7832-7836: フローニンゲンからの便り 2022年2月9日(水)
- yoheikatowwp
- 2022年2月12日
- 読了時間: 13分

No.3256 生命の樹_The Tree of Life
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1226, Morning Appreciation
Today began with a feeling of appreciation.
I have a tremendous amount of feeling of gratitude for the world and for my soul.
Groningen; 07:55, 2/9/2022
No.1227, A Mist & Illusions
A mist is covering the entire world.
Humans are preoccupied with misty illusions.
Groningen; 09:59, 2/9/2022
No.1228, The Continuous Heaven
I returned from a heaven to another one.
The heaven is continuous and one.
Groningen; 16:24, 2/9/2022
No.1229, Each Moment
Each moment is precious and valuable.
Each moment is glorious and supreme.
Groningen; 16:27, 2/9/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
7832. 光の指し示す方へ/今朝方の夢
7833. 終末医療・介護の現場におけるマーシャルアーツ/現状の延長線上を超えて
7834. ジークンドートレーニング39:脱力と波の意識
7835. ジークンドートレーニング40:目つきの指の形の訓練/股関節の嬉しい変化
7836. "Wave"というダンスパフォーマンスを鑑賞して
7832. 光の指し示す方へ/今朝方の夢
やって来た朝。新たな朝。今日もまた新鮮な輝きを放っている。辺りはまだ闇に包まれているが、自分の心の眼は確かに光を捉えている。
光の指し示す方へ。その方向へ進むこと。何も考える必要はない。その光を信じ、その光の導く方向へ進めばいいのだ。作為のない行動としてそれがある。真の行動はするものではなく、あるものなのだ。
昨夜、眠りの世界に落ちる前に何か重要な閃きがあった。それは何だっただろうか。一見すると些細なことであるように思えて、そこには確かに深い洞察があった。自分の人生を導くような、あるいは駆動させてくれるような洞察がそこにあった。
今朝方は、とても感動する夢を見ていた。夢の内容は覚えていないが、自分は涙を流していた。それも大粒の涙だった。慟哭ではなく、喜びに満ち溢れた波だった。そこには他者が関わっていて、他者と共に分かち合うような波だったように思う。
それ以外にも、三夜連続してマーシャルアーツに関する夢を見ていた。自分は複数のマーシャルアーツをマスターした使い手だった。世間はそれを面白がり、何かと自分に技を披露してほしいと持ちかけて来た。私はそれが嫌だったので、ひと目につかない形でひっそりと暮らしを営むことにした。
自然に囲まれて、日々新鮮な空気を吸いながら生活することによって、自分の身心はますます活性化していき、自然と技に磨きがかかっていた。そこで私は、都市型の生活ではなく、自然と触れ合う形での生活の良さを改めて再認識したのであった。
今朝方の夢で覚えているのはそれくらいだろうか。やはり、夢の中で感動の涙を流していたことが印象的だ。それは確かに夢の中の出来事だったが、それは覚醒した今の自分に深い影響を与えていて、夢の中で涙を流したことは浄化と治癒につながっていることを実感する。
