No.3710 知覚の宇宙_The Universe of Perception
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1582, Silence and Calmness
Silence and calmness cultivate my humanity.
They enrich my life and satisfy my existential and spiritual needs.
All I want is just silence and calmness.
Groningen; 10:14, 6/6/2022
No.1583, Protecting and Nurturing My Own Unique Time
I protect and nurture my own unique time as possible as I can.
In this neoliberal society, time is being standardized with increasing speed.
I rebel against the tendency, enriching my unique time and discovering sacred time still remained in arts and nature.
Groningen; 11:14, 6/6/2022
No.1584, Beauty in the Transparent Society
The society becomes more and more transparent.
Beauty always needs a veil to shine and manifest itself.
Thus, the transparent society must not be beautiful.
I’m worried that authentic beauty would vanish and that distorted beauty would be rampant.
Groningen; 11:29, 6/6/2022
No.1585, Modern Capitalism and I
Modern capitalism dislikes silence and loves stimuli.
I do the opposite.
Groningen; 16:20, 6/6/2022
No.1586, Transcendental Injury
Modern people obsessively try to avoid injuries.
But I want a transcendental injury from the bottom of my heart.
It only facilitates my spiritual development.
Groningen; 16:43, 6/6/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8570. 今朝方の夢
8571. 今朝方の夢の続き
8572. 静かさと穏やかさ/今朝方の夢の続き
8573. 聖なるものの喪失の危機に直面している現代における時間の中で
8574. 静寂と刺激/隠れたアジェンダに着目すること
8570. 今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。昨夜は雨に見舞われ、今も空にはうっすらとした雨雲がかかっている。どうやら今日は、正午過ぎに強い雨に見舞われ、そこから夜にかけて雨が降り続けるようだ。今日から木曜日までは少し天気が崩れがちであり、1日のどこかで必ず雨が降るようだ。幸いにも、旅行に出かける金曜日の日からは晴れるようなので、今回もまた良い天気の中で旅が行えることに感謝したい。週末のフローニンゲンは天気が良さそうなので、アイントホーフェンも同じく天気が良いだろうと思って調べてみると、日曜日が若干雨が降るかもしれないとのことだが、小雨ぐらいであれば観光に支障はないだろう。
