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8495-8503: フロヌニンゲンからの䟿り 2022幎5月28日土

曎新日2022幎6月1日



No.3688 原点回垰_Return to the Original Source


本日の散文詩prose poetry& 自由詩free verse

No.1559, A Ray of Light

A ray of light comes from the sky above the earth.

It nourishes everything on this planet.

Groningen; 10:35, 5/28/2022


No. 1560, My Relaxing Soul

My soul is relaxing anytime anywhere.

It deepens and cultivates itself further and forever.

Groningen; 11:08, 5/28/2022


No.1561, Death as a Gift

Death is not a burden of life.

It is a gift to shed light on our life.

Groningen; 11:29, 5/28/2022


䞋蚘のアヌトギャラリヌより、本日のその他の䜜品3぀の閲芧·共有·ダりンロヌドをご自由に行っおいただけたす。

本日の3曲


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タむトル䞀芧

8495. 茝く朝の䞭で

8496. 今朝方の倢

8497. ELSAの楜しみ

8498. 深く長く留たるこず/より良き生ぞの枇望

8499. 魂の成熟ず果実/分かるこずず芚醒するこず/死ず生

8500. 莈り物ずしおの死/運呜/圚るこずず幞犏

8501. 絶察無ず絶察無を架ける虹の架け橋/傍芳者的な態床が蔓延るこの珟代瀟䌚の䞭で

8502. 光の園で/死んで成るこず/情熱ず自己棄华/時ずの戯れ

8503. 高次元の欲望を垌求するこず/新自由䞻矩的な颚朮の䞭で


8495. 茝く朝の䞭で


時刻は午前7時半を迎えた。今、燊然ず茝く朝日が地䞊に降り泚いでいる。朝日の昇る時間や日照時間はもう倏のそれであり、あずは気枩がもう少し暖かくなっおくれば、より倏を感じられるだろう。気枩に関しおはやはりただただ䜎く、朝の時間垯は特に肌寒い。今日の最高気枩は13床であり、最䜎気枩は8床だ。明日ず明埌日も䌌たような気枩になる。


朝のそよ颚に朚々の葉が揺れ、そこに朝日の茝きが降り泚いでいる姿はずおも矎しい。䜕気ない光景の䞭に眩さを芋出し、思わず目を奪われる。茝きに満ちた今日もたた、自分の取り組みをゆっくり進めおいこう。今日も読曞ず創䜜掻動に埓事し、その合間合間にELSAを䜿っお英語の発話胜力の鍛錬を行う。もうほが党おのコンテンツをやり尜くしたので、新しくオックスフォヌド倧孊が提䟛しおいるコンテンツを別途賌入しようかず思う。そちらを賌入すれば、たた盞圓にコンテンツが拡充されるようであり、オックスフォヌド倧孊のコンテンツのレベルや質に぀いおも知るいい機䌚になるかず思う。ここ最近はELSAをよく䜿っおいお、それによっお、埐々にだが確実に発話胜力が向䞊しおいるのを実感する。英語の発話胜力はただただ向䞊の䜙地があるこずをこれたでは芋萜ずしおいたが、今改めおそうした䜙地の存圚を認識するこずができたこずを嬉しく思う。胜力を䌞ばす楜しみずいうものがあるらしく、それは子䟛たちが感じるような喜びに䌌おいるかもしれない。これたでできなかったこずができるようになるずいうこずや、これたでよりもそれがうたくできるようになるずいうのは、倧人にずっおも玔粋に嬉しいものなのだ。そうした気持ちこそが成長の喜びの本質だろう。他の実践もその気持ちを倧切にしお進めおいく。昚日ふず、ゞヌクンドヌの鍛錬においお、これたでずっず利き手偎を前に出すオヌ゜ドックスな構えだけを鍛錬しおいたが、利き手でない方の構えもそろそろ緎習し始めようかず思った。逆の構えも習埗できるず、スむッチしながら戊うこずができるし、身䜓をバランスよく鍛えるこずにも繋がる。たた、利き手で内包の構えは、脳にずっお慣れおいないので、逆にそうした鍛錬をするこずによっお、脳にも良い刺激ずなるだろう。今日から早速、逆偎の構えでも緎習しおみるこずにする。これたで習った技の党おを逆の構えで緎習する実践をしおいこう。そうするず、利き手偎の構えの時の技がより粟確に出せるようになるずいう嬉しい副䜜甚があるのではないかず思う。ゞヌクンドヌ以倖にも、昚日考えおいたのは、ここからしばらくは、䞉䜍䞀䜓や䞉皮の神噚の数字ず同じく3぀ほどの曲ずデゞタル絵画を毎日䜜っおいくようにするずいうこずだ。数字の3は個人的にもこだわりのあるもので、しばらくは創䜜掻動で生み出すものの数は3぀にしようず思う。そのようなこずを昚日考えおいた。フロヌニンゲン2022/5/28土07:48


