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7814-7819: フローニンゲンからの便り 2022年2月6日(日)



No.3253 あること_Being


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1210, A Switch

A switch to activate my body, mind, and soul is turned on now.

My whole existence is lively.

Groningen; 09:18, 2/6/2022


No.1211, Martial Arts & World Peace

Although martial arts were born for war, modern martial arts should aim at attaining world peace.

I practice martial arts for that purpose.

Groningen; 10:45, 2/6/2022


No.1212, True Power

If you obtain power without decreasing the ego centricity, you would destroy yourself someday.

False power is destructive.

True power is constructive to contribute to world peace.

Groningen; 19:16, 2/6/2022


No.1213, The Universal Principle of Everything

We can always find something new even when we see and listen to the same thing.

Because everything is constantly changing.

If you cannot find anything new, you disobey the universal principle of everything.

Groningen; 20:16, 2/6/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7814. 起床時の錯覚/今朝方の夢

7815. 意識状態とマーシャルアーツ/今朝方の夢の断片

7816. 関節のトレーニング/これまで取り組んできた身体実践の整理

7817. ミクロコスモスとマクロコスモスの共鳴/独自の身体実践体系の確立に向けて

7818. 中庸的な平常心と身体の状態/内部浸透の秘訣/グロス次元とサトル次元の考慮

7819. 細胞レベルでの言葉かけ/瞬間を大切にすること/力と自我


7814. 起床時の錯覚/今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。辺りはまだずいぶんと暗い。


昨日は夕方から夜にかけてシステマのオンラインクラスに参加していて、そこで身体をリラックスさせることができていたためか、昨夜はぐっすりと眠れた。


起床直前においては、今日は月曜日のように思え、また自分が会社勤めをしなければならないというような錯覚があった。正直なところ、目覚めた瞬間に今日会社に出社しなければいけないと考えてしまったときに、一気に気力が減退し、会社になんぞ行きたくないと思った。


会社に行くことは、自分の人生を浪費することであり、自分の天命に背くことだと思い、今日にでも会社を辞めようと思った。そこでふと冷静になってみると、自分は会社でなんぞ働いていないことに気づいたのである。


会社で働いていたのは大学を卒業してからの2年間と、アメリカの大学院を卒業してからの1年ちょっとの期間であった。今気づいたのだが、アメリカの大学院で卒業した後も、確かにアメリカで組織の中で働いていたことを思い出した。


自分は組織人として2年間しか働いていないと思っていたが、アメリカでの就労を含めると、3年ちょっとは組織に属して働いていたのだ。そこからフローニンゲン大学のイノベーションセンターでも研究インターンとして数ヶ月ほど働いていたので、合計で3年半ほどの組織人経験はあると言えるだろうか。


いずれにせよ、今朝方起床した時には、会社にいかなければならないと思い、それは人生の貴重な時間の浪費と天命に背く行為であり、地獄に落ちたような気持ちになった。そこからふと、自分は会社勤めなどしていないことに気づき、天国に昇ったような気持ちになった。


そのような体験をしていた前にいくつか夢を見ていた。そのうちの1つとして、実際に通っていた高校にいたものがあった。


高校の教室で国語か何かの授業を受けていた時に、自分の意識は授業になかった。空想を広げ、自分は空想世界の中で色々なことを考えて楽しんでいた。


そこでふと、高校がつくづくつまらないことを嘆く自分がいた。高校3年間のカリキュラム程度であれば、各学年のカリキュラムの全てを3ヶ月で終わらせ、高校を仮に通うとしても9ヶ月で十分だと思った。


そもそも、高校に通うことの意味が全く分からなくなってしまい、自分は今日この授業が終わったら高校を辞めようと思った。授業が終わると、高校の制服を脱ぎ捨て、持って来ていた私服に着替え、自宅に戻った。そしてそこで、両親に高校を辞めることを告げた。


すると父は高校を辞めることを一度強く反対したが、後々になって自分の意思を尊重してくれることになった。今朝方はその他にも夢を見ていたように思うが、無意識の大海の潮が引いてしまったかのように、夢の記憶が引っ込んでしまっている。再び潮が満ちた時に、今朝方見ていた夢の記憶を捕えたい。フローニンゲン:2022/2/6(日)07:51


