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8614-8619: カウナスからの便り 2022年6月15日(水)



No.3726 宇宙の透過_Penetration of the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1611, A Gentle Bell Sound

A gentle bell sound reverberated around the surroundings.

My DNA resonated with the sound very much.

Kaunas; 10:54, 6/15/2022

No.1612, Eros & Transcendence

Eroticism is closely linked with transcendentalism.

We have to value both Eros and transcendence simultaneously.

Kaunas Picture Gallery; 14:46, 6/15/2022

No.1613, Inside and Universality

Going deeper inside ourselves is key to finding universality.

We are an intrinsically universal being.

Kaunas Picture Gallery; 14:49, 6/15/2022


No.1614, To Be a Great Artist

Constantly experimenting something new is the main dish to be a grain artist.

The number of failures represents how great the artist is.

Kaunas Picture Gallery; 15:12, 6/15/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8614.【カウナス旅行記】カウナス滞在3日目の観光計画/今朝方の夢

8615.【カウナス旅行記】朝の1杯のコーヒーから

8616.【カウナス旅行記】悪魔博物館を訪れた記憶から/無限と創造

8617.【カウナス旅行記】アルヴォ·ペルトのティンティナブリ様式/今朝方の夢の続き

8618.【カウナス旅行記】杉原千畝記念館とリトアニア教育歴史博物館を訪れて

8619.【カウナス旅行記】マリーナ·アブラモヴィッチの芸術世界に触れて


8614.【カウナス旅行記】カウナス滞在3日目の観光計画/今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。今、穏やかなカウナスの朝の世界が広がっている。カウナス滞在の3日目が始まった。天気予報を確認すると、滞在3日目の今日も天気がなんとか持つようだ。ひょっとしたら観光から帰ってくる時に小雨が降るかもしれないので、今日も念のために折り畳み傘を持参しようと思う。滞在3日目の今日は、3箇所巡りたいと思う。具体的には、後ほどゆっくりと朝食を摂った後に、杉原千畝記念館に行く。ここもまた、昨日訪れた国立チュルリョーニス美術館と同様に、今回のカウナス旅行の目玉の1つであり、第二次世界大戦中に杉原千畝がここでかの有名な命をビザを発行した。杉原千畝の功績とここでの暮らしぶりに関する歴史を知りにこの記念館を訪れる。その後、カウナスのホテルに到着して、受付でもらった地図を何気なく眺めている時に見つけたリトアニア教育歴史博物館に足を運ぶ。世界各国の教育に関心のある自分としては、リトアニアの教育がどのような歴史を経て今に至るのかを知る良い機会かと思う。当初の予定では、その後にカウナスの街の西の方にあるカウナス写真ギャラリーに訪れようと思っていたが、地図を眺めると、リトアニア教育歴史博物館から近いKaunas Picture Galleryに足を運びたいと思った。ここは、昨日訪れた国立チュルリョーニス美術館の分館らしく、現代アートの作品が所蔵されているとのことである。今日はこの3箇所をゆっくり見学して、帰り道にまた行きつけになった大型スーパーに立ち寄って、今夜の夕食を購入したいと思う。今日の観光計画はそのような感じである。


今朝方はいくつか夢を見ていた。最初の夢の中で私は、小学校6年生の時にお世話になっていた担任の先生と権力に関して意見交換をしていた。夢の中の私は今の姿で、先生はもう自分を立派な大人だとみなしてくれていて、同じ目線で話をしていた。先生は今は母校の小学校の校長をしていて、学校のより良い運営に関して自分から意見を聞きたいそうだった。その時に話題として挙がったのが権力というテーマだった。学校の先生と権力というのはテーマとして結びつきやすく、ミシェル·フーコーの思想的枠組みを参考にしながら、教育と権力について思うことを出し惜しみなく先生に共有した。先生は終始笑顔でありながら、同時に真剣に私の話に耳を傾けてくれていて、私の方から全て話し終えると、お礼を述べてどこかに消えてしまった。そのような夢の場面があった。