今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、欧州のどこかの街にいた。そこは観光名所のようであり、市内は賑わっていた。そう言えば、この街にやって来る前に、追っ手から逃げるようにして、随分と古びた列車に乗ってこの街にやって来たことを思い出した。列車がそもそも第二次世界大戦ぐらいで使われていたような貨物列車だった。列車に乗りながら、辺りの雰囲気と相まって、強制収容所に送られる輸送列車のように思えてしまったことを覚えている。自分は誰かから逃げようとしていた。相手は1人ではなく、組織立っていて、複数人の追っ手から懸命に逃げようとしていた。私の横には小中学校時代の友人(MS)がいて、彼と一緒に追っ手から逃げていた。列車が向かっているのは目的地の中央駅だが、そこは大きな駅であり、そこで検問をかけられることが想定されたので、その前の駅でこっそり降りて、自らの足で目的地に向かおうと友人と話した。1駅ぐらいであれば、歩いても問題ない距離だったので、彼も同意し、そこからは息を潜めるようにして列車の人目につかないところに潜伏していた。列車がゆっくりと駅に近づこうとしていると、その隣の線路に別の貨物列車がゆっくりとこちらの列車を追い越して行った。その時に、こちらの列車に乗っている兵隊のような追っ手たちの姿が見え、私と友人はサッと身を隠した。そこでは何事もなく、追い越した列車は静かに遠方に消えて行った。いざ小さな駅に到着した時、私はすぐに先頭車両から外に出た。先頭車両には運転手はおらず、その車両の先端は外とつながっていたので、そこから脱出できたのである。私たちはすぐに駅舎に駆け込み、列車から追ってが来ないかを確認した。すると幸いにも、追っ手は来ず、そこから私たちは宿泊予定のホテルに向かうことにした。スマホの地図を確認しようとしたら、Wifiがつながっておらず、地図がうまく機能しなかった。そのため、私は頭の中で地図を思い出し、その駅からホテルまでの道のりを想像した。有り難いことに、そこからホテルまでは遠くなかったので、なんとかなるだろうと思った。友人と一緒にしばらく歩いていると、ホテルに無事に到着した。すると突然、時間軸が変化し、翌朝になっていた。朝食の時間までまだ時間があったので、部屋で備え付けのコーヒーでも飲もうかと思った。すると、扉をノックする音が聞こえ、ハウスキーパーがやって来た。ハウスキーパーの女性はアジア系で、身長がとても高かかった。私は、ベッドメイキングや掃除の必要はないので、ネスプレッソのコーヒーのレフィルを1つ持って来て欲しいとお願いした。お願いをした後に、1つだけではなくて、明日の朝の分を含めて、少なくとも2つお願いしておけばよかったと思った。すると彼女はすぐにレフィルを持って来てくれたが、嬉しいことに、随分とたくさんのレフィルを持って来てくれた。いろいろな味のレフィルを袋に詰めて持って来てくれたのである。私はそれに感謝し、部屋に戻ってコーヒーを味わおうと思った。コーヒーを飲みながら、今日の計画を練っていると、夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/6/6(月)06:59
8571. 今朝方の夢の続き
朝の風に新緑の木々の葉が揺れている。今朝は朝日を拝むことができないが、朝の穏やかさは変わらない。木々の葉の揺れは脳に心地良く、葉の揺れを眺めていると、脳波が自然と落ち着くようだ。そんなリラックス効果がある。自分の周りにある自然は、いつも自分を癒してくれている。癒しを享受するだけではなくて、その返礼として必ず自然を癒すこともしなければならない。現在進めている文明学の探究は、当然ながら自然の保護と癒しにもつながるものである。今日もまた、ビョンチョル·ハンの書籍を旺盛に読み進めていこうと思う。ハンの書籍を精読していると、本当に考えさせられることが多く、今後の研究でハンの仕事を参考にすることが度々あるであろうことが容易に想像される。今日もゆっくりと書籍を読み進めながら、自分なりの考えを醸成していきたい。その過程の中で、文明の病理に対する個人で実践できる処方箋を考えていき、それらを自分に適用する形で実験をしてみる。そうした積み重ねの中で、徐々に集合的な、すなわち社会的な処方箋を考えていくことに繋げていこうと思う。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがある。欧州のとある街のホテルに宿泊していた際に、小学校時代の恩師と出会った。ホテルの会議室で、ある友人(TM)と一緒に、次回のセミナーの利益の分配率について話し合っていると、そこに先生がやって来たのである。先生は、私たちの話し合いに口出しをすることはなく、優しい顔を浮かべて黙って私たちを見守っていた。そのような中、友人が私たちの利益率は、ある先生によって搾取され、不平等であると指摘した。そのある先生とは、高校時代の家庭科の先生で、先生が不当に私たちの利益を搾取しているので、その点を訴え、分配率を変更してもらおうと友人が述べた。私はその指摘を受けるまで、自分たちの利益率が不当に搾取されているとは気づかず、よくよく分配率を眺めてみると、確かに友人が述べるように、私たちの分配率は不当に搾取されていることがわかった。そこで私たちは、家庭科の先生に交渉に行く前に、私たちの方で交渉の進め方と落とし所を確認した。