No.3737 夕方の落ち着き_Calmness of the Evening
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1625, Human Virus
Don’t we, humans, become a detrimental virus for other beings and the planet?
Instead of eradicating such a virus, we need to cure ourselves if we don’t want to be exterminated.
Groningen; 17:29, 6/20/2022
No.1626, My Contemplative Practice
Painting and composing music are my contemplative practice.
They soothe and nourish my soul.
Groningen; 19:18, 6/20/2022
No.1627, Need for a Hiding Place
Our soul needs a hiding place.
The tendency of hyper-transparency in our society roots out such a hiding place.
Our soul would feel tremendous fatigue.
Groningen; 20:51, 6/20/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8635. アレルギーについて/観想的な生
8636. 今朝方の夢
8637. バーナード·スティグラーの技術論から
8638. 退屈さの価値や意義/方向性の喪失と死
8639. 嘆き悲しむこと/しないことの大切さ
8635. アレルギーについて/観想的な生
時刻は午前8時を迎えた。燦然と輝く朝日が書斎に差し込み、朝日に出迎えられる形で1日が始まった。雲ひとつない青空に輝く朝日以外にも、そよ風と小鳥たちの鳴き声が自分を出迎えてくれている。それだけでもう何かとても満たされた感覚がある。こうした感情を充実感と呼ぶのかもしれない。
ファスティングが明けた今日からは、再び自分の取り組みを前に進めていこうと思う。昨日までは、やはりファスティングの影響で省エネモードだったので、思うように取り組みを前に進めることができず、大人しく過ごしていた。今日からはもうそうした心配はせずに、これまで通りに自分の取り組みに従事していきたい。今日は、ビョンチョル·ハンの“The Burnout Society”の続きを精読していく。読書に加えて今日は、一昨日の続きとして、オットー·ラスキー博士をお招きするプログラムのための音声ファイルの作成をしていきたい。昨日はそれを行うためのエネルギーがなかったが、今日からはもう大丈夫である。今日は読書と音声ファイルの作成に十分に時間を充て、夕方には買い物に出かけようと思う。依然として冷蔵庫が旅から帰ってきたままの空の状態なので、今日からの夕食のための食材を購入しようと思う。食べ物アレルギーを引き起こさないように、今日からは食べる物の多様性を考慮に入れよう。あまり毎日同じものを食べないようにすることが重要だ。それにしても、毎日同じものを食べていると体に抗体ができてしまうことがあるというのは不思議なことである。これは身体次元を超えて、精神次元でも当てはまることなのだろうか。同じ情報や知識と付き合い過ぎていると、精神的な抗体ができてアレルギー症状を引き起こす。そんなこともあるかもしれない。継続的な学習と鍛錬というのは重要でありながらも、やはり変動性を設けて、同じことの繰り返しをしないようにすることが重要なのだろう。形而上学的な観点で言えば、人間というのは、あるいは万物は絶えず流転しているがゆえに、同一のものを拒む性質があるのかもしれない。同一反復というのは、千変万化するという万物の掟を破るものであるがゆえに、それを行うとアレルギーのような危険信号が発せられるのかもしれない。
昨夜にふと、観想的な生というのは人間の特権であることを思った。注意散漫な動物にはそうした生は営めない。ビョンチョル·ハンが指摘するように、野生動物は絶えず自分や仲間の身を案じながら狩りをしたり、行動したりせねばならず、絶えず意識がマルチタスク状態なのだ。現代人は残念ながら、マルチタスクをすることが良いことのように捉えている節があり、それはハンに言わせれば、野生動物と同様の生き方をしているということになるだろう。観想的な生を営むこと。朝日の温かさを存分に感じたり、そよ風に触れてみたり、小鳥の鳴き声に耳を傾けるなど、ちょっとしたことで私たちは観想的な生を営めるのではないかと思う。こうしたちょっとしたことができないほどに、現代人はマルチタスクを含め、達成主義的社会の駆り立てに埋没してしまっているのだろう。フローニンゲン:2022/6/20(月)08:12