次に見ていたのは、高校時代のサッカー部の友人たちと一緒に買い物に出かけていた場面だ。地元に似た雰囲気を持ちながらも、地元よりも賑やかな街に繰り出し、そこのアパレルショップをはしごしながら、何か目星の品はないかとショッピングを楽しんでいた。あるアパレルショップに入った時に、親友の1人(NK)が柄にもなく、ネックレスが欲しいと言い始めた。私はそれに少し驚き、なんと言葉を掛けたらいいのかわからず一瞬躊躇した。そして、彼は目の前にあったネックレスから1つを選んで首にかけ、似合うかどうかを自分に尋ねてきたのである。正直なところ、お世辞にもそれは彼に似合っていなかったのだが、それを素直に伝えるのではなく、少し言葉を濁してやんわりと伝えた。ところが彼はそのネックレスを気に入っているようで、もう購入の決意は揺らがないようであった。それに加えて彼は自分にもネックレスを勧めてきて、その勧めを即座に断ることをせず、一応自分も首にネックレスを巻いてみた。だが、やはり自分はネックレスを首に巻く気にならず、購入することを控えた。そのような夢の場面もまた印象に残っている。カウナス:2022/6/15(水)08:06


8615.【カウナス旅行記】朝の1杯のコーヒーから


午前8時を迎えた頃、少しコーヒーが欲しい時間になったので、1階のレストランに降りていき、エスプレッソとブラックコーヒーをブレンドしたものをカップに入れて、自室に戻ってきた。今朝は朝日が顔を覗かせていて、優しい朝日がレストラン全体に降り注いでいて、とても幸福な気持ちに包まれた。一見すると何の変哲のない光景かもしれないが、こうした光景に遭遇するたびに自分は至福さを感じる。自己という存在は、至福さを受容する器になっていて、至福さが体現された光景を目の当たりにすると、全身がもう幸福感に包まれてしまうのである。自室に戻ってくる時にも少しコーヒーをすすっていて、その深い味わいに思わず舌鼓を打った。コーヒーの香ばしい香りと深い味にもまた至福さが喚起されたのである。前回滞在したヴィリニュスもそうだが、カウナスを含めて、自分はリトアニアという国にとても肯定的な感情を抱いているようだ。その感情の出どころは、リトアニアに体現されているものが自分の魂に共鳴していることと関係がありそうだ。昨日、観光の帰りに偶然目にした不動産屋の前で足を止め、ガラス窓に掲載されていた物件情報を食い入るように眺めていた。これは世界各国どこに行っても行う習慣の1つのようなものであり、その土地の不動産価格を知り、そこでの生活に思いを馳せることを必ず行っている。カウナスの不動産価格はやはり安く、かなりお手頃な値段でモダンな家に住めてしまうことがわかった。少し先のことになるだろうが、欧州のどこかの国のどこかの街で家かマンションを購入しようと考えていて、今はおそらくそのための準備を無意識的に行っているのだろう。


そう言えば、フローニンゲンを出発した朝に、自宅の目の前でオーナーのフレディさんと遭遇し、そこで立ち話をしていた時の記憶が蘇ってきた。そこで今回もまたリトアニアに行くことを伝えると、フレディさんからアルヴォ·ペルト(1935-)という作曲家について教えてもらった。アイントホーフェン滞在中に調べてみると、ペルトはどうやらリトアニア出身ではなく、エストニア出身のようだったが、せっかく教えてもらった作曲家なので、彼の作品も聞いてみようと思ったことをふと思い出した。早速ペルトの曲を調べて聞いてみると、現代音楽の難解な響きはほとんどなく、とても心地良い音の流れがやって来たので驚いた。この感想をぜひ今度フレディさんに伝えよう。先日エストニアに訪れた際に購入した楽譜の中で、ペルトの作品がなかったかを確かめてみたい。そう思った矢先に思い出したのは、“Arvo Pärt”という名前を確かに目にしたという記憶である。しかし残念ながら、その時は何らかの理由でペルトの楽譜を購入しなかったように思う。ピアノソロの楽譜がなく、ヴァイオリン協奏曲の楽譜しか置いてなかった何かそのような理由だったように思う。旅を媒介として、色々な偶発的な出会いがあり、それが思わぬ形で自分の内側で連結し、さらなる新しい出会いを招き寄せるという現象が起きていることがとても興味深い。これはまた旅の醍醐味の1つだと言えるだろう。カウナス:2022/6/15(水)08:37


