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8285-8290: バルト三国からの便り 2022年4月27日(水)



No.3584 リガの夢_A Dream in Riga


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1478, Beauty of Defect

Everything has room for defect, therefore, everything is always changing.

The process generates tremendous beauty.

Tallinn; 06:17, 4/27/2022


No.1479, Folk Music & Folk Arts

Folk music and folk arts fully embody the unique culture of a country.

I’m totally enthralled by both of them.

The Estonian Museum of Applied Art and Design; 14:29, 4/27/2022

No.1480, Folk Music & Folk Arts

Any artists participate in creating the universe in their own way.

They are a universe-maker to enrich the diversity of the universe.

The Estonian Museum of Applied Art and Design; 14:52, 4/27/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8285.【バルト三国旅行記】完全無欠でないことの美に関する夢

8286.【バルト三国旅行記】今朝方の夢の続き

8287.【バルト三国旅行記】夢の続きをさらに振り返って

8288.【バルト三国旅行記】タリン滞在最終日の観光予定

8289.【バルト三国旅行記】エストニア民芸との出会い

8290.【バルト三国旅行記】Alex Salaueu氏との出会いと原画"Caryatid"を購入して


8285.【バルト三国旅行記】完全無欠でないことの美に関する夢


時刻は午前6時を迎えようとしている。今、橙色に輝く朝焼けがタリン上空に見える。タリン を観光するのは今日が実質上最後となるが、最終日においても天気に恵まれたことを本当にありがたく思う。


今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていたので、早速それらを書き留めておこうと思う。夢の中で私は、どこかの国の海岸沿いの上空を飛んでいた。眼下には見事に透き通る海がどこまでも広がっていて、そうした海を眺めながら空を飛ぶことは気持ち良かった。


しばらく海の上を飛んでいると、ふとある海岸に着地したくなったので、その直感に従う形で着地してみた。そこから海岸線沿いをしばらく歩いていると、海の家のような建物を見つけ、その中に入ってみた。すると、そこは外観とは違って学術的な雰囲気を発していて驚いた。


ある部屋に入ってみると、さらに驚いたことに、発達理論の権威であるロバート·キーガン教授とその協働者の女性教授、そしてアシスタントの女性が1人いた。まさかこんなところでキーガン教授に会えるとは思ってもいなかったので、驚きを隠せなかったが、せっかくなので色々と話をしてみようと思った。


キーガン教授はどういうわけか日本語を流暢に話すことができて、私に日本語で話しかけてくれた。そこからは研究に関する話となった。話の後半で日本の美的感覚の話題が出た。その時に私は、3人が面白いと思うであろう話を1つした。


それは何かというと、日本においては完全無欠なものに美を感じることはもちろんあるが、それよりも何かが欠けたものに対して美を感じることがあるという話をしたのである。すると、最初3人はキョトンとしていたが、アメリカの思想家のケン·ウィルバーが提唱した「前後の混同(前超の虚偽)」の概念を用いて、何かが欠けていることにも次元があり、質的に深い形で欠損があることは超越的な欠損状態であり、それは超越的な美を生み出すことを指摘したのである。


すると3人はひどく感激したようであり、特にキーガン教授は唸っていた。そしてキーガン教授はもっと自分の話が聞きたいという目をしていたので、さらに話を続けることにした。その際には3人の母国語である英語で話をした方がもっと伝わることもあるだろうと思ったので、そこからは英語で話をした。


その時に、ひょっとしたらキリスト教においては、“impeccable beauty (非の打ちどころのない美)”に美しさを感じる美的感覚を持っているのかもしれないと伝えると、3人はそれにも納得しているようだった。自分の一連の話が終わると、キーガン教授は自分を講師として大学に招く手はずを整えたいと申し出てくれた。その申し出は有り難く、是非キーガン教授の所属している大学にお世話になろうと思った。


この夢はとても印象的である。今、ホテルの窓の外に広がる朝焼けは、どちらかというと完全無欠な美を体現しているように思えなくもない。


先日訪れたタリン動物園で見た動物たちもまた、その身体の作りはどこも無駄がない完全無欠な美を体現しているように思える。しかし、朝焼けという自然現象も生命の身体もまた絶えず変化していることを考えると、やはりそれは完全無欠なものではないのではないかという思いになる。


完全無欠であれば変化が起こる必要はなく、変化が起こるということは完全無欠ではないということなのかもしれない。そう考えると、完全無欠でないことは歓迎するべきことなのではないだろうか。タリン:2022/4/27(水)06:10


