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8390-8395: フローニンゲンからの便り 2022年5月14日(土)



No.3639 セレンディピティの影_A Shadow of Serendipity


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1520, Creative Urge

A creative urge naturally occurs to me.

With it, I would be able to create forever.

Groningen; 10:23, 5/14/2022


No.1521, Time

I don’t experience time.

Time experiences me.

Groningen; 20:08, 5/14/2022


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本日の3曲


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タイトル一覧

8390. 朝日の祝福の輝きを浴びながら

8391. 今朝方の夢

8392. 女帝から畏れ多く、有り難い言葉を受ける夢

8393. 英語の発話能力の鍛錬の継続/今朝方の夢の続き

8394. 美と生きることを愛すること/世界をありのままに映す鏡としての自己

8395. 豊かな表情を見せるフローニンゲンの街を再発見して


8390. 朝日の祝福の輝きを浴びながら


時刻は午前9時を迎えた。今、申し分ないほどに朝日が輝いている。今日から土曜日を迎え、休日を祝うかのような祝福の光に満ちた光景を目の当たりにしている。この輝きはとても眩しい。魂の眼がその眩しさを喜んでいる。


今日は申し分ない天気ということもあって、午後には外出しようと思う。以前から足を運びたいと思っていたフローニンゲン大学美術館に行ってみる。そこでは美術品のみならず、時間に関する興味深い展示を見ることができて、前々から興味があったのだ。フローニンゲン大学を卒業してもう4年近くになるが、卒業して改めてフローニンゲン大学の歴史を知る意味でも美術館訪問は意義を持つだろう。美術館を訪れたらその足で、街の中心部にある文房具屋に足を運ぶ。そこはかつてお世話になっていたチーズ屋のすぐ近くにあり、運河を架ける橋の手前にある。シャープペンシルの替え芯が切れかかっているので、そこで0.5mmの2Bの替え芯を購入したい。あるかどうかわからないが、文房具屋であればきっと置いているだろう。文房具屋を訪れたら帰り道にスーパーに立ち寄り、野菜や豆腐などを購入して帰路に着く。今日の外出計画はそのようなものになる。


今、季節の輝きに呼応するかのように、積極的に外に出ていきたいと思う自分がいる。毎月1回行っている旅はその現れだ。世界の側からの働きかけが自分にあり、自分はそれに感応して行動を起こす。そうすると、世界はさらに強い働きかけをしてくれる。そういう循環構造を見て取ることができる。季節の輝きの大本になっている太陽への敬意が尽きない。太陽と太陽神へ絶えず畏怖の念を持ち、その力の恩恵を汲み取らせてもらおう。


今日はその他にも、来月に行われる旅のセミナーの告知の準備をしたい。協働者のアントレプレナーファクトリーさんがすでに告知のページを作ってくださっていて、いつもその仕事の早さには感銘を受ける。告知のページだけでも十分かと思ったが、今回は旅を取り上げる初めてのセミナーでもあり、自分も思い入れがあるのでセミナーに関する音声ファイルを作成し、それと合わせて告知しようかと考えている。5分から10分をめどにした音声ファイルを作成することを今日行い、できれば本日中に告知をしようかと思う。フローニンゲン:2022/5/14(土)09:16


8391. 今朝方の夢


朝日の輝きは止むことを知らない。留まることを知らない朝日の輝きは祝福に満ちていて、目の前の世界全体が微笑みを浮かべている。


今朝方は1つ印象的な夢を見ていたのを覚えている。それについて振り返っておきたい。夢の中で私は、実際に通っていた中学校の教室にいた。その教室は、実際に自分が中学3年の時に使っていた教室だった。私は教室の廊下側の一番右の列の後ろから2番目の席に座っていた。どうやら今はホームルームの時間であり、先生が最後に一言述べることになった。すると先生の方を見ると、なんと先生がクラスメートの女子(EY)になっていたので驚いた。彼女はリーダーシップを発揮して何かをするような人ではなかったので、彼女に先生が務まるのかと少し心配しながら見守っていた。すると、生徒たちが先生である彼女をからかい始め、収拾がつかなくなった。彼女はそれになす術もなく、その場で泣き始めた。その状況を見ていられなくなったので、私は席を立ち、教室を沈めようとした。すると突然、先生が歳が10歳ほど離れた大学の先輩かつ知人に変わった。今度はその方が先生となり、ホームルームを仕切ることになった。その方は塾講師を長年やっていることもあり、生徒の扱いが非常に上手く、教室の混乱はすぐに収まった。すると、ある友人(YU)を含め、数人の生徒たちが先生の似顔絵を黒い絵具だけを用いて画用紙に描き始めた。そして、教卓に座っている先生のところにその絵を持っていくと、先生は驚いた目をしてその絵を眺めていた。おそらく想像以上に彼らの絵がうまかったのだろう。絵をチラリと見ると、先生のギョロ目が上手く表現されていて、少し笑ってしまった。


