No.3169 インパクト_Impact
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1162, Poem and Breath
A poem is spontaneously born as I breathe naturally.
It could be a manifestation of natural breathing.
Groningen; 07:26, 1/16/2022
No.1167, The Essence of Movements
Natural breathing leads my any movements.
That’s the essence of smooth and relaxed movements.
Groningen; 12:59, 1/16/2022
下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。
本日の3曲
全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。
楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
7700. 身体教育に携わること/昨日のシステマ·トロント本部のオンラインクラスを振り返って
7701. 今朝方の夢
7702. 動的ストレッチの見直し/今朝方の夢の続き
7703. システマトレーニング14:トレーニングの質と回復力への意識
7704. バランス感覚と危険察知能力の涵養/逃げられない状況における護身術
7700. 身体教育に携わること/
昨日のシステマ·トロント本部のオンラインクラスを振り返って
時刻は午前6時に近づきつつある。今は闇に包まれているが、フローニンゲンの日曜日の朝は一際静寂さで満たされている。
今日は夕方に、家のオーナーの厚意で、オーナーの家で食事をすることになっている。隣人のサハルとマークも招待されていて、そこでみんなとゆっくり談笑する予定だ。それまでの時間はいつものように、マーシャルアーツの実践と研究に時間を充てていく。
昨日ふと、自分はいつかマーシャルアーツの探究の成果をもとにして、身体教育の分野に携わるかもしれないという直観があった。子供と成人を含めた身体教育の重要性は、現代人の心身の状態を見ていると痛いほど大きく感じられる。
自分の身体を見つめ、気持ち良く身体が動けるようにし、身体を通じて自分の可能性を解放できるようなワークショップやクラスを提供している自分の姿がおぼろげながら見えてくる。
自分1人が健康になっても意味がなく、多くの人が健康になってくれることを切に望む自分がいる。自分1人が健康になることは不健康であり、自分1人が幸せになることは不幸せである。
自分を取り巻く多くの人たちが健康になり、幸せにならなければ、個人の健康や幸せは成り立たないのだ。なぜなら全ては一つであり、全てはつながっているのだから。
昨日のシステマ·トロント本部のオンラインクラスの内容を振り返っている。そう言えば、拳の適切な重さに関する質問があったことを思い出した。それに対するヴラディミア先生の答えは、歩くときの足の張りと同じ張りが拳にあるかどうか、あるいは何かを掴んだときの張りが、適切な拳の重さの目安となるというような回答をしていたかと思う。さらには、システマ式のプッシュアップをし、腕を曲げても疲れない状態の時の拳の感覚が適切な重さだと述べ、実際にそれを生徒に実演してもらう形で示していた。
システマだけではなく、他のマーシャルアーツもそうだが、脱力というのは完全に力が抜けてしまっている状態では決してない。仮にそうであったら、その場に倒れ込んで込んでしまったり、失禁してしまう。完全に脱力するのではなく、体には力みではなく張力がある状態が理想な脱力状態である。そのような理解をしている。
昨日自主的に行っていたシステマ式コンディショニングを今日も行おう。ジークンドーの動きの精度を上げていくためには、まずは兎にも角にも自分の身体と身体感覚を見つめ直していく必要がある。それを実現する上で、システマの各種エクササイズとシステマ式コンディショニングは非常に有益だ。
システマ式コンディショニングのいくつかのエクササイズは、是非ともサウナの中でもやってみたい。サウナの中で行えば、体の深部の緊張をほぐしやすいように思うのだ。明日の午前中にジムに電話をし、ロックダウンが明けてサウナが使えるようになったのかを確認しよう。フローニンゲン:2022/1/16(日)06:04
7701. 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えた。洗濯機がゆっくりと回っている。
今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。まず最初の夢は、実際に通っていた大学にいたものだ。
大学の東キャンパスにある講義棟に向かっていた私は、速やかに講義棟の中に入った。すると、これまでとは造りが少し違っていて、無数のエスカレーターが取り付けられていたのである。
どうやら適切なエスカレーターに乗らないと、自分が行くべき教室に辿り着けないことがわかった。すると幸いにも、あるエスカレーターにクラスメートや先輩が乗っている姿が見え、そのエスカレーターが正しいものだということが分かった。