7815. 意識状態とマーシャルアーツ/今朝方の夢の断片


時刻は午前8時半を迎えた。今、ようやく辺りが明るくなって来た。


先ほど、朝の呼吸法のエクササイズと動的ストレッチを終えた。今日からはもう動画を見ながら呼吸法や動的ストレッチをすることなく、神道の音楽をかけながらそれらのエクササイズをしていた。メニューの手順を覚え、型を覚えたことによって動画を見る必要はなくなり、神道の霊的な音楽に全身を委ねてそれらのエクササイズを行うことは大変心地よかった。


昨日ふと、心が落ち着き澄み渡ることによって、マーシャルアーツにおいては「水月移写」の状態になり、それはミラーニューロンが活性化している状態なのかもしれないということについて考えていた。


意識状態というのは改めて奥深く、意識状態の研究の泰斗であるチャールズ·タートの一連の書籍を読み返してみたいと思う。マーシャルアーツと意識状態というのも重要な研究テーマである。


フローニンゲン大学で研究していた頃には、同調現象に焦点を当てていて、同調具合を分析する応用数学の幾つかの手法を活用していた。マーシャルアーツにおける意識と身体の同調現象を科学的に研究するのであれば、その時の経験がきっと活きて来るはずである。


朝の呼吸法と動的ストレッチを終えてくつろいでいると、今朝方の夢の断片的な記憶が蘇って来た。そう言えば、2人の女性の爪の短さを見る夢があった。


2人は見知らぬ若い日本人女性であり、容姿から察するに女優のようだった。彼女たちはお互いの爪を見せ合い、どちらも共に爪があまりにも身近いことを笑っていた。


すると、その場が突然外国の運河となって、河から下って来るボートの中に前職時代の上司がいた。その方が岸にいる私たちに爪を見せて来て、笑いながら自分の爪も極めて短いということを叫んでいた。


この夢の延長線上に、小中高時代の友人(YU)が現れて話をしている場面があったように思う。彼と何を話していたのか定かではないが、彼が浮かない顔をしていたので、彼の相談に乗るかのように話を聞いていた。


呼吸を整えることによって意識状態が変わり、それによって夢の記憶が蘇って来たのかもしれない。また、動的ストレッチによって身体を整えたことが刺激となって、夢の記憶を呼び覚ましたことも考えられる。呼吸、身体、記憶というのは実に興味深いものである。フローニンゲン:2022/2/6(日)08:45


7816. 関節のトレーニング/これまで取り組んできた身体実践の整理


時刻は午前11時半を迎えようとしている。先ほどから雨が降り始めた。どうやらこれから明日の朝まで雨が降り続けるようだ。


先ほど、種々の関節の柔軟性を高めるトレーニングを行った。朝の動的ストレッチに組み込めそうなものもいくつかあり、関節の動かし方についていくつか洞察を得ることができた。


関節の位置とその可動範囲と役割を理解すると、動的ストレッチやマーシャルアーツの動作の精度が上がっていくのではないかと思う。自分の身体にはまだまだ知らないことがたくさんある。それは解剖学的な意味での身体のみならず、身体エネルギーを含め、主観的な身体意識に紐づく身体を含む。


人間の身体というものがどこまでも奥深いものであることが日々のマーシャルアーツの鍛錬から見えて来る。それは底知れぬ深さだ。


トレーニングを終えた後、エネルギーを身体に通していくことに関していえば、太極拳やクンダリーニヨガに注目をしてみたいと改めて思った。特にクンダリーニヨガについては過去に長らく実践をしていたので、また日々の実践に取り入れていこうと思う。


そんなことを考えながら、マーシャルアーツとヨガを組み合わせた実践体系を自分なりに作っていきたいと思った。また自分は霊気の実践者でもあるので、エネルギーワークも取り入れていければと思う。


