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8357-8360: フローニンゲンからの便り 2022年5月9日(月)



No.3631 顕現(その2)_Revelation (Part 2)


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1501, Like a Wind

A wind can go anywhere.

So can we.

Groningen; 08:47, 5/9/2022


No.1502, Serene Waves

Serene waves are coming to the world and self.

They soothe both very much.

Something new emerge after the calmness.

Groningen; 19:35, 5/9/2022


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本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8357. 今朝方の夢

8358. 今朝方の夢の続き/ELSAの継続

8359. 詩的生き方/旅と肌

8360. 夕方の買い物より/則天去私と無限の創造エネルギー


8357. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。今の気温は6度と低いが、朝日が燦然と輝き、光の温もりを感じる。午後には20度を超える予報が出ていて、日中は随分と暖かくなる。今日ジムに行こうと思っていが、昼前から昼過ぎまで協働者の方とのミーティングがあることも考え、ジムに行くのは明日にしようと思う。今週は、火曜日と金曜日にジムに行くことにする。その代わりに今日は、夕方に近所のオーガーニックスーパーに散歩がてら買い物に出かけようと思う。やはり今日は天気がいいので、せっかくだから外出がしたいところである。太陽の光に感謝しながら、今日は散歩を楽しむことにしよう。


昨日の段階で6月の旅行に関する各種の予約を完了させたので、旅に向けてはもう準備が整っている状態だ。訪問したい場所のリストアップもすでに終わっている。あとは現地に到着してからまた調べ直してみて、どこか足を運びたい場所がないかを調べてみればいい。6月の旅はやはり美術館や博物館巡りが中心になるが、7月や8月の旅は少し自然を味わうゆったりとした旅になるだろうか。9月のスイス旅行もそのような形でゆったりとした旅になるだろう。旅に向けての夢想の楽しみは尽きない。


旅への夢想をしていると、今朝方の夢について思い出した。夢の中で私は、2度目の大学受験に向けて準備をしていた。すでに日本の大学を卒業してしばらく経ち、まさか自分がもう1度日本の大学に入り直すとは思ってもみなかったことである。しかも大学院に入り直すのではなく、学士入学だったからなお一層自分でもその決断を驚いた。当初は母校を再度受験しようかと考えた。しかし、違う地域の違う大学に行く方が自分の幅を広げる上で良いかと思い、京都大学を受験しようと思った。当初は専攻も自分のこれまでの専門性に則ったものにしようと思っていたのだが、この際に専門も大きく変えようと思った。そしてふと閃いたのが、健康学科への入学だった。欧米の大学院入試に関しては慣れていたが、日本の大学入試はブランクがあるので、対策をしっかりしないといけないなと思った。特に数学に力を入れて勉強をしようと思っていたら、いつの間にか大学に受かっていた。入学式を終え、学内は新歓ムード一色だった。様々な部活やサークルが新入生の勧誘に奔走していて、その光景には活気があった。私も新入生として大学内をふらふら歩いていると、色々とビラを渡された。これからどの部活かサークルがいいだろうか考えていると、これから行かなければならない場所があることを思い出した。そこに向けて、最寄駅に急いだ。すると、知っていたはずの最寄駅の位置が分からなくなってしまい、少々迷ってしまった。駅の方向はもうわかっていて、もうすぐだということは明白だったが、目の前の駅に立ちはだかる形で住宅地があり、すぐには駅に到着出来なさそうだぞと感じた。左手に見える線路には無情にも、自分が乗ろうとしていた電車が出発してしまう姿が見えた。そこからもう焦らずに駅に向かうことにしたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/5/9(月)08:00


8358. 今朝方の夢の続き/ELSAの継続


時刻は午前9時を迎えた。今、洗濯物を干し終えたところである。朝日は燦然と輝いていて、今日は日中に20度を越してくるのだが、今はヒーターが自動で入っている。どうやら今朝方は随分冷え込んでいたようであり、外の気温はまだ低いようだ。5月もこれから半ばを迎えようとしているが、まだヒーターが自動で入るぐらいの気温であることを改めて思う。


先ほど、今朝方の夢を振り返っていたが、今朝方の夢にはまだ続きがある。日本の大学に再度入学しようと思っていて、気がつけば無事に入学できた続きとして、あるホテルの一室にいた。ホテルの部屋は少し薄暗く、何やら不穏な雰囲気があった。そこで私は、見知らぬ男女数人と一緒にあるゲームをすることになった。そのゲームは金銭を賭けたものであり、どこか怪しさがあった。そのゲームは運と戦略性の双方が重要であり、自分はそうしたゲームが好きであり、また得意でもあることからそのゲームに参加することにした。いざゲームが始まってみると、私は可も無くなく不可も無くといった形で淡々とゲームを進めていた。ある時、誰かが扉をノックしてきた。このゲームは掛け金が生じるという意味だけではなく、景品としても違法性のあるゲームだったから、誰か外部の人間に現場を見られるのはまずいとその場にいた全員が思った。席を立った男性が、ノックをしてきた人物が誰かをドアスコープから確認し、扉を開けた。どうやら扉の外にいたのはゲームの参加者のようだった。その人物を部屋に招き入れたところで、ゲームは第2ラウンドに入った。そのような夢を見ていた。この夢にもまだ続きがありそうだが、覚えていることはそこまでである。


