列、素数、安全素数の4つに対してそれぞれノート1枚分の数字譜を作成し、それを演奏することに没頭していた。美しい数列は音にしても美しいという素朴な発見があった。数学と音楽は根底の深い部分でつながっていて、お互いがまるで共鳴し合っているかのようにすら感じられた。せっかくなので記念として、オンラインゼミナールの動画コンテンツとして箏の演奏の動画をシェアした。


演奏上の工夫としては、「0」をジョーカーのようにその時々にどんな数字にも化けるものとして扱ったり、演奏上の技法をなんでも使っていいという役割を与えると即興性の幅が広がり、毎回飽きずに変化に富んで楽しみにながら演奏できるかと思う。その他にも、「1」「1」と連続する時には11の弦を用いたり、「1」「2」と連続する時には12の弦を用いたり、「1」「3」と連続する時には13の弦を用いたりしてみる工夫を凝らした。


明日はまた新しい楽譜として、フィボナッチ数列以外にもトリボナッチ数列やテトラナッチ数列をもとに数字譜を作成していこうかと思う。さらには、今後はその他の美しい数列をもとに少しずつ数字譜を作成していこうと思う。その延長線上で整数とそこから派生する数の体系の性質について研究する「数論(number theory)」に関心を示し、日本語の専門書を読んでもよくわからないだろうから、英語で何か網羅的な専門書がないかを探してみようと思った。それをもとに箏の演奏曲の作成に役立てたい。箏で数秘術を実践できないか、あるいは数秘術の要素を箏の演奏に導入できないかを考えてみる。かのバッハも数秘術をもとに作曲をすることがあったのだから、その実践は荒唐無稽では全くなく現実味がある。世界の数秘術に対しても関心のアンテナを広げておこう。それに関しても何か専門書があれば購入したい。フローニンゲン:2023/2/8(水)20:03


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2179, A Pleasurable Dance

All sentient beings burst into a pleasurable dance.

Their dance made cosmic vibrations.

Groningen; 09:15, 2/8/2023

No.2180, Laughing Seriousness

Both laughing seriousness and serious laughing are embodied within me.

They are my fundamental ingredients of myself.

Groningen; 12:56, 2/8/2023

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