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9260-9264: 日本滞在記 2022年10月15日(土)



No.4105 空の祝祭_Celebration in the Sky


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1898, A Dance of Serenity

The morning world is enjoying a dance of serenity.

The world becomes serenity, and the opposite is also true.

Hakodate; 06:15, 10/15/2022


No.1899, Diary Into Literature

How can diary transform into literature?

Once I know the essence, my diary would become more literary.

Hakodate City Museum of Literature; 06:15, 10/15/2022


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9260.【日本滞在記】函館滞在2日目の計画/今朝方の夢

9261.【日本滞在記】温泉の魅力を味わって

9262.【日本滞在記】美食を味わって

9263.【日本滞在記】函館市文学館での石川啄木との出会い

9264.【日本滞在記】今日の観光を振り返って


9260.【日本滞在記】函館滞在2日目の計画/今朝方の夢


時刻は午前4時半を迎えた。この時間帯の函館はまださすがに暗いが、幸いにも今日もまた雲1つない晴天に恵まれるようだ。今日は函館滞在の2日目であり、積極的に観光したいと思う。昨夜、ホテルの大浴場で偶然にも温泉ソムリエの石井さんという方と出会いがあり、石井さんの話を聞いていると温泉がより一層好きになった感覚がある。せっかくなので今朝は朝風呂にでも入ろうかと思う。露天風呂に入り、朝の函館の空気を吸いながら温泉を満喫しよう。朝風呂に入ってさっぱりした後に食べる朝食は格別なものになるだろう。今宿泊しているホテルはサービスの質が高いため、朝食もまた楽しみである。説明書きによると、新鮮な海鮮をふんだんに使ったビュッフェを楽しめるようなので何よりだ。


今朝方は2つか3つほど小さな夢を見ていた。いずれも気持ちとして中立的なものだった。すなわち、感情が昂るようなものでも、何か悲しい気持ちになるようなものでもなかったということである。波風のない凪のような感覚質を持つ夢だった。1つ覚えているのは、夢の中で温泉街を歩いているものだった。早速温泉に関する夢が出てきたところを見ると、温泉に対する自分の関心が高まっていることがわかる。その他には、小中学校時代のある友人が現れ、彼と九州かどこかの町にいて、その町に関する話を彼から聞いているものがあった。今のところ覚えているのはそれくらいだろうか。朝はまだ時間があるので、もう少し夢について想起したい。


今日は朝食を午前8時頃から摂って、朝食を摂り終えたら自室で少しだけ休憩し、比較的早い時間から観光に出かける。昨日休館であった函館市文学館にまず訪れる。ここは朝9時から開いているようなので、朝食をゆっくり食べ終えた頃にはもう開館の時間を迎えているだろう。そこから今度は運動がてらゆっくりと歩いて市立函館博物館に向かう。この博物館を堪能した後は、北海道立函館美術館に行く予定だが、両者の間は距離があるので、路面電車を活用しようと思う。函館市内のバスや路面電車はSuicaが使えるようなので便利だ。今夜は午後7時からオンラインゼミナールの記念すべき第1回のクラスがあるので、観光はあまり遅くならないようにし、夕食も早めに摂っておこうと思う。函館滞在の2日目も充実感に溢れた時間を過ごすことができるだろう。函館:2022/10/15(土)04:54


