No.4085 朝光の祭り_A Festival of Morning Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1920, Before Dawn
Morning divinity prepares to appear in the world.
It is still dark before dawn.
Yet, the world would be bright soon.
For Kumamoto; 05:52, 10/24/2022
No.1921, The Serene World
I hope that the world would become serener.
It can be so because the world consists of a tremendous amount of possibilities.
For Kumamoto; 05:54, 10/24/2022
No.1922, Egoless and Dreamful State
An egoless state is a dreamy state.
Once we relinquish our ego, we can enter a dream world.
Aso; 13:20, 10/24/2022
No.1923, Seeing You
Now I know that seeing you is seeing me.
Thank you for being with me.
Aso; 13:42, 10/24/2022
No.1924, Saying “Thank You”
Saying “thank you” has become a smile and happiness at last.
Aso; 13:44, 10/24/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9304.【日本滞在記】スマート化に伴う懸念
9305.【日本滞在記】内外世界に内包する連続性と非連続性
9306.【日本滞在記】阿蘇の雄大な景色と言葉の力
9307.【日本滞在記】露天風呂の魅力/整体からの学び
9304.【日本滞在記】スマート化に伴う懸念
時刻は午前4時を迎えた。今、徳山東インターから九州に向かう高速道路の上にいる。今日から家族旅行の始まりである。今朝方は午前3時に起床し、3時半に自宅を出発した。起床時間は午前3時と早かったが、昨夜は午後9時ぐらいに就寝し、7時間弱の睡眠を取ったので眠くなく、体調も万全である。今は車を運転しているのは父で、最先端技術によって生み出された様々な機能が搭載されたスマートカーはとても運転が楽そうである。車線からはみ出さないように自動でコントロールする機能や、この時間帯は暗いのでライトをつける必要があるのだが、ライトも自動で明るさの調整がなされ、前方を走る車の存在と車間距離によって角度も自動で変わるという自動化ぶりである。こうした便利な機能がつく車に乗りながら、テクノロジーによる「スマート化」というのは単なる自動化のことを指すのだろうかという問題意識を持った。これまで人間が意識的に手動で行っていたことが完全に機械に代替されてしまうことによる弊害について考える。技術の進歩によって人間が退化してしまっては元も子もなく、人間が仮に運転という技術を手放すのであれば、その代わりに私たちは何を楽しみ、何を喜びと変えて車に乗るのかということを考えなければならない。ここからさらに自動化が進み、完全自動化された車が出てきた時に、人間の能力の退化の問題と運転に見出す意味についての問題はさらに顕在化するだろう。また倫理的には、自動化された車が事故を起こした場合に、その責任主体は誰にあるのかという問題である。全くハンドルに触れずに運転席に乗っている人なのか、完全に自動化された車なのか、その車を作ったメーカー側なのか、そうした問題も今後ケースとして出てくるに違いない。今回の旅行にもテクノロジー哲学に関する書籍を2冊持ってきた。それらの書籍を旅の合間や旅先で読みながら、現代社会を覆うテクノロジーについての考察をゆっくり深めていこう。九州に向けた高速道路の上で:2022/10/24(月)04:12
9305.【日本滞在記】内外世界に内包する連続性と非連続性
時刻は午前7時半を迎えた。順調に目的地に向かっていて、今は福岡県の今道のパーキングエリアにいる。今日の中国·九州地方は天気がとても良く、まさに旅行日和である。両親と愛犬と旅行に行くのは2年振りであり、前回は島根に行った。ここ最近は毎年日本に帰っていたわけではなく、2年に1回ぐらいのペースだったので、前々回両親と旅行に行ったのは4年前の九州旅行だったように思う。愛犬も随分と歳を重ね、あと何回一緒に行けるかわからず、自分の中では今回が最後のように思っている。だからこそ、今回の旅は良き思い出を作りたいと思う。
今朝方は山口県の自宅を午前3時半に出発し、そこからしばらくは真っ暗の状態が続いていた。午前6時を過ぎ始めた頃に徐々に夜明けを迎えた。そこでふと、確かに夜明けというのは連続的なプロセスなのだが、明けゆく朝空を眺めていると、夜が完全に明けたとふと思う瞬間があり、その瞬間の訪れは非連続的なものなのだと思った。連続性かつ非連続性を内包しているのは人間の発達も同様であるし、それは世界そのもの、ないしは宇宙そのものにおいても当てはまるように思う。
