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9651-9655: フローニンゲンからの便り 2022年12月26日(月)



No.4255 知覚の扉の向こう(その1)_Beyond the Door of Perception (Part 1)


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2077, A Metamodern Procession

Everyone and everything go in procession toward metamodern.

The pulse of my heart is following the current of the times.

Groningen; 09:00, 12/26/2022


No.2078, A Canopy

When we look up to the sky, there is always a canopy of heaven.

Affluent fruits are there.

Groningen; 13:13, 12/26/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9651. クリスマスから一夜明けて

9652. 今朝方の夢

9653. メタモダニズムとトランスヒューマニズム/集合規模での神経症の治癒に向けて

9654. 世界を構築する力

9655. 自宅でのトレーニングを終えて


9651. クリスマスから一夜明けて


時刻は午前7時半を迎えようとしている。クリスマスから一夜明け、今日からは新たな週を迎える。昨日はクリスマスということもあり、午後に外に出かけた時には人がほとんどいなかった。オランダではクリスマスは家族と祝うのが一般的らしく、外に出かけることなく家でみんな過ごしていたのだろう。午後にあれだけ人がいないフローニンゲンを初めて見た。そんなフローニンゲンも、今日からはまた活気を取り戻すだろう。


昨日、神学大学院への出願を無事に終え、明日からは年末年始の旅行が始まる。フライトの変更に伴って、明日はアムステルダム空港からニース空港への直通便に乗ることになり、そのおかげで自宅を出発するのはさらにゆったりとなった。フライトの時間が午後2時半のものであるから、空港には昼前に到着すれば十分である。編集者の方から書籍の原稿を今夜か明日の朝にでも受け取っていれば、空港のラウンジで原稿の修正を行いたいと思う。明日からの旅行に備えて、今日は午後にジムに行く前に家全体に掃除機をかけておこうと思う。そうすれば、明日の朝にトイレ掃除と浴室の掃除をして、家を綺麗にした状態で出発できる。神道的な発想であるが、穢れを落とし、家にも良いエネルギーを流し込みたいと思う。


昨夜、乃木調子からハ長調に調弦後、『糸』のイントロを飛ばして、セクションAからDまで繰り返し演奏してみた。やはり前回は調弦がおかしかったからそれらしく響かず、ハ長調に調弦してみるとらしくなってきて、演奏がとても楽しかった。そこからもハ長調で演奏できる思い出の曲として、『君を乗せて』と『となりのトトロ』を演奏してみたところ、懐かしくなってきて感動して思わず涙ぐんだ。そこでもまた箏の素晴らしさを思ったし、自分で演奏することの素晴らしさを思った。年末年始の旅行に箏は持っていけないので、今日と明日に思う存分演奏しておこうと思う。今日もまたJ-POPや懐かしいアニメソングなどを中心にして演奏を大いに楽しみたい。フローニンゲン:2022/12/26(月)07:38


9652. 今朝方の夢


静けさに満ちた月曜日の朝。何も変わらないように思える朝も、きっと毎日変化という彩りに満ちている。それをそっと探してみようと心が動く。日々は絶えずこのようにして、平凡さと変化の双方に彩られる形で進行していく。変化しているということが常態化されていくと、実は変化が当たり前のものとなり、そのことそのものが不変となる。そうなってくると、毎日は変化と不変が止揚された弁証法的なものとして存在しているのかも知れないと思う。きっとそうなのだろう。なぜなら、このリアリティは絶えず弁証法の鼓動で生きているのだから。


今日はいくつかの断片的な夢を見ていた。夢の中で私は、昔活躍していたある女優の方と話をしていて、その方とテーブルでご飯を食べていた。楽しげに会話をしていると、そこに1人の男性がやって来た。どうやら2人は知り合いらしく、そこからは3人でご飯を食べることにした。すると、その男性が、実はヤクザに狙われていて、助けて欲しいとのことだった。話を伺うと、うっかり街中でヤクザとは知らずにある男性をからかってしまったそうだった。それで今悠長にご飯を食べて入るが、実はヤクザに追われているとのことだった。それは大変だと思ったので、彼をかくまう場所を見つけに行こうと提案すると、店にヤクザの集団がやって来た。すると彼らはその男性をすぐに見つけて、彼を連行して行った。女優の女性と私はなす術なく、その場で呆然と立ち尽くしていた。


次の夢の場面では、意思の力で花火を打ち上げている自分がいた。それは念力のようなものを用いて実現されていた。しばらく花火を打ち上げて、自分を含めて、多くの人にそれを楽しんでもらっていると、気がつけば実家のダイニングルームにいた。お腹が空いたので冷蔵庫を開けてみたところ、賞味期限が不明なものがたくさん入っていた。海鮮丼でも作ろうと思って、刺身を取り出したのだが、その賞味期限は大丈夫かと不安になった。ちょうどダイニングルームにやって来た母に尋ねてみたところ、母も賞味期限が分からないとのことだったので、父に聞いてみようと思った。しかし父は不在で、いつ帰ってくるか分からなかったので、学食にでも食べに行こうと思った。そこで夢の場面が変わった。


もう1つ覚えている場面としては、おもちゃやゲームで溢れた世界にいたことである。そこでは夢を眺める者として存在していて、おもちゃで遊んでいる人たちの姿を眺めていた。中学生ぐらいの男の子数人が、レゴのようなものを使って何かを作っていた。すると、私は彼らが創作した世界の中に入っていき、彼らが作った人間の姿をしたモンスターのような存在と出会った。そのモンスターは数体いて、どれも大きな怪我を負っていて、傷ついていた。彼らは私を襲う気配はなく、モンスター同士が最後の力を振り絞って合体して、屋上から飛び立とうとしていた。彼らの最後のミッションとして、距離の離れたビルの屋上とこちらの屋上にエネルギーの橋を架けることが課せられていた。合体したモンスターが飛び立った時、私は彼らの健闘を祈った。フローニンゲン:2022/12/26(月)07:58