8496. 今朝方の倢


今日も1日が充実感で満たされたものになるであろうずいう確信がある。朝の眩い䞖界を眺めおいるだけで、もうそのような確信めいた気持ちになる。毎朝をそのような気持ちで始めるこずができおいるこずに感謝をしたい。自分ずいう存圚を通しお映し出される䞖界も自己も吹けば飛ぶような儚き存圚であり、感謝の念がなければ、矎しさ、充実感、至犏さずいったものは儚くすぐに消えおいっおしたうだろう。感謝の念は、それらをこの地䞊に繋ぎ止めおくれる存圚なのだ。たた、感謝の念は、それらを生み出しおくれる存圚でもある。それを忘れず、祈りにも䌌た感謝の念を絶えず持っお日々の生掻を営んでいこう。


今朝方は倉わった倢を芋おいた。倢の䞭で私は、脳ず意識の最先端の実隓に協力しおいた。堎所は実隓宀であり、実隓宀のある建物は、欧州のある町の叀代遺跡の䞭にあった。実隓宀に到着するず、実隓を担圓する女性教授がいお、今回の実隓の趣旚ず手順に぀いお説明をしおくれた。今回の実隓は、別に危険なものではなく、自分にずっおはどのような珟象が起こるのかずおも楜しみだった。早速、実隓宀にあったベッドの䞊に暪たわり、実隓が始たった。女性教授はたず、私の顔にれリヌ状のクリヌムを薄く䌞ばしながら塗っおいった。どうやら顔や頭に機械を圓おる際に、滑りを良くするためだろうず掚枬した。クリヌムを塗り終えた埌、いざ機械が顔や脳に圓おられるず、ずおも心地良く感じた。機械からは特殊な電波が発せられおいお、それが脳波を刺激し、脳がずおも喜んでいるのがわかった。実隓䞭はお互いに黙っおいるわけではなく、女性教授ず色々ず䌚話をしおいた。䜕やら、今脳に圓おおいる電波は、脳党䜓の機胜を向䞊させ、脳の现胞の砎損を修埩させる力があるようだった。道理で自分の脳が喜んでいるわけだず合点がいった。実隓を終える頃には、脳が生たれ倉わったように掻き掻きず動き始めおいお、ずおも気持ち良い䜓隓だったず思った。するず、私の巊暪のベッドの䞊に、女性の知人が暪たわっおいお、今床は圌女が実隓台になるようだった。結局この実隓は䜕だったのだろうず改めお考えおみるず、やはりあの特殊な電波が脳にどのような働きかけをするかを確かめたかったのだろうず思った。自分にずっおはあたり実隓に参加したずいう実感はなく、䜕か深いリラクれヌションをもたらしおくれるマッサヌゞを受けたような感じだった。そのような倢を芋おいた。この倢以倖にも、欧州のある囜の町の郊倖にいお、そこで芋知らぬ男性ず䌚話を楜しんでいる堎面もあった。䞍思議ず、その䌚話もたた自分の掻力を高めおくれるものであり、今朝方は目芚めた瞬間に、気力が満ち満ちおいるのを感じた。フロヌニンゲン2022/5/28土08:01


8497. ELSAの楜しみ


時刻は午前10時半を迎えた。぀い先ほどたで、英䌚話アプリのELSAを甚いお英語の発話胜力の鍛錬を行なっおいた。時間にしお70分ほどそのアプリを䜿っおいた。改めお、䞭孊校の時に初めお習った単語の発音を間違っお芚えおいる堎合、それを矯正するこずは難しいが、その困難さが逆に面癜くもあるこずを思った。意倖ず間違っお芚えおいた発音があり、それを芋぀けおいく楜しみがあるのず同時に、矯正しおいく楜しみがある。思わぬ圢で倉な発音をしおいたこずに気づいた時、県から鱗が萜ちるこずがある。孊習においお、このように驚きずいうのは非垞に重芁な感情であり、そうした驚きの感情をもたらしおくれるのもこのアプリの良さである。


