No.3940 神々の輪_Circles of Gods
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1733, Eternal Recurrence
I’m returning to eternity.
Eternal recurrence always occurs to me.
I can rest in the eternal process all the time.
Groningen; 08:38, 8/23/2022
No.1734, Evening Eternity
Evening eternity is revolving.
It is also evolving.
So am I.
Groningen; 19:53, 8/23/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8967. 今朝方の夢
8968. 今日の予定
8969. 書くこととジークンドーと箏の稽古
8970. 箏の稽古(6):初めてのレッスンを終えて
8971. 箏の稽古(7):楽譜上の発見と合わせ爪の技法
8972. サウナの醍醐味を味わって
8967. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。今、空は青く輝いていて、少し千切れ雲が浮かんでいる。今日から3日間はまた日中に少し気温が上がるようだ。今日の最高気温は28度との予報が出ている。今日は午後にジムに行って、ジークンドーのトレーニングと自重トレーニングをした後に、サウナに入ってさっぱりしてこようと思う。
今朝方は一連の夢を見ていた。夢の中で私は、和風のホテルに宿泊していた。どうやら実際に通っていた小学校、中学校、高校の生徒たちが入れ混じる形で、彼らと一緒に修学旅行に出かけているようだった。ホテルには学校の教室と変わらぬ部屋があり、まずはそこで授業を受けた。授業の講師はなんとオットー·ラスキー博士だった。どうやら博士は日本語が話せるようで、冒頭で日本語を話した後、そこからは英語になった。クラスにいた生徒たちは英語に自信のない者が多く、かなり当惑していた。ラスキー博士が生徒を指名し、考えを述べさせてみても、拙い回答しか生徒は答えられなかった。それは英語の問題というよりも、そもそもの知性の鍛錬がなっていないのだということをラスキー博士は厳しく指摘した。ラスキー博士は普段はそのような厳しいことを言わないので、私は不思議に思って聞いていた。クラスの中で1人、ラスキー博士からの発奮を受けて堂々と発言した男子生徒がいた。彼はアメフトをやっていて、体格がとても屈強そうに見えた。彼は物理学の高度な話を交えながら、ラスキー博士から出されたお題に回答していった。ラスキー博士も熱心に彼の話に耳を傾け、彼だけが唯一合格ラインにいるように思えた。私の右横には高校1年生の時のクラスメートがいて、私の後ろにはラスキー博士のもとで一緒に学んだオーストラリア人の友人がいた。オーストラリア人の友人は当然英語が話せるが、あえて教室では発言せず、他の生徒に発言を譲っているようだった。彼がラスキー博士の講義で感銘を受けたのは芸術論であることをそっと私に教えてくれ、その講義のおかげで彼は美の領域の探究に目覚めたとのことだった。
ラスキー博士の講義が終わると、教室を離れ、自分の部屋に戻ろうと思った。部屋に戻る最中の階段の踊り場に、1人の女性が寝っ転がりながらタロットカード占いをしていた。私は彼女に話しかけ、何をしているのかを尋ねた。すると彼女は、私のことを占ってくれると述べた。その前に、そのカードについて色々と話を聞いた。何やら、そのカードにはインテグラル理論そのものの名称やインテグラル理論に関する単語が出てくるらしく、私にとってうってつけのカードだと彼女は述べた。実際に占ってもらおうとしたときに、私は用事を思い出し、すぐに部屋に戻らなければならないと思った。その用事とは、先ほどトイレ掃除のために借りていた道具を下のフロアの友人に返すことだった。私はすぐに部屋に戻ってその器具を取り出し、1つ下のフロアに向かって降りた。そのフロアにはいくつかの部屋があって、最初にドアを開けた部屋は別の友人たちが宿泊しているところで、彼らは掃除を懸命にしている最中だった。次にドアを開けた部屋が目的の部屋で、そこにいる友人にお礼を述べ、道具を返した。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/8/23(火)07:25
