No.4111 回想の声_A Voice of Recollection
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1900, A Recollection of the Morning Universe
The morning universe is recollecting its memory.
I project my memory onto it.
Hakodate; 09:57, 10/16/2022
No.1901, A Woodpecker
I’m a woodpecker for which the spirit feeds.
The woodpecker is the existence to protect the glorious spirit.
Limited Express Hokuto For Sapporo; 13:16, 10/16/2022
No.1902, A Floating Star
A floating start on the planet comes closer to me.
It becomes my best friend and myself.
Limited Express Hokuto For Sapporo; 13:20, 10/16/2022
No.1903, Takuboku Ishikawa
Takuboku Ishikawa created a new artistic form to express his own soul only in three lines.
Yes, that’s an enough length.
Articulating what the soul experiences can be expressed in such a terse form.
Limited Express Hokuto For Sapporo; 13:33, 10/16/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9265.【日本滞在記】素晴らしい目覚めから始まった日曜日
9266.【日本滞在記】自分の天分
9267.【日本滞在記】今朝方の夢とデジャブ
9268.【日本滞在記】札幌に向けて
9269.【日本滞在記】記号論の観点/遠い掛け合わせ
9270.【日本滞在記】石川啄木より/静かな熱気に包まれて
9271.【日本滞在記】札幌に到着して
9265.【日本滞在記】素晴らしい目覚めから始まった日曜日
時刻は午前6時を迎えた。少し前に目覚めた時、時差ボケが完全に解消されていることを実感した。昨夜の就寝から目覚めまで1回も目を覚ますことなく深い熟睡ができたことからそれがわかったのである。方々を歩き回っていることが良い運動となり、そしてホテルに戻ってきてからはゆったりと入浴してきたことが深い睡眠をもたらしているように思う。いよいよ今日から函館を出発して札幌に向かう。目覚めた時に、「今日から札幌だ」と思わず呟いている自分がいた。それは函館を去る幾分の名残惜しさと共に、札幌に向かう強い楽しみの感情の現れのように思った。今日から札幌には4泊5日で滞在する。今のところの日本滞在において一番長く滞在するのが札幌である。日本にはもう随分と長くいるような感覚だが、実際のところはまだ8日しかいない。何と充実した毎日を過ごせているだろうか。日記の量も自然と増えていて、その充実振りを窺わせる。昨日に石川啄木から啓蒙と励ましを受け、自分もまた日々の様々な事柄を徒然なるままに日記に綴っていき、そこに何か文学的なものを具現化することができたらと思う。1人の人間の一生が神の芸術作品であるならば、その人間の人生における日々もまた芸術作品だと言えるのではないかと思う。それを人間の手ではあるが日記を綴ることによって形にしていく。創造主から与えてもらった贈り物としての人生を、自らの克己と献身によって自らの芸術作品に仕立て上げていくのである。そのようなことを考えていた。
昨夜はいよいよオンラインゼミナールが開講された。自分にとっては記念すべき日であった。函館からの開講となり、次回と次次回のクラスは実家から、その次のクラスはフランクフルトから、第5回目からようやくオランダの自分の自宅からクラスを行うことができる。環境が異なると自分の意識状態が自ずと異なり、それが良くも悪くもファシリテーションの質に影響を与える。しかしこの変動性こそ人間の本質であり、むしろこうした変動を経験してこそ自らの成長がある。今回の旅を通じて日本とは言えど、文化や環境の異なる様々な場所を訪れることによって、自分の中で大変肯定的な変動性がもたらされているように思う。そうした少しの変動性の堆積が、自分をまた遠いところへ連れて行ってくれるだろう。