8616.【カウナス旅行記】悪魔博物館を訪れた記憶から/無限と創造


——人間は一に無限に向かって創造されている——パスカル


この日記を書き留め、作曲実践を少し行ってからレストランに再び降りて行き、朝食をいただこうと思う。旅の最中においては、朝食をしっかり摂り、昼食は摂らない形で精力的に観光を楽しむというのがいつものスタイルである。今日もまた腹八分程度にしっかりと朝食を摂ろう。


昨日は、国立チュルリョーニス美術館以外にも、そこと目と鼻の先にある悪魔博物館に足を運んでいた。この博物館には、北欧、西欧、東欧、南欧、アジア、南米の悪魔に関する展示物が充実していて、2階から4階まで世界の悪魔がどのような形で表現されているのかを知ることができる。興味深いのは、当然ながらそれぞれの国における悪魔の表現のされ方には文化差があるのだが、同時にそれらが持っている質感は全て共通しているのである。このあたりにも人間の無意識の普遍性を見る。集合的に人間の悪の側面は共通基盤を有していて、それが表現物の形で表出した時には、当然ながら表層における文化差が見られながらも、揺るぎない共通性を見出すことができる。悪魔は人間存在の本質とつながっていて、さらには死ともつながっているように思われるため、それゆえに表現物の中に共通性を見出すことができるのかもしれない。世界各国を旅しながら、やはり同様のことが感じられる。すなわち、そこで目にするものは、当然ながら文化的な差異を内包していながら、同時に普遍的な何かも内包していると感じられるのである。差異性と共通性を感じ取る感性のようなものが自分の中でますます育まれている。今は文化的なものに関する話しかしていないが、対面する人に関しても同様に、そこに自分との差異性と共通性を感じ取ることができる。こうした感覚的変化は興味深く、さらなる観察と考察をしてみたいと思う。


それにしても、アルヴォ·ペルトのピアノ曲の音色はなんと美しいことだろうか。エストニア出身のこの作曲家について教えてくれたフレディさんには感謝したい。今回の旅を通じて、改めてパスカルが述べるように、無限に向かう形で絶え間ない創造を続ける人間存在に眼差しが向かう。とりわけ芸術家が弛まぬ形で創造活動に打ち込み、創造のある極ないしは次元に達した時、そこで開示される表現世界に私たちは無限を垣間見る。それは視覚的なものかもしれないし、聴覚的なものかもしれない。はたまた、無限を感じるというように触覚的なものかもしれない。さらには、香りを通じて嗅覚的に無限と出会うこともあり得る。無限なるものへの関心がますます募る。無限なるものへ憧憬の念を持つのもまた、自己が有限な存在であるということと関係しているかもしれない。だが有限な自己は無限に向かう形での研鑽を通じて、自己の何かしらの側面はきっと、いつか無限を体現するのだと思う。カウナス:2022/6/15(水)08:57


8617.【カウナス旅行記】アルヴォ·ペルトのティンティナブリ様式/今朝方の夢の続き


今、近くの教会から鐘の音が響き渡って来た。その美しい音色に耳を傾けている。鐘の音が響き渡ることを止めると、再びアルヴォ·ペルトの音楽に帰って来た。ペルトは教会音楽に精通しており、「ティンティナブリ様式」という表現形式を考案したことでも知られている。この形式は大変興味深く、まさに先ほど聴いた鐘の音を彷彿させるかのように、鐘の音が拡散する姿に着想を得て、シンプルな和音を一つの鐘のように響かせる作曲技法である。静謐でありながら、同時に原初的な懐かしさを感じさせる素晴らしい音色をペルトは作り上げていることに感銘を受ける。この様式は自分の作曲実践においても何か参考になりそうだ。


