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8316-8319: バルト三国からの便り 2022年5月3日(火)



No.3606 思い出の炎_A Flame of Recollection


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1490, Gentle Whispers

A morning breeze is whispering.

So is my soul.

The world is full of gentle whispers.

Groningen; 09:51, 5/3/2022


No.1491, Intuition

Something spiritual would come to me today.

I intuitively feel it.

The spiritual experience would nurture the ground of my spirituality.

Groningen; 09:53, 5/3/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8316. 日本の歴史を知ること/今朝方の夢

8317. 今朝方の夢の続き

8318. 自己認識と自己創造/非日常性を感じることの大切さ

8319. 喜びと楽しさを通じて/夏までの読書計画


8316. 日本の歴史を知ること/今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。今、小鳥たちの鳴き声が聞こえている。辺りはまだ薄暗く、これから朝日が顔を覗かせる。今日は午前中は曇りとのことだが、幸いにも午後からは晴れてくるようだ。実は今日は、日本から友人がフローニンゲンにやって来る。友人を中央駅に迎えに行くために、午前10時半には自宅を出発しようと思う。今日はその前に、友人を自宅に招くために、朝は少し部屋の掃除をしておく必要があるだろう。幸いにも旅行から帰って来てすぐに部屋に掃除機をかけたばかりなので、掃除にはそれほど時間を割かなくていいはずである。


昨夜ふと、日本の歴史を知らないことはひどく恐ろしいことであり、同時に、自分にとってひどくもったいないことだという思いに突然駆られた。神道の研究を通じて、少しずつ日本の歴史を見直している最中であり、今後はそれをより意識的に取り組みたいという思いが高まる。今後日本に一時帰国することは、日本の歴史を旅を通じて知る貴重な機会になるだろう。手持ちの書籍を含め、今後は旅を通じて日本の歴史を知っていく探究に意識的に取り組む。それは自分をより深く知る道でもあるはずだ。


今朝方の夢はいくつかのものに分断されていた。分断されていたが、結局それらは自分の無意識から生み出されたものであるから、必ずどこかでつながっているのだと思う。


夢の中で私は、見知らぬ古代遺跡の敷地内にいた。そこを散歩していると、ある不思議な生き物と出会った。それは何かのキャラクターのようだったが、私はその名前を知らず、それは未来のことを予知する能力があるようだった。しばらくそのキャラクターと話をしたのだが、結局私は自分の未来については教えてもらうことをしなかった。未来というのはすでに自分の現在の中に宿っているものであるから、取り立てて未来について知ろうということを思わなかったのである。また、未来のことを知って右往左往したくはなく、自分は今というこの瞬間に生き続けたいのだということも思っていた。


そのキャラクターと別れた後、遺跡の足場の悪い箇所に到着した。そこは少し崖のようになっていて、崖を登って上の道に出る必要があった。すると、私の目の前にはヒスパニック系の中学生ぐらいの学生が数人いて、私の後ろには日本人の中学生ぐらいの学生が数人いた。ヒスパニック系の学生たちは急ぎで崖を上がろうとしたが、足場が悪いので崖が崩れてしまうことがあり、なかなか上に上がれなかった。後ろにいた日本人の学生はもっと悲惨であり、ヒスパニックの学生たちが足場を崩すものだから、より登りにくそうにしていた。


ヒスパニック系の学生たちがなんとか崖の上に上がると、彼らは意地悪にも、崖をさらに壊し、日本人学生が登ってこられないようにしてしまった。ヒスパニック系の学生はそれを確認して、逃げるようにその場を離れた。私の後ろに残された日本人学生たちは怒りを露わにすることもなく、幾分頼りなさそうな表情を浮かべて途方に暮れていた。そこで私は、そもそもこの崖は彼らが通っている学校が作ったものなのだから、学校側にこのような杜撰な崖を作ったことを抗議するべきではないかと持ちかけた。すると、彼らにはそのような覇気はないようであり、日本人学生の頼りなさがさらに露呈される形となった。フローニンゲン:2022/5/3(火)06:26