そういえば、眠りの世界に落ちる前に、自分の左側の股関節がピクリと動き、それに合わせて肩甲骨が動いて、自然と腕が前に出ようとする動きが現れたのを覚えている。これは意思を超えた無意識的な動きのヒントになるのではないかと思った。考えるよりも先に体が動いているという非常に興味深い現象だった。
これは何かの反射運動なのだろうか。反射運動と身体の連動が合わさる形でそのような現象が立ち現れていたように思える。フローニンゲン:2022/2/9(水)06:28
7833. 終末医療・介護の現場におけるマーシャルアーツ/現状の延長線上を超えて
時刻は午前6時半を迎えた。引き続き辺りは真っ暗であるが、この静寂さが何ともたまらない。
その静けさに心が癒され、魂が深くこうべを垂れている。世界の静寂さに対して謙虚さを持っている魂。自分の魂はきっと静寂さを愛しているのだろう。
昨日、終末医療におけるスピリチャルケアや、介護の現場における古武術的身体操作の導入まで射程に入れて実践と研究を続けていくことについて考えていた。
高齢化の進む日本において、終末医療におけるスピリチャルケアの重要性はより増してくるだろうし、介護というのも現状大きな社会課題として我が国にのし掛かっていることを見ると、マーシャルアーツをもとにしたスピリチャルケアや身体操作の果たす役割は大きそうである。今後は医療の領域とも接点を持ちながら研究と活動に従事したい。
真の発達とは現状の延長線上にはないということ。確かに発達は含んで超えるという性質を持ち、最先端の発達科学でモデルが漸化式的に組み立てられるところを見ると、以前の状態というのは重要だが、それは発達が現状からの延長線上にあるということを直ちに意味しない。
発達にはやはり非線形的な跳躍があるのだ。それを自分の実践と探究に当てはめてみると、これまで実践してきたことや学んできたことをもとに新たな道を探ろうとすることがどれだけバカげたことかが見えてくる。
人はよく今の自分のリソースやこれまでの経験から新たな道を探ろうとするが、それではダメなのだ。それは発達的な飛躍のない安全な道にしかならない。真の発達はそのような道の先にはない。これは断じて言えることだ。
現状の延長線上にない実践や学習に身を置くこと。今の自分はそれをまさに行っている。その先にはきっと真の変容が待っているだろう。そのようなことを予感している。
ここ最近、ある変化が見られている。オランダに来る前まで10年近く毎朝瞑想の実践をしていたのだが、オランダでの生活を始めて以降は途端に瞑想の実践をしなくなった。もう自分は瞑想を求めないようになっていたのだ。
ところが最近は、マーシャルアーツの鍛錬を始めたことに伴い、夜寝る前に1時間弱瞑想の実践をし始めている。四六時中穏やかな心であり、マインドフルネスな状態に恒常的にある自分が再び瞑想のために時間を取り、その実践をし始めたことは興味深い。
瞑想実践を求めている自分がいるのだ。細胞への労りの瞑想、宇宙との一体化の瞑想、世界に対する祈りの瞑想、それらを自然と行う自分がいる。これも変容に向けた兆候なのだろうか。フローニンゲン:2022/2/9(水)06:45
7834. ジークンドートレーニング39:脱力と波の意識
穏やかな朝のフローニンゲンの世界を眺めながら、先ほど、午前中のジークンドーのトレーニングを行っていた。今回は、すでにロビンさんから習っているバックフィストとグローインキックを再度個別に取り上げて練習していた。
基本的にバックフィストはストレートリードの打ち方ができていればさほど難しくない。ただし、当然技が違うので、別途意識しなければならないことがあるのは確かである。
バックフィストの際には鞭をしならせるような形で腕を動かすと威力と速度の双方が生まれる。また、腕を脱力し、腕を放り投げるようなイメージを持つとなお威力と速度が実現する。
その次に行っていたのはグローインキックであり、これも膝下を鞭のようにしならせると威力と速度の双方が生まれる。また、膝下を放り投げるようなイメージを持つことも共通である。さらに言えば、どちらも共に、打撃を放った後にすぐさまオンガードポジションに戻ることも共通している。
ジークンドーの技の特徴は、原理は非常に奥深く、同時に動作そのものはシンプルだということだ。確かに、複雑な技を実際の護身の現場で活用することなどできないため、これはとても理に適ったことだと言える。単純さと深い原理に裏打ちされた技を内包しているのがジークンドーの体系だと言えるだろう。