8286.【バルト三国旅行記】今朝方の夢の続き


昨夜は随分と気温が下がっていて、マイナス2度まで気温が下がっていたようだ。そのため、早朝においては雪マークが付されていたが、幸いにも今は朝日が輝く晴天に恵まれている。とは言え、今日の最高気温は5度までしか上がらないようなので、温かい格好をして観光に出かけようと思う。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、今日はその他にも夢を見ていた。夢の中で私は、室内の大きなプールで泳いでいた。そこはオリンピック選手たちもよく練習しているプールらしく、本当に広々としていた。そこで私は水泳の練習をしていた。


大学時代のゼミの親友と一緒にそのプールにやって来たらしく、最初は楽しく泳いでいた。すると途中から、真剣に泳ぎの練習を始め、黙々と泳ぎ続けていると、誰か見知らぬ人が私たちのレーンに入って来た。どうやらその人は日本を代表する水泳選手のようであり、今度オリンピックに出場するための大事な大会があるとのことだった。


その人はターンの練習をしたいと述べ、私たちはその練習を邪魔しないように泳ぐことにした。せっかくなので自分も改めてターンの練習をしてみようと思った。これまでは利き足で強く壁を蹴ってターンをしていたが、利き足ではない軸足の方で壁を蹴ってみるとどうなるのかを試してみようと思った。


また、通常は右側のレーンを泳いで、壁を蹴ってターンをし、左側のレーンを泳ぐことになっているが、それを逆にしてみたらどうかと思ったのである。つまり、左側のレーンから泳ぎ始め、壁を蹴って右側のレーンを通って帰ってくるということを試そうと思ったのである。


やってみると、これまで慣れ親しんだ感覚とは全く違って違和感があった。壁に手をついて左足により力を入れて壁を蹴るということにも違和感があったし、右側のレーンを泳いで帰ってくることにも大きな違和感があった。その違和感を友人に共有し、そこからまた工夫をしてみようという話をしたところで夢の場面が変わった。


最後にもう1つ覚えているのは、サッカー日本代表がこれからワールドカップの本戦を戦うための最終合宿をしている場所にいたことである。直前の親善試合では、散々な結果であり、本戦で結果を残すことが危ぶまれている代表であったが、メンバーを大きく入れ替えたことによって雰囲気が随分とよくなっているように思えた。


驚いたことに、すでに代表を引退した歴代の名選手たちが各ポジションにずらりと召集されていた。歴代と言っても直近15年間ぐらいで代表を務めていた名選手たちであったから、一緒にプレーしている間柄の選手たちが多く、即席感のあるチームではなく、何かとてもまとまりがあるようなチームのような気がして、本線での活躍が大いに期待された。


自分もこれから代表チームに帯同して、本戦を一緒に戦うことが楽しみになっていた。今朝方はそのような夢を見ていた。タリン:2022/4/27(水)06:31


8287.【バルト三国旅行記】夢の続きをさらに振り返って


朝日の輝きは止むことを知らない。自分もまた歩みを止めることを知らない存在である。絶えず何かが継続し、その継続が確かなものとして存在していることを思う。


そう言えば、先ほど書き留めていた夢の場面について、もう少し思い出したことがあった。プールで泳いでいた時に、最後の方で大学時代のゼミの先輩が現れた場面があった。その先輩とは仲が良く、大学を卒業してからも時折会って話をする仲だった。


その先輩は文武両道を大切にしていて、学業と運動の双方を高い次元でこなしていた。先輩は内側に情熱を秘めた人であり、水泳に関しては初心者のようだったが、今度秋の大会に出場することを教えてくれた。その大会に向けて追い込みの練習をしたいと述べていた。


そうしたことから一緒に練習をすることになり、いざ泳ぎ出してみると、先輩の泳ぎはかなり上達していて、自分とほぼ同じぐらいの速さで泳げるようになっていたことに驚いた。


私は先輩の後をついてく形で泳ぐことにしたのだが、どういうわけか練習の後半で、先輩の足を後ろから掴むことをしてしまった。それは無意識的に行った動作であり、本当に悪意も何もなく、なぜか先輩の足を掴んでしまったのだ。


ゴール直前で足を掴まれた先輩は驚いて、壁にタッチする前にその場で足を止めた。先輩は別に怒ってはいなかったが、何が起こったのかを知りたいようだった。とは言え、自分自身でもなぜそのようなことをしてしまったのか理由がわからず、説明することができなかった。