9261.【日本滞在記】温泉の魅力を味わって


時刻は午前7時を迎えようとしている。この時間帯はもうすっかりと明るい函館。そんな函館の朝の世界を感じながら、先ほど露天風呂を満喫していた。午前6時過ぎに大浴場に行くと、思っていた以上の人がいて、各々朝風呂を楽しんでいた。温泉の1つの醍醐味として、自分だけが気持ち良くなるのではなく、そこにいる全ての人が気持ち良さの感覚を共有していることにあるのではないだろうか。人間の脳と心は面白い性質を持っている。それが共鳴性である。温泉に入っている各人が醸し出す気持ち良さの感情は、集合規模の意識として大きな気持ち良さの感情を醸成し、温泉に入っている人はその感情も享受しているのである。温泉に入っているそれぞれの人がきっとそんな大きな意識の中で心地良さを感じていたように思う。それとやはり裸を人に晒すというのもいいものだと思う。心の鎧は体の鎧でもあり、体の鎧は心の鎧でもある。温泉は誰もが裸になって心身の鎧を脱ぐことを促してくれる。とりわけ日本人のように他者の視線や儒教的道徳意識に基づいた規範的規律の中で生きている人にとっては、温泉を通じて心身の鎧を脱ぐことの効能は計り知れない。浸かった天然温泉の効能は確かに素晴らしいが、表示されている効能はどれも外面的なものであり、実際のところは温泉による真の効能は内側からもたらされるものなのではないかと思う。その他に考えていたことは、このように毎日が休日のようにゆったりとした人生を送れることの有り難さである。今日は土曜日であるから、宿泊客だけではなく、朝風呂を入りに来た外部の人もいるかもしれない。いずれにせよ、温泉に浸かりに来ている人の表情はどこか落ち着いていて、心がゆったりとしているようで好印象を持った。最後に、温泉を出て脱衣場に置いてあった体重計に乗ってみたところ、体重は56.8kgだった。日本に帰ってきて朝と夜はしっかり食べていて、それを通じて1kgか2kgは体重が増したはずなのだが、それでもまだこれくらいの体重であった。もう少し体重をつけたいと思うが、残り20日ほどある日本滞在を通じて、自ずから体重はもう少し増えるだろう。函館:2022/10/15(土)07:01


9262.【日本滞在記】美食を味わって


時刻は午前9時を迎えようとしている。つい今し方ホテルのレストランで朝食を食べた。その豪華さに思わず驚いてしまった。特に朝から様々な種類の新鮮な刺身やイクラ、そして貝に乗った大きなホタテを食べれるとは思ってもいなかったので大満足である。しかしながら、オランダでは普段、朝と昼は果物ぐらいしか口にしていないので、さすがに朝と夜にしっかり2食摂ることが重くなってきたのも確かだ。今日の夕食もまた昨日の海鮮食堂で食べようと思っていたが、今の感じだとそれは無理そうであり、夜は近所のスーパーに行ってサラダや果物ぐらいで済ませようかと思う。


改めて、日本の食、温泉、自然など、物質的な側面だけでいえば、日本は本当に魅力的な国だと思う。それに加えて、伝統的な精神性にも感銘を受け続けている。自分が日本で暮らしていけないのは、要するに自分の問題なのであって、自分の実存的·霊的な問題なのである。それは決して解決をみない宿命的な課題であろうから、もはや自分が日本で生活を営むことは単なる憧れでしかない。露天風呂に浸かっているときにそのようなことを考えていた。


それでは、この日記を書き終え、1曲音楽を作ってから函館の街を観光しよう。まずは北海道にゆかりのある小説家の功績を辿るために文学館に向かう。そこからは市立函館博物館と北海道立函館美術館に足を運び、ホテルのすぐ横のスーパーでサラダ類や果物を購入してホテルに戻ってこようと思う。今夜はゼミナールの初回のクラスがあり、それに向けた準備もしたい。


朝食前にふと、札幌でも映画館に行ってみようと思った。映画館を調べていると、キュリー夫人を取り上げた映画が公開されているらしく、それを見てみたいと思った。その他にもう1つ、オランダにいる時に面白そうだと思っていた邦画が上映されているのを発見したので、そちらを鑑賞しようかと思う。キュリー夫人が発見した発見したラジウムは癌細胞の治療に役立つ一方で、核兵器としても利用されるようになった歴史をみたときに、まさにそれは良薬にも毒薬にもなる科学的発見の好例かと思った。科学哲学とテクノロジー哲学は親和性があって、これまでの人類史の中でも、科学とテクノロジーが絶えず両義的なファーマコンとして存在し続けてきたことが見て取れる。函館:2022/10/15(土)09:15