トレーニングをしながらふと、その前に行っていた身体操作の鍛錬について思い出した。その時には脱力に焦点を当てていたのだが、改めて脱力というのは力を抜くことだけが目的ではなく、脱力を通じて得られた深層的な力をどう活用していくかまで射程に入れることが大切だと思った。
また、体の個別個別を脱力できるようになってくると、例えば相手に腕などを掴まれてその部分が緊張し、そこが固まっている状態であっても、身体の別の箇所を緩ませることによって、状況を打開することが可能になって来たりする。今は、身体の関節と筋肉の個別個別が別々に動くように意識していき、そのプロセスに合わせて連動した動きを鍛錬していければと思う。
最後に、波の力を相手に伝えることも練習していた。このリアリティは波で構成されているという側面があるため、波を活かすことはマーシャルアーツにおいても大切だ。身体を例に取ると、外側の波と内側の波の双方がある。
外側の波というのは、筋肉や骨格を波を打つように動かすことによって生まれる。一方で内側の波というのは、そうした外側の波が生み出す内的感覚や身体エネルギーのようなものであり、重要なことはそのどちらの波も起こせるようになることだ。
鍛錬としては、まずはわかりやすく身体の柔軟性が確保され、外側の波を起こせるようになることだ。そのように体を動かせることがまずは優先されるべきことだろう。
そこから応用的に、外側の波によって生じている内側の波を感じる訓練をしていき、理想的には外側の姿勢は変えずとも、内側の波を自分の意識だけで起こせるようになり、それを相手に伝えられるようになることである。午後のトレーニングでも波の意識を持ってみよう。フローニンゲン:2022/2/9(水)11:21
7835. ジークンドートレーニング40:目つきの指の形の訓練/股関節の嬉しい変化
時刻は午後6時にゆっくりと近づきつつある。この日記を執筆したら夕食を食べよう。そして夕食後少し休憩をしたら、今夜はダンスパフォーマスを鑑賞する予定なので会場まで歩いていこうと思う。会場は本日行って来たジムとすぐ近くにあり、歩いて20分弱なのでとても近い。
今日もジムのサウナで良い汗を流した。サラッとした爽快な汗が2回目のサウナからどんどんと出て来て、デトックスとリラックスの双方を享受することができていた。いつものように3回サウナに入る際には骨と筋肉のマッサージを入念に行い、それもまた身体の深いケアを促してくれていたのだと思う。
今日のジークンドーの自主トレーニングもまた充実していた。いつもトレーニングルームを1人で使うことができているので、周りの人や雑音などに煩わされることなく、まさに瞑想をしているかのような静寂な意識状態で練習に取り組むことができている。
当然ながら、仮に周りが騒がしくても自分のトレーニングに集中できなければならないのだが、今は静かな環境の後押しを存分に受ける形で、まるで瞑想をしているかのような形でマーシャルアーツの稽古ができている。
今日改めて発見があったのが目つきに関するものだ。目つきの技を繰り出す際には、親指と小指を除いた真ん中の3つの指を重ね合わせて目つきを繰り出す必要がある。3つの指を重ねるのは、それにより構造が強くなり、突き指を防ぐ目的がある。
今日改めて何を思ったかというと、オンガードポジションの際には利き手の拳は軽く握った状態なので、目つきをする瞬間に3つの指を重ねてピラミッドのような三角形を作る必要があるのだが、それをどれだけ素早く正確に行えるかが重要だと思ったのである。
3つの指が重ならない状態だと、上述のように突き指のリスクがある。なので、ここから日々の訓練として、家の中を歩いている時や街中を歩いている時に、サッと目つきのための指重ねをしてみたいと思う。今夜早速外出する機会があるので、歩きながらやってみよう。
グーから目つきの3本指を作り、再びグーに戻してサッと3本指を作るということを習慣化させていこう。そうすれば、いざというときにすぐに目つきの打撃が繰り出せるようになるはずだ。
