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8978-8985: フローニンゲンからの便り 2022年8月25日(木)



No.3945 朝光の閃光_A Flash of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1737, A Fruit of Morning Light

A fruit of morning light is shining at this moment.

It’s shedding light on the entire world.

Groningen; 05:44, 8/25/2022


No.1738, Grace of COVID-19

Reflecting on COVID-19, it definitely opened my eyes to the Real.

My third eye also opened for perceiving the transcendental.

Groningen; 06:58, 8/25/2022


No.1739, Reality and Mathematics

Reality is always bigger than mathematics.

We must not forget that mathematical models describe just a part of reality.

Groningen; 08:13, 8/25/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8978. 夏らしさを感じさせる最後の日に見た夢/今日の実践計画

8979. 再度TOEFL試験を受けることにして

8980. 感覚構築活動への委ね/憲法25条と生政治

8981. 経済学の構造的問題や諸前提の歪みについて考えながら

8982. 経済学と宗教

8983. 理論が内包する男性性/ジークンドーの稽古(122): カービングステップからのストレートリード

8984. 箏の稽古(9):基礎の基礎に立ち返って

8985. 箏の稽古(10): 持ち運び用の箏を自作して/暗譜の工夫


8978. 夏らしさを感じさせる最後の日に見た夢/今日の実践計画


時刻は午前4時を迎えた。今朝方は、いつもより早く目覚めた。この時間帯はまだ辺りが真っ暗である。今日は雲1つない晴天に恵まれるようで、今は辺りが暗くてわからないが、この瞬間においても雲はないようだ。今日が今年最後の夏日であり、日中の気温は31度まで上がるらしい。明日からは打って変わって、気温が一気に低くなる。明日は小雨が降る予報が出ており、今日よりも気温が10度下がる。その落差は激しい。今週末はもはや20度ぐらいまでしか最高気温が上がらないとのことなので、秋の入り口に入った感じがするだろう。


今朝方はあまり印象に残る夢を見ていなかったが、1つ覚えているのは、自分が神道神学について多くの人に講義をしている場面があったことである。キリスト教やイスラム教、そして道教や仏教などと比較する形で、神道神学の独自の体系について紹介した。すると、聴衆の人たちはハッとさせられたような表情を浮かべており、みんな真剣に自分の話を聞いてくれていた。そのような場面があった。その他にも、清楚な若い日本人女性と話をしていた場面もあった。落ち着いたカフェでその女性と何の話かわからないが、時折笑いが起こるような形で和やかに会話を楽しんでいた。


さて、今日もまた学術、芸術、武術の三位一体に打ち込もう。それらが三位一体の実践体系となったことを嬉しく思う。とりわけ箏の演奏が加わったことにより、作曲実践やデジタル絵画の制作といった既存の芸術実践をより豊かなものにしてくれているように思う。今日の読書は、まずは昨日に読みかけの洋書から始めよう。3冊ぐらい洋書を読んでから、昨日届いた小室直樹先生の憲法原論でも読み進めようかと思う。小室先生の原論シリーズはとりあえず全て購入し、今は手元に憲法原論に加え、経済言論がある。まずは憲法原論に目を通し、そこからはまた洋書に戻って、再び和書に戻ってくる際には、寺西重朗先生の『経済行動と宗教』を読もう。夕方になる頃に箏の稽古を今日も行う。昨夜寝る前にも頭の中で箏を再現し、手を動かしながらイメージ上の世界で箏を演奏していた。目の前に楽譜があれば、こうしたイメージトレーニングはいつでもどこでもできる。今度の秋の一時帰国の際にもこうしたトレーニングを毎日欠かさず行いたい。フローニンゲン:2022/8/25(木)04:29


8979. 再度TOEFL試験を受けることにして


今朝はいつもより早く起床し、朝日が顔を覗かせる時間帯を確認してみると、午前6時になって最近はようやく明るくなってきていることに気づいた。以前であればこの時間はもう随分と明るかったので、日が昇るのが遅くなっていることがわかる。そのあたりにも秋に入ってきたのだなということを感じる。