8968. 今日の予定
爽やかな朝の空気を感じながら、内省的な気持ちで日記を書いている。今日は午前11時から、初めての箏のオンラインレッスンがある。今、2人の先生にお試しレッスンのお願いをしていて、どちらの先生も素晴らしいと思うのだが、片方の先生から継続してレッスンを受ける予定である。その際には、もちろん相性というものもあるし、教え方と自分のニーズとの合致などもあるが、来年仮にアメリカに戻ってからも、時差に関する問題がなく教えてもらえるかが結構重要なポイントなのではないかと思う。うまくいけば、来年の今頃はもうアメリカにいる予定だ。アメリカのどこにいるのかによって日本との時差は随分と変わる。西海岸なのか東海岸なのかによって、時差は5時間ぐらい変わるのである。欧州と日本は、時差があっても意外と時間を合わせやすい関係になっているのでこれまで不便することはなかった。アメリカの西海岸と日本との時差も比較的お互いに調整しやすいのだが、東海岸の場合は結構厄介である。いずれにせよ、まずは今日の初めてのレッスンを楽しみたいと思う。
今日もまた、午前中は読書に集中したい。昨日は結局、5冊ぐらいの書籍の初読をしたように思える。しかも午後からは読書をせず、書籍の原稿の加筆修正をしていたので、午前中に随分と集中して読書ができたのだとわかる。昨日に集中して加筆修正をしたので、5分の4ほどの加筆修正が終わっている。あと15ページほどの加筆修正なので、それはジムから帰ってきてから行い、もし夕食までに間に合わなければ、夕食後にまた手を入れれば十分に作業が完了するだろう。これにて最終原稿の完成である。今回の加筆修正では、編集者の方からの指摘を受け、実践的処方箋をより明示的に示すことにした。その他にも、少し分かりにくい表現のところを改めたり、結構色々な細かな修正を施すことになった。原稿を寝かせておいて良かったと思う。読書、箏のレッスン、ジム、原稿の加筆修正と、今日もまた充実感を感じさせてくれる活動に彩られている。フローニンゲン:2022/8/23(火)07:38
8969. 書くこととジークンドーと箏の稽古
時刻はゆっくりと午前10時に近づきつつある。今日は晴天に恵まれ、この時間は肌寒いが、とても清々しい朝の世界が目の前に広がっていることを嬉しく思う。あと1時間ほどで初めての箏のレッスンを受ける。これから箏の演奏を通じて脱自的体験が起こることを期待している自分がいる。自分が音そのものとなり、音と一体となることを味わいたい。箏の演奏はきっとそれを可能にしてくれるだろう。もちろん最初のうちは、理性を働かせてあれこれ考えながら練習をしていかなければならないだろうが、慣れてきた曲を演奏する場合には、音そのものと自分が合一化し、音の流れとしてその瞬間を味わえるのではないかと思う。仮に目標のようなものとを置くのであれば、音と化すことを目標にしよう。その曲固有の時間と一体化すると表現してもいい。いずれにせよ、自我の殻から外に出て、音楽世界そのものと一体化することを楽しみにする。
ジークンドーの稽古においても内省日記をつけているのと同じく、日々の稽古の内省日記をつけたいと思う。特に最初のうちは執筆することが多くなるのではないかと思う。ジークンドーについては今も毎日稽古をしているが、最近はロビンさんとのプライベートセッションで得られたことを書き留めることを主にしている。これからしばらくは、箏の稽古を毎日するごとに何かを書き留めていくことになるだろうが、しばらくそれを続けていると、先生から箏のレッスンを受けて得られたことを中心に日記に書き留めていくことになるのではないかと思う。もちろんジークンドーにせよ、箏にせよ、毎日自分なりに工夫して稽古をし、新たな発見があるのだが、その発見がとても微細なものである場合、日記に書き留めておくことが難しい。そうした事情もあって最近は、ジークンドーの毎日の稽古について日記を書き留めることをしていない。というよりもそれは難しい。今週末の日曜日には、ロビンさんとのプライベートセッションがちょうどある。そこではまたきっと多くの発見と洞察を得られるだろう。それらを書き留めることに今は集中しよう。本来であれば、毎日何を工夫して、そこから何が得られたかを書き留めることができれば理想であり、今後はそのあたりにも意識を向けていこうかと思う。いずれにせよ、内省的な振り返り日記を書くことを通じて日々着実に稽古をしていくことが重要だ。フローニンゲン:2022/8/23(火)10:02
