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8041-8046: フローニンゲンからの便り 2022年3月19日(土)



No.3413 門番(その1)_A Gatekeeper (Part 1)


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1360, A Tiny Elephant

A tiny elephant stumbles every day.

Yet, it doesn’t stop walking.

Finally, it will become a great elephant in future.

Groningen; 08:23, 3/19/2022


No.1361, A Dance of Physiolatry

Everything is dancing with a worship of nature.

It should be happening all the time.

I deeply love a dance for physiolatry.

I’m always doing it.

Groningen; 11:47, 3/19/2022

No.1362, Need of Subjective, Existential, and Spiritual View of Life

I think that we need to enrich the subjective and existential view of life.

Life science contributes to the objective view of life.

Religions should contribute to the spiritual view of life.

I suppose that the current view of life lacks subjectivity, existentially, and spirituality, which would be lamentable and should be overcome.

Groningen; 13:13, 3/19/2022


No.1363, Japanese Polytheism

Japanese polytheism does not mean that a variety of Gods exist.

Instead, it means that Gods emerge constantly and infinitely.

In other words, it is a process oriented belief.

Groningen; 14:35, 3/19/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8041. 伊勢巡りに際して

8042. 今朝方の夢

8043. 反本地垂迹説を提唱した度会家行と吉田兼倶の思想比較に向けて

8044. 入米求法を予感して/神道と仏教の自然信仰と生命観

8045. プロセス志向的な多神教的考え/実存的・霊的な生命観の重要性

8046. ジークンドートレーニング83:フックパンチにおける発見


8041. 伊勢巡りに際して


時刻は午前6時を迎えた。今、遠くの空に朝焼けが見え始めた。ここ最近は起床した時にはもう薄明るくなっていることも多い。


今の気温は3度と低く、ヒーターが自動で入っているが、今日もまた雲ひとつない快晴に恵まれるようで、気温も12度まで上がる。午前中と正午あたりに日光浴を楽しみたいと思う。


ここから1週間は晴れマークが続き、それを見て、季節は冬を脱出し、春に入ったのだと実感する。冬の時期は天気が悪いのがこの土地の特徴だが、春になると鬱蒼とした天気は影を潜め、一気に光の世界に包まれる。その落差に最初は慣れなかったが、今となってはその落差さえも楽しみ、味わう自分がいる。この夏から始まるオランダでの7年目の生活も光に満ちたものになるだろう。


昨日、今年の一時帰国の際に伊勢を訪れたら、伊勢神宮近くの神宮会館という宿坊に宿泊したいと思った。昨年は高野山で寺の宿坊に宿泊して、非常に良い体験となった。今年は寺ではなく、神社の宿坊に宿泊できればと思う。


伊勢参りをするのは11年ぶりだろうか。前回は日帰りで伊勢神宮のみを見て回ったので、今回は数日滞在しながら、伊勢神宮の参拝だけではなく、近隣の博物館や美術館を巡ろうと思う。調べて見ると、皇學館大学の近くに神宮徴古館、神宮美術館、佐川記念神道博物館などがあり、それらの場所には必ず足を運びたいと思う。


さて、今日からは再び週末を迎え、これがTOEFLの試験本番前の最後の週末となる。来週は金曜日の朝に自宅を出発し、アムステルダムのホテルに前泊する形でアムステルダムのETSのテストセンターでTOEFLを受験する。


過去にTOEFLを受験した中で一番仕上がりが良いのではないかと思うので、リラックスした状態で試験を受けることができれば、これまで対策をしてきたことの成果が発揮されるだろう。マーシャルアーツでもそうだが、とにかくリラックスすること。それはTOEFLの試験においても同様に重要だ。


今日と明日は週末ということなので、本格的に問題を解くということはしない。ただし、スピーキングのindependent taskの問題を何問か解くことはしよう。1日の中で何回かに分けて解くことによって、集中力を高く維持しながら発話能力を鍛えていく。


試験本番までまだ1週間あるので、発話能力はまだまだ鍛えることができる。1週間でも十分にミクロな成長が起こるのだ。そのため、過去の回答例を単に音読するだけではなく、新しい問題を解くことによって、瞬発力や文章生成能力をさらに磨いていこうと思う。それ以外の時間は、神道に関する書籍を読んだり、マーシャルアーツの鍛錬をしようと思う。フローニンゲン:2022/3/19(土)06:41


