No.3136 霊的家紋_A Spiritual Family Crest
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1156, Watery Breathing
My breathing is watery.
It naturally and smoothly flows.
So my soul does.
Groningen; 08:11, 1/13/2022
No.1157, Everything
Oh, everything is my friend, literally everything.
Everything is my father, mother, brother, and sister.
Also, everything is my great teacher.
Groningen; 20:00, 1/13/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
7679. 全時間の鍛錬/起床時の姿勢から
7680. 今朝方の夢/懐かしいレストラン
7681. ボディの実践への目覚め/身体操作の再プログラミング
7682. 身体操作を見つめ直して/拳に作り方
7683. ジークンドートレーニング17:フックキックとカービングステップ
7684. ブルース・リーの書籍/詠春拳のトレーニングのための器具
7685. 身体操作の見直して/ジークンドーの発達史
7686. 普遍語としてのマーシャルアーツ/武術史の研究
7679. 全時間の鍛錬/起床時の姿勢から
時刻は午前5時半を迎えた。今朝は喜びと共に目覚めた。なぜかというと、今日もまたマーシャルアーツのトレーニングができるからである。
目覚めた瞬間にそれに気づいた自分は、喜びに満ち満ちていた。幸いにも今日は天気が良いようであり、気温も低くない。午後にはマーシャルアーツ関係の書籍を受け取りに近所のコピー屋に行き、その足で買い物に行く。その間にも何かしらの鍛錬をしようと思う。
今、日常生活の中で行える鍛錬法を色々と思いついていて、それを試すことが大きな楽しみになっている。体の動かし方もそうだし、人間観察もそうだ。そこには様々な工夫の余地がある。
これまで無意識的に行っていたことをもう一度客観的に眺めてみて、マーシャルアーツの鍛錬に変えていく。私たちは、無意識的に行っていることが多々あるが、それを改めて見つめ直して磨くことはほとんどない。
例えば、歩き方や呼吸、視線の動かし方や人を観察する方法など、それらを錬磨させようという意識がないために、それらの達人にはなれないのだ。だが、ひとたびそれらを洗練させていくことを意識してみると、ゆっくりとではあるが着実にそれらの所作が磨かれていくのではないかと思う。そうした考え方に則って、これからはありとあらゆる身体操作や意識の活用方法を研ぎ澄ませていこうと思う。
今朝方目覚めた時、自分が右側に向きながら横向きで寝ていたことに驚いた。というのも、いつもはうつ伏せで寝ていて、しかも方向としては頭は左に向けることが多いからだ。
さらには、横向きの姿勢で目覚めた瞬間に、身体の骨格で体全体を支えている感覚があり、力が見事に全身に分散していて、無理のない姿勢であると思ったのだ。骨を活用するというのはこういうことなのだろうか。
うつ伏せだとどうしても、お腹や太腿などの筋肉を圧迫することになるが、今日の起床時の姿勢はうまく骨を活用することができていた。今夜の就寝の際も、筋肉に負担をかけず、骨格で身体を支える寝方を意識してみよう。
言うまでもなく、寝ることもまたマーシャルアーツの鍛錬になる。なぜなら、そこでも身体を活用しているからだ。
理想は夢の中でも鍛錬することである。この理由も言わずもがなであり、夢の中ではサトルボディーとして自分が存在しているからである。また夢を見ない時にはコーザルボディーとして自己があるのだから、夢の中でも、夢を見ない深い眠りの中でも鍛錬ができるはずなのだ。
このように考えると、身体を使っていない時間など1秒たりともないのだから、生きている間中、毎瞬何かしらの鍛錬ができることがわかる。今はまだ鍛錬を意識しなければならないが、いつか鍛錬することを意識せずとも全ての瞬間が鍛錬の時間となるだろう。
そこに向けて、今は創意工夫の精神を持って、日常のありとあらゆる所作を検証し直すところから始めていく。身体操作に関して、これまでの自分を完全に脱構築していくのだ。フローニンゲン:2022/1/13(木)05:48
