top of page

7888-7892: フローニンゲンからの便り 2022年2月20日(日)



No.3297 朝の花_A Morning Flower


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1258, Trial and Error

My life is a continuous process of trial and error.

It takes me to enlightenment.

Groningen; 19:49, 2/20/2022


No.1259, Meanings

Meanings are the blood of our life.

They are the precious source of fulfillment.

Groningen; 19:51, 2/20/2022


No.1260, A God as a Meaning

Everything including non-living matters has a specific meaning.

A God dwells in it.

Groningen; 22:11, 2/20/2022


No.1261, Gods and Martial Arts

Any martial arts express gods in their own way.

Groningen; 23:39, 2/20/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7888. 今朝方の夢

7889. 日々を丁寧に生きること

7890. 準備運動の大切さ

7891. 武術と合一した生き方/ジークンドートレーニング53:フックパンチの要諦

7892. 血の流れと気の流れ/神技・真技の本質


7888. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。昨夜から雨が降っていて、今朝もまだ雨が降り続けている。どうやら今日は一日中雨になるようだ。また、風もそこそこ強いという予報が出ている。


今日は一日中、家で大人しくしていようと思う。明日は午後から天気が回復するようなので、ジムに行くのは明日にしよう。


明けてくるフローニンゲンの空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、日本のはずだが日本だと断言できない開発された都市にいた。そこは港に面していて、とても現代的な街の作りをしていた。交通網も整っていて、建物も軒並み全て現代的だった。


港付近を散歩していると、1人の迷子の少年に出くわした。彼とは公園ですでにすれ違っていて、どうやらお母さんとはぐれてしまったようだった。


彼はまだ少年だったが、しっかりとしていて、母親とはぐれたことに対して動揺せず、冷静でいた。とはいえ、やはり母親とはぐれたままであることは問題だと彼は思っているようであり、それが表情からうかがえた。


私は彼に声を掛け、事情を聞き、彼の母親を一緒に探すことにした。すると突然、自分の脳内に東京の電車の経路が思い浮かび、浅草近郊の東京の下町の駅がいくつか脳裏をよぎった。


すると、私は電車の中にいて、気がつけばその脳裏によぎった駅に到着していた。そこからバスに乗り込むと、バスの最後尾の座席に1人の女性が座っていた。彼女は女優のような姿と顔立ちをしていて、穏やかな表情で窓越しに海を眺めていた。


私は彼女とどうやら初対面ではなく、どこかで一度会ったことがあったようなので、彼女に近づいて声を掛けた。すると彼女は驚いた表情を見せながら、黙ってスッと隣の席を指差し、隣の席に座ることを促した。私は彼女の横に腰掛け、そこからお互いに小さな声で会話を始めた。


彼女は終始笑顔を浮かべて話していて、しばらく話をしていたら、そこでまた自分は瞬間移動して、先ほど少年と一緒にいた港付近に戻っていた。どうやら少年はまだ母親を見つけることができていないらしく、先ほどまでは元気そうであったが、さすがに少し心配そうな表情を浮かべ始めていた。


そこで私は、再び目を閉じて、意識を集中させてみた。すると、脳内に地図が浮かび上がり、その地図のある箇所が赤く点滅していた。どうやらそこに彼の母親がいるらしかった。


自分は何気なくそんな特殊能力を発揮したが、意識を集中すればこんなこともできるのかと内心自分でも少し驚いていた。地図上に表示された赤い点滅はゆっくりと移動していたので、早速赤い点滅の地点に行ってみることにした。いざ少年と一緒にそこに駆けつけようとしたところで夢の場面が変わった。


今朝方はもう1つ夢を見ていた。その夢の中では、小中高時代の今は亡き親友と一緒に、出された食べ物の具材を当てるクイズの問題に2人1組で取り組んでいた。クイズの出題者は中学校時代の体育の先生だった。


出されたものを何気なく食べていたので、私は普段食べない動物の肉を口にしてしまった。最初に出されたのが豚肉のアスパラガス巻きであり、次に出されたのが何か野菜を牛肉で巻いたものだった。