幸いにも、今は空が晴れ渡っており、カウナスの上空に澄み渡る青空が広がっている。先ほどは、そんな青空を眺めながら朝食を楽しんでいた。朝食を摂りながら、今朝方の夢の続きについて思い出していた。夢の中で私は、中学校時代のバスケ部の先輩とゲームセンターで出会し、立ち話をしていた。その前に、そもそも私はゲームセンターにはゲームをしに来たのではなく、そこで売られている最新のゲーム機とあるゲームの攻略本を購入しに来たのであった。ゲームセンターには友人の妹と一緒に訪れた。彼女はゲームにとても詳しかったので、色々と話を聞きながらゲーム機を吟味しようと思ったのである。一応最初からどのゲーム機を購入するかの目星を付けていたのだが、彼女から思わぬ意見を聞けるかもしれないと思い、その内容次第によっては購入するゲーム機を変更しようと思っていた。ゲームセンターのゲーム機売り場であれこれ商品を吟味していると、バスケ部の先輩が現れ、私に声を掛けて来た。先輩は自分がゲームセンターのような場所にいることを意外に思っているらしかった。おそらく先輩の中で私は優等生であり、こんな場所で油を売ることなどないと思っていたのだろう。先輩は少し皮肉めいたことを述べ、それに対して私は、「ゲームについてあれこれ調べ、実際にゲームをすることもまたテクノロジー哲学の探究の一環ですよ」と述べた。すると先輩は、テクノロジー哲学という言葉にたじろいで、無言でその場を去っていった。そこから私は、友人の妹と一緒に、あるゲーム機の最新のものを求めて、再び色々と商品を吟味していった。そのような夢を見ていたのを思い出す。最終的にこの夢では、目星のゲーム機を発見することができ、その喜びに浸っていたのを覚えている。カウナスの旅の中でこのような夢を見たわけだが、旅とこの夢のシンボルを重ね合わせてみると、どのようなことが言えそうかをまた考えてみよう。カウナス:2022/6/15(水)10:29


8618.【カウナス旅行記】杉原千畝記念館とリトアニア教育歴史博物館を訪れて


時刻は午後4時半を迎えようとしている。今日は幸いにも天気予報が裏切られる形で、朝からここまでの時間帯は天気に恵まれ、太陽の光を浴びながら観光ができた。朝食を摂ってしばらくしてから、まずは杉原千畝記念館に向かった。ホテルからこの記念館までの道のりはとても清々しく、特に途中で横切った公園は緑が豊かで、そよ風に揺らぐ木々の葉の音が耳に大変心地良かった。記念館のある辺りは落ち着いた住宅地で、閑静な雰囲気を発していた。記念館に到着して受付でチケットを購入すると、係員の女性が日本語で話し掛けて来たので驚いた。その女性はカウナス大学で日本語を専攻していたらしく、過去には同志社大学に留学していたらしかった。だから日本語が流暢なのだと合点がいった。彼女の案内で2階に上がり、そこで20分ほどのドキュメンタリーを見た。改めて杉原千畝が行ったことの意味について知る形となり、特に彼が規則や法律の奴隷になるのではなく、自らの信仰心に基づいて意思決定を行い、およそ6千人のユダヤ人を救う形となった「命のビザ」の発行に踏み切った姿はとても印象的だった。杉原千畝は理性を超えて、何か宗教的な感覚を携えていたのではないかと思われる点にとても共感したことを覚えている。実際にビザを発行していた執務室や、実際に領事館に駆けつけたユダヤ人が並んでいた通りに佇んでみると、しばし言葉を失い、黙想的な気持ちになった。それはとても静かな感覚で、特殊な重みを持ったものだった。自らの信念と正義心を貫き通し、カウナスを去る列車の中でもビザを発行し続けた杉原千畝の姿が脳裏に浮かび、どこか姿勢を正される思いになった。この記念館を訪れることは、今回のカウナス旅行の最大の目的の1つであり、ここを訪れることができて本当に良かったと思う。