7680. 今朝方の夢/懐かしいレストラン
ゆっくりと目覚めつつあるフローニンゲン。その動きに合わせて、自分もこれから本格的に活動に入っていく。
起床した瞬間、先日のロビンさんとのプライベートレッスンで宿題としてもらったエクササイズを行った。目覚めた瞬間はまだ半覚醒状態であり、そうした状態でもブレインツイストのそのエクササイズがうまく行えるようになることは理想だ。
それがもう無意識的に行えるようになっていれば、当然ながら半覚醒状態でもうまくできるはずなのだ。それを踏まえると、自分はまだまだのようであった。拳を作るべきところで手が開いてしまったり、その逆もあった。
とりわけ最初の動き出しの時にそうした混同が起こっているので、初動の反射的動作をとにかく最初は正確に行うことを意識しよう。この鍛錬を積めば、目覚めた瞬間にもこのエクササイズが正確に行えるはずだ。
逆に言えば、今は初動に混同が見られるので、いざとなった時にこのような動きができないということだ。反射的に拳が前に出るようにしたい。
今朝方の夢を振り返っている。夢の中で私は、大学時代のクラスメートともう1人別の友人と3人で話をしていた。話をしていたのは大学のカフェテリアだったと思う。
まずは今履修中の授業について情報交換をしていた。自分の大抵の友人は勉強熱心であり、彼らと話をすることはこちらも色々と学びになる。
授業に関する話がひと段落すると、クラスメートの友人がふと、今度あるレストランに足を運んでみると述べた。店の名前を尋ねてみると、彼の返答に私は驚いた。と言うのも、そこは私がマレーシアに滞在していた時に何度か足を運んだレストランだったからだ。
私:「えっ、オーシャングリーン?マレーシアのペナン島の?」
友人:「そうだよ。ジョージタウンにあるそのレストランに今度行ってみようと思うんだ。行ったことあるの?」
私:「あるもなにも、思い入れのあるお勧めのレストランだよ」
そのようなやり取りを友人としていた。そこは実在するレストランであり、両親と何度が足を運んだことがあるだけではなく、昔エグゼグティブコーチングをしていた際には、あるクライアントがペナン島に出張に行くと述べたので、そのレストランを勧めたことがあった。
するとクライアントもまたお客さんと一緒にそこに行ったらしく、とても良い雰囲気の中、商談が無事にまとまったと喜んでくれていたのを懐かしく思い出した。それは事実であり、夢の中の自分もその事実を思い出しながら話をしていた。
私:「お勧めは、水槽の中の海産物を指定すれば、それをその場で料理してくれることかな。それとレストランの名前にあるように、レストランからの眺めは最高なんだ」
最後に私はそのようなことを友人に伝えた。友人の表情は明るくなり、レストランに行く気分が高揚しているようだった。
今、Google Mapで改めてオーシャングリーンを検索した。とても庶民的なのだが、雰囲気の良いレストランで、当時の記憶が蘇ってきて懐かしくなった。いつかまた足を運んでみたいという気持ちが自然と起こる。フローニンゲン:2022/1/13(木)06:03
7681. ボディの実践への目覚め/身体操作の再プログラミング
時刻は午前7時を迎えた。先ほど、いつものように呼吸法のエクササイズと動的ストレッチを行った。呼吸の流れはスムーズで、身体もとても軽やかな感じがする。
呼吸法にせよ、動的ストレッチにせよ、それを単に日課としてこなしていては意味がない。早朝の日記で書き留めていたように、呼吸1つ取ってみても、動的ストレッチ1つ取ってみても、改善の余地は常に多分にあるのだ。そうした箇所に目を向けていき、より良い呼吸や動作を実現していきたい。
先ほどふと、三島由紀夫はボディービルに目覚め、ケン·ウィルバーはウェイトリフティングに目覚めたことについて考えを巡らせていた。彼らもまた自分と同じく日々の活動は知的なものに寄りがちであったが、知的活動を駆動させる脳と全身を健やかかつより屈強なものにしていくためにボディの鍛錬に目覚めたというのはとても共感できる。
自分の場合はマーシャルアーツへの目覚めだったが、理屈は同じである。いやおそらく、ボディの実践に向かったのは理屈ではなく、必然的な導きだったように思う。
これから朝の創作活動を行い、そこから朝のトレーニングに入っていく。今日は本格的なジークンドーのトレーニングをすることはせず、トレーニングをしたとしても礼法やステップの確認ぐらいにとどめる。
その代わりに今日は少し休憩として、身体の使い方に関するDVDを視聴しながら体の動かし方を検証していきたい。それは多分に古武術的な身体操作につながるものだ。