また、今日は1つ自分の身体の変化として、股関節が随分と柔らかくなり、可動領域が広がっていて、足がより高く上がるようになったことは嬉しい変化であった。
鏡を見てみると、随分と高く足を上げることが可能になったものだなと驚き、ここからさらに高度な蹴り技の練習が楽しみになって来たのである。もちろん股関節の開発はまだまだであり、達人の足の上がり具合いや柔らかさに比べるとまだまだなのだが、いずれにせよそれは嬉しい変化であった。こうした変化に喜びを感じ、励みにしながら鍛錬を続けていきたい。フローニンゲン:2022/2/9(水)17:58
7836. "Wave"というダンスパフォーマンスを鑑賞して
大変素晴らしいものを見た。凄いものを見た。それが今の率直な思いだ。
時刻は間も無く午後10時を迎えようとしている。いつもであればとっくに寝室にいて瞑想をしている時間であるが、今日は先ほどまで市民シアターでダンスパフォーマンスを鑑賞していた。
冒頭の言葉にあるように、今日このパフォーマンスを見れて本当に幸運であった。おそらく明日また起きてから感想の続きを書きたいと思うが、今はこの瞬間に自分の内側に生起していることを走り書きでも良いので書き留めておきたい。
今日のダンスパフォーマスは、オランダ人の振り付け師David Middendorp氏と彼のチームによるもので、テクノロジー·音楽·ダンスが見事に融合した非常に芸術性の高いものだった。実は自分にとって真剣にダンスパフォーマスを見たのは初めてだったので思うので、初めて見たものがこのように芸術性が高く、印象深いものであったことは幸運であった。
今日のパフォーマンスのテーマは波であった。実際にタイトルとしても“Wave”と当てられていて、日常の物理現象·精神現象·社会現象の背後には波があることを捉えてのテーマ設定であった。偶然にも今朝方のマーシャルアーツのトレーニングで、波を内外で生み出し、波の意識を持つことをテーマにしていたので、テーマの一致には驚くばかりである。
生身の人間がステージ上で生命を発露させて驚く姿はただただ美しく、そこには生きた何かが絶えずあった。同時に、今日のステージでユニークだったのは、ドローンや映像テクノロジーといった先端的なテクノロジーを活用し、それがダンスの芸術性をより一層高めていたことである。
振り付け師のMiddendorp氏の精神の中にどこか哀愁のようなものがあるのか、全体を通して悲しみとは違った哀愁さが見事に表現されているように自分は感じ取り、その点に共鳴するものがあった。特に2つ目のAirmanという演目では、複数の小型のドローンと人間がステージ上で同調し合いながら踊っている姿になんとも言えない哀しみを見て取り、バックミュージックも悲哀な感じが漂っていた。
秀逸だったのは、この演目の終わりにおいて、曲が鳴り止み、ドローンの動きがゆっくりとなり、色が変化し、その様子が線香花火の最後の灯火のように映ったことである。そして、最後、それらのドローンが地面にポトリと落ちた姿は、線香花火の最後のそれと重なった。
オランダ人の観客たちはその瞬間に対して思わずクスリと笑い声を立てていたが、自分だけは全く違う感情的リアクションをしていた。それは命の終わりの瞬間のように思え、命の儚さを感じたのである。このあたりも文化の差による解釈の差異なのだろうか。そのようなことも思わされた次第だ。
そこからはボブ·ディランの音楽に乗った演目があり、バッハの音楽に乗った演目があったりと、非常に見所が多かった。まだまだ書き留めておきたいことはあるが、もういつもの就寝時間をとっくに過ぎているので、それらは明日に回そうと思う。いずれにせよ、今日は本当に素晴らしいパフォーマンスを見せてもらった。
今日のパフォーマンスには深く感動したため、これをきっかけに、今後自分が興味を持ったダンスパフォーマンスを積極的に鑑賞しに市民ホールに足を運ぼうと思う。今はただただ、今日の素晴らしい時空間を作ってくれた振り付け師David Middendorp氏と彼のチームのダンサーに感謝するばかりだ。フローニンゲン:2022/2/9(水)22:10
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