秋の一時帰国の前にもう1度TOEFLを受験しようと思って、その予約をした。前回TOEFLを受けた時点で、神学大学院に出願するスコアを獲得していたのだが、仮に神学大学院に神学した後に、2年目の終わりにさらにもう1つの神学修士プログラムに出願する予定なので、もう1度受験をすることにした。前回のものは確か3月ぐらいに受験したのではないかと思い、2年目の終わりの頃にはその有効期限が切れてしまう。もちろん、神学大学院に進学してからでもTOEFLは受験できるが、学期中は学業に専念したいし、休暇は休暇として楽しみたいという思いがあったので、2年後の再出願に向けてこの秋のタイミングで再度TOEFLを受けることにしたのである。受験場所は前回と同じく、アムステルダム南駅と目と鼻の先のワールドトレードセンターにあるテストセンターだ。コロナによって、TOEFLは自宅受験できる制度が導入されたが、自宅だと思わぬ騒音などが聞こえたり、何か邪魔が入るかもしれないと思うので、前回も今回もテストセンターで受験することにした。TOEFLの予約に加え、ホテルの予約もすでに済んでいる。前回のテストの際には随分とブランクが空いていたので結構対策をしたが、今回は気楽な気持ちで受験しようと思う。正直なところ、どれほど対策をしようが、もうあまりスコアが変わらないような高原状態に長らくあり、今回はむしろほぼ対策をしない形で、本番もリラックスして受験しようと思う。とはいえ、直前に1度だけ一通りの問題を解いておこうと思うが、対策はそれぐらいに留めようと思う。ほぼ対策をせず、気楽な気持ちで受けた方が一番パフォーマンスが発揮されるかもしれない。いずれにせよ、来月末のTOEFLを受験したら、その翌週からは日本への一時帰国が始まる。それを楽しみにしながら、TOEFLの試験自体も大いに楽しもうと思う。フローニンゲン:2022/8/25(木)06:19


8980. 感覚構築活動への委ね/憲法25条と生政治


芸術や武術に従事していると、自分という人間が意味構築(meaning-making)活動をする生き物であるだけではなく、感覚構築(sense-making)活動を絶えず行っている存在であることに気づかされる。学術研究に従事しているときは、どちらかというとやはり意味構築活動が優位な状態になるが、芸術や武術の意義や価値というのは、理性的な形での意味構築活動が離れ、感覚構築活動に自己を委ねることができる点にあるように思う。それを最近よく実感する。


最近は日本国憲法への関心が高まっている。法律に関しては完全な素人だが、憲法を読んでいると色々と思うことがあるし、憲法の解説書を読んでいると色々と深く考えなければならない点が見えてくる。例えば、憲法第25条には国民には生存権があり、すべての国民には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があると書かれている。さて、今回のコロナ禍において日本人の生存権が守られていたのだろうかと疑問に思う。自分は日本に物理的にいなかったので、具体的なことはわからないが、生存権は国民の生死に関する事柄であり、国家がその権利を保証するというのは肯定的な意味での生政治をきちんと行うことなのではないかと思う。果たしてこうした生政治が行われていたのかは疑問であり、国民の生命状態の正しい評価と適切な管理と規制がなされていたのかも怪しい。どうやら憲法をつぶさに見ていくと、国家が行っている種々のおかしなことが明るみになってきそうである。今日はやはり、小室先生の憲法原論を必ず読み進めよう。


オランダではもはやコロナなど存在しないかのような生活が実現されている。自分自身オランダでコロナを意識したのは、昨年か一昨年の冬のロックダウンの時ぐらいである。今となっては、それが昨年の冬だったのか、一昨年の冬だったのかさえ思い出せないぐらいだ。ただ1つ言えることは、コロナのようなパンデミックを通じて、ラカンやバスカーがいうところの“The Real”を強く意識することになったということである。パンデミックは否が応でも、私たちの認知を超えたものを意識させる。合理的な理性では到底考えられないような現象や世界があることをありありと感じさせてくれたのは今回のコロナのおかげだろうか。コロナ以後、自分の中でますますアクチュアルとしての表面的な現象の背後にあるリアルな現象構造あるいは世界そのものを知覚する眼が開かされたように思う。フローニンゲン:2022/8/25(木)06:47