こうなって来ると、現代のように単なる柔軟体操に成り下がってしまう傾向にあるヨガの意義を再考することにつながり、身体の柔軟性や力強さを取り戻しつつ、護身術も学びながら、身体のエネルギーを高めていくことが可能になる実践体系を作ることができたら現代的に意味のあるものになるのではないかと思う。


そして心理学畑を探究してきたものとしては、身体心理学の理解をさらに精緻なものにしていければと思う。取り急ぎ、自分がこれまで取り組んできた身体技法を洗い出し、それらを再度学び直してみようと思う。


学び直すというのは、実践し直すということであり、同時に理論的なところを再度押さえていくということである。今からその整理を行い、参考になる文献やDVDを調査してみようと思う。フローニンゲン:2022/2/6(日)11:33


7817. ミクロコスモスとマクロコスモスの共鳴/独自の身体実践体系の確立に向けて


穏やかな午後のフローニンゲン。今、時刻は午後3時を迎えようとしていて、穏やかな日差しが地上に降り注いでいる。天気予報では明日の朝まで雨が降るはずだったが、雨がいつの間にか止んでいて、落ち着きのある世界が広がっている。


先ほど仮眠を取っていた最中に、自分の身体というミクロコスモスと外面宇宙としてのマクロコスモスのつながりを感じていた。双方がフラクタル的な共鳴を奏でていて、自分の身体は即マクロコスモスであり、同時に宇宙は即ミクロコスモスであることを感じていた。これにより、仮眠中にもヒーリングが進行していたように思う。


午前中にふと、これからは自分がこれまで学んできた身体実践と各種理論を組み合わせて、独自の実践理論体系を構築していきたいと思った。今行っているジークンドーやシステマのトレーニングもその大切なピースとなる。


そのようなことを考えながら、統合的な身心の治癒·涵養に向けて、アーユルヴェーダについても学び直す必要がありそうだというアイデアも芽生えた。アーユルヴェーダはヨガのインストラクターコースを受けている時に簡単に触れたぐらいだが、とても印象的であり、それについても今後じっくりと探究をしていきたいと思う。


それではこれから夕方の身体トレーニングに従事する。動的ストレッチの際に、それを単なるストレッチとして行うとほとんど意味がない。もちろん、グロスボディの柔軟性や可動領域が高まるという効能はあるだろうが、自分が目的としているのはそれだけではない。


重要なことは身体意識の涵養であり、動的ストレッチの際にも自分の内側を内観的な意識で見つめていく。その時に呼吸を足掛かりにして、身体の内部の細部に入っていくようなイメージを持つと良いだろう。


午前中に考えていたことだが、クンダリーニヨガの実践を再度真剣に取り組んでみようと思う。クンダリーニヨガは、動きながらの禅として霊的な実践にもなる。この実践をする際にはとりわけ呼吸と身体意識への注意が重要になる。とにかく密度の濃い鍛錬を毎回心がけていこう。フローニンゲン:2022/2/6(日)15:00


7818. 中庸的な平常心と身体の状態/内部浸透の秘訣/グロス次元とサトル次元の考慮


つい先ほどまで穏やかな雰囲気が漂っていたが、今はまた雨風の強い状況になっている。天候というのもまた人間の心のように変化が激しいようだ。


そこに写し鏡としてのリアリティの特性を見る。人間の心は世界を表していて、世界は人間の心を表しているのだ。


さて、つい先ほどまでマーシャルアーツの鍛錬をしていた。その際に、意識を張り詰めすぎず、同時に脱力しすぎないという中庸的な平常心と身体の状態を維持することを意識していた。


マーシャルアーツにおいては兎角脱力が強調される傾向にあるが、これは完全に力が抜け切っているような状態ではない。昨日のシステマのオンラインクラスでも指摘されていたように、身体の中に力が宿っていながらも、不要な力みのない状態をいうのだ。中庸的な心の状態と体の状態を涵養していくことをこれからも意識しよう。


先ほどの鍛錬の中では、打撃を相手の身体の表面的な部分に利かせるのではなく、内部にまで浸透させることを意識していた。そのためには脱力が必要であり、中庸的脱力状態での打撃は、脳震盪や心震盪を起こす秘訣となる。


