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9545-9551: フローニンゲンからの便り 2022年12月6日(火)



No.4162 永遠の方へ_Toward Eternity


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

A dream was caught by a nest of a morning spider.

The spider relished the dream.

Then, it obtained infinity and eternity.

Groningen; 08:33, 12/6/2022


No.2032, A Metaphysical Dream

A metaphysical dream passes by at any moment.

Whether we can enter it or not depends on our minds.

Groningen; 12:52, 12/6/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9545. 今朝方の夢

9546. 即興性が醸成する充実感と幸福感

9547. 今朝方の夢の続き

9548. 即興演奏者に向かって

9549. 非二元の扉を開くための即興演奏

9550. 箏の即興演奏者として

9551. 即興性と畏怖心/ジャズクラブ的オンラインゼミナール


9545. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今日もまた新たな1日が始まった。ここ最近はもう冬らしくなり、日が昇るのがとても遅く、気温も低い。とりわけ今週末からは最高気温が1度、最低気温がマイナスの日が続く。毎日自分の取り組みを淡々と前に進めていれば、年末がやって来るのもあっという間だろう。ニース、モナコ、マヨルカでの滞在が今から楽しみである。


今朝方はいくつか夢を見ていた。夢の中で私は、生まれ変わりを経験していた。学校のような大きな建物の中で、私はある会議で議長を務めていた。元々は別の女性が議長を務める予定だったが、どういうわけか自分がリーダーシップを発揮して、その場を仕切り、議題を前に進めていった。 すると、その点が学校の偉い人に高く評価され、生まれ変わりをした際にもまた議長をよろしく頼むと言われた。そのように声を掛けてくれたのは、女性のトップだった。するとそこから、実際に通っていた小学校の図書室に似た場所に向かった。というのも、会議後の授業で出された課題が、この街の歴史に関するものであり、歴史についてまとめるレポートを書くために本が必要だったのだ。本を求めに図書室に向かうと、そこは少し薄暗く、誰もいなかった。本来は図書室を管理している女性がいるはずなのだが、その時には誰もいなかった。私はそこで必要な本を探すために、図書室内の本を検索できる機械を使った。機械にキーワードを打ち込んだところ、1件ヒットがあった。しかし、その本がどこにあるのかすぐにわからなかった。すると、自分の隣にいた女性友達がその本なら向こうにあると述べ、そちらに向かってみたが、やはりその本はなかった。結局本を見つけることはできず、本なしでレポートを書く決意をしたところで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、実際に通っていた中学校の屋外のバスケコートにいた。コート上には外国人の大人たちもいて、賑やかな部活が行われていた。私はバスケ部のキャプテンだったので、その場を仕切ってそろそろ本格的な練習を始めようと思った。その時に、どういうわけか、副キャプテンの友人が時折使っていたフェイダウェイシュートの手本を見せることにした。厳密には、私は眠りから覚めた時に、コートの上が賑やかで、その場の勢いに乗せられて彼らに突然フェイダウェイシュートを見せることになったのである。眠りから覚めた直後に放ったシュートは見事に決まり、その場にいた全員が拍手をした。そこからはコート全体を使ったパス練習を始め、それを何往復かした後に夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/12/6(火)07:04


9546. 即興性が醸成する充実感と幸福感


空がダークブルーに変わり、日の出時間がゆっくりと迫ってきている。ダークブルーの空を眺める限り、今朝方の空は晴れのようだ。小鳥たちのさえずりが心地良く鳴り響いている。昨日ジムに行く際に、あとどれくらいフローニンゲンに滞在できるのかについて考えていた。仮に来年の夏からアメリカに行くとすれば、フローニンゲンに滞在できる期間は限られている。神学大学院に進学することになったら、遅くとも8月にはアメリカでの生活を始めたい。そうなってくると、フローニンゲンでの生活は、あと8ヶ月ほどである。8ヶ月を長いと取るのか短いと取るのかは人によるだろうが、自分としてはその長さに関係なく、7年間過ごしたフローニンゲンを去るということそのものが重要なのである。愛着を持ったこの街。自己がフローニンゲンに愛着し、気づけばこのような長い期間この街にいた。今度アメリカで住むことになる街にどれだけ住むのかはわからない。そこでもまたその街に愛着を持つことになるだろう。再びヨーロッパに戻ってくる日がいつになるかわからないが、自分はきっと再びヨーロッパに戻ってくるような気がしている。今のところはフィンランドや再びオランダに戻って来ることを考えているが、それはその時にならないとわからない。何かの縁でヨーロッパの別の国に移住している可能性もある。そのようなことを考えながら歩いていた。


