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8211-8214: フローニンゲンからの便り 2022年4月17日(土)



No.3542 記憶の重なり_Layers of Memory


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1440, Unexpected Appearance

A small creature suddenly appeared on a branch of a tree.

It was a tiny cute bird.

It left shining light for me.

Groningen; 09:24, 4/16/2022


No.1441, My Own Unique Experience

“I think, therefore I am,” which is not accurate.

More accurately, “I have my own experience, therefore I am.”

Groningen; 17:46, 4/16/2022

No.1442, Development and Experience

As I develop myself, a new unique experience emerges.

It develops me further.

The developmental process is a circular string of new unique experiences.

Groningen; 17:47, 4/16/2022

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8211. バルト三国の気候/今朝方の夢

8212. 今朝方の夢の続き

8213. 記憶の伝承

8214. 「我が経験あるゆえに我あり」/夢という己の固有の経験より


8211. バルト三国の気候/今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。昨日と同じように、うっすらとした雲が空を覆っていて、朝日を拝むことはできない。ただし昨日と違うのは、今日はこれから雲がどんどんと晴れていくということだ。


いよいよ明後日からバルト三国旅行が始まる。ちょうどその日のフローニンゲンは雲ひとつない快晴に恵まれるという予報が出ている。それはまるで旅の始まりを祝福してくれているかのようである。気温に関しても18度まで上がるらしい。


ふと、バルト三国の気候が気になったので天気予報を見たところ、幸いにも軒並み晴れマークが続いていて、自分は晴れ男とだとつくづく思った。一方で、気温に関してはなんとフローニンゲンより低いことがわかった。


ラトヴィアの首都リガに関しては、今日と明日の最高気温はマイナス2度になるようであり、冬用のジャケットとまではいかなくても、少し暖かめのジャケットを持っていこうと思う。リトアニアの首都ヴィリニュスとエストニアの首都タリンも似たような気候だが、若干気温差がある。


流石にマフラーや手袋はもう必要ないだろうし、日中は街を散策して歩き回るため、体温が上がることを考えると、ヒートテックも必要ないかと思う。明日の夕方か夕食後にでも荷造りをし、月曜日の朝はスムーズに出発できるようにしておきたい。


今朝方はいくつか断片的な夢を見ていた。覚えているものから順番に書き出しておこう。


夢の中で私は、大学のゼミのメンバーと一緒に天空に浮かぶ飛行艇の中で勉強をしていた。学期末試験がどうやら迫っているらしく、私たちは数学の勉強をしていた。科目は微分積分であり、これは大学2年生までの期間必修の科目であり、単位を落とすことはできなかった。


同じ学部に所属している面々は基本的に全員数学ができるのだが、その中でも数学が本当に得意なメンバーもゼミにいたので、彼が主導して数学の勉強をみんなで行っていた。そんな中、私は1人で勉強をした方が効率が良いように思えて来たので、途中から抜け出して、1人で勉強できる場所を飛行艇の中で探した。


コクピットの方に歩き出し、ふと外の空気が吸いたくなったので、飛行艇の屋外に出て空でも眺めながら新鮮な空気を吸おうと思った。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、自分は特殊な忍術と魔法を使うことができた。それらを駆使して何かミッションをこなそうとしていた。ミッションが何なのかは定かではなく、ただ自分は自分に与えられたであろうミッションの内容を推測して、忍術と魔法を駆使して活動を続けていた。


そのミッションの遂行に当たっては仲間は誰もおらず、自分1人でそれを遂行する必要があった。自分に賦与された忍術と魔法はかなり特殊で強力なものだったので、別に仲間は必要ないかと思った。