そもそも体の使い方が悪い状態でジークンドーやシステマのトレーニングをしていてもあまり意味がない。技術を洗練させるためにも身体操作を学んでいくことは大事だ。
システマに関してはこのあたりにも焦点を当てたトレーニングが多分にある。と言うよりも、システマこそ身体操作について学ぶ身体技法体系だと言ってもいいような気がしているが、今日はシステマ式に身体操作を学ぶと言うよりも、少し違った角度から身体操作を扱ったDVDを視聴しながら、自分の体の使い方をこの時期に今一度見つめ直していく。
私たちの身体操作は知らず知らずにプログラミングされていて、身体を駆動させているプログラミングコードの性質を理解することが重要だ。その後、多くの場合にはそれを再プログラミングしていく必要があるだろう。
果たして自分の身体はどのようにプログラミングされているのか。それに気づけることは今日の楽しみの1つであり、そこから再プログラミングしていくプロセスもまた喜びをもたらしてくれるだろう。フローニンゲン:2022/1/13(木)07:11
7682. 身体操作を見つめ直して/拳に作り方
つい今し方、午前中のトレーニングを終えた。今日は身体操作について見直すために、その目的に合致したDVDを見ながら体を動かしていた。動的ストレッチを含め、身体エクササイズをするごとに体の微細な変化を感じるようにする。
そうした変化への身体感覚を養うことは、マーシャルアーツのトレーニングにおいては上達への道になるだろう。体が動けばそれに伴って必ず何かしらの変化が身体内部に起こる。それを敏感に察知できるような身体意識を養っていこう。
先ほどの身体操作のエクササイズの中で、鞭のようにしなやかに動くイメージが出てきた。このイメージは、バックフィストやフックキックにおいても重要だ。
鉄球がぶら下がった鎖がガチガチに固まっていると鉄球の破壊力は落ちる。一方で、鎖の部分がしなやかに動けば、鉄球の破壊力は途轍もないほどに高まる。
鞭のようにしなやかに腕を動かしてみると、背骨が連動して波打つように動くのがわかる。これはジークンドーやシステマの打撃の際にも活きてくる身体操作だ。
それともう1つ、拳の握り方で随分と体の動きが変わることを体感した。拳の握り方によって腕のみならず、体の動きやすさが随分と変わることは驚きであった。これは末端の拳と体幹が連動して動かせることの好例のように思えた。
ジークンドーの練習では拳の握り方までは教わっておらず、我流の握り方をこれまでしていた。これまでの拳の握り方を変えてみて、先ほど試した拳の握り方でこれからの練習を行っていこうと思う。
拳の握り方に慣れるために、日常の動作の中でも絶えずこの拳を作って生活してみよう。歩く時や走る時はもちろ、その他の動作の時にもサッとこの拳の握り方を作って身体を動かしてみる。
ロビンさんにこの間課題としてもらったエクササイズもこの拳の握り方を迅速に作る良いワークになるだろう。これまでの拳の握り方と異なるため、自分の神経回路を再プログラミングする必要がある。
今朝方の日記で書き留めた通りのことが早速起こった。ここからは迅速にその拳が作れるように、日常の至る所でサッとその拳を作る練習を積み重ねていこう。フローニンゲン:2022/1/13(木)11:07
7683. ジークンドートレーニング17:フックキックとカービングステップ
時刻は午後2時半を迎えた。つい先ほど、午後のジークンドートレーニングを終えた。ジークンドーのトレーニングはそれが今日初めてのものだった。
午前中は身体操作に関するDVDを見ながら、自分の身体操作の検証をしていた。それをもとに午後のジークンドーのトレーニングをした。
まず今日は、フックキックの練習をした。この技にはおいては、スナップを効かせることが重要である。ちょうど午前中の日記で書き留めていたように、まるで鞭をしならせるように、足首と膝下のしなりを利用してフックキックをすると速度と破壊力が増す。
このキックは今日初めて実践したものであるから、今後より本質が見えてくるだろうし、コツのようなものを徐々に掴めてくるだろう。
その後、カービングステップの復習をした。昨日の段階で少し疑問に思っていたことがあるので、それを動きを伴う形で検証していった。
前後左右ではなく、角度を付けた動きをする際にこのステップを行う必要がある。言うまでもなく、前後左右の動きだけで移動するというのは現実にはあり得なく、角度を付けた動きは頻発するので、このステップにも習熟していきたいと思う。