そのエスカレーターに乗り、そこから何回か乗り換えて、無事に教室に辿り着いた。教室に一歩足を踏み入れると、そこは大教室だったが、すでに生徒がちらほらと座っていて、どこの席にしようかと悩みながら席を見つけることにした。
教室の左の一番前はどうかと思ったが、さすがに講師やホワイトボードが見にくいだろうと思ったので、少し下がったところの席に座ろうとした。すると、その教室特有の壁沿いにある席にクラスメートがいたので、彼の横に座ることにした。その席は、正面に向かって設置されているのではなく、横向きに設置されているものだった。
今日の授業は、2回りぐらい歳が離れた先輩が講義をしてくれることになっていた。その先輩は大学卒業後、メガバンクの1つで仕事を始め、今もずっとその会社に残って仕事をしており、かなり高い役職に就いていた。
私はその先輩の話に期待することはあまりなく、ずっと大企業で働いていた人の話はあまり面白くないだろうと思っていた。いざ講義が始まると、講義自体は案の定退屈であったが、生徒たちは思い思いに意見を述べ、彼らの意見は面白く思えた。
ある女子生徒が途轍もなく母校愛が強く、彼女の主張は他の生徒を若干引かせてしまうようなものだったが、それも面白く聞いていた。生徒たちの主張が収まったところで再び講師の先輩は話始めた。近現代における中国のある経済事件を取り上げ、それが日本の政治と深く結びついていることを指摘するものだった。
講義レジュメに、その事件の名前が太く強調して書かれていて、それは今度の試験に出題される可能性があると思った。多くの生徒は、試験に出題される可能性があるとわかると張り切ってその内容に耳を傾けるだろうが、私の場合は逆であった。特に大学に入ってからその傾向は強まり、テストに出るとわかると、その話に興醒めてしまい、聞く気がなくなってしまうのだ。
とは言え、その経済事件の勃発の背景について、政治経済的な観点から理解をしておこうと思った。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/1/16(日)06:18
7702. 動的ストレッチの見直し/今朝方の夢の続き
時刻は午前8時に近づいているが、辺りはまだ真っ暗だ。真っ暗な世界の中で、先ほど行っていた呼吸法のエクササイズと動的ストレッチについて振り返っている。呼吸法に関しては随分と板についてきて、今やそれを行わないと1日が始まらない感じがする。
動的ストレッチに関してはいくつかメニューを入れ替えてもいいように思い始めている。より重点的に可動領域を広げるべき場所は、日常生活の中であまり使っていないような場所であり、一方ですでに可動領域がある程度広い場所は、日常生活の中で頻繁に活用しているような場所かと思う。
そうした部位の偏りを正していくことにまずは焦点を当てるべきであり、すでに活用頻度の高い部位を改めてストレッチする必要はあまりないように思えたのである。そうした問題意識を持って明日からの動的ストレッチを行っていこうと思う。
今朝方の夢の続きについて思い出す。今朝方は3つ夢を見ていて、最初の夢については早朝の日記で書き留めていた。2つ目の夢は、ある知人の方が書籍を出版することになったものだった。
その方は昨年の春に書籍を出版していて、その書籍は最後の著作物にふさわしいほどの力作だったので、また書籍を出版することを私は驚いた。話を聞くと、どうやら今回の書籍は複数の著者と協力して執筆する共著らしく、その方は1章を担当している程度とのことだった。
夢の中の私は自分のシャドーを感じていた。というのも、自分は書籍を出版することを控えているのに対して、その方は積極的に出版しようとしていて、その方のことが自己顕示欲の強い人だという思いを持ってしまっていたからだ。
その背後に、自分は書籍を書くことを控えているというよりも、書籍を書けない自分がいることに薄々気付いていて、その方に羨望の眼差しを向けていることが分かったのだ。瞬間的に自分のシャドーに気づいたら、そこで夢の場面が変わった。
最後の夢の場面では、私は船の停泊地にいた。そこは釣り場としても有名で、その日の天気は曇りで、潮があまりよくなかったので釣り人はいなかったが、私はそこで釣りをしようと思った。
早速ルアーのワームを投げてみると、すぐさまヒットした。なかなか強い引きであり、海底にぐんと潜っていくような感覚があり、大物かと期待した。
自分の手前まで引き寄せてくると、魚はそこから最後の抵抗を見せるかのように、再び海底にぐんと潜っていく動きをした。そこから私はなんとか魚を引き揚げた。
揚ってきた魚はハゼだった。大きさにして40cmぐらいのハゼだったのだが、それくらいの大きさでも随分と引きが強いのだなと改めて思った。
さて、ハゼの口からルアーを外す際に、ハゼの体のどこを押えたらいいのか、そして口に指を入れても大丈夫かを確認したいと思った。釣りのことなら父に聞くのが一番いいと思ったので電話をしようとすると、いつの間にかハゼの口からルアーが外れていた。
ハゼは抵抗することなく、目を閉じてとても静かにしていた。一応父に電話をすると、ハゼは唐揚げにすると旨いとのことだったが、40cm以下だったら逃した方がいいと述べた。