すると、自分の意識は先生の方ではなく、自分の後ろに座っている女子(MS)に向かった。彼女が何やら殺気立っていて、その殺気を内に殺しながら画鋲をわざと地面に落としていた。私は、誰かがそれを踏む可能性があるから危ないと彼女に忠告した。しかし、彼女は不気味な笑顔を浮かべて、画鋲を地面に落とすことを止めようとはしなかった。なので私は、落ちた画鋲を拾いながらも、彼女にその行動をやめてもらうような決め手のアクションをしようと思った。彼女が女性であるゆえに殴ることはできなかったので、クラスの全員を避難させることを考えた。そこでサッと席を立って、教室の前に行こうとしたところ、なんと彼女はマッチに火をつけて、それを私に投げつけてきたのである。私は間一髪それをかわしたが、逆にかわしたことによってマッチは木材の柱にぶつかり、柱が燃え始めた。私はすぐにそれを足で蹴って火消しをした。さすがにそれを見て教室は混乱しかけたが、ここで自分が力を発揮しようと思ったら、目の前に見知らぬ男子がいて、どうやら彼女がその男子に姿を変えたようだった。もはやその男子には彼女の精神は宿っておらず、単なる知らない男子だとみなして、彼を力づくで懲らしめようと思った。ジークンドーのいずれかの技を繰り出そうとしたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/5/14(土)09:35


8392. 女帝から畏れ多く、有り難い言葉を受ける夢


先ほどコーヒーミルで淹れた朝のコーヒーを味わっている。毎朝、自分で淹れたコーヒーを味わうことは至福の時間である。その至福さは自分の内側に深く沁み渡っていき、それがまた至福さを強めてくれる。土曜日の朝の世界は本当に平穏で、この静けさをただただ味わいたいと思う。今日はいつもより活動のペースを落として、ゆったりとした時間を味わおうと思う。散歩がてら今日は午後に、フローニンゲン大学の美術館に足を運ぼうと思うが、それもまたゆったりとした時間の味わい方である。ついでにいつもお世話になっているコーヒー豆専門店にも足を運んで、新しい豆を調達しておこうと思う。


少し前に今朝方の夢について振り返っていたが、まだ振り返れていない夢があるので、それらについても書き留めておこう。夢の中で私は、見慣れない大きな体育館の中にいた。そこは学校の体育館と呼ぶにはあまりにも立派であり、おそらく市民体育館か何かかと思う。その体育館があった場所は日本ではなく、欧州のどこかの国だった。それも西側諸国のどこかだった。その体育館で私は、ジークンドーの鍛錬をしていた。変わったトレーニング器具があり、それはボードの形をしていて、そこにバックフィストを当てる練習をしていた。利き手ではない左手でバックフィストを繰り出して、そこからプッシュステップで前に出ながら右手のフックパンチを繰り出すというコンビネーションの練習をしていた。それを見ていた何人かの見知らぬ人が、興味深そうに私に声を掛けてきた。ジークンドーという武術のトレーニングをしていることを伝えると、彼らもやってみたいということを述べ、そこから私は彼らにいくつかの基本的な技を紹介した。すると、体育館の壇上から女性の響く大きな声が聞こえた。そちらの方を見ると、誰かがいるようでいて、姿をはっきりと確認することができなかった。ジークンドーのトレーニングをしていたのは体育館の後ろの方だったので、距離もあったのだ。すると体育館にいた誰かが、「天皇様だ!」と述べた。どうやらその声の主人は女帝のようだった。女帝は私に向かって、「お前が世界で一番愛されているぞ!」という言葉を発した。私は最初何のことかわからず、その意味を考えてみた時に気恥ずかしさが生まれながら、同時に畏れ多さと有り難さを感じた。女帝はその一言だけを述べ、ずっと微笑んでいるようだった。私は女帝のその言葉を真摯に受け止め、自分がここからどのように世界の中で振る舞っていけばいいのかを考え始めた。そこで夢の場面が変わった。この夢はとても印象に残っている。女帝の言葉には言霊が宿っていて、「お前が世界で一番愛されているぞ!」という言葉を聞いた時に、本当に自分が世界で一番愛されているかのような絶対的な愛情を感じた。改めて思い出しても、それには心底感動してしまう。そのような言葉を掛けてもらったことによって生まれた絶対的な安心感。自分が見守られ、愛されているという感情以上に大事なものはないのではないかとさえ思える。早朝より朝日がずっと微笑みを浮かべている。太陽神である天照大神が自分を見守り、愛情深く微笑んでくれている感覚が今もずっとある。フローニンゲン:2022/5/14(土)10:45


