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9769-9774: フローニンゲンからの便り 2023年1月18日(水)



No.4399 宇宙の記号論_Semiotics of the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2133, Morning Bamboos

Morning bamboos are pliant.

I hope to be flexible like that.

Groningen; 08:36, 1/18/2023


No.2134, Evening Relaxation

My soul is completely relaxing at this moment.

It merges into the present moment.

Groningen; 19:01, 1/18/2023


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9769. 今朝方の夢

9770. 批判的実在論のMELDのモデル

9771. トランスヒューマニズムに関する今朝方の夢の続き

9772. 箏の稽古(60):今日のレッスンを振り返って

9773. ファスティングについての考察/人体の再生能力の奥深さ

9774. 箏の稽古(61):弾き込むことの効能を実感して/「変容的受動的態度」を通じて


9769. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。再び最低気温がマイナスとなり始めた。今の気温はマイナス1度であり、今日の最高気温は4度である。明日と明後日は最低気温が1度に戻るが、それ以降はマイナス1度以下の最低気温の日々が続く。


いつものように今朝方の夢を振り返っている。このようにして毎日夢を見るのは不思議なものだと改めて思う。ロイ·バスカーの言葉を使えば、夢は不在の不在化の産物であり、夢を見るという行為そのものもまた不在なものを不在化させる、すなわち顕現化させる働きがある。そのようにして不在化された夢を振り返っている。


夢の中で私は、東京駅にいた。その東京駅はいつもとは違う様子を見せていて、中は複雑な迷路のようになっているだけではなく、電気がほとんど通っておらず暗かった。今からバスに乗って遠くへ出かけていく必要があったが、バス停の場所が分からずに困った。東京駅には出口が複数あって、どこから出ていいのか分からなかったのである。しばらく駅の中を歩いていると、地下の駐車場に続く道を見つけ、そちらに向かった。すると、駐車場には1台も車が停められておらず、その代わりにそこでは若い女性たちがダンスの練習をしていた。練習の様子から、彼女たちはプロのダンサーだと思った。彼女たちを指導していたのは、イタリア人の男性だった。その男性コーチが英語で指示を時折出していて、ダンサーの彼女たちはその指示を着実に踊りに組み込んでいた。私が彼女たちの前を通りかかった時にちょうどダンスの練習が終わり、私は中国人の1人のダンサーに声を掛けられた。私が道に迷っているようだったので声を掛けてくれたようだった。私は素直に道に迷ってしまったことを伝えると、彼女は親切にも出口の方向を教えてくれた。彼女の方向感覚は素晴らしく、その点について伺うと、何やら中国人は北を守るためにいつでも北の方向に行けるように絶えず南側の場所にいることを習慣付けられているとのことだった。だから彼女は今自分がどの方角にいて、北がどちらの方向かわかるのである。彼女曰く、私が向かうべきは北口とのことだったので、私はすぐにそちらに向かった。晴れて北口から外に出ると、ようやくバス停がありそうな予感がした。すると、目の前の横断歩道を小中高時代の2人の友人(NK & HY)が渡っていて、信号機は赤に変わりそうだったが、急いで横断歩道に入っていて、彼らに声を掛けた。まさかこんなところで彼らに会うとは思ったもいなかったので驚いたが、彼らもまた驚いているようだった。あまり長く話をすることはできず、彼らに挨拶だけして、私は目的のバス停に向かった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/1/18(水)07:24


9770. 批判的実在論のMELDのモデル


朝の静けさに浸りながら静かに日記を綴ることの幸せ。そうしたところにも幸福感を感じることができる。幸福というのは絶えず満ち溢れているものだが、何らかの事情によってそれが不在化されている場合がある。であればそうした不在のものを不在化することを通じて、逆にリアリティの前面に顕現させればいいだけである。幸福には所有権などなく、万民のものであり、人それぞれの幸福を自ら汲み取っていけばいいのだと思う。自分にとっては1つこうして日記を書くという行為もまた、幸福を呼び覚ます儀式的な行為なのだ。


