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8479-8482: フローニンゲンからの便り 2022年5月25日(水)



No.3673 重なる投影_Overlapping Projections


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1553, The True Face of Our Reality

A baby cries.

It means that the world cries.

A baby smiles.

It means that the world smiles.

There is one reality.

Groningen; 10:21, 5/25/2022


No.1554, The World as a Gem

A wish constantly comes true.

The world continues to become a more beautiful gem.

Groningen; 19:53, 5/25/2022


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本日の3曲


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楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8479. 今朝方の夢

8480. 今朝方の夢の続き

8481. 感覚に留まり続けること/非合理を愛する態度/絶えず詩人の在り方でいること

8482. 劣化する人間/開かれた世界へ


8479. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今日から再び気温が低い涼しい日々が続く。今日の最高気温は17度、最低気温は10度である。明後日からは最高気温は15度を下回り、最低気温も10度を下回る。6月を目前としたフローニンゲンはとても涼しげである。


今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、パリの国会議事堂に向かう車の中にいた。車を運転していたのは父であり、私は助手席に座っていて、母が後ろの席に座っていた。国会議事堂の近くまでやって来ると、辺りが不穏な雰囲気を発していた。議事堂の中の駐車場に車を止めようとしたところ、係員がやって来て、何やらテロ組織がパリに潜伏し、先ほど議事堂の近くで爆発テロを起こしたとのことだった。それによって、警備がより厳重になっているとのことだった。議事堂の周りで爆発テロがあったばかりなので、議事堂の駐車場に車を止めることはできないらしく、国会図書館の地下の駐車場に車を止めることを勧められた。そこであれば安全とのことだった。車を国会議事堂の隣にある国会図書館までゆっくりと走らせている最中も、先ほどテロがあったことがわかるような緊張した雰囲気が辺りに漂い続けていた。国会図書館にやって来ると、係員が私たちの身元確認をし、そこから地下の駐車場に案内された。地下にゆっくりと車を走らせていくと、そこにはあまり車が止まっておらず、これからこの場所が避難場所になるのではないかと想像された。車を無事に止めた後に、両親と私はどこに向かうべきかを考えた。私の中で答えは決まっていた。1階に行って、今回のテロの情報を集めなければ真実を知ることはできないと思っていたので、1階にすぐさま行こうと思った。一方両親は、1階に行くことは危険だと思っているようであり、このまま地下に留まっておきたいと考えているようだった。私たちがいるのは地下3階で、そこにはたくさんの書籍が置かれていて、フランス語の書籍だけではなく、英語の書籍が大量に置かれているコーナーもあった。そうしたことから、そこで時間をいくらでも潰すことができると思われたのは確かである。3人が一緒になって行動することはないと思い、私が1階に行こうとすると、父は私のことを心配して、私を止めようとした。その際に、父が私の顎に手を触れようとしたので、私は反射的に蹴りが出て、父の脛を蹴った。すると、父はその場にうずくまり、悶絶しそうになっていた。咄嗟に足が出たのは、武術の鍛錬による成果かと思い、痛そうにしている父には申し訳なかったが、鍛錬の成果が現れたことを私は嬉しく思った。そこからは、私は単独行動し、1階に上ろうと思ったが、その前にどのような英語の本が置かれているのか気になったので、少し本をチェックしてから1階に行こうと思った。その際にふと、午後から予約していた歯医者に間に合うのか気になった。父にはもう車で送ってもらえそうになかったので、公共交通機関や足を使って歯医者に行かなければならず、国会図書館を出発するべき時間を調べようと思った。ところが、図書館に入る前に携帯の電源をオフにすることが求められていたので、調べることができなかった。何やら、携帯をオンにしてGPS機能が働いたままだと、テロ組織の対象になってしまう危険性があるとのことだった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/5/25(水)06:57


8480. 今朝方の夢の続き


時刻は午前7時を迎えた。今朝は足元から結構冷えている。今日は靴下を履いておく必要があるかもしれない。気温の低さの一方で、太陽は燦然と輝いている。朝日の眩しさが心地良く、先ほど朝の呼吸法や動的ストレッチをしている際にも、朝日が顔に当たっていて、とても心地良かった。脳が朝日に反応して、活発に動き出そうとしているのを実感した。


先ほど、今朝方の夢について振り返っていたが、そう言えば、あの夢の前にもう1つ夢を見ていたことを思い出した。それについて振り返ってから、朝の活動を始めよう。夢の中で私は、見慣れない街の一軒家で生活をしていた。そこはおそらく欧州のどこかの国かと思うが、はっきりしなかった。私は一軒家のガレージでタイムマシンを修理していた。自分で作ったタイムマシンをこの間動かし、過去や未来に自由に行き来して楽しんでいたのだが、使いすぎてしまい、ちょっと修理が必要になった。しばらく集中して修理をしていると、無事に修理が完了し、これでまたタイムマシンに乗って自由に時間を行き来できると思った。タイムマシンの修理が完了すると、ガレージの中で読書をしようと思った。そこには本棚があり、たくさん本があったし、本を読むための机や椅子などもあるので、今日はそこで読書に励もうと思った。その際に、外界から何も邪魔が入らないことをとても嬉しく思った。自分はこのように、人目につかないところで探究を続けていくことを好んでいて、ガレージは最高の場所かと思った。誰かが声を掛けてくることもないし、電話やメールなども受け取らなくていい場所だったので、集中した探究活動に没頭するにはうってつけの場所だった。そこで満足の行くまで読書をした後に、ガレージを出たところ、いつの間にか辺りは薄暗くなっていて、夕食の時間になっていたことに気づいた。そのような夢の場面があった。この夢の場面と同じように、今日もまた集中して読書や創作活動に取り組もうと思う。外界からの邪魔が入らない環境にいることを、これ以上になく有り難く思う。こうした環境の中で自分の取り組みを人目につかず続けていくこと。静かな生活を守り、静けさの中で静けさと化して、自分の取り組みを続けていくこと。それが自分にとって理想的な生き方である。フローニンゲン:2022/5/25(水)07:11