8042. 今朝方の夢


時刻は午前6時半をすぎた。今、辺りは随分と明るくなっていて、朝焼けも先ほど以上に濃くなっている。


今朝方もまたいくつか夢を見ていたが、ここ最近は入眠するまでの時間がとても短く、そして熟睡ができている。それもサウナのおかげや胃腸の調子の良さのおかげだろう。


ここ最近は本当に腸内環境が以前に比べて良くなっているのを実感し、それが脳の働きにも大きな影響を与えていることがわかる。引き続き腸内環境に気を配りながら日々の生活を送っていきたい。


今朝方の夢の中で、合気道のある有名な先生が数学IAの証明問題を解説するという場面があった。先生は何気なく、ax+bという式を立てて証明を進めていたが、大学時代のクラスメートの優秀な女性友達が、設定した式が1次式という前提があるならば、「aは0ではない」という文言を入れておかなければならないと指摘した。


それはごもっともかつ鋭い指摘であり、私もうっかりその条件文を忘れそうになっていた。先生も笑みを浮かべてその通りだと述べ、彼女が述べたように文言を追加した。


気がつけば授業は終わっていて、私は母校の大学図書館前の池の周りにいた。池の周りには木々が生えていて、1本の大きな木の下で本を読むことにした。手元には分厚い本があり、それが何の本かわからないがとりあえず中を開けてみたところ、誰かに声を掛けられた。


声のする方に顔を向けると、1年生の時のクラスメートだった。彼は東京の名門私立である麻布高校を卒業していて、非常に優秀だった。その優秀さは、学業に関してというよりも、時頭の良さという点での優秀さだった。


彼と最初に出会った時、彼は高校時代は全く勉強せず、英語の5W1Hさえ何かわからない状態で卒業し、そこから浪人して大学に受かった話を聞いた。その話がとても印象に残っていて、彼を見るといつもそのことを思い出す。


そんな彼は、今は大学の試験勉強と就活の双方で忙しいらしかった。逆に忙しさを尋ねられたが、私は別に忙しくもなかった。試験勉強は大抵前日に少しだけ行い、就活など全くしていなかったので、別に忙しくはなかったのである。その代わりに自分は、大学図書館で自分の好きな本を読むことをずっと行っていて、人によってはそれによって私が忙しく見えるようだった。


彼としばらく話をしていると、いつの間にか私は再び教室にいた。そこで授業をしていたのは、中学校時代の女性の数学の先生であり、授業は和気藹々とした雰囲気に包まれていた。


私は先生に当ててもらおうと挙手をしたが、他にも何人か挙手をしていたので、その場で冗談を述べ、先生にアピールをした。先生も笑っていたが、結局自分は当てられることなく、他の生徒の発言を聞いていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/3/19(土)06:55


8043. 反本地垂迹説を提唱した度会家行と吉田兼倶の思想比較に向けて


時刻は午前10時を迎えた。なんと平穏で、なんと落ち着きのある世界だろうか。フローニンゲンの朝の世界はとても優しく、とても清らかだ。


早朝に、カモメの鳴き声が聞こえてきた。彼らはどこかたの大陸から渡ってきたのだろうか。そんな彼れらの姿を想像しながら、渡り鳥としての自己を思った。


オランダに丸6年ほど滞在しており、ここから7年目の生活に入る。渡り鳥としての自分としては長く一箇所に留まったものである。


だが、そんな渡り鳥としての自己も、次の活動の場に向けて移動する準備を着実に進めている。渡り鳥としての自己が向かう次の大陸では、自己はまた一段と大きく花開くに違いない。


神道の研究を進めていると、これまで知らなかったことが山のように見えてくる。1つ代表的なものとして、神道と仏教との間に、「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」というものがあったことである。それは端的には、仏が根本にあって、神は仏の仮の姿であると考えるものだ。この説は、神仏習合を支える重要な考え方だったが、神仏分離を後押しする反対側の考え方として、「反本地垂迹説」というものがある。