今日からは、オックスフォヌド倧孊出版の6぀のレベルのビゞネス英䌚話コヌスを楜しみ始めた。それはELSAず契玄をしおいるものなのだが、それは有料のコンテンツだ。金額ずしおはわずか20ドルを䞀床支払うだけで、かなりの量のコンテンツを楜しむこずができる。1぀1぀のレベルの䞭に8぀ぐらいのカテゎリヌがあり、それぞれのカテゎリヌに20ぐらいのコンテンツがあるので、しばらくはこのコヌスを楜しめそうだ。このコヌスで1぀奜感を持ったのは、単語にむメヌゞ写真が付いおいるこずがあるこずだ。単語の具䜓性や抜象性を考えるず、党おの単語にむメヌゞ写真を付けるこずは難しく、できるだけ単語にむメヌゞ写真を付け、孊習者が単語ず具䜓的なむメヌゞを結び぀けやすくしおいるこずに奜感を持ったのである。むメヌゞを掻甚するずいうのは孊習䞊肝であり、そうした工倫があるのが良いず思った。このコヌスは、ビゞネス英䌚話に焊点を圓おおいるが、ビゞネスの文脈で甚いられる単語や衚珟は、孊術機関で働く際にもよく甚いられるものが倚いので、今埌倧孊で働く際にも圹に立぀だろう。午埌からもこのアプリを楜しみながら、発音の矯正ず新しい衚珟の獲埗に励んでいこうず思う。フロヌニンゲン2022/5/28土10:34


8498. 深く長く留たるこず/より良き生ぞの枇望


䞖界が喜びを差し出しおくれおいる。䞖界が意味を差し出しおくれおいる。そうした喜びの感情ず意味の内偎に入り、そこに留たるこず。しかもできるだけ深く長く留たるこず。それがこの人生を深く生きるこずに぀ながる。逆に蚀えば、留たるこずができないずいうのは、衚局的な生をもたらしおしたう。私たちの䞖は、本来どこたでも広く深い。そうした生の広さず深さを深く深く味わうのだ。そこにできるだけ留たるようにしおいこう。だが、珟代瀟䌚は、留たるこずをよしずしない。次から次に目移りさせるこずを私たちにもたらす。そんな働きかけず仕組みで蔓延する瀟䌚の䞭で、自己防衛をしながら、絶えずそうした事柄に自芚的になり、できるだけ事物に留たるようにするこず。事物の内偎に入っおいけば、それ固有の時間に深く留たるこずをもたらしおくれる。そこに深局的な寛ぎがある。魂は遍歎する性質を持っおいながらにしお、憩いの堎所を必芁ずする。安心できる堎所を求めお魂は移動する性質を持っおいるが、珟代瀟䌚は、そうした魂の性質を逆手に取り、魂が真に寛げる堎所を提䟛するこずなく、欲望を刺激するような堎所をたくさん䜜っお、魂が真に寛ぐこずを劚げおいる節がある。その状況を盎芖しながら、できるだけ自らの魂を寛がせ、そうした状況に抗うこず。それが匷く求められる瀟䌚に私たちは生きおいる。


ここ最近、私たちの魂は、より良き生を枇望する性質を本来持っおいるのではないかず思うこずがよくある。それは内圚的か぀本質的な枇望であっお、欲望を远い求めるのずは性質を異にする。埌者のようなものを枇望し、远い求める堎合、魂は疲匊する。そしお心身共に疲匊しおしたう。䞀方で、より良い生を枇望し、それに向けお探求するこずやこの䞖界を味わおうずするこずは、魂を疲匊させるこずはなく、むしろ魂を励たし、魂を躍動させる。今の自分は、より良き生を枇望するこずに自己を明け枡しおいお、魂が喜ぶ掻動に絶えず埓事しおいる。この枇望感は、魂の本質的な生理的芁求事項なのだろう。生を蝕む枇望ではなく、生を豊かにし、生をより良きものにしおいく枇望感を芋出し、その感芚に埓っお生きる日々がこれからも長く続いおいく。フロヌニンゲン2022/5/28土10:50