ちょうど自分が釣り上げたハゼは40cmに達するかどうかだったので、少し悩んで、結局逃すことにした。だが、ハゼは如何せん大人しくなっているので、死んでしまったのではないかと少し心配になった。
陸に上がって辛かったのだろうと思い、逃すときはそこから海に投げるのではなく、そっと海水に入れてあげようと思った。ハゼをビニール袋に入れて、波止場の階段を降りていると夢から覚めた。フローニンゲン:2022/1/16(日)07:54
7703. システマトレーニング14:トレーニングの質と回復力への意識
つい今し方、朝のシステマトレーニングを終えた。とにかく1回1回の質を大切にし、回数ではなくて、どれだけ呼吸と姿勢を意識しながらエクササイズができるかを意識していった。
昨日のトレーニングでもそうだが、細部への意識が高まってくると、末端からの動きもしやすくなっているように思う。しかもそれは末端だけが動くのではなく、末端と体幹が繋がり、全身が動いていくような感覚があるのだ。
その際には、システマの原理である「呼吸が動きを導く」という感覚が大切になる。決してその逆ではないのだ。動きが呼吸を導くのではなく、自然な呼吸が力みのない自然な動作を導いていくことが重要になる。
先ほどのトレーニングでも呼吸を止めず、そして動きも止めない形で、滑らかな動きが連続的に行えるように意識していた。その動きはまさに、止むことのない寄せては返す波のようであった。
こうしたところにも波の比喩は役に立つ。それは知的理解を促すというよりも、身体感覚を養う上で役に立つ。
先ほどのトレーニングでその他に意識していたのは、エクササイズの都度、回復をしていくことだ。ついつい先を急いで次のエクササイズメニューに移りがちだが、そうすると、どれだけ力みなく疲労を残さないように意識して動作をしていても、自分はまだ身体操作の達人ではないから、必ず見えないところで疲労が生まれる。
その疲労を残したまま次のエクササイズに移行すると、動きがどんどんと雑なものになってしまい、トレーニングの質が低くなってしまう。なので、いったんリセットするぐらいの心持ちで、1つエクササイズを終えると呼吸を整え、リラックスを十分に味わってから次のメニューに移行していくことが重要だ。
こうした意識でトレーニングをし続けていると、トレーニングの質が高まるだけではなく、身体の回復能力も高まっていくだろう。それは一石二鳥である。
昨日行っていたシステマ式のコンディショニングの中で、指は緊張の出口としてあるという考え方が興味深かった。指をほぐしていくと、全身からの緊張が抜けやすい。
今このようにパソコンに向かって文章を打ち込んでいると、それはもちろん指を使っていて、日常においては至る所で指を使っている。指の凝りをほぐしていくこと、指を絶えず柔らかく使えるようになっていくこともこれから意識していこう。神は細部に宿る。フローニンゲン:2022/1/16(日)09:20
7704. バランス感覚と危険察知能力の涵養/逃げられない状況における護身術
時刻は午前10時を迎えた。先ほどまで、マーシャルアーツ関係の学術書を読んでいた。その中でふと、良い姿勢で片足立ちでバランス感覚を養うエクササイズを意識して行ってみようというアイデアが閃いた。これはジークンドーにおけるフットワークの土台になる鍛錬になるだろう。
全てのフットワークにおいて身体のバランスは重要であり、それを日常的に養っていく。ちょっとした時に片足立ちになってみたり、マーシャルアーツのDVDを見ている時に、解説を聞いている最中は片足立ちになってみるなどの工夫ができる。応用的には、目をつぶって方足立をするとなお良い訓練ができるだろうと思った。
その他にも、今朝方のシステマのトレーニングから着想を得て、全ての動作を呼吸から始めてみることをより意識してみようと思った。例えば、立ち上がることや歩くことにおいてそれが応用できる。
その他にも考えていたこととして、危機的状況において、多くの人がその状況の異常性に自覚的でない場合、何もしないという同調バイアスが生まれてしまうことについて考えていた。それは怖い同調バイアスだ。
そうした同調バイアス、ないしは同調圧力に屈せずに、いかに体を硬直させずに行動に移すことができるか。そのために日々の鍛錬がある。また日々のトレーニングは、危機意識のアンテナないしはレーダーを研ぎ澄ませることにつながる。
そこから改めて護身術について考えていた。自分1人であれば逃れる状況であっても、例えば子供や守らなければならない人が近くにいたら逃げられない状況がある。また、物理的に逃げられないような状況に置かれることも考えられる。
そのような時、相手を制する必要が自ずと出てくる。そうした場合にはやはり護身術は必要かつ有効だ。
本来は、危険察知能力を養い、そうした場面に遭遇しないように生きることが理想であり、次に理想なのはそうした場面において速やかに逃げられるように身体を鍛えておくことだ。だが、逃げられない状況というのも現実にはあるわけであり、そうした状況まで想定して日々のマーシャルアーツの鍛錬をしていこうと思った次第だ。
それではここからまたマーシャルアーツ関係の書籍を読み、休憩としてDVDを見ながらシステマのトレーニングをしていく。マーシャルアーツの鍛錬もまた自分にとっては休息の意味もあるのだ。フローニンゲン:2022/1/16(日)10:11
Commenti