世界の様々な国や町に行き、今は日本津々浦々を巡っている。こうした生活が実現されてはや数年が経ち、自分の内的世界の時間がますますゆっくりと流れているように感じる。それは自分の身体的·精神的な老化を緩やかなものにし、同時に心をゆっくりと育むことに寄与しているように思う。
今日は月曜日のようだ。月曜日の朝の世界がこんなにも穏やかで、こんなにも優しいことに驚く。そう感じている自分の内側の世界もまた穏やかさと優しさに包まれている。旅に固有の時間の流れに身を委ね、浮き上がってくる思念や感覚と向き合い、それを記念として、思い出として形にしていこう。人間は絶えず形を生み出す生き物だ。生成を所与とし、生成を宿命づけられた存在。それが人間であり、その生成は連続的かつ非連続的である。同時にそれは存在の連続性と非連続性を歌っている。熊本に向けた高速道路の上で:2022/10/24(月)07:44
9306.【日本滞在記】阿蘇の雄大な景色と言葉の力
時刻は午後3時に近づきつつある。先ほど、熊本のペット同伴が可能な宿小笠原に到着した。ここは何年か前に両親と愛犬と一緒に訪れたことがあるが、今回は特別室での宿泊となった。特別室には専用の露天風呂があり、後ほどそれに入ることが楽しみだ。特別室の和室は、どこか心をとても和らげてくれる。欧米ではこのような雰囲気の空間を味わうことができない。和室から眺められる阿蘇の山々はとても雄大である。阿蘇の山々の表情はとても優しく、柔らかい雰囲気が漂っている。そうした優しげかつ柔げな山々の表情を眺めていると、心底心が落ち着く。露天風呂に入りながらこの景観を存分に味わおう。この宿は山の中にあることもあり、紅葉が始まりつつある木々の葉の揺れる音や虫の鳴き声なども聞こえてくるだろう。それがまた癒しを誘う。
今日は宿に到着する前にいくつか足を運んだ場所がある。まずは小国両神社に行き、そこの立派な神木には心打たれるものがあった。このような立派な大木に育つまでにどれだけの時間がかかったのかと想像してしまったし、きっと数多くの人間社会の変遷を見てきたに違いないという佇まいであった。神木には触っても良いようだったのでそっと触れ、その巨大な生命エネルギーを分けてもらった。そこで授かった生命エネルギーを自分のために使うのではなく、他者のために使おうという意思が自然と芽生えた。祈りとは自分のために祈るものではなく、他人のためにあるものなのだ。神木から得られたエネルギーを他者のため、そしてこの社会のために還流させていこう。その後訪れたのは、自分のリクエストであった須永博士美術館と風の丘阿蘇大野勝彦美術館である。どちらも大変素晴らしい美術館であり、両者の詩は見事である。自分の心を動かす詩がいくつもあって、それらを1つ1つ味わいながら、どちらの美術館でも記念品を買った。改めて言葉の力、詩の力を見つめ直してしまう。自分もまた言葉の力のよって他者やこの社会に貢献できるだろうか。できるとするならばどのような方法によってであろうか。それについて静かに内省させられる。御宿小笠原:2022/10/24(月)15:03
9307.【日本滞在記】露天風呂の魅力/整体からの学び
つい今し方、移動の疲れを癒すために露天風呂に入ったのだが、やはり格別であった。阿蘇の雄大な大自然を眺めながら、初秋の午後の風を感じながら入る露天風呂に勝るものはないと改めて感じた次第である。普段の旅行、とりわけ欧州での旅行においてはホテルに宿泊するしかなく、このような形の旅館の別邸に宿泊できるなんてことはない。もちろん探せばこのような形式の宿泊施設もあるのだろうが、和を感じさせるものはなかなか欧州にはない。また、1人でこのようなところに宿泊しても仕方ないこともある。今回の旅を通じて、改めて露天風呂と旅館の魅力を実感した次第である。今後日本を旅行する際には、できるだけ露天風呂のある場所に宿泊したいし、可能であれば旅館を選択するようにしたい。
ちょうど今部屋に電話が鳴り、今から整体マッサージを受ける。***そこから1時間後***今マッサージを終えたのだが、本当に気持ち良く、気持ちよさだけではなく整体師の方とずっと会話をしていて、身体について色々と学ぶことがあった。熱心に自分があれこれ質問をしていたこともあり、整体師の方も「私たちの仲間になりませんか(笑)お待ちしていますよ」という言葉を合計で3回ぐらいかけていただいた。整体というのは人の身体を癒し、心も癒す本当に素晴らしい仕事である。整体師の方のツボ押しによって、盲点になっている箇所をいくつも見つけ、整体師の方が「身体探訪」という言葉を使っていた通りである。普段緊張などほとんど無縁で生きているつもりだが、姿勢を含めて、日常結構緊張させてしまっている箇所があることがわかった。それらについては呼吸と共に緩めていくことを意識してみよう。また、簡易マッサージを自分で施すこともしてみたい。それだけではなく、整体師の方がおっしゃっていたように、「人が気持ち良くなっている姿を見てこちらも気持ち良くなる」という脳と心の相互共鳴現象があることは大変興味深い。先日母にクラニオセイクラルバイオダイナミクスを施術した時に実感したように、自分は身近な他者を癒すことも大切な役割としてあるように思えてきている。
整体師の方からの「私たちの仲間になりませんか」という言葉は、あながち今後の自分の方向性と離れたものではなく、むしろ心身を癒すことは、心身を蝕む社会的メカニズムの特定と変容と同じぐらいに重要な仕事のように思えてくる。御宿小笠原:2022/10/24(月)17:21
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