そこで突然、これまで何も口出しをしてこなかった恩師の先生が口を開いた。友人の分配率を上げることがとりあえずの落とし所となったが、それだと次回のセミナーで一番貢献する自分の取り分が圧迫されてしまうと先生は述べたのだ。私は最初、それでも構わないと思った。というのも、そもそも私たち2人の利益が不当に搾取されていた問題を解決できれば良いのであって、その後、友人と私の間の利益差が埋まっても問題ないと思ったのである。そのように思ったのだが、よくよく考えてみると、確かに次回のセミナーでは友人はほとんど何もせず、自分がかなりの部分貢献しないといけないので、その落とし所だと、逆に新たな問題が浮上しそうだと思った。友人は結構したたかな面があるなと思ったが、自分としては最初の考えを踏襲する形で、仮に自分の分配率が下がっても、先生からの不当な搾取が解消されればそれでいいと思った。また私には別のセミナーもあり、そちらで十分な利益が得られると思ったので、今回は友人の案を採用する形で家庭科の先生と交渉しようと思った。フローニンゲン:2022/6/6(月)07:14
8572. 静かさと穏やかさ/今朝方の夢の続き
静かさと穏やかさ。それらは自分の実存的·霊的欲求を優しく満たしてくれている。静けさと穏やかさ以外に何も必要ないかのような在り方を確固たるものとしたいものである。先ほどまで、いつものようにELSAを用いて英語の発話能力の鍛錬をした後に、ビョンチョル·ハンの書籍を読み進めていた。一言一句ゆっくりとハンの言葉を味わいながら読み進めているので時間はかかるが、ハンの書籍に関してはこの読み方を継続したい。ハンは韓国生まれで成人期の前半までソウルにいたが、そこからドイツに移住した。その時のハンは、何か天啓に打たれ、それに従う形で、ドイツ語など全く話せないところからドイツでの生活を始めた。ドイツにやって来る前に、ハンは冶金学という鉱石から金属を取り出す学問を探究していたのだが、突如として、ドイツ文学、ドイツ哲学、そしてドイツにおける神学を学びたいと志すようになった。彼がどのようにしてドイツ語を習得していったのかの過程もそうだし、ドイツ社会への適応に関する過程もまた、自分のこれまでの歩みと重ね合わせる形で非常に共感するものがある。ハンはすでに韓国籍を放棄しており、現在はドイツ国籍を取得し、ドイツ人に帰化している。アイデンティティを取り巻く彼の苦悩や格闘も書物の文字の背後に見え隠れしており、自分は帰化はしていないものの、母国を長く離れて生活する外国人としての自己のアイデンティティに関する問題は常に心のどこかにあるものであるがゆえに、ハンのアイデンティティを取り巻く問題意識にも強く共鳴する。ここからも引き続き、共感的な形でまずはハンの書物に触れていこう。建設的な批判精神も絶えず持ち合わせているが、まずはハンの思想世界に没入するところから出発する。
この時間帯になって、今朝方の夢の続きを思い出した。早朝に書き留めていた夢として、欧州の街のホテルに宿泊していたものがあった。その夢の続きとしては、ホテルの廊下が突如として、実際に通っていた高校の廊下に変化した場面があった。同じ高校ではないが、小中学校時代に仲の良かったある友人(MS)が、高校の家庭科の先生に詰め寄られている姿を目撃した。私は何が起こっているのかを確かめるために、そっとその場に近づき、廊下の影から2人のやり取りを聞いていた。すると、先生が相当に横暴な態度で彼に接していたので、彼のことがいたたまれなくなった。先生の主張はどれも理不尽であり、自分であれば必ず反論するようなものばかりだったが、友人は優しい性格をしていたので、先生に言い返すことができないようだった。私はそれを見かねて、廊下の物陰から姿を現し、先生に詰め寄った。すると、先生は少したじろいだが、負けじと自分の主張を続けた。埒が明かないと思った私は、他の先生や生徒に聞こえるように、大きな声で先生の主張の横暴さと理不尽さを指摘した。すると先生は、さすがにそれ以上は何も言えず、その場を去った。私は友人に微笑み、友人も微笑み返した。何か嵐が過ぎ去ったような静かさと穏やかさがその場に漂っていた。フローニンゲン:2022/6/6(月)10:31
8573. 聖なるものの喪失の危機に直面している現代における時間の中で