8981. 経済学の構造的問題や諸前提の歪みについて考えながら


時刻は午前8時に向かっている。今、小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。そして、とてもひんやりとしたそよ風が室内に流れ込んでいる。今この瞬間は長ズボンを履きたいほどに足元がひんやりしている。しかし、ここから日中にかけて気温がグッと上がるので、その心構えをしておこう。


そう言えば、昨夜就寝のためにベッドに横たわり、仰向けになっているときに、経済学の構造的問題や諸前提の歪みについて色々と考えを巡らせていた。その1つについて書き留めておきたい。経済学者のジョージ·スティグラーが60年近く前に述べていたように、現在の経済学において数学はなくてはならないものになった。しかしそこで、数理経済学の父の1人でもあるアルフレッド·マーシャルが経済学に数学を持ち込むことに関してどのように考えていたのかを思い出さなければならないように思う。マーシャルは、あくまでも数学を現象記述のための言語として使うことを指摘しており、数学そのものから探究の出発をしてはらないことを強調していた。経済学に数学を使うルールとして、最後には数式を焼却しなければならないと述べていたほどだ。マーシャルのこの発言はとても重要かと思う。経済学は物理学の数式に依拠することが多く、しかしそこに罠がある。もともと物理学上の数式は、物理世界を記述するために発明されたものなはずである。ところが経済学者は数式モデルありきで、モデルへの適合を強調するあまりに、現実世界での現象そのものを忘れてしまう。そうした在り方は、「数学純粋主義」あるいは「数学過激主義」だと形容できるだろう。また、経済学という学問そのものを精神分析するのであれば、経済学は物理学に対して嫉妬や劣等感の感情を抱いていると言えるかもしれない。そうした感情が経済学を数学へ歪な形で傾倒させていき、本末転倒なことを研究プロセスの中で行っていることに気づきにくくさせているのかもしれない。そのようなことを考えながら、その他にも、経済学がレトリック的、あるいはメタフォリック的な性質を有していて、その構造上の問題についても考えていた。


そうしたことを考えていた自分を思い出し、改めて自分の内側にも数学や数学的なものを志向する傾向があることに気づく。実際に、自分は人間発達を数式モデルを構築して研究していたのである。おそらく当の自分が経済学者と同じような罠に陥っていたように思う。それにしても、数学や数学的なものを志向するこの意識の有り様はどこから生まれてくるのだろうか。今読み進めている書籍の中に、数学は本質的にトートロジーであるということが書かれている。トートロジー性を内包しているのが自己の本質でもあることを考えると、その本質と数学の本質が合致しているがゆえにそうした志向性が芽生えるのだろうか。フローニンゲン:2022/8/25(木)08:09


8982. 経済学と宗教


経済学の背後にある、数式モデルを使った経済活動の描写に関して、その元を辿って行けば、旧約聖書におけるある発想に行き着くことに気づく。そこでは、この世界を探究することが神の要求事項であると考えられており、そうした探究活動は神によって認められた正当な活動とみなされていたのである。人間の手で世界を探究するというのは、創造主の仕事に参画することでもあったのだ。ユダヤ教を出発点にして、キリスト教においてもおそらく同様の発想が内在していて、それが科学の進歩をもたらしたという見方ができるかもしれない。中世においてはキリスト教圏よりもイスラム教圏の方が科学が進んでいた歴史を見たときに、そもそもキリスト教もイスラム教もユダヤ教の影響を受けて成立した背景があるので、当時何が要因となってイスラム教の科学的発展を促したのか気になるところである。これから比較宗教学的な探究を進めていく上で、その謎が解明されることを期待する。


マネーを物理学上のエネルギーとして捉えてみると、どのようなことが言えるだろうか。それは時間を通じて移動する性質を持ち合わせており、種々のエネルギー法則を参照すれば、マネーの様々な性質が見えてくるかもしれない。また、物理学上のエネルギーに限定する必要はなく、精神的なエネルギーとして捉えてみると、またマネーの新たな性質が浮かび上がってくるのではないかと思う。