昨日のゼミナールに関して言えば、自分でロジスティックスからファシリテーションまで全て1人で運営するのは実に3年振りのことだったので、慣れないこともあったが、その分新鮮な気持ちが芽生え、初心に立ち返ったかのような感覚があった。この気持ちを大切にしながら次回のクラスにも望みたい。毎回のクラスで初心に立ち帰れるような場所としてこのゼミナールがあればと思う。函館:2022/10/16(日)06:11
9266.【日本滞在記】自分の天分
函館の日曜日の朝はとても静かだ。天気予報では曇りの予報だが、見事な朝日が空に浮かんでいる。今日もまた後ほど露天風呂に入ってこようと思う。素晴らしい朝日を拝みながらの露天風呂は格別であろう。温泉の素晴らしさに目覚めさせてくださった温泉ソムリエの石井さんには感謝したい。石井さんとの出会いがなければ、温泉が単に好きなだけで留まっていたかもしれないが、温泉を日本文化の重要な産物だと捉えてそれを世界に発信していくことも何か自分の役割かもしれないと気づくことはなかっただろう。温泉と経済·政治·宗教などと絡めた探究もしていこう。今回の旅を通じてつくづく感じるのは、自分は随分と人から声を掛けられやすい性質を持っているということだ。これまで巡ってきた博物館や美術館では必ず館員のガイドの方から声を掛けられ、そこから結構話し込んでしまうことが続いた。そうした形で誰とでもすぐに打ち解け、会話を楽しめるというのは有り難い天分である。また、どんぶり横丁で夕食を食べた後に店から出て、どんぶり横丁から外に出ようとしたところ、恰幅がよく金属の筒に入った白米を食べているホームレス風の男性に声を掛けられたことも記憶に新しい。
男性「これ、俺が作った米なの」
私「えっ、自分で作られたのですか?すごいですね!」
男性「うん、自分で炊いてね」
私「あっ、そういうことですか(笑)」
そのようなやり取りをした後もその男性と少し話をした。ただし、その男性の言葉にはこの辺りかどこかの方言がちょっと混じっていて、外国語を聞くかのように所々理解できないところがあった。その男性との会話の後、自分は海外でもよく人に話しかけられるなぁと思った次第だ。特にそれは旅先で多く、時には旅行客から現地人と思われて道を聞かれることもよくある。人に話しかけられやすいというのはおそらく肯定的な性質だと言えるだろうか。道端で可愛い犬が歩いていると思わず撫でたくなるような感じで自分に話しかけてくるのだろうか。いずれにせよ、愛嬌と良いオーラはずっと醸し出しておきたいものである。それがまた素晴らしい出会いをもたらしてくれるのだから。今日からの札幌滞在でもそうした素晴らしき縁に恵まれることを期待したい。それではこれからいつものように朝の動的ストレッチをし、創作活動を少々行ってから温泉に入ろう。そこから少し休憩をして、今日もまた豊富な海の幸を使った美味しい朝食ブュッフェを楽しもうと思う。函館:2022/10/16(日)06:26
9267.【日本滞在記】今朝方の夢とデジャブ
時刻は午前8時を迎えようとしている。日曜日の函館の朝日はすこぶる美しく、秋の香りが漂ってくる朝風もまた心地良い。先ほど、大浴場に行き、天然温泉を味わい、その後に塩サウナに入った。この3日間で塩サウナはマイブームである。塩溶作用によって、肌の古い角質や老廃物が綺麗に落とされているのを実感し、さっぱりとした形で札幌に迎えそうだ。札幌のホテルにも大浴場があったら、毎日必ず入浴しようと思う。
今朝方は1つうっすらとだが記憶に残る夢を見ていた。夢の中で私は、現在協働しているある方と会って話をしていた。その方は自分よりも一回りも若いが世代差を感じることはさほどなく、会話はいつも円滑だ。ちょうど今度新たな講座を開催することになっていたので、その講座のコンテンツに関して色々と意見交換をしていた。そのような場面があった。今朝方の夢ではないが、昨日の朝にホテルの自室にいた時にふと、デジャブで今宿泊しているホテルをどこかで見た気がするという感覚に襲われた。それは夢の中だっただろうか。似たようなことが今から4年前にロンドンのホテルに宿泊している時にも起きた。確か、それ以外にもどこかの国のホテルで同様の感覚に見舞われたように思う。それは自分の過去の何らかの記憶と結びついた現象なのだろうか。はたまた、自分の前世は旅人で、その人の記憶がデジャブとなって蘇ってきているのだろうか。とにかく、時々不思議な既視感に見舞われることがある。
昨日は少しばかり神道に関する書籍を読み進めていて、その時に、仏教や神道のロジックを深く学び、それをテクノロジーやマネーに適用していく方向性について考えていた。このアイデアはたびたび出てくるものであり、自分の中では切実な関心事項なのだと思う。仏教や神道のロジックの理解はまだまだであるが、絶えずそうした関心事項を持っておくことによって、絶えず新たな気づきと発見がもたらされ、現象への考察が深まっていくだろう。それでは今から函館から札幌までの列車の時間帯を調べ、少しゆっくりしたら朝食を食べにレストランに降りて行こうと思う。入浴後の朝食はさぞかし美味しいだろう。函館:2022/10/16(日)07:59