今朝方、ロイ·バスカーの批判的実在論のMELDのモデルについて考えていると、このモデルの活用目的こそ、この世界で不在になっているものを段階的に不在化させていくことなのだと思った。MELDには4つの階層構造があり、1つ目の階層ではコンテクストないしは構造を扱い、2つ目の階層ではプロセスを扱い、3つ目の階層では関係性を扱い、4つ目の階層では変容を扱っていく。それぞれの階層には固有の不在なものがあって、4つの階層構造に応じて不在の紐解かれ方も異なる。例えば、コンテクストの中で不在になっているものをコンテクストを通じて不在化させていくのは最初の階層がやるべきことである。その他にも、プロセスの中で不在になっているものをプロセスを通じて不在化させていくのは2つ目の階層の役割である。このように、それぞれの階層ごとに不在になっているものと不在化の方法が異なるのだ。当然ながら、それぞれの階層構造は互いに影響を与え合っているため、コンテクストの中で不在になっているものをプロセスを通じて不在化させていく方法もある。また、プロセスの中で不在になっているものを関係性を通じて不在化させていく方法もある。そこからは、仏教の「諸行無常」という考え方はプロセスの階層において大切にしている発想と近く、「縁起」という考え方は関係性の階層において大切にしている発想と近いと考えていた。それでは「空(くう)」はどこの階層と近いのだろうかと考えたら、階層と対応させるならやはり最後の変容を司る階層だろうか。しかし、空という言葉が意味することはバスカーの批判的実在論全体を貫く大切な考え方と強く結びついていて、とりわけ晩年のメタリアリティの思想においてその結びつきはさらに強まる。そうした気づきが朝に芽生えたわけだが、せっかくなのでこの気づきについてはもう少し具体例を交えながら音声ファイルを作成し、批判的実在論の講座の受講生の皆さんにシェアをしようと思う。フローニンゲン:2023/1/18(水)07:40


9771. トランスヒューマニズムに関する今朝方の夢の続き


昨日に引き続き、今日も天気が良いことが嬉しい。晴れ渡る空を眺めていると、こちらの心まで晴れ渡るかのようである。今日は後ほどオンラインの箏のレッスンがあり、今日もまたレッスンを通じて色々な学びを得ることができるだろう。すでに先生への質問事項は列挙してあり、今日のレッスンではまずそれらを取り上げていきたいと思う。


今朝方の夢についてはすでに振り返っていたが、そう言えば高校時代のサッカー部の副キャプテンの友人が、再生医療の施術を受けて、ものすごく若返っていてびっくりした場面があった。彼は別にトランスヒューマニズムについて何も知らないだろうが、意識せずともそのような施術を受けていたようだった。ちょうど私の隣にはサッカー部のキャプテンの友人がいたので、副キャプテンの彼に何があったのかと尋ねた時に、彼が施術を受けたとキャプテンの友人から聞いたのである。再生医療の施術を受けた彼の顔は本当に若々しく、文字通り輝いていた。最先端テクノロジーの力の大きさを改めて実感した次第であり、自分もまた近々その施術を受けてみようと思った。そのような夢を見ていた。その夢を受けてか、今朝方に、再生医療や遺伝子工学の領域について思いを巡らせていた。それらの領域は今後非常に重要になってくるように思われるので、それらの領域に関する学術的な探究を進めるだけではなく、それらの領域に投資をすることでも関与したい。何か重要な研究をし、それを社会の役に立てようとしている企業に投資することを真剣に検討したいと思う。


今日もまた24時間のファスティングを行う。体がもうその食生活に適応しており、適応の速やかさに驚く。明日はジムで筋力トレーニングを行うので、今夜の夕食はパスタを食べてしっかり炭水化物を補給しておこうと思う。水曜日と日曜日の夕食は、翌日のトレーニングに向けてパスタを摂る。もちろんパスタだけではなく、パスタに入れる具材として野菜をたっぷり使い、普段食べているじゃがいも以外のものをパスタに入れる。ひょっとしたら、じゃが芋も少々あった方がおいしいかもしれないので、茹でたじゃが芋をパスタに加えることも少し検討してみよう。フローニンゲン:2023/1/18(水)09:24


9772. 箏の稽古(60):今日のレッスンを振り返って


時刻は午前11時半を迎えた。先程まで行われていた箏のオンラインレッスンの振り返りを少しばかり行っていると、気づけばこの時間になっていた。今日のレッスンは、今弾き込んでいる『糸』について、いくつか疑問があったので先生に質問を投げかけさせていただく形で進んでいった。演奏上の細かな指導として、トレモロをする際に右手の薬指をどこに置くのかという点は新たな発見をもたらすものだった。これまでの自分は、右手の薬指を龍角の外側に置いていたが、その置き方以外にも弦の上に置く置き方もあることを教えていただいた。どちらもそれによって指が安定するのでトレモロが弾きやすくなるのだが、後者の場合には箏柱に近い箇所でも演奏できるメリットがあり、薬指を弦に置いて演奏する方法も身につけたいと思う。歌を歌いながら演奏することの難しさを先生に伝えると、それはプロの演奏家でも難しいとのことであり、そこから伝統的な曲として地歌をいくつか紹介していただいた。今すぐにではないが、万葉集の歌詞を用いている地歌のいくつかは注目してみて、いつか演奏に挑戦してみてもいいかもしれないと思う。そこからは、『糸』の曲の1番を終えた後の間奏をどのように演奏するか、2番を終えて最後の盛り上がりに向けての間奏をどのように演奏するかについて、先生から色々とアイデアをいただいた。引き続き『糸』を弾き込んでいき、それと並行して、次々回ぐらいからはジブリの曲のメドレーを演奏してみることになった。そこでも可能であれば歌と合わせていきたいが、まずは箏の演奏に焦点を当てていきたい。フローニンゲン:2023/1/18(水)11:41