8636. 今朝方の夢
小鳥たちのさえずりが耳にとても心地良い。先日の旅先でも小鳥たちの鳴き声を朝に聞いていたが、フローニンゲンの自宅で聞く小鳥たちの鳴き声は格別である。心を深く落ち着けてくれる。
今朝方は夢の中で、中学校時代にお世話になっていた数学の先生の授業を受けていた。ちょうど授業が開始する時間になり、教科書を持って席につこうとしたところ、自分の教科書が無くなっていることに気づいた。実は教科書だけではなく、カバンごとどこかに消えてしまっていて、少し焦った。後ろの席に座っていた女子もそれを心配してくれ、カバンがありそうな場所を教えてくれた。私はもう一度廊下に出て、本来カバンが置かれているはずの場所を探してみたが、やはりそこには無かった。もう一度教室に戻ってカバンを探そうとすると、先生が優しく私に声をかけてきて、今日は教科書なしで授業を受けなさいと述べた。そのような夢を見た後に、舞台はまた同じく、実際に通っていた中学校が舞台となる夢を見た。そこでは、部活の顧問であった理科の先生の授業を受けていて、入試のための勉強と自分が好きなことを学ぶ勉強の2つの選択肢を先生が与えてくれた。私はその選択肢に対して、それらを両立させる道があることを先生に伝え、自分はその道を選択すると述べた。すると先生は笑みを浮かべ、「ぜひそれをやってみなさい」と述べてくれた。今朝方はこのように、自分が実際に通っていた学校が舞台となる夢を見ていた。実際には、それら以外にも夢を見ていたことを覚えている。具体的に細かく思い出すことはできないが、冒険心をくすぐるような夢の場面があった。空間は白く、太陽の淡い光が空間に混ざり合い、なんとも言えない柔らかさを持つ空間が広がっていたように思う。そんな空間の中で、自分は旅で感じる気分にも似た少し高揚した気分で探検をしていた。フローニンゲン:2022/6/20(月)08:29
8637. バーナード·スティグラーの技術論から
時刻は正午を迎えた。穏やかなそよ風と共に、優しげな太陽の光に包まれている。午前中は、オットー·ラスキー博士とのプログラムに関する音声ファイルを積極的に作っていた。午前中の段階ですでに20本ほどの音声ファイルを作ったが、この勢いのまま午後も音声ファイルを作成していこうと思う。音声ファイルの中で、ラスキー博士の技術論について紹介している最中に、フランスの哲学者のバーナード·スティグラーについて言及した。デリダを指導教官に持つスティグラーの思想をこれからじっくりと探究していかければならない。ビョンチョル·ハンやアンドリュー·フィーンバーグなど、文明論の探究において必ず参照しなければいけない重要な思想家が何人もいる。
スティグラーの思想の中で、自己の存在を保つために他者の存在が必要であると言う考え方は、ハンの他者性の喪失のテーマと関わる重要なものである。他者の存在なくしては自己の存在はなく、自己の存在なくしては他者の存在はない。ハンが指摘するように、現代社会はますます他者性が喪失しており、それは自己喪失を伴うものであることを見逃してはらない。他者性の回復が自己の回復につながり、自己と他者の相互依存関係の回復がなければ、健全な共同体が育まれていく土壌が醸成されていくことはないだろう。現代においては、共同体の存在も瀕死の状態になっていることから、このテーマは非常に重要なものだと位置付けている。
スティグラーが指摘する記憶の産業化について。何が記憶され、何が記憶されないのかが作為的に選択されている時代。私たちの記憶はますます産業化され、改変と搾取の対象になっている。私たちが良き記憶と思っているものですら、実は産業化によって構築されたものである可能性がある。記憶と時間はスティグラーの重要な思想テーマであり、それらは人間の実存性を構成する核にあたるものである。技術と記憶、そして時間については引き続き探究を進めていかなければならない。
結局のところ、記憶と時間は、人間の意識に関わるものなのだ。記憶と時間が改変·搾取されているということは、私たちの意識が改変·搾取されていることでもある。記憶、時間、そして意識が管理され、改変·搾取される中で現代人はその生を営んでいる。ハイパー産業化とそれらの繋がりについてさらなる考察が求められる。フローニンゲン:2022/6/20(月)12:37
8638. 退屈さの価値や意義/方向性の喪失と死
