No.4100 神学的円_A Theological Circle
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1888, Enactment of Light
Morning light is enacted now by a certain spiritual law.
The light is for everybody.
Aomori; 06:55, 10/13/2022
No.1889, A Watery Morning
Today’s morning is very watery and transparent.
Everyone looks like fish enjoying swimming in fresh water.
Aomori; 10:02, 10/13/2022
No.1890, Possible Occurrence
Irrational things can happen in this modern society.
What we can think of much more easily can occur.
Aomori; 10:05, 10/13/2022
No.1891, Image Training
By virtue of my daily practice of JKD, now I can train myself even in my mind.
I’m doing image training at this moment, waiting for a bus stop.
Aomori; 10:57, 10/13/2022
No.1892, Destiny for Measurement
We have been destined to measure something since a long time ago.
Because our rationality derives from ratio.
Sannai Maruyama Special Historical Site; 13:24, 10/13/2022
No.1893, Musical Speaking
My speaking should be musical as much as possible.
Because my existence is the embodiment of music.
Shiko Munakata Memorial Hall; 14:45, 10/13/2022
No.1894, The Center of the World
Where we are is always the center of the world.
The world appears concentrically from ourselves.
Shiko Munakata Memorial Hall; 14:47, 10/13/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9246.【日本滞在記】今朝方の夢
9247.【日本滞在記】青森の美しい朝空の下に
9248.【日本滞在記】全体主義的支配と管理の進行する国
9249.【日本滞在記】感覚記憶の保持/受苦としての情熱/壁
9250.【日本滞在記】三内丸山遺跡を訪れて:理性とテクノロジーの深い繋がり
9251.【日本滞在記】棟方志功記念館を訪れての感動
9252.【日本滞在記】うなぎ屋「川よし」さんの思い出
9246.【日本滞在記】今朝方の夢
時刻は午前5時半を迎えた。この時間帯の青森はもう明るい。今は雲が空を覆っているが、今日は雲1つない快晴に恵まれるとのことである。予定通りに、今日は三内丸山遺跡に足を運び、そこでゆっくりしようと思う。今、改めて近隣の美術館を調べてみたところ、棟方志功記念館という場所を見つけた。この作家の作品を見てみたいという思いが出てきたので、急遽予定を変更し、三内丸山遺跡には少し早めに行って、せっかくなので棟方志功記念館にも訪れようと思う。どうやら棟方志功という作家は、青森出身とのことであり、今は日本の風景に関する展示をやっているようなので、自分に響くものがあるかもしれない。
今朝方はようやく夢を見た。昨日も断片的に覚えている夢があったが、今日は形としてより鮮明に夢を見ていた。そして何より、昨夜は入眠がすこぶる良かった。おそらくこれにて時差ボケから完全に解消されたと言えるのではないかと思う。結局時差ボケが解消されるまで5日近く要したことになる。意外と時間がかかったものである。