今、中世の神道に関心を持っていて、それに焦点を当てて探究をしているのだが、中世に創始された神道としては、伊勢神道、山王神道、両部神道、吉田神道がある。そのうち、山王神道と両部神道は本地垂迹説を拠り所にしているのに対して、伊勢神道と吉田神道は反本地垂迹説に立脚していることを知った。


伊勢神道に関する書籍もいくつか購入しており、今それらについてもゆっくりと読み進めている。中でも、伊勢神道の理論化を本格的に押し進めた度会家行(わたらいいえゆき:1256-1351)へ関心を持っている。


彼の主著である『類聚神祇本源(るいじゅうじんぎほんげん)』を調べてみたところ、古書かつ希少価値の高い文献ではあるが、一般人でも購入できることがわかった。ただし、それは漢文であるため、漢文の読解力を高めなければならないとも思った。


伊勢神道と吉田神道の比較研究は1つのテーマとして持っていて、度会家行が生きていた時代よりも少し時代が下った時期に、吉田神道(唯一神道)を創始しした吉田兼倶(よしだかねとも:1435-1511)の活躍がある。


吉田兼倶の思想と度会家行の思想を比較することも大変興味深い。その際には、吉田兼倶の『唯一神道名法要集』と度会家行の主著『類聚神祇本源』を丁寧に読み解く必要があるだろう。そのための漢文の読解力を高めていく努力をしていきたい。


その際には、実際に彼らの原著を含め、自分の関心のある漢文書籍を読むことが一番の読解力養成になるだろう。それらの書籍をなんとか入手したいと思う。フローニンゲン:2022/3/19(土)10:13


8044. 入米求法を予感して/神道と仏教の自然信仰と生命観


時刻はゆっくりと正午に近づいている。日々のゆっくりとした歩み。着実な進歩。それは目には見えないぐらいに微細なものだが、確かに自分の内側に堆積されている。


入米求法。米国に再び戻って法を求める時期の訪れを予感する。


まさかオランダに7年ほど住むことになるとは思っていなかったのと同じく、今度再びアメリカで生活を始めると、そこでの生活はまたしても長くなるかもしれない。そのようなことを思いながらも、それは自分の天命の一環であり、宿業の一環かと思う。


地球環境問題という現代社会の要請に応えるために宗教が果たせることは何かを考える日々が続く。日本古来の神道や日本で発展した仏教がどのようなエコロジー思想を持っているのかを探究するに際して、山や海への信仰心や森への信仰心についても深く理解する必要があるかと思う。


また、神道と仏教における生命観についても深く理解する必要がある。この手の研究に関する学術書は少ないようなので、論文を探してみる努力をする必要がある。


仮に論文が少ない場合には、そこにこそ自分の貢献領域が広がっていると思おう。また、そこに神道や仏教がこれまであまり果たしてこなかった役割を見る。


日本の自然や北欧の自然に対して愛着を持つ自分には以前から気づいていたが、それを学問的研究に昇華していく道を今見出している。そして、研究の成果を元に、実践的な提言までつなげていきたいと思う。地球の生態系を守るというのは、世界が共通して持っている数少ない問題意識ではないかと思う。


改めて、日本人の自然信仰をより深く理解する探究に着手してみよう。現代において、それはいかに機能しているのか、あるいはいかに機能していないのか。そうした研究を起点にして、神道や仏教に関するエコロジー研究につなげていく。


また、自分自身の自然信仰心についても見つめ直す必要があるだろう。自然を通じて自己を探求することと世界を探求すること。そして、自己と世界の治癒と変容につなげていくこと。それは大きな関心事項として今の自分の内側に存在している。フローニンゲン:2022/3/19(土)11:41


8045. プロセス志向的な多神教的考え/実存的・霊的な生命観の重要性


青くすみ渡った空。燦然と輝く太陽。そっと吹き抜ける爽快な風。それらに神々が宿っている。


日本の多神教的な考え方というのは、単に全ての存在に神性を見出し、無数の神々が存在しているというよりもむしろ、絶えず神々が生成しているというプロセス志向的な精神のありようをいうのだろう。