今読み進めている書籍の中で、ゲーム理論とキリスト教の関係性が論じられていて面白く思った。大学時代に習ったゲーム理論を改めて思い出してみると、確かにゲーム理論の中には、敵自身を愛するか目には目をという発想が見られ、それはキリスト教に通じるものがある。経済学というものを宗教の観点から捉えていくことは、今後の自分の大きな関心軸になるだろう。マックス·ウェーバーも晩年は東洋思想を含め、宗教の研究を熱心に行っていた。それに影響されて、小室直樹先生も宗教に関する研究を深く行っておられた。自分もその道に連なって歩み始めていることを感じる。とりわけ自分は、神道や日本独自の宗教思想から経済学を見つめることをしていこうと思う。昨日追加で注文した福田徳三先生の全集は、その研究の格好の手引書になるだろう。フローニンゲン:2022/8/25(木)08:37


8983. 理論が内包する男性性/ジークンドーの稽古(122):

カービングステップからのストレートリード


社会学者のジョージ·シンメルが指摘するように、確かに理論というのは男性的文化の産物なのかもしれない。感覚的に、既存の理論から女性性を感じることはほとんどないように思う。理論が内包する男性性については引き続き考えてみよう。そして、理論に女性性が体現されるとはどういうことなのか、両極の性がどれほどの度合いで理論に内包されるかでその理論の性質や力にはどのような変化が見られるのかを考えてみたい。


時刻は午前9時半を迎えた。この時間はまだまだ涼しい。朝方が冷え込んでいたので、長ズボンを履くことにし、今もまだそれを履いている。おそらく午後に気温が上がってからは半ズボンに履き替えるだろうが、まだしばらく長ズボンでいよう。


朝の涼しい時間帯を利用して、先ほどジークンドーの稽古を行っていた。ここ最近はジムでトレーニングする以外は、毎晩入浴後にいくつかの動作や接触法を練習している。今日は朝が涼しかったこともあり、さらにはこの時間帯までにすでに4冊の学術書を読んでいたので、リフレッシュを兼ねてジークンドーの稽古をした。このように、学術探究の休憩としてジークンドーや箏の稽古があることに有り難さを感じる。


さて、先ほどのジークンドーの稽古では、カービングステップからのストレートリードを練習した。どちらの動作もすでに習っているものであり、今回はそれを組み合わせて発動させる練習をした。このように、すでに習った点としての動作を線として組み合わせていく作業がこれからやるべきことだろう。カービングステップからのストレートリードは通常のストレートリードよりもパンチが重くなる。その理由としては、カービングステップの際に生じた遠心力を活用するからである。この組み合わせは、次回ジムに行ったときにサンドバッグを叩きながらその動きと威力を確かめたい。今からもう少しジークンドーの鍛錬をし、そこから小室直樹先生の憲法原論の書籍を読み進めていく。フローニンゲン:2022/8/25(木)09:36