9268.【日本滞在記】札幌に向けて
時刻は午前10時半を迎えた。10時を少し過ぎた頃にホテルをチェックアウトし、ロビーで紙カップ1杯のコーヒーをもらってそれを手にして函館駅に向かった。今日の函館はすこぶる快晴で、半袖で十分な気温である。不思議なことに多くの人はたちは何かを羽織っているのだが、自分は本当に半袖で十分である。札幌も今日は暖かいようなので、日中は半袖で活動できそうだ。ところが明日からは少し気温が下がるようで、特に明後日は13度までしか気温が上がらないようなので、その日はオランダと同じくジャケットを羽織って観光に出かけようと思う。
今、7番乗り場に止まっている北斗に乗車し、出発を待っている。券売機でどういうわけか札幌行きを見つけることができなかったので緑の窓口でチケットを購入した。ひょっとしたら、特急北斗は新幹線ではないのだろうか。券売機の新幹線のカテゴリーから目的地の札幌を探しても見つからなかったので、カテゴリーの選択ミスかもしれない。一応緑の窓口の担当の男性に確認したところ、券売機からでも購入できたそうなので、やはり自分の選択ミスか何かだろうか。秋田から青森か、青森から函館までの列車のグリーン車には電源がなかったが、北斗にはちゃんと電源が付いている。駅の数にして15駅、時間にして4時間弱の乗車になるので結構長い。そのため、電源が付いているのは有り難いことである。これから少しばかりゼミナールの振り返りの音声ファイルを作成することに向けて、話すべき事柄の項目を列挙したい。そこから返信が必要なメールに対して返信する。それらが済んだら、神道関係の書籍や、美術館で購入した各種の資料を読み進めていきたい。函館から札幌までの景色を楽しみながら、ゆっくりとした時間を味わおう。札幌に到着したら、今日は特に観光に出かける予定はない。しかし、ちょっとした電化製品を日本で購入したいと思っているので、ホテル近くのヤマダ電機に足を運ぼうと思う。札幌の本格的な観光は明日からである。札幌に向かう特急北斗の中で:2022/10/16(日)10:38
9269.【日本滞在記】記号論の観点/遠い掛け合わせ
仮に同一のシニフィアン、すなわち同一の言葉を用いていても、そのシニフィエ、すなわちその意味内容は随分と異なることを改めて思う。昨日のゼミナールではベーシックインカムを取り上げたのだが、ベーシックインカムという同一のシニフィアンに対して、それがその人にとって開示されるシニフィエは人それぞれ異なる。重要なことは、相手がどのようにシニフィエを受け取っているかを確認することであり、同時にそのシニフィエを成立させしめたコンテクストを把握することなのだと思う。全てのコミュニケーション、対話、そして合意形成も記号論の観点を用いればまた新しいアプローチが見えてくるのではないかと思う。今読み進めている論文の中に、神道を記号論から考察していくものがある。神道という1つのシニフィアンも人それぞれそこから汲み取る意味内容としてのシニフィエが異なる。神道研究においても、神道に関する対話をする際にも、記号論的なアプローチの有用性が自ずから浮かび上がってくる。
札幌に向かう特急北斗は順調に進行している。今、窓際の右手の席の窓から海が見える。次は長万部駅に到着する。4時間弱の列車の旅も1時間半が過ぎ、残り2時間半ほどになった。旅の最中は平時のような狂乱読書から離れ、短い時間少しばかり文献に目を通すようにしている。デスクトップに保存していた数々の論文もこの時点で随分と読み進め、デスクトップの上は随分と綺麗になった。読みかけの神道の書籍もあと少ししたら読み終わる。そうしたら棟方志功の文献を読み、そこから石川啄木に関する文献を読み進めていきたいと思う。今日はヤマダ電機に行くぐらいしか予定がないので、札幌の書店に行って、何か思想書か何かを追加で購入してみるのも悪くないだろう。長閑な景色を眺めながら、やはりこれから自分が行おうとする研究アプローチはなかなか簡単に行くものではないが、だからこそやり甲斐があると思った次第である。端的には掛け合わせる対象物が遠いのだ。神道とテクノロジー、神道とマネーをどう組み合わせていくのか。両者を佳境する研究など今のところの文献調査では皆無である。それに注目した自分だからこそ実現したい研究テーマであり、掛け合わせる対象は遠く離れている分、研究を進めるのは難しいが、ひとたびその掛け合わせが実現すれば、何か大きな力を生むような気がしている。遠くのものが出会い、それがひっつくというのはそうたやすく実現するわけではないが、それが実現した時に、宇宙は巨大なエネルギーを生み出す。札幌に向かう特急北斗の中で:2022/10/16(日)12:06
9270.【日本滞在記】石川啄木より/静かな熱気に包まれて