私は肉を食べてしまったことを後悔し、少し動揺していた。一方の彼は至って冷静だったので、彼にクイズの回答を任せようと思った。


最初の2問を正解したところで、私はもうこのクイズに参加することをやめようと思った。そして外に出ようとしたら、先生を含め、もう何人かの人たちがそれを阻止しようとして追いかけてきた。私は彼らを振り切るように逃げ出して、なんとか自由の身となった。フローニンゲン:2022/2/20(日)07:59


7889. 日々を丁寧に生きること


早朝に引き続き、雨がしとしとと降っている。今は風が吹いていないが、どうやら昼前ぐらいから風が強くなってくるらしい。


昨日、オーナーのフレディさんと立ち話をしていたのだが、ここ最近は強風に見舞われることが多く、季節の変わり目を象徴しているように思える。フローニンゲンの寒さは5月末まで続くが、3月の終わりにはもう随分と日が伸びてきていることかと思う。早いもので、そのタイミングで、つまり3月の最後の日曜日からはサマータイムが始まる。


今日もまたTOEFL対策とマーシャルアーツの鍛錬を両立させていこうと思う。まずはこれから洗濯物を部屋の中で干し、TOEFLのスピーキング対策を行う。今日もまた、本番と同じく、4問1セットの問題を解く。


問題に取り組む姿勢も本番と同様にして、これまで書き留めてきたような注意点に気をつけながら問題に取り組む。マーシャルアーツの鍛錬を通じた身体の変化と同様に、TOEFLも対策をしていくと試験を解くための筋力のようなものが身についてくる。そしてそれは、何も試験問題を解くためだけのものではなく、英語の運搬能力全般に関係するものだ。


昨夜、ジークンドーの技もシステマの技も、最初はとにかく太極拳のようにゆっくりと行っていくことを心掛けようと改めて思った。細部を蔑ろにして速さを求めないことの大切さ。細部をごまかして早い動作をしてしまうことは、後々の害につながってしまう。


技の鍛錬をしていると、ついつい早く動きたくなることがあるが、最初のうちはそれをグッと堪え、とにかく正確な動きをするように心掛けていく。いっそのこと、それは気功や太極拳のような動きだと思ってしまってもいいぐらいだ。


ゆっくりな動作を通じて、正確な動きを実現する神経回路を構築していく。同様に、ゆっくりな動きであればあるほど、呼吸の流れと連動して身体に気が満ちていくような感覚がある。そうした身体エネルギーを練るという観点においても、ゆっくりとした動きを心掛けていこうと思う。


今気づいたが、なるほど今の自分はマーシャルアーツの鍛錬を通じて、丁寧に生きるようになってきているのだ。TOEFLの対策にしても、これまでそれは杜撰だったのだ。あまり対策をすることなく、それで点数が取れていたものだから、別にそれでいいと思っていたのである。


マーシャルアーツの鍛錬を通じて、1つ1つの動作を丁寧に行うことをしていると、それが日常の様々なところで丁寧さを心掛けるようになってきていることに気づく。これこそ、マーシャルアーツと生き方の一致と言えるだろうか。


日常を丁寧に生きていくこと。それによってしか見えないもの、聞こえないもの、感じられないものがある。そして、それによってしか深まらないものがある。日々を丁寧に生きること。おそらくそれが日々を味わうということの真意なのではないだろうか。フローニンゲン:2022/2/20(日)08:54


7890. 準備運動の大切さ


昼前ぐらいから小雨が降り始め、今は風も強くなってきている。今日は午後に、身体操作に関するDVDを視聴しながら自分の身体操作を見つめ直そうと思う。それは、日々のマーシャルアーツのトレーニングに活きてくるだろう。


今日もまた午前中にTOEFLの対策を楽しみながら行っていた。その中で、スピーキングのindependent taskの問題はやはり毎日もう少し解いて形式慣れをした方がいいと思った。