8984. 箏の稽古(9):基礎の基礎に立ち返って


秋の香ばしい風が吹いている。今日は風があるおかげで、日中でもそれほど暑さを感じずに済んでいた。気がつけば、時刻は午後5時に近づいている。今日は1時間半ほど箏の稽古をしていた。今日もまた基礎的なことを自分で調べ、自分で発見しながら進んでいく実りある稽古だった。途中で何度もアハ体験をし、なるほどと思うことがたくさんあった。しかし、細かな理屈付に関してはよくわからないことがあり、それらについては先生に尋ねてみようと思う。例えば、「合わせ爪」の技法の際に、これまで自分は何の説明も受けずにそれを練習しており、無意識的に親指と中指を弾き上げる形で演奏していた。ところが、今日動画を見て気づいたのは、それはお勧めできないやり方であり、薬指を支えとして使いながら、親指と中指で同時に弦を弾いた後は、それぞれ進行方向の先にある弦の上で止めることが重要だと学んだ。そもそも、親指だけ、中指だけで演奏するときにも弾き上げているような形で演奏しており、基礎の基礎に立ち返ってみると、親指や中指で演奏する際には——人差し指の時も同様である——、必ず進行方向の先にある弦の上で止めることが求められていることを知った。こうした基礎の基礎に立ち返りながら、「さくら」の曲を演奏したり、曲を演奏することなく、もっと基本的に1つ1つの音を出すことを繰り返していった。最初正しい形で合わせ爪の演奏をしてみると、どうしても薬指が弦の上から落ちてしまったり、親指や中指が弦を弾いた後に、うまく進行方向の先の弦の上で止まらないことが頻発した。そうした状況を鑑みて、ゆっくり音を出すことを意識して、まずは親指で7の弦を、中指で2の弦を弾く練習を何度も繰り返した。すると、徐々にうまく音が出せるようになってきた。そこから、2つの指の距離を一定に保ちながら、親指で8の弦を、中指で3の弦を···というように等差数列的に指を1つ1つ下に下ろして演奏していった。明日以降も、基礎の基礎である1つ1つの音を正確に演奏するところから練習を始めていく。そこから合わせ爪を練習し、その後、「さくら」の曲を演奏していこう。


その他に気づいたこととしては、今は書斎の机の上に箏を置いて演奏しているのだが、バランスボールに座った状態だと力が入りずらかったりするので、立って演奏してみたところ、姿勢も良くなり、力も入れやすいことに気づいた。調べてみると、どうやらライブ演奏などでも机のような台に箏を置く場合には、立って演奏することもよくあるようなので、これからは自分も立って演奏しようと思う。フローニンゲン:2022/8/25(木)16:59


8985. 箏の稽古(10): 持ち運び用の箏を自作して/暗譜の工夫


「できた!」という声が思わず漏れた。昨日に閃いた案として、いつでもどこでも箏の練習ができるように、白紙の裏紙を用いて13弦の箏を見立てたものを作った。基本的には右手の奏法を練習するためのものなので、A5の紙を縦にしたぐらいの大きさで十分であった。もちろん、それを使って左手の押し手の練習などもできるし、人間に備わった想像力の力を使えば、13本の線をイメージ上でいくらでも左側に伸ばせるので、左手の奏法の練習にも使える。この紙1枚さえあれば、いつでもどこでも時間を見つけて箏の練習ができる。これで今後どこに旅に出かけても、この紙と楽譜があれば、箏をイメージの世界で十分に練習できる。これは自分にとってとても嬉しいことである。夜に音を鳴らすことが躊躇われる時でも、この紙を使えば練習できてしまうので、本当に優れものである。早速今夜からこの紙を使って練習してみよう。


それを作った後に、暗譜についてその方法を考えていた。今後長い楽曲を演奏する際に、あるいは短くてもいいのだが、その曲をどのように暗譜していこうかと考えていた。もちろん楽譜を見ながら演奏するのも悪くないのだが、やはり頭の中にあった方が便利であることは間違いない。また、暗譜をしていれば、楽譜は演奏中に確認程度に見るだけであり、演奏そのものによりエネルギーを注力することが可能になる。おそらくそれによって演奏の表現力にも差が出るのではないかと思う。そうしたことから、暗譜したことに越したことはないと思ったので、その方法について考えていた。母がピアノの暗譜が得意なので、楽器は違えど、今度秋に一時帰国した際に、どのようなことを意識して暗譜しているのかを聞いてみようと思う。今のところ自分は、英単語を覚えるように、コンテクストと共に意味単位をチャンキングして覚えるのが良いのではないかと思っている。自分は英単語を覚えることが昔から得意だったので、自然言語と音楽言語の類似性から、英語の単語を覚えていたその方法を暗譜に転用してみようと思った次第である。それと英単語も声に発して覚えるようにしていたように、暗譜する際にもフレーズを口ずさみながら演奏してみると、脳が刺激され、より暗譜しやすくなるのではないかと思う。暗譜に関しても楽しみながら、その方法を色々と工夫して暗譜力を高めていきたい。フローニンゲン:2022/8/25(木)17:23

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