それではこれから、英会話アプリのELSAを活用して、スピーキングの鍛錬をしようと思う。依然として毎日このアプリにお世話になっていて、英語の発話能力を磨くことは、ジークンドーの鍛錬と同じく毎日の習慣になった。1日の間に小分けして、3回ぐらいこのアプリに触れている。時間にすると、30分から40分ぐらいをスピーキングの鍛錬に充てていると言えるだろうか。これも1つの習慣として見事に確立され、ジークンドーと同じく、日々の緩やかな進歩を感じることができる。そうした緩やかな進歩が積み重なっていくと、いつか大きな進歩が実現される。それがやって来るのを楽しみに、今日もまた少しずつ実践を重ねていこうと思う。フローニンゲン:2022/5/9(月)09:19


8359. 詩的生き方/旅と肌


風光り、風薫る季節。今日の天気はすこぶる良く、どこか典雅さを増しているフローニンゲン。その町で、今日もまた自分は1日を過ごしていた。この町での生活は、自分にとってずっと僧院の中で生活しているような、あるいは美術館の中で暮らせているような感覚をもたらす。そうした感覚をもたらしてくれる生活を実現させてくれているこの町には感謝が尽きない。フローニンゲンが自分にとって重要な故郷の1つになったことは、そうしたところにも理由がある。


自分の生み出すものは、何らかの形で絶えず己の詩だと言える。そうした詩が自分の行為や活動と化すまで、詩的生き方を深めていく必要がある。そして、詩的生き方を担保し、その養分となる種々の遊びを日々の生活の中に持たせることを忘れてはいけないと思う。日々の生活は、遊びに満ちていて、それが固有の詩に転じる。そしてそれはまた行為や活動をもたらすものに転じていく。そのような関係性を見てとる。


先ほど、旅の意義や価値、そして喜びというのは、事物そのものと直接肌で触れ合うことにあるのだという気づきが降ってきた。事物と直接肌で触れ合うというのは、現代のコンテクストにおいてはなお一層のこと重要性を増しているように思う。コロナの蔓延によって、人々との接触のみならず、事物との接触においても、自らの身体性を投げ出す形での関与が希薄になっている世の中に追い討ちをかけるかのように、あるいは実際にはそうした状況を乗り越えるために開発された側面のあるヴァーチャルテクノロジーなども、結局はまだ身体性の問題を乗り越えてはない。テクノロジーは見事に脳を騙して、リアルと差がないほどの体験をもたらしてくれつつあるが、それでもなお、テクノロジーが媒介した場合には、ある物理的な場に身体を投げ出し、場からの力を汲み取る直接体験の働きが弱いように感じるのは自分だけではないだろう。実際に自分の身体と共に旅に出かけることを通じて、よりそうした事柄を実感する。


今後、旅というのはどのような形態を取るのだろうか。テクノロジーの進展によって、旅のあり方も変わって来るかもしれない。そうなって来ると、それに付随して、旅の意味や意義なども変わって来るかもしれない。旅1つ取ってみても、ここからの人間社会において色々と変化がありそうである。自分は1人の旅人して、これからも自らの身を持って世界の様々な町や自然を巡りたいと思う。最終的に譲れぬアナログ性をなんとか死守し、重んじる形での旅をこれからも継続させていきたいと改めて思った。フローニンゲン:2022/5/9(月)15:58


8360. 夕方の買い物より/則天去私と無限の創造エネルギー


時刻は午後5時を迎えた。先ほど買い物から戻ってきたところなのだが、ちょっとやらかしてしまったことがあった。昨日、箏の楽譜が日本から届けられ、その書物の受け取りもあるかと思ってIDカードを持っていこうとしたところはいいものの、普段とは違うデビットカードを持ってきてしまい、そのPINコードを失念していたため、買い物先のスーパーで買い物ができなかったのだ。普段、近所のスーパーに行くときには財布など持たず、カードをビニール袋に包んでそれをポケットに入れて買い物に行く習慣がある。今日は、いつも使っている個人用のデビットカードではなく、会社用(ビジネス用)のデビットカードを持ってきてしまったようだった。こちらのPINコードに関しては覚えにくいものをあえて採用していて、それが今回仇となった。そのため、今日はスーパーを2往復することになった。だが、それも良い方向で捉えてみると、夕方の長閑な公園を2回ほどジョギングや散歩できたことによって、随分とリフレッシュされたことは確かである。また、今日はいつもと違った意識でスーパーに入ることができ、これまで見落としていた野菜を発見することができた。端的には、近場のスーパーで売られていた紫キャベツは人気があるせいか、結構売れ切れが多く、一方で今日訪れたオーガニックスーパーには在庫がありそうだと分かったことは発見であった。仮に明日スーパーに行っていたらまた違う意識であったろうから、紫キャベツを発見できなかった可能性がある。そうしたことから今日スーパーに足を運んで良かったと思う。また今後、会社用のデビットカードを持ってきたとしても、もうPINコードを忘れないだろうと思う。その工夫をしておいた。


買い物からの帰り道、自己の存在を脇において、生全体、世界全体を眺めている自分がいることに気づいた。生と世界の全体に深く参入する自分がここのところ強く芽生え始めている。夏目漱石はかつて、「則天去私」という言葉を残した。これは単なる言葉ではなく、漱石が理想としたあり方であり、彼はそれを体現していたのだろう。天に則って、私心を捨て去ること。自我に囚われることなく自然に身を委ねるというのは、自分も非常に大切にしている在り方であり、生き方である。そうした在り方と生き方を継続していると、自分の内側から無限の創造エネルギーが生まれて来る。無私な生産的土壌が開花すると言い換えてもいいかもしれない。生涯多産であり続けた偉大な芸術家は漏れなくこの状態にあったのだと思われる。自分もまたこの在り方と生き方を深めたいという思いを改めて持ちながら、買い物からの帰路に着いた。フローニンゲン:2022/5/9(月)17:10

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