大きな角度を付けて動くよりも、エネルギーロスを防ぐために、小さな角度でぶれなく動けるようにしたい。ステップが終了したら即座にオンガードポジションになっているかも確認するのがポイントだ。
自分の場合は、カービングステップをするとまだまだ右足の爪先と左足のかかとのラインが崩れてしまうことがあるので、練習が必要だ。ゆっくりかつ正確な動きを心掛けよう。
ひょっとすると、この動きで足のラインが崩れてしまうというのは、まだまだ左右のステップの練習が足りないことの現れかもしれないと思った。それも踏まえて、今一度基礎に戻り、ステップの練習は本当に何度繰り返してもやり過ぎなことはなく、むしろ毎日行った方がいいぐらいだ。それを踏まえて明日からの練習に臨もうと思う。
いずれのステップの動きをするに際しても、絶えず目の前に相手がいることを意識しよう。そして相手の正中線に向かって自分の利き手の照準が合うようにし、自分の正中線を相手にさらけ出さないように立つことを心掛けよう。
実際に相手が目の前にいないため、いかに想像力を膨らませるかが大事である。その際に、物理的なスキャフォールディングとして、木や柱などの一直線に立っているものを目印にしながら動くと練習しやすいように思う。そんな工夫を意識してみよう。フローニンゲン:2022/1/13(木)14:49
7684. ブルース・リーの書籍/詠春拳のトレーニングのための器具
時刻は午後4時半を迎えた。先ほど書籍の受け取りを2カ所で行い、その後、近所のスーパーに買い物に出かけた。今日は随分と多くの書籍を受け取った。いずれの書籍もマーシャルアーツ関係で、合計10冊ほど受け取った。
それにもかかわらず、今日は午前中に、経穴に関する書籍、そしてブルース·リーの思想に関する書籍を含めて11冊ほど追加で購入していた。経穴の書籍に関しては、ロックダウンの解除後、近所のジムでサウナに入った後の休憩にでも読もうと思っていた。経穴の書籍や解剖学の書籍を読んで少しくつろいでから自宅に帰るような計画をすでに練っている。
ブルース·リーの書籍に関しては、彼の思想に関する書籍だけではなく、ブルース·リーが1958年から73年にかけてしたためた手紙が収められた書籍も購入した。正直なところ、ブルース·リーのことをこれまで一度たりともかっこいいと思ったことはなく、全く関心がなかったのだが、ジークンドーを始めたことによって、その見方が180度変わった。
ブルース·リーの思想、そして生き方に強く関心を持ち、ブルース·リーの思想や生き方に関して彼自身が執筆した英語の出版物は全て購入した。それらが届き次第、これから読み込んでいく。
その他にも今日は、一風変わったものを注文した。ジュンファングンフーには詠春拳の要素が色濃くあり、そのトレーニングのために、竹で出来た詠春拳のトレーニング用のリングを購入した。
それを用いれば、立禅をしながらリングで詠春拳の腕や手の動きをしたりすることができる。道端でそれを使っていてもそれほど変ではなく、スケボーで移動する人のような感じで、リングに腕を通してトレーニングしながら街を歩くこともできるかもしれない。
そこまでやらなかったとしても、この器具をフルに活用して詠春拳のトレーニングもしたい。ブルース·リーが晩年に洗練させたジークンドーにおいては詠春拳の技はもう姿を見せないが、護身術を考えてみたときに、相手に手や腕を触れられた時の対処として、詠春拳の基礎的な動作がしっかりと身についていることは心強いだろう。
またそもそも、ロビンさんも詠春拳の技を私に教えてくれるので、その練習のためにこのリングは非常に役に立つ。そんなことからこのリングを購入するに至った。
今、続々とマーシャルアーツに関する実践と研究に関する資料や道具が揃いつつあることを嬉しく思う。フローニンゲン:2022/1/13(木)16:52
7685. 身体操作の見直して/ジークンドーの発達史
時刻は午後6時に近づきつつある。先ほど、夕方の身体操作トレーニングを終えた。今日のテーマは、自分の身体の使い方を見つめ直すことであった。
自分の身体の使い方を知ることなく無闇矢鱈にマーシャルアーツのトレーニングをしたくなく、それは長い目で見れば遠回りになってしまうと思えたので、まずは自分の身体操作を見つめ直すことを午前と午後に分けてゆっくり行っていた。
この実践と探究は奥が深く、今日1日だけで完結するようなものでは決してないが、いくつか自分の中で洞察が得られたことは間違いない。参考にしていたDVDの解説は、随分とシステマの身体操作に似ていたので、とっつきやすい所が多々あり、同時に新たな観点も得ることができたので非常に参考になった。