9263.【日本滞在記】函館市文学館での石川啄木との出会い


時刻は午後4半を迎えた。ホテルに3時半頃に戻ってくることができたので、予定を変えて、先ほどまでホテルの大浴場でゆっくりしていた。まずは露天風呂で大いに寛ぎ、そこからドライサウナで汗を流してから、今日もまた塩サウナを楽しんだ。露天風呂の成分と塩サウナのおかげで、肌の角質の老廃物が取れ、とても綺麗な肌になっているのを実感する。塩の性質を用いれば、オランダでも簡単に塩サウナと同様の効果がジムのサウナで実践できそうだ。市販の食塩をジムに持っていって、サウナに入る前に角質を落としたい箇所にちょこんと乗せ、そのままサウナに入って、汗が滲み出してきたら塩を肌になじませるようにするだけでいい。ちょっとこれはオランダに帰ってから実践してみようと思う。


今日の観光はまず最初に、昨日休館だった函館市文学館に訪れた。可愛らしい路面列車に揺られて文学館に到着し、函館ゆかりの作家の功績を辿っていった。展示品を眺めていると、昨日の函館市北方民族資料館でも声を掛けられたとの同じく、館員のガイドの方に声を掛けていただいた。その方は吉田さんという。吉田さんに石川啄木の年表をいただいただけではなく、そこからは随分と石川啄木について話を聞いた。自分が知らないことを次から次に教えていただいたので、吉田さんの説明のおかげで啄木通になれそうなぐらいであった。石川啄木はわずか26歳という若さでこの世を去ったが、まるでゴッホやモーツァルトのように、夭逝であっても多産な作家であった。ひょっとしたら、こうした芸術家に共通しているのは、魂の激しい燃焼を通じた創作的憑依のような現象が生じていたことなのかもしれない。石川啄木に関しては、吉田さんの説明によると、明治43年が最も作品を残した豊作の年だったらしい。常人では考えられないほどの作品をその年に残したそうなのだ。自分が一番啄木に共感を持っているのは、彼もまた日記を単なる客観的記述のための表現手段ではなく、主観的そして実存的な記述のための表現手段にしていたことである。彼は内面世界を小説よりも日記を通じて表現し、その日記は自然主義的な文学作品ですらあると讃えられている。自分もまたその点を見習って、ここで綴っている日記が何かしらの文学的な表現作品になりはしないだろうかと実験的な試みを意識してみたいと思う。函館:2022/10/15(土)16:55


9264.【日本滞在記】今日の観光を振り返って


時刻は午後5時半を迎えた。今日は結局外食をすることなく、ホテルの近くのスーパーで購入したものを食べた。その中でも、地元のマグロを浸かったネギトロは非常に美味であった。ここのところは外食続きだったので、たまにはこういう日があった方がいいだろう。札幌に行ってからも外食する日とスーパーに行く日を交互にしようかと思う。あるいはスーパーの惣菜が美味しければ、ホテルの朝の朝食がどこも非常に美味しいので、夕食はスーパーで購入したものを食べることにした方がいいかもしれない。


今日の観光を改めて振り返ると、函館市文学館で石川啄木に関する2冊の文献資料を購入した。それはここでしか購入できないものとのことであり、後ほどじっくり読み進めていくのが楽しみである。旅の最中で購入した本は既に大半読み終えており、神道に関する本も明日の移動の時間に読み切ることができるだろう。そうすれば、本日購入した啄木に関する資料集を読み進めるか、あるいは一昨日に訪れた棟方志功記念館で購入した棟方志功に関する資料集を読み進めたい。


函館市文学館の次に向かったのは、市立函館博物館である。函館市文学館の吉田さんに教えていただいたルートを通って、博物館まで歩いて行った。ちょうど道中は、石川啄木もよく歩いていた場所らしく、彼の作品にも登場するとのことだった。八幡坂を登って、そこから見下ろす函館湾の眺めは爽快であった。そこからの道中も函館湾や津軽海峡の方面の景色は見事であった。景色を眺めながら到着した博物館では、とりわけ幕末期における戦争に関する資料の展示が印象に残っている。そこからはまた路面列車に乗って、五稜郭近くの北海道立函館美術館に足を運んだ。そこで見た特別展示が一番印象に残っていて、そこでは金子鷗亭と中野北溟という2人の書道家の芸術的な書の数々を堪能した。書というものが絵画的な芸術作品となり、詩という文学作品にもなるということを実感する作品群であった。今日もまた非常に密度の濃いい1日を過ごすことができた。それは今日を締め括るオンラインゼミナールのクラスに向けて最後の準備を始めよう。函館:2022/10/15(土)17:55

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