自分の内側に、何か大切なものを守ろうとする強固な意思があり、それが自分の忍術と魔法の力を強く底上げしていた。フローニンゲン:2022/4/16(土)07:17


8212. 今朝方の夢の続き


少しばかり小鳥の鳴き声が聞こえてくる。まだ朝日が姿を見せておらず、小鳥たちも心なしか引っ込み思案であり、晴れの日の朝のような元気な鳴き声を上げていない。


静けさに包まれた落ち着いた環境の中で、今日もまた自分は自らの取り組みに専心していく。そこには献身の念があり、その念が自分の1つ1つの活動の隅々に具現化している。


明後日からのバルト三国旅行には、ルートリッジ出版から出版されている神道の用語集を持っていこうかと思っていたが、その考えを改め、今回の旅には何も本を持って行かないことにした。おそらく旅先の美術館や博物館で何かしらの文献を購入するであろうし、行きの電車や飛行機に乗っている際は、パソコンのデスクトップ上にある論文を読み進めていこうと思う。


デスクトップ上にはかなりの量の論文が溜まっていて、この機会にそれらを全て読んでおきたいと思う。現在、書籍に関しては1冊も積読した未読のものがなく、大量注文を繰り返していながらもそれらには全て目を通している。なので旅に書籍を持っていくのではなく、まだ読めていない論文に目を通していくことをしていこう。本を持って行かない分、少しだけだが荷物が軽くなるのも利点の1つだ。


さて、先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、まだ断片的に覚えていることがあるのでそれについても振り返っておこう。


夢の中で私は、緑豊かな立派な国立公園にいた。その国立公園には有名な博物館があり、今からそこに向かおうとしていた。


博物館に入ると、そこには過去から現在にかけての様々な展示物があった。そして不思議なことに、未来に生み出されるであろう物まで展示されていた。


現在の感覚から未来の物を眺めても理解するのが難しかった。なので純粋な気持ちでそれを眺めることにした。


しばらく展示品を眺めていると、フロアの一角にテーブルがあり、そこに小中学校時代の女性友達が3人腰掛けていた。私は彼女たちに話し掛け、休憩がてら話に入れてもらった。


最初のうちは展示物に関する真面目な話をしていたが、3人のうちの1人が突然その場で踊り出した。それはアフリカ系の音楽のリズムに合わせた激しい踊りであり、残りの2人にも踊りの情熱が感染したのか、彼女たちもノリノリでダンスを始めた。


3人が笑顔で狂ったように踊っている様子を微笑ましく眺めていると、私にも何かが感染し、私も椅子に座ったまま上半身を動かして踊った。すると突然、3人のうちの1人が何者かに後ろから思いっきり殴られた。


見ると、アフリカ系の小さな男の子がそこにいて、物凄い形相をして私たちを睨んでいた。すぐさま彼の母親が止めに来て、どうやら彼は私たちがアフリカ伝統の踊りを侮辱していると思ったようだったのだ。


彼の怒りはすぐには収まりそうになく、私はその場を離れて展示物の続きを見ることにした。エスカレーターを使って上の階に行くと、そこはもう博物館ではなくなっていた。その代わりに本屋が広がっていた。


偶然目の前に英語の漫画コーナーがあり、どのような漫画が翻訳されているのか気になったので、そこにしばらくいようと思った。しばらく漫画を眺めた後、そこからさらに上の階に上がって、本屋を引き続き楽しもうと思った。フローニンゲン:2022/4/16(土)07:37


8213. 記憶の伝承


明るさと静けさに満たされた場所に自分はいるという感覚。それが自分の内側に満ち満ちている。それは穏やかな大海のようであり、自分はそれに抱擁されている。極度な安堵感がここにある。


受け継いでいる記憶と受け継いでいくべき記憶。先ほどまた記憶について考えていた。この世界には、決して風化させてはならない記憶があるようだ。それは必ず誰かが伝承し続けていくべき物である。


自分がこれから本格的に行う神道の研究はそこにつながる実践なのだ。それは自分がやるべき実践であり、そこには強い使命感がある。


神道研究は自分の内側に眠っている集合的な記憶を目覚めさせ、そして大事な記憶を受け継いでいくことに必ずつながる。そうでなければならない。


そのような考えがやって来て、ふと窓の外を眺めた。そこには雲ひとつない青空が広がっていて、気がつけば木々が緑に色づいていた。先日まで裸だった木の枝に生命力に満ち溢れた緑の葉っぱが繁り始めている。