8481. 感覚に留まり続けること/非合理を愛する態度/絶えず詩人の在り方でいること


感覚に留まり続けること。その感覚を表現するにふさわしい言葉がやってくるまでそこに留まり続けること。感覚の内側に留まり続けていれば、いつかしかるべき言葉がやって来る。逆に言えば、感覚の中に留まることをやめてしまうと、言葉はいつまで経ってもやってこない。感覚の中に留まり続けることは、それが掴みどころのないものがあるがゆえに困難さを覚えるが、それでも感覚に留まり続ける。言葉を生み出す苦しみというのは、そのようなところにあるのかもしれない。


合理的なものを愛するという態度ではなく、非合理的なものを愛するという態度を保持する。この世界は、合理性よりも非合理性でできているのだから。合理的なものに捉えられたら、非合理的な世界に脱出しよう。創作活動の場は、まさに非合理性で溢れているため、脱出先の安全基地として機能する。創作活動は、合理性の横行する窒息するような社会の中での憩いの場を与えてくれる。創作活動に従事することそのものが、非合理性へ従事することに他ならず、創作の楽しみとは、非合理性へ触れる喜びだったのだ。混沌とした非合理的なものが秩序に変わる瞬間の喜び。その喜びを毎日味わっている。


絶えず詩人の在り方でいること。ジョン·キーツが指摘したように、詩人は絶えず自己の殻を破り、他者の身体になりきっているのだ。詩人の在り方は、自己超越的な在り方だと言い換えることができる。こうした在り方もまた、現代の自己肥大を促す息苦しい状態から私たちを解放してくれる。他者になりきってみること。他社の世界と合一化してみること。それが今よりも求められる時代はないかもしれない。自己中心的で、他者と深い交流が困難になった現代人にとって、自己の殻を破ることは困難であり、他者の身体と世界に自己を明け渡すのは困難極まりないが、それをしなければ、世界は悪化の一途を辿り続ける。小説家の埴谷雄高氏が、全ての人が詩人である社会を希求したのも、そのような事情によるのかもしれない。自己を明け渡すことが今すぐに難しければ、まずは自己を超越した自然や偉大な芸術作品に触れてみることから始めてはどうだろうか。それであれば誰でも始められるように思えるのだが、ひょっとしたら自然や偉大な芸術作品という聖なるものと触れることすら困難を抱えているのが現代人なのかもしれない。それはもう人と呼べないのではないだろうか。人間性回復の道をこれからも模索しなければならない。フローニンゲン:2022/5/25(水)10:08


8482. 劣化する人間/開かれた世界へ


世界と直に触れるときに生じる感覚。世界と交流しているときに生じるその感覚を大切にすること。元来、快不快というのは、生命の重要な評価機能から発せられるはずのものだが、どうも今は、快不快の感覚の歪みが見られる。それはおそらく、生命の評価機能そのものが劣化·弱体化しているからなのだろう。現代社会は、テクノロジーを含めた外面的なものの進歩は著しいが、不幸にも、現代人の内面的なものの劣化と退化が著しい。その流れは止まることをしらず、むしろ加速する一方である。とりわけテクノロジーは、加速度的に進化していく性質を持っている都合上、人間側の劣化が加速度的に実現されてしまっているのかもしれない。本来は、両者は足並みを揃えて比例的に、あるいは少なくとも正の相関関係でお互いに進歩していくべきところが、今の関係性は反比例的である。この関係性に終止符を打つための手段を探らなければならない。


単に事物から感覚を汲み取るだけではなく、感覚に付帯する意味を見出し、その意味そのものになるように努めること。それもまた感覚の醸成を含めた、内面世界の涵養に繋がるだろう。自己を感覚世界に投げ出し、感覚と同化し、そこから意味を汲み取りながらにして意味そのものと同一化してみる体験をどれだけ豊かに積んでいけるか。それを自らに課してみよう。


ハイデガーが述べるように、人間は世界と対立的に存在していて、開かれた世界に自由に入ることはできないのかもしれない。自由に入れなかったとしても、意識的に開かれた世界に入っていくのである。植物や動物が開かれた世界に自由に入っている姿を参考にして、彼らと同じように開かれた世界に入ってみることを試みるのである。そうすれば、世界はこれまでとは違って見えて来るだろうし、違って感じられるだろう。そうした現象を体験すればするほどに、私たちは自己の囚われから徐々に解放されていき、世界との対立を弱め、この世界そのものに投げ出されながらにして寛げるはずだ。フローニンゲン:2022/5/25(水)10:35

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