No.4129 札幌の夜_A Night of Sapporo
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2012, A Curtain of Dream
A curtain of dreams is manifested in the morning.
It veils and unveils something for us.
Groningen; 10:12, 11/28/2022
No.2013, A Splendid Fugue
The world is making a splendid fugue.
Whoever listens to it carefully, he or she will be energetic and recuperated.
The fugue is the food for the soul.
Groningen; 13:06, 11/28/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9508. 今朝方の夢
9509. 今朝方の夢の続き
9510. 充実したトレーニングを終えて
9511. 記号論的三角形について
9508. 今朝方の夢
時刻は午前9時を迎えた。今日からまた新たな週が始まった。昨日、年末年始の旅行の各種の予約を終え、年内にやっておくべきことは、あとは神学大学院への出願のみとなった。先日受験したTOEFLの結果は、おそらく今日か明日にわかるだろう。それを受けて、7ヶ月前に受験したスコアを提出するのか、今回受験したスコアを提出するのかを判断したい。
今日もまた昨日に引き続き、年明けから開講予定の批判的実在論の入門講座に向けてコンテンツを作成していこう。取り上げる課題図書について1つ1つの項目を解説していく音声ファイルの作成を継続させていく。これは自分にとっても学びの多い作業であり、今後の講座においても同様のことをしていきたいと思う。今日はその他に、午後にはジムに行き、ジークンドーと筋力トレーニングに励む予定だ。今は週に2回のトレーニングが完全に板についた感じである。今日は1人でトレーニングをし、木曜日は再びトレーナーのエリーザに見てもらう。今は探究活動にせよ、実践活動にせよ、本当に充実している。
いつものように今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、小中学校時代の男性友達1人(MS)と女性友達2人(HS & NI)と一緒に道端を歩いていた。今から女性友達の片方の家に行って4人でゆっくり話をしようということになった。もう片方の女性友達が実は随分と歳の離れた男性と結婚していて、結婚の経緯や結婚生活の話を聞きたいと残りの3人は思っていた。当人もまたその旦那との間で最近ギクシャクしているとのことだったので、そのことについて話をしたいと述べた。片方の女性友達の家の前までやって来たときに、ちょうどその真ん前が男性友達のアパートであることに気づいた。そこで一同、いったん彼の家にお邪魔させてもらうことになった。彼のアパートはあまり広くなく、一般的な大学生の下宿先のような広さであった。ドアを開けた時、彼が飼っている犬が飛び出して来て、外に出ないように慌ててドアを閉めた。彼の犬は私に戯れついてきて、そのおかげで外に飛び出して逃げていかない形となった。彼の家に到着した時に、せっかくだったらうちの来たらいいと私は述べた。というのも、私の家は大きな敷地の中にある一軒家だったので、そこだったらもっとみんな寛げると思ったからである。すると、全員私の家に瞬間移動した。家の2階に瞬間移動して降り立った時、どういうわけかドラマの撮影がそこで行われていた。日本人の有名な俳優2人がそこで演技をしていて、そう言えば女性友達の片方は、そこにいた男優のファンだったということに気づいた。撮影が終わると、その男優はまるでそこが我が家であるかのように、家の外の庭を私たちに案内した。庭には暖炉があり、その暖炉を工夫してお風呂に入れるようになっていた。それは一人用の風呂だが、寒い冬にはうってつけだった。ちょうど季節は冬であり、庭の池が凍っていて、その男優は氷の上を歩きながら向こう岸に辿り着いた。私も池の上を歩いていくと、なんと氷が溶けている箇所があり、危うく池に体ごと落ちかけた。幸いにも足だけ池の中に着く形で助かった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/11/28(月)09:20
9509. 今朝方の夢の続き
小鳥の鳴き声が静かに辺りにこだました。書斎の窓の外に広がる景色を眺めていると、車庫の上に敷き詰められたガーデンに2羽の鳥がやって来て、地面の土を突いている。天気予報を確認すると、今日は小雨が降るらしく、今は降っていないが、昨夜の段階で降っていた小雨が木々の枝に滴として付いている。
今朝方の夢を先ほど書き出していたが、もう1つ夢を見ていたことを思い出した。夢の中で私は、中国の戦国時代にいた。ちょうど戦場にいて、今その瞬間に激しい戦が繰り広げられていたのだが、私は至って冷静に戦局を眺めていた。どうやら私は参謀の役割を果たしているらしく、戦局に応じて将軍に助言をしていた。戦術に関する助言のみならず、武術に関しても助言をしていて、将軍を含め、その他の武将から慕われていた。ある局面で、私は2つの助言を将軍にした。1つは待つこと、そしてもう1つは着実に進ことであった。将軍はその2つの助言を受けて笑みを浮かべ、助言通りに行動すると述べて、激しい戦地に向かって行った。そのような場面があったことを思い出す。待つこそ、そして着実に進むことというのは、何か自分が日頃心掛けていることと全く同じだと思った。今日もまた成果をすぐに求めず、成果を待ちながら、それでいて今の自分にできることを着実に行っていこうと思う。フローニンゲン:2022/11/28(月)10:34