そこから少し先輩と話をし、先輩は秋の大会を最後に水泳を引退すると述べていて、最後の大会にかける思いは相当に強いことがわかった。先輩はもう邪魔をされたくないらしく、悪気はないが、秋の大会が終わるまでは自分と口をきかないようにすると述べた。それもまた必要なことかと思い、私も先輩には声を掛けないようにして、練習の邪魔をしないように思った。


そのような夢の場面があった。この夢を思い出してみると、やはりなぜ自分が先輩の足を掴んだのかは不明である。


日本語で、「足の引っ張り合い」ということがあるが、自分もまかさそのようなことを他者に行ってしまうことがあるのではないかと思った。それはきっと無意識的なことであり、そうしたことを行ってしまう自分がいることに自覚的にならなければならないと思った。


その背後には、人間の中で毒の感情と言われる嫉妬心などがあるのかもしれない。そして重要なことは、その嫉妬心が自分の内側の何によって生み出されているのかを特定し、それを治癒·変容させていくことである。今朝方の夢からはそのようなことを考えさせられた。タリン:2022/4/27(水)07:30


8288.【バルト三国旅行記】タリン滞在最終日の観光予定


時刻は午前9時を迎えようとしている。この日記を書き終えたら、レストランに降りて行き、朝食をいただこうかと思う。


先ほど、川面凡児の神道神学に関する書籍、言霊学に関する書籍、天皇論に関する書籍を含めて、11冊の和書を注文した。それらは以前から購入を検討していて、リガで箏を注文した際に合わせて購入することをしなかった。


今朝方改めてそれらの書籍を吟味したところ、やはり神道の研究において重要な書籍だと判断したので、注文をした次第だ。確かにまだ和書の購入リストには膨大な量の書籍が残っているが、当面はしばらく和書を購入することはないだろう。


船便で向かっている川面凡児の全集を含めて、これから集中的に読むべき和書はすでに揃っているので、ここからはそれらの書籍を繰り返し読み込んでいくことをしたい。洋書に関してもとりあえずはすでに手元にある書籍を繰り返し読んでいき、夏かどこかのタイミングで一括注文をしようと思う。ここからは引き続き、神道の研究、ジークンドーの鍛錬、そして近々届く箏の演奏に力を入れていきたい。


今日は午前11時から協働者の方々とオンラインミーティングがある。それを終えたら、今日の観光に出かけよう。


今日はいよいよタリン滞在の実質上最後の日なので、思い残すことのないように散策をしよう。ミーティングを終えたら、まずはエストニア自然博物館に足を運ぶ。その後、そこからすぐ近くにあるエストニア工芸美術館に行く。


ここは昨日訪れた健康博物館の真ん前にあり、昨日は時間の都合上ここを訪れることはしなかった。自然博物館と工芸美術館を訪れることができたら、タリンで鑑賞したいと思う場所で思い残すことはない。


帰りには、1つ面白そうだと思ったギャラリーに立ち寄ろうと思う。そこは“ARTSTAC Kunstigalerii”という名前のギャラリーで、ちょうど帰りがけに立ち寄るのが良いだろう。今日も天気に恵まれたことにより、最終日もまた充実した観光ができるのではないかと思う。タリン:2022/4/27(水)09:03


8289.【バルト三国旅行記】エストニア民芸との出会い

時刻は午後7時半を迎えようとしている。今、タリンの空に夕日が輝いている。振り返ってみれば、タリン滞在の最終日の今日もとても充実していた。


昼前に協働者の方々とオンラインミーティングをし、それが終わってから最後の観光に出掛けた。まず向かったのは、エストニア自然博物館である。


今日もまた気温がすこぶる低く、午後にホテルを出発した時にも足元から冷えて来たが、日光のおかげもあり、博物館に到着する頃には体も温かくなっていた。この博物館は、タリンの地元の子供たちに人気らしく、子供連れの親子を多数見かけた。というよりも、大人1人で訪れているのは私ぐらいしかいなかったように思う。


先日にタリン動物園に訪れて実際の動物を見て感動していた自分にとって、この博物館で大きな感動は得られなかったが、コウモリに関する様々な展示は非常に興味深く、コウモリの生態について詳しく知ることができたのはよかった。


博物館をあとにして向かったのは、エストニア工芸美術館である。個人的には、ここは当初の期待を上回る美術館であった。特に、エストニアの芸術家のラグ(絨毯)が数多く展示されている1階の企画展は素晴らしかった。絵画作品以上に美しさを持つラグがいくつかあり、その大きさもあって、とても印象に残っている。