ベンジャミンが指摘するように、退屈さの価値や意義というものを問いたい現代社会の様相である。現代社会においては、退屈が悪であるかのような扱いを受けていて、人々は自らを達成や成果、そして成長に駆り立てられながら日々を忙しく生きている。そこには一息つく余裕もないほどに時間に追われている生がある。そんな生において、退屈さは悪となり、人々は退屈さを拒絶するかのように、スマホやSNSの世界に逃げ込んでいく。仕事においてはマルチタスクの推奨の元に、次から次に同時並行的にタスクに追われ、そこにもまた仕事上における退屈さは鳴りを潜めている。そんな社会に生きていれば疲弊するのも当然である。疲弊し、燃え尽きてしまうことは、現代の社会においてはまるで自然の成り行きであるかの如くである。そんな中で、ベンジャミンが指摘するように、そしてビョンチョル·ハンも指摘するように、私たちが退屈さという意味付けをどのように変化させ、そして退屈さを積極的に享受するかが鍵となるように思う。創造活動に日々従事しながら気づくのは、良き創造というのはある意味退屈さの中からしか生まれないのかもしれないということである。創造をする際には、必ず内省と創造に従事するための心のゆとりのようなものが必要であり、それは退屈さがあってこそ担保されるものなのではないかと思う。その点において、退屈さは一般的な意味の用法で使われているものとは異なる肯定的な意味を帯びる。退屈さというのは、観想的な在り方や余暇と密接に結びついているものなのかもしれない。引き続き、退屈さの現代的な意義と価値について考察を深めていこうと思う。
バーナード·スティグラーは、現代社会が方向性を喪失していることに対して問題意識を持っている。個人の次元で考えてみたときに、過去においてはひょっとしたら、死というものが一人の人間の人生のみならず、行動や価値観の方向性を規定するものであった可能性がある。しかしながら現代においては、死というものの実存的意味が軽くなり、また医療技術の発展によって、死というものが身近なものに感じられにくくなっていることに伴い、死というものが人間にもたらしていたある種の方向付けという機能が弱体化してきているのではないか。そのようなことを考えながら、死というものの意味や死生観を問うということを引き続き行っていきたい。明後日に受け取り予定の川面凡児の全集においても、死生観の論点は必ずあるであろうから、その箇所は丹念に読み解いていかなければならない。フローニンゲン:2022/6/20(月)16:34
8639. 嘆き悲しむこと/しないことの大切さ
深く嘆き悲しむこと。それは、他者性が喪失する現代社会の中において重要な行為のように思える。なぜなら、嘆き悲しむときの自己は他者と寄り添っているからである。自己が他者を認識していなければ、他者の喪失に伴う嘆きの感情は生まれてこないはずである。そうなると、この現代社会において他者性を取り戻すために、嘆きの感情というものに着目する必要があるように思える。
フーコー的な調教社会から達成型の社会に移行するに当たって、超自我の「~してはならない」「~しなければならない」という言葉の働きは弱まり、むしろ努力さえすればなんでもできるという風潮の元、「~できる」という自我の理想に人々は駆り立てられる。努力さえすればなんでも自由に実現できるという幻想の中で人々は、自己を限界まで追い込んで日々を忙しなく生かされている。その結果として燃え尽き症や鬱病を患ってしまう人たちが後を絶たない。そのような現代社会においては、何かができることを重視するのではなく、ビョンチョル·ハンの指摘のように、あえてそれをしない力というものが求められるように思う。何もかもを「できる」という発想のもとに行うから疲弊するのであって、自分が何ができないのかを把握し、それを受け止めた上で、積極的に何かをしないという意識的な選択をしていく必要がこの現代社会にはあるように思える。さもなければ、達成主義的な現代社会の風潮に簡単に飲まれ、私たちは極限まで自分の心身を酷使し、挙げ句の果てには燃え尽き症や鬱病を患ってしまうだろう。
夕方の穏やかな世界の中で、今この瞬間もまた観想的な在り方を味わっている。それは日記を書くことを通じても実現される。ハンが述べるように、観想的な生活と内省的な生活は表裏一体の関係をなしていて、日記を執筆するというのはまさに内省的な実践であり、それを通じて観想的な自己が立ち上がってくる。自分にとっては、絵を描くことや音楽を作ることもまた重要な内省的かつ観想的な実践である。それらの実践をしているときの自己は、大いにその瞬間に寛ぐ。それは魂を休め、養分を与えてくれる。この静かな生活を維持し、それを深めていくこと。個人としてまずはそれを徹底して行い、その中で導き出される社会実践をこの世界に共有していこう。フローニンゲン:2022/6/20(月)20:09
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