今朝方は夢の中で、オランダで以前住んでいたアパートの上の住人だったピアニストの友人と話をしていた。彼女と話をしていたのは、近くに丘がある見慣れない駅だった。その駅はあまり大きくなくて、車線も4本ぐらいしかなかった。彼女と話をしていると、何やら今から彼女の両親がここにやって来るらしかったので、少し挨拶でもしようかと思った。すると、すぐに彼女の父親が中年の男性と一緒に駅にやって来るのが見えた。2人は丘から駅の方に下ってきて、何やら楽しげに話をしていた。よくよく見ると、話をしていた相手は有名な文筆家の方で、その方は読書家でも知られている。その方は顎に白い髭をたくさん蓄えており、見た目はもう随分と歳であるが、笑顔はとても若々しかった。彼女の父親が私たちのことに気づき、近くまでやって来ると、私は挨拶をした。彼女の父親は想像以上に年配の方だったので驚いたが、それは口にしないようにして、その場で少し立ち話をした。彼女の母親は一体どこにいるのだろうかと思ったら、彼女の父親が自分の疑問を察したのか、今からすぐにやって来るということを私たちに述べた。そのような夢の場面があった。実際にはこの夢の場面の前後にもう少し場面があったように思う。夢の中の感覚として、その前後の夢は中立的なものだったように思う。だが、夢の中で現れた友人の両親に会うことはあまり気乗りするものではなく、できれば両親とは話をしたくなかったというのが正直な気持ちであった。青森:2022/10/13(木)05:56
9247.【日本滞在記】青森の美しい朝空の下に
およそ大抵の行為には意味が内包されているはずであるが、意味が付帯する行為が成立しないような状況というものがこの世界にはある。それはとても怖い状況のように思える。行為から意味が剥奪されることも、意味ある行為が成立せず、意味なき暴力的な行為が繰り広げられる世界が確かにあるということを感じる。
それにしても今日の青森の朝空はとても美しい。目覚めた時には空全体に雲が覆っていたが、今は雲1つない青空である。今宿泊しているホテルからは陸奥湾が眺められる。その眺望もまた美しく、陸奥湾の海面が朝の光で煌めいている。それは宝石のような輝きである。昨日食べた海鮮も今目の前に広がっている陸奥湾で採れたものなのだろうか。地元の食材を地元の店で食べることの喜びは格別である。今夜はホテルから歩いて行ける距離のうなぎ屋に行こうと思う。そこのうなぎはどこで採れたものなんだろうか。お店の人に聞いてみようと思う。
そう言えば、昨夜ホテルの廊下からドイツ語が聞こえてきた。どうやらドイツ人の観光客が宿泊しているらしい。青森までわざわざ来るドイツ人はなかなか日本通である。東京のホテルでもポーランド人の男性が出張でやって来て、ホテルのエレベーターで一緒になり、彼が孫のためにアニメのTシャツを購入したいとのことだったので、それが購入できるお店を教えた。日本政府がコロナに対する対策を変更したことにより、外国人観光客が日本に増えつつあるようだ。毎回日本に帰って来て思うが、自分の中で日本は観光するのにこれ以上ない国である。自然や食の豊かさ、安全性、交通網の発達、美術館や博物館の豊富さなど、総合的に見れば、自分の中では世界で最も観光しやすく、観光が充実している国だと思う。また日本語が母国語である自分にとってみれば、言語的にも何の障壁もない。日本は自分にとって、実存的·精神的に住むことには適した場所では決してないが、観光として訪れる最良の国で今後もあり続けるように思う。
昨夜、ホテル近くの定食屋で夕食を済ませた後、少し近場を散策がてら散歩していた。するとある寺に行きつき、寺の前に置かれていた数体の地蔵がマスクをしていたので思わず笑ってしまった。日本好きのロビンさんに写真でも撮って見せてあげようかと思ったが、暗かったのでそれはやめ、1人で笑って楽しんだ。地蔵にマスクを掛けるあたりにも日本人の諸々の意味での精神性を見て取る。青森:2022/10/13(木)07:38
9248.【日本滞在記】全体主義的支配と管理の進行する国
オランダでの日々の探究生活から今このようにして日本をゆっくり旅していると、オランダでの探究を通じて得られたことのうち、重要なことが析出されてきて、思考空間の中にポツポツと浮かんで来ることが興味深い。それは特に大きな塊ではなく、仮に大きな塊であれば書籍にしたいと思うはずである。小さな塊として浮上して来る思念を捕まえては言葉にし、それを書き留めておくということをこの旅の中でも継続して行っている。先ほどは、我が国の全体主義的な性質について考えていた。今回のコロナの対応に関して、日本はパニックに陥ったが、パニックに乗じて極めて歪な制度や暗黙的なルールが制定されることによって、奇妙な形で巨大な支配力が働いていた(現在完了形継続で言えば、「働き続けている」)ように思う。混乱に乗じて、人々の行為の準拠枠を無視したり、破壊したりする形で制度化を押し進め、支配を強化·維持するというのは、まさにアーレントが述べた全体主義の定義に他ならない。ここのところ政治思想について探究を進めているのだが、日本という国の政治思想は非常に掴み所のないものとして映る。ひょっとしたら、全体主義という大地の上に種々の政治思想が根を張っているのかもしれない。