8317. 今朝方の夢の続き


小鳥たちの美しい鳴き声に体が反応し、彼らの呼吸と自分の呼吸が合って来るかのようである。ここに、小鳥という他者と自分という存在の感応を見る。小鳥の方はこちらを認識していないが、こちらもまた鳴き声だけが聞こえる小鳥たちの位置と姿を想像しながらに感応が起こることが興味深い。生命には見えないエネルギーが流れていて、それは磁場のようなものを形成していることがここからもわかる。


今朝方の夢の続きを振り返っておきたい。夢の中で私は、中学校時代のバスケ部の背の高い友人(HY)が、NBAの名プレーヤーであるレブロン·ジェームズと1on1をしているところを眺めていた。私は夢を目撃する者としてそこにいて、夢に対して働きかけができるような存在ではなかった。意識というのは本当に興味深く、夢を生成する意識の層もありながら、夢の中に入り込まないのだが夢を目撃させる意識の層があることがわかる。


さて、友人の彼はなんとあのレブロン·ジェームズに1on1で勝ってしまったのだ。最終的には、10対6で彼が勝利し、彼は飛び上がるかのように大喜びをしていた。レブロン·ジェームズに勝ったのだから、それくらい喜んでも無理はないと思った。試合を観戦していて興奮したのは、友人の彼がスリーポイントシュートよりもはるかに遠い位置からのロングシュートを3連続で決めたことである。その距離は凄まじく、自陣のゴール下から相手のゴールぐらいの距離があった。それゆえに、尚更彼のロングシュートは印象的だった。


そのような夢を見た後に、今度は夢の中で動く自分として夢の中にいた。私は誰かに忘れ物を届けようとしていて、立派なマンションの前にいた。忘れ物の届け先の人の家の番号を知らなかったが、直感的にどこに住んでいるのかがなんとなくわかった。そこは高級なタワーマンションであり、忘れ物を届けようとマンション内を歩いていると、立派な身なりをした人と随分すれ違った。気がつくと、私は忘れ物を届け終わっていて、マンションの下にいた。すると、前職時代にお世話になっていた女性のメンバーの方とでくわし、そこで少し立ち話をした。立ち話をしている最中に、マンションから男女のカップルが何組か外に出て来たが、彼らの様子を見ていると、どうやらいずれの男性側には妻がいて、女性は若く、2人は愛人関係のように思えた。彼らがそそくさとマンションを離れていく様子を眺め、彼らの背中が見えなくなったところで夢の場面が変わった。


今日はいくつか夢を見ていたが、今となっては最後の夢が上記のものであったかは定かではない。何かその他にも夢を見ていたような気もする。いずれにせよ今日は、夢を目撃する者として夢の中に存在していた場面があったことが印象的である。フローニンゲン:2022/5/3(火)06:51


8318. 自己認識と自己創造/非日常性を感じることの大切さ


時刻は午前9時を迎えようとしている。昨日は湯たんぽを使うことがないぐらいの暖かさだったが、今日は曇っていることもあり、朝の冷えが体に沁みる。今はなんとか湯たんぽを使わずに済んでいるが、ヒーターは自動で入っている。


畢竟、自己を認識するというのは、自己を創造することであり、世界を認識するというのは、世界を創造することであるということについて昨日考えていた。自己認識と自己創造は表裏一体の関係をなしていて、世界認識と世界創造もまた同様の関係性を成している。


昨日はその他にも雑多なことを考えていた。例えば、どれだけ才能に恵まれているように思える人も、それぞれに固有の天国と地獄が必ず付き纏うということである。どんな分野の傑出した人もそれを深く認識していて、逆に一般人は彼らが抱える苦悩については無自覚なように思える。そして、天国と地獄の二面性を持ち合わせているというのは、いずれの分野における傑出した人たちに特徴的な事柄であり、おそらくそうした二面性を把握できていないというのは、その道の達人ではないという証なのではないかと思う。