8393. 英語の発話能力の鍛錬の継続/今朝方の夢の続き


正午まであと1時間ほどになった。朝から日記を書いたり、ゆったりとした気持ちで創作活動に従事している。自分の内側の創作意欲はとても静謐で、それでいて奥底に力強さを感じる。何よりも有り難いのは、それが無尽蔵なことである。自分の創作意欲は尽きることを知らない。それだけ自分は嬉しくなる。絶えず作り続けること。言葉、音、絵、身体、それら様々な表現媒体を通じて自分の形を絶えずこの世界に生み出していく。


ここ最近は、毎日ELSAを使って英語の発話能力を高めることも日課になっている。ジークンドーの鍛錬と同じく、毎日時間を取っている。トレーニング量からすると、ジークンドーに充てる時間よりも多くをELSAを用いた英語の発話能力の鍛錬に充てている。このアプリは、学習意欲を刺激する仕組みが上手く、ゲーム中毒のような形で学習中毒のような状態を上手く引き出してくれる。最近の言葉言えば、学習におけるゲーミフィケーションが巧みだと言えるだろうか。コンテンツの質も素晴らしく、色々と新しい表現や単語を学ぶことにも役立っている。また、シチュエーションや分野ごとにコンテンツがまとまっていることもあり、自分があまり親しんでこなかったシチュエーションや分野を選んで学習を進めることもできる。毎日かなりの量のコンテンツを学習していることもあり、コンテンツが尽きてしまうことを心配していたが、その心配も無用のようであり、日々コンテンツが拡充されているようなので何よりだ。自分のようなヘビーユーザーの満足度を満たすためには、絶えず良質なコンテンツを補充していかないといけないのでプロバイダー側は大変だと思うが、自分のニーズに合致するような形で絶えず新しいコンテンツを提供し続けてくれていることに感謝しよう。ELSAとは生涯契約を結んでいるので、今後もどんどんと新しいコンテンツを提供して欲しいと思う。


先ほど、今朝方見た夢について全て振り返ったと思っていたところ、そういえばもう1つ覚えている場面があったことを思い出した。夢の中で私は、スペインかポルトガルの海辺のホテルに宿泊していた。そこの屋外プールで日光を浴びながら寛いでいると、非常に美しい女性に声を掛けられた。彼女はどうやらイタリア人のようであり、自分と同じく一人旅を楽しんでいるようだった。私たちは、そこからしばらくプールサイドで話し合った。お互いの感性が共鳴しあっていることを感じ、2人の間の会話は始終楽しげな雰囲気の中で行われた。随分と話し合った後に、せっかくなのでディナーでもどうかと私の方から提案すると、彼女はニコリと笑って是非と述べた。一旦部屋に引き上げる前に、私は彼女に水を差し出し、彼女はそれを一口飲んで、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。そのような夢の場面があったことを覚えている。今朝方もまた随分と多くの夢を見たものだと思う。自分の中で何か重要なことが夢として形になり、内側で経験の深まりが進行しているのを感じる。それは大きな変容の前触れのような現象のように思える。フローニンゲン:2022/5/14(土)11:20


8394. 美と生きることを愛すること/世界をありのままに映す鏡としての自己


宮城道雄氏の箏の演奏に聴き入っている。自分にとって箏の演奏は、創造的霊感をもたらしてくれる非常に貴重なものだということがわかる。それが創造的刺激となり、形を生み出すことを後押ししてくれる。


ピアニストのエドウィン·フィッシャーはかつて、「死を通過していない人は美を考える資格はない」という厳しい言葉を残していた。確かに、死というものの本質を通過していなければ、本当の美とは何なのかが見えない。しかしながら、自分は死を見据えながらも、それでもなお生をより愛したいと思う。青空が広がり、太陽の恵みをこのように感じていると、生きることの素晴らしさが深く体認される。生きることを愛する衝動を抑圧させることなく表出させ、それを通じて日々を生きていくことは、自分にとっての最良·最善の生き方のように思える。そのような形で美と信仰を一致させ、それら双方が一体となったものを自分の創作活動を通じて体現させ、具現化させていきたい。