その他に重要な気づきは、物理的な身体の次元であるグロス次元のノンテレグラフィックモーションだけではなく、意思の次元であるサトル次元でのノンテレグラフィックモーションを実現させていくことだ。


ジークンドーではテイクバックをして打撃を繰り出さないので、まずはグロス次元でのノンテレグラフィックモーションの力を涵養することができ、あとは実践者の意識次第で、意思の次元におけるノンテレグラフィックモーションを体得していくことができる。


グロスの次元とサトルの次元を分けて考えることは、フェイントにおいても重要だ。フェイントも単にそれをグロス次元で行ってもあまり効果的ではなく、中国武術の発想に基けば、意念の操作を用いて、サトル次元で行うことが大切だ。


例えば、上に打つと意識レベルで相手にメッセージを送り、実際は下を打つなどが挙げられる。これもまたジークンドーにおいて非常に活きて来る考えだ。


最後に改めて、打撃の際には打ったコースで引き戻すことについて考えていた。ジークンドーにおいても、打撃の後にはすぐにオンガードポジションに戻ることが強調されている。


打撃を放った後にそれが相手にぶつかり、その動作を残しておくことは、物理学的にも自らの打撃の衝撃が自分に跳ね返って来るというデメリットがある。ジークンドーにおいてはその点も考慮に入れて、絶えず攻防一体の精神で打撃動作の後には——連続技の後においても——できるだけ素早くオンガードポジションに戻ることが推奨されているのだろう。フローニンゲン:2022/2/6(日)16:08


7819. 細胞レベルでの言葉かけ/瞬間を大切にすること/力と自我


再び穏やかな世界がやって来た。ここのところは雨風が強い時間帯がある日が多く、そうした時間帯が去ると、打って変わって静謐な世界がやって来る。ここにリアリティの対極性を見る。


夕食前に外を眺めながら、私たちの身体には、星の数よりも多い60兆個の細胞があることについて思いを馳せていた。60兆個1つ1つの細胞を呼吸や身体操作を通じて活性化させていくことに関心が向かう。


1つ1つの細胞と対話することはできないだろうか。仮に相手の意思が分からなくても、こちらから積極的に労いの言葉を日々投げかけたいものである。


細胞レベルでの言葉かけを実現する前に、まずは臓器レベル、骨レベル、筋肉レベルでの言葉かけを大切にしよう。彼らはみんな、お互いに協働し合って自分の1日を成り立たせてくれているのだ。


そんな彼らに労いの言葉をかけられないほどに傲慢な人間になってはならない。彼らに毎日労いの言葉をかけられない人間は、知性を持たない単なる頓馬である。


夕方から、ブルース·リーが残した書物を読み始めた。「実戦は6秒以内に終わらせる」というブルース·リーの思想に改めて考えを巡らせてみる。


実際の実践においては、もっと時間が短い形で決着がつくように思えて来る。生死を分けるのは瞬間であるということ。そうした発想で日々の鍛錬をしていく。


すなわち、1つ1つの動作が生まれる瞬間瞬間を大事にするということだ。それはつまり、高い集中力を持って鍛錬に励むことでもある。


明日からはまた新しい週を迎える。明日からの新たな週もまた、マーシャルアーツの鍛錬と探究に全てを注いでいく。その一環として、来週の水曜日には、近くの劇場でダンスパフォーマンスを鑑賞しに行って来る。


何やら最新テクノロジーとダンスが融合したショーらしく、今から楽しみだ。鑑賞中の自分の眼は、マーシャルアーティストとしてのそれであり、日々の鍛錬に活かせることを貪欲に得ていく。


力の獲得と自我の大きさは反比例しなければならない。そもなければ、その個人は不幸せになる。


力の獲得と自我の縮小が同時に起きて来ること、あるいはそれが起こるように尽力していくことは幸せへの道である。自我の肥大化した状態で力を得ることは破滅的である。


一方で、自我の縮小化に応じて力を得ていくことは建設的である。そのようなことを夕食後の洗い物の最中にふと思った。フローニンゲン:2022/2/6(日)19:33

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