そこから2階、3階と見どころは多く、今朝方まで知らなかったのだが、Zoomが登場するまでお世話になっていた電話会議システムのSkypeは、今いるタリンが発祥の地ということを知り、エストニアはテクノロジーの発展のみならず、民芸においても目を見張るものがあると思わせてくれたのがこの美術館である。


2階と3階には、レザーのブックカバーがいくつも展示されているコーナーがあり、いずれも大変お洒落であった。また、ガラス工芸や陶磁器についてもいくつか見惚れてしまうものがあり、予想以上にこの美術館に滞在することになった。


一昨日は、音楽院の横の楽器屋でエストニアの民族音楽が体現された楽譜を購入することができ、それを通じてエストニアの民族音楽との出会いを果たしたと言える。ひるがえって今日は、エストニアの民芸と出会えたことはとても嬉しい収穫であった。タリン:2022/4/27(水)19:37

8290.【バルト三国旅行記】Alex Salaueu氏との出会いと原画"Caryatid"を購入して


時刻は午後8時半を迎えた。この時間帯はまだ夕日が照っていて、その光はタリンの最終日の充実さを改めて感じさせてくれる。


実はタリンの最終日に幸運な出会いがあった。それはタリン市内にあるARTSTACというギャラリーとの出会いと、そのギャラリーに所蔵されていたベラルーシの画家Alex Salaueu(1926-2021)との出会いである。


工芸美術館を訪れたあとに、連日お世話になっていたオーガニックスーパーに立ち寄る前に、このギャラリーを覗いて行こうと思った。それは本当に軽い気持ちだったのだが、ギャラリーに到着して中に入れてもらうと、そこに所蔵されている作品に感銘を受けるものが多々あり、このギャラリーに立ち寄って心底良かったと思った。


ちょうど私がギャラリーに立ち寄った際には、馴染みの客とギャラリーのディレクターのフランス人女性の方が話をしていて、その客は何か作品を購入したようだった。その客が出て行ったあとには自分だけとなり、そのディレクターの方はエスプレッソを振る舞ってくれた。


その方は気さくな方であり、所蔵作品について質問があったらなんでも聞いてほしいと述べてくれた。その言葉に甘えて、気になる画家や作品についてあれこれ質問をすると、とても丁寧に色々なことを教えてくれた。


私が抽象画が好きなことを告げると、壁に飾られていない作品でお勧めのものをギャラリーの奥の倉庫からいくつか持って来てくださった。その中に、ベラルーシの画家Alex Salaueuがあったのである。中でも、彼の”Caryatid”という作品には一目惚れをした。


"Caryatid”というのは、日本語でカリアティードと呼ばれ、それはギリシャの神殿に見られる「女像柱(女性柱)」を意味する。「柱」というのは神道において神を数える単位でもあることから、この作品のタイトルには惹かれるものがあり、同時に今から数年前にアテネを訪れた時に見たアクロポリスの丘にあるエレクティオン神殿のことが思い出された。


そうした懐かしい記憶が刺激され、蘇ってくることによって、この作品にますます惹かれていった。そして何より、この作品には2人の女像柱に加えて、真ん中の上部に太陽が輝いていたことがとても印象的だった。太陽もまた天照大神を彷彿とさせ、強く惹かれるものがあったのである。


ディレクターの女性曰く、作者のAlex Salaueu氏は、創造の源である太陽を好んでいたらしく、そこに神道的なものを感じ、この作品に加えて、Salaueu氏の世界観にも惹かれたのである。


どれだけこの作品を食い入るように眺めたのかわからない。じっと眺めていると、ディレクターだけではなく、このギャラリーのオーナーの年配の男性の方も話に入って来て、抽象画は数年、いや何十年、あるいは一生を掛けてその意味を紐解くことができる点に大きな魅力があると述べてくれ、自分もそれに強く同意した。


絵画というのは運命的な出会いがあるものであり、きっとそれは何かの縁で自分の目の前に現れてくれるものなのだと思う。そうした運命的な出会いに感謝をし、それを大切にする意味で、バルト三国の旅行を締め括る思い出の品として、この原画を購入することにした。


この作品との出会い、このギャラリーで過ごした時間、そしてバルト三国で過ごした時間の全ては一生の思い出になるだろう。タリン:2022/4/27(水)20:51

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