9773. ファスティングについての考察/人体の再生能力の奥深さ


時刻は午後4時を迎えた。今、徐々に辺りが暗くなってきていて、うっすらとした青空が上空に広がっている。今日は正午過ぎぐらいに、少しエネルギーの枯渇を感じ、身体に重さを感じた。今日も24時間ファスティングをしようと思ったが、身体にだるさを感じたので、無理せずに昼までの16時間ファスティングに留め、リンゴとバナナ、そしてプロテインを補給した。身体のだるさの感じは好転反応なのかもしれず、単純なエネルギー不足との線引きが難しかったが、そこは身体の声に耳を傾けながら、日々無理のない範囲でファスティングを続けたい。今のところは午前中に固形物を一切摂らない形のファスティングは全く無理なく行えているので、それは引き続き毎日行っていき、昼前の様子を見て、昼食に果物とプロテインを摂取するかを判断したい。少なくとも日曜日にサウナに行く時には24時間のファスティングが行えるのではないかと思うので、もちろんその日の体調によるが、当面は日曜日は24時間のファスティングを行う日としたい。こうした日が1日あるだけでも、1週間のデトックスになるし、胃腸を休めるには十分である。


今日はトランスヒューマニズムの話題と関連づけて、ホリスティックヘルスに関する書籍を読んでいた。改めて、人間が本来持っている再生能力の素晴らしさを思う。幹細胞の働きを見ていると、それはトカゲの尻尾を思わせる。人間の中にもそうした再生を司る働きをする細胞が眠っていることに驚く。幹細胞の再生能力の凄い点は、トカゲの尻尾の再生のように同じ部位を修復する働きとして活用できるだけではなく、様々な部位の再生に活用できる点だろうか。それは自由自在に体の様々な部位の再生に活用できる可能性を見ると、そもそもそうしたものを持っている人体の凄さに驚かされる。今からは先端テクノロジーの倫理に関する書籍を読み進めていくが、引き続き幹細胞を含めて、再生医療の先端的な動向を追っていき、自分も何か試してみたいと思う。フローニンゲン:2023/1/18(水)16:19


9774. 箏の稽古(61):弾き込むことの効能を実感して/「変容的受動的態度」を通じて


今日は午前中に箏のオンラインレッスンがあり、夕食前の今、本日2回目の稽古をしていた。『糸』の暗譜がかなり進み、もう楽譜を見なくても随分と弾けるようになってきている。ちょっと意識がどこかに行っていると指の間違いが発生するが、ゆっくり正確に演奏しようとすると、もう指や身体全身が楽譜を覚えているようなので、仮にミスが発生しても正しい音が何かが楽譜を見なくてもわかる状態になっている。なるほどこれが暗譜をし、1曲を弾き込んでいくと起こる現象なのだと体験を通じて理解する。同時に、こうした形で暗譜し、身体が覚えている曲が増えれば増えるほど、脳の記憶容量が拡大するというのも頷けることかと思った。当面は『糸』を深い次元で深層的に記憶し、時間が経っても指が覚えていていつでも弾けるような状態にまで持っていきたい。同様のことをお気に入りの曲に対して少しずつ行っていく。今日先生と最後に話したジブリのメロディーなども同様に、まずは歌なしで指と身体全身が楽譜を覚えている状態にしたいと思う。


箏の稽古の前にふと、今後トランスヒューマニズムに関する講座を開催することがあれば、その際のエクササイズの1つとして、トランスヒューマニズムに反対するグループと賛成するグループに分けて、受講生の方たちと対話をしていくことは面白そうかと思った。クラスの前半と後半でグループの割り振りを変えてみるような工夫もしてみることによって、賛成と反対の両方を観点やロジックを全員で考えることになり、トランスヒューマニズムにまつわる種々の倫理的な問題に対して深い理解が得られそうである。これはぜひやってみたいことだし、話題は別にトランスヒューマニズムに限ったことではなく、毎週末のオンラインゼミナールや現在進行中の批判的実在論の講座で取り上げられる話題でも可能かと思う。今日も色々な刺激があり、静かに洞察が生まれる1日だった。自分はきっと毎日世界との触れ合いを通じて、世界から種々の気づきや発見をもたらしてもらっている肯定的な意味での受動的な存在なのだろう。自らが能動的に気づきや発見を得ようとしているベクトルも確かにあるだろうが、それ以上に、世界から気づきや発見が降ってきているという感覚の方が近い。これを「変容的受動的態度」と名付けてみたいというアイデアが降ってきたこともまた、世界に自己を明け渡していることからもたらされた現象である。フローニンゲン:2023/1/18(水)17:25

 
 
 

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