次に訪れたのは、リトアニア教育歴史博物館である。ここでは、無料のツアーガイドの案内に従って、展示品を見て回った。ツアーガイドの女性は、ロシアとウクライナの戦争によって3ヶ月前にウクライナからやって来たウクライナ人の方だった。彼女はあまり英語が堪能ではないということで、しばしばGoogle翻訳の力を借りて、英語で館内の展示物の説明を聞く形となった。この博物館内で印象に残っているのは、中世からのリトアニアの教育に関する展示品や、リトアニアにおけるモンテッソーリ教育に関する展示品である。展示品の中には体験型のものもあり、当時使われていた万年筆や鳥の羽の筆ペンを使ってみることができたり、当時のタイプライターを実際に打ってみたり、モールス信号を打ってみたりすることなどができた。ガイドの女性は気さくな方だったので、色々な話をしながらこの博物館を楽しむことができた。彼女の説明によると、リトアニア語の文法は複雑らしく、男性と女性、人数によって名詞や動詞の形が変化するそうだった。そのような話を聞きながら、現在のリトアニア人はもはやロシア語を理解することは難しく、外国語としてはロシア語ではなく英語が学校で教えられているという話を聞いた。リトアニアは1991年まで旧ソ連の支配下に置かれていて、自分よりも少し年齢が上の世代まではロシア語が理解できたらしい。旧ソ連占領下においてはリトアニア語が禁止となっていたという話を聞いた時、母国語が禁止されるというのは一体どのような心理的·実存的影響を当時のリトアニア人に与えたのだろうかと考えざるを得なかった。カウナス:2022/6/15(水)16:45


8619.【カウナス旅行記】マリーナ·アブラモヴィッチの芸術世界に触れて


時刻は午後5時半を迎えようとしている。少し上空に陰りが見え始め、これから雨が降るかもしれない。今日は、リトアニア教育歴史博物館を訪れた後、国立チュルリョーニス美術館の分館であるKaunas Picture Galleryに足を運んだ。ここで、旧ユーゴスラビア出身の女性芸術家マリーナ·アブラモヴィッチ(1946-)の特別展示“Memory of Being”を鑑賞した。この芸術家については事前知識が一切なく、最初1階の展示物を見た時に、非常に斬新な表現をしていて、彼女が表現したいことをすぐには掴むことができなかった。そこから上の階に移動して展示物の続きを見て行ったが、それでも彼女の作品を理解することが難しかった。ところが、彼女が残した詩が廊下の壁に展示されていて、それらを全て読んだときに、彼女の世界観に大きな関心が湧き、同時に深い共感の念を持った。それは文明学の観点からも重要な洞察を含んでいたのである。そこから彼女の作品をもう一度眺めようと思って、再度1階に降り、再び2階の作品を見て回った。芸術作品というのは面白いもので、初見で理解できなかったことも、繰り返し作品と触れてみることによって理解ができるようになることがある。わずか短時間の間に自分の中で変化が起こったことを実感しながら、今度はアブラモビッチの英語でのインタビュー動画を視聴し、それを通じて彼女の人柄を含めたより全体的な理解が促進された。ドイツの思想家のビョンチョル·ハンは、エロスと他者性に関する興味深い論考を残していて、アブラモビッチの作品の中でもエロスを取り上げたものがあり、分野は違えど、2人の思想を架橋させる形で、エロスと超越性、そして文明の病に対するエロスの回復について自分なりに考えていた。この美術館はアブラモビッチの作品しか展示されておらず、時間にしたらそれほど長くはなかったが、濃密な鑑賞体験をさせてもらったように思う。今夜はまだ時間があるので、先日アイントホーフェンのファン·アッベ美術館を訪れた時に購入した書籍の初読を進めていきたいと思う。いよいよ明日が実質上最後の観光の日となる。明日もまた充実した旅の時間を過ごしたいと思う。カウナス:2022/6/15(水)17:36

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