top of page

7942-7947: フローニンゲンからの便り 2022年3月3日(木)



No.3346 神の顔_A Face of a God


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1301, A Morning Flower

I just gave a morning flower to the God.

Today will be blissful, too.

Groningen; 07:33, 3/3/2022


No.1302, Divergent Thinking

Divergent thinking is the key to my creativity.

It originates from my genuine spontaneity.

Groningen; 07:34, 3/3/2022


No.1303, Vicissitudes

Everything is changing at any moment.

The essence of everything is a constant change.

Everything is subject to vicissitudes, which is a universal principle.

Groningen; 19:32, 3/3/2022


No.1304, Benediction

I’m always embraced by full of benediction.

In return, I’ll give full of blessing to the entire world.

Groningen; 20:11, 3/3/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7942. 今朝方の夢

7943. 今朝方の夢の続き

7944. スピーキングの練習による脳への刺激とメモの取り方について

7945. 晴れた日の祝福を感じて

7946. ジークンドートレーニング62:基礎に立ち返り、技を練り上げることの重要さと楽しさ

7947. 唯一無二の一輪の花


7942. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。当然ながらまだこの時間帯は真っ暗だが、ここ最近は午前7時を迎える頃にはだいぶん明るくなっている。


今日も雲ひとつない快晴のようなので、1日を通してさぞかし気持ちがいいだろう。今日は午後に、街の中心部のコーヒー豆専門店に行き、いくつかの豆を購入したいと思う。行きと帰りの散歩を大いに楽しもう。


今朝方は2つほど夢を見ていた。夢の中で私は、ひょんなことからある知人の女性と結婚することになった。その知人の女性とはまだ一度しか直接会ったことはなく、オンラインで何回か話をしたぐらいである。しかし、初対面の時からすぐに打ち解け、数回の会話を通じて随分とお互いのことを理解し合えているように思ったので、結婚というのは別におかしなことでもなかった。


結婚披露宴の会場に到着すると、今回は親族をメインにし、親友には少ししか声を掛けていないので、こじんまりとした披露宴となる予定だった。その場には、確かに親族と少数の親友だけが参加者としていたのだが、司会進行役がロシア人であり、会場には披露宴で行う劇か何かのパフォーマンスのためのエキストラとして結構な数のロシア人の若者の男女がいた。


司会進行役の彼は日本語が流暢だが、どうもエキストラのロシア人はあまり日本語が話せないようだった。いざ披露宴が始まると、司会進行役の彼はゆっくりとした日本語で会を進めてくれたが、どうも話が一本調子であり、会場にいる親族や親友たちは少し退屈しているようだった。なのでここは自分が何か即興的に話をした方がいいと思い、司会進行役を代わり、自分が披露宴を進めていくことにした。


すると、少しずつ場の雰囲気が明るくなって来て、この調子で披露宴を進めていこうと思った。その間に、結婚相手の知人は周りに気を遣って飲み物などを笑顔で注いでいた。自分が席を離れてからも、自分のコップに飲み物を注いでくれるあたりに優しさを感じた。


次に見ていた夢は、大学入試に関するものだった。一昨日にも大学入試に関する夢を見ていたので、ここ最近はこのテーマの夢が続いていることがわかる。おそらく自分が今TOEFL対策を含め、神学大学院への出願に向けて少しずつ準備を進めているからだろう。その他にもひょっとしたら何か間接的な要因もあるかもしれない。


いずれにせよ、今朝方の夢で見ていたのは、とりわけ数学と世界史の対策をしているものだった。夢の中の私はどちらの科目も得意としていたが、入試の配点を考えると、特に数学は最後の詰めとして特定分野の対策を入念にやる必要があると思い、世界史については非常に難解な論述問題が出題されることがわかっていたので、念入りに教科書を読み込んでいき、頻出分野の周辺知識を確認していった。