そのようなことを考えながら、それともう1つ、結局人間というのは生物的な存在として、食べて寝て生殖するという行為を誰しも行い、逆に言えば、それらを掌握することが支配·管理の要諦なのではないかということを考えていた。さらには、それらが危機に陥ることは人間としての危機に直結するのではないかと考えていたのである。昨日秋田から青森に列車で向かっている最中に、広大な田んぼや畑を見た。そこでふと、日本の食の危機について思った。種子法を含め、日本の食が危機に瀕してしまうような状況が整備されつつある。生殖することに関しても、子供を積極的に産めるような社会文化状況では決してないし、寝ることに関しても、睡眠時間が削られてしまうような過剰労働や、睡眠の質が低下するようなストレス社会の様相を呈している状況を見ると、食べて寝て生殖するというこの3要素に関して、日本は水面下でかなり壊滅的な状況に向かって進んでいるのではないかと思う。冷静に状況を眺めてみれば、その兆候となる現象や症状を見て取ることができるが、それらが漸次的に生じているということもあって、多くの人々にとっては気づきにくいことなのかもしれないと思う。自分のように定点観測的に1年か2年に1度この国を訪れる者であれば、その変化の様子に気づきやすい側面があるだろう。そうした気づきを広く共有し、状況の改善に向けて何をすればいいのかを考えていくことはライフワークの1つになりそうである。青森:2022/10/13(木)07:57
9249.【日本滞在記】感覚記憶の保持/受苦としての情熱/壁
時刻は午前9時を迎えた。先ほどホテルの朝食を食べた。地元の食材をふんだんに使った朝食は大変美味しかった。今宿泊しているのはJALシティホテルなのだが、昨日ホテルの受け付けの方から朝食は結構混むと聞いていたが、午前8時に朝食会場を訪れた時にはそれほど混んでいなかった。おかげでのんびりした気分で朝食を食べれた。とりわけ海産物や地元青森で採れたリンゴのすり下ろしジュースが美味しかったことを覚えている。それは先ほどのことなのだが、すでに味に関する記憶はゆっくりと後退していき、そこには美味しかったという体験的事実が考えとして記憶に残る状態になっている。自分としては、味の感覚記憶を鮮明なまま保持し続けたいと思うのだが、記憶というのも生命であり、かつ生ものであるのか、感覚記憶が体験時の鮮度を保ってそのまま残り続けることはないことが興味深い。ひょっとしたら鮮度を保って感覚記憶を留め続けることのできる人もいるのかもしれないが、自分にはそれができない。逆にそれが良き思い出を生み出し、あの体験をもう一度してみたいという肯定的かつ希望的な欲望を生み出す。「あの体験をもう一度」という思いは、生きる根源力として働くのかもしれない。
自室に戻ってきて再び読書を始めた。少し本を読み、作曲実践をしてから三内丸山遺跡に向かおう。読書をしているとふと、受苦としての情熱が自分の内側を強く流れていることに気づいた。それは自分の体を流れる血流と同じく鮮明かつ力強い。それは精神的·霊的な生命を司る働きをしている。今日もまた受苦としての情熱に従って思索し、行動し、創造する日になるだろう。
人はベンサム的·フーコー的な何かしらのパノプティコンの中に生きている。端的には、人は何かしらの壁の内側の世界の中を生きているのだ。その壁は複雑に入り組んでいて、壁から完全に脱却している人はいない。だが、人はある瞬間にふと、自分がある壁の中に生きていることに気づく。そして、壁の向こう側の世界に気づくのだ。おそらくそれが個人の変容の始まりだろう。社会の変容は詰まるところ、人の可能性を蝕んでいる壁を変容させることを意味する。今日もまた自分は、この世界にどのような壁が存在しているのかを直観するように試みていく。己の壁と社会の壁の変容もまた自分にとって重要なミッションである。青森:2022/10/13(木)09:21
9250.【日本滞在記】三内丸山遺跡を訪れて:理性とテクノロジーの深い繋がり
時刻は午後4時を迎えた。先ほど、本日の観光を終えてホテルの自室に戻ってきた。今日の青森は、天気がすこぶる良く、観光にはもってこいの1日だった。三内丸山遺跡に向けてホテルを出発した際にはカーディガンを羽織っていたが、遺跡に到着してからは気温が上がり、カーディガンを脱いで半袖で過ごしていた。端的に感想を述べると、三内丸山遺跡を訪れて本当に良かったと思う。これまで社会や日本史を通じて学んできた縄文時代に対する理解を刷新するような形で、色々なことに気づくことができた。まずもって、縄文時代の人々の暮らしが自然と共生を見事にしていたことに驚かされた。さらには、縄文時代の文化的な発展も窺えたことが意外な発見であった。縄文時代においても珍しい石で作られたアクセサリーなどが作られていたのだと展示品を通じて知り、さらには実用目的ではなく、明らかに余暇から派生したと思われるミニチュアサイズの土器などを見て、縄文時代の社会の中にある文化を見て取った。