9653. メタモダニズムとトランスヒューマニズム/集合規模での神経症の治癒に向けて


今朝方、いつものように動的ストレッチを行っていくると、身体運動が呼び水となって、メタモダニズムのことをふと思った。そこから、メタモダニズムとトランスヒューマニズムという二つの二大潮流の繋がりを考察していく方向性を思いついた。メタモダニズムに関しても、来年のどこかのタイミングで集中講座を開講したいと思っていたのだが、その強い動機付けが生まれた。ポストモダンの終焉が叫ばれて久しい一方で、ブルーノ·ラトゥアーが指摘するように、私たちはモダンでさえ十分に経験していないという考え方もある。しなしながら、ポストモダンの行き詰まりの問題も社会において散見されることから、ポストモダンを超克するメタモダンの考え方を紹介することは意義があるかと思われる。メタモダンの霊性観も重要な探究項目として掲げ、メタモダニズムとトランスヒューマニズムの思想運動における霊性の意味や意義を探究していくことに焦点を当てていこう。


先ほどより、宗教とテクノロジー、そしてメディアにまたがる学術書の音読を始めた。その中でフロイトについて言及があり、思うことがあった。そこでは反復と想起の明確な違いが書かれていて、前者は神経症をもたらすものであり、後者は治癒をもたらすものであると言及されていた。そこから日本社会を眺めてみると、そこには大切な社会的·歴史的記憶が喪失し、形骸化された慣習的行為の反復が跋扈しているように思われ、日本は集合規模で神経症を患っているのかも知れないと思われた。保守主義者や伝統主義者ではなくても、社会的·歴史的記憶を保存し、伝承することの大切さはそこにあるように思われる。社会的·歴史的記憶を保存し、伝承することは、私たちが神経症に陥らずに健全な精神生活を営むことに寄与してくれる。この点についても自分にできることを模索していこうと思う。フローニンゲン:2022/12/26(月)09:30


9654. 世界を構築する力


人が世界の中にいるという側面は確かにあるが、人間は自らを存在させるために世界を構築するという側面もある。人は創造主のフラクタルであり、人は自らの固有の世界を形作る。しかしながら、世界を構築する力を喪失したり、その力が弱体化した時、人は存在論的飢餓状態となる。その際に、他者や社会、あるいは宗教によって作られた世界に救済を求めようとするのかも知れない。すなわち、自らの力で世界を作ることのできなくなった者は、誰かに自分の居場所となる世界を作ってもらうように依存するという構造が見えてくる。現代社会の種々の問題にも、その構造から生まれたものがたくさんありそうである。意味を構築するという実存的力の回復と、新たな霊性の台頭と獲得が求められる時代なのかも知れない。そこにメタモダニズムやトランスヒューマニズムはどのように関わっていくのだろうか。そのあるべき方向性を模索したい。


本来であれば、自らの世界を作る力と共同世界に自己を置くという意味で宗教が存在していたのだろうが、現在は「消費主義的宗教」あるいは「消費主義的スピリチュアリティ」の隆盛により、宗教が本来の役割を果たしにくくなっている。結果として個人は分断化され、ますます自己の世界の拠り所を失っていくという構造になっているのかも知れない。


今し方、早速1冊の書籍の音読を終えたので、ここからはテクノロジー神学に関する書籍の音読に入っていく。それは全2巻の書籍で、すでに過去に初読をしているので、じっくりと音読をしていこうと思う。それらの2冊の書籍を読み終えたら、再びトランスヒューマニズム関係の書籍を一気に読み返していこうと思う。新年の開始はそのような形になるだろう。フローニンゲン:2022/12/26(月)10:20


9655. 自宅でのトレーニングを終えて


時刻は午後4時半を迎えた。辺りがゆっくりと暗くなり始めている。今日は午後にジムに行ったのだが、ジムに到着すると、ジムが暗くなっていて、入り口に張り紙が貼ってあった。クリスマスが明けた今日はジムがやっていると思っていたのだが、ジムは明日から再開のようだった。散歩がてらジムに行き、そこからすぐに自宅に帰ってくる形となった。ジムでの筋力トレーニングに代えて、先ほど自宅で1時間ほど自重トレーニングをした。それは昨年行なっていたメニューをもとにしたものであり、ここのところは週に2回ジムで鍛えていたので、負荷量を増すように工夫をしたり、セット数を増やした。1時間ほど自重トレーニングをすると、身体は十分に温かくなり、良い具合に筋肉を疲弊させることができたように思う。


明日からはいよいよ年末年始の旅行が始まる。今年はスキポール空港が歴史的な混雑をシーズンを通して見せていたが、どうやら改善策がようやく実り、クリスマスシーズンではあるが、もはや混雑が随分と解消されているようだ。とは言え、念のために明日は早めに空港に到着し、ラウンジでゆっくり過ごそうと思う。空港までの列車の中、ラウンジ、そしてニースまでのフライトの間に書籍の原稿の修正をしたい。昼にメールを確認したところ、編集者の方から原稿の修正案をいただいているので、編集者の方のコメントをもとに原稿を集中的に修正していこう。


明日からの旅行には、古事記の英訳版を持っていこうと思う。改めて、神道の世界観を理解し、日本の神話構造を読み解くことの大切さを思う。それを行うことによって、メタモダニズムやトランスヒューマニズムの思想運動へ自分なりの貢献ができるだろう。それを楽しみにしながら探究と実践を続けていきたい。フローニンゲン:2022/12/26(月)16:34

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