対策をしながら、自分であれば見事に入試を突破するだろうと思い、同時に入試の後の生活の楽しみに思いを馳せた。そこでは好きなことに打ち込み、学びたいことを思う存分学べる楽しさが待っているかと思い、形式的な入試を速やかに突破しようと改めて思った。フローニンゲン:2022/3/3(木)05:54


[追記]

改めて前者の夢について振り返ってみると、大量のロシア人が夢の中に出ていたのは、今この瞬間にロシアがウクライナに侵攻していることと関係しているかもしれないと思った。


夢の中のロシア人は感じの良さそうな人であり、それは現実世界において侵略的な行為に出ているロシア政府とは違うように思えたが、夢の中にロシア人が現れることはこれまでなかったことを考えると、集合的な無意識とつながることによって、世相を映すかのようにこのような夢を見たのかもしれない。願わくば、夢の中でテーマになっていた結婚は、ロシアとウクライナの友好的な関係の実現を象徴したものであって欲しい。フローニンゲン:2022/3/4(金)12:02


7943. 今朝方の夢の続き


時刻は午前6時を迎えた。今、洗濯機が最後の回転を始めたところだ。後ほどゆっくりと洗濯物を干そう。


今日もこれからいつものようにTOEFL対策を行う。スピーキングのセクションの問題を本番の形式で解くことは朝の習慣となった。その習慣が定着し、対策が進むに連れて、順調に力が伸びているのを実感する。


話し言葉というのも書き言葉と同じく、欧米での生活が10年目を迎えてもまだまだ伸びていくのだということを改めて思う。こうした能力の成長に終わりはないのだろう。当然ながらある程度まで行けば大きな飛躍は少なくなっていくだろうが、微細な質的変化は一生涯を通じて起こるのだ。今回はそれに気づかせてもらう貴重な体験をしている。


今日は午前中に1件オンラインミーティングがあるので、それまでにリーディングやリスニングを含めた対策も終えておきたいと思う。


先ほど今朝方の夢について2つほど書き留めていたが、実はもう1つ夢を見ていた。それについても書き留めておこう。


夢の中で私は、1階が古書店で、2階がカフェになっている店の中にいた。本好きの自分にとっては珍しいが、古書店に置かれている本を大して眺めることなく2階のカフェに向かい、そこで1杯のコーヒーを注文した。


すると、私の横に数人の男女の友人が現れ、今からコーヒーを飲みながら話をしようということになった。特に私は予定がなかったので、彼らと話をすることにし、テーブル席についた。すると、1階の方が何やら騒がしく、ちょっと様子を見にいこうと思った。


1階に降りると、経済·金融関係の書籍の棚の前で2人の外国人の小さな子供がはしゃいでいた。騒がしい音の原因は彼らのようだった。


彼らは日本語はほとんど話せず、また英語を話すこともできないようであり、コミュニケーションに困った。ジェスチャー混じりでここで騒いではいけないということを伝えると、彼らは少し不機嫌な顔を浮かべてその場を去っていった。


彼らが去って行ったのを確認して、2階に戻ろうとすると、なんと彼らが私の後をついて来たのである。私は彼らが後をついて来ているのに気づいていたが、気づいていない振りをしてテーブル席まで戻った。


すると、2人の子供はテーブル席の下に隠れ、下から私たちに攻撃をしようとし始めたのである。そんなことだろうと私は事前に予想していたので、テーブル席に座っていた友人たちには黙って合図をし、2人の攻撃の被害者にならないように取り計らっていた。


2人の子供は私たちの足がテーブルから遠のいたことに驚いたようで、テーブルの下から思わず姿を曝け出した。私はその瞬間を逃さず、2人を捕まえて、行動を制御した。


すると、2人は私の力に驚き、それに敬意を持ったようであり、突然静かになった。私は別に肉体の力を使ったわけではなく、精神の力を使っただけなのだが、それが功を奏したのだろう。


肉体の力を使うと、どうしても暴力的·攻撃的な気が相手に伝わってしまう。一方で、精神的な力の場合には、相手を諭したり、落ち着かせたりする気を送ることもできるので、それが良かったのだろう。