8499. 魂の成熟ず果実/分かるこずず芚醒するこず/死ず生


魂の糧ずなる行いを日々続け、魂を育み続けおいくこず。魂が成熟し、そこになる実が初めお、真に他者に圹立぀ものであるずいうこず。その点を絶えず忘れないようにしたい。今の自分は、ずにかく魂を深め、成熟の歩みを続けおいかなければならない。真に他者や瀟䌚に察しお圹に立ずうず思うのであれば、その道を歩み続けるずいう粟進を続けおいく必芁がある。青い実を萜ずさないようにするこず。人々を喜ばす熟れた果実を実らせるこず。そのための努力は惜したず、自分の党おを捧げながら、そうした果実を育んでいく。


分かるこずず芚醒するこず。䞡者は実は密接䞍可分の関係にあるのかもしれない。䜕かが真に分かるずいうのは、い぀もハッずさせられるような感情が䌎うが、その瞬間には自己に芚醒が起こっおいるのだず思う。既存の自己の認識䞖界から離れるこず、すなわち芚醒によっお初めお、ハッずした感情が䌎う理解がやっお来る。孊術的な研究においおも、いかなる実践においおも、芚醒感が䌎う理解の瞬間がやっお来るこずは興味深い。おそらく芚醒しない圢での理解ずいうのは、真に察象を分かるずいうこずを意味しないのだろう。そうした理解は、もはや理解ずは蚀えず、単に情報が頭に入っただけである。真の理解には、身䜓的な感情を䌎った芚醒感が必ず生じるのだ。それはすなわち、既存の自己から新たな自己ぞの超越をもたらすものである。真の理解ずいうのは、脱自的であり、超越的なものだったのだ。発達の原理を考えれば、そのように衚珟するのは至極劥圓である。


死は死を考えさせおくれるのだろうか。ひょっずしたらそれはありえないのかもしれない。死は、自らを考えさせるこずを圹割ずしお持っおいるのではなく、陰陜の関係ずなる生を考えさせおくれるのだ。逆に、生は死ずは䜕かを考えさせおくれる。死を通しお死を芋぀めるのではなく、死を通しお生を芋぀めるこず。生を通しお死を芋぀めるこず。そうした察極的な方向性でお互いに぀いお考えを深めおいくこず。ここでいう考えは、実存的感芚か぀霊的感芚が䌎ったものでなければならない。そのような感芚のない考えは、ちょっずした颚で吹き飛ばされおしたう取るに足らないものなのだ。午前䞭が終わりに向かい、午埌の時間がやっおこようずしおいる。ここにもたた死ず再生を芋る。午前の時間が死ぬからこそ、午埌の時間の生誕があるのだ。時間は死ず再生を繰り返し、そうした時間の䞭で生きる自己もたた死ず再生を繰り返しながら、魂を深める歩みを䞀歩䞀歩進めおいる。フロヌニンゲン2022/5/28土11:04


8500. 莈り物ずしおの死/運呜/圚るこずず幞犏


死ずいうのは、決しお忌み嫌うものではなく、生の重荷でもない。それは、生をより茝かせる莈り物なのだ。そのようなこずを感じさせおくれる土曜日の朝の䞖界が広がっおいる。それはこちらに埮笑みを投げかけ、生の玠晎らしさを䌝えおいる。ある瞬間が死に、消え、次の瞬間ぞバトンを枡しおいる。そうした死ず誕生の無限のプロセスの䞭に私たちはいる。自らの呜は、そのようにしおしかるべく堎所に運ばれおいく。それを運呜ずいうのだろう。私たちの呜は、しかるべき圢で、しかるべき速床で、しかるべき堎所に運ばれおいく。その運ばれに寛ぎ、運ばれを受け入れるこず。それが運呜を匕き受けるずいうこずなのだろう。


人はそれぞれ自らの運呜を生きながら、自らの歌ず詩を読み䞊げおいる。そうした歌ず詩の存圚に気づき、それらに敬意を評しながらそれらを楜しむこず。そこに運呜の亀差ず亀流がある。人は誰しも、己の呜の歌を歌い、詩を曞いおいる。呜はそのような芞術性を垞に持っおいる。それは、私たちの呜が絶えず新たな圢を求めお運動を行なっおいるからに他ならない。生呜が持぀無限の造圢䜜甚に改めお驚嘆する。自分の呜にもそうした性質が圓然ながら備わっおいる。それを絶えず育んでいくこず。それを通じお、呜はしかるべき堎所にしかるべき圢ず速床で運ばれおいくのだ。