それ以外にも、昨日は、非日常性を日常の中で感じることの大切さについて改めて考えていた。旅がもたらす非日常性は、きっと自分を今後一生支えていく肥やしになるであろうという確信がある。ジークンドーの鍛錬や箏の演奏もまた日常の中で行うものだが、それらは非日常世界を体験させてくれる非常に貴重な実践だとつくづく思う。旅やそれらの実践によって、非日常世界に足を踏み入れることによって、日常世界そのものが浮かび上がって見えて来ることは多々あるし、日常世界にまみれていた自分の姿もまた浮き彫りになる。そうしたプロセスを通じて、世界や自己に関する新たな認識が獲得されるのではないかと思う。


友人がフローニンゲン中央駅に到着するまであと2時間ほどある。今からは、英会話アプリのELSAをいつものように活用して英語の学習をしようと思う。欧米での11年目の生活を迎えるにあたって、今一度自分の英語の発話能力を見直し、それを高めていく実践に乗り出したことには、きっと大きな意味があるだろう。そして、この実践を続けていけば、緩やかとだが着実な成果が形となって現れて来るだろう。フローニンゲン:2022/5/3(火)08:59


8319. 喜びと楽しさを通じて/夏までの読書計画


友人を自宅に招くにあたっての掃除を先ほど終えた。祓いの実践としての掃除はいつ行っても気持ちの良いものである。このようにして自己は純化の道を歩んでいく。


この世界は確かに闇や絶望に覆われているが、地上での喜びと楽しみを最大限に享受し、喜びと楽しみを通じてこの世界に関与していく。地球上で得られる喜びと楽しみを最大限に享受しないで生きることは、非常に惜しいことであるように思われる。喜びと楽しさに溢れる活動だけに従事しているだけでも一生は足早に過ぎていく。1人の人間に与えられた一生は短いのだから、この地上での喜びと楽しみに十全に従事しながら、そこで得られた肯定的な感情とエネルギーを通じてこの世界に関与していくことが自分のやり方である。苦虫を噛み潰したような表情で実践をしていてもしょうがないのである。怨念を通じて社会に参画していても仕方ないのである。幾分青臭い発想かもしれないが、自分の場合はとにかく喜びと楽しさを通じてこの世界を生き、この世界に関与していきたい。掃除中にそのようなことを考えていた。掃除を通じて、雑念が払われ、祓いとしての掃除の最中にやって来たその考え方は、自分の純粋な思いなのだろう。


掃除を終え、今後の読書の方針について少し考えていた。夏頃までは、もう一度読みたい和書を繰り返し読んでいくことに時間を当ててもいいかもしれないという考えが芽生え、森有正全集や辻邦生先生の日記やエッセー集を1階の段ボール箱から取り出し、改めて書斎に持って上がって来た。彼らの著書を読みたいと思ったのは、自分の内側に美しい日本語に触れたいという衝動があるからだろう。美しい日本語を養分にしながら、自分はまた新たな境地に向かっていくのだという実感がある。


今、川面凡児全集もオランダに届こうとしているため、その全集を合わせると、和書を読むのは夏の初めか夏の終わり頃までかかるかもしれない。そこから再び、集中的にロイ·バスカーの批判的実在論、バーナード·スティグラーやアンドリュー·フィーンバーグのテクノロジー哲学、そしてマネー神学に関する書籍を読んでいこうと思う。一昨年や昨年に購入した書籍に再び帰って来たことを嬉しく思う。自分の関心というのは行ったり来たりを繰り返しながら、まるで円環運動をしているかのように、円を描くごとに知識が深まり、社会に関与するための新たな洞察を得られていることを嬉しく思う。さて、もう30分ほどしたら友人を迎えにフローニンゲン中央駅に向かおう。フローニンゲン:2022/5/3(火)10:03

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