そのような夢を見た後に、突然場面が変わり、カフェで話をしていた友人たちと私は、東欧諸国のどこかの国の少し荒れた街の中の一軒家の中にいた。外は少し戦争をしているかのような状態で、危険がすぐそばにあった。それは人間同士の戦争ではなく、怪物と人間の戦いのようだった。


しばらく一軒家の中で静かにしていると、家の扉を叩く音がした。扉の不透明なガラスの背後に、2匹の小さな怪物の姿が映った。


私は、友人たちに静かにしているように合図し、私は2匹の怪物が諦めてその場を去った瞬間に扉を開けて、彼らを退治しようと思った。2匹の怪物が去った瞬間に、扉を開けると、怪物たちは驚いた表情を浮かべたが、もう次の瞬間には自分に倒されていた。


実際には、私はエネルギーでできた刀を持っていて、それで彼らを斬り倒したのである。そこでも刀が自分のエネルギーでできていたこともあってか、怪物たちは斬られても苦しむことはなく、平穏な顔で成仏していった。フローニンゲン:2022/3/3(木)06:33

7944. スピーキングの練習による脳への刺激とメモの取り方について


時刻は午前9時半を迎えた。天気予報の通り、今日も雲ひとつない快晴が早朝より広がっている。澄み渡る青空を見ていると、本当に晴れ晴れする気持ちになる。


「晴れ」と「晴れ晴れした気持ち」が対応しているところを見ると、外部環境と人間の内面の深いつながりを見る。そして両者を媒介している言葉の意義も改めて痛感する。


先ほど、今日のTOEFL対策のメインを終えた。いつも真っ先にスピーキングの対策からしているのだが、明日からは本番と同じ順番で問題を解いていこうと思った。つまり、リーディング、リスニング、スピーキングの順番である。


早朝にいきなりスピーキングの問題に取り組むことは、まるで準備運動なしで激しい運動をするかのようだ。話すことが脳に良いとよく言われるが、それは話すという行為が言葉を聞いたり読んだりするよりも刺激が多いからだろう。


こうした刺激の多い活動を朝一番にすると、脳はフル回転し出すが、何も準備運動をしないでスピーキングに取り組むには少し負荷が高い。これまであえて朝一番にスピーキングをしていたのは、準備運動なしでもどれだけスピーキングの問題に瞬発的に対応できるかを確認し、そしてそうした瞬発力を養うためでもあった。


しかし、ここからはもう本番と同じ順番で対策を進めていき、脳が程よく準備運動を終えたところでスピーキングの問題を解くようにしたい。スピーキングによって活性化した脳のおかげで、今日も昨日同様に、リーディングとリスニングの問題は一つもミスなく満点であった。逆に、スピーキングに関しては、今朝取り組んだセットのintegrated taskの2番目と3番目の学術的なトピックが若干取り組みづらく、1回目ではあまり納得のいく回答ができなかった。


そこから改めて、integrated taskにおけるメモの取り方は工夫した方がいいと思った。センテンスを書き出そうとするのではなく、キーワードだけ書き出してみるということをやってみようと思ったのだ。


今となってはキーワードだけで十分に文章を生成できるようになっているので、そちらの方がより効率的にメモを取れるだろう。また、センテンスを書き出そうとすると、メモを取ることに集中してしまい、リスニングの内容理解が疎かになってしまうリスクがある。


スピーキングのセクションにおけるリスニングも内容理解が重要であり、内容理解を妨げてしまうようなメモの取り方は避けなければならない。明日からは特にメモの取り方に注意してスピーキング対策に取り組みたいと思う。


それでは今から息抜きとして一曲ほど曲を作り、その後のオンラインミーティングに備えたい。フローニンゲン:2022/3/3(木)09:40


7945. 晴れた日の祝福を感じて


時刻は午後3時を迎えた。先ほど、街の中心部に出かけ、買い物から帰って来た。今日も雲ひとつない快晴のおかげで、買い物の行きと帰りはとても気持ちが良かった。


まずはコーヒー豆専門店に向かったのだが、その時はジョギングをしていて、非常に良い気分転換になった。フローニンゲン大学での講義も再開されたようで、キャンパス付近には学生の姿を多く見かけた。