さらには、縄文人にも宗教観があったと思わせるように墓が作られていたことも注目した。特に子供用と大人用の墓を分けて作っていたことや、狩りに連れて行った犬もきちんと埋葬されていたことなどから、縄文人が何かしらの死生観を持っていたことが窺えた。個人的に考えさせられたのは、縄文人の社会ないしは縄文文明と言ってもいいようなものが1500年も継続したことである。今の現代文明がそれほどの長大な長さに耐えられるとは到底思えず、それを考えると1500年存続した文明を保持していた縄文人に純粋に敬意を表した。三内丸山遺跡は、「縄文時遊館」という室内のミュージアムと、広大な敷地に広がる当時の居住用建物などが残された「縄文のムラ」から構成されており、いずれも見学上の工夫が施されており、大変素晴らしかった。縄文時代におけるテクノロジーは、今から見れば確かに原始的なものかもしれないが、それでもテクノロジーの原形であることには変わりなく、また彼らが使っていたテクノロジーとしての技術から、当時の縄文人の精神性や生活風景が窺える。縄文のムラを巡りながらふと、理性とテクノロジーの深い繋がりがあることに気付かされた。理性は英語では“rationality”と呼び、その語源には尺度を意味する“ratio”がある。すなわち、理性とは何かを測ることなのであり、測ることを本質に持つ理性が元になってテクノロジーが生み出されたのである。そのようなことを思わせてくれたのは、縄文のムラにあった大型掘立柱建物跡である。それは6本の柱の跡であり、柱穴は直径·深さともに2mと大きく。それぞれの穴の感覚が4.2mに整っている。その事実を知った時、縄文人にも測量の技術あるいは知恵があったのだと知り、そうした知性と彼が扱ったテクノロジーは密接に繋がっていたのだと思った。青森:2022/10/13(木)16:19
9251.【日本滞在記】棟方志功記念館を訪れての感動
——心の中に美が祭られている。それを描くのだ——棟方志功
この日記を書いたら、「川よし」といううなぎ専門店に行って、少し奮発して3,600円ほどのうな重を食べたい。これから続く旅行に向けて精をつけておきたいと思う。
今日は、三内丸山遺跡を訪れた後に、すぐ近くの青森県立美術館に行く予定だったが、今あいにく長期間の工事に入っているので、その代わりに今朝方に見つけた棟方志功記念館に行ってみることにした。この記念館を見つけた時、棟方志功の作品にビビッとくるものがあった。端的に述べると、この記念館を訪れて本当に良かったと思う。記念館自体はとても小さいのだが、それは棟方氏の「1つ1つの作品をじっくり見てほしい」という思いからなのだと知った。限られた展示スペースに年4回ほど作品を入れ替える工夫がなされていて、今日は秋の展示を見た。作品を見る前に、およそ40分ほどの棟方氏に関するドキュメンタリー動画を見て、それから作品を見た。上映されていた動画から、この作家に共感·共鳴するものがたくさんあり、すぐにこの作家が本物だと思った。彼の残した数々の版画には、どれも温かみがあり、そして神聖さがある。実際に仏教的な世界観が色濃く現れた作品もいくつかあって、大変興味深く鑑賞した。また、女性を描いている版画もまた大変魅力的で、帰りがけにはミュージアムショップで「弁財天妃の柵」という作品のクリアファイルと、棟方氏について解説した書籍を購入した。現金ではなくクレジットカードを受け付けていれば、棟方氏の作品の中で1点欲しい複製画があり、それを購入したかったところである。棟方氏のこだわりの中で、版画を「板画」と呼んでいたものがある。なぜそのような呼び方にこだわったかというと、板画は板が生まれた性質を大事に扱わなければならず、木の魂を直に生み出さないとダメだという発想を棟方氏が持っていたからだ。さらには、1つ1つの作品を「柵」と称していたことも注目に値する。その背後には、四国のお遍路において、首に下げて寺を廻る際に納める札は、1つ1つ願いを込めて寺に納めていくことから、自分の作品も同様に、1つ1つの作品に自分の願いを込めて、1柵ずつ生涯の道標を置いていく思いで作品を作っていたことがある。この在り方は学びたいものである。1つ1つの創作物を願いを込めた柵として創作にあたること。一生涯にわたって1つ1つこの世界に柵を置いていき、それがどこまでも続くことを願いながら、そして子々孫々の安寧と繁栄を願いながら、日々の創作活動に従事したい。青森:2022/10/13(木)16:37
9252.【日本滞在記】うなぎ屋「川よし」さんの思い出