肩甲骨はがしのエクササイズを含めて、全身の隙間を作っていくようなエクササイズを今後も行っていこう。その際に合わせて、身体内にエネルギーを通していくようなイメージも絶えず持っておく。このあたりは、身体を流れるサトルエネルギーを感じられるようにしておかなければならない。明日も引き続き身体操作の見直しの時間を通ろう。
今日は午前中に、ジークンドーの発達史について調べていた。ジークンドーはその進化発展の過程においていくつかの流派があることに関心を持ち、改めて今自分がロビンさんから習っているジークンドーはどこに位置づけられるのかを確認したのである。
ロビンさんの話から、今習っているものはオークランドスクールに基づくものだとは聞いていたが、それがなんなのかを調べてみたのである。これはブルース·リーが晩年にテッド·ウォン氏に教えていたジークンドーの1つ前の時期に、すなわちベイエリアのオークランドで生活をしていた時にジェームズ·イム·リー氏に教えていたジークンドーの原型に当たるようなもの——ジュンファングンフー(振藩功夫)とも呼ばれるものを含む——だと分かった。
ブルース·リーの晩年のジークンドーは詠春拳から離れていったのだが、オークランドスクールにはその名残があり、確かにロビン先生からもこの間詠春拳の防御の仕方を少し教わった。
あくまでも流派の違いであり、そこに良し悪しはないであろうが、今の自分がジークンドーの発達史においてどこに位置づけられるものを今一度確認しておこうと思った。オークランドスクールのジークンドーの特徴や、テッド·ウォン氏が継承·洗練させたジークンドーの特徴についてはまだまだ調べてみないといけない。
本日届いた書籍もそうだし、これから書籍を参考にしながら、それらの違いについて理解していければと思う。フローニンゲン:2022/1/13(木)17:56
7686. 普遍語としてのマーシャルアーツ/武術史の研究
つい先ほど夕食を摂り終えた。朝から晩までマーシャルアーツのことを考え、鍛錬を続けていると、夕食がとても美味である。今夜の夕食も有り難くいただいた。
先ほど、アフリカ系アメリカ人のジークンドーのインストラクターのインタビューを聞いていた。その中で興味深い話があった。
彼が中国に行った時、そこである中国人に出会ったそうだ。その中国人は英語が話せず、インストラクターの彼は中国語が話せなかった。この点において、2人の間で言語的コミュニケーションが成立することはない。
ところが中国人の彼は詠春拳をやっていて、ジークンドーには詠春拳の要素も入っているので、インストラクターの彼は詠春拳を通じてその男性とコミュニケーションが取れたそうなのだ。
そこから、マーシャルアーツというのは身体的な普遍語なのかもしれないと思った。もちろんマーシャルアーツには様々なものがあるが、仮にお互いに違うマーシャルアーツをしていても、身体操作においては共通する部分が必ずどこかにあり、マーシャルアーツを通じて異言語の人たちと交流をすることができるかもしれないというのは大変興味深いことだと思った。
そこから、夕食中に見ていた武術に関するドキュメンタリーの内容を思い出した。まず最初に、武術には無形文化資産としての側面があることを思った。
例えば、中国においては、今も無形文化資産としての武術を守ろうとする人たちの献身的な姿があり、それがドキュメンタリーの中に映し出されていた。日中は畑仕事をしている人が、実は武術の達人で、伝統を絶やさないようにする姿勢がとても印象に残っている。
そこから、社会動向や政治によって発展·衰退を繰り返していった武術史の研究に関心が芽生えた。無意識的にそのテーマにはすでに関心を持っていて、この間、このテーマに関する学術書が何冊か届いていた。日本の武術史のみならず、世界の武術史を共時的に比較横断する研究を行ってみたい。それに少しずつ着手しよう。
武術家が重宝された時代もあれば、迫害された時代もある。そうした確たる歴史が武術の世界にはある。その背後にある政治的な動向を辿っていくことも1つの研究テーマである。
武術は力の象徴でもあり、そこには精神性も存在していることから、政治利用されてきた歴史があるということは想像に硬くない。
マーシャルアーツを探究の柱に据えると、こうも様々な角度から探究が行えることに驚く。それは、マーシャルアーツの深淵な奥深さを示唆している。フローニンゲン:2022/1/13(木)19:46
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