8970. 箏の稽古(6):初めてのレッスンを終えて
時刻は午後12時半を迎えた。先ほど、いつものように昼食代わりに食べているバナナを1本食べ終え、そこから正午まで行われていた箏のレッスンについて振り返っていた。今日は最初のレッスンであったが、先生から色々と話を伺うことができ、まずは知識の面で色々と学ぶことがあった。まずはそれらについて振り返っておきたい。レッスンの冒頭でまずはお互いに自己紹介をし、先生の出身が自分の地元に近い広島県であることに親しみを感じた。先生のご出身は、毛筆で有名な熊野町とのことであり、実家のある山口県光市と近い。まずはそうした雑談から入り、箏の2つの流派について説明を受けた。これから自分が習おうとしているのは生田流であり、生田流では爪が四角く、山田流では爪が丸い。先生曰く、生田流は関西の方で栄えたらしく、山田流は江戸の方で栄えたようだが、今は生田流の方が主流になっているそうだ。その後、こちらの要望を伝え、まずは先生に送っていただいたPDFに沿って練習しながら、今後は先生から勧めてもらった『はじめての文化箏』という楽譜の曲を練習していくことになった。この楽譜に加えて、『箏曲小曲集』というものも勧めていただき、取り急ぎは前者の楽譜を注文しよう。
自分の中では、懐かしのJ-POPやアニメの曲、そしてジブリの曲を演奏したいと思っており、それらに加えて、クラシック音楽の曲も演奏したいと思っていた。クラシック以外にもジャズの曲も演奏できるらしく、その際にはハ長調に調弦すればいいとのことであり、なるほどと思った。今調弦しているGの平調子の音を聞いていても、クラシックの曲が演奏できるイメージがあまり湧かず、ジャンルや曲によって調弦していくことの大切さを早速学んだ気がする。例えば、乃木調子は、「ふるさと」や「夕焼け小焼け」などの童謡の曲に用いられることが多く、民謡調子は文字通り、「ソーラン節」や「こきりこ節」などの民謡の曲に用いられることが多い。今後少しずつではあるが、様々なジャンルの曲が演奏できるようになればと思う。
調弦に関して1つなるほどなと思ったのは、元々箏は盲目の方が演奏していることが多く、調弦は自分の耳だけで行っていたようである。現在は、チューナーといった便利な道具があるが、逆にそうした道具に頼ることによって、耳の機能が弱体化してしまったということが考えられる。テクノロジー哲学を探究している自分にとって、早速テクノロジー哲学と箏の演奏が結びつく気づきであった。今も先生によっては、1番の弦だけ笛を吹いて音を教えてもらったら、その他の弦は自分の耳だけで行っていく先生もいるようだ。その域に達するほどに自分の耳を開発することができたらと思う。いずれにせよ、これから毎日、先生が送ってくださったPDFに沿って手の動かし方の練習をし、注文した楽譜を見ながら楽しんで練習を続けていきたいと思う。フローニンゲン:2022/8/23(火)12:54
8971. 箏の稽古(7):楽譜上の発見と合わせ爪の技法
今日はとても穏やかな雰囲気を発している1日だ。昨日までは気温が下がっていたが、今日は暖かさを感じる。2階の3方の窓を開け、風を通して過ごしている。爽やかな風を感じながら、今日の箏のレッスンを引き続き振り返っている。今日は1つ、楽譜上の謎が解けた。楽譜の中に下線部が引かれている箇所があり、それが何を意味するのか知らず直感的に間隔を詰めて演奏するのだろうと思っていた。その直感は結果的に正しかったのだが、理論的には、楽譜上の下線は4分の4拍子の場合、8分音符を意味すると先生から教えてもらった。今のところまだ見かけていないが、二重下線の場合には16分音符になるとのことである。この知識を得ることによって、楽譜がまた1つ読みやすくなった。そこからは「さくら」を演奏したのだが、この時に「合わせ爪」という技術を教わった。楽器を購入した際に付随していた説明書の中には、「さくら」の独奏しかなかったが、先生から送っていただいたPDFには合奏のバージョンがあり、2箏のパートの演奏が今の自分にとっては複雑であることに驚いた。2箏のパートには合わせ爪をする箇所がたくさんあり、また8分音符の箇所も随所にあるので、合わせ爪の技法と8分音符のリズムに慣れるためにはとてもいい練習になるかと思った。