今朝方に早速問題を解いた時、準備運動が必要かと思った。マーシャルアーツのトレーニングを始める前にも準備運動をするように、とりわけTOEFLの試験本番においては、準備運動として各セクションの問題を部分的にでも朝解いておくことが良いかと思った。これは以前から行っていたことではある。


試験本番の日の朝には、少しばかり問題を解いて準備運動をしていた。その時に解く問題は決して新しい問題ではなく、過去に解いた問題である。今回の試験本番の日の朝には、ETSのウェブサイトの模擬試験をパソコンで立ち上げて、感覚を慣らすように少しばかり問題に触れたいと思う。


改めて、independent taskにおいては、アイデアがすぐに思いつくように神経回路を作っていくことと、その場で話題を膨らましながら即興的に話せるようにしていく訓練をしていこうと思った。


昼前にもこのタイプの問題を解いてみると、朝とは違って随分とナチュラルに、そして分量も多く話すことができていたので、やはり準備運動の大切さを実感した。逆に言えば、準備運動が全くなかったとしても納得のいく形で回答できるようにしていくことが重要だろうか。


integrated taskの3つの問題に関しては、随分と安定して話せるようになってきており、それはとても喜ばしいことである。それらの3つの問題で話されるリスニングのメモの取り方も上手くなっていて、あとはメモしたものから回答に盛り込むべき最重要なものを素早く選択し、キーワードから文章を自由自在に生成できるようになることだ。


午前中にはその他にもリーディングの対策を行っていた。今日のリーディングの対策においては、一問もケアレスミスがなかった。10問1セットの問題を解いたのだが、時間に関しても、18分で解くところを14分で解くことができた。自分の中ではゆっくりと文章を読んでいるつもりだったが、それでも回答時間は十分だった。


リスニングもいつものように大問2問を解いた。合計で11問のうち、1問ほどケアレスミスをしてしまっていて、その原因は今回は細部を聞き取れていなかったことと、策問者がまさに回答者を引っ掛けようとした魅力的な選択肢につかまってしまったことである。


そうした選択肢は、本文の単語をうまく使ってあたかもそうした話題が話されていたかのように錯覚させるような特徴を持つ。この点には注意をしなければならない。


大抵、こうした引っ掛けの選択肢は、本文の大きな主題からすると些細なものであったり、無関係なものであったりするので、やはり読み上げられるリスニングの内容の全体をきちんと把握しておくことが重要かと思った。


それでは、午後にはマーシャルアーツのトレーニングをし、TOEFL対策ももう少し行いたいと思う。フローニンゲン:2022/2/20(日)12:54


7891. 武術と合一した生き方/ジークンドートレーニング53:フックパンチの要諦


雨脚が収まり、少し穏やかな雰囲気が辺りに広がっている。そんな景色を眺めながら、1瞬1瞬を丁寧に生きることを思う。


今自分が従事している武術には他の競技武道や競技スポーツと違って試合がない。そんな特徴を持つ武術をやりながら、1つ1つの技を深め、磨いていくことに楽しさを見出している自分がいる。


また、ジークンドーにせよ、システマにせよ、それらと自分のプライベートが見事に調和をなしていて、自分の人生と合一していることを嬉しく思う。


システマにおいては呼吸をとにかく大切にするが、その点はジークンドーの練習においても意識している。呼吸に合わせる形で動作を行なったり、技を繰り出すことを意識しているだけではなく、1つ1つの練習の後の回復においても呼吸法を活用している。


このあたりは自分が長年ヨガの実践をしてきたことが肯定的な影響を与えているように思う。ただし、ジークンドーの練習においてはまだまだ呼吸をうまく活用できる余地が無限に広がっているように思う。そこは今後の探究ポイントだ。


これまでは毎週土曜日はシステマ·トロント本部のオンラインクラスに参加していた。しかし昨日から、土曜日のオンラインクラスの内容が変更となり、ファミリークラスになったことに伴って、土曜日の夜にシステマのトレーニングをシステマ·トロント本部から受けることができなくなってしまった。


