No.3730 朝日の光線_Rays of Morning Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1619, A Scent of Fulfilled Time
I’m feeling here and now in the last morning when I stay in Kaunas.
This feeling leaves a scent of fulfilled time.
Kaunas; 07:04, 6/17/2022
No.1620, Peace
I’m just feeling peaceful.
I become the embodiment of peace when I come back to Groningen.
Groningen; 20:14, 6/17/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8625.【カウナス旅行記】旅の終わりに
8626.【カウナス旅行記】旅の終わりに思う次の旅/今朝方の夢
8627.【カウナス旅行記】カウナス国際空港に向かうバスの中から
8628.【カウナス旅行記】区切りを設けること
8625.【カウナス旅行記】旅の終わりに
——人は各種各様の旅をして、結局、自分の持っていたものだけを持って帰る——ゲーテ
時刻は午前6時を迎えた。今日はいよいよオランダに戻る。今回の旅も充実感と共に毎日が1日1日と刻まれて行き、気がつけば旅の最終日となっていた。今回の旅で訪れた全ての場所、出会った全ての人に感謝をしたい。今回の旅を通じて、自分はまた自己の新たな側面を発見したように思う。旅全体を振り返ってみてそのように言えるし、旅のそれぞれの日を振り返ってみてもそのように言える。ゲーテが述べるように、旅というのは本当にその人固有のものなのであり、旅を通じて開示されるもの、そして贈り物として受け取れるものもまた固有なものなのだ。
昨夜の段階ですでに荷造りの大半を終えているので、今朝はゆったりと過ごすことができる。朝食を摂りに午前8時頃にレストランに降りて行き、ホテルのチェックアウトは午前9:15あたりにしようかと思う。ホテルからバス停まではすぐ近くだが、少し余裕を持ってホテルを出発しよう。バスの中でカウナス国際空港までの景色を楽しみ、空港に到着したら速やかにセキュリティーに向かう。昨日、フライトのチェックインの際に、帰りは空港から速やかに移動したいと思ったので、追加料金を支払って、スーツケースを機内持ち込みに変更した。今回利用したWizz Airというのはどうやらハンガリーの格安航空会社らしく、だから標準の機内持ち込みの手荷物が1つしか許されていなかったのである。いつも利用する大半の航空会社は、バッグとスーツケースの両方を機内に持ち込めるため、それに慣れていたので今回は初めての体験となった。このような航空会社もあることを覚えておこう。カウナス国際空港にラウンジがあるのかを調べてみたところ、ビジネスラウンジがあるというWEBページを見つけた一方で、空港の公式サイトの方にはその記述がない。果たしてどちらなのだろうか。アイントホーフェン空港でさえラウンジがあったのだが、リトアニアの第2の都市であるカウナスの空港にもラウンジがあって然るべきだと思うのだがどうなのだろか。それを今回確認したい。仮にラウンジがなければ、空港内のカフェで搭乗までの時間を寛ごうと思う。思えば、行きはビョンチョル·ハンの“The Scent of Time”を読んでいた。帰りの今日は、ハンの“The Agony of Eros”の再読をする。こちらの書籍は昨夜から再読を始め、薄い書籍でもあるから、本書の再読を終えたら、今度はハンの“Topology of Violence”の再読をしようと思う。今日はバス、飛行機、列車と、移動時間が長いので、読書が随分と捗るであろう。朝食までの時間もまた読書に充てたいと思う。旅から戻り、明日からの新しい日々もまた、旅で得られたことと絡めながら読書に勤しみたいと思う。文明に触れる旅を経ての文明学の探究。旅と日常はそのように混じり合い、重なり合う。カウナス:2022/6/17(金)06:24
8626.【カウナス旅行記】旅の終わりに思う次の旅/今朝方の夢
昨日、今回の旅の終わりにあたり、今度は7月の旅に少しばかり意識が向かっていた。フッサールが指摘するように、人間は過去や現在に意識が向かうだけではなく、未来にもまた意識を伸ばす性質があることを改めて思った。7月はスウェーデンに10日ほど滞在するのだが、すでにその出発の日まで1ヶ月を切っている。ここからの1ヶ月で自分はまた変化を経験するだろう。日々のミクロな変化が堆積し、1ヶ月あればメソな変化が自分の中で起こるはずである。このところは自分の内面世界での変化が激しく、それでいてその変化は今の自分にとって無理のないものであり、同時に必要不可欠なものなのだと感じる。ここからの1ヶ月では、今回の旅で得られたことをゆっくり消化し、ゆっくり咀嚼していきたい。それが終わる頃にちょうどスウェーデン旅行が始まる予感がする。
旅の最終日の朝もまた夢を見ていた。夢の中で私は、大学時代のサークルの友人とその先輩が通っていた愛知の名門公立高校に通っていた。ちょうど2人と高校で遭遇し、2人から話を聞いていた。というのも、私はどうやらこの高校に編入して来たらしかったからである。2人はすでにこの高校に通っていたから、この高校の雰囲気や施設について色々と教えてもらおうと思った。この高校は私服で通うことになっていて、生徒全員、どこかお洒落に見えた。もちろんそうでない生徒もいたのだろうが、私の目にはセンスの良い人ばかりに映っていた。先輩と体育館脇の部室で少し話をしていると、話の中でどういうわけか、消費社会に対する自分の問題意識を共有することになった。私は、消費社会への対抗手段となる実践を共有し、単に対抗するだけではなく、併せて消費社会の変容に向けた実践を共有した。すると先輩は笑みを浮かべ、それらの実践はとても重要なものだと述べて、部室からスッと去って行った。今朝方の夢で覚えているのはそれくらいだろうか。いや、そう言えば、この夢の後に、まさに消費社会の象徴であるかのような煌びやかなデパートの中にいて、何を買うわけでもなく、デパートの中に置かれている品や、デパートの中にいる人々の観察をしていた場面があったのを思い出した。確かそこからも夢はまだ続きを持って持続していたように思う。夢の持続。それは記憶の持続と関係しているのだろうか。持続というのは、ベルグソン的な意味においても重要な関心対象としてあり、夢の持続の性質はとりわけ興味深いと改めて思った。その性質についても、これから毎日夢日記を綴る中で考察を深めていきたいと思う。カウナス:2022/6/17(金)06:38