時刻は午後6時を迎えた。つい今し方、夕食のうなぎを食べてホテルの自室に戻ってきたところである。ホテルから歩いてすぐのところにあるうなぎ屋の「川よし」にてくてくと歩いて向かい、店が近くに連れて何とも言えない香ばしい香りが漂ってきた。それは紛れもなくうなぎの香りであり、それに導かれるようにして店に吸い込まれていった。店に到着したのはまだ午後5時だったので自分が一番乗りかと思いきや、店は午後4時からやっていて、すでにちらほらと客がいた。すぐに席に案内してもらい、お茶を出してもらって注文を聞いてもらった。その時に、うな重にするのか上うな重にするのか迷い、その違いについて尋ねてみたところ、うなぎの量が違うとのことだった。せっかくなので3,960円のうな重を注文することにした。普段オランダでは一切外食することはないし、欧州の旅においても基本的には近所のスーパーで夕食を買ってホテルの自室で食べるようにしているのだが、今回の日本の一時帰国においては結構夕食に外食している。とりわけ秋田や青森ではご当地のものを店で食べるようにしている。今日は三内丸山遺跡をよく歩き、さらには棟方志功記念館からホテルまでも歩いてわずか30分だったので、歩いてホテルに帰った。よく歩いてそれが運動になり、また昼食も抜いていたこともあって、注文が届くまではかなり待ち遠しかった。その間は空腹感を紛らわすべく、秋田のホテルの近くの宮脇書店で購入した書籍を読みながら、上うな重が届くのを待っていた。待っていたのは15分ぐらいだったと思うが、随分と長く感じられたのもそれだけお腹が空いていたからだろうし、店内に漂っていたうなぎの香ばしい香があったからだと思う。うな重にはお新香とお吸い物、そしてデザートにみかんが付いていた。早速うな重に一口つけてみたところ、そのあまりの美味しさに思わず舌鼓を打った。昨日も近くの定食屋で青森産のホタテを食べた時に同様の内的現象が生じたのだが、これこそ食欲を持つ人間の特権だと感じ、それを存分に謳歌した。そこからは箸が進み、黙々と食べ続け、あっという間に完食した。その頃には客がどんどんと増えていて、平日の木曜なのにもかかわらず随分と繁盛しているなと思った。デザートのみかんを食べ終え、会計をしようと思って出口の方に向かうと、廊下の壁に貼られていた紙に目が止まった。そこには「裂き3年、串打ち3年、焼きは一生」から始まる文章が掲載されていて、今から10年ほど前にNHKの『プロフェッショナル』という番組に出演した金本兼次郎氏(当時85歳)が紹介されていた。冒頭の文章を読みながら、うなぎの世界も奥が深く、うなぎを焼くというのは芸であり、職人技が求められるのだと感心していた。廊下に立って熱心に壁の文章を読んでいる姿が珍しかったのか、1階の別の部屋から出てきた従業員の男性に声を掛けられた。年配のその方と壁の文章と写真を見ながら色々と話をした。最初私が、「『「裂き3年、串打ち3年、焼きは一生』というのはすごいですね。うなぎを焼くのは職人技ですね」と述べると、その方は「裂き8年と言われたりもしますよ。だけど、そう言うことによって重みをつけたがるんですよ、うなぎ屋は(笑)」と笑いながら述べた。そこからも楽しげな会話が続いた。
私「いや~、それでもうなぎは奥が深いんじゃないですか。「焼きは一生」というのは本当にすごいですね。そういう精進があってこそ、先ほどのような美味しいお味が生まれるんじゃないでしょうか」
男性「ありがとうございます。金本さん(壁の文章に掲載されている『プロフェッショナル』に出演された男性)は今もう93歳なんですけど、今は朝の5時からお孫さんにうなぎの焼き方を教えているそうです。今81歳なので、あと12年すれば今の金本さんと同じ年になるので頑張っていきたいと思います」
それを聞いて私は一瞬耳を疑った。
私「えっ、81歳?81歳なんですか?!もっとお若く見えたのでびっくりです!!」
男性「うなぎ屋の店主が腰をこんな風(腰を丸くする仕草をして)にしてたら格好がつかないでしょう(笑)」
その方が店主だということもすぐにはわからなかったし、お世辞抜きに店主のご主人は81歳に見えない若さだった。それは肌の艶を含めた外見的にもそうだし、喋り口も滑らかだったので認知的な若さもそうである。自分も店主のご主人のように、一生現役で人々とこの社会に奉仕していきたいと思う。
店で会計を済ませた後に、自分を呼び止める声があった。振り返ると、店主のご主人だった。手にビニール袋を持って私に話しかけてきてくれたのである。
店主のご主人「こちら、お土産にどうぞ」
そのように言って渡してもらったのは、青森県産のりんごが擦り下ろされた100%ジュースの缶5本だった。「美味しいうなぎをいただけただけで感謝なのに、このような物までいただいて本当にどうもありがとうございます!」と深くお礼を述べて店を後にした。こうした人情味溢れる店があることを嬉しく思ったし、旅はこういう思いがけない偶然と出会いがあるから素晴らしいのだと改めて思った。
先ほど、この店が青森で唯一「うなぎ百名店」に選ばれていることをインターネットで調べて初めて知った。多くの方にもぜひ足を運んで欲しいうなぎ屋である。心からそう思う。青森:2022/10/13(木)18:39
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