人を神格化してしまうことの行き過ぎや、物を神格化してしまうことの行き過ぎは、多神教的な考え方の逸脱なのだろう。またそれは多神教的な考え方の病理なのかもしれない。


人神化と物神化の過度な横行が現代社会の中で見られることへの問題意識は以前から持ち合わせており、これについても神道研究を通じてその病理構造の解明に努めたい。また、実践的な処方箋の提示も必ず行なっていかなければならない。


客観的なことが望ましい態度であり、主観的なものの価値が貶められている現代において、客観的であることと主観的であることの双方が重要であることを今一度思い出さなければならない。そして、喫緊の地球環境問題に取り組む際には、人間の命と同じく、ガイアとしての、すなわち生命体としての地球の命について多角的に考察していく必要がある。


その際に、命というものを生命科学的な形で客観的に把握するだけでは不十分である。生命科学の進歩による精緻な客観的記述を活用しながら、同時に宗教的な観点で、命というものを主観的にかつ実存的に精緻に語ることが求められているのではないかと思う。


このあたりの要請に対して、宗教人や宗教研究者がどれだけ応えられているのか甚だ疑問であり、この要請に対して応えていくことを自らに課したいと思う。そのために、主観的·実存的な、そして霊的な生命観を育む努力を惜しまないようにしたい。


神道研究を通じて、これまで自分が探究して来たことが思わぬ形で繋がって来ている。過去に自分が学んできたことや研究して来たことは決して無駄ではなかったのだ。むしろそれは必要不可欠な遠回りであり、そのおかげで自分独自の研究及び実践と貢献ができるのではないかと思う。


日本の多神教的な考え方を引き伸ばして考えるならば、自らの学びや研究そのもの、そして実践そのものにも神が宿っていると言えるかもしれない。日々の小さな学びや実践にも神が宿るのだ。それが「神は細部に宿る」ということの隠れた意味なのかもしれない。フローニンゲン:2022/3/19(土)14:44


8046. ジークンドートレーニング83:フックパンチにおける発見


時刻は午後5時半に近づいている。つい先ほど、ジークンドーの自主トレーニングを終えた。今日はジムではなく、自宅でDVDを見ながらトレーニングに励んだ。


その前に、近所のコピー屋に立ち寄り、イギリスから届けられた2冊の書籍を受け取った。そのうちの1冊の書籍は、ハーバード大学神学大学院のヘレン·ハーデガー教授の“Shinto and the state, 1868-1988”というもので、タイトルにあるように、国家神道について詳述したものだ。


国家神道は現代においても完全に解体されたわけではなく、その名残は政治を含め、様々なところで見られる。現代日本に残る国家神道的なものを把握する上でも非常に有益な書籍であり、今夜も続きを読み進めていこうと思う。


さて、今日のジークンドーのトレーニングであるが、今日の最大の発見はフックパンチに関するものだ。これまでフックパンチを繰り出す際には、確かに股関節や腰の回転を意識していたが、前足である右足の回転を活用することに意識が及んでいなかった。DVDの中でその重要性が指摘されていて、ハッとしたのである。


サイドキックの際に軸足を入れて回転力を活用する要領で、フックパンチの際には前足を入れて回転力を活用すると威力の高いフックパンチが繰り出される。前足のピボットを活用するというのは今後も常に頭に入れておきたい。最初はゆっくりとでいいので、前足のピボットを意識した鍛錬をしていこう。


その他にも、今後ロビンさんから蹴り技を新しく習っていくときに備えて、とりわけ回し蹴りのような動作を伴うものを習うときに備えて、股関節の可動領域と柔軟性はより拡張させていく必要があるかと思った。朝晩に行っている股関節回しのエクササイズはもう少し回数を増やしてもいいかもしれない。また、より工夫を凝らしてさらに効果のあるエクササイズに練り上げていきたいものである。


それでは今日の夕方のジークンドーのトレーニングはこのあたりにして、今から夕食までの時間を使って、TOEFLのスピーキング対策を行おう。朝と同じく、independent taskの問題を数問ほど解いていきたい。反射力、瞬発力、即興的な文章生成力をさらに磨いていこう。フローニンゲン:2022/3/19(土)17:33

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