コーヒー豆専門店に到着し、店の中に入ると、いつもお世話になっている店員のうちの1人に声をかけてもらい、そこからは助言をもらいながらコーヒー豆を選んだ。パッと目についたコーヒー豆はまだ試したことのないものであり、店員の方曰く、最近入荷したばかりのものとのことだった。道理でまだ試したことがなかったわけだ。


せっかくなのでそれを一度味わってみたかったのでその豆を選び、もう1つとしてインドネシアのオーガニックの深みのあるコーヒー豆を選んだ。コーヒー豆を選び終えた後に向かったのは、近所のオーガニックスーパーで、そこで醤油やコンブチャなどを購入した。それと、今週の土曜日は再びシステマ·トロント本部のオンラインクラスに参加しようと思っていて、オンラインクラスに参加する日は夕食を作らないようにしているので、出来合いの料理を1品ほど購入した。


店に向かっている最中にそう言えば、頭の中でジークンドーの防御とカウンターの8つの技を復習していた。歩きながらだったので物理的な動作を行うことはできなかったが、脳内であればイメージトレーニングをいつでもどこでも行えることに改めて気づいた。


イメージ内の身体を操作すると、それによって脳神経が刺激されているのを実感する。マーシャルアーツのトレーニングを始めて以降、自分の言葉が再び活性化されたことは紛れもない事実であり、それをもたらしてくれているのは、マーシャルアーツによる身体操作が、これまであまり開発してこなった神経回路を刺激し、新たな神経回路を構築してくれていることと深いつながりがあるだろう。


今週末はロビンさんとのプライベートレッスンがあり、その日にはランク1で習った全ての技をレビューすることになっている。それに向けて、防御とカウンターの8つの技をとりわけ熱心に練習している。それらの技を1つの流れとしてスムーズに行えるようにして当日を迎えたい。


最後に、帰り際に通ったノーダープラントソン公園の花々がやはり印象的だった。日を追うごとに花々が咲き始めていて、今ではすっかり綺麗な花が地面から顔を覗かせている。


毎回それらの花々を見ると、純粋に綺麗だなと思う。そしてそうした瞬間に立ち会えると、自分の心が洗われる感じがするのだ。こうした小さな感動を大切にし、日々を楽しみながらにして深めていきたいと思う。フローニンゲン:2022/3/3(木)15:19


7946. ジークンドートレーニング62:基礎に立ち返り、技を練り上げることの重要さと 楽しさ


つい今し方、今日のジークンドーの自主トレーニングを終えた。午前中のものも含めると、今日は2回に分けて稽古をした。


今日工夫した練習は、様々なフットワークを絡めて、様々な角度からサイドキックの練習をしたことだろう。これまではバーストステップから前進する形でしかサイドキックを繰り出していなかったが、その前の動作として左右にステップをしたり、ペンデュラムステップを使ったりと、色々な工夫をした。明日からもまたこれまで習ったステップに組み合わせて蹴り技、そして手技を出すようにしたい。


今日は改めてオンガードポジションに立ち返って練習をしたことも印象に残っている。これまでは少し軸足の角度が大きすぎたように思い、セオリーを確認すると、45度から50度ぐらいが最適とのことだったので、少しばかり角度の修正をした。また利き足に関しても、角度が大きい傾向にあったので、その角度を小さくするという修正を行った。


もちろん、最初から正しい姿勢でオンガードポジションを取る練習をしてきたつもりなのだが、このように細かなことが見落とされていたりするので注意が必要だし、同時に新たな発見が絶えずどんな技にもある可能性に気づくことができる。1つの技や動作を練り上げていく楽しみがマーシャルアーツの鍛錬にはある。