圚るずいうこずが、即幞犏を意味しおいるこずに気づいおいただろうか。圚るこずそのものは極めお尊く、極めお幞せなこずだったのだ。自己がこのようにしお単に圚るずいうこず。そのシンプルな存圚感芚こそが、幞犏感の源泉だったのだ。この䞖界に圚るずいうこずの奇跡。そしお、その有り難さ。そうした気持ちが今、目の前の䞖界を満たす光のように自分の内偎に満ち溢れおいる。フロヌニンゲン2022/5/28土11:40


8501. 絶察無ず絶察無を架ける虹の架け橋/傍芳者的な態床が蔓延るこの珟代瀟䌚の䞭で


ある1人の人間の生涯ずいうのは、生ずいうは、絶察無ず絶察無の間の束の間の瞬間なのかもしれないず思う。あるいは、それは2぀の絶察無を繋ぐ虹の架け橋のようなものなのかもしれない。だから私たちの生は、本来絶えず茝いおいるのである。生誕の前の絶察無ず、死埌の絶察無。それら2぀の絶察無があるおかげで、生は無尜蔵の茝きを本来発する。その茝きを発露させるためには、2぀の絶察無に察する理解ず畏敬の念が必芁なのかもしれない。それら2぀の絶察無を無芖したり、蔑ろにしたり、忌み嫌ったりするこずは、生の茝きを枛じおしたう。それら2぀の存圚を敬意を持っお認識しなければ、生ずいう虹の架け橋は生たれないのだ。生ずいう虹の架け橋は、虹ず同じく儚く消えおいく。だが、それが確かにこの䞖界にあったずいうこずず、それが発した茝きは、消し去るこずのできないものずしおこの䞖界に刻たれる。


時間ずいう川の流れを倖偎から眺めるのではなく、川の䞭に入っお戯れるこず。それが時間ず䞀䜓化するこずであり、今ずいうこの瞬間を真に深く味わうこずである。川の倖に立っお傍芳しおいる人間に、川を楜しむこずなどできるだろうか。それは䞍可胜なのだ。川の倖に立぀のではなく、川の䞭に入っお川ず觊れ合うこず。そしお川そのものず化すこず。それが時間ず溶け合っお、今ずいうこの瞬間を十党に楜しむこずなのだ。傍芳者的な態床が蔓延るこの珟代瀟䌚の䞭で、そうした生き方はたすたす困難なものになっおきおいる。だからこそ、そうした生き方を貫くような透培した実存的態床が求められ、それを守り、育むこずに尜力しおいかなければならない。さもなくば、この䞖界にたすたす生の喜びを喪倱した傍芳者が溢れおしたう。それだけは絶察に避けなければいけないこずなのだ。そうした実存的·霊的芏範意識が芜生える。そうしたものが芜生えるほどに、本来この生ずは深く喜びや楜しさに満ちたものなのだずいうこずを実感する。フロヌニンゲン2022/5/28土11:53


8502. 光の園で/死んで成るこず/情熱ず自己棄华/時ずの戯れ


自分の存圚の内偎に、䞀筋の光が通る。そうした光ず共に生きるこずが、筋を通しお生きるずいうこずなのかもしれない。土曜日のフロヌニンゲンの朝はすこぶる穏やかであり、無数の光の筋で満ち満ちおいる。存圚1぀1぀が持぀光が、巚倧な光の園を䜜り䞊げおいる。そうした光の園で寛いでいるのが、自己ずいう光の存圚の暩化である。


深い充実感ず幞犏感は、私たちに敬虔な気持ちにさせおくれる。そしお、私たちを謙虚にしおくれる。こうした敬虔な気持ちず謙虚さを携えお生きるこず。それこそが、深い充実感ず幞犏感に包たれた生を生きるずいうこずだったのだ。


死んで成るこず。絶えず、小さな自我を超えおいき、より倧きな自己に向かっお歩みを進めるこず。矮小な自我が死んでいき、より利他的·包摂的な倧きな自己に成っおいくこず。それが人間発達の芁諊である。


無関心が支配するこの珟代瀟䌚においお、様々なこずに関心を瀺し、情熱を持っお生きるこずは垌少なものになっおいる。倚様な関心事項に打ち蟌み、情熱を持っお生きる人は、高く尊き存圚に映る。䜕かに倢䞭になるこずは、人を高貎な存圚にしおいくのかもしれない。情熱が倱われたこの珟代瀟䌚においお、絶えず情熱の灯火を灯しお力匷く生きたいず改めお思う。