列車は間も無く南千歳に到着する。札幌まであと少しである。快適な列車の旅を満喫しながらここまで至る。シートもゆったりとしているので、寛ぎながら読書を旺盛に進め、先ほど手持ちの文献を全て読み終えた。オランダにいるときに実家の山口県に10冊ほど和書を注文して送っていたので、実家に到着したらそれらに目を通し、重要な文献だけをオランダに持って帰る。実家に滞在している間に可能であれば、辻邦生先生の『夏の砦』を最初から最後まで数日かけて読みたいと思う。自分の魂が、そして精神がそれを欲している。欧米での暮らしも11年目を迎え、これまでの経験の蓄積によって、辻先生の小説作品から得られるものもまたきっと違うはずである。そしてそこでの新たな読書体験がまた自分の内面世界を潤わせ、それを大いに養ってくれることになるだろう。
先ほどまで石川啄木に関する資料を読み進めていた。改めて、啄木の社会問題への関心の高さには驚かされるし、時代を先駆けるリベラルな思想にも感銘を受ける。ただし、昨日館員の吉田さんが笑いながら述べていたように、思想としては時代の最先端を行き、鋭い問題意識を持って当時の時代情勢を眺めていた啄木も、家では明治の男のような振る舞いをしていたらしい。時代を見る目としての思想的意識と家庭での実際の振る舞いが異なるというのは、まさに知性の環境依存性によるものだろう。
昨日から始まったオンラインゼミナールは、ここからの自分の人生をまた静かに、そして着実に変容してくれる場になりそうであるという予感がある。少なくとも45回までのクラスの内容をすでに準備していて、その長丁場のマラソンを走り終えて初めて見える新たな景色を受講者の方々と一緒に見たい。そこにいる誰もどんな景色が待っているのかは知らない。何か驚くような景色というよりも、富士山の山頂に登っていることを忘れながらゆっくりと登り、気がつけば山頂に到着していて、そこからふとこれまでの歩みの蓄積に気づき、その道があることによって初めて気付ける静かな感動のようなものが芽生えたらと思う。今回のゼミナールでは、45回までは和書を取り扱う。しかし、そこからは英文読解力を高めるために、英語の文献を課題図書に設定したいものだ。今自分の中では沸々と、英文書籍や論文とじっくりと格闘したい思いが芽生えている。その飢えを養うことが今回の1ヶ月にわたる日本滞在の副産物となるだろう。また実際にその飢えを真に満たす機会として、是非とも来年の夏からアメリカに活動拠点を移し、これまでの7年間のヨーロッパでの探究活動の蓄積を爆発·昇華させたいものである。そんな静かな熱気に包まれる形で札幌に向かっている。札幌に向かう特急北斗の中で:2022/10/16(日)14:13
9271.【日本滞在記】札幌に到着して
時刻は午後8時を迎えた。今、札幌駅近くのソラリア西鉄ホテル札幌の自室にいる。函館で宿泊したホテルと同じく、こちらも4つ星のホテルのため、1人で過ごすには十分過ぎるほどに快適である。実はとても広く、毎日ペットボトルの水を補給してくれるのも有り難い。先ほど地下一階の大浴場に行ってゆっくりとお風呂に入ってきた。1つ残念なのは大浴場にサウナがなかったことだが、内湯と外湯には十分な数と広さの浴槽があったし、内装がとても清潔感溢れる形の湯だったので大変好感を持てた。じっくり温泉に浸かっていると、サウナに入ったのと同じぐらいに発汗作用があった。
午後3時前に札幌に到着した時に驚いたのは、駅を抜けて目の前に広がっていた大都会の光景である。それは東京に匹敵するぐらいの都会さの様相を呈していて、商業ビルを含めてこれまで訪れた秋田、青森、函館とは全く別の景観が広がっていた。もちろん自分は都市型生活よりも郊外の長閑な生活が好きなのだが、観光においては街は街として堪能できる見所がいくつもある。都市学的な観点でその街を眺めたり、あるいは既存の自分の専門知識を用いて街を見ると、色々な発見があって学びになる。今日はホテルに荷物を置いたらすぐにヤマダ電機に足を運んだ。どうしても欲しい電化製品があり、その1つとして電動の髭剃りがあった。この間、オランダのアイントホーフェンを訪れた時、家電メーカーで有名なフィリップスの博物館を訪れ、フィリップスの髭剃りも良いかと思ったが、ヨーロッパで家電用品を購入すると、仮に来年アメリカで生活を始めたら、その家電は変圧器を用いなければならないので面倒かと思った。なので電圧プラグが同じである日本で家電を購入しようと思ったのである。大変親切な女性の店員の方に色々と話を伺いながら、今から8年前に購入したのと同じくパナソニックの製品を購入することにした。8年前に購入した電動髭剃りは今でも使えるが、数年前から充電の切れが早くなってきたし、何よりもこの8年で髭剃りも随分と進化していることに驚いた。テクノロジー哲学の観点からこの現象を眺めてみると、毎年の企業努力による製品の進化はめざましいものがあり、むしろそれは過成長ではないかと心配になるぐらいである。いずれにせよ、今回もまた納得のいく商品を購入することができて嬉しく思う。ハイグレードな電動髭剃りを購入したこともあり、前回と同じく末長く大切に使っていこうと思う。札幌:2022/10/16(日)20:15
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