自己の純化のプロセスを推し進めていくと、自己は世界をありのままに映す鏡となる。その時に、虚像と実像は完全なる一致を果たし、世界は即自己となり、自己は即世界となる。自分は世界をありのままに映す鏡に向けての歩みを日々着々と進めている。その歩みの最中に映し出される事柄を、様々な表現手段を通じて形にしていく。それが世界への小さな恩返しである。自分の創作物は、鏡としての自己の前に立ち現れてくれた世界への感謝の印として存在する。そして、そのような存在意義を持つ。


そう言えば、今朝方の夢の中で、心に残る詩を思いつき、それを言葉に出して記憶に留めようとしている自分がいた。その詩を書き留めておこうと思ったところで夢から離れていったのを覚えている。夢にも詩情が溢れつつある。そもそも夢とは詩情の塊としての側面もある。詩的高揚感を味わせてくれる夢が時折現れるのはそのためだろうか。


それでは今から少し仮眠を取り、仮眠から目覚めたら1曲ほど曲を作ろう。そして、フローニンゲン大学美術館に向けて自宅を出発しよう。美術館までの道のりはさぞかし気持ちいいだろう。今日の爽快な天気がそれを予感させてくれる。フローニンゲン:2022/5/14(土)13:35


8395. 豊かな表情を見せるフローニンゲンの街を再発見して


土曜日の夕方の世界はすこぶる穏やかだ。フローニンゲンという街は、活気があって穏やかで、そして美しい。色々な表情を持っているのがこの街の特徴だと先ほど感じた。つい先ほどまで、街の中心部に行き、フローニンゲン大学の美術館に行ったり、その帰りに散歩がてら文房具屋に立ち寄ったり、ノーダープラントソン公園を歩いたりしていた。そんな中で、フローニンゲンの多様な顔を目撃した。街の中心部はとても活気があって、今日は市場の場所が遊園地になっていた。毎年夏になると、即席で観覧車を含めたアトラクションが作られる。今日はその姿を見ることができた。中心部から少し離れると、穏やかな表情をしたフローニンゲンがパッと現れる。そんな様々な表情のフローニンゲンを楽しみながら、今日はゆったりとした時間を過ごしていた。


さて、初めて足を運んだフローニンゲン大学美術館だが、そこは美術館というよりも博物館と言った方がいいかもしれない。美術作品よりも、科学的な展示物や歴史を伝える展示物が展示されていて、博物館としての機能を果たしていた。博物館の外観をふと眺めた時に、その作りがお洒落だったことに気づいた。このあたりにもオランダのデザイン性を見る。この時期の博物館は、時間に関する特別展示をしていて、これが非常に素晴らしかった。フローニンゲンの研究チームの研究成果をもとに、インタラクティブな展示を大いに楽しんだ。興味深かったのは、入り口で渡されたブレスレットを用いて、それを展示スペースに置いてある機器にかざすと、時間に関するゲームに参加でき、それがデータとして今後活用されるという参加型のものだったことだ。その研究チームは、脳科学と心理学を架橋させた研究をしていて、人間がどのように時間を知覚するのかを研究している。時間と発達は不可分な関係を持っている都合上、自分も以前より時間に対して関心が高かった。作曲やジークンドー、そして箏の演奏においても時間は非常に重要な要素であり、そうしたことからも今回の特別展示は非常に学びが多かった。掲示されている説明文もくまなく読み込んでいき、ゲームにも全て参加した。ちょうどここ数日以内に、時間を至福さと充実感で測っていくということを書き留めていたように思う。その態度をこれからも持ち続けたいものだと改めて思った。


帰り道、フローニンゲンの街はとても豊かな表情を見せてくれた。今日は晴天に恵まれていたので、道ゆく人たちも幸せそうな顔をしていた。このように、多くの人々が幸せを感じていればいるほどに、自分もまた幸せを感じる。他者の幸福感は、自分の幸福感と密接につながっているのだ。これからも、他者の幸福感に貢献するような取り組みをしていきたいものだと改めて思った。幸福感に満ちた街で日々の生活を営んでいることに改めて大きな感謝の念を持つ。フローニンゲン:2022/5/14(土)17:25

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