先ほど、箏の即興演奏に向けて、基本的な技術をテクニック集を使って徹底的に習得していく方向性について考えていた。自分は何でもそうだが、とにかく即興的に何かをやることを好む。そこにしか生まれない創造性というものがあり、その波の中にいることが本当に心地良いのだ。自分の専門領域に関して何か話すことがあっても、基本的には即興的である。このところ毎日作成している音声ファイルもまた常に即興的だ。話すお題だけ決まっていて、あとは全て即興的に話をしている自分がいる。即興的に物事に取り組む時に生まれる何とも言えない充実感と幸福感はなんだろうか。それはある意味麻薬的なものである。それほどまでに即興性を発揮することは、自分にとって魅力的なものであり、中毒的なものでもある。箏の演奏で即興性を発揮させようとなると、基本技術の精度を上げる修練を重ねることが重要だ。基本的な技術の精度を高めるべく、テクニック集を毎日繰り返し行って練習していくことに加え、自分なりに即興演奏を毎日行うことによって即興力を高めていくことをしてみよう。即興的に音楽を演奏することを通じて、その瞬間の自己を音楽的に表現し、それによって生じる治癒効果と変容効果を享受する。結局のところ、ジークンドーにおいても実際に現場でその技を使おうとすると、即興性を発揮せざるを得ない。これからの学習と実践は、兎にも角にも即興性に注目をしてみよう。その場の環境と相互作用しながら、即興的に生み出されるものを楽しんでいく姿勢を保持し続けたい。それを死の瞬間まで保持できれば、死という現象さえ即興的に楽しめるものになり、死を通じて充実感と幸福感を得られるのではないだろうか。フローニンゲン:2022/12/6(火)08:08


9547. 今朝方の夢の続き


朝の穏やかな空を眺めながら、ゆったりとした気持ちで朝の活動に従事している。そのお供として自分で淹れたコーヒーがある。コーヒーを飲みながら、今朝方の夢の続きについて振り返っていた。夢の中で私は、見慣れない洞窟の中にいて、そこを探検していた。小中高時代の親友(SI)と一緒に宙に浮かぶ形で洞窟の中を探検していた。洞窟の先のほうに洞穴があって、そこは不穏な雰囲気を発していた。何やらその洞穴の中に獰猛な生き物がいるようであり、警告文が洞穴の近くの壁に貼られていた。私たちはその生き物の写真を撮ることが重要な使命の1つだったので、洞穴の中を覗いて写真を撮ることにした。その時に、何か餌のようなものをその生き物に与えて気を釣ろうとした。ちょうど友人が餌となりそうな大きな魚を持っていたので、それを与えてみることにした。すると、その獰猛な生き物はすぐさま魚の匂いを嗅ぎつけ、魚にかぶりつき、すぐにそれを平らげた。その瞬間にその生き物の顔がこちらに見えたのだが、その生き物は猿と鳥が融合したような生き物で不気味であった。なんとかその生き物の写真を収めると、私たちはすぐさまその場を後にした。でなければ、私たちがその生き物に襲われる可能性があったからだ。そこからは来た道を引き返す形で洞窟を出ようと思った。するとそこで、見慣れない数人の日本人男性と鉢合わせになった。彼らはミリタリーの服を着ていて、洞窟の中でサバイバルしているようだった。それも訓練の一環なのだろうかと思ったところで、なんと彼らのうちの1人が突然友人を襲い、その男性と仲間であるはずの1人の男性がその男性を拳銃で撃ち殺し、友人は無事に助かった。私は何がその場で起きたのかすぐには理解できず、一瞬呆然と立ち竦んでいたが、ハッと我に返って、友人といち早くこの場を去ることにした。そのような夢を見ていた。今朝方はいくつかの夢を見ていて、それらの夢もまた無意識が即興的に作り出す産物なのだと思うと、そこにも即興性による創造性の発露を見ることができる。とにかく日々の生活の中で即興性を大切にしていこう。即興性を発揮して充実感と幸福感を得るためには、その準備段階として膨大な量の学習と実践が求められる。そのプロセスがまた自分にとっては愛おしいもので、そうした絶えまぬ学習と実践によって紡ぎ出された即興的な産物もまた愛おしい対象である。そうなって来ると、自分の人生の一瞬一瞬が、そして全てが愛おしい対象になってくる。フローニンゲン:2022/12/6(火)08:45