早速明日から2箏パートの練習をしていきたい。これから様々な奏法を学んでいけばと思っているが、宮城道雄先生の古典曲「六段の調べ」は、何かモチーフが背景にあるわけではなく、様々な奏法が詰まっている点に特徴があるようだ。先生曰く、「箏の奏者は、六段の調べに始まり、六段の調べに終わると言われています」とのことである。ジークンドーにおいてもロビンさんから新しい技を教えてもらう都度喜びと楽しさに包まれていたのと同じく、箏においても様々な奏法を学ぶことが今から楽しみでしょうがない。学習や実践を継続させる上で、そして進歩を実現させていく上で、こうした感情はとにかく重要な原動力になるので、こうした気持ちをずっと持ち続けたいと思う。絶えず内省的に日々の稽古を進め、内省的に振り返りをしていれば、新しい発見が必ずあるはずであり、そうした新たな発見がそれらの感情を引き出してくれるはずだ。
その他に改めて知ったことと言えば、箏には座り方があると聞いていたのでそれについても先生に尋ねてみると、文化箏の場合は、机の上に置いたり、膝の上に置いて演奏することもあるぐらいなので、座り方に厳格になる必要はないとのことだった。せっかく購入した楽器を大切に長く使いたいので、手入れの仕方についても教えてもらった。手入れの仕方は簡単で、濡れたものではなく、乾いたタオルや布で埃を落とせばいいとのことだった。特に、龍角と呼ばれる部分に埃が溜まりやすいとのことだったので、それに気をつけて、手入れをしっかりしながら、自分のところにやって来てくれたこの箏と末長く付き合っていきたい。フローニンゲン:2022/8/23(火)13:18
8972. サウナの醍醐味を味わって
時刻は午後5時を迎えようとしている。今日は午後から空に雲が見られたが、ずっと晴れ間が見えていて、気温も29度まで上がっていた。ちょうど今の気温が29度であり、ここから少しずつ気温が下がっていく。明日と明後日も同じぐらいの気温なので、最後の夏らしさを味わうことができるだろう。今日は先ほどまでジムにいた。ジムに行く前に、箏の楽譜に関するPDFをコピー屋で印刷し、それを受け取ってからジムに向かった。ジムに向かう最中に、近所のノーダープラントソン公園を横切った。親友のメルヴィンが述べていたように、今その公園では夏祭りが行われていて、数多くの出店が出ていて、夕方にも人がちらほらいた。おそらく週末になるともっと人が多いのだと思われる。祭りは今週末まで行われるようだ。オランダの祭りには日本のように何か宗教的な意味合いがあるのかをメルヴィンに尋ねてみたところ、特にそのような意味はないとのことだった。もし仮に何か宗教的な意味があるのであれば、一度祭りを体験してみようと思ったが、そのような意味がないのであれば、公園内を横切りながら雰囲気を味わうだけで十分かと思った。
ジムに到着し、いつものように鏡のある部屋で、接触法の1番から21番までを丁寧に練習した。これは毎晩稽古しているものでもあるため、もはや順番を間違えることなくほぼ完全に身体に染み込んでいるように思う。鏡を見ながら改めて丁寧に技を繰り出していき、そこからは1分間のシャドーワークを行った。それほど回数を重ねても意味がないので、数回ほど集中してそれを行った。そこからは大きな部屋に移り、自重トレーニングをした。自重トレーニングも短い休憩を挟みながら行っているのだが、休憩中には瞑想しているかのような深い意識状態になる。自重トレーニングには意識状態を変容する効果もあるのだ。念入りに自重トレーニングをした後に、サウナに入った。ここ最近は夏らしい日々が続いていたので、サウナに入ることを控えていた。先日からサウナにまた入り始めたが、冬の時期よりも時間を短くし、3セットではなく2セットで切りやめるようにしている。サウナに入っているときには、自重トレーニングの休憩時に感じていた意識状態と似たような、いやそれよりも深い瞑想意識になる。単に発汗によりデトックスを行うことや神経系を整えることを超えて、瞑想実践をしているような効果を味わえることがサウナの醍醐味である。サウナに入った後、さっぱりした気持ちでスーパーに立ち寄り、買い物から帰ってきた。これから夕食までの時間を使って、書籍の原稿を最終稿にしていこうと思う。フローニンゲン:2022/8/23(火)17:08
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