8627.【カウナス旅行記】カウナス国際空港に向かうバスの中から
時刻は午前10時を目前に迎えている。今、カウナス国際空港行きのバスの中にいる。いつも旅先のホテルから空港までは、タクシーを使うまでもなく、電車やバスを利用することが多い。ちょうど先ほどまでいたバス停は公園の前であり、バスを待っている間に公園の木々を眺めたり、爽やかな空気を吸うことができたりと、タクシーを使って空港まで直接行ってしまうと味わえない体験をした。もちろん、ホテルからの交通の便が悪い場合にはタクシーを使わざるを得ないが、その街の市民が利用している公共交通機関を利用することによって、その街の意外な表情を見ることができる。今後の旅においてもそうしたことをできるだけ味わいたい。もちろん、家族がいればより効率的にタクシーを利用して空港まで行った方が便利かもしれないが、当面は今の旅のスタイルを踏襲したい。
さて、今夜からファスティングを行う。旅から帰ってくる都度、数日間のファスティングを行うのが日課である。今回のファスティングをどれだけ行うかは未定だが、3日から4日は最低限行いたい。幸いにも滞在中は蕁麻疹が出ることはなく、色々検証した結果、おそらく朝に飲んでいたヨーグルトが原因かもしれないと思った。なので今後は朝のヨーグルトは控え、小麦若葉と大麦若葉をブレンドした青汁だけ飲もうと思う。今回のファスティング後の食事は、毎日同じ物を食べるのではなく、日々できるだけ変化を付けたい。毎日同じものを食べ続けていると、体に抗体ができて、食物アレルギーを誘発してしまうことを知ったからである。今回の旅は、食生活に関して思わぬことに気づかせてくれた。
予定では、今日は午後6時ぐらいにフローニンゲンの自宅に到着できる。自宅に到着したら、換気をし、部屋に掃除機をかけようと思う。簡単に荷解きを済ませ、明日からは早速日常生活を営めるようにしたい。無事にオットー·ラスキー博士をお招きするプログラムが実現することになったので、そのプログラムの事前課題に資する音声ファイルを作っておきたい。音声ファイルの構成と内容に関しては、すでに協働者の方々から出していただいているので、それを参考に明日明後日の土日に集中的に音声ファイルを作っていきたい。週末の2日間で完成しない可能性もあるので、週末の勢いのまま、月曜日や火曜日にも音声ファイルの作成に力を入れたいと思う。もう間も無くカウナス国際空港に到着する。行きはすぐに空港から外に出て来たので、空港内をゆっくり散策するのが今から楽しみだ。そこで目に映る光景もまた、今回の旅の記憶の1ページに刻まれる。カウナス国際空港に向かうバスの中:2022/6/17(金)10:08
8628.【カウナス旅行記】区切りを設けること
今、無事にオランダに戻って来て、ユトレヒトからフローニンゲンに向かう列車の中にいる。際限のない成長や達成に向けて駆り立てる現代社会の中にあって、何かに区切りを自ら付けることの大切さを思う。人は区切りを付けないから——付けられないから——、際限のない駆り立てに巻き込まれるのである。現代人は絶えず走って回転するハムスターであるだけではなく、自分自身がその歯車であることにほとんどの場合気づけていない。つまり現代人は、果てしない駆り立ての主体であると同時にその仕組みそのものでもあるのだ。今、今回の旅を自ら区切りを付けようとしている自分がいるのもそのような問題意識があるからだ。終わりを設けること。終わりというものが溶解してしまっている現代において、自らそれを設定することの大切さを思う。
今日のオランダはとても気温が高い。アイントホーフェンに到着した頃には30度もあった。空港に到着した時にもすでに暑さがあり、みんな半袖になって移動していた。アイントホーフェン中央駅からユトレヒト駅に来るまでの列車は冷房が効いていて、夏のそれに思えた。今乗車しているフローニンゲン行きの列車は、目的地がオランダ北部のフローニンゲンだから冷房は効いていない。むしろユトレヒト行きの列車の冷房が効きすぎていたので、冷房が効いていない今の列車の方が体に良く、過ごしやすい。車窓から見える景色はとても穏やかで、リトアニアで見ていた景色とはまた違う。こうしたところにも文化差を見出すことができる。一方で、人々の心に余裕のあるオランダでさえも、列車の中ではスマホと睨めっこをしている人が圧倒的多数である。自分のように本を読んで過ごす人は少数であり、今はパソコンを打ってこの日記を書いているが、パソコンを広げている人も意外と少数である。スマホのスクロールに没入し、スマホからフィードバックされる情報に意識がハイジャックされている人たちを見ていると、テクノロジー社会の病理の深さを思う。この問題については、また今から読み進めていくビョンチョル·ハンの書籍の読解を通じて、病理の構造のより詳細な分析をしていきたいと思う。今朝から今にかけて、今日は自分とハンの書籍を読み進めることができた。今夜は自宅に帰ってもまだ時間があるので、引き続きハンの書籍を読み進めていこう。フローニンゲンに向かう列車の中:2022/6/17(金)17:36
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