9548. 即興演奏者に向かって


先ほど箏のオンラインレッスンを終えた。今日も本当に実りの多いレッスンとなり、先生にとても感謝している。今日のレッスンの冒頭で、いつか即興演奏をしたい旨を先生に伝え、それに向けて大切なことについて少し話をした。今朝方、即興性が自分にとってどれだけ大切なことなのかについて日記を書き留めていたように、箏の演奏においてもいつか即興的に自由自在にその場に応じて自分の音楽を生み出すことができたらと思う。そのためには繰り返しになるが、基本的な技術をしっかりと習得していることは大前提であり、それを可能にする意味で、テクニック集を用いた日々の練習がある。テクニック集の自分にとっての意義が増し、これからの日々の稽古が実り多いものになるだろう。箏の即興演奏者になるという将来の目標像が明確なものになったことに伴い、すでに即興演奏で活躍されている箏奏者について先生に尋ねてみた。すると、大平光美さんという方を紹介してもらい、後ほどYoutubeなどを通じてその方の演奏を聴いてみたいと思う。今日は午後に親友かつかかりつけの美容師のメルヴィンに髪を切ってもらうが、メルヴィンもギターの即興演奏をしているし、何よりも即興的なフリースタイルラップを毎日練習していることもあり、今日は即興性について話をすることになるだろう。


先生と即興演奏に関する話をした後、前回のレッスンから今日にかけての質問事項を先生に投げかけさせていただいた。全ての質問事項が解決するだけではなく、質問に派生して箏に関する様々な話を聞かせていただき、それがまた自分の演奏の幅を広げる上で有益になると思われた。夕方に稽古をする時には、平調子における1と5の音が完全に同じところを、1の弦は1オクターブ低い音に調弦しようと思う。テクニック集を楽しみながら練習すること。そしてそれに並行して、即興演奏も日々楽しみながら練習していくこと。これを繰り返していけば、即興演奏者としての道が開かれて来るに違いない。アメリカに行ったら、ジャズの人たちに混じって箏を即興で演奏したいと思う。それを行っている自分のイメージが見え始めている。フローニンゲン:2022/12/6(火)11:25


9549. 非二元の扉を開くための即興演奏


先ほど仮眠から目覚め、今から少し日記を執筆したら、メルヴィンの店に行って髪を切ってもらおうと思う。今、穏やかな午後の太陽の光が地上に降り注いでいる。メルヴィンの店までの散歩がまた楽しみである。


仮眠を取る前に、再び即興性について考えていた。特に箏の演奏についての即興性について考えていた。箏で即興演奏ができることの良さは、楽譜いらずでその場で演奏を披露できることであり、それは今後世界の様々な場所で箏を演奏する機会に恵まれた場合に重要なことである。即興演奏のそもそのも楽しさは、その場の雰囲気やその場にいる人たちの存在感によって新しい音楽がその場で生み出されることであり、それを通じてその場にいる人たちと一緒に1つの世界に入れることだと思う。即興性の妙味とはまさに、同じ世界を共有するという体験にあるのではないかと思う。言い換えると、即興演奏は非二元性を感じさせてくれる素晴らしい実践であると言えるように思う。非二元の世界の入り口として箏の即興演奏を捉えてみよう。非二元の扉を開くための即興演奏の実現に向けて、日々絶えまぬ鍛錬を積み重ねていきたい。


即興演奏の実現に向けてのステップを冷静になって考えてみよう。今練習しているテクニック集の楽曲を組み合わせてみることや、自分なりにその場でアレンジしてみることなどから始めてみると良いかもしれない。少しずつ即興性を加味していく形で日々の練習を意識してみよう。


即興演奏ができるためには、そもそも即興演奏のイメージが豊かになくてはならず、そうしたイメージをより豊かにするために、たくさんの即興演奏を聴くことが重要になるだろう。また、箏の即興演奏だけではなく、ジャズの即興演奏や、フリースタイルラップなどにも着想を得たいと思う。即興性が体現された芸術表現はその他にもたくさんあるし、芸術以外にも即興性が体現された実践はたくさんある。そうした多様な実践に触れる中で、自分の即興性を無限に豊かに育んでいきたいと思う。後ほどのメルヴィンとの会話もまた即興性の産物であり、即興性は至る所に遍満して自分を手招きしている。フローニンゲン:2022/12/6(火)13:23


