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9313-9315: 日本滞在記 2022年10月26日(水)



No.4096 円の出会い_An Encounter of Circles


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1927, Family Bond

Family bond is deepened through dialogue.

Sincerity and honesty are key to a strong family tie.

Kikuchi; 06:01, 10/26/2022


No.1928, Mount Yufu

Mount Yufu is magnificent.

It is the embodiment of awe.

It empowers my soul very much.

Yufu; 20:39, 10/26/2022


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9313.【日本滞在記】流れと蓄積

9314.【日本滞在記】心と内面宇宙の美しさ/有限性の輝き

9315.【日本滞在記】由布岳を眺めながらの露天風呂を満喫して


9313.【日本滞在記】流れと蓄積


時刻は午前5時半を迎えた。今、狗の郷(くのさと)という旅館の自室で温泉の流れる音を聞きながらこの日記を書いている。いつも自分より早く起床する両親は今日はゆったりと自分よりも遅く起床した。辺りはまだ真っ暗だが、今日もまた熊本は晴天に恵まれる。ちょうど今父が露天風呂の方に出て行き、湯を張り始めてくれた。父曰く、温泉の温度が相当熱いらしく、昨日も温度の調整を行ってくれていたようなので本当に感謝している。昨夜は個室で大変美味しい夕食をいただいた。両親とも話をしていたのだが、狗の郷は料理が本当に美味しく、食材の素晴らしさに加えて、料理を載せる器と盛り付け方は芸術的であった。そんな料理を食べ放題で味わえるというのだから本当に贅沢なことである。昨夜は少しやるべきことがあったので、両親よりも一足早く自室に戻った。その後両親が戻ってきてから重要な話を3人で長く行っていた。こうした形で3人がお互いに向き合って真摯に話をするというのは家族の絆を深める上で本当に大切なことだと思う。


カレンダーをふと眺めると、いつの間にか日本を離れ、欧州に戻る日が近づいていることに気づく。旅の充実さが時の流れを忘却させていたようだ。ふと冷静になると、時が静かに流れていたことに気づく。それは湯の流れに似ている。それに意識を向けるまでは湯が流れていることなど全く気づかないのだが、それにひとたび意識を向けると、それが確かに流れているし、確かに流れていたことを知るのだ。人生における蓄積。それもまた風呂に張られる湯に似ている。今静かに時間をかけて張られている湯もまた意識を向けて初めてその蓄積に気づく。不思議なものである。この世界にはこのようにして、意識していないところで流れていく何かや積み重なっていく何かがあるのだ。自分の人生そのものはそうした流れであり、自分が日々行っている探究も実践もそのようにして蓄積されていく。望むのは、自分がもっと優しく、もっとこの世界に寄与できるような人間に近づいていく流れと蓄積の過程を歩き続けたいということだ。今日もまたそうした流れと蓄積が具現化された1日を生きたい。狗の郷:2022/10/26(水)05:42


9314.【日本滞在記】心と内面宇宙の美しさ/有限性の輝き


心の綺麗さ。それは内面宇宙の綺麗さを物語る。心の美しさ。それは内面宇宙の美しさを物語る。自分は再び心に戻ってきた。心の世界の大切さについて再び考える日々が日本に帰ってきて以降続いている。その人の振る舞いや発言は、その人の心の写鏡である。つくづく自分は心が綺麗で美しい人に惹かれ、そして自分もそのような心の持ち主でありたいと思うのだということが改めてわかる。


時刻は7時を迎えた。先ほど露天風呂に入っているときに夜が明けて、静けさと穏やかで佇むライトブルーの空を眺めていた。今は、小鳥たちが囀る鳴き声が聞こえている。一昨日と昨日は3人の詩人作家の美術館を訪れた。それを通じて、日本語の詩をもっと味わいたいと思ったし、オランダに戻ったら学術書だけではなく、再び詩集を紐解きたい気分になった。言葉の森と言葉の海に癒しを求める時期に自己がある。そんなことを思った次第だ。


今日はあと1時間ほどしたら旅館の個室で朝食をいただき、朝食後は少し休憩をして宿を出発する。今日宿泊するのは大分県由布院にある「金門坑」という宿だ。ここは7棟の離れで構成されている高級宿だ。湯布院の町を見下ろせるテラスハウスがあって、それぞれの離れには掛け流しの露天風呂がある。両親は過去に宿泊しているらしく、自分にも一度泊まって欲しいということで、有り難くも今回一緒に宿泊することになった。両親との旅行も明日で終わりを迎える。ここからあと何回両親と旅行に行けるかわからなくなってきている。もしかしたら今回最後かもしれないし、そうでないかもしれない。自分の人生の中で有限なものが前景に現れ始めているが、そこには有限であるがゆえの輝きがある。またその輝きが自分の日々の世界に染み渡ることによって、日々が豊穣な輝きに満ちているように知覚される。狗の郷:2022/10/26(水)07:08


9315.【日本滞在記】由布岳を眺めながらの露天風呂を満喫して


時刻は午後4時を迎えた。1時間ほど前に「金門坑」という宿に到着した。ここは両親がお勧めの宿であり、敷地内に入るとすぐにこの宿の雰囲気に魅了された。父曰く、ペット同伴で宿泊できる離れは3棟ほどであり、両親はこれまで2回来たらしく、今回で全ての離れをコンプリートしたそうだ。離れにも内湯があるのだが、それは朝入ることにし、父と先ほど雄大な由布岳が望める貸し切り露天風呂に入った。そこは2家族入れるようになっていて、入ったらプレートを裏返しにし、貸し切りで使うことができる。この露天風呂は本当に格別であった。平日の午後3時からこのような露天風呂に入れることそのものが贅沢なことだなと父と話した。露天風呂の周りには竹筒があって、反対側の露天風呂や外から見えないような作りになっていた。お湯の温度は人肌ほどよりも少し温かいぐらいだったので、ゆったりと露天風呂を楽しむことができた。とりわけ圧巻だったのは、露天風呂にぷっかりと浮かんで眺めた青空である。今日の由布院は天気に恵まれ、阿蘇の大観望を歩いている時には半袖でも十分であった——半袖姿の日本人は自分だけだったが——。黙って湯にぷかりと浮いてぼんやりと青空を眺めているときには深い瞑想状態になった。また、紅葉が始まっている季節でもあったので、黄色く色づいた木々の葉が午後の優しいそよ風に揺れる音もまた瞑想を誘うものだった。景観及び体験そのものが仏教的な形で自分の内側に入り込んできて、自己はそれらの景観と体験とピタリと一致した。青空をぼんやりと眺めながら露天風呂に入っていると、今日の天気であれば、夜は満点の星空を仰ぎ見ながら温泉に浸かれるだろうかと思った。それは誰か別の宿泊客が堪能してくれれば良いと思った。その人の喜びは自分の喜びであり、その人の幸せは自分の幸せなのだから。それではまだ夕食までには時間があるので、昨日購入した葉祥明氏の詩集を読もうと思う。金門坑:2022/10/26(水)16:15

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