また新しい命が誕生したようだ。それは木々だけではなく、この地球上では見えないところでたくさんの新たな生命が生まれている。同時に、その背後には消えていく生命たちもある。


彼らの記憶を継承すること。彼が協働して紡ぎ出した集合的記憶を大切にし、それを守って次の世代に伝承していくこと。自分にできることはそれであり、それこそが自分が最も使命感を燃やして行うべきことである。


そのような考えがやって来た後に、改めて今後の研究の方向性について考えていた。引き続きマネー、テクノロジー、エコロジーの探究を続け、それらの領域に関して神道神学の観点から研究と実践を進めていく。それそのものが受け継ぐべき記憶の発見と伝承につながっていく。


どうやら自分が毎日取り組んでいることはそこに至るもののようだ。記憶というものがこれほどまで尊いものだったとは夢にも思わなかった。


記憶は夢、夢は記憶。記憶は世界、世界は記憶。


全ての存在が安らげる記憶の世界の創造に向けて、小さな取り組みをこれからも継続していく。フローニンゲン:2022/4/16(土)16:30


8214. 「我が経験あるゆえに我あり」/夢という己の固有の経験より


自分を定義している固有の経験。それは唯一無二のものであり、それがあるがゆえに自分という存在が成り立っている。「我思うゆえに我あり」というよりも、「我が経験あるゆえに我あり」という方がずっと正確な気がしている。


自分を定義しているその経験は、まるで生き物であるかのように有機的に成長していく。それが自然な形で成長していくことが自己の成長の本質にある。逆にそれがなければ、本質的な成長はなし得ない。


そうであるがゆえに、他者の経験を借りて来てはならないのだ。それは表面的な知識として私たちに何らかの恩恵をもたらすかもしれないが、それは決して自己を本質的に成長させてくれるものにはならない。


自分を成長させてくれるのはあくまでも自分自身の経験なのだ。他者の経験に触れる際には、それを必ず自分の経験を通して咀嚼していかなければならないのである。


現代において、多くの人はいかにそれを行っていないことか。他者の経験にわずかばり触れるだけ、あるいはその場凌ぎとして拝借するだけなのである。それでは真に本質的な成長など実現しない。


夕方の空は雲ひとつなく輝いている。今日も本当に良い天気であった。正午前には十分に日光浴をすることができ、全身に生命力が満ち満ちている。


もうそろそろしたら夕食を作る準備をしようと思っているが、こんな時間帯にふと、今朝方の夢の続きを思い出した。そういえば、肌に良いと言われる特殊なドリンクを飲む人たちと話をしている場面があった。


場所はどこかの建物の中で、その部屋には窓が複数あった。彼らは私にもそのドリンクを飲むことを進めてくれたが、飲むタイミングとしては運動の後がいいとのことだった。逆に彼らは運動後以外はそのドリンクを飲まないようにしているようだった。


彼らのうちの1人が1本ドリンクを私にくれた。すぐに私はドンリクの瓶の裏を見て、成分を確認した。すると、もう1人の別の人が瓶の柄が異なるドリンクを1本私にくれ、2本の成分を比較してみた。


すると、コンビニで売られている方のドリンクの成分よりも、薬局で売られている方が成分量が多く、そちらを自分も飲んでみることにした。そのような夢があった。


この夢もまた自分という固有の存在から生まれたものである。そしてそれはすなわち、自分の固有の経験から生まれたということである。さらには、その夢について解釈を加えることもまた自分の固有の経験がなすことであり、結局人間は経験を通じて経験を解釈していくことによって、新たな自己という新たな経験を発見していくのではないかと思う。


なるほど、成長というのはそうしたプロセスを本質的に持つものらしい。こうした発見は、決して発達科学などでは明らかにならないことである。


最も重要な主観的な経験と思索を通じてでしか、自分という1人の人間の本質的な発達プロセスが見えてこないのである。これからも自分は自分の経験を通じて新たな経験になるという形で成長を続けていくだろう。フローニンゲン:2022/4/16(土)17:39

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