9510. 充実したトレーニングを終えて
今日も大変良い運動をした。そのように感じる。時刻は午後5時半を迎えた。ジムでの運動を終え、買い物がてら立ち寄ったスーパーから先ほど帰って来た。ジムを出た午後5時前にはもう辺りはほぼ真っ暗であり、冬の訪れを感じる。気温に関しても明後日頃から一気に冷えてくるようだ。そのような寒さを迎えようとしているフローニンゲンにあって、今日はサウナに入って来た頃から、まだ体全体が温かい。週に2回ジムに行き、そこでサウナを毎回2回は少なくとも入っている。冬の時期においては毎回3回ほどサウナに入っていたが、今はまだ12分ぐらいのサウナを2セット楽しんでいる。
さて、今日のジークンドーの稽古に関して述べると、今日はジムのサンドバッグがある部屋に先客がいたので、ダンススタジオの方でジークンドーの稽古をした。前回のロビンさんとのプライベートレッスンで習ったことを復習し、そこからはランク3の技を先取りする形で練習していた。端的には、これまで習った接触法に追加で打撃をもう1つ加えるということをやっていた。その稽古をした後に、ロビンさんから習ったフックフェイントのコンビネーションを鏡を見ながら何度か練習した。その後、筋力トレーニングをするために器具やマシーンのある部屋に移動し、1時間ほどかけて各種の部位を鍛えていった。先週の木曜日にエリーザから使い方を教えてもらった器具をまずは復習していき、それからは大きな筋力を鍛えるための器具をいくつか活用し、そのセットを3回ほど回していった。今のところ、週に2回、各回1時間強のトレーニングがちょうどいいように感じる。トレーニングを終えてサウナに入った後、筋力トレーニングの際に見かけた小柄な男性に声を掛けた。彼は何やら週に4回ジムに来ているらしく、いつもはもっと遅い時間に来ているそうであり、だからお互いに会うのが初めてだった。ロッカールームでこうしたコミュニケーションが芽生えるのは日常茶飯事であり、基本的にオランダではジムのロッカールームでは誰でも互いに挨拶をする。そこから会話が生まれることもしばしばであり、こうしたコミュニケーションの場があることも嬉しい限りである。トレーニングが充実していたこともあり、今日の夕食はとても美味しくいただけるだろう。フローニンゲン:2022/11/28(月)17:40
9511. 記号論的三角形について
1日を締め括るにあたって、今日作成していた音声ファイルについて振り返っておきたい。それらはいずれも年明けから開講予定の批判的実在論入門講座に関するものだ。先ほど作成していた音声ファイルをもって今日の分を終えたい。昨日の段階で、自然科学を対象にした超越論的実在論と、社会科学を対象にした批判的自然主義について音声ファイルを作成した。今日取り上げたのは、応用的批判的実在論に関するものだ。これはとりわけオープンシステムを対象にしたもので、オープンシステムに関する7つの存在論的階層構造について説明をしていた。そこから第1章のまとめをし、存在論の7つのレベルについて解説を施した。批判的実在論はその発展フェーズに応じて3つの異なる名前を持つ。昨日までは、最初のフェーズで提唱された基礎的な批判的実在論を扱っていた。今日からは次のフェーズの弁証法的批判的実在論についての話をし、それは課題テキストの第2章で詳しく解説されている。最後のフェーズは第3章で扱われ、それはメタリアリティーの哲学と呼ばれるものだ。存在論の7つのレベルについて話を戻すと、弁証法的批判的実在論が最初の4つのレベルを扱い、メタリアリティーの哲学が最後の3つのレベルを扱うという立て付けになっている。
今日の最後の音声ファイルとして、記号論的三角形を取り扱った。これはチャールズ·サンダース·パースの記号論を採用したものなのだが、批判的実在論を学んでみると、この三角形の重要性が際立ってくる。端的には、ソシュールの記号論においては存在論的な議論が欠落してしまっており、存在論を含めて現象を扱うためにはパースの記号論が決定的に重要になる。例えば、ソシュールの記号論を用いた場合、「机」という言葉を例に取ってみると、そこでは机という言葉そのものと、その言葉が喚起するイメージや意味などを扱うが、机という存在そのものについては全く考慮されていないことがわかる。つまりそこでは、全ての議論が知る者(人間)を中心になされていて、知られる者(対象物)の存在については視野に入っていないのである。バスカーは、「参照的分離(referential detachment)」という言葉を用いて、言葉そのもの、言葉が指し示す意味、そして指示対象物そのものを等しく扱うことの重要性を強調している。認識するという行為は、認識主体と認識対象という分離を引き起こし、存在論的に双方を認めないとおかしなことになる。ソシュールの記号論においては、認識対象の存在は議論から溢れていて、認識主体の観点から言葉というものを捉えていることがわかる。その言葉が指し示すものそのものには何ら言及されていないのである。この記号論的三角形は色々なところで応用できそうである。フローニンゲン:2022/11/28(月)20:33
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