それを補う意味で、システマ·トロント本部から購入した動画レクチャーや、購入したシステマのDVDを見ていくことを土曜日の夕方に行おうかと思う。引き続き、土曜日はシステマの集中的なトレーニングの日としたい。


さて、先ほど行なっていたジークンドーの鍛錬であるが、まずはフックパンチを練習していた。これまで疑問に思っていたことや見落としていたことなどがいくつかクリアになった。


例えば、フックパンチを繰り出す際には、腕を先に動かすのではなく、腰を最初に切って、腰の回転力を使って打つことは重要な点だが、あまり意識をしていなかった。フックパンチを打つ際に、頭は正面に残したままにし、フックパンチを打った手は素早くオンガードポジションに戻して次の動作に備えることも重要だ。


腕の角度は90度で、拳は縦拳で打つことも忘れてはならない。ロビンさんからの教えを通じて、横拳にしないことは理解していたが、少し斜め気味に拳を打ち込んでいた自分がいたので、明日ジムのサンドバックを使って練習する際には、拳の形を意識しようと思う。また、フックパンチにおいてはボクシングで行うそれとは違い、拳一個分貫通させるイメージで打ち、腕を振り抜かないことも大事だ。


フックパンチの練習をしながら、改めて全身を伸縮自在のバネのように使えるようにしていこうという気づきも得た。日々の動的ストレッチを単なるストレッチとして行うのではなく、あくまでもジークンドーの技を体現し、実現していくためのものとしていく。


そのストレッチが技とどのようにつながっているのかが明確になれば、ストレッチの精度もまた高まっていくに違いない。今日も気づきが多く、実りあるトレーニングができたことを嬉しく思い、それに感謝したい。フローニンゲン:2022/2/20(日)15:18


7892. 血の流れと気の流れ/神技・真技の本質


時刻は午後7時半を迎えようとしている。先ほど夕食を摂り終え、一息ついている。


この時間帯になって再び風が強くなってきた。ここ最近は本当に風の強い日が多い。世界は何かに対して怒っているのだろうか。憤怒の矛先は人間の諸行なのだろうか。


明日は風が落ち着いてくれることを祈る。明日は午後にジムに行きたいと思っている。


明日はは気持ち早めにジムに行き、今自分がやっているマーシャルアーツを紹介する動画撮影をする予定だ。これは初めての試みであり、自撮りするのも初めてのことなので、色々と試行錯誤をしてみようと思う。


新しい関心の芽生えと共に、こうした新しい取り組みも自然と生まれてくる。自分にできることは本当に、今の自分にできることしかないのだということを改めて思う。


夕食前に、血の流れと気の流れについて考えていた。それらは双方に影響を与え合っている。それらは次元が違うだけで同じものだという見方もできる。つまり、前者はグロス次元のものであり、後者はサトル次元のものだということだ。


そのようなことを考えていると、昔見たドキュメンタリー番組を思い出した。その番組では、鯨が海底に潜る時、血液を一気に頭に集め、頭を重たくして潜っていく姿が映し出されていた。人間もきっと同じようなことが器用にできるのではないかと思う。


もちろん、鯨と全く同じ形ではなく、例えば、マーシャルアーツにおいて打撃を繰り出す際に、拳や足に血液を凝集させるイメージを持ってみると、それがエネルギーの凝集を生み出すのではないかということだ。それによって尋常ではない威力が生み出されることは想像に難くない。


それが身体に気を通すということの意味だろう。おそらく、それと同じ原理は中国武術において見られるはずだ。こうした現象が日本の古流武術にもないかを調査してみよう。


その他にも、技の鍛錬について考えていた。技というのは獲得するというよりも、絶え間ない自己研鑽と試行錯誤を通じて練り上げていくことが重要なのだろう。それが神技ないしは真技の本質かと思う。


明日からの鍛錬においても、これまで習ってきた1つ1つの技を大切にし、それらを創意工夫と専心によって練り上げていこうと思う。そこに大きな楽しみを見出しているのが今の自分だ。フローニンゲン:2022/2/20(日)19:36

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page