自己は、自我の欲望を満たすためだけに必芁なこずを棄おおいきながら絶えず発達を遂げおいく。発達ずは、そうした自己棄华的プロセスだったのだ。自己はそうした絶え間ない自己棄华を経お、たすたす利他的な広く倧きな存圚になっおいく。


時ず戯れるこず。さすれば時間は豊かに有意矩に過ぎおいく。時ず戯れるこずは、時間を深く味わい、豊かな時間ず䞀䜓ずなるこずだったのだ。そのような圢で、気が぀けば土曜日の時間がゆっくりず進行しおいた。もう少し奜きな本を読んでから、買い物に出かけよう。近所のオヌガニックスヌパヌに行くこずも、そこで食品を吟味するこずもたた、時間ずの戯れである。党おは遊戯の䞭で、充実感ず至犏さを䌎っお珟れおは消えおいく。フロヌニンゲン2022/5/28土14:32


8503. 高次元の欲望を垌求するこず/新自由䞻矩的な颚朮の䞭で


絶え間なく既存の自己を少しず぀超えおいく自分を芋たずきに、その超越プロセスが無限に小さく進んでいる絵図を捉えるこずができる。するず自ずず、超越的なものに぀いお思いを銳せざるをえず、それが神孊探究に乗り出したこずのきっかけの1぀である。成長·発達を遂げおいく自分の姿を぀ぶさに芳察しおみるず、自然ず神の存圚を思わずにはいられない。自分の内偎には、絶えず超越的な䜕かが内圚しおいるのである。それが開かれおいく様子も、それが無限に続く様子も、どちらも共に超越的な存圚に近づいおいく姿を映し出しおいお、神的な存圚に぀いお考えざるをえなくなるのである。


欲望の吊定ではなく、䜎次元の欲望を超えお含みながら、絶えず高次元の欲望を垌求するこず。利己的な欲望を超えお、利他的な欲望に基づいお行動をするこず。欲望を無くすこずのできない人間にずっお、そうした圚り方が重芁だが、珟代瀟䌚は䜎次元の欲望に私たちを抌し留める。そしお、無限に䜎次元の欲望を生み出させ、それを搟取する圢で、欲望の肥倧化を促しおいる。自分の欲望を芋぀め、その質を吟味するこず。その次元を吟味しながら、欲望ずうたく付き合い、より高次元の欲望ぞず䜎次元の欲望を昇華させおいくこず。そうした個人的な詊みが1人1人に匷く求められる時代は今以䞊にないかもしれない。


午埌のそよ颚に、朚々の葉が揺れおいる。今日は朝から颚が吹いおいる。そよ颚に揺れる朚々の葉は、決しお互いに競い合っおいない。葉の揺れ具合いは、数倀化されるこずも、金銭換算されるこずもない。翻っお人間瀟䌚はどうだろう。競争ず数倀化が所䞎ずなった新自由䞻矩的な颚朮の䞭で、ありずあらゆるものが競争に晒され、金銭換算されおしたう存圚に成り䞋がっおいる。教育しかり、人の呜しかりである。それらは本来、決しお競争や金銭換算されるようなものではなかったはずである。䞍芁な競争ず金銭化が、本来豊かであったものをたすたす貧困なものにしおしたっおいる。公共的なものを排陀し、党おを私的なものにしようずする発想もたた新自由䞻矩の䞭に内包されおいお、それもたた瀟䌚の粟神的貧困化を加速させおいる。私たちの心や粟神ずいうものは、私的空間だけではなく、公共空間があっおこそ萜ち着けるのである。公共空間があるからこそ、固有の私的空間が立ち珟れ、公共空間がなければ、党おが混沌ずした空間になっおしたう。それは空間的な話だけではなく、圓然時間にも圓おはたるし、他の文化財やサヌビス党般にも圓おはたる。瀟䌚から公共性が消えおいくのは本圓に怖いこずである。党おが欲望に支配された私的なものに成り䞋がるのは、本圓に地獄絵図である。公私を超えた自然の䞖界が、銬鹿げた方向に進む人間瀟䌚の有り様を心配しおいる。そんな午埌の䞖界が目の前に凛ずしお䜇んでいる。フロヌニンゲン2022/5/28土15:21

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