その後、ステップ&スライドという最も基本的なステップを練習した。このステップもプッシュステップと同様に、かかとから着地することが重要だ。仮に上足底から着地してしまうと、体重が前方にかかりすぎてしまう。それによって前のめりになってしまうので、相手からカウンターを食らいやすいのだ。


幸いにもロビンさんとのセッションのペースは緩やかなので、次々に新しい技を学んでいくということはないが、その分、これまで習った技の精度を高めていくことを日々意識しよう。


そんな発見があった今日の稽古だったわけだが、今日の午前中にオンラインミーティングを協働者の方とした際に、マーシャルアーツの話となった。その方はシンガポールに住んでいて、ジークンドーとシステマをお勧めしたところ、シンガポールにはその狭い国土の中にシステマのジムが2つもあり、ジークンドーに関しては7つか8つほどジムがあることに驚いた。


そこから、シンガポールはマーシャルアーツが盛んなのかもしれないということを感じた。シンガポールの永住権を取得するのは結構大変と聞いたが、それだけジムがあるのであれば、シンガポールも1つの居住国として今後加えてもいいかもしれないというぐらいに魅力的に思った。フローニンゲン:2022/3/3(木)17:22


7947. 唯一無二の一輪の花


今日は今日の発見があり、明日には明日の発見がある。今日には今日の自分がいて、明日には明日の自分がいる。今日には今日の輝きがあり、明日には明日の輝きがある。


全ては流転している。自己も世界も全てが流転していて、自分はその流転運動の一部として存在している。また、流転運動そのものを駆動させている存在として絶えずこの瞬間に生きているとも言えるかもしれない。


今日の午後にノーダープラントソン公園で見た花々の姿がふと思い出される。彼らはそれ自身以外に別の花として咲くことはない。


ふと立ち止まって眺めた一輪の花は、それとしてしか存在することはできず、他の花になることはできない。だが、あの花はあの花として唯一無二の存在としてそこにあった。


これは人間においても当てはまる普遍的な真理のように思える。私たちは他の何者にもなることができないのだ。だが、現代人の多くは自分以外の何者かになろうとする。


それによって競争や苦しみなど様々な否定的な事柄が当人にもたらされる。それは当人だけではなく、家族や組織、そして社会全体に対してももたらされる。


諸悪の根源は、人が自分以外の他の何者かになろうとすることにあるのかもしれない。それは自我の働きの1つだろう。


私たちが誰か別の者になろうとすることをやめれば、きっと不要な競争や争いは無くなっていくに違いない。自分が唯一無二の存在であることと同時に他社もまた唯一無二の存在であることを認め、誰かになろうとするのではなく、絶えず自己を磨きながらにしてその生命を輝かせ続けること。それが今以上に求められている時代は何のではないだろうか。


そのようなことを考えていると、ひとつ前に考えていたことも思い出した。自分は人が地味だと思うようなことをコツコツと積み重ねることが好きなようだという点について考えていたのだ。


この特徴は、マーシャルアーツの鍛錬においても、そして学術研究やその他のことにおいても随分と役に立っている。全ては日々の地味なことの小さな積み重ねなのだ。それを胸に、地味だと思われる学習と実践を愚直に継続していこう。


バッハの音楽を愚直に参考にしていくこともそうした自己の特性の現れだ。作曲実践においても、対象に深く入り込んでいき、地道にバッハの音楽に範を求めて日々の小さな作曲実践を続けていこう。


ここでもバッハになろうとするのではなく、あくまでもバッハを通じて自己を発見していくことであり、バッハを通じて自己を磨いていくことが重要なのだ。今の自分であればそれができるような気がする。


なぜなら、自分は他の花ではなく、この世界にただ1つしかない一輪の花だと深く理解しているからだ。自分の人生は、自己という唯一無二の花を咲かせ、その輝きをこの世界に放射することなのだろう。それによって他の花の目覚めを促し、他の花が固有の輝きを発することができるように貢献していくのだ。フローニンゲン:2022/3/3(木)19:45

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page