現代社会においては、全ての時間が労働時間に紐づく形で、時間の画一化現象が起きている。余暇でさえも、より効率的で、より生産的な労働を見据えたものに成り下がってしまっていて、余暇を余暇そのものとして楽しむというよりも、余暇でさえもが効率的·生産的に過ごすべきものに成り下がってしまっている。ビョンチョル·ハンもまた、現代の時間は全て労働時間の形で搾取されていると指摘し、そこには非日常性を感じさせてくれる祭りの時間というものが消失していると解く。確かに現代においても、祭りというイベントは存在しているが、それを主宰する者もそこに参加する者も、かつての豊かな祭りの時間を感じることは難しくなっており、祭りもまた労働時間の犠牲者になっている側面が窺える。どの宗教も祭りや儀式を持っており、神道もまた例外ではない。神道が持っている祭りや儀式の本来の意義を再度確認し、現代文明の病理的な時間感覚に、それらの祭りや儀式がどのような治癒的効果や対抗作用をもたらしうるのかを考察していこう。この問題は、現代社会の進行する世俗化と密接な繋がりを持っている。端的には、現代社会からどんどん聖なるものが失われていき、人々が聖なるものを感じる感性も劣化し、聖なるものと触れる機会も消失の一途を辿っている。本来祭りは、世俗的な労働の時間とは一線を画す聖なる時間に包まれたものだったが、現代においては、祭りの聖性も随分と毀損してしまっているように思える。聖なるものの復権というのは、自分の中でも大きなテーマである。
このテーマにおいては、やはり時間の性質を考察していく必要がある。その哲学的な側面だけではなく、社会学的な側面も重要なポイントだ。時間というものがこうも画一化され、搾取の対象になっている姿を見ると、個人の時間に関する権利を主張する必要性も生まれているのではないかと思うほどだ。現在においては「時間権」なるものは存在しないが、そうでもしないと、個人の固有の時間を守り、育むことは難しいぐらいに、新自由主義的な時間の標準化·平準化及び暴力的な搾取が進行しているのである。そのようなことを考えながら、個人でできる小さな対抗手段として、かろうじて現存している画一化されていない豊かな時間の層にアクセスするということが方法としてある。例えば、自然と触れ合うことであったり、音楽などの固有の時間を持つ芸術鑑賞や芸術実践に打ち込むのでも良し、とにかく資本増大に直接結びつかないような実践の内側に流れている時間を体験していくことが、画一化された時間への免疫獲得に繋がるのではないかと思う。風に揺られる木々を眺めることや、今耳に聴こえてくる箏曲の調べなど、それらは資本増大計画に搾取された画一的な時間とは質的に異なる時間を持っている。フローニンゲン:2022/6/6(月)11:09
8574. 静寂と刺激/隠れたアジェンダに着目すること
時刻は午後5時を迎えた。天気予報の通り、午後から強い雨が降り続け、今雨音に耳を傾けながらこの日記を書いている。明日は午後に友人かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。その際に、一昨日届いた“Capitalism and the Death Drive”はすでに手元にあったので、メルヴィンにプレゼントしようと思う。本日は、本書の精読を終えた。本書を読みながら改めて、自分は現代資本主義の潮流になんとか抗う形で人間性を保とうとしているのがわかる。例えば、自分は静寂を愛し、過度な刺激を嫌う。一方の現代資本主義は真逆であり、過度な刺激を愛し、静寂を嫌うのだ。そんな社会の中で、インターネットを活用したオンライン世界は絶えず刺激に満ちていて、また刺激を誘ってくる。そうしたことから、オンライン世界からできるだけアンプラグする形で読書や創作活動に励んでいるのは、自己の人間性の保持と涵養の観点からすると、とても自然なことのように思える。そのようなことを考えながら、現代の科学や哲学に対するハンの批判的な眼差しに大変共感するものがあった。ちょうど先日、現代の神道学者の在り方について問題意識を持っていたのと全く同じで、ハンもまた現代の科学者が自らの研究の背後にある社会的コンテクストにあまりにも無自覚であることを批判していた。哲学もまた然りであり、本来は社会の課題と向き合い、それを解決していくことに資するべきはずの哲学もまた、狭い学術コミュニティー内の単なる知的遊戯に陥ってしまい、時代の要請に応えているとは言い難い。心理政治(psychopolitics)が蔓延する現代社会においては、脳や感情の研究が盛んに行われているが、それらの研究もまた蓋を開けてみれば、現代の資本主義においては脳や感情をハイジャックすることが絶対に不可欠なのであり、それを通じて欲望を刺激し、資本を拡大するという隠れたアジェンダが現代の最先端科学の背後には存在している。それは一例に過ぎず、大抵の研究が真に人類や地球に寄与するためというよりも、資本主義に寄与するために行われているのが実情である。科学者も一般人も、本来はその研究の背後にある社会的な背景を考えなければならないのだ。それは往々にして、金融経済的あるいは政治的なものである。ハンの書籍を読みながら、改めてそうした問題意識を強めた次第である。フローニンゲン:2022/6/6(月)17:23
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