9550. 箏の即興演奏者として


時刻は午後4時を迎えた。辺りはもううっすらと暗くなり始めている。今日は午後に、親友かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店に足を運んだ。メルヴィンが休憩がてらギターを持って店の外に出ようとしているタイミングで店に到着した。自分は5週間ほどオランダを離れていて、メルヴィンもまた5週間ほどメキシコに滞在していたので、久しぶりにメルヴィンと会って話をしたわけだが、今日の会話もまたとても充実していた。話の前半はメルヴィンのメキシコでの体験について聞き、メルヴィンがメキシコで充実した時間を過ごしていたことが伝わって、こちらも嬉しかった。メルヴィンはこれまであまり一人旅をしたことないらしく、今回これほど長く一人旅をしたのは初めてのことだったようだ。滞在最後の1週間は、メルヴィンの新しい彼女であるジュディスと共にメキシコ滞在を楽しんだとのことだった。メルヴィンの話の中で印象に残っているのは、メキシコを旅する中で得られた霊的な洞察に関するものである。今回の旅では1人の時間を大切にし、肯定的な孤独感がそうした霊的洞察をもたらしてくれたことに寄与していたとメルヴィンは述べていて、個人的にそれには深く同意する。他人と連んでいては得られない自己洞察及び世界洞察というものが孤独の中にある。メキシコ話がひと段落すると、そこからはメルヴィンのフリースタイルラップの話と自分の箏の演奏の話になった。話の中で、「自分はまだ箏の演奏の初心者である」というような前置きの言葉を述べると、メルヴィンから興味深い質問が投げ掛けられた。それはメルヴィン自身がギターの演奏において以前友人から投げかけられたものだそうだ。端的には、「いつから初心者ではなく箏の演奏家と名乗るのか?」というものだった。一般的には、プロとして演奏でカネを得れるようになってからと答えるのかもしれないが、自分の場合は、金銭が獲得できるかどうかではなく、その実践に自分なりの使命や天命、そして霊的意味が見出せるかにかかっているように思えたのでそのように答えた。するとメルヴィンもその回答に深く同意してくれた。自分でそのように回答してみた後に、であれば自分はすでに箏の演奏に対してある種の天命を見出し、霊的意味を見出しているのだから、箏の演奏者と名乗ってもいいのではないかと思ったのだ。今日のメルヴィンとの話の記念として、今日から箏の演奏者と名乗ることにしよう。特に、箏の即興演奏者として名乗りたいと思う。今日のメルヴィンとの対話では、その他にもいくつか重要なことに気づかせてもらったり、考えさせてもらったりした。それらについて引き続き考えを巡らせよう。フローニンゲン:2022/12/6(火)16:26


9551. 即興性と畏怖心/ジャズクラブ的オンラインゼミナール


夕食を摂り終え、これからまた箏の稽古をしようと思う。箏の即興演奏の方法について色々模索していることそのものが楽しく、創造性が刺激される。今日のオンラインレッスンの中で先生がジャズのコードを用いて即興演奏ができるということを述べていたことを思い出し、ジャズのコード理論に関する書籍を1階から引っ張り出してこようかと思う。また、ジャズ演奏に合う調子などあるのだろうかということも気になっていて、今度先生に尋ねてみよう。


ジークンドーと箏の即興演奏は、日々学術探究を通じて言語優位になっている自分を解放してくれる。もちろん、日々学術研究の成果を音声ファイルで語るときは言語的な即興性が発揮されていて、自分の創造性を発揮し、それによって不思議な癒しの力と変容の力を得ている。人間発達は、絶え間ない自己創造過程であることを考えると、即興性を発揮して創造的に生きることが永続的な発達の実現の鍵を握るように思う。その他にも、即興性の産物には驚きと畏怖がもたらされることが多いという点も見逃せない。即興性を発揮することは、リアルそのもの、すなわち世界そのものと繋がる道を開いてくれる。そのようにして世界そのものと繋がりながら生み出されるものが人を感動させたり、畏怖心を与えることは想像に難くない。バスカーが述べているように、私たちは日々の創造的な営みを通じて、世界そのものとの完全なる合一を果たすことができるのだ。自己忘却的感覚の中でその活動に邁進·埋没する時にそれが起こる。それは生の喜びを体現していて、それが自分に生きる意味の一端を与えてくれ、それがあるからこそ生を放棄することがないのだと思われる。


先ほど、毎週土曜日に開催しているオンラインゼミナールのクラスは、受講生の方々と即興性と創造性を発揮させて作る90分間のジャズセッションが行われていることを思った。受講生一人一人の存在感と発言·質問が毎回1つの傑作的なジャズ音楽を奏でている。そこでは全員が演奏者となる。今週土曜日のクラスではどのようなジャズセッション的クラスになるだろうか。それが今から楽しみでしょうがない。アカデミックジャズセッションの虜になっている自分。重要なことは、そこで生み出される産物が実利的で実践的であることだ。不思議なことに、全員が即興的に紡ぎ出す対話の産物は、とても実践的であり、個人や社会の治癒と変容に資するものになっている。世界そのものと繋がることによる社会的な次元での治癒的・変容的効果をそこに見出す。フローニンゲン:2022/12/6(火)19:23

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